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伊予の隅々
こたろう博物学研究所
市町村別情報庫
松山市
(旧・松山市)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要

日浦 五明 伊台 湯山 桑原

道後 清水 東雲 潮見 久枝

堀江 和気 由良  高浜

三津浜 宮前 味生 味酒 新玉

番町 八坂 雄郡 生石 余土

垣生 素鵞 石井 浮穴 久米

小野 荏原 坂本


キャッチフレーズ
(1).

市の花 市の木 市の花木 市の鳥

特産物
●まつやま農林水産ブランド
・伊台・五明こうげんぶどう(平成22年8月)
・松山ひじき(平成28年6月6日)


沿革

地名
校区 地区 町名
日浦 日浦 大井野町(おおいのまち)、川の郷町(かわのごうまち)、東川町(ひがしがわまち)、水口町(みなくちまち)、河中町(かわなかまち)、玉谷町(たまたにまち)、福見川町(ふくみがわまち)、米野町(こめのまち)、藤野町(ふじのまち)、青波町(あおなみまち)
五明 五明 上総町(かずさまち)、城山町(じょうざんまち)、小屋町(こやまち)、恩地町(おんじまち)、柳谷町(やないだにまち)、梅木町(うめきまち)、神次郎町(じんじろうまち)、菅沢町(すげざわまち)
伊台 伊台 上伊台町(かみいだいまち)、下伊台町(しもいだいまち)、南白水(みなみはくすい)一丁目〜三丁目、白水台(はくすいだい)一丁目〜六丁目
湯山 湯山 上高野町(かみたかのまち)、宿野町(しゅくのまち)、末町(すえまち)、杉立町(すぎたてまち)、湯の山(ゆのやま)一丁目〜八丁目、湯の山東(ゆのやまひがし)一丁目〜五丁目、湯山柳(ゆやまやなぎ)、溝辺町(みぞのべまち)、食場町(じきばまち)、高野町(たかのまち)
桑原 桑原 三町(さんちょう)一丁目〜三丁目、束本(つかもと)一丁目〜二丁目、東野(ひがしの)一丁目〜六丁目、松末(まつすえ)一丁目〜二丁目、桑原(くわばら)一丁目〜六丁目、樽味(たるみ)一丁目〜四丁目、正円寺(しょうえんじ)一丁目〜四丁目、畑寺(はたでら)一丁目〜四丁目、畑寺町(はたでらまち)
道後
湯築
道後  上市(かみいち)一丁目〜二丁目、南町(みなみまち)一丁目〜二丁目、山田町(やまだちょう)、岩崎町(いわさきまち)一丁目〜二丁目、常光寺町(じょうこうじちょう)、持田町(もちだまち)一丁目、新石手(しんいして)、桜谷町(さくらだにちょう)、石手(いして)一丁目〜五丁目、石手白石(いしてしらいし)、祝谷(いわいだに)一丁目〜六丁目、祝谷東町(いわいだにひがしまち)、祝谷西町(いわいだににしまち)、紅葉町(もみじまち)、道後一万(どうごいちまん)、道後今市(どうごいまいち)、道後公園(どうごこうえん)、道後北代(どうごきたしろ)、道後喜多町(どうごきたまち)、道後多幸町(どうごたこうちょう)、道後姫塚(どうごひめづか)、道後樋又( どうごひまた)、道後湯之町(どうごゆのまち)、道後湯月町(どうごゆづきちょう)、道後町(どうごまち)一丁目〜二丁目、道後緑台( どうごみどりだい)、道後鷺谷町(どうごさぎだにちょう)
清水
姫山
清水 中央(ちゅうおう)一丁目〜二丁目、姫原(ひめばら)一丁目〜三丁目、山越(やまごえ)一丁目〜六丁目、山越町(やまごえまち)、平和通(へいわどおり)二丁目〜四丁目、御幸(みゆき)一丁目〜二丁目、木屋町(きやちょう)三丁目〜四丁目、本町(ほんまち)六丁目〜七丁目、清水町(しみずまち)一丁目〜四丁目、緑町(みどりまち)一丁目〜二丁目、鉄砲町(てっぽうちょう)、高砂町(たかさごまち)一丁目〜四丁目
東雲 東雲 一番町(いちばんちょう)一丁目〜二丁目、中一万町(なかいちまんまち)、二番町(にばんちょう)一丁目、勝山町(かつやまちょう)一丁目〜二丁目、北持田町(きたもちだまち)、南持田町(みなみもちだまち)、喜与町(きよまち)一丁目〜二丁目、大街道(おおかいどう)三丁目、平和通(へいわどおり)一丁目、御宝町(みたからまち)、持田町(もちだまち)二丁目〜四丁目、文京町(ぶんきょうちょう)、旭町(あさひまち)、昭和町(しょうわまち)、東一万町(ひがしいちまんまち)、東雲町(しののめちょう)、此花町(このはなまち)、歩行町(かちまち)一丁目〜二丁目、西一万町(にしいちまんまち)
潮見 潮見 吉藤(よしふじ)一丁目〜五丁目、平田町(ひらたまち)、志津川町(しつかわまち)、谷町(たにまち)、鴨川(かもがわ)一丁目〜二丁目 
久枝 久枝 久万ノ台(くまのだい)、問屋町(といやちょう)、安城寺町(あんじょうじまち)、東長戸(ひがしながと)一丁目〜四丁目、船ケ谷町(ふねがたにちょう)、西長戸町(にしながとちょう)、高木町(たかぎちょう)、鴨川(かもがわ)三丁目
堀江 堀江 内宮町(うちみやちょう)、堀江町(ほりえちょう)、東大栗町(ひがしおおぐりちょう)、権現町(ごんげんちょう)、福角町(ふくずみちょう)
和気 和気 勝岡町(かつおかちょう)、和気町(わけまち)一丁目〜二丁目、太山寺町(たいさんじちょう)、馬木町(うまきちょう)
由良 由良 由良町(ゆらまち)、門田町(かどたまち)
泊町(とまりまち)
高浜 高浜 新浜町(しんはままち)、松ノ木(まつのき)一丁目〜二丁目、梅津寺町(ばいしんじまち)、港山町(みなとやままち)、石風呂町(いしふろまち)、高浜町(たかはままち)一丁目〜六丁目
三津浜 三津浜   三津ふ頭(みつふとう)、三津(みつ)一丁目〜三丁目、住吉(すみよし)一丁目〜二丁目、元町(もとまち)、松江町(まつえちょう)、梅田町(うめだまち)、神田町(かんだまち)、若葉町(わかばちょう)、須賀町(すがまち)
宮前
みどり
宮前  ひばりケ丘(ひばりがおか)、みどりケ丘(みどりがおか)、三杉町(みすぎまち)、中須賀(なかすが)一丁目〜三丁目、会津町(あいづまち)、内浜町(うちはまちょう)、古三津(ふるみつ)一丁目〜六丁目、古三津町(ふるみつまち)、吉野町(よしのちょう)、明神丘(みょうじんおか)、春美町(はるみちょう)、東山町(ひがしやままち)、桜ケ丘(さくらがおか)、祓川(はらいかわ)一丁目〜二丁目、辰巳町(たつみちょう)、青葉台(あおばだい)、高山町(たかやまちょう)
味生
味生第二
味生 別府町(べふちょう)、北斎院町(きたさやちょう)、南斎院町(みなみさやちょう)、大可賀(おおかが)一丁目〜三丁目、山西町(やまにしちょう)、海岸通(かいがんどおり)、清住(きよすみ)一丁目〜二丁目、空港通(くうこうどおり)三丁目〜七丁目
味酒 味酒 六軒家町(ろっけんやちょう)、味酒町(みさけまち)二丁目〜三丁目、宮西(みやにし)一丁目〜三丁目、平和通(へいわどおり)五丁目〜六丁目、愛光町(あいこうちょう)、朝日ケ丘(あさひがおか)一丁目〜二丁目、朝美(あさみ)一丁目〜二丁目、木屋町(きやちょう)一丁目〜二丁目、本町(ほんまち)二丁目〜五丁目、松前町(まさきまち)二丁目〜五丁目、美沢(みさわ)一丁目〜二丁目、若草町(わかくさちょう)、萱町(かやまち)二丁目〜六丁目、衣山(きぬやま)一丁目〜五丁目、辻町(つじまち)
新玉 新玉 三番町(さんばんちょう)六丁目〜八丁目、千舟町(ちふねまち)六丁目〜八丁目、南江戸(みなみえど)一丁目〜六丁目、南江戸町(みなみえどまち)、味酒町(みさけまち)一丁目、大手町(おおてまち)一丁目〜二丁目、宮田町(みやたまち)、本町(ほんまち)一丁目、松前町(まさきまち)一丁目、湊町(みなとまち)六丁目〜八丁目、生石町(いくしまち)、萱町(かやまち)一丁目
番町 番町  一番町(いちばんちょう)三丁目〜四丁目、 二番町(にばんちょう)二丁目〜四丁目、三番町(さんばんちょう)二丁目〜五丁目、丸之内(まるのうち)、千舟町(ちふねまち)三丁目〜五丁目、南堀端町(みなみほりばたちょう)、堀之内(ほりのうち)、大街道(おおかいどう)一丁目〜二丁目、柳井町(やないまち)一丁目〜三丁目、湊町(みなとまち)三丁目〜五丁目、花園町(はなぞのまち)
八坂 八坂 三番町(さんばんちょう)一丁目、北立花町(きたたちばなまち)、千舟町(ちふねまち)一丁目〜二丁目、新立町(しんだてまち)、永木町(ながきまち)一丁目〜二丁目、河原町(かわらまち)、湊町(みなとまち)一丁目〜二丁目、湯渡町(ゆわたりまち)、築山町(つきやまちょう)、錦町(にしきまち)
雄郡
たちばな
双葉
雄郡 北藤原町(きたふじわらまち)、土居田町(どいだまち)、土橋町(どばしまち)、室町(むろまち)、室町(むろまち)一丁目 〜二丁目、小栗(おぐり)一丁目〜七丁目、小栗町(おぐりまち)、春日町(かすがまち)、末広町(すえひろまち)、永代町(えいだいまち)、泉町( いずみまち)、真砂町(まさごちょう)、空港通(くうこうどおり)一丁目〜二丁目、竹原(たけわら)一丁目〜四丁目、 竹原町(たけわらまち)、藤原(ふじわら)一丁目〜二丁目、藤原町(ふじわらまち)、針田町(はりたまち)、雄郡(ゆうぐん)一丁目〜二丁目
生石
さくら
生石 久保田町(くぼたまち)、北吉田町(きたよしだまち)、南吉田町(みなみよしだまち)、富久町(とみひさまち)、高岡町(たかおかまち)
余土 余土 余戸中(ようごなか)一丁目〜六丁目、余戸南(ようごみなみ)一丁目〜六丁目、余戸東(ようごひがし)一丁目〜五丁目、余戸西(ようごにし)一丁目〜六丁目、保免上(ほうめんかみ)一丁目〜二丁目、保免中(ほうめんなか)一丁目〜三丁目、保免西(ほうめんにし)一丁目〜四丁目、市坪北(いちつぼきた)一丁目〜二丁目、市坪南(いちつぼみなみ)一丁目〜三丁目、市坪西町(いちつぼにしまち)
垣生 垣生 東垣生町(ひがしはぶまち)、西垣生町(にしはぶまち)
素鵞 素鵞 中村(なかむら)一丁目〜五丁目、小坂(こさか)一丁目〜五丁目、拓川町(たくせんちょう)、日の出町(ひのでまち)、枝松(えだまつ)一丁目〜六丁目、祗園町(ぎおんまち)、立花(たちばな)一丁目〜六丁目
石井
石井東
石井北
椿
石井 今在家(いまざいけ)一丁目〜四丁目、今在家町(いまざいけまち)、北井門町(きたいどまち)、北土居町(きたどいまち)、古川北(ふるかわきた)一丁目〜四丁目、古川南(ふるかわみなみ)一丁目〜三丁目、古川西(ふるかわにし)一丁目〜三丁目、和泉北(いづみきた)一丁目〜四丁目、和泉南(いづみみなみ)一丁目〜六丁目、土居町(どいまち)、天山(あまやま)一丁目〜三丁目、天山町(あまやままち)、居相(いあい)一丁目〜六丁目、居相町(いあいまち)、星岡町(ほしおかまち)、朝生田町(あそだまち)一丁目 〜七丁目、東石井(ひがしいしい)一丁目〜七丁目、東石井町(ひがしいしいまち)、西石井(にしいしい)一丁目〜六丁目、越智町(おちまち)
浮穴 浮穴 井門町(いどまち)、南高井町(みなみたかいまち)、森松町(もりまつまち)
久米
窪田
北久米
福音
久米 久米窪田町(くめくぼたまち)、北久米町(きたくめまち)、南久米町(みなみくめまち)、南土居町(みなみどいまち)、来住町(きしまち)、福音寺町(ふくおんじまち)、高井町(たかいまち)、鷹子町(たかのこまち)
小野 小野 北梅本町(きたうめもとまち)、南梅本町(みなみうめもとまち)、小野町(おのまち)、平井町(ひらいまち)、水泥町(みどろまち)
荏原 荏原 上川原町(かみがわらまち)、上野町(うえのまち)、中野町(なかのまち)、大橋町(おおはしまち)、小村町(こむらまち)、恵原町(えばらまち)、東方町(ひがしがたまち)、津吉町(つよしまち)、西野町(にしのまち)
坂本 坂本 久谷町(くたにまち)、浄瑠璃町(じょうるりまち)、窪野町(くぼのまち)

※小学校区と地区・町名の対応は完全にとれていません。

※旧北条市・中島町については、北条市、中島町を参照してください。


文化財

松山市の文化財



城址

松山市の遺跡・古墳など



遺跡

松山市の遺跡・古墳など



古墳

松山市の遺跡・古墳など


跡地

秋山兄弟遺邸跡【松山市】

殿蔵跡【松山市】
・江戸時代の年貢米を保存していた蔵のあった場所。

念斎堀
・松山城下に在る。
・ 『加藤嘉明が松山城築城のときに、松本新左衛門山下八兵衛を下手代奉行に任命した。新佐衛門の妻の兄弟に府中屋という家があり、ここに宗群念斎という兩人が住んでいた。この兩人が今の堀を掘ったのである。後に今の念斎掘を掘って、傍らに宗群の塚を造営した。その場所を墓下という。』との記述が『松山俚人談』にある。
               以上、伊豫温古録より


松山市の寺一覧


神社

松山市の神社一覧


お堂

首塚【東大栗町?古三津刈屋?】

首塚【古三津 刈屋】


地蔵



松山市の山


鉱山

松山市の山


川・渓谷

松山市の水辺


池沼・湖

松山市の水辺


松山市の水辺


松山市の水辺


ダム

松山市の水辺


松山市の水辺


風景

岩堰【石手】

・道後村めぐり へんろ橋コース 8番
・松山城築城の際、足立重信が岩を削って水路を西南に変え、重信川と合流するように工事したといわれる。
・川には小さなつり橋が掛かっている。
 
酒井黙禅の句碑
『鮎寄せの 堰音涼し 宝川』
 ※宝川は石手川の旧名。

四十島(ターナー島)【松山市】
四十島は高浜港の沖合いに浮かぶ周囲 150mの小さな島である。
・高さ18m、周囲約140m。
・周辺は四十島瀬戸と呼ばれ、潮流が厳しいことで知られる。
・この島が「ターナー島」と呼ばれる由縁は、夏目漱石の小説「坊っちゃん」にある。
・「あの松を見給へ。幹が真直で、上が傘の様に開いてターナー(英国の印象派画家)の画にありそうだ」−以来、地元の人々にも「ターナー島」の呼び名で親しまれてきた。
・樹齢 165年を刻んだ松は昭和52年松喰い虫の被害に遭って枯死した。現在の松は、ターナー島のシンボルを蘇らせようとする人々の手によって植樹されたものである。
・高浜から向こうには伊予の小富士興居島の美しいシルエットが浮かび上がる。
・明治28年の秋、高浜の延齢館に遊んだ子規と夏目漱石も、この絶景を楽しんだという。

「 初汐や 松に浪こす 四十島 」 子規

白石の鼻【松山市勝岡町】
1999/7/20
 
白石龍神社
・神像:岩に腰掛け水玉を持ち、頭頂に龍を配す。
・祭神:黒玉姫命、彦火出見命、豊玉彦命
・由緒及び創建は明らかではないが、文書によると古くから五穀漁業の神として尊崇厚く、諸普請は郡方が行い、祭祀は和気郡代官が出張して奉行したとある。
・寛政7年(1795)社殿を修理した。
・文化9年(1812)暴風のため社殿が大破し、官の許可を得て新築した。
・明治4年、大政官布告により無格社に定められた。
・明治23年本殿を現在地に移転し、鳥居を建立した。
・以後、前の社殿跡を元社という。
・昭和7年、拝殿を建立した。
・昭和26年宗教法人として登録された。
・平成3年9月、19号台風により本殿及び鳥居が倒壊し、境内にも被害を受けた。
・平成4年7月、本殿及び鳥居の再建並びに境内の修復を完了した。
(以上、平成4年7月吉日建立の白石龍神社由来碑より)
白石観世音菩薩
・当地白石の鼻東側岸壁沖合い30m干潮海底1.5mにて平成9年6月23日二神成志氏が発見。速やかに当地龍神宮境内に鎮座した。松山西署に届け出たが、盗難届の該当者は無く、高浜町6丁目町内会長森伊勢男氏が世話人代表となった。
★県道39号線では免許センターの手前で「ネズミ捕り」をしており、2〜3台の車が止められていた。青い海を眺めながらゆっくりと走っていたので事なきを得た。(1999/7/20)

蛇の釜【久谷町】
2004/2/7

道後八景
義安寺蛍
奥谷の鶯 : 宝厳寺辺り
円満寺の蛙
冠山の杜鵑
御手洗(みたらし)川の水鶏(くいな) : 義安寺前より伊佐爾波神社参道の石橋へと繋がる川
湯ノ元の蜻蛉 : 道後温泉本館 神の湯
古城の壕の水鳥 : 道後公園湯築城
宇佐田の雁 : 松山城下〜道後の間の旧街道


洞窟・鍾乳洞

樹木

アカガシ【川の郷町今治谷】

ソテツ【平井町今吉】
・市指定天然記念物(昭和36年指定) 
・文化年間(1820〜1817)に植えられたといわれ、根廻り 2〜3m、目通り周囲 2mという大きなもので、地上 2mのところで四方に枝を張り、一本立ちで樹勢も盛んである。
・ソテツは雌雄の株があり、この木は雌株で赤い実がなる。
・昔、音右衛門という人が、この地の開拓に成功し、その記念にこのソテツを植えたといわれている

宮内伊予柑母樹【平田町】
・市指定天然記念物(昭和52年3月28日指定)
・伊予柑の厚種苗。

オガタマノキ【東石井町 縦淵城跡】
・松山市指定天然記念物(昭和56年10月20日指定、申請者:松田義高)
・古代榊ともいう。常緑高木。日本西南部の温暖な地方の山地に自生するが、神社の境内や庭にも植えられている。
・幹は直立し枝分かれ多く、多数の葉が幹に付く。
・春白い花を枝先や葉の付け根につける。

お杖椿【河中町 両新田神社】
・松山市指定天然記念物(昭和48年8月19日指定)
・神社の裏手には、新田義宗が日浦に来る途中、杖にしてついてきたという「お杖椿」の木があり、毎年4月の中旬から5月にかけて見事な大輪の花を咲せている。
・樹齢は約 600年。
・根廻り5.1m、樹高 10m。直径14mの円形に枝が広がっている見事なヤブツバキである。
・和名=ツバキ。自生種はヤブツバキとかヤマツバキとか呼ばれている。根廻り5.1m、樹高10m、枝張り東西13m、南北は14.5mもあり、ツバキのうちでは県下第一の大木である。このツバキが、お杖椿と呼ばれているいわれは、昔、南北朝の戦いに敗れた新田義貞の子新田義宗が従弟の脇屋義治とともに生き残った少数の
すがり、また安芸の厳島神社のお告げによりこの地に落ちて来た。その途中ツバキの枝を切り杖にしていたが、目的の地に着き、それを地に突き立てたまま放置したところ、杖は根付いて葉を持ち花を持つようになり、後世「お杖椿」とか「新田椿」とか呼ばれて村人から大切にされたという伝説によるものである。

十六日桜【御幸】
・「名花 十六日桜 竜穏寺西北ノ谷ニ在リ、毎年正月十六日必花ヲ開ク、或ハ根ヲ分テ他ニ移シ或ハ接木シテ試ルニ皆験無シ」(和気郡地理図誌稿)

愛媛にあった幾つかの天然記念物は、枯死・枯損により指定解除されている。

◎国指定天然記念物解除
与力松【平井町】
・昭和56年7月8日指定解除

◎県指定天然記念物解除
エノキ【南久米町】
・昭和46年4月6日指定解除
神松【祝谷】
・昭和47年7月25日指定解除
杉並木【御幸1丁目】
・千秋寺にあった。
・昭和48年9月14日指定解除
相生の松【南斎院町】
・日吉神社にあった。
・昭和44年2月県指定、昭和43年2月市指定の天然記念物となったが、昭和52年12月9日指定解除。
門前の松【石手2丁目】
・石手寺にあった。
・昭和55年3月21日指定解除

◎市指定天然記念物解除
センダン【福角町】
・昭和42年7月12日指定解除
こがの木【宿野町】
・素鵞神社にあった。
・昭和45年8月21日指定解除
巴の松【高井町】
・高井八幡神社にあった。
・昭和38年に天然記念物に指定されたが、マツクイムシ被害に遭い枯死し、昭和52年3月25日指定解除された。
ヒノキ【津吉町】
・昭和53年1月20日指定解除
鶴の松【石手2丁目】
・石手寺にあった。
・昭和55年1月17日指定解除
手引の松【余戸東5丁目】
・三島大明神社にあった。
・昭和55年1月17日指定解除
空也松【鷹子町】
・浄土寺にあった。
・昭和55年1月17日指定解除
地蔵松【北梅本町】
・昭和55年10月20日指定解除
左馬殿の松【小栗3丁目】
・雄郡神社にあった。
・昭和59年1月13日指定解除

松山市保存樹木

景観樹林保護地区







瀬戸風峠【祝谷東町】

・道後村めぐり瀬戸風コース 28番
  「鷺谷に 一本淋し 枯尾花」 子規
★娘のIと息子のSと一緒にドライブがてら立ち寄る。
★道後平ニュータウン造成により、以前のような「森に包まれた峠」の姿は完全に失われてしまっている。(2002/12)
★松山市街地の夜景を眺めるには絶好のスポットである。(2002/12)

榎ヶ峠【杉立町】
・江戸時代からこの地は交通の要衝に当たり、北は宿野方面へ、東は青波を経て日浦街道へ、南は小野方面へ、西は食場へ通じている。
・分岐点付近には松山藩が植えた榎があり、榎ヶ峠と名付けられた。

水ヶ峠

幸次ヶ峠

淡路ヶ峠(あわじがとう)【桑原】

・繁多寺の裏の山道を30分位登ったところに、桑原地区をはじめ市内から重信方面までを一望できる淡路ヶ峠がある。
・天気の良い日には、興居島青島郡中の海岸まで見渡せる。
淡路ヶ峠には、山頂に天正年間に道後湯月城河野道直の砦があった。
・山頂の標高は 275m。
桑原淡路ヶ峠城の城主は林通起である。
・城主の子孫は明治の偉人、伊藤博文である。


八百八狸の碑【久谷町】

松山藩のお家騒動として有名な「久万山騒動

勘左池記念碑【久万ノ台】
1995/5/2
・建立:久万の台町内会、聖陵高校二宮幸巳
・昭和52年5月吉日建立
・八反三畝八歩の溜池で、天保年間に勘左右衛門の努力により建設された。
・水田七丁歩の用水を貯え、農業の拡大に寄与したが、昭和36年頃より宅地造成で貯水の必要性が無くなり、昭和44年聖陵高校野球場として譲渡した。

愛光学園生誕地の碑【宮西町】

・昭和53年3月建立。
・フジグラン北側にある。
・昭和28年、市立城西女子高校の委譲を受ける形で愛光学園が開校した。

湯築尋常高等小学校/道後小学校跡 【道後湯之町】

・伊佐爾波神社のある山の麓、現在の松山郵便貯金会館「メルパルク」の所にあった。
・「湯築尋常高等小学校道後小学校跡」と刻まれた碑(昭和51年2月)がある。

松田池の碑【御幸1丁目】
松山大学グラウンドの南東隅に石碑がある。
・古くから山越地域は水利の便が悪く、度々干魃に見舞われ、農民からは池建設の声が盛んに上がっていた。明治10年の干魃を機に、松田池の建設気運が盛り上がり、明治11年1月7日普請始めの式を挙行し、2月2日に着工。5年の歳月をかけ、明治15年10月に完成した。
・北から眺めると城山が、また南から眺めると御幸寺山千秋寺山が青水に浮かぶ松田池の景色は、城北の景勝として大勢の人に親しまれた。
・昭和50年、宅地化の進展と共に潅漑池の役目が終わったとして、松山商科大学(現在の松山大学)がこの池を購入・埋め立ててグラウンドに整備した。

宮前川放水トンネル界隈  【北吉田町】
1995/5/2
 
淑情」の碑 (白石春樹)
・昭和54年6月末の豪雨は宮前川流域に未曾有の大災害をもたらした。
・これを契機に総延長 2390mの放水路を、激甚災害対策特別事業として設けた。
中西大人彰徳碑
・昭和12年8月建立
・昔はこの地に樹齢300年の松があったが、枯死してしまった。
中西大人は本名を盛信といい、慶應元年伊豫國生石村に生まれた。
・幼き頃より古典にいそしみ、和歌を好んだ。
・愛媛県神職会会長・理事に就任し、30年余りに亘って重責を果たした。この間、大山祗神社の宮司も勤めた。
・晩年には済美高校で習字・漢文を講義した。

大可賀新田開発碑【大可賀】

アイテムえひめ駐車場手前にある。(元々はコスモ石油[旧丸善石油]敷地内にあったと記憶する。)

関谷忠七頌徳碑(分水功徳主命碑)【南吉田町】
1995/5/2
・明治32年建立
・関谷忠七は、文政6年7月、上流の村に潅漑用水を分けようと交渉したが断られ続け、堰を破壊しに突行し、死亡した。
・この事件を契機として、金蓮寺長楽寺妙円寺(松山)、瑞応寺(針田)、安楽寺(久保田)の僧侶が仲裁に入り、分水の規約を作った。

餓死者菩提碑【南吉田町】
1995/5/2
 
享保大飢饉餓死者菩提の碑
享保7年(1732)西日本を襲った大飢饉は、虫害(いなご、うんか、めい虫)、日照り、風水害が重なり、かなりひどいものであり、3489人の餓死者を出した。
地蔵菩薩(泣き地蔵)
・明治初めの廃仏棄釈の際、この地蔵を近くの寺に預けることになったが、牛車に積んで石橋を渡ろうとしたらテコでも動かなかった。そこで地蔵の顔を見ると大粒の涙を流しており、この地を離れるのが悲しいのだろうとその気持ちを察して元の場所に置こうと言ったら牛車は軽々と動いたそうだ。
・この他、日露戦争時のバクチ打の逸話(バクチ打が願かけのために首に縄をかけたとき、涙を流したので改心した)、日露戦争時の戦場復帰の逸話(戦場に出た父の帰りを祈り続けたら涙を流し微笑みかけた。その後無事帰還した。)、癩病逸話などがある。
六部地蔵

日野荘氏顕彰碑【松山市衣山5丁目1610-1 愛光学園敷地内】
2004/5/3
[石標]

札之辻【本町二丁目】

・札之辻は、松山城の西北の角にあり、藩制時代、松山藩のお触れなどを町民に伝える立て札のあった辻であった。
・札の辻は松山城下の中心地で、金比羅・土佐・大洲・今治・高浜の5大街道の起点となっていた。
・今では緑地に以下の内容を記した標石が立っている。
金比羅街道 小松まで 十一里 金比羅まで 三十一里
土佐街道 久万まで 六里 土佐まで 二十一里
大洲街道 中山まで 七里 大洲まで 十三里
今治街道 北条まで 四里 今治まで 十一里
高浜街道 三津まで 一里 高浜まで 二里
・また、「松山札之辻よりXX里」と書かれた石の里程標が、現在でも各街道に幾つか残っている。(例えば出合橋の袂など)
 
札之辻 標石(新)
・昭和60年10月建立
・「久松定武 建」 (向かって左側)
・「松山藩道路元標」(向かって右側)
札之辻跡 標石(古)
・昭和46年末月建立
・堀端

俳句の里
道後村めぐり


公園

石手川緑地【松山市】

・松山城の初代城主・加藤嘉明公が松山城築城の際に、重臣・足立重信に命じて行った河川工事によって出来たのが石手川である。以来、松山城の外堀の役目を果たした。
・大正3年6月21日、大正天皇御即位御大典記念事業として石手川公園を設置し、新立橋から下流の下流の末広橋までをその区域とした。
・昭和23年9月、石手川緑地と改称し、昭和37年から都市公園事業として整備を進めてきた結果、現在では、石手岩堰の吊り橋から市坪橋迄の延長約6km、左右両岸の面積約28haに広がっている。

鍵谷カナ頌功碑堂記念公園【西垣生町】

久万ノ台公園【久万ノ台】

重信川緑地

東雲公園【東雲町】

杖ケ淵公園【高井町】

谷町公園【谷町】

椿公園【居相町】
・総面積1,039u。

道後公園【道後】

中村公園【中村2丁目】
・総面積626u。

梅津寺パーク【梅津寺町】

松山市総合公園 【朝日ヶ丘1/南江戸町5丁目】

・松山総合公園管理事務所: 089-923-9312

松山城二之丸史跡庭園【松山市堀之内】

 
大井戸遺構/浄化装置
勝山亭
観恒亭
聚楽亭

観月山公園 【港山町】

万葉植物園【御幸1丁目】
2003/8/9

三津公園 【大可賀】
1995/5/2,1999/1/23

南江戸公園

南久米公園 【南久米町】

八坂公園【三番町】

湧ヶ渕公園
2004/1/24


祭り
松山まつり
・第51回(2016)
 
野球拳おどり
・8/12 18:00〜21:30
・8/13 17:00〜    21:30
野球サンバ
・8/14 17:00〜20:30


イベント

施設

愛媛県立美術館【堀之内】
2003/1/26

愛媛県立美術館分館/萬翠荘【一番町3丁目3-7】

松山市考古館【南江戸町】
1998/10/31

愛媛県立博物館/県立図書館【堀之内】
2003/1/26

愛媛大学図書館【】

松山大学図書館【】

松山市中央図書館【湊町7】

子規記念博物館【道後】

伊予かすり会館【久万ノ台】
1995/5/2

松山市総合コミュニティセンター【湊町7】

松山市野外活動センター【菅沢町乙280番地】

愛媛県民文化会館【道後町2丁目】

アイテムえひめ【大可賀】

愛媛県庁【一番町】

せせらぎ亭【川の郷町】

Komos Museum of ART.  【】
・全体をツタが覆うこの家は写真家古茂田不二氏宅。
・中はギャラリーになっており、写真・絵画などの展覧会が催されている。


学校

温泉

伝説

松山市に伝わる伝説


キャンプ

海水浴

人物

その他

JR松山駅前【宮西町】

・JR松山駅は昭和2年に開業した。昭和20年の戦災で焼失し、現在の駅舎は昭和28年に落成した。
 
正岡子規句碑
「春や昔 十五万石の 城下哉」
・俳句の里 城下コース42番



《ニュースクリップ》
●東京理科大学と文化交流、科学啓発などに関する連携協定を締結(2016/6/2)
・漱石に縁の深い東京理科大学と松山市が「坊っちゃん」発表110年(2016)、漱石没後100年(2016)、漱石生誕150年(2017)を記念して連携協定を締結した。



《References》

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