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伊予の隅々
こたろう博物学研究所
市町村別情報庫
松山市
(高浜地区)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要

キャッチフレーズ
(1).

市の花 市の木 市の花木 市の鳥
街の花:
コスモス
街の木:
サクラ

特産物

沿革

地名
大字
新浜町(しんはままち)
松ノ木(まつのき)一丁目〜二丁目
梅津寺町(ばいしんじまち)
港山町(みなとやままち)
石風呂町(いしふろまち)
高浜町(たかはままち)一丁目〜六丁目


文化財


城址

港山城【港山町】
・西港山山頂部にあった。



遺跡


古墳


跡地

延齢館【高浜町】

(伊予高浜界隈はええとこぞなもし)


梅津寺(ばいしんじ)【梅津寺町】
1996/5/19
 
梅津寺の鐘
・市指定文化財(昭和37年11月5日指定)
・中国出身の名僧と云われた雪广は黄檗宗千秋寺4代目住職であったが、寛永2年(1850)同寺を去り、梅津寺を創建した。
・この地が自分の故郷、梅津と良く似ているので懐かしく思い居を定めたという。
・昭和13年、現在地に再建。
・本寺の釣鐘は雪广禅師が中国から取り寄せたと伝えられるもので、高さ55cm、径33cm。銘に「宝永元甲申林鐘吉日支那沙門雪广謹題」とある。
正岡子規句碑


神社

蛭子神社【高浜町 黒岩】
 
野村主燐洞句碑

金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)【高浜町4丁目】

・電話番号:089-951-3885
・春祭:5月28日。祭典として伊予神楽が奉納される。

湊三島神社(みなとみしまじんじゃ)【港山町】

・神亀5年(728)聖武天皇の命令で築かれた。
・海の安全を守る神を祀る。
・この辺りは「古深里(こぶかり)」と呼ばれ、古くから開けたところである。
・河野家の守護神として祀られ、屋根瓦には河野家の家紋が用いられている。


お堂

河野伊予守通春公のお堂【新浜町】

・伊予鉄高浜線港山駅の道路挟んで北っ側の細い路地を入っていくんよ。
・ちょっとした看板が立っておるんで、すぐわからい。
・民家の庭の中にあるんで、なんとのう入りにくうていかんわい。(小心モノじゃけんね、ヨソさまのお宅に入るんは....ちょっと遠慮でならんわい。)

彦四郎さん【三津】
・応仁の乱で戦死した港山城主河野彦四郎通春を祭る。
・百日咳がよくなおる「たごりの神様」として崇敬厚い。
・青石を神体として堂が建てられている。
河野通春は東軍の細川勝元に属し、西軍に走った同族の道後湯月城主河野教通と戦った。そして文明14年(1482)7月14日、港山北麓で流れ矢に当たって戦死した。


不動院、不動の松、亀水塚 【港山町】

 
亀水塚(きっすいづか)
・俳句の里 城北コース7番
・亀水塚には、芭蕉が旅の草鞋を脱いで詠んだという
      シイ
 「笠を舗て 手を入れてしる かめの水」
の句が刻まれている。この句碑は芭蕉の没後百年目の寛政五年(1793)に自筆の句を塚の下に埋め立てたそうである。
・寛政7、8年と二度伊予路を訪れた小林一茶は、亀水庵の隣にあった洗心庵で栗田樗堂などと句会を催した。その後亀水庵と今は枯れてしまった老松を眺めながら
「汲みて知る ぬるみに昔 なつかしや」
などと芭蕉を偲んで詠んでいる。
・幕末の頃には多くの俳人が芭蕉、一茶を偲んでこの地を訪れた。それが子規の俳句の先生である大原基戎を生み、正岡子規につながっていっている。
<俳句の里の立看板より>
・寛政5年(1793)芭蕉百回忌に、芭蕉筆蹟と称する懐紙を塚の下に埋め句碑を建立した。翌々年の寛政7年(1795)2月9日小林一茶が句会を催したところは、ここ小深里の洗心庵と判明した。
・一茶は
 「汲みて知る ぬるみに昔 なつかしや」
と「かめの水」にちなんだ句を「寛政七年紀行」に残した。
・この地にあった不動の松(枯死)と呼ばれる老松は当時既に200年を越えていたと思われる。
不動院
不動の松


地蔵

こそだて地蔵【港山町】

 
頌徳碑
洗心庵付近古図写




見晴山【梅津寺町】

東港山【港山町】

西港山【港山町】


鉱山

川・渓谷



ダム



風景

四十島(ターナー島)【高浜町】
・高浜町沖合い約150mに浮かぶ小島。
夏目漱石の「坊っちゃん」で、赤シャツが島の松を見て「ターナーの絵にありそう」と言ったことから、ターナー島と呼ばれる。
→(「小説『坊っちゃん』に登場した松山の名勝 ターナー島の松復活支援」、愛媛新聞、2002/3/17)


洞窟・鍾乳洞

樹木



高浜トンネル【高浜町5丁目/石風呂町】
2015/1/18
・県道19号線
・2003年7月
・延長1530m、幅11.25m、高4.7m。
・施工:飛鳥・三井住友・堀田共同企業体





正岡子規句碑【高浜町 松山観光港ターミナルビル前】
「高浜延齢館にて 雪の間に 小富士の風の 薫りけり  子規」

正岡子規句碑【高浜町 黒岩】
「初汐や 松に浪こす 四十島」

野村主燐洞句碑【高浜町 黒岩 蛭子神社】
「かがやき能きはみ 白波うちかえし」

高浜開港百周年記念碑【高浜町 松山観光港ターミナルビル前】
・平成18年9月11日建立。
・表字は県知事・加戸守行の筆。


公園

梅津寺パーク【梅津寺町】

 
梅津寺海水浴場
秋山好古銅像
秋山真之銅像
・「智謀如湧 元帥伯爵 東郷平八郎書」
・この像は石手寺境内にあったが、昭和43年9月に梅津寺に移転した。
秋山真之は明治元年(1868)3月20日生まれ、大正7年(1918)2月4日没。
秋山久敬の五男として歩行町に生まれる。15歳で上京。親友の正岡子規と下宿した。その後、明治19年海軍兵学校に入学し、同校を主席で卒業。日清戦争を経て米国に入学。マハン先述(近代米国海軍戦術)を究めた。日露戦争では連合艦隊指令長官東郷平八郎の作戦主任参謀として活躍。日本海海戦ではバルチック艦隊を迎え伊予水軍伝来とも云われる「T字戦法」を駆使し、意表を突く敵前旋回で敵艦隊を撃滅し、戦局の大勢を決した。なお、この時掲げたZ旗の「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ各員一層奮励努力セヨ」の文は真之の作である。
・大正6年中将に進んだが、翌年病死。
酒井黙禅の句碑
『梅が香や おまへとあしの 子規真之』
・俳句の里城北コース8番
秋山真之(さねゆき)は、子規が「剛友」と評した親友で、日本海海戦の名参謀で後に海軍中将になった。
・「おまへとあし」は「お前と私」を松山の方言で親しみ込めて表現したもの。
酒井黙禅は福岡県出身で、松山赤十字病院長を務め、俳句は虚子門。俳誌「柿」を創刊した。
「温厚正直 近藤儀三郎氏の碑」
・片山謹書
・日本赤十字奉仕団松山支部代表 野田フジ建之
・昭和42年11月3日建立
・側面にはマタイ伝7章12節が刻まれている。

観月山公園 【港山町】

・駐車場:なし
・三津内港に接する丘陵41mの頂上にある総面積2500uの児童公園。
 
観月山公園
 ◎花
  ツツジ、フジ
観月山 石雲寺
太子堂
風生堂
稲荷神社
連句碑


祭り

イベント

施設

学校

温泉

伝説

三津須先町の和霊さん【港山町】
※「港山町」としているが、所在地は詳らかではない。よって、三津浜に掲載することとする


キャンプ

海水浴

人物

その他


《References》
伊予高浜界隈はええとこぞなもし、山野芳幸、潟Gーシー平成16年4月1日



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