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伊予の隅々
こたろう博物学研究所
市町村別情報庫
松山市
(石井地区)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要

キャッチフレーズ
(1).

市の花 市の木 市の花木 市の鳥
街の花:
チューリップ
街の木:
モクセイ

特産物

沿革

地名
大字
天山(あまやま)一丁目〜三丁目
天山町(あまやままち)
今在家(いまざいけ)一丁目〜四丁目
今在家町(いまざいけまち)
土居町(どいまち)
北土居町(きたどいまち)
越智町(おちまち)
東石井(ひがしいしい)一丁目〜七丁目
東石井町(ひがしいしいまち)
西石井(にしいしい)一丁目〜六丁目
星岡町(ほしおかまち)
朝生田町(あそだまち)一丁目 〜七丁目
居相(いあい)一丁目〜六丁目
居相町(いあいまち)
古川北(ふるかわきた)一丁目〜四丁目
古川南(ふるかわみなみ)一丁目〜三丁目
古川西(ふるかわにし)一丁目〜三丁目
和泉北(いづみきた)一丁目〜四丁目
和泉南(いづみみなみ)一丁目〜六丁目
北井門町(きたいどまち)


文化財

松本山雪の墓【土居町】
・市指定記念物[史跡](昭和56年1月19日指定)

オガタマノキ【東石井町 縦渕城跡】
・市指定天然記念物(昭和56年10月20日指定)

【その他石造文化財】
力石
2013/4/20
・和泉公民館前
・「昔から街道筋に置いてあり、近郷在住の力持ちや青年達が力比べに持ち上げ技を競ったものである。
和泉地区でも町内の中心部公民館周辺の道端に置いていたものである。
石には、
 一番石・157.5kg(42貫目)
 二番石・120.0kg(32貫目)
 三番石・105.0kg(28貫目)
があり一番石(もっとも重い石)を持ち上げた者は、その名を刻んで名誉をたたえたものである。
町内文化財としてここに保存した。」(説明書き)

久米郡・温泉郡 郡境標
2013/4/20
・和泉公民館前
・「小栗町と和泉村の境界
和泉北二丁目十四番地十号
現在の(山地内科小児科)北側の川沿いに建立されていたものです。
道路整備等の理由により撤去されていたものをこの地にうつしました。
平成十三年八月吉日 和泉町内会」(説明書き)



城址

縦渕城跡【東石井町】

土居城【土居町1059 万福寺】



遺跡

古川遺跡【古川北】

古川遺跡1次調査地
(平成19年度発掘調査速報展「むかし・昔のまつやまを掘る」[前期展]、平成19年8月18日 発掘調査報告会)

古川遺跡2次調査地
(平成19年度発掘調査速報展「むかし・昔のまつやまを掘る」[前期展]、平成19年8月18日 発掘調査報告会)

古川遺跡3次調査地
(平成19年度発掘調査速報展「むかし・昔のまつやまを掘る」[前期展]、平成19年8月18日 発掘調査報告会)



古墳

天山神社北古墳【天山町】
・昭和48年8月指定

須恵器(子持ち壺、器台)

環状乳五神五獣鏡(かんじょうにゅうごしんごじゅうきょう)
(松山市考古館 20周年記念 後期展「発掘・松山の歴史」、2009年9月)


雲門寺(うんもんじ)【星岡町120】

延立寺【星岡町3-17-2】

泉永寺(せんえいじ)【和泉北三丁目】
2013/4/20

善宝寺(ぜんぽうじ)【朝生田町】

長徳寺【古川南3丁目】

万福寺【土居町1059】

土居城


神社

天山神社【天山町】
2002/2/2

一宮神社【古川南3丁目】

伊予豆比古命神社(いよずひこのみことじんじゃ)「椿神社(つばきじんじゃ)」【居相町337】
2002/7/22、2004/1/24

馬神社【和泉北三丁目】

王子八幡神社(おうじはちまんじんじゃ)【星岡町】
2002/2/2

久谷稲荷大明神【居相町 石仙寺境内】
2004/1/24

熊野神社(くまのじんじゃ)【土居町882】

荒神社・金比羅様【和泉北三丁目二】
2013/4/20

素鵞神社【和泉北二丁目五】
・祭神:須佐之男命
・明治以前は牛頭天王と称した。明治三年、素鵞神社に改号した。(和泉郷土誌)
・伊予豆比古命神社の末社。(和泉郷土誌)
 
鳥居
神楽殿
塩ヶ森井水八幡神社
・現在地より南約百bに八幡田があった。井戸水が潮の満ち干によって上下したと伝えられる。この八幡田を処分した翌年に疾病が流行し、部落民は大層苦しんだ。これは八幡の祟りに違いないと恐れ、素鵞神社に社を移して祀った。井戸も大正十年に境内南東の隅に新設したが、今はその形跡もない。(和泉郷土誌)
弁財天
例祭
祈念祭
春祭り
感謝祭
天王祭り(てんのんまつり)
・7/14。戦前は天王祭りで賑わった。戦後は荒廃していたが、昭和五十四年に神楽殿が修復。

城山神社【東石井町 縦渕城跡】

辰岡天満宮【星岡町】
2004/4/30

三島神社(みしまじんじゃ)【越智町】

水波能賣大神社【居相四丁目2】

若宮神社【北井門四丁目】


お堂

地蔵堂
・大西平左衛門が施主となり地蔵堂を建立、地蔵尊を安置した。
(我が校区の自慢−ふるさと散策コースT−平成18年度、松山市教育研究協議会文化部)
東面の地蔵
・享保五年、八年の飢饉で無くなった人々の供養のために祀られた地蔵。

地蔵堂と地蔵尊【古川西3丁目 蔵屋敷】



ふるさと歴史散歩 54 ・ 55 で述べた今村久兵衛の墓が、享保13 年(1728)の建碑であり、寛永7 年(1630)になくなった彼の100 年祭の時であること。その時に若宮社も創建されていること。御堂は、昭和37 年(1962)に盛大に営まれた300 年祭の創建であること。感謝と顕彰の熱意が今も続いていた。
・・・・・・
 享保5 年(1720)と8 年の飢饉に、当地では平年の5 倍、10 倍の死者が出た。1戸に3 人、4 人と亡くなったのではないかいう。その供養のために地蔵尊を祀り地蔵堂を建立したのだが、珍しいことに、ここには 2体の地蔵尊が鎮座し、並んで県道を見守っている。お陰でここでは、激しい交通量にもかかわらず事故が皆無なのだ!なお、向かって左の地蔵尊の台座には、「久米郡片平村」とあり、ことさらに興味をそそられる。
・・・
・伊予史談会10 月例会で、「ふるかわの今昔―片平騒動について」と題する清水正史先生の講演が全く偶然にあり、月岡先生も出席され熱心に聴講された。
・11 月18 日、今村久兵衛顕彰碑の除幕式が行われた。地区挙げての熱意の結晶である。活動の中心となった9 団体の名前が記されているが、結成されたばかりの“ふるかわ史談会”がその中にあった。平成21 年、今村久兵衛死後379年のことである。
(広報まさき、ふるさと歴史散歩-56、2010/1)


※道後鷺谷墓地の入口に、今村久兵衛を祀る「義農大明神」の小社がある。


久兵衛の墓標と御堂
 県道16 号線を松前町から中川原橋を渡ると、すぐ右手の墓地に一際目立って建つ。「寛永七年庚午年八月二日 今村久兵衛 泰岳常雲居士 享保十三年正月四日立之」とあり、八代将軍吉宗の時代・・義農作兵衛終焉の年=享保17 年(1732)の直前に建立されたことが判る。
(広報まさき、ふるさと歴史散歩-55、2009/12)


古川町は内川に沿って広がる純農村地帯であったが、昭和30 年代以降急成長を遂げた住宅地―今やマンモス町―である。
郷土誌「わが町ふるかわ」(平成12 年発行・A4 判115 頁)は、“はじめに”において、「先人がいかに努力し苦難を克服して今日の輝かしい古川町の古い集落の姿や伝統文化、伝統行事などを築いてこられたかを私たちの手で書きとどめて後世に伝えたい…」と熱く語り、この手作りの集落史が、「明るく、住みよい古川の町づくり・地域づくり・ふるさとづくり」に役立つことを願うと結んでいる。
久兵衛が古川町の元となった久米郡片平村の里正(りせい)であった時、惨状が発生した。蒲生忠知(がもうただとも)の治世であったが、「一粒の収穫もなく、虫害の心配もあり焼き棄てる方が良い。税を見直して欲しい」という久兵衛の訴えは聞き入れられなかった。数日後の大風の日に火災が発生し稲が燃えてしまう。事件糾明のため多くの農民が拉致されたが解決は長引き、村人は大変な苦難であった。それを救うため、久兵衛が放火の罪を自訴し磔(はりつけ)になったという(御薗生竹崖(みそのうちくがい) “義民久兵衛に就いて”より)。
位牌は長徳寺に祀られ、100 年祭・300 年祭が盛大に営まれ、感謝・尊敬の思いは今も続く。これが「わが町ふるかわ」が
伝えようとする長徳寺境内の若宮社、古川二丁目墓地にある久兵衛の墓標とその御堂の由緒である。
松前史談会と今村久兵衛とのご縁は、次の通りである。
鷺谷墓地(さぎだにぼち)の入り口で、瑞穂建功命(みずほたていさおのみこと、 義農作兵衛のご神号)の石柱を見つけた。後日、宝厳寺伊佐庭神社鷺谷墓地を訪れたが、肝心の石柱はなくなっていた。だが、その近くで「義農大明神」の社を見つけた。ここに今村久兵衛が祀られ、施主・世話人・建立の趣旨が書かれていたのである。
(広報まさき、ふるさと歴史散歩-54、2009/11)


今村久兵衛の墓
2012/2/26
 
三界萬霊碑


地蔵

東石井2丁目墓地の六地蔵【東石井2丁目】
2011/2/11




      ▲
      土亀山
▲     ▲
東山    天山    ▲  ▲
           五つ森 星が岡
国造りの時、これら一連の山が天より降って出来あがり、星が落ち、五つの星形の山ができた。

星岡山【星岡町】

天山【天山2丁目】 標高49m、 等三角点 

土亀山【福音寺町】 標高50.7m、 等三角点


鉱山

川・渓谷



ダム

和泉橋

和泉大橋

吉木橋
架橋記念碑
・吉木橋北詰にある。

泉永寺橋(北下河原橋)

月見橋(南下河原橋)


風景

洞窟・鍾乳洞

樹木

オガタマノキ【東石井町 縦渕城跡】

クロガネモチ【和泉北三丁目 泉永寺】




古川はなみずき通り(市道千舟町古川線)
2004/2/7
・その名の通り、道沿いにハナミズキの並木が植栽されている。





「河野通有居城 縦渕城址」の碑【東石井町 縦渕城跡】

星岡表忠之碑(ほしのおかひょうちゅうのひ)【星岡町 星岡山】 

和泉公民館建築記念碑
・浮田武則書
・昭和49年7月20日竣功


公園
星が岡西公園【東石井2丁目〜3丁目】
2011/2/11


祭り

イベント

施設

伊丹十三記念館【東石井1丁目6番10号】
2011/2/11
・開館時間:10:00〜18:00(入館は17:30まで)
・休館日:毎週火曜日(火曜日が祝日の場合は翌日)、年末年始及び保守点検日
・入場料:大人800円、高校・大学生600円、小・中学生400円
・交通:伊予鉄バス砥部行きで「天山橋」停留所下車後、東へ徒歩2分。
・建築設計:中村好文氏+レミングハウス
 
Cafe
Shop
収蔵(展示)室
常設展示室
企画展示室
回廊
中庭


学校

温泉

伝説

神様が投げた石【越智町 三島神社】

今村久兵衛さん【古川南3丁目 長徳寺】

天山【】

(松山のむかし話−伝説−)

金鶏が鳴く【星岡町】

(松山のむかし話−伝説−)


キャンプ

海水浴

人物

その他


《References》


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