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![]() ![]() こたろう博物学研究所 市町村別情報庫 松山市 (東雲地区) |
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市の花 | 市の木 | 市の花木 | 市の鳥 |
街の花:
ハナショウブ |
街の木:
サザンカ |
大字 | 字 |
一番町(いちばんちょう)一丁目〜二丁目 | |
二番町(にばんちょう)一丁目 | |
大街道(おおかいどう)三丁目 | |
喜与町(きよまち)一丁目〜二丁目 | |
歩行町(かちまち)一丁目〜二丁目 | |
御宝町(みたからまち) | |
旭町(あさひまち) | |
此花町(このはなまち) | |
東雲町(しののめちょう) | |
昭和町(しょうわまち) | |
勝山町(かつやまちょう)一丁目〜二丁目 | |
北持田町(きたもちだまち) | |
南持田町(みなみもちだまち) | |
持田町(もちだまち)二丁目〜四丁目 | |
文京町(ぶんきょうちょう) | |
平和通(へいわどおり)一丁目 | |
中一万町(なかいちまんまち) | |
西一万町(にしいちまんまち) | |
東一万町(ひがしいちまんまち) |
西龍寺【持田町3丁目】
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![]() ・河野一族の竹之宮官主という人の屋敷の庭の東北隅から光が差し、そこを掘ってみると地蔵が出てきた。堂をつくってこの地蔵を祀ったところ、参拝した女性の白髪が黒髪に変わるなどの不思議があり、以来、この地蔵は首から上の病気に御利益有りとされるようになった。 ※現在は西龍寺地下の御堂内に安置されており、気軽に観覧することはできないようだ。(2005/3記) →(「ずうむあっぷ松山」、らいふろんぐ冬号 NO.52、平成16年11月20日、松山市生涯学習振興財団) |
六角堂常楽寺【勝山町2丁目】
2003/12/13
・山号:稲荷山
![]() ・六角堂狸(教力さん)を祀る。 |
専念寺【御宝町】
・豊臣秀頼の臣、安斎市之進男慶宗が大阪落城の後に父子共々この地に移り来て、剃髪して僧となり寛永3年この寺を創営した。
※一番町ラフォーレ東にある専念寺は、御宝町から移設したものか?それとも、この辺りを御宝町と呼んでいたか?
三宝寺(三宝院)【喜与町2丁目】
・宗派:真言宗
・松山城ロープウェイ乗り場の東側。
・この辺りは道後町、今市町と呼んでいた。(確認要!)
・佃十成居廓の前に青松山吉祥院三宝寺という寺があったが、この居廓を築く際に東側に新たに造営し、城山の上にあった勝山八幡宮を寺内に移し鎮守した。
・その後蒲生忠知の時に三宝寺を今市町に移して、その跡を武家の居宅とした。
・元々勝山寺と呼んでいたが、加藤嘉明公が松山城築城の際に城山と同一名になることを恐れて、この寺に三宝荒神の霊像があるがゆえに三宝寺と名を改めた。
![]() 「風ひそひそ 柿の葉落とし ゆく月夜」 ・俳句の里 城下コース ・自由律の俳人野村朱燐洞のこの句碑は、彼の誕生日の昭和52年11月26日に除幕。建立者は門下の高木和蕾。 ・この句は大正4年11月6日、朱燐洞の主宰する十六夜吟社例会のあった時の作品である。 |
明楽寺【御宝町】
・元和8年8月に僧侶の了祐が開基した。了祐は柴田勝家の子であり、後に僧侶となった。蒲生氏はこれを傾信し、一寺を奥州若松に創建した。蒲生忠知が松山に移封するにあたり、この地に移営した。
東雲神社(しののめじんじゃ)【丸之内=松山城山長者ヶ平】
2000/7/28
・文政6年(1823)、松山藩主松平通公が社殿を造営した。
・電話番号:089-921-8936
・ご利益:五穀豊穣、家内安全
・交通:市内電車大街道下車徒歩5分
・祭神:天穂日命(あめのほひのみこと)[久松家の祖先神]、菅原道真、息長福玉命[松山城主久松家の祖、松平少将源定勝(本姓菅原)]
・11代久松定通、文政6年(1823)12月18日迂宮式を行う。(社殿造営)
・明治13年に東雲神社と改名し、県社に列する。
・昭和46年12月、伊勢神宮の御分社松山大神宮を奉遷する。
・昭和48年10月、神明造りの新社殿に松山大神宮と東雲神社神霊とを合祀斎奉する。
![]() ・別名:ナンジャモンジャノキ ・市指定天然記念物 ・本州中部の木曽川流域と対馬に自生する雌雄異株の落葉高木。 県内では他には見られない。 ・雄木は幹周60cm、樹高7m、雌木は幹周97cm、樹高15m。 ・葉は楕円形で、長い柄があり、節ごとに2つずつ向かい合って付き、長さ3〜7cmで、5、6月には小枝の先に円錐状の白い花が咲き、満開のときはまるで雪のような美しさである。 |
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![]() 『牛行くや 毘沙門坂に 秋の暮』 ・東雲神社参道下の三叉路にある。 ・俳句の里城下コース 14番 |
![]() 「遠山に 日の当たりたる 枯野哉」 ・俳句の里城下コース 15番 |
![]() 『東雲の ほがらほがらと 初桜』 ・俳句の里城下コース 6-1番→16番 |
![]() ・国指定重要文化財の短刀、太刀をはじめ、県指定重要文化財の能面、狂言面195面、鎌倉時代の能面や能装束150点、かつら、帯など能関係の小物・武具がたくさん保存されている。 ・上は展示館、下は保存館となっている。 |
お囲い池
東雲公園【東雲町】
![]() 『 夕桜 城の石崖 裾濃(すそご)なる 』 ・中村草田男が昭和9年に帰郷した時に松山城を詠んだ。 ・「裾濃」とは衣服や鎧の縅(おどし)の色合いで、上が淡く、下方になるほど濃いもののこと。 ・句碑は高さ2m、幅約1.5mの青石でできている。 ・この句碑は、草田男主宰の俳誌「萬緑」(ばんりょく)の会員らが協力して、昭和58年8月6日除幕予定のところ、前日に草田男が急逝したため取り止めとなり、改めて昭和59年8月に除幕した。 |