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![]() ![]() こたろう博物学研究所 市町村別情報庫 松山市 (小野地区) |
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市の花 | 市の木 | 市の花木 | 市の鳥 |
街の花:
サルビア・ グラジオラス |
街の木:
クロガネモチ |
大字 | 字 |
北梅本町(きたうめもとまち) | |
南梅本町(みなみうめもとまち) | |
小野町(おのまち) | |
平井町(ひらいまち) | |
水泥町(みどろまち) |
地蔵松【北梅本町】
・市指定天然記念物(昭和55年10月20日指定解除)
与力松【平井町】
・国指定天然記念物昭和56年7月8日指定解除
ソテツ【平井町今吉】
・市指定天然記念物(昭和43年10月25日指定)
梅本院【北梅本町】
「梅本院、天台宗寺門派にて境内東西3間 南北17間 面積1畝29歩
民有地に属す。村の中央字北池にあり。寛永年中創建す。其后衰微せし処 享和元辛酉年僧昌令元年中興す。近江三井寺末寺。境内仏堂1宇」(久米郡地誌(抄))
明星院極楽寺(ごくらくじ)【平井町】
2003/2/1
・伊予十三仏霊場 発願寺:救世観音
・山号:高棚山(たかとうさん)
・高棚山子安観世音は、伊予三観音(高見、高縄、高棚)の一霊地古刹であり、現在地より北方約4kmのところにあった。
・天長年間、定願寺となり、河野家の崇敬厚く、河野通信公奥方が難産の折、当山に安産祈願し得能通信(?)誕生となったため、代々子安観世音と呼ぶようになった。
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![]() 『ほととぎす なく山門に 着きにけり』 ・昭和57年、松山玉藻読者一同建立 |
![]() ・句碑横にある。 |
正観寺(しょうかんじ)【北梅本町1745】
1998/9/27
・山号:小野山(小野薬師)
・宗派:天台宗
・伊予十二薬師巡り5番
・旧11号線、自衛隊より松山寄りにある。
・卯歳の寺
・古来伊予七薬師の一つとして南予の山田薬師と並び、尊崇されてきた。
・行基菩薩の開基以来1千2百年の歴史を持ち、小野小町ゆかりの寺として其の病気平癒の御利益を顕示し、河野通廣公の信仰を受け、古跡小野谷より現地に移された。
「正観寺、天台宗にて、境内 東西40間 南北25間 面積3反1畝9歩官有地に属す。村の北方1町30間字葉佐にあり。慶雲3丙午年6月17日僧行基本村長尾山の麓
霊地たるを以て一宇を創営し 薬師を安置す。里人今に至り6月17日を以て祭日となし
群集礼拝す。其后 嘗て病めり 住吉神に祈る 神教に随ひ来て此寺を訪ふて病の平癒せんことを祈る。誓ふに100日籠居を以てす。満日を以て夢に歌を得る。歌に曰く『春雨の降ると見えしか霽にけり
その箕笠をそこに脱置く』、病遂に癒え此寺に寓すること3年、薬師の像を彫り歌を短冊に書し其像の首中に蔵めて此寺に安置す。世人呼て小野薬師と云ふ。因て其寺を小野山
地名を小野谷 川名を小野川と改称す。後河野通弘祈願効あるを以て更に薬師像を彫り館内に安じ、小町彫る所の像は別に1庵を営み之を安置し小野谷梅元寺と称す。河野家累世の祈願所たり。天和元辛酉年村民の望に依て今の地に移す。但梅元寺は明治7年之れを廃せらる。和気郡祝谷村常信寺末寺。境内仏堂1宇」(久米郡地誌(抄))
客天満宮【水泥町】
・景観樹林保護地区 指定番号第22号
素鵞神社(そがじんじゃ)【平井町】
![]() ・松山市保存樹木 協定番号 16,17号(昭和52年12月27日指定) |
![]() ・松山市保存樹木 協定番号 15号(昭和52年12月27日指定) ・根廻り 2.5m、目通り 2.2m、樹高20mあり、推定約200年といわれている。樹勢は極めて盛んで、県下でも最大級と思われる。 ・モッコクは、ツバキ科の常緑高木で、暖地の海岸などに自生し、普通あまり大きくならない樹種であり、このような大木になるのは珍しいことである。 |
野田神社(のだじんじゃ)【北梅本町331】
・景観樹林保護地区 指定番号23号(昭和53年4月25日指定)
「野田神社、日尾八幡大神社の末社にて、境内東西43間南北33間3尺面積5反6畝8歩民有地に属す。村の中央字北池にあり。健速須佐之男命を祭る。勧請年月不詳。例祭旧暦9月9日。境内末社5座」(久米郡地誌(抄))
日吉神社(ひよしじんじゃ)【南梅本町甲371】
・景観樹林保護地区 指定番号第33号(昭和54年3月30日指定)
、区域:5,846u
・祭神:大山咋神(おおやまくいのかみ)
・奈良時代の創建。
「日尾八幡大神社の末社にて、境内東西28間南北44間、面積3反3畝18歩、官有地に属す。村の東方5町字上方あり。大山咋命を祭る。勧請年月不詳。由緒日宇波津布美と題する書に云(う)。天津日子波根建草葺不合命者数世非一代伊予国久米郡有称久万之地、此亦有御陵在焉此地一日久万ノ畑云々、因て知此神社是也、号曰山之端御陵而可也、例祭旧暦9月19日」(久米郡地誌(抄))
![]() ・松山市指定有形文化財(1999年指定) ・4本の柱で支える「一間社流れ造り」で、面積は6.72u。 ・本殿は、明治15年(1882)に建立され、奈良・東大寺の大仏殿などに用いられた大仏様の流れをくむ手法を多用している。 ・側面の壁には、竜や虎の精緻な彫刻が施されている。 ・建物に記された工事の記録から、大工の棟梁が中島町出身の田中勇治、彫刻師が地元の友沢弥三郎であることがわかった。 |
三熊野神社(みくまのじんじゃ)【平井町甲816-1】
1998/9/27
・景観樹林保護地区 指定番号32号
![]() ・社叢林は南向きの山裾に発達しており、周70cmものツブラジイが優占する見事な林である。 ・亜高木層以下にはモッコク、ヤマモモ、サカキ、クチナシ、ホルトノキ、シリブカガシ、ウラジロガシ、クロバイ、カナメモチなどの常緑広葉樹が多く出現し、ツブラジイは各層に生育している。参道は桜並木となっている。 |
播磨塚【北梅本町】
・陸上自衛隊駐屯地近く(北側)にある小高い丘。
・来目部小楯の屋敷跡と伝えられ、来目部小楯の顕功碑が建てられている。
![]() ・播磨塚に「又池」という大きな池があり、このすぐ北に宝筐印塔が建っている。 ・宝筐印塔は、当初お経を納める四角形の形の建物として出来たが、鎌倉時代から石造りが多くなり、お墓として建てられるようになった。 ・この宝筐印塔は今から約380年ぐらい前に建てられ、小野地区に現存する塔の中では最古のものであり、この辺りを取り締まっていた豪族の墓と言われている。 |
北向地蔵尊【北梅本町】
1998/9/27
・大尺寺境内にかつて市天然記念物に指定された名松があったが、昭和53年に枯死してしまった。今は公民館大尺寺分館の衝立に加工・保管されている。→地蔵松?
![]() ・俳句の里 城南コース第7番 |
地蔵松【北梅本町】
・市指定天然記念物(昭和55年10月20日指定解除)
酒井黙禅句碑【北梅本町 北向地蔵尊】
・「松三代 北向地蔵 秋涼し」
・俳句の里 城南コース第7番
かっぱ塚(北池) 【北梅本町】
・昔、牛をたくさん飼っている百姓が、北池の土手に牛を繋いで草を食べさせていた。ある日、この池に棲んでいる河童がいたずらをしようと、草を食べている牛の尻尾を掴んで池の中へ引きずり込もうとした。しかし牛が驚いて飛び跳ねたので、河童は岸にはね上げられてしまった。
・百姓が見つけて、牛の背中に縛り付けて連れて帰り見せ物にした。しかし河童が池に帰してくれと頼むので、哀れに思った百姓は帰してやることにしたが、池に帰る前日に死んでしまった。
・村人は河童をかわいそうに思い、河童の棲んでいた池の中に埋め、石を積み重ねて「かっぱ塚」を造ったという。
・このかっぱ塚は、エンコ塚とも呼ばれており、今でも水の少なくなる
9〜3月位の間、見る事ができる。