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伊予の隅々
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松山市
(桑原地区)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要

キャッチフレーズ
(1).

市の花 市の木 市の花木 市の鳥
街の花:
芍薬
街の木:
月桂樹

特産物

沿革

地名
 
大字 備考
三町(さんちょう)一丁目〜三丁目 ・井手若狭守が造成した市之井手水路を、三町・福音寺の灌漑用として三条に分水したことから、「さんじょう」、これを「三町」と書き表したという。
(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
束本(つかもと)一丁目〜二丁目
東野(ひがしの)一丁目〜六丁目
松末(まつすえ)一丁目〜二丁目
桑原(くわばら)一丁目〜六丁目
樽味(たるみ)一丁目〜四丁目
正円寺(しょうえんじ)一丁目〜四丁目
畑寺(はたでら)一丁目〜四丁目 一丁地山:現在の畑寺二丁目4-5。三島神社鎮座地。
畑寺町(はたでらまち)

【未分類】
原ノ峠(はらのとう、はらのと):東雲大学北西の小高いところ。
一里木:札の辻より一里。バス停にその名を止める。


文化財

経石山古墳【桑原4丁目】

東野御茶屋跡【東野4丁目】
・県指定記念物[史跡](昭和36年3月30日指定)

金龍桜【東野4丁目 久松氏】
・市指定天然記念物(昭和年月日指定)



城址

丸山城【畑寺】
・大祝日向守安勝居城。



遺跡

樽味四反地遺跡【樽味4丁目】



古墳

経石山古墳【桑原4丁目】
・県指定記念物[史跡](昭和32年12月14日指定)

三島神社古墳【】


跡地
東野御茶屋跡【東野4丁目(畑寺町)】
2002/2/2
・県指定記念物[史跡](昭和36年3月30日指定)
・道後村めぐり へんろ橋コース 10番
・松山藩主松平定行の隠居所跡。東山御殿、庭園、茶室、観音堂などが残る。
松平定行は万治2年にここに隠居したという。
・庭は東海道五十三次の宿場を縮小した造りだったそうで、今も琵琶湖に似せた池が残っている。池の周囲に沿って草深い道を行くと奥に竹薮がありまっすぐに伸びた竹が心を鎮める。
御茶屋内の小社
河野通賢を祀るものか?
正岡子規の句碑 『閑古鳥 竹の御茶屋に 人もなし』
高浜虚子の句碑 『ふるさとの この松伐るな 竹切るな』
東野遺跡絵図
2002/2/2

東山御殿
【Reference】
東山御殿(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
前の御門
・東山神社を少し下がったところ。
杉の御馬場(おんばば)
桜の御馬場
中の御門
お山池
2002/2/2
観音堂
・天井に描かれた龍は、雨が降りそうになると全身から汗を流すようになるという。
※寺社に奉納されたり、描かれたりした龍の絵・彫り物などが、びっしょりと濡れていて、「これは降雨の前兆なのだ」、「夜な夜な人目を避けて池や川へ水浴びに行っているからだ」と囁かれる話が聞かれるが、要はこれらの絵なり彫り物なりが保湿しやすい材で作られたということなのだろう。
亭(ちん)
散歩道の所々に休憩所として設けられた東屋(あずまや)。
傘の御茶屋
いろはの御茶屋
風呂の御茶屋
竹の御茶屋
・お山池の北の小高い所にあった。

 菅野長者(かんのちょうじゃ)屋敷跡【畑寺】
・宝谷池の水が流れ出ているところの近く。
大津原のオヤケ
・菅野長者屋敷には大津原のオヤケと呼ばれる大樹があった。
金鶏伝説



清水寺【正円寺2】
2002/2/2

正円寺(しょうえんじ)【正円寺2】
2002/2/2
・山号:宝林山(ほうりんざん)
・宗派:真言宗豊山派
・本尊:観世音菩薩
・松山新四国霊場 第60番
・石手寺より南へ。
・貞享年間(1648〜1687)、松山藩一門の松平左内(まつだいらさない)が正円寺庵を建て隠居したのが始まりという。
・石手寺の隠居寺。
【Reference】
正円寺(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
「正円寺再建由来銘」碑
「荒廃していた本堂庫裏の再建塀の修理が仏縁と町民の信仰心とにより無事落成した 以下はその概要である 正円寺の東南に燈籠ヶ池があった江戸時代より今日まで米作に多大の貢献して来たが時代の推移と共に其の任務を終り昭和四十五年三月同池を埋めたて児童公園を設置する事となった 此の時正円寺所有地を公園の一部として松山市に無償で貸与する事となった 正円寺水利組合が松山市より同地の一部の払下げを受け其の金額の一部を寺に寄付し寺所有財産の処分金額と併せ本堂庫裏塀の再建となったのである
起工 昭和四十七年九月六日
竣工 昭和四十八年九月二十八日
昭和四十八年弘法大師御生誕一千二百年記念
住職 河合道澄 水利組合長 渡部欣志郎 寺総代 沢田幸将 沢田房通」
山門
・正円寺の山門は、正木城にあったもので、加藤嘉明が松山城に移る時に、正円寺に寄贈したものであると言われる。(桑原郷土誌では、松平定行が万治元年(1658)にその子・定頼に譲ったときに、正木城の乗馬門を庭石と共に寄進したと記している。)
・平成5年、町内会の寄贈により修復工事が行われた。
延命地蔵尊

大福寺【松山市正円寺3】
2002/2/2
・山号:保寿山(ほじゅざん)
・宗派:黄檗宗
・鬼子母神子宝三十三観音めぐり
・十八番観音
・延宝八年(1680)、普観(ふかん)が開基した。その次の盧暴(ろぼう)の後しばらくは無住であったが、その後千秋寺の妙庵普最(みょうあんふさい)和尚の隠居寺として再興された。
【Reference】
大福寺(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
地蔵祠
・松山新四国霊場 第61番、薬師如来、弘法大師、不動明王
六部地蔵
2002/2/2
・左より、大定智悲地蔵、大徳清浄地蔵、大光明地蔵、清浄無哲地蔵、大清浄地蔵、大堅固地蔵の6体。

長円寺(ちょうえんじ)【三町】
・三町公民館敷地には、元々長円寺があった。
【Reference】
長円寺(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
御堂
・共同墓地入口。
・本尊:千手観音像
・本尊の右側には、本尊よりも大きな如来菩薩像が祀られている。
観音の元[地名]
観音像を盗人が持ち去ろうとしたが、途中で足腰が立たなくなり、そこに観音像を置き去りにして逃げたという。その場所が観音の元と呼ばれる。御堂から約300m。
六地蔵
・共同墓地入口。
竹村秋晃(しゅうこう)句碑
・御堂の筋向かいに建てられている墓碑。俳句結社「糸瓜」同人・竹村秋晃が、日支事変で戦死した弟を追悼して建てたもの。

得能寺【樽味4】
2002/2/2
・河野一族・得能孫四郎の菩提寺。
【Reference】
得能寺(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
大師堂
観音堂
・松山三十三観音第19番
・平成11年修復
子供相撲
・8月18日
塀・山門
・平成11年修復

繁多寺(はんたじ)【畑寺町32】

・四国八十八ヶ所霊場第50番札所
・電話番号:089-975-0910
・山号:東山
・院号:瑠璃光院
・宗派:新義真言宗豊山派
・本尊:薬師如来像(行基菩薩作)
 ※四国八十八ヶ所霊場中の七薬師の一つ。
・開基:行基菩薩
・交通:伊予鉄バス繁多寺口下車
・景観樹林保護地区31号
・天平勝宝年間、749〜756年開創。
・寺伝によると、孝謙天皇の勅願により創建され、弘法大師も巡錫したという。
源頼義が再興し、弘安3年(1280)の元寇のとき、聞月上人が蒙古撃退の祈祷をせられた。
・延宝年間、中興龍湖比丘のとき、徳川四代将軍綱吉より歓喜天を拝領した。
・当寺は奈良県長谷寺の末寺である。
・一遍上人が修業したという。(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
【Reference】
五十番札所繁多寺(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
 
本堂
■前本堂
・安政5年(1858)、龍厳(りゅうげん)宗師が再建。
■現在の本堂
・昭和35年新築。丹生谷隆道僧正(にゅうのやりゅうどうそうじょう)の発願(ほつがん)。
小林隆盛僧正が増築。
護摩堂
・不動明王は伝教大師の作という。
仁王門(表門)
・仁王像は運慶の作という。
鐘撞堂
・本堂右手。
・元禄9年(1696)3月25日の銘有り。
歓喜天堂(お聖天(しょうでん)さん)
・明治9年に火災に遭い焼失。
・再建
・大聖歓喜雙身大王(だいせいかんきそうしんだいおう)(=歓喜天)を祀る。
・歓喜天は、徳川家綱(四代将軍)の念持仏三体のうちの一つという。
・縁結び、商売繁盛の御利益有り。
・神紋は二股大根。子孫繁栄の御利益もある。
毘沙門天堂
・歓喜天堂と本堂の間
大師堂
・本堂の南
大師像
・本堂と大師堂の間
伝教大師像
宝篋印塔
・本堂の向かい(西)
松山松前工業地帯工業用水調整池
・面河ダムからの県水を貯水する。
★1994/9:この年の松山は未曾有の大渇水で、長期間、時間帯断水が続いた。
・県水の引き込みを行なう池がある。渇水のご時勢か、見学に来る人が結構多かった。
首なし地蔵(雨乞い地蔵)
・高熱を治す御利益有り。つべかやり(前転)や逆立ちをすると御利益があるという。
・御詠歌:「登り来て聞くやみ寺の鐘の声首なし地蔵の徳を称へん」
・祭日:旧暦8月24日
 →地蔵の首を探す、霊を供養するという意味で塞灯(さいとう)を灯してお祭りする。(現在はこの行事はなされていない)
 →すもう大会
潮見の松
・昭和54年、松食い虫被害により枯死・伐採。
地蔵
へんろみち道標

・境内入口にある。


神社
井手神社【松山市桑原4丁目】
・桑原保育園の南隣にあったが、明治42年4月25日に須我神社に合祀された。
「井手若狭守奥城」の碑
・明治42年8月15日建立。
 

竈神社【松山市正円寺1】
2002/2/2
・祭神:奥津彦命、奥津姫命 + 素盞鳴尊(須我神社) + (奈良原神社) + 沢田右衛門(沢田神社)
・奈良原神社は、楢原山の奈良原神社より勧請したもの。
【Reference】
竈神社(正円寺)(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
竈神社再建碑
「竈神社再建碑文
竈神社は正円寺町の守護神である 荒廃久しかったが神の威徳と町民の崇敬の念によりここに再建された 正円寺町東南の地に燈籠ヶ池があった 江戸時代より今日まで米作に多大の貢献して来たが時代推移と共に其の任務を終り昭和四十五年三月同池を埋立 正円寺児童公園を設置するに当り正円寺水利組合が松山市より同池の一部払下げを受け其の金額の一部を竈神社に寄贈し本殿・拝殿・塀の造営となったものである
起工 昭和四十七年七月十日
竣工 昭和四十八年九月二十八日
昭和四十八年弘法大師御生誕一千二百年記念
宮総代 野本雪見 水利組合長 渡部欣志郎 沢田房通」
拝殿
常夜灯

竈神社(かまどじんじゃ)【三町2丁目310】
2002/2/2
・景観樹林保護地区 指定番号 9号(指定年月日:昭和52年12月20日、2,260u)
・祭神:奥津彦命、奥津姫命
・素鵞神社(祭神:須佐之男命)を合祀する。
・秋祭りの時、桑原八幡神社のお旅所であったところ。
【Reference】
三町(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
竈神社(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)

桑原八幡神社(くわばらはちまんじんじゃ)【畑寺町 (北条)】
2002/2/2
・電話番号:089-975-1744
・松山八社八幡の一社。
・旧桑原村郷社。
・祭神:誉田別尊(応神天皇)、足仲彦尊(仲哀天皇)、息長足姫尊(神功皇后)
※松山八社八幡:伊佐爾波神社、桑原八幡神社、日尾八幡神社、雄郡神社、日招八幡神社、朝日八幡神社、還熊八幡神社、勝山八幡神社
「湯月出て、桑原、日尾、正八幡、日招、朝日還る勝山」
・新嘗祭:11月23日
「桑原八幡神社
松山の八社八幡の二番社
祭神は誉田別尊、足仲彦尊、息長足姫尊、姫大神である。
例祭は十月六日。はじめ桑原町古宮にあったが、寛治二年(1088)今の地に移したという。また伊予守源頼義が伊予の国の鎮護として八社八幡を定めたとき、第二番社としたと伝えられる。河野家代々の崇敬深く社殿を再建したといわれる。万治二年(1659)松山藩主松平定行が東野へ隠居所を建設した際当社を祈願所に定めた。
松山市 松山市教育委員会」(立て看板より)
【Reference】
桑原八幡神社(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
三島神社(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
 
拝殿
随身門
忠魂碑
境内社:素鵞神社
境内社:山神社
三島神社古墳
・6世紀頃のものといわれる。
・全長45.2m、前方部長さ29m、高さ3.25m、後円部高さ4mの前方後円墳。
・昭和46年に三島神社が桑原八幡神社に合祀された時に取り壊された。
鳥居
・神社前と、畑寺バス停の十字路の東にあった。
・バス停東の鳥居は、戦後にミキサー車がひっかけて上部を落としてしまったので再建せず。

・社務所に保存。
・正平六年(1351)、将軍足利尊氏の時代に、土地の郷士(氏名不詳)が三島神社に奉納したもの。
三島神社
・桑原村畑寺1丁地山に鎮座していた。
・旧村社。
・祭神:大山積命、天津彦火瓊々杵尊、木花開耶姫命、岩長姫命、雷神、高おかみ)を合祀する。
・昭和46年4月20日、桑原八幡神社に合祀された。
・桑原八幡の「東の宮」に対して、「西の宮」とも称された。
・例祭日:10月6日
・仁徳天皇の頃(420年頃)に創建。
・聖武天皇の神亀五年(728)に大三島宮より雷神、高おかみを勧請・合祀。
慰霊塔
・毎年この前で慰霊祭が行われている。

素鵞神社(そがじんじゃ)【樽味4丁目】
2002/2/2
・祭神:素盞鳴尊
【Reference】
素鵞神社(樽味町)(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
本殿
脇殿
・厳島神社(右)、立間神社(左)を祀る。
月の出石
常夜灯
・天保六年(1835)建立。

須我神社(すがじんじゃ)【桑原5丁目】
・祭神:素盞鳴尊
・明治42年、井手神社を合祀。
【Reference】
「市之井手」水路〜井手若狭守の偉業〜(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)

農協神社(のうきょうじんじゃ)【東野】
2002/2/2

東山神社(ひがしやまじんじゃ)【東野4丁目】
2002/2/2
・奥城八幡宮
・祭神:河野通賢(みちたか)。(父親は河野通存(みちあり)。湯山宿野の城主。)
・祭日:2月23日(通賢の誕生日)、7月24日(通賢の亡くなった日)
【Reference】
東山神社(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
神名石
・裏側に河野通賢亡霊伝説(怪火出現、落馬したり病気に罹ったこと多かりしことなど)の記載有り。
近藤元彦(松山藩校教授)の撰文。文字は江戸重珍(しげはる)(畑寺の書家)。
・明治31年2月建立。
東野焼狛犬
・市指定有形文化財(昭和52年3月28日)
・銘文を有する唯一の瀬戸助焼といわれている。狛犬の背には、「奉寄進元禄十丑年二月二十四日」と刻まれている。
瀬戸助は、松平定行が東野御殿に隠居した後、以前にいた桑名から呼び寄せた陶工。
・阿犬は像高26cm、吽犬は像高26cm。
・平成2年12月10に松山市教育委員会に移管され、埋蔵文化財センター・考古館に保管されている。
盗人伝説

山神社(やまじんじゃ)【東野3丁目432】
2002/2/2
・祭神:大山咋神
・元は山王大権現(さんのうだいごんげん)、山王さんと呼ばれていた。松山藩主・松平定行が入封時に守護神として、滋賀県比叡山の日枝神社=日吉神社(後に大津市坂本に社殿が建立された)を勧請したもの。
※日枝神社の鎮座地が大津であることと、菅野長者屋敷のあった場所が大津原であることには、何等かの関係があるのだろうか?
・祭日:5月1日、10月7日(宵祭り:10月5日〜6日)
・境内には、奉納相撲が催されるのだろうか土俵が設けられている。(2002/2/2)
【Reference】
山神社(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
社号碑
・昭和10年、青年団により建立。
・「山神社」の文字は烏谷(烏渓)将軍の揮毫。陸軍中将・烏谷章は明治10年松山に生まれ、昭和3年に中将となった。旅団長、師団長を務めた。昭和36年没。
鳥居
・昭和10年、青年団により建立。
常夜灯
・嘉永三年建立。
狛犬
手水舎
燈篭
注連石
社殿
境内末社:?
境内末社:?


お堂
薬師堂【東野3丁目】
2002/2/2
・山神社の南東。奥に五輪塔が数基。
・蓮池のそばにある。元々は山神社の南麓に祀られていたが、昭和47年(1972)3月31日に現在地に移転した。
【Reference】
薬師堂(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
薬師如来坐像
・台座には「連花座中文化九申年(1812)五月束本延年作之 …」と書かれている。
 

観音堂【東野1丁目】
2002/2/2
・県道道後久米線と下馬町(げばのちょう)の道の交差点の西に位置する。
・観音堂の扉の両側に「西国第十六番音羽山清水寺」「松風や音羽の滝の清水を結ぶ心は涼しかるらん」の額が掲げられている。
・厨子右側に釈迦坐像が祀られている。
・「石鉄山大権現 御数珠 安政六未年二月吉日」と記された木箱に収められた数珠が保管されている。
【Reference】
観音堂(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
束本伊兵衛尉藤原秀重(つかもといへいのじょうふじわらのひでしげ)の墓
地蔵堂
・鬼瓦・鯱は束本伊兵衛の作。(松山城天守閣の鯱、太山寺の鬼瓦は伊兵衛の作。「束伊」と刻まれている。)


梅崎枌栗毛塚【松山市東野5】
2002/2/2

聖人塚
聖人塚の供養塔
 


地蔵



淡路ヶ峠(あわじがとう)

・桑原小学校歌:「淡路が峠に朝日映え 石手の川に夕日浮く…」
・標高273m
・天正年間(1573〜1587)に河野通直(こうのみちなお)の砦が置かれ、通直の家臣・林淡路守通起(はやしあわじのかみみちおき)が居城した。林淡路守通起は、初代総理大臣・伊藤博文の先祖。(伊藤博文林淡路守通起の第11代の子孫)

【Reference】
淡路ヶ峠と伊藤博文(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
 (道後平野から望む山の楽しみ方30章、いせきこたろう、アトラス出版、2005)
展望台
・平成9年春に設置された。
金鶏伝説


鉱山

川・渓谷

石手川(湯山川、井河)

鮒川(舟川)【東野】

草場川【樽味】





池・湖・沼

一番池【東野】

二番池【東野】

蓮池【東野】
薬師堂
 

宝谷池(たからだにいけ)【東野】

寺池【畑寺 繁多寺】→松山松前工業地帯工業用水調整池

上池【畑寺】

鉾田池【畑寺】

山田池【畑寺】

古池【三町】
【Reference】
三町(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)

新池【三町】
・明治六年築造。
【Reference】
三町(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)

燈籠ヶ池【正円寺】
・大福寺池、正円寺池とも呼ばれた。
・池の管理のため、農家が夜の明かりにしていた灯篭の油代の名目で維持費を出し合ったので、この名が残ったといわれる。
・昭和45年3月に埋め立てられ、正円寺公園が設けられた。



ダム


湯渡橋【樽味1丁目】


風景

洞窟・鍾乳洞

樹木



へんろみち道標【松山市樽味4 JA桑原前】
2002/2/2





正岡子規の句碑【東野4丁目 東野御茶屋跡】
2002/2/2
『閑古鳥 竹の御茶屋に 人もなし』
・俳句の里 道後コース 19番
・昭和33年建立。
・句は明治二十八年(1895)夏、子規が松山に帰って来た時に作ったもの。
・安倍能成が揮毫。

高浜虚子の句碑【東野4丁目 東野御茶屋跡】
2002/2/2
『ふるさとの この松伐るな 竹切るな』
・俳句の里 道後コース 19番
・道後村めぐり へんろ橋コース10番
・昭和33年建立。
・句は虚子が昭和二十六年九月の子規五十年祭に参列するために松山に帰って来たときに作ったもの。


公園
正円寺公園【正円寺】
燈籠ヶ池
 


祭り

イベント

施設

学校

温泉
媛彦温泉【畑寺町】

伝説

【雨乞い譚】
聖人塚(しょうにんづか)【畑寺町】
・今からおよそ700年前、この辺り一体が大干魃で、畑の作物は枯れ、人々は飲み水にも困り、たいへんな苦しみを味わっていたときがあった。
・そこで繁多寺の住職、覚了法印(他説があり確かではない)は人々を救うために穴を堀り、その中に入り雨乞いの行をすることにした。人々を集めて「雨を降らせるため命の限り念仏を唱えるので、わしの声が聞こえなくなっても心配することはない。」といって穴の中に入り、正座して飲まず喰わず念仏を唱えて雨乞いの祈願をした。覚了の声は日々次第に小さくなり、ついには聞こえなくなり死んでしまった。
覚了の死後21日目に雨が降り、人々は救われ、この高僧に心から感謝した。
・この高僧の偉業に感謝し、穴の跡に建てられた供養塔がこの聖人塚だという。
※繁多寺から久米へと抜ける金毘羅街道(へんろ道でもある)を進み、元の市食肉センター西の小道を南へと行く。墓地を過ぎたところの東手に竹薮に囲まれた小さな丘がある。この丘の上に聖人塚の供養塔が建てられている。

首なし地蔵(雨乞い地蔵)【畑寺町 繁多寺】
・ある年のこと、畑寺の里は大旱魃に見まわれた。そこで村の百姓達は日頃信仰している地蔵に、塞灯(さいとう、さいと)を灯して降雨祈願を行った。
・そこへ侍が通りかかった。塞灯の火の粉が侍に散り、激怒した侍が百姓を切りつけた。ところが、侍が切りつけたのは百姓ではなく側に祀られていた地蔵であった。地蔵の首は無くなっており、どこを探しても見つからなかった。
・百姓達は命を助けてもらったことの感謝と、そして首が無いことを気の毒に思い、繁多寺の境内に祠を建てて地蔵を祀った。

【不思議の木】
潮見の松〜潮の満干を知らす松の木【畑寺町 繁多寺】
・繁多寺の境内にある松の木の幹で潮の満干が判るという。
・海の潮が満ちたおりには、木の幹はしっとりと濡れ塩味がし、潮が引くときには乾いて水気がなくなるという。昔は2本あったというが、今ではその2本とも枯れてしまい、その松から飛んだ種から生えた松の木が残っているという。

【盗人伝説】
観音の元[地名]【三町 長円寺】
観音像を盗人が持ち去ろうとしたが、途中で足腰が立たなくなり、そこに観音像を置き去りにして逃げたという。その場所が観音の元と呼ばれる。御堂から約300m。

片足の折れた狛犬【東野 東山神社】
大正時代、狛犬を盗み出して古物商に売りつけようとした者が、古物商に「罰があたる」とたしなめられて困り果て、神社近くのレンゲ畑に狛犬を放り捨てた。この時に片足が折れたという。
※伝説というよりは、「事件」というほうが正しい。

【亡霊伝説】
河野通賢亡霊伝説【東野 東山神社】
【Reference】
東山神社(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)

金鶏伝説
菅野長者金鶏伝説【畑寺 菅野長者屋敷跡】
「竹の御茶屋跡のお山池のほとりにある清水寺という観音堂の下にあった石の中から、金の鶏が出て大津原という所の百姓、七左衛門の家に飛んで行って止まった。七左衛門は、大切にしまっておいたので次第に家が富み栄えたと言われ、今もなお栄えている」(垂憲録 → ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
「大津原の七左衛門は菅野家の祖で菅野長者と呼ばれた由」「金で作った鶏を掘出したのは、七左衛門の家の東に当たる山の嶺、すなわち、淡路が峠と言える所なり」(松山叢談 → ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)
【Reference】
菅野長者(ふるさとの史跡をたずねて−桑原郷土誌−、松山市桑原公民館)


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百間土手【畑寺】



 
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《References》



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