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市の花 | 市の木 | 市の花木 | 市の鳥 |
街の花:
水仙 |
街の木:
ホルトノキ |
大字 | 字 |
由良町(ゆらまち) | |
門田町(かどたまち) |
磐神神社社叢【門田町小室
磐神神社】
・市指定天然記念物(昭和43年2月21日指定)
岩神神社[磐神神社](いわがみじんじゃ)【門田町小室】
・興居島北東不の大室の奥にあり海抜50mの東斜面下部にある。
・市指定天然記念物
・磐神神社は、大三島・大山祗神の長女、磐長姫命(いわながひめ)を祭った海上安全・五穀豊饒・戦いの神である。
・周囲の自然林は、昭和43年に市の天然記念物に指定された暖帯海岸樹林が残っている。
・昔、御神体「磐神様」の岩に一匹の大きな白蛇が住んでおり、この森の木を切ると、この白蛇の祟りがあり、死んでしまうという言い伝えから伐採する人はいなかった。
・また、拝殿の右側に二股に分かれた大木があり、股の部分の穴に溜まった水を飲むと御利益があった。
・ある時、アケビを取りに来ていた子供が木から落ちて怪我をしたが、この水で清めると大事に至らずに済んだという。
・そのほか、「神社前の海上を通る時は、帆を半分降ろして通らないと船が動かなくなる」「森の木を切り、牛に運ばせようとしたが、牛は口から泡を出し座り込んで運べなかった」などの言い伝えが残っている。
住吉神社(すみよしじんじゃ)【門田町】
大将軍神社(だいしょうぐんじんじゃ)【門田町】
浜宮神社【門田町】
船越和気比売神社(ふなこしわけひめじんじゃ)【由良町】
1994/7/30
・昔、船越に和気五郎太夫という漁師がいた。ある日、沖に出て釣りをしていると大きな壷が流れてきたので割ってみると中から12、3歳の美しい女の子が出てきた。子供のいない五郎太夫は、大喜びで自分の娘として大事に育てた。
・大人になった和気姫は伊予の皇子の奥方になって三人の男の子を産んだ。そのうち、第三子の小千御子の系統から河野一族が出たとも言われる。
・その後、和気姫はこの島で世を去った。和気姫を祭った社を船越社と呼び、後に船越八幡宮と改め
られ、明治時代になって船越和気比賣神社になった。
・小千御子の母が住んでいたということで、母子島(ぼごしま)と呼ばれていたが元禄時代ころから、興居島と呼ばれるようになったそうである。
※会社の親睦会行事の海水浴の帰り、船越港での待ち時間に立ち寄る。クマゼミがやけに騒がしかった。(1994/7/30)
![]() ・県指定無形民俗文化財 ・小富士文化保存会によって保存伝承されている。 ・史上に輝く伊予水軍の出陣及び早勝の模様を凱旋した水軍の武者が、島民の歓迎に応えて船上で手振り身振りを交えて報告した名残りが、時を経て氏神の祭礼行事に取り入れられたのが始まりと言われる。 ・二双の踊り船を舞台に前後に櫂伝馬10隻がつく。 ・船舞台では歌舞伎調の踊りが行われる。 ・旧暦8月15日(現在の10月6,7日)、氏神の和気比売神社の祭礼に奉納される。 |
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船踊り【由良町 船越和気比売神社】
・県指定無形民俗文化財
・小富士文化保存会によって保存伝承されている。
・史上に輝く伊予水軍の出陣及び早勝の模様を凱旋した水軍の武者が、島民の歓迎に応えて船上で手振り身振りを交えて報告した名残りが、時を経て氏神の祭礼行事に取り入れられたのが始まりと言われる。
・二双の踊り船を舞台に前後に櫂伝馬10隻がつく。
・船舞台では歌舞伎調の踊りが行われる。演じられるのは無言劇であり、台本・口上などは無い。演目は「曽我兄弟」など。
・旧暦8月15日(現在の10月6,7日)、氏神の和気比売神社の祭礼に奉納される。
《References》
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