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伊予の隅々
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松山市の水辺

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

石手川

・別称:湯山川、井河

脇井手堰(わきいでぜき) 
櫓堰(やぐらぜき) 
新井手堰(しんいでぜき) 
一之井手堰(いちのいでぜき)
北山堰(きたやぜき)
草葉堰(くさばぜき) 
寺井堰(てらいぜき) 
徳力堰(とくりきぜき) 
小坂堰(こさかぜき)
斎院樋堰(さやひぜき)
中村堰(なかむらぜき) 
佐古樋堰(さこひぜき)
立花堰 (たちばなぜき) 
石樋堰 (せきひぜき)
これらの堰の存在については、「参参」同人であった石原通宏さん(故人)にお教えいただいた。
 

洗地川

 
塩売橋(しおうりばし)
・平成4年9月
・さくら小学校北。桜の花で欄干が彩られている。
天神橋(てんじんばし)
・昭和63年7月
・履脱天満宮の西の通りに架かる。
勅使橋(ちょくしばし)
・昭和62年3月
・フジ高岡店(現・ZY高岡店)から南に抜ける道に架かる。
貝之分橋(かいのぶばし)
・1986年3月
・湯の口から南に抜ける道にかかる。
洗地川橋
・ 1985年3月
・松前へ抜ける県道に架かる。

堂之元川
挿桃橋(さしももはし)
・ 昭和59年(1984)  3月
南土居橋(みなみどいはし)
・昭和60年(1985)  3月
能松橋(のうまつはし)
・昭和63年(1988)  3月
堂之元橋(どうのもとはし)
・平成 5年(1993)  1月
湯領橋(ゆりょうはし)

蛇の巣/三段の滝【城山町】

・昔三段の滝壷には大蛇が棲んでいたが、七日七夜さも降り続いた大洪水で大蛇は流され、川下の湧ヶ淵に棲みついたといわれる。
・三段の滝は、この渓流の中で見所となっている。また高い滝は川下より登ってきた魚が登れないので一名魚切りの滝ともいわれる。

塩売橋【南斎院町】

・明治初期より、新浜村に塩田が有り、ここで造られた塩は、広く松山周辺で売られていた。当時、数多くの塩行商人はこの橋で休んだり、又塩売りの場所であったことから誰言うとなく塩売橋と呼ぶようになり、現在でもこの付近の地名となっている。
・昭和34年7月吉日建の石標有り。

出合橋【余戸】
1994/10/06
 
水原秋桜子の句碑
「樗(おうち)さけり 古郷波郷の 邑かすむ」
・俳句の里 城西コース 5番
正岡子規句碑
「若鮎の 二手になりて 上りけり」
・俳句の里 散策コース10番→城西コース 4番
札の辻までの里程標
観光いもたき
「夏川や 二つ渡りて 永田村」 子規
「あげまきの わらは遊びに 釣たれし 出合の淵は 瀬と変らずや」 子規

立花橋【立花町】

へんろ橋【石手町2】

・道後村めぐり へんろ橋コース 9番
「 霞む日や 巡礼親子 二人なり 」 夏目漱石
・四国88ヶ所霊場巡拝 50番札所繁多寺から 51番札所石手寺への遍路道。

姆ヶ水(乳水)【城山町】

・この涌水「姆ヶ水」は涸れを知らない水で、この地に住む人々は子育てに愛飲させた水で「姆が水」と言い伝えられている。
・河野家代々の城主、特に河野通有は道後の湯築城から高縄の城に登る時に愛飲したのも姆ヶ水と言われている。
・昭和初期、五明小学校の先生が五明の里にある生活水を分析し、一番良い水と折り紙の付いた水となっている。
・今日でも市街地の人々が汲み持ち帰っていく姿が見られる。

夫婦泉【松山市森松町】
2002/7/22

マゴシン泉【松山市大橋町】
2002/7/22

中野新泉【松山市中野町】
2002/7/22

かきつばた泉【松山市井門町】
2002/7/22

杖ノ淵【松山市南高井町】

鷹巣泉【南土居町】
 

堀越池【窪野町】

・「伊予の摩周湖」の異名を持つ。

柳ヶ迫池【窪野町】
・堀越池の下部。冬場は氷結してスケートが出来たらしい。(窪野町・相原千里氏談)

古池【三町二丁目】
・池の上に薄紫色の絨毯を敷き詰めたように、群生したホテイアオイが咲きそろう。

乙女池【恵原町】

角田池【東長戸町1丁目】
門屋為次郎が旱害を無くし、少しでも農民の暮らしを楽にしようと造ったもの。
・明治になって延べ30,000人の農民の力で大改修が行われ、現在の姿になっている。



《References》



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