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伊予の隅々
こたろう博物学研究所
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松山市
(久米地区)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要
キャッチフレーズ

(1).

市の花 市の木 市の花木 市の鳥
街の花:
サルビア
街の木:
サザンカ

特産物

沿革

地名
大字
久米窪田町(くめくぼたまち)
北久米町(きたくめまち)
南久米町(みなみくめまち)
南土居町(みなみどいまち)
来住町(きしまち)
福音寺町(ふくおんじまち)
高井町(たかいまち)
鷹子町(たかのこまち)


文化財

来住廃寺【来住町】

・久米官衙遺跡群
・国指定史跡(昭和54年4月21日指定)
・来住廃寺は、塔跡が現存し、発掘調査によって僧坊(寺院で僧尼の起居する建物)跡・講堂跡などが確認され、法隆寺式の伽藍(仏道を修行する所)配置が想定される松山平野最古の寺院である。創建瓦には四天王寺出土瓦とよく似た素十弁蓮華文軒丸瓦が葺かれている。
・【発掘調査】
昭和42年度より発掘調査が開始された。
昭和52、53年度には法隆寺式伽藍配置を持つ寺院と確実視された。
昭和54年(1979)に国の指定史跡に指定された。
昭和63年度から平成元年にかけて、隣接した一辺百メートル四方の回廊状遺構の規模や内部施設の確認を中心に調査が進められた。
平成2年度には、寺域の西端と思われる溝が発見されている。
・指定面積は約12,000u。
・むかし、松山には「七寺院」と称する寺があったという。
・湯之町廃寺(道後) ・内代廃寺(道後) ・中村廃寺 ・朝生田廃寺(南土居)
・中之子廃寺(南土居) ・千軒廃寺(高井) ・上野廃寺 ・来住廃寺(久米)

Reference.
「塔でなく金堂の基壇〜法隆寺の影響再考必要」、愛媛新聞、2005/12/16
 
回廊状遺構
・今では小高い山の上に1ケの礎石が残るばかりである。

浄土寺本堂(1棟)【鷹の子町1198 浄土寺】
・国指定重要文化財[建造物]

木造空也上人立像(1躯)【鷹の子町1198 浄土寺】
・国指定重要文化財[彫刻]

波賀部神社古墳【高井町 波賀部神社】
・市指定記念物[史跡](昭和40年11月8日指定)

三輪田米山の墓【鷹子町 浄土寺】
・市指定記念物[史跡](昭和45年5月18日指定)

テイレギ【高井町】
・市指定天然記念物(昭和37年11月5日指定)

砂八ツ目【高井町】
・市指定天然記念物(昭和37年11月5日指定)

エノキ【南久米町】
・県指定天然記念物昭和46年4月6日指定解除

空也松【鷹子町】
・浄土寺にあった。
・昭和55年1月17日指定解除

巴の松【高井町】
・高井八幡神社にあった。
・市指定天然記念物昭和38年に天然記念物に指定されたが、マツクイムシ被害に遭い枯死し、昭和52年3月25日指定解除された。



城址


遺跡

久米高畑遺跡【】
・七世紀後半の「回廊状遺構」の北側に、同時期の新たな約110m四方の官衙施設の存在を確認した。(「久米高畑遺跡 官衙施設新たに確認 建物跡3棟、南北に並ぶ」、愛媛新聞、1999年10月21日)



古墳

波賀部神社古墳【高井町 波賀部神社】
・市指定記念物[史跡](昭和40年11月8日指定)
越智玉純が神亀5年(728)大三島より勧請して、石井三島大明神と称す社を建立したという。祭神は大山積神、雷神、寛王命などである。寛王命とは嵯峨天皇の皇子で伊予国守として赴任されこの地で亡くなられたという。
・墓地が神社の近くにあったところから墓辺神社とよぶようになったが墓の字を嫌って、今の波賀部に改めたといわれている。
・社殿の後ろに前方後円墳があり、全長54m、西が前方部で 幅28m、高さ6.1m、後円部は 径28m、高さ6.6mあり、外部には堀をめぐらした跡が残っている。現存する古墳は中央部よりの南半分が崩れている。


覚王寺【町】
・奥の院:→池の川泉

西林寺(さいりんじ)【高井町 843】
1994/9/11
・山号:清滝山
・宗派:新義真言宗豊山派
・本尊:十一面観世音菩薩 (弘法大師作)
・脇立:毘紗門天・不動明王(行基作)
・開基:行基菩薩
・電話番号:089-975-0319
・四国八十八ヶ所霊場第48番札所
・伊予十三仏霊場 8番:観世音菩薩
・景観樹林保護地区 指定番号39号
・天平13年(741)開創。
・昔、来目郡野田井村分、徳威の里にあった一宮別当寺であったが、その後、弘法大師が大同2年(807)3月に今の地に移転した。そして延元元年(1336)、浮穴太夫為世王公が再興した。
・本尊の十一面観音は弘法大師、毘沙門天・不動明王は行基の作である。
・弘法大師が地に突き立てた杖の跡から湧き出た奇蹟の水を杖ノ淵と呼び、寺伝ではその淵が奥の院とされている。
 
【杖の淵の伝説】→c.f.杖ヶ淵公園
正岡子規句碑:『秋風や 高井のていれぎ 三津の鯛』

浄土寺(じょうどじ)【鷹の子町1198】

・電話番号:089-975-1730
・山号:西林山
・宗派:真言宗豊山派
・本尊:釈迦如来 (行基作)
・開基:恵明上人
・四国八十八ヶ所霊場第49番札所
・伊予十三仏霊場 2番:釈迦如来
・天平年中 729〜749年恵明上人が開創した。
 
浄土寺本堂(1棟)
・国指定重要文化財[建造物]
・桁行 9m、梁間 9m、屋根は4柱造り本瓦葺であり、全体の建築様式は和風と唐様式を折衷した室町時代の建物である。
・内陣正面にある一軒厨子は、入母屋造り、板葺で、唐様の巧緻を極めた室町期の優れた技法を示している。
木造空也上人立像(1躯)
・国指定重要文化財[彫刻]
・天徳・応和のころ(960年頃)空也上人が当山に3年間留錫、その出発に際し里人の懇望によって残されたという。
・像は老境の空也が、一切衆生の苦悩を背負い、鉦をたたき南無阿弥陀仏と唱え遍歴する姿で、口から六字の名号が仏となって現している。
厨子
・重要文化財
正岡子規句碑:「霜月の 空也は骨に 生きにける」
白象(森寛紹)の句碑:「お遍路や 杖を大師と たのみつつ」
三輪田米山の墓
・市指定記念物[史跡](昭和45年5月18日指定)

極楽寺【鷹子町】

・宗派:新義真言宗 豊山派
・山号:潅頂山
・本尊:阿弥陀如来
・伊予十三仏霊場 6番:弥勒菩薩
 
白象(森寛紹)の句碑:「お遍路や 極楽浄土 疑わず」

長隆寺(ちょうりゅうじ)【来住町850】

・宗派:黄檗宗
・山号:興福山
・伊予十二薬師巡り7番
・国指定史跡


神社

軍ケ森神社(いくさもりじんじゃ)【来住町226】
・景観樹林保護地区 指定番号 21号

五十鈴神社(いすずじんじゃ)【南土居町452-2】

・景観樹林保護地区 指定番号 34号
・伊勢神宮の遥拝所

素鵞神社(そがじんじゃ)【鷹子町】

高井八幡神社【高井町617】
・景観樹林保護地区 協定番号24号

波賀部神社(はかべじんじゃ)【高井町1066】

・祭神:高お神(「お」は、雨かんむりに龍)、大山積命、雷神
・配祀:寛王雷神
・景観樹林保護地区 指定番号25号(昭和53年4月25日指定)
 
平和記念碑
「日露戦勝記念」碑
波賀部神社古墳

日尾八幡神社(ひおはちまんじんじゃ)【南久米町】

・電話番号:089-975-1744
・ご利益:家内安全、安産
・交通:伊予鉄横河原線久米駅下車徒歩2分

東道後神社(ひがしどうごじんじゃ)【南久米町】
・電話番号:089-975-1744
・春祭:5月3日 祭典、少年剣道大会

東山神社(ひがしやまじんじゃ)【南久米町】
2002/2/2
・景観樹林保護地区 指定番号 20号
 
クスノキ
・松山市保存樹木、昭和52年12月27日指定 協定番号 2号
・二大幹に分枝。
・目通り周囲約 3.2mと 3.6m
・樹高約 17mと 19m
・推定樹齢約350年。

龍神社【久米窪田町646】
・景観樹林保護地区 指定番号 39号
・境内は狭く、樹木は少ない。
・社殿右の胸高幹周り220cmのクスノキが目立つ程度。クスノキの他に高木ではクロガネモチ、イチョウ、イヌマキ、モッコクが、亜高木以下ではアキニレ、タブノキ、アラカシ、ムクノキ、ヒメユズリハ、ネズミモチ、ナナミノキなどがある。


お堂



地蔵





鉱山

川・渓谷

池・沼・湖

水辺・泉

池の川泉(いずみ)【高井町】
・覚王寺の奥の院
・弁財天の安置所
→(久米郷土誌、久米公民館)

宮前泉(みやまえいずみ)【高井町】

→(久米郷土誌、久米公民館)

梅斎院泉(うめさやいずみ)【高井町】
・テイレギ自生地、砂八つ目生息地。
→(久米郷土誌、久米公民館)

梅斎院堰(うめさやせき)【南土居町】

→(久米郷土誌、久米公民館)

粕毛堰(かすげせき)【南土居町】

→(久米郷土誌、久米公民館)

古水門堰()【南土居町】

→(久米郷土誌、久米公民館)

大塚泉(おおつかいずみ)【南土居町】
・波賀部神社境内にある。
→(久米郷土誌、久米公民館)

鷹巣泉(たかのすいずみ)【南土居町 六反地】
・嘉永3年(1850)に粕毛かかりの補助水源として掘った泉。
→(久米郷土誌、久米公民館)
※ということは、鷹巣泉の大蛇遭遇譚は、1850年以降に語られたことになるにか。




ダム



風景

洞窟・鍾乳洞

樹木








正岡子規句碑【高井町843 西林寺】
『秋風や 高井のていれぎ 三津の鯛』
・俳句の里 城南コース8番
・明治28年の作
・昭和38年10月建立
・高井町南組にあった石橋の石を再利用して区長高市敬宇(かずひろ)氏が建立した。
・文字は「寒山落木」巻4の自筆を拡大したもの。
・この句は明治28年(1895)の作。
・前書きに「故郷の蓴鱸(じゅんろ)くひたしといひし人もありとか」とある。「蓴鱸」とは「じゅんさいの吸い物と鱸(すずき)のなます」を指す。
・「蓴鱸」とは、中国の晋の張翰(ちょうかん)が、秋風が吹き始めると故郷のこの料理が食べたくて退官して郷里に帰ったという故事に依る言葉で、「望郷の心」を表す。
・この句を作った明治28年、松山で病気療養中の子規は、10月19日早朝、三津の海岸から発って東京に帰り、それからずっと病床にあった。故郷を懐かしみ、張翰に倣って「ていれぎと鯛」を詠みあげた。

正岡子規句碑【高井町 杖ヶ淵公園】
『ていれぎの 下葉浅黄に 秋の風』
・俳句の里 城南コース9番
・明治25年秋の作。
・昭和37年11月5日建立。

正岡子規句碑【鷹の子町1198 浄土寺】
「霜月の 空也は骨に 生きにける」
・俳句の里 城南コース4番

白象(森寛紹)句碑【鷹子町1198 浄土寺】
「お遍路や 杖を大師と たのみつつ」

白象(森寛紹)句碑【鷹子町 極楽寺】
「お遍路や 極楽浄土 疑わず」


公園

杖ケ淵公園【高井町】

 
西林寺奥の院
杖ケ淵の水
・内川筋の自然湧水。
・昭和60年 1月に名水百選(環境庁)に指定

★茶屋で名水の会(?)の会員受付を行っている。(会費無料)
★会員になると、水汲み用ポリタンクに貼り付けるシールをくれる。

杖ケ淵(じょうがふち)の伝説
正岡子規句碑:『ていれぎの 下葉浅黄に 秋の風』
テイレギ
・学名:オオバタネツケバナ
・昭和37年に松山市天然記念物に指定。
・テイレギは清流にしか育たない。葉は羽状に小さく丸く、白い花が咲くと株が弱り寿命を迎える。
・刺身のツマにしたり、一夜漬けにして食べる。清流育ちで手入れが行き届いたものは、葉が小粒でピリッと辛い。

南久米公園 【南久米町】

 
三ヶ池記念の碑
・中村時雄建立の銘。


祭り

イベント

施設

学校

温泉

湯快爽快 いよてつの湯【松山市南久米町3-1】


伝説

鷹巣泉の大蛇【南土居町】
・昔、この辺りおばあさんと娘が二人で暮らしていた。娘が嫁に行き、寂しくなったおばあさんは毎日娘の所に行くため、古(ふる)水門のある川を通っていた。
・ある日、おばあさんがそこを通りかかり、疲れたので大木の根元に腰をおろしたところ、それが急に動きだした。実はこの大木は蛇だったのだ。蛇は驚いて川に落ち、耳に水が入って苦しく暴れた。すると今まで晴れていた空が急に曇り雨が降りだした。
・おばあさんは死んだが、それ以来古水門の川をせき止めると、蛇の耳に水が入り必ず雨が降るというので、水に困った時は、村人はこの川をせき止めて雨を降らした。
・当時の代官で鷹巣という人は、死んだおばあさんの霊を慰めるため、古水門の辺りに泉を掘り、それが鷹巣泉と呼ばれるようになった。

杖ケ淵(じょうがふち)の伝説
・温泉郡久米村高井(今の松山市南高井町)
・弘法大師が四国巡錫の途中、久米村高井の里に来たとき、あたかもこの地方には大旱魃が続き、村人は飲料水さえなく、非常に苦しんでいた。
・この時、大師は遠方から飲料水を自宅に運んでいる老婦人に遭い、たいへん気の毒に思った。大師は咽喉が渇くから少し水を下さいと老婦人に頼んだ。
・老婦人は水の不自由であるに関わらず惜しげもなくその水を汲み取って大師に捧げた。大師はこの老婦人の心根の美しいのに感動され、その仁徳に報いるために、持っていた錫杖(しゃくじょう)でその老婦人の家の庭先を突かれた。
・不思議な事に、そこから清水がこんこんと湧き出たので、老婦人は躍りあがって喜んだ。その後はどんな旱魃でも、この水は決して枯れることがなかったと伝えられている。
・この説話から、この地を杖ケ淵と称している。


キャンプ

海水浴

人物

その他


《References》


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