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伊予の隅々
こたろう博物学研究所
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松山市
(伊台地区)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要

キャッチフレーズ
(1).

市の花 市の木 市の花木 市の鳥
街の花:
サクラソウ
街の木:
サクラ

特産物

沿革

地名
 
大字
上伊台町(かみいだいまち)
下伊台町(しもいだいまち)
南白水(みなみはくすい)一丁目〜三丁目
白水台(はくすいだい)一丁目〜六丁目
※白水台:昭和62年、分譲住宅用地として開発された折、白水峠に因んで命名された。


文化財
西法寺境内の薄墨桜【下伊台町 西法寺】
・市指定天然記念物(昭和37年11月5日指定、昭和44年6月5日名称変更)


城址


遺跡


古墳


西法寺(さいほうじ)【下伊台969】
200
・宗派:天台宗
・山号:大楽山
・伊予十二薬師巡り4番
・電話番号:089-977-0037
・平安時代に創建されたという古刹。
・延暦11年(792)、一条院宮の開基によるもので、本尊は伝教大師御作の薬師如来である。
・当時は、勝丘山の麓に有った。
・古代天台宗に属し、大楽山東光院西方寺と称す。七堂伽藍を備え、22の子院を持つ一大精舎であった。
・治承元年(1180)伽藍炎上する。
・弘安年間(1270)河野通有が再興に援助する。
・通有が釈迦座像を奉納する。(県指定重要文化財)
・永徳3年(1383)、梵鐘を鋳造する。(県指定文化財、現在太山寺所蔵)
・戦国時代兵火に遭い、現在地に移転する。このとき西法寺と名を改めた。
・明治29年(1890)、仁王門再建。
・昭和3年(1928)鐘楼を再建する。
・平成6年(1994)、阿弥陀堂・位牌堂・客殿・庫裏等増改築を完成する。
釈迦如来座像
・県指定文化財
仁王門
延命地蔵尊
・参道下
水子地蔵
・境内
山王社
「勝岡学校趾」の碑
・昭和43年10月、明治百年を記念して大野義忠/伊台公民館が建立。
・勝岡学校は明治7年に創設した。
旧西法寺の礎石
・ 旧西法寺跡、「本堂が平」で発掘された礎石が境内の庭に置かれている。
・ 当時の寺は、大楽山西方寺と号し、七堂伽藍の備わった寺であった。
・1千年以上も昔から栄えた大きい寺を立証するものは非常に少なく、この礎石とわずかな布目瓦だけという貴重な遺物である。
西法寺桜
・ヤマザクラの多弁品種
薄墨桜(うすずみざくら)
・西法寺本堂の前にある。
・白鳳時代、嵯峨皇后(天武天皇の皇后)が病気の折、勅命により一山あげての薬師如来への祈願を行った。その甲斐あって、皇后は平癒され、薄墨の綸旨(天皇の側に仕える役人=蔵人=くらうどが天皇の言葉を受けて書いた文書)に桜を添えて下されたところから境内の桜を薄墨桜と呼ぶようになった。
・伊予節に歌われたこの桜は八重咲きで上品な淡紅色をしている。
・ヤマザクラの多弁品種
・和名:イヨウスズミザクラ
・胸高幹周 90cm、樹高 2.7m
・松山市指定天然記念物(昭和37年指定)
・全国でも岐阜県など数カ所にしかないというヤマザクラ系の品種
・見頃は4月10日前後
薄墨桜のはなし(「松山のむかし話」より)
この桜の木には、こんな話が伝わっとらい。
昔、昔、どの天皇の時代じゃったろか。お后がご病気になられたんよ。天皇は全国の寺々に命じて、お后の病気が治るようにお祈りさせなさったんと。
そのころの西法寺というたら、広い境内にたくさんの寺が立ち並ぶ、それは見事な寺じゃった。その寺一山をあげてお后のご病気が治るようお祈りをおしたそうな。まもなくお后はすっかりようなられた。天皇はたいへん歓ばれ、お使いにお礼の手紙を持たせて西法寺にお届になったんよ。その手紙が薄墨色の紙に書かれとったんで、それからは寺の桜を薄墨桜というようになったんじゃと。
もうひとつにはこんな話もあるんじゃ。
都で、歌人の藤原良盛りさまがお亡くなりになって、その遺体を火葬にしたんと。するとその煙がかかった桜は、みんな薄墨桜の花を咲かせるようになってしもたんと。その桜を西法寺の境内に移し植えたということよ。
まあ、いずれにしても薄墨桜とはいうけんど、薄桃色の花びらのようけある、綺麗な花よ。

・白鳳時代、天武天皇の皇后が病気にかかられたとき、この寺の薬師如来に御祈りして全快された。その喜びのあまり、薄墨の輪旨(勅旨をうけて蔵人=くらうどから出す文書)を賜ったので、境内の桜を薄墨桜と呼ぶようになったと伝えられるなど、諸説がある。

柳原極堂の句碑
「薄墨の 綸旨かしこき 桜かな」
・俳句の里道後コース20番
中野立城の句碑
「振り返る みる故里の 山粧う」
・参道途中
乗松春甫の句碑
「なる鐘の 音よき日なり 初桜」
・境内南端にある。
『一隅を照らす』の碑


神社

客王神社【下伊台町1127】
2003/1/18
・祭神:品陀和氣命
・配神:猿田彦命、建御賀豆智命、素盞嗚命、菅原道真公
・電話:089-951-2869
・春祭 :5月3日
・交通:伊予鉄バス桜組下車徒歩5分

本村天神社【上伊台町】

実川天満宮【上伊台町】
2006/4/9
鳥居
・三輪田米山の筆

 

山神社【上伊台町実川】
2006/4/4
常夜灯
→写真(2006/4/4)


お堂



地蔵



勝岡山(かつかさん)(勝賀山)【上伊台町】
2002/12/10
・標高 454m
・勝岡大権現の祠有り

高山【上伊台町】
・標高 462.9m
・三角点有り

国見山【上伊台町/東大栗町】
2003/1/18
・標高 379.6m

 国見山という名前は地図には載っていないのだが、標高379.6mの三角点があり、伊台地区ナは第4番目の高峰である。頂上からの展望が良く、辺りが見渡せるので「国見」の名前を持つとのことであり、以前より登りたいと考えていた山だ。本日の主目的地はここである。
 13:45 天神社のやや上手の路肩に車を停めて登山開始。
 国土地理院の地形図を眺めながら、地図に破線で記載された道をトレースする。軽四1台がやっとの幅員だが、歩くには快適だ。コンクリート舗装はしているものの、落ち葉がクッションになっていて非常に歩きやすい。
 長谷と呼ばれる谷の左岸を進んでいくと、三叉路に行き着く。右に折れると蜜柑畑。左側の道を進めばやがて砂防ダムが見えてくる。これから続く道は落葉樹に包まれており、奥深い山にでもやって来た感じがしてくる。左手に急峻に聳えているのが、目的地である国見山だ。
 竹林を過ぎるとススキかカヤか分からないが、とにかく枯れ草が生い茂り、少々道が悪くなる。しかし、ルートは明瞭だ。水の干上がった沢を渡り、右岸沿いに登っていくとすぐに尾根が見えてくる。尾根には東大栗方面・上伊台方面からの農道が続いており、登山というよりはハイキングの気分になる。
 尾根道を南に向いて進んでいくと、3台ほどの廃車が無造作に棄てられており、その向こうに貯水槽らしきコンクリートの塊が見えてくる。
 14:15 調整水槽に到着。「県営かんがい排水事業石手川北部地区 第13工区 調整水槽 有効貯水量507m3 昭和59年8月完成 施工者 松山北興建設株式会社」と記している。どこから水を汲み上げて来ているのだろうか?送水管も排水管も一切見えない。
 貯水槽とは言え、なかなか広く、テニスコート1面ぐらいはある。貯水槽の上に立てば、北方に高縄山の風景が開けている。左手に視線を移せば、松の木々の間より、特徴ある山容の腰折山、恵良山の姿が見える。北条市街地も勿論望める。
 廃車の脇を進んでいくと、すぐに三角点に辿り着く。14:16 三角点到着。三角点は松を主体とした混成林に包まれていて、眺望はない。瓦製の祠と三等三角点の標石が落ち葉に埋もれるように、ぽつんと佇んでいるだけである。
  なんとか、「眼下に広がる伊予灘」を眺めてみたい。その思いで、三角点から西へと続く踏み跡を追ってみるのだが、行けども行けども雑木が邪魔して全く景色が望めない。おまけに人が余り歩かないせいもあって、小枝が行く手を阻む。 200mほど歩いて、結局諦めて引き返す。そして、貯水槽の上で、遅まきながらの昼食をとる。
 14:47 下山開始。せっかくだから、東尾根を歩いてみることにする。多少薮っぽいが、こちらのほうが景観が良い。道後ゴルフクラブのグリーン越しに、三津を含め松山市街が一望できる。
 14:59 東尾根肩部に着く。ここにも社の残骸らしきものがある。トタンと木材と台座の石の組み合わせ。ひょっとしたらミツバチの巣箱が置かれていただけかもしれない。
 来た道を折り返すのも何なので、ここから東に向いて直下することにする。踏み跡らしきものはある。しばらくすると完全な形のミツバチの巣箱(丸ドウ)を1ケ発見。ここから先も道は続いているものと確信する。
  しかし、この見込みは甘かった。やがて羊歯が生い茂り、道は完全に途絶えてしまう。それでも何とか踏み分けて行こうと思ったのだが、急な斜面であり、不用意に足を前に出すと、2mほどの背丈の羊歯に飲み込まれてしまう。これでは危険すぎる。
 こんなところで遭難してはシャレにならない。多少薮でも小枝を掻き分ける方が無難だ。少し引き返し、雑木帯を選びながら竹林を目指して下りていくことにする。
 顔面や身体に枯れた小枝を何度も突き刺しながら、やっとの思いで登山道に辿りつく。「急がば回れ」。低い山だからと言って、甘く考えてはならないとしみじみ思った。
 15:15 下山

ごかんじょ山(御勧請山、高塔)【下伊台町】
2003/1/18
・標高 327m

 客王神社より勝岡山を望む。写真を撮っていたら雨が落ちてきた。境内散策を手短に済ませ、そそくさと車に戻ろうとしていたら、畑仕事をしているオジサンの姿が目に留まったので、ごかんじょ山への道を尋ねることにする。

 「この辺からごかんじょ山へ登るルートはないんですかね?」
「いやぁ、ここからは登れんよ。松組バス停のところから左折して、しばらく行ったところから更に左に入って青葉台いう10軒ほどの団地を過ぎたところから行ったらええわい」
「車で行けるんですかね?」
「ああ、...しかしアンタの車じゃちょっとしんどいんじゃなかろうか」

 オジサンの言った通りだった。我が愛車CRVで青葉台からの道を登っていくのだが、狭い。とにかく狭い。これならば歩いて登ったほうが良かったと後悔するのだが、引き返すことさえままならない。度重なるカーブでは何度もハンドルを切り戻すことを余儀なくされる。それでも雨が降っていることを考えれば、やはり車で行くしかない。

 細い道を登りきったところには、無線中継所のアンテナが天を突くように数基聳え立っている。「四国セルラー電話株式会社 奥道後無線局」、「NTTドコモ四国 道後無線中継所」などの名前が確認できる。 アンテナの横の茂みの中に、ごかんじょ山の名の由来となった石鎚大権現を祀る石室がひっそりと佇んでいる。この山、正式名称は高塔山であるが、石鎚神社より神霊を勧請したので御勧請山と呼ばれるようになったようだ。西法寺山門前の伊台ふるさと案内板にもごかんじょ山と記されていて、高塔という名前は最早消えつつあるにも見える。

 標高327mの山頂からの風景はなかなか素晴らしい。眼下には、松山サーキット(モトクロス練習場?)や伊台城(正式な城ではない!)、瀬戸風峠などが見える。堀江から松山市街まで遮るものもなく見渡せる。しかし、今日は生憎の雨模様。折角の眺望が台無しである。

夫婦山【上伊台町】

・標高 387m


鉱山

川・渓谷



ダム


 
 
 

風景

洞窟・鍾乳洞

樹木







白水峠(しらみずとうげ)
200




公園

祭り

イベント

施設

学校

温泉

伝説

キャンプ

海水浴

人物

その他


 
200
《References》



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