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伊予の隅々
こたろう博物学研究所
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伊予の伝説

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伊豫の隅々インデックス

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 伝説とか民話の類は事実を単に述べると実にあっけないものである。「ふーん、そうなの?」で終わらすぐらい、実に他愛もないものである。しかし、その淡白な事実を話すんじゃ面白くない。どうせなら面白おかしく脚色・肉付けしてしまおう...などという意識が働いて、口頭伝承を繰り返すうちに、物語として肥大化していく。そして際立った特徴だけが前面に押し出され、「ほんまにそんなことあったんかいな」と疑問を抱かずにはいられないほど、常識や自然の法則から逸脱した話になってしまっている。
 だからこそ面白い。長い年月をかけて薫製のようにじわじわと燻し上げてきたものだからこそ味わいが深い。

 まあ、「噂」というものも似たようなもんだろう。ある時に誰かが呟いた何気ない言葉が、何らかの相乗効果でいつの日か事実へとすりかわる。


七不思議

桜に纏わる話

超常現象(?)関係の話

  • 潮の満干を知らす松:松山市畑寺 繁多寺
  • 動物に纏わる話

    人間臭い話


    伊予松山の七不思議(愛媛新聞者報道二部撰)

    不思議太鼓

    松山城天守閣で打ち鳴らす時の太鼓は、城北の石手川堤防で聞くと四方から響いてくる。→場所の比定要!

    鳴かない蛙

    松山城の外堀にいる蛙は決して鳴かない。

    あやめ屋敷

    城北の武家屋敷の横を通ると、裏の方から「あやめに似たりかきつばた....」という謡曲を歌う声が聞こえてくる。

    紫井戸

    木屋町4丁目の井戸の水は不思議なことに紫色に見える。

    片目鮒

    紫井戸の近くにあった池の鮒はすべて片目しかない。

    星占いの池/星見の池

    久保田町の履脱天満宮の池は周りに木が茂り、昼間も暗く、星が映って見えるという。
    →単に木漏れ陽が水面に映っただけじゃなかろうか?

    こんにゃく橋

    花園町から南堀端へ出る交差点付近に1mほどの溝があり、そこに架かった石橋は踏むとこんにゃくのように動く。

    松山の七不思議

    松山城のまないた石

    妊婦の腹を切り裂いたまないた石。妊婦や胎児の泣く声が聞こえる。

    松山城の戸なし門

    門限に遅れた腰元が自害してから、門の戸を取り外したという。

    長者が壇(長者が平)

    ある男が神託を守って長者になったところ。
    →貧乏になった長者の話

    桝洗池

    長者が桝を洗ってもと通り貧乏人になったという池。

    おたたの御料櫃(ごろびつ)

    →「おたた伝説

    八股榎

    →「狸伝説

    女狸「八豊雲陀申女」

    →「狸伝説

    この女狸像は写真に写らないという。


    伊予の七不思議

    逆うち(四国全般)

    遍路の順路を逆に回るとどこかで大師とすれ違うという。

    石手寺の玉の石(松山市)

    衛門三郎が再生して国司の子として誕生したとき、手に握り締めていたという石。

    道後温泉の温泉碑(松山市)

    聖徳太子(一説によれば百済の阿佐太子ともいう)が建立したという。
    今も地中に埋まっている。
    堀り出すと温泉が濁るという。

    義安寺薬師堂の石(松山市)

    この石の平面は壁のように塗り立てている。
    これが剥げると大災厄があるという。

    真暫寝哉[ふみたけび石](松山市)

    少彦名命が霊泉に浴して病が癒えたので、この石の上で踊ってその足跡が残ったという。

    止呂ヶ淵(西条市)

    ヘビの子をうんだ薄雲姫がそれを恥じて身投げした淵。近くに大蛇が棲むという風穴がある。

    大保木のお姫桜(西条市)

    東方の枝に花が咲かないときは西の方に凶事がある。枝を折ると血が出る。

    姥桜の伝説

     昔、ある長者(角木長者=すみのきちょうじゃ)が子供に恵まれず、松山の西山の麓、太宝寺のお薬師様に願かけをした。
     願いが叶って、女の子が生まれて、露(つゆ)という名前を付けた。
     大事に育ててきた乳母の乳が急に出なくなったが、お薬師様に七日の願をかけたおかげで治り、そのお礼に長者はお堂を建てた。それが太宝寺の本堂だという。
     お露は美しい娘に成長したが、15歳の時に病に罹り、乳母は我が命に替えてでもお嬢様を助けて下さいとお薬師様にお祈りした。その甲斐あって、お露は元気を取り戻したが、乳母はその約束だといって薬も口にせず、「お薬師様にお礼として桜の木を植えて下さい」と言い残して死んでしまった。長者は乳母の言葉通り、桜を本堂の前に植えた。
     不思議な事に、桜は枝なしに幹から2〜3輪花が咲いた。その花の色は母乳のような色で、花はまるで乳母の乳房のようであったという。皆これを「乳咲き」といって大層珍しがったという。
     この話は明治時代にラフカディア・ハーン(小泉八雲)の手で英訳され、英国・米国で出版された「怪談(Kwaidan)」にも収められている。

    薄墨桜

     この桜の木には、こんな話が伝わっとらい。
     昔、昔、どの天皇の時代じゃったろか。お后がご病気になられたんよ。天皇は全国の寺々に命じて、お后の病気が治るようにお祈りさせなさったんと。
     そのころの西法寺というたら、広い境内にたくさんの寺が立ち並ぶ、それは見事な寺じゃった。その寺一山をあげてお后のご病気が治るようお祈りをおしたそうな。まもなくお后はすっかりようなられた。天皇はたいへん歓ばれ、お使いにお礼の手紙を持たせて西法寺にお届になったんよ。その手紙が薄墨色の紙に書かれとったんで、それからは寺の桜を薄墨桜というようになったんじゃと。
     もうひとつにはこんな話もあるんじゃ。
     都で、歌人の藤原良盛さまがお亡くなりになって、その遺体を火葬にしたんと。するとその煙がかかった桜は、みんな薄墨桜の花を咲かせるようになってしもたんと。その桜を西法寺の境内に移し植えたということよ。
     まあ、いずれにしても薄墨桜とはいうけんど、薄桃色の花びらのようけある、綺麗な花よ。

                     「松山のむかし話」より


    孝子桜


    奥方に化けた古狐【松山市道後公園】

     道後公園の中にこんもりとした小さな山があるが、ここには400年ほど昔、湯築城という河野氏の居城があった。河野通直という名前の城主が4人いたが、3人目の通直公のときのことである。
     ある日、奥方が突然二人になってしまった。この二人は背丈から何からうりふたつで、どちらが本当の奥方か見分けがつかなかった。途方に暮れて医者に見せても「何ぞ魂が分かれる奇病かもしれん」というだけでさっぱり埒があかなかった。
     その時、通直公は
     「いい考えがある」
    といい、二人の奥方を座敷牢に閉じ込めてしまった。そして牢内の奥方に何も食べ物を与えてはならぬと家来達に申し付けた。
     4日後、食べ物を差し入れ、通直公は二人の食事ぶりを眺めることにした。すると、一人の奥方は落ち着いて箸を運ぶのに対し、もう一人はガツガツとむしゃぶりついている。それを見た通直公はただちに取り押さえた。すると、古狐が正体を現した。
     通直公は大層腹を立て、この狐を火あぶりにしようと、庭に積んだ薪の上に吊るした。そのとき、大小3000匹の狐が城にやってきて、代表格の狐が懇願した。
     「この狐は貴狐明神の子孫で、四国狐の統領です。焼き殺そうならば、きっと領内に災いをもたらすでしょう。お助け戴くならば、必ずやこの御恩に報いましょう」
     通直公は
     「それならば、今回限り許してやろう。但し、今後はこの四国の地から出ていくのだぞ」
    と狐の縄を解き放し、逃がしてやった。
     その日を境に、四国の狐は船に乗って中国地方に渡ってしまい、四国から狐は居なくなったという。

    →c.f.弘法大師が狸を四国から追い出した伝説


    潮の満干を知らす松【松山市畑寺 繁多寺

     海から遠く離れた繁多寺の地に潮の満ち干きを示す松の木が生えている。潮が満ちたときには、その幹はしっとりと濡れて塩味がする。そして潮がひけば乾いて水気が無くなるという。
     昔2本あったこの不思議な松は一旦枯死してしまったが、その種が飛んで今でも子孫を残しているという。

    貧乏になった長者の話【松山市城山】

     今の城山の麓の毘沙門坂辺りに貧乏暮らしをしている男がおり、毎日毎日大金持ちになりたいと考えていた。
     ある日のこと、湯山横谷の毘沙門天への百日祈願を始めた。毎日5kmの道のりを日参し、境内に生えている竹を1本ずつ持ちかえり満願を心待ちにしていた。
     99日目の夜、毘沙門天が夢枕に現れ、
     「熱心なお前の願いを聞きいれてやろうではないか。但し、持ち帰った竹は全部もとの場所に戻すのだ」
    と告げた。男は大層驚いて神託に従って竹をもとの場所に戻し、深く詫びを入れた。
     その事があってからというものの、男はやることなすこと万事が好転に結びつき、忽ち巨額の富を手中に収めた。そして山の中腹に邸をを建てた。この山の中腹の広場が現在の長者が平である。
     男が大金持ちになってからというものの、言葉を交わしたこともない親族縁者から始まって、見知らぬ者までが縁故にかこつけて物乞いに訪れる日々が続いた。こうなってくると、金を持っていることが段々わずらわしくなってきた。
     「やはり昔の貧乏暮らしの方がええのう」
     今度はどうにかして財産を無くすことを考え始めたのだが、意に反して財産は増え続けるばかりである。困った長者は思案に暮れていた。
     ある日のこと、旅人が長者のもとを訪れた。この旅人に悩みを相談すると、
     「何、お金をなくすことなどたやすいもんよ。一升の升を池で洗うて、うつぶせにして底を叩いたらええわい」
    と教えてくれた。
     早速長者は実行に移し、麓にある小池で升を洗ってみた。すると。その日から財産はじわじわと減っていき、気が付くと元の貧乏暮らしに戻ってしまった。そして終いには屋敷の中で飢え死にしてしまった。飢えて死んだので、この山のことをかつえやまと呼ぶようになり、これが訛って勝山になったという。長者が升を洗った桝洗池は昭和20年頃までは残っていたというが今では影も形もない。


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