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こたろう博物学研究所
探訪記録:2003年 |
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【2003年度】
九騎峠の小屋の所で、登山道に入ろうとしたのだが、足跡が一つもついていない。先発隊は黒森の入口を間違えて林道を進んだに違いないと思い、追いかけてみるが、いつから登ったものかもわからず、先へ進めど姿は全く見えない。ひょっとしたら青滝山をめざしているのかもしれない。心配しても仕方ないので、九騎峠まで引き返し、足跡一つない登山道をゆっくりと踏みしめていく。 登山道には相変わらずスズタケが蔓延っている。背丈以上の笹葉には、今週初めからの雪をいっぱい携えている。両手で掻き分けながら進んでいくが、前半身は忽ちずぶ濡れ状態に陥る。
小休止後、尾根道を進む。歩き始めて1時間半(11:30)で黒森山頂に到着。青空の下、三ヶ森、石鎚連峰が眼前に広がる。一面が雪景色である。二ノ森〜西冠〜天狗岳の頂上部は厚い雪雲に覆われていて観ることはできないものの、登ってきて良かったと思わせる風景である。 昼食をとりながらくつろいでいると、松山からの夫婦連れが山頂へと到着(12:00)。それから間もなく6人連れ(松山より来山)がやってきた。やはり、登山口を見落としたらしい。
石鎚の頂の雲が晴れることを期待しつつ、山頂に1時間20分ほど滞在したが一向に晴れる気配が無い。止む無く、下山することにする。(12:50) 登山中にリュックサックの袖に止めていたステッキを落してしまったので、注意深く探しながら山を下っていく。幸いにも念上峠よりやや北側の雑木帯の中で見つけることができた。半分諦めていただけに、すごく得した気分になり、軽快な足取りで下山する。
九騎の集落で6人組に別れを告げ、登山モードから散策モードへと切り換える。まずは、近所の初老の男性に九騎鉱山についてインタビューする。 昭和初期の約5年間、この地は硫化銅の鉱山として栄え、当時は約100人の人々が仕事に携わっていたそうである。今はその面影さえも偲べないほど静まりかえっている。
(以下詳細略) 【今回の探訪地】 ・滑川渓谷、八重姫の墓、塩嶽
・三島神社(川内町則之内)
(NHK松山放送局 だんだん5 ロケ→)
●正一位白髭稲荷大明神 ●宮田愛明氏〜地方自治と産業振興の功労者 ●木蝋のこと ●本芳我家住宅 ●常設活動写真館 旭館 (2).六日市の街並み散策
(3).八日市再び
(4).昼食がてら小休止
(5).大瀬散策
(6).帰りがけ ●道の駅ひろた
・7:30過ぎに松山を出発。 ・9:30少し手前に朝倉村役場前に到着。 ・10:00、野々瀬コース、須賀神社からの支尾根コース、野田コースの3グループに分かれて清掃登山開始。ワシは野田コースより登る。 ・道中、南方に目をやれば、天道ヶ頭、楢原山、五葉ヶ森などが見渡せる。勿論、今から上ろうとする笠松山も目の前に凛々しい姿を見せている。 ・墓地の脇を通る。岡姓の墓碑が夥しい。なべちゃんが、「笠松城の支城・出城の城主の系統だよ」とガイドしてくれる。 ・須賀神社へと続く上り道を行く。嘉永七寅年の注連石が立っている。須賀神社境内地に、以前は国土地理院の標準点があったらしい。(これもなべちゃんの情報)※地図上は、4等三角点「須賀」(標高67.3m)が未だ存在するはずなのだが…。 ・天満宮前を通過。立ち寄りたい感に襲われるが、それは今日の主目的ではないので断念せざるを得ない。 ・頓田川水系の笠松川に架かる「笠松橋」をわたり、川沿いに歩いていく。川はジュスダマ(イネ科)で覆い尽くされている。 ・野田からの登山口へ。沢沿いの登山道を上って行くのだが、想像したよりも遥かに快適な道である。道標も立てられており、よく整備が行き届いた格好のハイキングコースである。 ・野田古墳3号脇を通り過ぎる。この辺りは「野田古墳群」と呼ばれるだけあって、多くの古墳が存在するようだ。 ・ほどなく砂防ダムに辿り着く。階段やベンチなどもよく整備されている。これは国立公園に指定されているためか、それとも朝倉村及び住民の皆さんのご努力の賜物か。 ・山を覆うのは花崗岩の風化によって出来あがった粗い砂・土で、見た目には脆い感じがする。現実、この野田コースの登山路は一部崩落してしまっており、迂回路が新たに設けられていたりする。 ・植物としては、シダが矢鱈と目立つ。季節が季節だし、花など咲いていないだろうなと思いきや、登山道の傍らに時折可憐な薄紫色のスミレの花が姿を現し、気を和ませる。 ・段々と高度を稼ぐに従って、風景が開けてくる。朝倉村全域が展望でき、やがて別の登山コースとの出合いに至れば、来島大橋を始めとする瀬戸内海の多島美の風景が眼前に開けてくる。 ・薬師堂下には広場が設けられている。トイレ有り。ここも眺望抜群。今治の市街地の風景が指呼に広がる。 ・笠松山には、河野四郎為世の隠居城「笠松城」があったといわれる。そして、篠塚伊賀守がこの城に拠ったという。 ・笠松山観音堂は、篠塚伊賀守が笠松城から落ちのびる際、兜の内側に秘めていた一寸八分の黄金観音像を安置したものだという。 清掃登山に同行した朝倉村婦人部のおばちゃんたちは、「せっかく来たんじゃけん、拝んどかんとなぁ」と屈託の無い笑顔で、大きな拍手を打ちながら拝んでいた。「あ、あのぉ...。ここって観音さん祀っとんよね?」と控え目に囁くと、一人のおばちゃんが「そうよそうよ、ここ観音さんじゃけん、あんたら手ぇ叩いたらいかんで」とワシの云いたい事に気付いてくれたのだが、「ええんよ、ええんよ。とにかく拝んどったら」と聞く耳を持たない。 この堂は何度か立てかえられた経緯があるようだが、傍にある碑には「大正10年笠松山本堂再建 四月吉日」と刻まれている。 ・山頂の観音堂の西側には、城跡らしく石垣が築かれている。その石垣の上部に設けられていたであろう木造の手摺は、今は朽ち果ててしまっている。まぁ、こっから落ちてしまうような人は殆ど居ないだろうが、美観上好ましくなく、何とか修復してもらいたいもんである。 ・平和薬師堂の脇(南側)が最高点ピーク。どうやら国土地理院の地図上では340m超えであり、公称の標高328mよりも高いようである。 ・このピークも見通しは抜群。360°のパノラマの風景が楽しめる。 ・晴れていれば石鎚の山々も見通せるというが、今日は生憎の曇天。 ・タオル美術館、今治カントリコースの姿も確認できる。 ・世田山への縦走路には黄葉が広がっている。 ・四国八十八ヶ所霊場・仙遊寺が鎮座する作礼山の姿も見える。 ・関前村の岡村島と広島県豊田郡豊町の大崎下島を結ぶアーチ橋も確認できる。 ・満願寺・金毘羅宮の背後に聳える霊仙山も容易に山座同定できる。 ・東側には湯ノ浦、四阪島なども見える。 ・ここで昼食をとる。そして、記念撮影。 ・一段落した後、ここから世田山までの縦走へと移る。薬師堂の脇の道標には、「世田山まで1.1km」と記されている。この道標、一見「四国のみち」のものに見えるが、「歴史のこみち」と書かれている。 ・縦走路の途中に、二等三角点の標石があった。「笠松山」。標高は327.73m。 ・世田山山頂到着。標高339m。界第4号の標石が建っている。やや南側にトイレ有り。その脇の木には、「西条営林署 国有林」の看板が垂れ下がっている。 ・ここも眺めは良好。 ・永納山を見下ろす。山肌に所々ブルーシートが貼られているのが見える。おそらく遺跡・古墳の発掘現場なのだろう。 ・河原津の美しい白砂の海岸線もみえる。その先には東予市街〜西条〜新居浜が連なっている。 ・下山後、水大師前で流れ解散。せっかくなので、野々瀬古墳1号墳(七間塚)を観察しに行く。 ●Part.2:朝倉村散策 ・朝倉村役場前を観察。 昭和47年、昭和51年にこの地方を襲った集中豪雨による河川氾濫・土砂流出による災害からの復旧を記念した「災害復旧記念碑」(昭和55年3月建立)、「朝倉之里」碑、「朝倉村民憲章」、朝倉村案内図看板などが見物か。 ・頓田川沿いに下る。河川敷に設けられた金毘羅公園の風景を楽しみつつ進むと、なにやら神社のようなものが道端に建っている。車を停めて観察すると、「木の丸殿」であった。「木の丸殿改築/御旅処造営記念碑」や、文化九年に奉納された手水石なども見ることができた。 ・千歳橋の袂に狛犬がお出迎えしてくれる。ここから満願寺へと道がまっすぐに伸びている。「何で寺の参道に狛犬がおるん?」と言いたいところだが、満願寺奥には金毘羅宮が鎮座しているのでなんら不思議なことではないのである。 ・満願寺の駐車場に着くと、1台の大きなバスが停まっている。新四国曼荼羅霊場めぐりのツアーだろうか?・一夜彫の町石、朝倉の巨木に指定されているモミノキ、シグレザクラ、真紅の紅葉に彩られた英霊堂、鐵定上人頌徳碑などを見学。 ・収獲は、満願寺絵馬堂裏側に冬桜が咲いていたこと。ひょっとしたら普通の桜が狂い咲きしていただけかもしれないが。いやいや、ひょっとしたら同じ朝倉村内の竹林寺にある「四季桜」〜秋冬春の三度咲く〜の株分けしたものかも? ・本堂(瑠璃殿)、不動堂、実盛供養塔(県指定文化財、昭和55年3月指定)、鐘楼などを眺めながら金毘羅宮境内へ。そして更に、奥の院・大師堂へと上る。 ・満願寺の下を流れる頓田川水系満願寺川に沿って南へ移動。八幡大神/真宮明神に立ち寄る。めずらしく、拝殿・本殿を取り囲む回廊が設けられている。境内地に建つ「回廊改築と特別寄進について」の碑によれば、拝殿の改築と同時に神殿裏の谷に於て県の防第八号治山工事が施工されることになり裏谷の杉桧を伐採しなければならなくなったので、この木材を利用して回廊を改築したという。 ・折角朝倉に来たからには、下朝小学校の肩切り地蔵とエノキも観察しておかねば。 ・そして多伎神社奥之院のふすべ岩(燻岩)探しへと繰り出した。残念ながら曇り空の夕暮れ間近だったので、車を降りての歩きは断念したが、箒桜の立て看板をチェックできたので、目的は半分達成できたと見てよかろう 竹箒を立てた形に似ているので箒桜と称されたらしいのだが、それらしい桜の木はどこにも見当たらない。道端に朽ち果てた桜樹があるものの、どうも銘木とは云い難い有様。まさかこれではないだろう。 ・それとオマケながら、林道古谷小鴨部線を上りきったところからの今治平野の風景が眺めが思いのほかよかったことはラッキーであった。晴れていれば尚更よかったのだが。 ・山登りと村内散策で満足しながら家路へと向かう。途中、玉川町の国道脇で目に留まった三島神社(玉川町長谷)、大師堂(玉川町長谷)で道草を食ってしまった。
大木社/金刀比羅社(松山市高木町) 高音寺(松山市高木町) 伊予かすり会館(松山市久万ノ台) 丸山(松山市北斎院町)
(NHK松山放送局 だんだん5 ロケ→)
・唐岬の滝入口駐車場(10:00)
・肩部(10:55〜11:15)
尾根道を歩きはじめる。道沿いのブナ林の黄葉を期待していたのだが、こちらも期待外れ。まだ色付くには少々早かったようだ。花にも全く巡り会えず。中間の展望の良い岩場のところで、竜胆(りんどう)が申し訳程度に一輪咲いていただけである。 ・石墨山山頂(11:35)
・南面探索(11:35〜12:00)
・石墨山山頂(12:00〜13:00)
・法師権現山(13:20)
途中、引き抜かれた三角点標柱らしきものが岩場のところに横たわっていたが、側面には「三角...」の文字の他「久万町」と記されている。どうやら国土地理院の建てたものではなさそうだ。1/25,000地形図を眺めてみても、この辺りには三角点らしきものは見当たらない。 間もなく法師権現山山頂に到着。小木に囲まれて、余り景色はよろしくないが、それでも木々の間から辺りの風景が見渡せはする。自然石の石仏らしきものが1基。これが「〜権現」と呼ばれる所以なのであろう。謂れについては詳らかでない。 ・唐岬の滝入口駐車場(14:40)
・唐岬の滝(14:55〜15:05)
・雨滝(16:00〜16:05)
久し振りに「探訪記」らしく纏めてみた。
(1).企画展示「温泉郡の文化財」 2.天満神社(重信町志津川)
3.除の堰堤(重信町山之内大畑乙62) ●山之内観光案内図 4.烏ヶ嶽城跡
5.稲荷五社神社(重信町山之内柚ノ木)
★美々谷川、大野谷川 6.小学校跡キャンプ場(重信町山之内神子野)
7.福見山(寺)、明神ヶ森登山口(重信町山之内) 8.南朝最後之帝 長慶天皇行在之地 碑 ★麓橋、麓谷川 9.総東風神社
★菖蒲堰遊園地 10.北方三島神社(川内町北方 上海上)
11.樋口神社(重信町樋口 菖蒲)
12.水天宮(重信町横河原) 13.枝朶下池(松山市北梅本町)
14.明神ヶ城、行基山城
[大洲市] ●室戸道路改良碑
●稲荷山公園
●法眼寺
●功労者顕彰碑
●大洲市立新谷小学校
※中川東川沿いに歩き、近所の人に「新谷の怪樹・竹柏樹(ナギノキ)はどこにあるんですかね?」と尋ねてみるが、全く知らないという。「ムクエノキのこと?」という反応はあるのだが。 ■和霊神社のツブラジイ A・B・C ■香渡晋先生紀念碑 ●善安寺
●大恩寺
●地蔵
●馬くびり(まくびり)…地名 ●下組集会所の御堂 ●春日神社
●鬼政の碑 ●ほたる広場 ●栖源寺 ●三島神社 ●三島神社 ●「自然とロマンの里 柳沢」の案内図 ●長老淵渓谷
●吟聖 山田積善先生誕生の地 曹洞宗大功山 宗安寺 奥ノ院 三尺坊大権現秋葉社 案内板 ●一の宮神社
●宗安寺
●秋葉山
●矢落川のゲンジボタル発生地 ●柳沢三島神社
●三島神社 ●高山(高山寺山)
●高山ニシノミヤ巨石遺跡(高山メンヒル) ●粟島神社 [宇和町] ●福楽禅寺 ●樫木(かたぎ)駄馬古墳 ●坂戸古墳
[野村町] ●安楽寺
●深山の利助さんが運んだ大石
●野村四国八十八ヶ所巡拝霊場 ●野村ダム
●河西名水(自然湧水) ●河西の道しるべ ●日切地蔵
●下川橋 ●高智神社 ●皆田小学校
●愛媛県立歴史文化博物館
●43番明石寺奥之院
●明石寺
●新田神社
●田之筋のせりわり←勝手に命名 ●鳥坂峠
・銀杏通り町内会の奉献した赤い幟が1本、小祠の右側に立っている。 ・赤鳥居。 ・傍らには、「狸名は おさんと呼ばれ 月おぼろ 一貴」の句碑がある。 ・小社の左側には往古を偲ばせる銀杏の木が1本。 ●金石常夜燈 ・「石鉄山」(南面)、「大神宮」(東面)、「金毘羅」(北面)、「天保十四癸卯年四月」(西面) ・天保14年は西暦1843年。 ●石達磨 ●宇佐八幡宮/下吾川児童遊園地 ●増福寺 ●湊神社 ●宮内邸 ●栄養寺 ■正一位稲荷瘡護(かさもり)大明神 ●重信川河口
「そういやツリガネニンジンやコバギボウシが龍神平に咲く頃やなぁ」と思い立ち、またもや皿ヶ嶺へ向かうことにする。今回も畑野川からのお手軽コースを用いることにしよう。 重信町上林の林道を登って行く。標高500mぐらいのところの道路の脇で、薄紫の花の群落を目にする。コバギボウシだ。周りにはハガクレツリフネ、クサアジサイなども咲いている。このように山頂に至らなくとも色んな場所で花を楽しめるのが嬉しい。皿ヶ嶺はこれだから止められない。 水の元のそうめん流しは相変わらず盛況ぶりを示している。いつもの如く、そうめん流しに興じる人達を尻目に昼食用の水を汲んで、さっさと登山口へと向かう。 登山口入口では1輪のヤマジノホトトギスが待ち構えていた。気分を良くしながら、沢沿いの登山道を登る。あっと言う間に龍神平に着く。 龍神平を1周。お目当てのツリガネニンジン、コバギボウシの他、オミナエシ、カワラナデシコ、ハンカイソウ、ヌマトラノオ等の花が咲いている。しかし、以前にも増して笹が湿地帯を侵蝕してきているのが、ちと悲しい。 さて、そろそろお昼だ。どこでメシを食べようかと考えるのだが、湿原の中に先客が1組陣取っている。愛大小屋にも1組の家族が泊まりこんでいる様子。何となく落ち着かないし、雨もパラパラと落ちてきたので、ブナ林の中に入りこんで昼食をとる。 余り天気もよろしくないし、お目当ての花を見ることもできたので、今日は山頂へ向かわず、すぐさま下山することにする。 帰りがけ、ヌタの元池、花山城趾に寄り道。そして「ほろせ岩」の所在確認へと移ったのだが、雨足が強くなってきたので気乗りしなくなり、伊予市立図書館へと向かう。
(NHK松山放送局 だんだん5 ロケ)
(NHK松山放送局 だんだん5 ロケ)
千手杉、七本杉など、杉の巨樹を観察後、北条市横谷へと下りる。 「甲森塚」への登り口を見つけるが、今日のところは断念。
咲いていた花はヘクソカズラ、ヨウシュヤマゴボウ、ママコノシリヌグイなど。余り花を目にすることができない。
咲いていた花はヤマハギ、アサザ、ツユクサ、アジサイなど。 ボランティアグループによる草ひき、清掃が行われていた。
お目当てのササユリにもめぐり合えた。登った甲斐があったというものだ。 しかし、腹立つ事が一つ。登山前、上林トンネルからやや下ったところの林道のコンクリート壁の上部にササユリを一輪見つけ、「へぇ、こんなところにも咲いとるんじゃなぁ」と感心してカメラ撮影をしたのだが、下山してみると忽然と姿を消しているではないか。普通は気付く人もいないような場所。この日はササユリ目当てかどうかわからないが、訪れる人が多かったのだが、きっと僕が撮影しているのを見ていた人が持ち帰ったに違いない。「野にあるものは野にあるからこそ美しい」「来年もまたこの場所で巡り合えるだろうか」などと思っていたのに、半日も経たないうちに姿を消す羽目になろうとは。こんなことなら、撮影などしなければ良かったと後悔しつつ、持ちかえった者の不届きさが腹立たしくてならない。
福徳泉親水公園→神寄川→松前町立図書館→金蓮寺→長徳寺→不動院
護国神社では、夏越の神事・「大祓」が執り行われていた。 6/20、飲み会の2次会で店に入り、ボックス席に着座した途端、携帯電話のベルが鳴った。
重信川の堤防より周辺を一望するが、どの山も霧で白く煙っている。 6月の山の花々を是非共カメラに収めたいのだが、雨にやられてもマズイ。カメラが水に濡れて、ちゃがんでしまっても困る。などと思いながら、車で山頂付近まで行ける山・高縄山へと車を走らせることにする。 国道317号線を石手川沿いに進む。九川入口を左折すると、道端に黄色い花がいっぱい咲いているのが目に留まる。キツリフネだ。ここから高縄山に至るまでの道沿いでは、このキツリフネをはじめ、ホタルブクロ、ツクバネウツギ、コガクウツギなどが至るところで花開いている。
2.阿弥陀寺・福成禅寺 3.長浜大橋・江湖 4.無事喜地のタブノキ 5.大戸相撲及貯木場由来碑 6.戒川道しるべ 7.壷神山▲ 8.十二神社 9.慈光寺 10.客神社
ウツバリ峠を目指して来たものの、林道入り口には地主さんの「入山禁止」の看板が掲げられている。これに気分が萎えてしまい、目的地を五明に変更する。
(1).アスレチック広場
(2).五明▲
(3).タケノコ山▲・菅沢石鎚▲
上山池横の汚水処理場を取り囲む道路の路側に車を停めて、タケノコ山を目指し、軽四1台分の幅の道を歩き始める。ほどなく「野外活動センター竹林」と書かれた看板が見えてくる。そこからほぼ水平な巻き道進んでいくと竹林に突入。なるほどタケノコ山というだけはあって、立派な竹林が続いている。
(以下詳細は省略) 2.佛性寺
草刈山▲
奥之城山▲
頂城▲
桜谷山▲
常光寺山▲
忽那神社(北斎院町)
素鵞神社(北斎院町)
岩子山(北斎院町/南斎院町)▲
御産所山(別府町/衣山4丁目/南斎院町)▲
明神丘(明神丘)▲
藤原純友館跡
常福寺(山西町)
勘左池の碑(久万ノ台)
衣山(衣山3丁目/久万ノ台)▲
成願寺(久万ノ台)
薬師堂
一畑薬師如来
オオムラサキ
虚子句碑「盛りなる
花曼陀羅の 躑躅かな」
石灯篭
杏史句碑
久万ノ台公園(久万ノ台)
久万ノ台遺跡
船ヶ谷池(船ヶ谷町)
北山(船ヶ谷町/桜ヶ丘/東山町)▲
東山:松山市上水道三津配水池(東山町)▲
西長戸公園(西長戸町)
駒ノ爪池(西長戸町)
素鵞神社(西長戸町)
国見峠(桜ヶ丘/太山寺町/松ノ木2丁目)▲
新池(堀江町)
祇園神社(堀江町)
花見山[花岡山](堀江町)▲
花見山城跡
北寺跡(福角町)
日吉上池(福角町)
八坂熊野神社(権現町)
木野山神社(東大栗町)
碑(東大栗町)
常夜灯(東大栗町)
目魯止神社(北条市西谷)
名も無き神社(北条市西谷)
妙見神社(北条市西谷)
五輪塔(北条市本谷)
雲門禅寺(北条市本谷)
宇佐八幡[北向八幡]神社(北条市磯河内甲345,346/小川)
横田青水句碑「誓立つ
かしわでの音や 初明り」
井手神社
おかよ地蔵
松山学院夜学校跡
お囲い池跡
西法寺
上京屋浄庵さんの祠
日尾八幡神社
牛峯山▲
愛宕山▲
愛宕神社
薬師堂
如来院の戦跡
繁多寺
淡路ヶ峠▲
千福寺
小野小学校艸創之地
正岡子規句碑「火や鉦や
遠里小野の 虫送り
明星院
西国・阪東・秩父百観音勧請碑
波多野二美句碑「ほととぎす
鳴く山門に 着きにけり」
福寿観音
塩釜大明神
百観音堂
小野山正観寺
愛媛県立美術館 愛媛県立博物館 堀之内東御門櫓台石垣跡 「この石垣は、国指定史跡松山城跡の通称堀之内(三之丸)の通用門(櫓門)に伴う石垣の一部です。江戸時代の東御門は櫓門と呼ばれる二層のたいへん大きな建物で、その両脇に配置された大規模な石垣は、門の建造物とともに城の守りを代表する施設でした。 平成七年度からの発掘調査で、すぐれた石積技術により造られ、詰石(間に詰める小さな石)がすき間なく配置されたその石垣の見事さは、松山城本丸の石垣に匹敵するたいへん立派なものです。 この東御門は、その大きさはもとより、石積技術の精度の高さからも、松山城の重要な門として位置づけられていたものと思われます。」 旧制松山中学校跡 河東碧梧桐句碑 松山電信発祥の地の碑 八股お袖大明神 村上半太郎胸像(JAリジェール松山前) 正岡子規誕生地 井上正夫像 正岡子規句碑 日切地蔵 薬師寺
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