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こたろう博物学研究所
探訪記録:20020210 |
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氷結高瀑観瀑紀行【平成14年(2002)2月10日】0.観瀑前夜以前から「媛の滝」を主宰しているタックさんと「いっぺんは一緒に観瀑ツアーに行かんといかんねぇ」と話していたのだが、2000年7月の黒滝観瀑も結局大雨にみまわれて断念。それから「またの機会」と言いつつ延び延びになってしまっていた。今回、タックさんの滝巡りオフ掲示板の企画で高瀑行きの話が持ち上げられたので、これに乗らない手はない。しかし参加表明したものの、1月、2月と仕事の方がくそ忙しい。高瀑行きの直前の2月8日には東京出張。おまけに、その日の夜と行き帰りの飛行機の中で、今度出版する本の最終稿の見直し・校正を行い、松山へ帰って早々に出版社に原稿受け渡しに行かねばならない。松山空港から出版社までの移動途中で会社から電話が数回入る。「今回も観瀑計画はボツかぁ!」と心中穏やかでなくなるが、どうにか休日出勤は免れた。 自宅に帰ってからは、ほぼ1ヶ月溜め込んだメールの返事や掲示板のReplyに勤しむ。「よくもまぁこんなに溜め込んだもんだ」と呆れ返りつつ、返信遅延の失礼を詫びた内容のメールを書き続ける。気付かぬ間に日が落ちてしまっていた。
夕食・入浴を終えた後、早朝出発を目論んで早目にベッドに潜り込む。しかし遠足前夜の子供のように、夜遅くまでなかなか寝付けない。ベッドからもそもそと這い出てリュックの中身を確認したり、地図を眺めたり。「ええ歳したおっさんが、そんなに舞い上がってどうすんのよ」と自分に言い聞かせ24:00に就寝。
1.観瀑に移るまでいつもより2時間早い就寝だったせいか、それともやはり舞い上がってしまっているのか、朝5時には目覚める。出勤日は7時になっても布団から抜け出せないような人間なのに、まったく現金なものだ。5時半から真っ暗な中、愛犬の散歩に繰り出し、6:00ちょい前に家に戻って昼食用の米をラップに包み込む。取材道具一式をセカンドバッグに詰め込み、6:30意気揚々と自宅を出発。 いつもの如く、県道23号線(伊予川内線)経由で国道11号線に出る。朝早いせいか車の流れは至って順調である。 小松町を抜け、西条市氷見より県道142号線(石鎚伊予小松停車場線)へ右折。黒瀬峠にて更に右折して、黒瀬湖畔・加茂川沿いの県道12号線(西条久万線)をひた走る。途中で、トイレに行きたくなった(そういや、自宅で済ましてくるのを忘れてたなぁ....)ので、大保木の「石鎚ふれあいの里」に一時立ち寄り。さっさとトイレを借りて用を済ませれば良いものを、石鎚観光パンフレットが並んでいるのが目に留まり、こうなると貰いにいかねば気がおさまらない。便意もどこへやらである。(とか言いつつ、出すべきものは出したのだが。) 一段落ついて時計に目をやると8:00。待ち合わせの時間まであと30分少々ある。待ち合わせ場所は小松町諏訪の諏訪神社、県道142号線の終点だから、距離にして5〜6km。途中で道草食っても十分間に合う。 (1).古長河内神社【西条市西浦】 まずは、西浦の古長河内神社に立ち寄る。何の変哲もない、村の鎮守といった感じの神社である。境内末社は三社宮と岡八幡神社の二社。三社宮のほうは、数多くの神社を合祀したと見え、寄り合った神々をずらずらと列挙した額が小さい社に懸かっている。それを見ると、どうやら中奥地区のあちこちに祀られていたものを一郷一社として纏めたようだ。 その数、実に16社である。一参拝で16の御利益が戴けるようで、非常に有り難い思いがしてくる。どっかのキャラメル(グリコのアーモンドグリコ)の古のCMのように「一粒で二度おいしい」気分である。 (2).三碧峡 加茂川と河口谷の合流点近くに三碧橋が架かっている。橋の手前に車を停めて、散策開始。
三碧峡は「西条市名水・名木50選」(平成3年3月選定)の一つに選ばれている。この三碧峡という名前は井上万寿蔵氏により、「渓谷を彩る緑色片岩、流れる水の青、茂る木々の緑」の三つの碧から成ることにより名付けられたという。橋から下を見下ろせば、その名の通りの三つの碧が織り成す美しい風景が広がっている。今は石鎚ロープウェイへ向かうまでの単なる通過点に過ぎないのだが、この風景を見過ごすのは少々勿体無い気がする。 橋を渡って河口谷の左岸側の道路の側壁に「石鎚マップ」が懸かっている。その上部に「曽我部七蔵翁頌徳碑」が建ち、そこから南へと続く径の向こうに神社が建っているのが目に入るが、余り深入りしていると本目的である高瀑行きの待ち合わせに遅れてしまう。次回探訪時のお楽しみにとっておくことにしよう。 (3).石鎚神社遥拝所 といって車を再度走らせるのも束の間、河口の三叉路から20〜30m少し進んだところに鳥居が見える。「もうこれだけに止めておこう」と自分に言い聞かせて、車を停車し、チェックに移る。ここは石鎚神社遥拝所。階段の登り口には「石鎚神社参拝黒川道」の道標が建っている。 創建時期などを記したものは見当たらないが、成就社までの道中安全を祈る、「前の宮」的な意味あいで建立されたのであろう。 狭苦しい境内地の脇には、川中講記念碑、以和貴講結成記念碑など、かつては講付き合いが盛んであったことが伺えるような碑が残されている。何の功績があった人かは不明だが、京野亮圓翁頌徳碑なる小碑も見える。 (4).虎杖(いたずり) さだまさしが関白宣言で「俺は浮気はしない、....しないんじゃないかな、まちょと覚悟はしておけ」と歌っているが、これに似た調子で、意志というものは段々と薄弱化してしまうものである。もう待ち合わせの約束の時間は刻々と近づいているのに、周桑農協小松支所の建屋の脇に六地蔵、折鶴が多数奉納されている小祠、ついでに赤ポストが建っているのが目に留まる。そうなると車を停めて観察しないわけにはいけない。ここまで来ると病気である。 古道の入口には「右横峯寺」と記された道標が建っている。モエ坂経由星ヶ森登山口である。いや横峰寺参拝道といったほうが正確か。いやいや石鎚参拝がメインで発展した道だから、「石鎚参詣路虎杖中継所」と呼ぶのが良いであろう。橋の向こうには成就登山口も見える。 今ではここを通る人も皆無に等しいほどに少ないのであろうが、.... うろうろと歩きまわって調べ物をしているところ、一台の車が止まり、「こたろうさんじゃないですかぁ、おはようございます」と声をかけてくる。今回の高瀑観瀑の発起人であるタックさんの車であった。「おはようございます。御無沙汰しとります」と挨拶をするが、相変わらず主目的から逸脱したイナゲな行動をとっている自分がいささか気恥ずかしい。「すぐに追い掛けますから」と一声かけ、撮るべき写真をさっさと撮って、目的地へと向かうことにした。
2.高瀑へ諏訪神社前には、本日同行するメンバー13人が既に勢揃い。全員到着を待ちながら、焚き火で暖をとっている。きっちり8:30にやってきたものの、馬鹿げた調査行動を発見されている手前、申し訳ない気持ちが先に立ってしまう。3台の車に分乗して高瀑林道を行くということで、挨拶もそこそこ、早速登山用具一式を自分の車から引こずり出し、タックさんの車に積み込む。それが終わると早速、林道での移動を開始。 未舗装・ダート道ということを聞いていたので、さぞかし厳しい路面状況であろうと予想していたのだが、想像していたよりは状態はいい。
(1).御来迎橋/御来迎の滝 「せっかくだから御来迎の滝に立ち寄ってみません?」とタックさんが声をかけ、一発目に迎えた橋を渡ったところの広場に車を停める。 事前調査でこの付近に「御来光」「御来迎」の2つの滝が存在することを確認していたのだが、最初は「ごらいこう」「ごらいごう(ごらいげい?)」と語感も似ているので、ひょっとして書き誤りではなかろうかと不安を感じていた。是非訪れてみたいと思っていたので、大賛成である。 「すぐそこにあるんですよ」という言葉通り、左岸側を御来迎橋の袂から20mほど上がったところに小振りの滝が姿を見せた。この可愛らしい滝は「わたしゃこの通り前菜的な滝ですけんど、まぁこの先にメインディッシュの高瀑がありますけんな」と語りかけているようにも見え、慎ましやかに白い水沫を落としていた。高瀑観瀑に来訪してきた人々を出迎えるような、その名の通りの健気な滝である。 (2).林道を行く 「高瀑林道」で大抵は話が通るのだが、正確には「林道折掛石鎚線(幅員4.0m、延長5.3km)」と「石鎚林道」の二つで構成されているようである。この林道折掛石鎚線を走っている間はよかったのだが、石鎚林道起点の少し手前で比較的大きなザレ場が現れる。大小の石が路面に転がっており恐怖心を煽るが、無理なく車は通行できる。 間もなく高瀑橋が見える。この橋を超えた辺りから段々と積雪量が多くなってくる。始末悪いことに、最近暖かい日が続いたせいもあっていったん溶けかけた後に今日の寒波襲来。轍の跡の部分がガチガチに凍りついている。 「『愛媛の山と自然』という本に『露峰の滝とでも名付けたい....』との下りがありましたよね?あれがそうです」とタックさんが指し示す方向をみると白い線条を垂らした滝が見える。無名といいつつ、なかなか立派な滝である。確かに名前を付けたくなってくる。そういや、この辺りに「たるみ橋」という地名を見かけた気がするのだが、ひょっとしたらこの辺を指すのだろうか。国道11号線・桜三里途中の「滝見橋」は「嶽見橋」だったが、こちらの「たるみ橋」は「瀑見橋」であり本当の滝見の場所なんだろうなと勝手な解釈をしてしまう。 この頃より道路の氷結が更に酷くなる。少し進んだところのヘアピンカーブの手前で、前を行く別パーティの車が立ち往生をしている模様。いきなり大渋滞が発生してしまう。ひとたび車を止めてしまうと、タイヤが滑って再発進が困難な状態に陥ってしまう。「はよ、前に進んでくれんかのぅ」と思いつつも、なかなか前の車は難儀しているようだ。そうこうしているうちに、自分達の車のほうもヤバイ状態に突入しはじめた。「体重が重いせいかもしれぬ、少しは体重を減らしてやったほうがいいかも」と運転手のタックさん以外は車から降り、徒歩で林道終点まで歩くことにした。 まぁウォーミングアップもよかろうと、しばらく林道歩きを続ける。雪山風景を眺めながらの歩きは退屈はしない。途中でおいわさんが「あれ北側に反射板が見えるけん、三ヶ森よねぇ」と遠方に聳える山を指差す。本当だ。三ヶ森である。そういや東側から三ヶ森を眺めたのはこれが初めてだ。 三ヶ森をながめているところへ、タックさんの車が引き返してきた。「この先は問題なく走れそうですよ」ということで、再び車で林道終点まで。9:40頃、駐車場に到着。 (3).高瀑休憩舎(高漠休憩所) 林道終点はちょっとした広場になっており、車10台ほどは駐車可能である。その広場の奥に、コンクリートブロック積みの高瀑休憩舎が建っている。六畳一間ぐらいの建物であるが、寝袋一つあれば宿泊にも困らない。公衆トイレも別棟としてちゃんと準備されている。 車を降りて、さっそく登山準備に移る。登山道上の雪はそれほど深くはないようであるが、滑って転んで落ちてしまわないためにも、軽アイゼンを着用することにする。 身支度が整ったら次は食事の心配だ。高瀑に水場はあるのか、それが問題だ。まあ道中は渓谷沿いを通るのだから水に困ることはないだろう。途中でも汲めると思ったのだが、念のため、駐車場の脇の沢に下りて水を汲むことにした。凍えそうなほど冷たい水だ。夏場なら一気に喉に流し込みたくなるほどに。 全員の登山準備が揃うまで、辺りの看板類をチェック。まずは「高瀑自然研究路」の案内看板を眺める。
「高瀑自然研究路」看板の横には、「石鎚国定公園特別地域」の立て看板が立っている。その他、休憩舎の脇には、「昭和62年度石鎚林道 施工 伊藤建設(株) 高知営林局 西条営林署」と記された標柱が深い雪に埋もれている。また、「石鎚山国有林石鎚林道地内...仮受使用者 周桑郡小松町長...期間 自 平成9年4月...至 平成12年3月...」の標柱も建っている。
(4).登山路 10:00頃より登山開始。13人の大所帯なので、6人・7人の2グループに分かれて登ることとする。僕は先発のグループに加わる。 登山路上は雪で覆われているが、多くの人に踏み固められているため意外と歩き易い。ツルツル滑るのではないかと危惧したが、その不安もどこへやらである。 最初しばらくは自然林の間を縫うように進んでいく。僕自身、木の名前も余り知っておらず、判別もままならないのだが、さすが自然研究路。しっかり樹名表示板が懸けられている。確認できたものとしては、シオジ(モクセイ科)、アサガラ(エゴノキ科)、ブナ、ミズメ(カバノキ科)、ツガ(マツ科)、クロモジ(クスノキ科)、ヤマグルマ(ヤマグルマ科)、ヒノキ(ヒノキ科)、リョウブ(リョウブ科)、ヒメシャラ、アサノハカエデ(カエデ科)、コハウチワカエデ(カエデ科)、イタヤカエデ(カエデ科)など。ぱっとみて判るのはブナ、ツガ、ヒメシャラぐらいなもんである。いやいや勉強不足を反省しないといけないなぁ。 道中、至るところで氷柱が垂れ下がっている。ミニ氷瀑もふんだんに観られる。冬ならではの風景の連続に、内心御満悦である。登山路は途中、階段があったり、ロープを掴みながら横移動するような場所があったりしたが、比較的難なく歩くことができる。思ったよりも悪くない。 歩き始めて30分ほど経ち、丸渕のところで小休止。登山開始後、タバコが無性に吸いたかったので、待ってましたとばかりに一服する。そういや、「赤のべら」「白のべら」はどこにあったのだろう。同行メンバーに尋ねると、登山開始してすぐのところにあったのだという。そうだったのか。歩くことに夢中ですっかりチェックするのを忘れていた。(そういや、「のぞき滝」はどこにあったんだろう?さっきがた見たのがそうだったんかいなぁ?) さて一休みした後は、本日一番の難所(?)の急勾配を上っていく。下から見上げると「ゲェ!こげなとこ上るんか!」という感想だったが、実際に歩いてみるとそうでもない。それでも気を抜いて滑落したらえらい事になる。慎重に一歩一歩足元を確認しながら進んでいく。勾配を登りつめたところ辺りでなべちゃん率いる後発隊の姿が見えてきた。全員無事なことを確認でき、一安心。 ここを乗り切って、林の中を進んでいくと天狗の子育て岩が見えてきた。これがウワサの子育て岩か。なるほど、確かにこれなら風を凌ぐことはできる。天狗が子育てしていたと言われれば納得もできる。しかし、こんなところに居てたんじゃ冬場は凍死してしまうだろうに。もうちょっと洞窟っぽい奥深さがあると思っていたのだが、ちょっとこれは期待外れであった。 天狗の子育て岩のところから急勾配を上っていく。少々息が上がりそうになるが、一気に登るとそこに高瀑が待っていた。 11:10頃、高瀑に到着。初めて観る巨大な氷瀑。観光パンフなどの写真では眺めたことがあるものの、実物はやはりスケールが違う。臨場感というべきだろうか、圧倒されるような迫力がある。早速、祝杯をあげおうと御神酒をバーナーで温めるの始めたのだが、本日のメンバーは生っ粋の滝好き・写真好きばかり。メシも酒もそっちのけで、休む間もなくカメラ抱えて撮影ポイントを駆け回っている。そうこうしているうちに、御神酒は沸騰寸前の状態になる。強引にタックさんにオススメして、乾杯を上げる。とは言え、下り時に足元がおぼつかなくなってもいけないので、口に含む(?)程度にしておく。しばらくすると、なべちゃんが手作りの一品(名前は何っちゅうんでしょ?)を差し入れに来てくれた。あったかくって、やわらかくって、僕好みの薄い塩味で、感謝感激である。(うーん、原材料は何なんでしょ?) さて、この高瀑。伊豫温故録には「高瀧」の名で「千足山村に在り 一に冠瀧ともいふ 石槌山中冠岳の西にあり 高さ凡百三四間 幅二間餘あり 當國第一の大瀑なれども人家より三里餘距て通路極めて険悪なれば容易に其處に到り難し」と紹介されている。当国(伊予の国)ナンバーワンのフレコミは大袈裟ではない。高さ30m強、幅100mほどの岸壁が続き、その中央に氷のシャンデリアがそそり立っている。こんな勇壮な滝は、僕の知る限りでは愛媛県内には見当たらない。この岩壁、上部は天狗岳火砕流堆積物、下部は斑状花崗閃緑岩から構成されているという。岩肌はほとんど雪で覆われていたので、じっくり観察することはできなかったが、それは今度夏場にでも訪れたときの課題として残しておこう。 メシ(本日のメニュー:梅葱粥)を食っている最中に雪が舞い下りてくる。気温は氷点下5℃ぐらいと誰かが口にする。それを聞いただけで、無性に寒くなってくる。ホッカイロを取り出して揉み倒すのだが一向に暖かくならない。されば内側からと、再び御神酒を沸かし、おいわさんに道連れ(?)に「酔いたんぼ」モードへ。しかし、やはり下山が気になるので「お湿り」モードぐらいで我慢。 雪は一向に降り止まない。「さぶい、さぶい」とのたうちまわっていると、女性陣がシチューと甘酒を振る舞ってくれた。やっぱ寒い場所ではあったかいものを腹に流し込むに限る。遠慮なくご馳走になる。(どうも有り難うございました!) そうこうしているうちに知らぬ間に1時間が経過してしまっていた。山上の一時に別れを告げ、12:40下山開始。 帰る途中で、「赤のべら」を案内してもらう。教えて貰った場所は、ナメ(滑)が長々と続く場所。「べら」とは「ナメ」のことを意味するのだろうか。「べら」と言えば妖怪人間ベムが脳裏にちらついてくる。ベム、ベラ、ベロ....。待てよ。「べら」というのは「べろ」が訛ったものではないか。「ナメ」=「舐め」=「滑」=「べろ」=「べら」という美しい方程式(?)が成り立つではないか。などと詰まらないことを考えたりもする。 「白のべらはここですよ。土砂などが流れ込んで、もう以前のようにナメは余り見られませんけどね」とタックさんが白のべらのところで指さして教えてくれる。そうか。教えて貰えなければ全く気付かないようなポイントである。なんとか、案内標識でも立てて貰えないかなぁと思ってしまう。(西条営林署さんにお願いすればいいのかな?) こんな調子で道草を食いながらも、13:30休憩舎到着。思ったよりも体力的にもしんどくはなかった。「お疲れ様でした。無事何事もなく観瀑を終えましたね」などと挨拶しながら、スパッツやアイゼンを取り外しにかかると、「ん?あれぇ!左足のアイゼンがおらんなっとる!」 どこで脱落したんだろう。足元が滑るようなことも無かったので、アイゼンが無くなっているには全く気付かなかった。「しゃーないなぁ...。こりゃ、今シーズンはもう雪山はお預けかなぁ...。それともコンパス(松山市山越)に買いに走らんといかんかのぅ」とケツのポケットに入った薄いサイフを叩きながら寂しい思いに浸っていると、後発隊のお兄さんが「これ誰か落とさんかった?」と手にアイゼンを掲げて下山してきた。「あ、ありがとう!もう戻んて来んと思とったんですよ」。半分諦めに入っていただけに感激ひとしおである。 全員が無事下山してきた後、林道を車で下っていく。昼過ぎから降り始めた雪は相変わらず止む様子はない。来る時何もなかったところまで、白い雪が覆いつくしている。車の窓にも遠慮なく雪が張り付いてくる。悠長に景色を楽しむことさえさせてくれない。 小一時間かけて諏訪神社のところまで下りてきた。全グループが下りてくるまでの間、少し時間がありそうだ。かくなる上は諏訪神社を探訪しておかない手はない。
境内には句碑1基「諏訪の森 村の栄.....(以下判読不可)」がある程度で、これといって興味をそそるようなものは無かった。他には「天保二年九月吉日 氏子中」の名が刻まれた水鉢が常夜燈の傍らにある程度だ。
諏訪神社というからに、長野県の諏訪大社に源を発する神社なのだろう。注意深く観察すると、禊橋の袂に「石素神社合社」、「梅本八幡神社合社」(以上、「昭和四十三年十月十日」の日付が刻まれている)、そして「八妙神社合社」(「昭和五十二年十月五日」の日付が刻まれている)という合祀記念の碑が建っている。これらの所在についても是非調べておきたいものである。
3.津越の滝へその後、タックさん、おいわさん、東京のなべさんと西条市津越の滝(西条市名水・名木50選)観瀑へ。鮎返りの滝、雌滝、雄滝の三つとも小振りではあるもののなかなか見応えがある滝であった。市内から然程離れていない場所なのに、こんな滝が見れるとは。あらためて「水の都・西条」の奥深さを感じた。しかし、ちょっと興冷めなのは、遊歩道の歩き始めの辺りで、高速道路の架橋工事で橋桁を創るための工事で自然環境が失われつつあること。金属製の畚が河床に転がっているのを見ると、「JHさん、そりゃないでしょ」と愚痴りたくなってくる。鮎返りの滝より上のほうはそのままの自然が残っているのが救いではあるのだが。 それはさておき、この観瀑で一つ意外な発見があった。遊歩道入口にある上津越橋の袂に埋まっていた石標。これをよく観察すると「奥武丈瀧道」と刻まれているではないか。なるほど、昔は津越の滝ではなく奥武丈の滝と呼ばれていたのか。川下には桜の名所・武丈公園がある。松山市の道後に対する奥道後のように、津越の地が奥武丈と呼ばれていた時代があることを偲ぶことができたのは収穫である。
4.観瀑後の波状的西条市西部散策16:00ちょい過ぎに3人と別れた跡、いつもの寄り道モードに突入。寄り道しすぎて、西条市を通り過ぎるだけで2時間もかかってしまった。探訪した場所・観察したモノは以下の通り。 (1).津越の滝遊歩道手前の地蔵尊
我ながら正気の沙汰ではない。結局、日没コールドで、18:00過ぎに泣く泣く西条をあとにした。結局松山の自宅に辿りついたのは19:00ちょい過ぎ。今日は移動時間も含めて13時間近く遊びまわったということになる。放蕩オヤジとは、まさしく本日の僕を形容する言葉なのだろう。 |
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