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こたろう博物学研究所
探訪記録:20000122

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面木山(川内町、丹原町)登山【平成12年(2000)1月22日】



 昨日の1月21日は暦の上では「大寒」。一年中で最も寒さが厳しい時期であり、県内の各地で大量の雪が舞い下りた模様である。今朝、犬の散歩をしながら、道後平野を取り巻く山々を眺める。頂の辺りが白い雪で覆われ、いつもよりも輝いて見える。

 公私ともに忙しく、山登りもとんと御無沙汰になっていた。天気も良さそうなので、ぶらりどこかの山でも登ってみようという気になってきた。朝食を摂り、身支度を済ませる。さてどこへ繰り出そうかと思案を巡らせる。折角なので、会社の同僚に誘いの電話をしてみる。しかし、呼び出し音が10回を超えても一向に繋がる気配を見せない。どうやら既にどっかの山に繰り出しているようだ。

 雪が積もっていること、そして登山経験が浅いを考えると、無理せず1000m前後の山を狙ってみるのが無難だろう。さてどこへ行こうかと考えを巡らせながら車を東に走らせる。国道11号線を進み、川内の街を通過し、石墨山方面に目をやるが、目を向けた先の山々はかなり白く色を変えている。どうも黒森峠辺りの国道494号線はチェーン規制されているようだ。ノーマルタイヤの二輪駆動車で走るのはかなり危険を伴いそうである。

 そうだ。滑川渓谷沿いから登っていく面木山へ行ってみよう。標高は1000m足らずであり、1時間30分程度の行程のはずだ。そう思いながら桜三里のトンネルを越え、滑川渓谷へ向けて右折する。落出橋を渡り、川沿いの県道を進む。滑川コミュニティ広場を過ぎた辺りの道路上には所々雪が残っているが安全に支障が及ぶほどではない。

 昌禅寺を越え、滑川林道改修記念碑のところで左折する。車1台がやっとの狭い幅員の林道を上っていく。車の通行が無いためか道路上の積雪もまだ幾分か残ったままである。やがて白山神社の鳥居が見える。神社の社地を左に巻いて林道を上がれば前方に未舗装の林道、ヘアピン上に左に舗装した林道が続くちょっとした広場に行きつく。ここに4〜5台の駐車スペースがあるので、車を停める。10:21着

 辺りには登山口を示すような標識も全くない。いつか見た愛媛新聞の掲載記事を思い起こしながら、登山口を探す。確か4〜5分歩けば集落に行き着くはずだ。前方の未舗装林道のほうには足跡は一切見えない。「ということは、この先に集落は無いはずだ..」と舗装道を行くことにする。方角的には逆方向なので不安を感じるが、2〜3分歩けば人家が右手に見えてきた。更に1分ほど歩けば2〜3件の集落に行き着く。「」である。ここで林道は終点である。

 だけどもここにも登山口標識らしきものは全く見当たらない。林道の終点の先は民家の庭先である。さてどこから登ればいいのか。しばらくうろうろしながら登り口を探す。

 上へと続く小道はどこにあるのだろう...と悩んでいたとき、ふと2件の民家の間に小道が続いているのが見えた。どうも登山道とは縁遠いような小道であるが、駄目でもともと上がっていってみよう。10:27、こうして登山を開始した。

 すぐに樒(しきみ)畑に至る。「そう言えば樒畑の中を上がるといってたなぁ」と納得しながら先へと進む。左に登る小道との分岐に差し掛かるが、どうみても前方に続く道のほうが登山道の風格を持っている。迷わず前へと進む。(新聞掲載記事には「標識あり」と書いてあったが、これは四国電力No.20送電線鉄塔への小さい標柱のことで、掲載記事に忠実に進むならばここを左に折れねばならなかった。)やがて杉林の中の薄暗い空間へと変わっていき、辺りの景観から遮断されてしまう。時計の針は10:37。登り始めて10分である。
 小道には霜柱が所々顔を見せている。歩くたびにサクサクと小気味良い音を奏でる。一歩一歩踏み締めながらゆっくりと登っていく。新聞掲載記事によればすぐに尾根道へ出るはずなのだが、全く杉林の中から抜け出る気配を見せない。「道を間違えたんだろうか.....」と挫折しかかったころ、左手に明るい光が見えてきた。道が二手に分かれ、「四国電力No.22」との赤い標柱の矢印が左側を指している。やや引き返す方向にはなるが、とにかく鉄塔のところに出て位置確認せねばと左折する。少し歩くとすぐに大きな送電線鉄塔の根元に辿り着いた。広々とした空間に鉄塔は悠然と構えていた。刈り込んだ鉄塔敷地には誰一人踏みしめていない雪の絨毯が敷き詰められている。時計は10:54を回っている。さてここからどう進めばよいか...。煙草に火を付けて、辺りの道の状況を確認する。

 一旦、鉄塔を左に巻くような道を上がってみる。人が踏みしめた跡が目に入る。ここが尾根道だろうか....と考えながら更に真っ直ぐ進むと小高いピークに辿りつく。人気は全くない。どうも伐採した木を索道で下ろすための始点のようだ。こんな雪のある中では林業従事者も仕事を骨休めをしざるを得ない。
 そのとき、ふと木の上のほうをカサカサと駆け上がる足音が耳に入ってきた。音がしたところに目をやるとヤマネが警戒しながらこちらを眺めている姿が見えた。愛らしい姿で木の枝につかまり、「何でアンタここにいるのよ。あっち行きなさいよ」と無言で語っている。しばらく山登りのことも忘れてその姿を見入ってしまう。

 一息ついて登山再開。一旦鉄塔の下まで戻り、鉄塔の下をくぐっていくと、山道が上へと続いているのが確認できたので、そこを登っていくことにする。するとまた新しい踏み跡が点々と続いている山道へと合流する。「あ、ひょっとしたら先客がおるかもなぁ」と少し安心感を抱きながら、雪道をゆっくりと登る。斜面は段々と急勾配になり、足元が滑りやすくなってきた。慎重に一歩づつ足を進めていく。

 11:15伐採して景色が広がる場所に辿りつく。そこからは道後平野が一望できる。ゆっくりと腰掛けて景色でも眺めようかとも思ったが、辺りは雪ばかりで落ち着いて座る場所も無い。写真を1枚撮り終えるとすぐに再出発する。ここから先に少し進むと、黄色のビニルテープで矢印が記されている。「ここからは悩むことなくテープに沿って進めばいいんだろうな」と何も疑うことなく右折する。

 暗い植林地帯の中を先行く人の足跡を追い掛けながら進む。人の気配はおろか、生き物の気配は全くしない。いつになったら山頂近くの尾根に出るのだろう。新聞掲載記事では、確か尾根道を登って行かねばならないはずなのに、いつまでたっても薄暗い空間は続く。前方に続く足跡だけが頼りだ。
 やがて右手に雑木林が見え、幾分か明るさを取り戻す。11:33、登り始めて約1時間近くが経過したのに、山頂らしきものは全く見えない。引き返そうかどうしようかと思いながらも、前へ前へと進んでいくと、突然頭の上の方から、何か人の声が耳に入ってくる。「あ、やっぱり他にも登山している人がいたんだ。もう下山してくるのかな....。そしたら、あと山頂までどのぐらいか確認できるなぁ」と妙に嬉しくなり、ピッチを上げる。それから2〜3分すると、前方に人影が見えた。夫婦連れの登山者である。

「雪道はしんどいですね.....ところでこの先どう進んでいくんですかねぇ」
「いやぁ....道が見出せないなぁ。もうそろそろ祠のあたりに出てもおかしくないんですけどね」
「あ....、道を御存知じゃないんですか...。私はお二人の足跡を頼りに来たんですよ..」
「もう尾根に出てもよさそうなんですけどねぇ」
「とにかく上へと上へと行くしかありませんね」

 道無き道を3人で行く。辺りにはテープ標示も全くない。とにかく尾根まで上がらないことには...と木々の間を縫うように登っていく。やがて少し明るさを取り戻す。
「ここから二手に分かれてみましょう。何か目印が見つかれば大きな声をあげれば届くでしょうからね」

二人は左手に分かれ、小高いピークを目指す。僕は広々としたなだらかな場所を目指してやや下ったところへと向かう。このようななだらかな空間があるということは山頂若しくは尾根に近いことは間違いない。降りたあと、ふと左手をみると尾根らしきものが見える。やはりそうだ。尾根がここからあと僅かな場所ある。一気に斜面を上がると、木々の間から鞍瀬方面の山が眼前に見えてきた。思った通り、尾根道である。

 さてここはどの辺に位置づけられるのか?ひょっとしたら巻き道を進み、面木山を通り越してしまってはいないか....。と不安にかられながらも、とにかく南東方向へ進んでみるしかない。
「そちらはどうですか?」
と先程の二人連れからの確認の声が木霊する。
「何となくこちらにピークがありそうです。だいぶ、景色も広がって来ました。そちらのピークよりもやや小高い位置に今おります。テープ標示とかは見当たりませんが、多分こちらで間違いないと思います」
返答し、確信を持ちながら尾根筋を登っていく。段々と木々の間より周りの景色が開けていく。間違いない。山頂はこちらにある。そう信じて雪に覆われた尾根斜面を登って行く。

 やがて石詰みの祠が目に留まる。
「有りましたよ!祠が有りますよ」
二人連れに声を掛ける。
上り詰めた先の眼前には石鎚山から堂ヶ森へと連なる山々が悠然と聳え立っている。北側の山肌に真っ白な雪を携えて美しい佇まいを見せている。美しい。実に美しい。西〜南〜東とパノラマの風景が広がっている。寒風山伊予富士瓶が森三ツ森石鎚山堂が森青滝山石墨山皿が嶺と名高い山が目の前に連なっている。
 北方は木々に邪魔されて景観が今一つであるが、それでも木の葉が落ちてしまっているため、木々の隙間から東三方ヶ森明神ヶ森福見山が見渡すことができる。実に美しい景観を持つ山だ。
 12:10、四苦八苦しながらも山頂に到着。直ぐに二人連れも山頂へと着き、共に歓喜の声をあげる。

 写真を撮ったり、山景をスケッチしたりして景色を楽しんだ後、昼食を摂る。三角点のある山頂は目の前にあるものの、植林で景色がよくないようである。敢えて三角点に拘る必要はない。最高の景色の中でゆっくりとした時間を過ごすほうがいい。山頂に鎮座する面木神社の3つの祠の佇まいもちゃんとカメラに収めておこう。

 食事を終えた後も、しばし辺りの風景に見入ってしまう。13:40、名残惜しいが下山を開始する。元来た道を折り返しながら、次回来訪者のために赤テープで印を付けながら進む。最初のピークのところで、さてどちらへ進もうかと悩んでしまう。道無き道を進むならば尾根沿いに行ったほうがいいかもしれない....と元来た道ではなく、尾根を指し示す赤い標柱に沿って進んでいくことにする。赤テープを巻きながらピークを下りると左側に雑木林が覆う道がなだらかに続いている。しかし、次のピークを迎えたとき、行く手は薮で閉ざされてしまった。雪道での薮こぎは危なっかしいので、引き返すことにする。

 ピークまで引き返した後は、雑木林と植樹林の境界に沿って下りていくことにした。所々、黄色のテープ標示が目に入るが、斜面も急であるし、道らしき道も無いので不安になってくる。
 やがて広く伐採している山の中腹部へ辿りつく。無造作に松の木が伐り倒されており、足元も不安定である。しかし眼前には鉄塔も見えるし、その先には来るときに見た道後平野の眺めに近い風景が広がっている。道は無いが、もう少しで来るときに歩いた道に合流できそうな雰囲気である。
「ははは...こんな山、初めてですね。二度と同じ道を通ることできませんね」
「全く。人にどうやって登っていったらええか....っちゅう説明はようせんね」
三人とも安堵感を抱きながら、難航した下山道を振り返る。

 やがて見覚えのある道、そう。黄色の矢印が付いたところに合流する。もうここから先は道を見失うことはない。軽快に山道を下って行く。

 15:15、麓に到着。一時は道を見失い、どうなることかと気を揉んだ登山であったが、終わってみればそんな苦労はどこかへ飛んでいってしまった。思い起こしても、ただ山頂から南方に広がる景色だけが色濃く頭の中に焼き付いているだけである。

 15:30、二人連れと「またどこかの山で逢いましょうね」と別れを告げ、今回の登山行は終えた。

●余録
 その後、駐車場下の白山神社を一通り眺め、松山への帰路につく。
 途中、滑川渓谷入口に架かる落出橋(おちでばし)の袂に車を停め、橋の写真を撮る。この橋は昭和7年の竣工。河床から貧弱そうなコンクリートの足を伸ばしている。いつ取り壊されてもおかしくないような橋である。
 その後は寄り道せずに帰ろうと、桜三里を超えて、そば吉の前辺りに差し掛かると、「そういや、惣河内神社(そうこうちじんじゃ)の百日桜はどうなっているかなぁ」という思いがよぎる。考えはじめると行動に移すしかない。国道494号線を左折し、1kmほど進む。道端に車を停め、境内へと足を運んではみたものの、どうも花の季節は過ぎ去った後であった。枝の所々に花びらを残しているものの、大半は既に散った様子である。

☆参考
昼食準備は桜三里登り口付近にある「サラヤ」がよい。惣菜メニューが充実している。水洗トイレもあるので用も済ましておくとよい。ここでトイレに行きそびれたときは「レストパーク桜三里」「滑川コミュニティ広場」で済ますと良い。
→サラヤさんは、既につぶれてしまっております。

滑川渓谷周りの探訪記録については、
川内町東部散策【平成10年(1998)2月7日】を参照。
 

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