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こたろう博物学研究所
探訪記録:
ワシが「近場探検」を始めたワケ

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ワシが「近場探検」に興味を持ち、調査・研究を始めたのも、ほんの些細なことがきっかけじゃった。

平成4年(1992年)当時、ワシは松山市の西のほうにある某会社に勤めており、空港通り沿いの社宅に住んでおったんじゃ。ちょうどその年に社宅自治会の広報委員に選ばれてなぁ、ほして同時に地区の広報委員を務めることになったんよ。
広報委員の仕事というと、月1回公民館に集まり、「かんづめの汁」もどきの200ml缶入りPOMジュースをすすりながら、市の広報活動について議論するというもんじゃった。とりわけ重要じゃったのは、市の広報誌である「まつやま」を地区の各戸に配達する仕事じゃった。

この「まつやま」という小誌は、それまでチリガミ交換用、もしくは油揚げの油紙用としてしか使ったことがなかったんじゃが、自分で配り始めると些か愛着というもんが湧いてきて、真剣に目を通すようになったんよ。
この小誌には、シリーズで市内の様々な史跡を紹介するコーナーがあってなぁ。今まで気にも留めんかったような神社・寺・古跡...そこには往古の世界、ワシの知らんかった世界が広がっておったんよ。

観光旅行で海外へ出向くのが当たり前のご時勢となっとるが、ワシは自慢じゃないけんど一度たりとも海外なんぞへ行ったことのない、非常に行動範囲・テリトリの狭い人間じゃ。
じゃけどなぁ、ふと考えてみるに、仮にどっか遠いトコへ旅行に行って、多くの人は何を見て、何を感じることじゃろう。テーマあるいはポリシーがしっかりしとらんかったら、旅行することに何も意味が無いんじゃなかろうか...と。ただ、どっか行って、料理食って、土産買うて、他人に配って、延々と「行ったこと」を自慢する、これではいかんのじゃなかろうか。
(よいよい。貧乏人の僻みじゃと罵られそうじゃなぁ....)
そうじゃ。旅行することの意義は、遠い近いの問題ではなく、いかに行った所のことを知るか、その場所にそのモノがあることの存在価値・存在意義を、「よく観察」し、「よく知る」ことじゃなかろうか。

日曜日になると子供たちを連れて松山市内のほうぼうへ車を走らせた。子供らはその辺で遊ばせとって、ワシはそこにあるモノ、説明書き立看板の内容、石碑の文面等、とにかく観察してメモ帳に書き貯めていくようにした。
子守にもなるし、自分の趣味にもなる。一石二鳥じゃないかぇ。神社や寺や公園じゃったら金も要らんし、たいがい駐車場も心配ない。おまけに行ったからといって誰にもお土産を買わんでもいいし。....
ええことずくめじゃげぇ。

「こんな趣味を持ってます」なんて語ると「じじ臭い奴やで...」とヒトは言う。全くその通りかもしれん。じゃけどなぁ、考えてみると、遅かれ早かれワシらもいつかはジジイになるんじゃし、神社や寺に興味を持つ時が来るかもしれん。
ほして、よいよ行きとうてたまらんなったときに足腰立たんなって後悔するかもしれんのじゃけんね。
そうじゃ、人目を恥じちゃいかん。「ごーいんぐまいうぇい」。ワシはワシの価値感を持つんでえーじゃないかぃ。

斯くしてワシは「にわか市内探検家、地方研究学者」となったのである。

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