[KOMIL:KOtaro's Miscellaneous 
Information Laboratory]
Copyright (C) Kotaro Iseki (1996〜2022).
All rights reserved
こたろう博物学研究所
探訪記録:2014年

トップページに戻る

インデックスに戻る


 

2014年12月28日 旧双海町、旧瀬戸町、旧野村町
●ふたみシーサイド公園
●JR下灘駅
●今坊漁港/港の美術館
●瀬戸農業公園
●朝霧湖湖畔公園

2014年12月7日 大阪

2014年12月6日 旧北条市・旧菊間町
 


 
2014年11月23日 (Sun) 
●善喜寺【愛媛県松山市余戸中3-7-39】
・宗派:真言宗智山派 
・山号:月光山 
・院号:法憧院 
※境内には、「南無延命地蔵菩薩」と染め抜かれた赤い幟、「南無大師遍照金剛」と染め抜かれた紺の幟が並ぶ。「南無地蔵菩薩」と染め抜かれた赤い幟、紺の幟もある。「水子 子育地蔵菩薩」(赤)、金毘羅大権現(赤)、南無不動明王(赤、紺)も。
 ▼六地蔵
 ▼山門
 ▼寺号碑
 ▼手水舎
 ▼光明真言二百萬遍塔
 ▼金毘羅大権現
 ▼地蔵菩薩坐像
 ▼地蔵菩薩坐像
 ▼平和観音
 ▼地蔵菩薩坐像
 ▼大師堂
 ▼本堂
 ▼坂村真民詩碑「念ずれば花ひらく」
 ▼不動堂
●三島大明神社【松山市余戸東5丁目15番28号】
 ▼注連石
 ▼神名石「三島大明神」
 ▼灯籠
 ▼鳥居
 ▼森千枝松翁頌徳碑
 ▼拝殿
 ▼本殿
 ▼狛犬
 ▼常夜灯
 ▼手水舎
 ▼「偉名傳後昆」碑
 ▼百度石
 ▼手引松
 ▼鶴本多次郎君表徳碑
 ▼正岡子規句碑「行く秋や手を引きあひし松二木」
 ▼玉笹清市記念碑
 ▼境内末社:一之宮
 ▼境内末社:天王社
 ▼境内末社:金刀比羅神社
 ▼境内末社:天満宮
 ▼境内末社:生目八幡宮
 ▼古札御納社
 ▼市保存樹木 クスノキ
●雄郡小学校
 ▼二宮尊徳像「勤勉」
 ▼校訓碑「元気にやさしく学んで美しく」
 ▼校歌碑
●国道196号元標
 南堀端と西堀端の合流点。 
●お袖大明神
●NTT四国
●県庁
●萬翠荘
●東雲高校
●ロープウェイ乗り場
●Studio OWL「良元優作ライブ」
 Opening Act:ヤマウチコウタ、和中由美&剛 
 打ち上げ参加(2000円) 

2014年11月22日
●中の孝集会所
●西国三十三観音石仏

明治二十五年正月 
●常夜灯

「石鉄山」「金毘羅」「太神宮」「三島宮」 
文化六年5月 
●瓦宮
●名号塔

「南無妙法蓮華経」 

■石鉄山蔵王大権現
●大楠

■消防
●三角点

■観音院
●松山新四国霊場第21番
●地蔵

享保
●地蔵
●大公孫樹
●常夜灯

「石八大金」 
「その昔、富久町の先人が元集会所の東横に、お堂と社を建て、「石鉄山蔵王大権現」を安置し、当地の守り神として信仰をあつめていた。文化六年(1809)常夜灯を設置し、村人の健康と五穀豊穣を祈願していたが、平成三年、集会所改築に当たり、現観音院境内地に移設した。 
平成三年七月吉日 信徒代表 建設委員会」

■ダイソー松山空港通店
■履脱天満宮
●狛犬
●長生橋

■パルティフジ 垣生店

20141117-鍵谷堂
 

2014/11/15(Sat) 
●浄瑠璃寺
●八坂寺
●文殊院
●常光寺
●道旧寺

●あぼんりーの花 アンズガーデン

 


 
20141008-皆既月食
20141009-月食の翌日の満月
20141011-会社の夕焼け
20141015-あけび
20141026-太山寺
20141031-べこや:

無題 - 2014/10/26(Sun) 
●太山寺

川崎さんの誘いで、本尊御開帳の最終日だとのことで太山寺へと向かう。 
12:30に境内下の駐車場で待ち合わせ。12:20頃に太山寺に到着。人出が多くて、一ノ門を越えたところから車が動かず。 
じわじわと前に進むが、これでは駐車場まで辿り着くのも容易ではない。 
車を誘導している人をじっと眺めると、岡本公平さんだった。Astecの制服に、和気町内会の法被らしきものを羽織っている。 
納経所前の路上に車を停めて、いざ本堂へと向かう。 

皆既月食 - 2014/10/08(Wed) 
フジ垣生店
089-972-5711

●皆既月食
月食とは、太陽?地球?月が一直線に並び、月が地球の影の中に入り込んでしまう現象のこと。
月の一部が見えなくなる部分月食と、全体が隠れてしまう皆既月食がある。
愛媛県内で見られるのは3年ぶり。
月食の始まりは18時15分、まだ月は東の空低いところにあるので、多くの場所ではすでに少し欠けた月
が昇ってくるのが見られる。その後月は次第に地球の作る影の奥深くへと入り込み、19時25分から1時間ほ
どは完全に欠けた「皆既食」となる。その後は少しずつ影から抜けていき、21時35分には元の満月に戻
る。

会社で月食の始まりを観察。
8時半ぐらいに帰宅し、月を撮影。もはや半分戻ってしまっていた。
 


 
20140927-bearch combing

20140923-寒風山登山
寒風山登山 - 2014/09/23(Tue) 
kbt00477@docomo.ne.jp
isotake-temple582115@ezweb.ne.jp

[略行程(計画)]
6:30 今出社宅で大島、伊東を拾う
7:10 祝谷社宅で窪田を拾う
8:30 登山口到着
9:30 桑瀬峠
11:00 寒風山 or 伊予富士
12:00 下山開始
13:00 桑瀬峠
13:30 登山口
15:00 松山着。順次降ろす
[注意事項]
食事、飲み物、水は各自持参。
標高1700m超えなので長袖シャツ、ウインドブレーカーなどの準備を忘れなく。

20140901-伊予市
20140902-鍵谷堂
20140906-道後・考古館
20140913-梅津寺・高浜
 

 


 

20140823-葉佐池古墳・東温市:
葉佐池古墳・重信 - 2014/08/23(Sat) 
●垣生マンホール蓋探索行

●セブン-イレブン松山西垣生店
●葉佐池古墳

●駄馬古墳

●姥ヶ懐窯址

●東温市立図書館

●旧緑化センター

●旧花きセンター

●渡部家住宅

●寺

●愛媛人物博物館
 

●砥部町立図書館

伊予市 - 2014/08/13(Wed) 
重信川捜索が依然続いている。朝からけたたましいヘリコプターの飛行音が響く。 
2014.8.13 19:28 
「重信川に流された」男性の捜索打ち切り 
きのう、「重信川に男性が流された」との通報を受け捜索活動を続けていた警察と消防は、捜索願いが出てないことなどを理由に、きょう午後5時で捜索を打ち切りました。この捜索は、きのう午後3時40分ころ、東温市上村で「川で男性が流されている」と目撃した通行人から119番通報されたことを受け行われていたものです。警察と消防などは、きょうも捜索範囲を川の河口まで広げ、100人体制で男性を探していましたが、未だに捜索願が出されていないことや、男性を発見できていないことから、午後5時で捜索を打ち切りました。通報当時、重信川は、台風11号のため増水し水の流れが速くなっていて、警察によりますと、目撃者は「成人とみられる男性が川から顔と手を出して流されていった」と話していました。
(テレビ愛媛ニュース)

●伊予市立図書館
●町家
●マルナカ
●五色姫神社

20140810-中山
20140811-伊予かすり会館
無題 - 2014/08/11(Mon) 
●SUBARU四国

●愛媛県文化財埋蔵センター

●伊予かすり会館

●素鵞神社

●フジ松江店

無題 - 2014/08/10(Sun) 
●なかやまフラワーハウス
ライブ。台風通過の後でほとんど(全く)客はおらず。練習ライブとなった。
2、3曲弾いてチューニングを変えようとしたときに3弦が切れた。ライブ継続不可能…。 

帆織燦(ほーりーさん

●花の森ホテル
●花の森ホテル
・入浴料:520円
 

▼品川柳之 句碑
「梅林の中に川あり邑がある」柳之
 

●栗の里公園

●FamillyMart 伊予中山町店

伊予市中山町中山丑278番3 

089-967-0822 


 

無題 - 2014/07/30(Wed) 
●いよ狸

ポリプラスチックス来訪者の接待で、道後のいよ狸へ。 

 2014/07/29(Tue) 
●フレッシュパークからり
●清流の郷ひじかわ
●野村葬祭
●火葬場 帰楽苑
●顕手院

西予市城川町魚成1374 
※城川町内に吉祥院という寺があったか?

●FamilyMart 伊予中山町店

●セルフエアライン余戸西
●セブンスター 垣生店

2014/07/31(Thu) 
●はま寿司
 

20140727-考古館近傍
●シルク 余戸店
●松山市考古館

野良猫と遊ぶ。
野鳥を観察する。

カワセミも目にすることができた。

無題 - 2014/07/21(Mon) 
●島村楽器
●五色浜海浜公園
●谷上山/大谷池

大谷池には捨て猫が4匹。めちゃ人慣れしていて、うち3匹は足下へと寄ってきて、頭をスリスリしてきたり、地面に寝転がってお腹を見せたりした。思わず持って帰りそうになった。
 

無題 - 2014/07/19(Sat) 
●りらく
●メディコ21

●松前のにんにく屋
●フジ垣生店
●ダイキ

●クラフトの里
●フラワーハウス(栗の里公園内)
●犬寄峠

大阪出張 - 2014/07/13(Sun) 

無題 - 2014/07/14(Mon) 
●大阪科学技術センター

●なか卯

●大阪科学技術センター
●伊丹空港
●松山空港
 

大阪出張 - 2014/07/13(Sun) 
●松山空港
●伊丹空港
●梅田丸ビル
●つるまる饂飩

●綱敷天満社御旅社(つなしきてんじんしゃ)
玉姫稲荷神社
歯神社のご案内

●阪急古書のまち
●大阪新阪急ホテル
●ヨドバシカメラ
●CoCo壱番屋
 

 2014/07/06(Sun) 
伊予市立図書館
大谷池

●ミウラート
●松山観光港

20140702-道後
接待のため道後のおいでん家へ

 


 
20140628-松山市内
無題 - 2014/06/28(Sat) 
バス:パルティ垣生?余戸(160円)
電車:余戸?松山市駅(210円)

●堀之内

●黒住教

●味酒児童公園

●キスケボウル

●スカイホテルビアガーデン

水琴窟 

空港タクシーを呼んで花園町へ移動。

●ヴェントディマーレ
住所: 〒790-0005 愛媛県松山市花園町5?1

伊予市 - 2014/06/21(Sat) 
●伊予市立図書館

●大谷池

●ウェルピア伊予
 

無題 - 2014/06/07(Sat) 
伊予市立図書館 
BOOK OFF 愛媛松前店 
松前町立図書館 
塩屋海岸 
松前町立図書館へ再び。 

20140601-松山大学薬学部付属薬草園


 

20140531-伊予市

20140525-新居浜-松山

20140524-松山-新居浜
 

20140519

20140517-松前町

20140511
●伊予市立図書館
1冊本を貸出機のところに置き忘れてしまった。それに気付いたのは翌日。休館日なので後の祭り。火曜日に図書館員に話を伺うと、置き忘れていたので連絡はしてみたのだが…とのことだった。取り置いておこうかとのご好意をいただいたが、キープしっぱなしなのは逆に申し訳ないので、返却扱いにしておいていただきたいと申し入れておいた。 
●手づくり交流市場 町家
 

2014/05/10(Sat) 
今治市役所 玉川支所住民サービス課 大西様より、「玉川・朝倉・波方・大西・菊間 山歩きMAP」を送付いただく。 

20140506-愛媛森林公園
えひめ森林公園へ - 2014/05/06(Tue) 
歩美と子供達を連れてえひめ森林公園へ。

20140505-椿神社界隈

20140504-野村で田植え

20140503-松山市総合公園

 


20140324-野村?松山

20140323-宇和島?野村
南豫誌出版記念パーティ@宇和島

20140322-重信川河口付近

20140316-有山じゅんじライブ

20140308-09-大阪
JR松山駅
 

子規句碑 
=========================
JR松山駅→(岡山)→新大阪→大阪→天満
=========================
天満駅?
 

=========================
信昌地蔵

黄色い涎掛けには、交通安全、家内安全、無病息災の文字が記されている。 

=========================
智源寺 大阪府大阪市北区天神橋3丁目3?10 34.700506, 135.511118
 

蓮興寺 大阪府大阪市北区末広町1?35 34.700208, 135.510662

日蓮本宗 

=========================
天神橋筋商店街

日本一長い商店街。南北に2.6km。 
二丁目のアーケード入口には浄瑠璃人形?が4体。天神祭の船渡御で御神霊を出迎える「お迎え人形」らしい。 
三丁目は「がんばる商店街77選」に選ばれているらしい。 

=========================
天満天神 繁昌亭
「上方落語の始まりは1700年頃、京都に露の五郎兵衛、大阪に米沢彦八が現れ、神社の境内などでおもしろい咄を聞かせて見せた。これらは「辻ばなし」とも言われ、ここが出発点とされる。一時はすたれるが、1800年頃、大阪坐摩神社(ざまじんじゃ)で桂文治が小屋掛けの常打ちの寄席を始め、以来各地で落語専門の常打ちの小屋が出来る。1900年頃、上方落語は隆盛を誇るも、第二次世界大戦で大阪は焦土と化し、すべての落語の定席を失う。
2006年9月15日、多くの上方落語を愛する篤志の皆様の浄財で、大阪天満宮、天神橋筋商店街のご協力により、1957年上方落語協会結成以来、積年の夢であった定席が、明治から昭和にかけて天満八軒と呼ばれた、上方落語に縁の深いここに建立され、上方落語の定席が61年ぶりに復活した。
4500を超える方々のご厚志に応えるべく、さらなる上方落語の隆盛を誓う。
社団法人 上方落語協会」

上方落語

露の五郎兵衛(つゆのごろべえ):[1643?1703]江戸前期の落語家。京都の人。号は雨洛・露休。辻噺(つじばなし)を創始し、洛中各地で興行、軽口頓作(とんさく)で人気を博した。著「露がはなし」「露新軽口ばなし」など。

米沢彦八(よねざわひこはち):落語家。(初世)[??1714]上方落語の祖。大坂の生玉(いくたま)神社境内で興行した仕方物真似で人気を博す。著作に「軽口御前男」「軽口大矢数」など。(2世) 京都の落語家。祇園境内などで演じ、物真似芸にすぐれた。著作に「軽口福おかし」など。生没年未詳。

辻噺(つじばなし):道ばたで、笑い話などをして銭を得ること。また、その話。延宝・天和(1673?1684)ごろから京都の露(つゆ)の五郎兵衛が始めたという。

坐摩神社(いかすりじんじゃ、通称ざまじんじゃ) http://www.ikasuri.or.jp/yuisho.html

桂文治

小屋掛け:仮小屋を造ること。特に,芝居や見世物の小屋を。

常打ち(じょううち):一定の場所で、きまった演劇や芸能が興行されること。

定席:毎日公演している小屋

天満八軒

「星合の池
天暦三年(949)に天満宮が御鎮座になった時、この池水に霊光が映ったと伝承されている。天正二年(1574)の石山軍記に「天満山の北、明星の池、星合の池の間、少し北に属し、織田信長本陣を布き」と録しているから、少なくとも千年以上の歴史を持つ古池である。
なお、付近に七夕池、明星池、夫婦池等が明治年間まで現存していた事は、昔「難波崎(石偏に奇)」の付近に残った沼沢の名残であると思われる。
昭和の初めまで池には「宇賀の社」があり、紅梅紫藤が咲きみだれ、付近には歌舞伎を常打とした天満八千代座、浪花節の国光席、吉本興業発祥となった天満花月吉川館などの寄席が隣接していた歓楽街であり、極めてにぎやかであった。
池に架かっている「星合橋」は一名「愛矯橋」とも言う。当時適齢者の「見合」が行われたからである。また、池畔にあった白米稲荷に因んだ「いなりずし」は参詣者に賞味され、有名であった。
大阪天満宮」

天神橋

祖霊社

祭神:大阪天満宮祀官祀職、氏子崇敬者の祖霊 
例祭:仲春及び仲秋 
由緒:当社は菅公御神退千八十年(昭和57年)を記念してご神縁の深い祖霊のご生前の業績を顕彰し子孫の繁栄を祈念するため建立奉祀した。 

川崎東照宮の神輿蔵
「元和二年(1616)に徳川家康が没した翌年、現在の造幣局から滝川小学校あたりに川崎東照宮が建立されました。明治六年(1873)に廃社された後に、その神輿蔵は当宮に移築されました。軒瓦に葵の御紋が見えます。」

東照宮■■■碑

宇賀社

星合池「茅の輪」掛け

後藤比奈夫句碑「秋思祭 すみしやすらぎ 月にあり」

昭和59年建立 

星合橋

鳥居

「宇賀神鳥居 菅神講中」と刻まれている。 

「天満天神 亀の池 星合茶寮 すべらんうどん」の幟

白米稲荷社

白米社の社額 
白米大神の提灯が拝殿正面に多数ぶら下がっている。 

天満宮常夜灯

尾州 名古屋 杉屋佐太郎 が寄進。 

牛像

稲荷奥宮

昭和63年師走25日 伏見稲荷大社より神璽奉斎 白米稲荷社の奥宮と称し奉る 
祭神:稲荷大神 
例祭:4月1日 

妻社

浪華古図によれば渡辺橋北詰に鎮座ありしを当宮にてはこの社の廃れしを再興せんと昭和22年9月社殿を造営し鎮祭す 
祭神:大己貴大神(大国主命の別名) 
例祭:8月10日 

松尾芭蕉句碑「梅咲て よろこぶ鳥の 気色かな」

松尾芭蕉51歳の作。芭蕉の二百回忌に当たる明治26年冬の建碑。 

住吉社

献灯?鷽

明治40年1月建立。 
鷽は天神様の愛鳥であったと伝えられる。鷽守りは1月24,25日の両日の梅花祭に参拝者へ授与される。 

針塚

大阪和服商工業組合と大阪刺繍業有志にて建立。 
大正15年5月。 

吉備社

八幡社

松尾社

霊符社

八坂社

千年祭紀念燈

登龍門

宅間流算術奉納額

大阪天満宮拝殿

大盆梅展

百度石

車宿

晴れの国おかやま観光キャラバン隊の車

酒樽

牛像

台座に「牛祭」の文字が。 

二品朝彦親王久邇宮殿下御筆「書神」 大阪府周旋 煙嵐社中

明治10年12月8日 

和魂漢才碑

神武天皇聖蹟難波之崎顕彰碑

老松神社

白太夫社

老松社紅梅殿

日豪親善の碑

鬼瓦

大将軍社

境内案内図

西山宗因向栄庵跡

=========================
滝川公園

地蔵

=========================
大阪城
=========================
谷町四丁目←→森ノ宮←→大阪城ホール
=========================
難波宮跡
=========================
谷町四丁目の駅に「中央区の史跡・文化財」のマップあり。

=========================
谷町四丁目→谷町九丁目

谷町散策

史跡案内板(歴史の散歩道周辺)

=========================
融通尊 藤次寺

如意山
融通さん詣り
弘法大師尊像
稲荷社
地蔵尊
大黒天
不動明王
阿波野青畝句碑「動く大阪 うごく大阪 文化の日」
融通尊藤次寺略縁起

藤原冬嗣公創建
九條家祈願寺

=========================
持明院
 
真言宗 
摂津国八十八ヶ所 

橋姫大明神(縁切)
二十日大明神(開運)
卯ノ日大明神(縁結)

光明真言壹百萬遍供養塔

金毘羅大権現常夜灯

子育地蔵尊

=========================
生国魂神社
 
難波大社 いくたまさん

蓮池

米沢彦八

水戸藩士 川崎孫四郎

浄瑠璃神社(じょうるりじんじゃ)

芸能上達の神 
家造祖神社(やづくりみおやじんじゃ)

建築の守護神 
鞴神社(ふいごじんじゃ)

金物・竈の守護神 
城方向神社(きたむきじんじゃ)

方除・厄除・勝運の神 
鴫野神社(しぎのじんじゃ)

縁結び、悪縁切り、女性守護の神 
源九郎稲荷神社(げんくろういなりじんじゃ)

商売繁盛・五穀豊穣・歯痛封じの神 
稲荷神社

商売繁盛・五穀豊穣・除災招福の神 
御神木

商売繁盛 巳さんの 
精鎮社

商売繁盛・水産業繁栄・太公望の神 

八雲琴の碑

中山琴主(愛媛) 

井原西鶴の像

南坊址

織田作之助銅像

義太夫人形浄瑠璃二百五十年記念燈

生田花朝女句碑

米沢彦八の碑

住吉社

天満宮

皇大神宮

御本社

神饌所

茶室玉秀庵

参集殿

手水舎

社務所

松木淡々句碑

天王寺七坂 ご利益いっぱい 歴史も満載 スタンプラリー
源聖寺坂(げんしょうじざか)
愛染坂(あいぜんざか)
天神坂(てんじんざか)
生玉真言坂(いくたましんごんざか)
口縄坂(くちなわざか)
清水坂(きよみずざか)
逢坂(おうさか)

宅間流算法奉納額

真言坂
大蓮寺
浄土宗 
如意珠應山極楽院 
大阪三十三所観音めぐり 第29番 

大阪府立天王寺高等学校開校の地碑

吉本芸人塚

多層塔

六地蔵

根来君頌徳碑
 伊豫松山 近藤元粋撰

應典院
稱念寺
浄国寺
源聖寺
源聖寺坂
金台寺
黒門市場

 


 
20140216-伊予市
20140210-総合公園・考古館

 
2014年1月2日 西予市野村町へ帰省(肱川・城川・野村)
1.鹿野川橋(大洲市肱川町山鳥坂、33.454825,132.683514)

国道197号線から赤岩橋(33.472717,132.678117)を渡り、肱川右岸沿いの県道32号線(北平大洲線)を南進する。 
中野小学校の脇を通り過ぎてすぐに鹿野川大橋(33.45496,132.680199)がある。この橋は、Google mapで確認する限り、県道55号線の一部となっている。 
県道32号線、肱川支流の河辺川に架かるのが鹿野川橋。 
昭和38年3月架設。 
宇和島バス鹿野川バス停留所の前に車を停める。待合所があり、綺麗な水洗トイレもある。外壁には肱川観光マップが貼り付けてある。 
●養老酒造(大洲市肱川町山鳥坂49、33.455094,132.684469)

商店街の町並みは昭和の雰囲気がたっぷり。 
●龍華山本願寺のお札「奉修愛宕大権現秘供火難消除息災延壽祈■
●肱川あらしを「漁船」に乗って見る 体験企画(主催:長浜商店連盟、長浜町漁業共同組合)

長浜港から出発。午前7時出港。午前8時までに帰港。料金は一人2000円。問い合わせは0893-52-0147、濱田さん。 
●宇和島バス、大洲市有代替バス運行時刻表
●アルミニウム合金製横引ゲート

平成24年7月完成。津波対策等緊急河川構造物改修工事。 
●水辺空間整備事業区間

2.鹿野川ダム(33.450269,132.685477)
●交通安全地蔵(大洲市肱川町山鳥坂、33.452364,132.684115)

ダムのやや下手に交通安全地蔵あり。舟形石の地蔵立像。像の脇に「三界萬霊」「追善菩提」の刻字あり。 
●肱川発電所(大洲市肱川町宇和川597、33.450251,132.685499)
●鹿野川湖の碑

「鹿野川湖 LAKE OF KANOGAWA 愛媛県立肱川自然公園」と刻まれている。コンクリート製。 
●石仏

右より石鎚大権現、十一面観音、阿弥陀如来の三体。 
石鎚大権現は昭和37年7月の作。 
●句碑乃道
●句碑
 

3.高丸橋?(西予市野村町坂石、33.415578,132.711485)

昭和34年1月竣工。 
吊り橋。 
●鴨たちのシンクロナイズドスイミング
●肱川県立自然公園 坂石

4.河成橋(西予市野村町坂石、33.415014,132.714977)
●日本一のへらぶなの里

5.渡邊義久頌徳碑(西予市野村町坂石、33.415332,132.717026)

昭和39年12月建立。副碑は野村町長松井清の撰。 

6.舟戸橋(西予市野村町予子林、33.415225,132.71789)

昭和32年9月30日竣工。 

7.道の駅・きなはい屋
●農民一気義農顕彰の碑

平成7年5月建立。 
●茶堂

茅葺き。一間造り。 
仏像は安置されていない。ファンシーな仏画が貼られている。 
●愛媛銀行しろかわ支店前の像

8.「奥伊豫を拓く」碑(西予市城川町魚成、33.376394,132.728897)

9.今田地区案内板(西予市城川町魚成、33.374728,132.725352あたり)

河内神社(33.379136,132.726854あたり) 
恵比寿神社(33.374692,132.724236あたり) 
天神社(33.374262,132.719386あたり) 
山ノ神社(33.370822,132.719386あたり) 
夫婦池(33.374835,132.722433あたり) 
池尻川(33.377595,132.727154あたり) 
今田川(33.376341,132.727969あたり) 
満山林道(33.370642,132.720116あたり) 

10.蔭之地茶堂(西予市城川町魚成、33.370956,132.706613あたり)

右より地蔵菩薩?(?)、十一面観音?(明治40年代)、弘法大師?(?)、大日如来(大正10年8月1日) 

11.龍澤寺(西予市城川町魚成、33.360768,132.709317)
●えひめ森林浴八十八ヶ所 29
●一字一石塔
●寺号碑

平成元年7月建立。 
「曹洞宗 別格地 禹門山 
●句碑
→see.城川町誌 続編
●制札
「前は、豊臣秀吉が中国四国を平定すると、小早川隆景に伊予を分与したが、隆景は南予に進駐するに当り龍澤寺を保護するため軍勢や庶民が寺に乱入することを禁じたものであり、後は太閤検地に当り、検地奉行として派遣された浅野長政(長吉)が当寺に一泊した際、龍澤寺保護のため掲げたものである」
(城川町教育委員会説明書き)
●句碑
→see.城川町誌 続編
●龍澤寺緑地公園

全国森林浴の森日本100選 
入口のマップには、「カガヤン池」「龍澤寺大池」の名が見える。 
●龍澤寺の沿革説明書き

「市指定有形文化財(建造物) 
曹洞宗龍澤寺の沿革
所在 西予市城川町魚成
指定 昭和38年3月22日(名勝)
指定 平成15年3月25日(建造物)
禹門山龍澤寺は末寺五十六ヶ寺に及ぶ曹洞宗総持寺派中本山の巨刹である。創基は鎌倉時代の末期元享三年(1323)。地方の豪族中尾坂城主平采正吉貞(たいらのうねめのかみよしさだ)の発願により徳翁正呈禅師(とくおうしょうていぜんじ)が開山し、龍天寺と号して古奈良谷にあった。(南方三キロメートルの山上)
その後約百年鹿児島藩主島津元久(七代)の長男仲翁守邦禅師(ちゅうおうしゅほうぜんじ)(幼名梅寿丸)来って再興し中興開山となる。さらに時を経て現在の位置に寺を移し龍澤寺と改号したのは康正元年(1455)のことである。この時の住職蒲庵和尚(ほあんおしょう)が龍ヶ森城主魚成豊後平通親(ぶんごたいらのみちちか)の協力によって七堂伽藍を交える今日の規模を見たのである。
時代はその後変遷。戦国乱世の時代から豊臣・徳川そして明治へと目まぐるしく移り変わったが、守邦禅師以後引き続いて高徳の名僧が晋山宗門の興隆に尽くしたため、南予一円から松山・土佐(高知県)まで末寺を持ち、その数五十六ヶ寺に及び歴代の豪族や領主の尊崇と保護を得て寺威をつなぎ来った訳である。
偃月橋(えんげつきょう)・仁王門・山門・鎮守堂・禅堂・庫裏・本堂・開山堂・接賓(せっぴん)・一義堂・方丈・新方丈(一本杉で建立)・経蔵・浴室等諸堂完備の県下最大の精舎である。
平成元年十二月新四国曼荼羅霊場開創五十一番札所となる。
本尊に釈迦如来、鎮守で成王瀬権現である。
◎寺地をめぐる景勝
裏山には八十八ヶ所の霊場があり毎月二十一日に巡拝
東方二百メートルのところに灌漑用水の龍澤寺大池がある
森林浴の森全国百選・龍澤寺緑地公園
◎当寺の主な行事
四月八日 花まつり
七月六日 開山忌法要
八月七日 施食会法要・成王瀬渕お水取り、龍澤寺念仏楽奉納
西予市教育委員会」
●平成大改修碑

平成16年8月。 
●昭和大改修記念塔

昭和58年9月3日落慶、昭和59年5月碑建立。 
●禹門山龍澤寺境内案内図
●偃月橋(えんげつきょう)

「偃月橋 偃月 臥せるの意 半月、弓張月のこと 地元では太鼓橋と呼ばれている 高松栗林公園に同名の橋がある」(貼り紙) 
「龍澤寺の山号は禹門山(うもんざん) 寺は山にあるべきものとしてすべて山号がある 
 寺の紋は○+ 龍天寺二代住職は薩摩藩主になるべき人 以来龍澤寺(末寺五十六ヶ寺)は寺の紋を丸に十の字とされた」(貼り紙)
●仁王門

山門前には「不許葷酒入山門」塔が建てられている。 
左右に三体ずつ地蔵菩薩が計6体建てられている。 
「仁王門の聯 
 鳥は巣う堯野の樹 魚は踊る禹門の渕
 ・尭・舜・禹は中国の理想的聖主の名前
 ・禹門の渕は中国黄河の上流にある龍門の渕のこと
  長い歳月のなかで稀に滝を登り切った鯉は更に天に上って竜に成るといわれる(魚は化して竜に成る 魚成)」(貼り紙)

「仁王門 宝永四年、当寺二十五世恵禅方丈の時、再建された。仁王尊像作師は天保十一年周防国仏師、日野岩城義光が謹刻奉納す」(説明書き) 
●山門

「山門の額 拱北の古道場 
  南海道に位置している 北に向かって手をこまぬき(両手の指を合せ敬意を表す作法)この道場へ大衆の集来を待つ
  福昌寺自厳和尚筆」(貼り紙)

天井絵が描かれている。 
「山門 当寺四十世活秀方丈の建立にて棟梁は魚成在岡田久太良、法名は大梁全棟居士と号し明治元年二月二十一日没す。末裔に魚成在、岡田宇秋家現住す」(説明書き) 
●大修復記念之塔
●鎮守堂

「成王瀬大権現 当四十世活秀方丈の再建にして、当寺の守護神なり。鎮護国家・火災除け・諸災消除の大権現なり」(説明書き) 
●中雀門

門をくぐった所に「城川町 ふるさとこみち(1) 龍澤寺 龍澤寺は山号を禹門山と称し曹洞宗の総持寺派で末でら53ヶ寺を統括する格式高い名刹である。開山は元享三年(一三二三年)示寂、龍澤寺仲翁守邦大和尚禅師、分安二年(一四四五年)示寂である。本尊は釈迦如来、脇侍仏は文殊菩薩、普賢菩薩である。昭和四十九年、寺の領内にしょうぶ庭園、つつじ園のほか、公園としての諸設備が整備された。5月8日の花祭りは有名である。 
(ろ)六百年の宝燈ともる龍澤寺 城川かるた」の説明書き有り。

「七堂伽藍 龍澤寺は曹洞宗中本山格式にそった七堂伽藍である。七堂とは七つの建物、伽藍とは梵語でお寺のこと 
 曹洞宗では仏殿と法堂がひとつの建物 仏殿が奥、法堂が手前で本堂とよぶ」(貼り紙)
●水鉢
●禅堂

「禅堂 文政六年の再建にして修行僧が朝夕に修行に専念する道場である。本尊は文殊菩薩なり」(説明書き) 
●東司
●衆寮
●鐘楼
●庫裏

「庫院 文化六年の再建にして修行僧、末寺方丈、賓客、その他一般来客等全般の食事一切を調理する庫裡である。韋駄尊天、大黒天、三宝大荒神を祀る」(説明書き) 
●客寮
●本堂

「禹門山」の山号額が掲げられている。 
「不許草履乱著」の注意書きがなされている。 
額 
 柱に「寄進 八尺間額一面 大洲領寺村 門田平右衛門」と記されているが、この額を指すのだろうか。

御詠歌:禹門山 天に登れば 龍澤寺 釈迦三尊の 智慧にあまねく 
御本尊:釈迦牟尼仏 のうまくさんまんだぼだなんばく 
「奥伊予の霊場 龍澤寺の由緒…」(パンフレット) 
「直由湯(なおゆゆう)心剛龍温泉(しんごうりゅうおんせん) 
●龍澤寺道標

「龍澤寺 当村 米蔵」 
●酒井黙禅句碑

「月寒し 中寺に残る 大れんぎ」 
信楽焼の狸が傍に置かれている。 
●新四国曼荼羅霊場開創記念碑

平成元年十二月七日 
●開山堂
●接賓(せっぴん)
●一義堂
●方丈
●新方丈
●土蔵
●味噌部屋
●浴室
●経蔵

ミニ四国の入り口。 
「経蔵 一切蔵経等を納め置く府庫 昭和四十九年四月改築」(説明書き) 
●観音堂
●ミニ四国八十八ヶ所霊場

「新四国八十八ヶ所 結番八十八番なり 高台に当寺歴代住職の墓地がある。又当寺四十九世元農林大臣広川弘禅方丈の墓所あり」(説明書き) 
「樅の木のある高台に当寺七僧墓地があり、その墓地の上段の輪塔二基は魚成豊後守道親公夫妻の遺髪塔である」(説明書き) 

龍澤寺
所在地 愛媛県西予市城川町魚成753
山号 禹門山(うもんざん)
宗派 曹洞宗総持寺派
本尊 釈迦牟尼如来
創建年 1323年
開山 徳翁正呈禅師[1]
中興年 1433年
中興 仲翁守邦禅師
札所等 新四国曼荼羅霊場51番札所
龍澤寺(りゅうたくじ)は愛媛県西予市にある寺院で、曹洞宗総持寺派に属し、56ケ寺の末寺を持っている[2]。山号は禹門山(うもんざん)で、新四国曼荼羅霊場51番札所である。
▼概要
1323年に創基、当時は龍天寺として名乗り、現在の北宇和郡鬼北町にあった[1]。1433年に薩摩藩主島津元久の長男で、巡航した仲翁守邦禅師が中興し、現在の龍澤寺と改名、寺の鬼瓦に島津家の家紋「丸に十」が刻まれている[3]。桃山時代の建築様式の七堂伽藍を建っており、3700坪の広大な敷地を持つ[4]。
座禅で修行したり、法話を聞いたり、精進料理が頂けることができる。
毎年4月にはお釈迦様の誕生日を祝う花祭りが行われている[5]。
▼文化財
西予市指定文化財指定[6]
名勝(1963年3月22日)
建造物(2003年3月25日)
▼脚注
(*1) 西予市文化財看板調査城川町魚成編
(*2) 愛媛県西予市の観光物産ガイド(龍澤寺)
(*3) 『ライト&ライフ』(2011年5月号)、四国電力 pp. 3p
(*4) 西予市商工会城川支所
(*5) JAひがしうわ(龍澤寺の花祭り)
(*6) 愛姫伝(城川町 県下最大の精舎「龍澤寺」)
▼外部リンク
新四国まんだら霊場オフィシャルページ http://www.mandala88.com/
新四国曼荼羅霊場 51番 龍澤寺 http://tadashimatunaga.web.fc2.com/sikokumandara/mizu/51.htm
(Wikipedia)

正式名 禹門山 瀧澤寺 
別称 
本尊 釈迦牟尼如来
開基 徳翁禅師
創建年 元亨三年
住所 愛媛県西予市城川町魚成764
電話番号 0894-82-0016
URL 
納経所 瀧澤寺
札所等
禹門山龍澤寺は曹洞宗総持寺派の古刹として知られ、南予一帯に末寺五十六ヵ寺を統括する。末寺は高知県や松山にも及ぶ。
創建は鎌倉末期元亨三年(1323)。龍天寺と写し、古奈良谷にあった。その後室町時代永亨五年(1443)仲翁守邦禅師によって再興された。
中興の祖、仲翁守邦禅師は薩摩藩主7代津元久の長男であったが、仏道に志した人物。諸国巡歴の途次、この地に立ち寄り、龍天寺を再興し、中興開山となった。
偃月橋、仁王門、山門、中雀門、広濶な寺域には二十五間に八間の本堂をめぐって、禅堂、一義堂、方丈、新方丈、庫裡、経蔵など建坪三千七百坪に及ぶ県下最大の精舎である。 
苔むす石畳の参道の両側には、樹齢300年を超す杉の巨木がそびえている。
【主な行事】
四月八日 花まつり
近郷近在お老若男女が参堂にひしめき延々長蛇の列をなして賑わう。
◎精進料理 予約制 3500円 坐禅、法話の後、食事
(http://tadashimatunaga.web.fc2.com/sikokumandara/mizu/51.htm)

12.一宮神社(西予市城川町魚成、33.369173,132.702564あたり)
●注連石

昭和二年十月二日 陸軍大将秋山好古謹書 
●川向水田整備記念碑
●鳥居
●常夜灯
●狛犬

参道階段を登り切ったところ。玉持ち。頭が扁平。 
●拝殿
●本殿
●手水舎
●篝火を炊いた跡
●社務所建築記念碑

平成十五年十一月吉日 

13.野村

14.鹿野川湖下手のイルミネーション

15.三島神社(松山市西垣生町)
 

20140101-初詣 松山三社詣り
●三津厳島神社
●伊佐爾波神社
 ついでに宝厳寺の現状を視察。
※護国神社は人出が多過ぎたので、参拝を断念した。
 

トップページに戻る

インデックスに戻る


ご意見・ご感想は

kotaro@kotaro-iseki.net

まで