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こたろう博物学研究所
探訪記録:2005年 |
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平成17年(2005)12月17日 松山市
1.愛媛人物博物館 平成17年度企画展「愛媛なつかし物語?地誌・絵図類でたどる愛媛の名所遊覧」の初日。 2.坊っちゃんスタジアム
平成17年(2005)12月11日 中山町探訪 国道56号線を南下し、内子町立川にて県道224号線へと右折する。 1.幟立橋周辺
※ここより石畳まで約9km。
2.龍王渓谷公園
3.次郎丸(じろまる)線改修記念碑
4.黒橋(くろはし)
船ヶ迫山を目指し、左折して小川を渡る。 5.谷橋
6.福住
民家の防風用として植えられたものだろうか、カゴノキ(コガノキ)がなかなか立派な風格で聳えている。 7.山四国
8.山四国:竹林寺(1体)
9.山四国:雪蹊寺、?(大1体、小3体)
10.衣寺権現
船ヶ迫・平松・中組(柳曽)、永木(石畳方面)分岐より、船ヶ迫方面へ。 11.山四国:観自在寺、龍光寺、明石寺、大宝寺(4体)
12.山四国:?(3体) 13.山四国?:?(1体) やがてアスファルト舗装が途切れ、これ以上は車で登るのは難しそうだ。誰もやってきそうにないので、ここに車を停めて、歩いて登山することにする。 14.船ヶ迫山登山(14:22?14:55、) 軽自動車だったら十分走れそうな未舗装道を歩いていく。
そこから林道を登っていく。ムラサキシキブの自生が随所に見られる。そして、残雪が所々に残っている。夕方が近くなっているためか段々と冷え込んでくるのだが、雪が落ちてくる様子はない。 間もなく山頂に到着。
15.町道永木坂本線開通記念碑
16.永木の里マップ
猪の峠、鳥越峠、採石場、地蔵尊、夫婦岩、森の堂、一本鳥居、三島神社、山四国八十八番、永木小学校、鷹尾翁碑、佐伯…、弘法堂、合ノ森城跡、瑠璃殿、陣ヶ森、梅原寺、龍王堂
17.梅原農道改修記念碑
18.梅原寺
19.記念碑群
21.茶堂橋
22.藤縄の森橋 ※陶器橋
23.弘法大師像/山四国:志度寺・■栗寺(石仏3体)
24.三島神社
25.茶堂
26.林道永木高見線
平成17年(2005)12月10日 砥部町散策 息子が「サッカーの試合(天皇杯)を見に行かんといけんのやけど、自転車がパンクしとる」というので、仕方なく愛車に息子の自転車を積み込み、息子を県総合公園へと送り届ける。そして、いったん砥部町のフジの100円ショップでパンク修理の道具を買い揃える。よくよく考えると、自転車の鍵を息子に手渡すのを忘れてしまっている。ダイヤルロック式の鍵も買っておかねば。
しかし、中央公民館に到着したところで、息子からの電話。「お父さん、鍵が無くなっとる…」
こんなことなら、自転車など積み込まず、素直に送迎したほうがマシだったか。まぁ明るい時間帯でパンク修理に取り組めたんで、良かったと思っておこう。 【本日の散策場所と観察物】 1.開花亭
2.真砂屋
3.うめの製陶所 4.県立運動公園 5.通谷池
6.浄瑠璃寺
7.へんろ道道標
8.瑠璃池 9.月見大師 10.新張城址
11.鳥ヶ成橋(とりがなるばし)
12.荏原城址
13.地蔵:三界萬霊
14.中央公民館
平成17年(2005)12月3日 砥部町散策 1.魔住ヶ窪
折角砥部町へと足を運んだのに、デジカメにSDカードを装着するのを忘れているではないか。口惜しい思いを抱きつつ、デジカメをいじっていたら、ふと内蔵メモリがあることに気がついた。購入後1年ほど、全く気がつかなかった。WEBサイズ(640×480ドット)ならば、100枚弱の写真を収めることができるじゃないか。
しかし、家に帰ってからパソコンに画像を転送し、撮ったはずの写真を眺めてみると、すべてピンボケではないか!
後悔先に立たず。 |
平成17年(2005)11月20日 広田村・中山町散策
●1.広田村 総津落合
※ガードレールに洗濯物を干しているオバちゃんを掴まえて「鬼の臼」の所在地を確認する。耳が遠いのか、それとも僕の言っていることが理解できないのか、何度聞いても「水ならここから上に上がったところに湧きよらいな。大きな岩のところから湧きよらい。夏の日照りでも涸れんし、全然濁らんのよ。夏場は冷やい水よ」とお答えになられる。まぁ水の情報も悪くない。と思って田渡方面へとその湧水を探しに行くのだが、それらしき水場は結局見つからなかった。 2.小田町 臼杵
※倉谷神社の前で、近所のオジさんに「田井神社」の所在地を尋ねる。どうやら自動車では行けないとのこと。歩いて上れるかどうかも聞いたのだが、地元のよく知った人でないと所在地はわからないだろうとのこと。今は臼杵三島神社に合祀されていて、荒れているとのこと。
■だいばん椿
3.小田町臼杵 折谷(おれだに) ※楽にUターンできる場所を探しつつ、川上へと進んでいくと、「折谷」と記された標識があったので、何気なく左折する。行けども民家らしきものはない。やがて建設現場(砕石場所だろうか?)に行き着いた。余りめぼしいものには出遭えそうにないので、そのまま引き返すことにした。 4.総津への道すがら ■大下橋(おおしもばし)
5.広田村総津
■地蔵橋
■総津の街並み
■三島神社
※大豆を稲架に掛けている。 ■総津集会所
■砥部町役場広田支所
■中樋橋
■立花永久橋改修記念碑
■総津橋
6.道の駅周辺
■神の森大橋
床桁:すぎ構造用大断面集成材
※川沿いの遊歩道の脇の石にはほたるのレリーフが設けられている。 7.仙波渓谷
7.広田村篠谷
8.広田村玉谷
※峠を越えると階上山が望める。 9.中山町栗田
■下兵庫川
■お旅所? ■三島神社
10.中山町栗田?中山町中心地
■二川登道路改修記念碑
※棚田 ■影之浦林道改修記念碑
■道路改修記念碑
11.中山町の中心地
12.伊予市
平成17年(2005)11月13日 双海町・伊予市散策 紅葉の季節。秋晴れだし、どっか気晴らしに出掛けたいところである。余り遠出する気分じゃないし、ガソリン代も勿体ない。
1.天一神社【双海町上灘】
2.本尊山【双海町上灘】
3.清流橋【双海町上灘】
4.旧双海町役場【双海町上灘】
5.国土調査記念碑【双海町上灘】
6.本覚寺【双海町上灘】
7.地蔵【双海町上灘】
8.戦捷記念碑【双海町上灘】
9.由並小学校【双海町上灘】 10.ふたみシーサイド公園【双海町上灘】
11.八景山公園【双海町上灘】
12.堀内芸術館(友光荘(ゆうこうそう))【双海町上灘】
13.引地川【双海町上灘 本郷】 14.大通禅寺【双海町上灘 本郷】
15.常夜灯【伊予市三秋】
石水太稲金
16.三秋の大池【伊予市三秋】
17.水之明神社【伊予市三秋】
18.西願寺【伊予市三秋】
平成17年(2005)11月11日 山梨県甲府市見聞録 業務出張で山梨県甲府市に行った。
【早朝散歩で訪れた場所・観察したモノ】 1.武田信玄像
2.舞鶴城(甲府城跡)?舞鶴公園
●内松陰門(うちまつかげもん)
3.「やますそ古の道」を歩く ●記念碑
4.長禅寺
5.「古の道」を歩く。
6.愛宕神社 7.成田不動尊
成田不動尊から少し上った浄水場からは、甲府の街並み及び盆地を取り囲む山々が一望できる。非常に良好なビュースポットである。ショートステイでは勿体ないのだが、余り時間がないので、すぐさま下山。 8.上行寺(じょうぎょうじ)
9.三念坂
10.平和通り
その他、甲府で見聞きし、また帰宅後に調べた事柄について雑記しておこう。
【タクシー運転手の話の聞きかじり】 1. JR甲府駅北口での話 11/10の夜間散歩の際、JR甲府駅北口で客待ちしていたタクシー運転手に尋ねてみる。 ■甲府温泉
■武田神社
■荒川
こんな話をしていると、本当のお客さんがやってきた。
2. 11/11朝、出張先へと向かうタクシーの運転手との話 乗り込んだタクシーは「第1タクシー」。僕の家の近所のタクシーもこれと同じ名前であり、妙に親近感を覚えてしまう。まぁ、ごく有り触れた名前であり、珍しいことではないにしろ。 ●平和通り
●甲州街道
■国道20号
●南アルプスの天然水、サントリーのこと
※「あれが南アルプスだよ」と教えてもらったのだが、実際のところ、どの山がそうなのかが即時には掴めなかった。家に帰ってから地図を眺めてみると、地蔵ヶ岳(標高2764m)、観音岳(標高2840m)、薬師岳(標高2760m)、辻山(2685m)、千頭星山(標高2139m)といった高峰が前衛の山として聳えている。僕のような一見の客にはどれがどの山などと到底識別できようもない。 ●甲武信ヶ岳(こぶしがだけ)
甲武信ヶ岳は埼玉県大滝村・長野県川上村・山梨県三富村の三村の境界に聳える。標高2,475m。日本百名山・関東百名山・関東百山・山梨百名山・日本の山1000などに選ばれている。 ※甲府城天守台から北方を仰いだときに見えた山を「甲武信ヶ岳」だと思って尋ねてみたのだが、実際に見えていたのは、帯那山(標高1422m)?太良峠(標高1120m)あたりだろう。 ●武田神社ふたたび
3. 帰りがけの電車待ちにて 「かいじ」は漢字でどう示すのだろう。東京から山梨へ向かう「あずさ」を待つ駅のホームにてそんなことを考えていた。
平成17年(2005)11月5日 伊予市探訪・考古館にて講演会拝聴 久々に探訪らしい探訪に出掛ける。とは言え、あまり遠出はしたくない気分である。というのも、ここ1週間ほど風邪ひきでダウンしていたからである。午前中は手軽なところで「伊予市」を巡り、午後からは考古館にて「考古学の魅力〜卑弥呼と祈り?」という講演を聴きに行くのが本日の計画。 1.伊予市探訪(一部松前町を含む)
2.松山市立考古館
フリーアナウンサーの木藤たかお氏、元・藤山歴史資料館長で民族藝術会員の河野正文氏の講演、そして引き続き考古館学芸員の梅木謙一氏を交えてのフリーディスカッションが行われた。
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平成17年(2005)10月22日 久し振りに考古館・湯築城・道後公園へ
娘が「福祉会館でセミナーがあるので連れてけ」というので送迎。セミナーの待ち時間をつぶすために、まずはコミュニティセンターへと足を運ぶ。 図書館にて1時間程度調べモノをした後に、考古館へ。平成17年度特別展「祈り」の初日である。「愛媛県・西日本地方に出土した祭祀遺物」を展示していて、分銅形土製品などはなかなか興味深いものであった。館員がビデオ視聴をしきりに進めるのでエントランスに座って10分ばかりのビデオも眺めた。NHKの「なぞ解き歳時記」という番組の録画で、流し雛の由来などを説明していた。思っていたよりも面白い内容で、満足。 思ったよりも時間が経つのが早く、すぐに娘を迎えに行かねばならない時刻になってしまった。それでも電話で「終わったよ」という連絡があるまでは時間を有効に活用したい。ということで、散策場所を湯築城跡・道後公園へと移す。
「せっかくここに来たならば」と道後公園内も駆け回る。伊佐庭如矢氏の銅像や湯釜薬師、句碑などを画像に収めたところで、「迎えに来てぇ」のコール。
平成17年(2005)10月15日 伊予市立図書館にて埋蔵文化財展示会を観る 僕を含む松山市在住の郷土研究者三人が集い寄って「参参(しんしん)」なる小冊子を創刊することになった。
その後、調べゴトがあったので伊予市立図書館へと足を運んだのだが、土曜日は17:00閉館ということを忘れていた。閉館5分前にもぐりこみ、必要な文献の必要ページを複写依頼を出してコピーすると、すぐさま退館せねばならなかった。落胆した様子が後ろ姿に表れていたのか、図書館員の方が「図書館は閉まりますけど、3階の埋蔵文化財展示会は17:30までやってますよ」と非常に有り難い情報を与えてくださった。そういや、この展示会のことをすっかり忘れてしまっていた。30分間の短い時間であったが、展示物の閲覧もできたし、欲しかった資料も入手できたので大満足。思わぬ収穫であった。 やはり、色々と動いてみるに限る。
平成17年(2005)10月9日 夕刊ガッツ(テレビ愛媛)取材 最 テレビ愛媛の夕方16:30からの番組で、「あなたも作家になれるかも…?」といったテーマを取り上げるので出演して欲しいとのオファーがあり、その録画取りを行った。 自宅の書斎(我が研究所)を撮影したいとの申し入れがあったのだが、我が書斎は、公共の電波に流せるような画像を撮れるはずもない状況であった。机の上は地震直後のような状態。床も足の踏み場もない状態だ。出来ることならばとお断りしたい申し上げたのだが、つい断りきれず、前日には必死になって時期外れの大掃除を敢行した。 努力の甲斐あって、どうにかこうにか取り繕うことが出来はしたが、常に片付けすることの大切さを痛切に感じた。 一通り、書斎での画像を撮り終えた後、近所の川原でインタビューということであったが、さすがに自宅のすぐそばでの撮影は、知っている人と遭遇する確率も高く、いささか気恥ずかしいので、ディレクター(兼カメラマン兼インタビュア)のOさんと共に岩子山へ。 ここならば滅多に人と遭遇することはなく、落ち着いて話ができる。しかし、滅多に人が来ない山だけあって、登山道は蜘蛛の巣だらけである。おまけに、山頂は薮蚊が飛びまくっている。蚊に刺されながらも淡々とカメラを回し、取材を進めるOさんの姿を痛々しく(痒々しく)思いつつ、適当なコトを喋り続けて、取材は無事完了した。(あんな場所に連れていき、本当にすんませんでした。) (放送は2005/10/10にあった)」
平成17年(2005)10月3日 岩子山へ登る 最近ちょっと疲れ気味。
気分を一新するためにも…と、溜まった書類を置き去りにして、17時過ぎに退社。会社帰りに岩子山へと登ってみる。
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平成17年(2005)9月24日 県立図書館へ〜堀之内界隈をぶらり散歩
以前から目を通しておきたいと考えていた資料を閲覧しに県立図書館へと足を運ぶ。館内閲覧しか出来ないと思って筆写を進めていたのだが、聞いてみると貸し出し可能とのこと。感謝感激である。
平成17年(2005)9月23日 町見郷土館へ お彼岸で里帰りした。墓参りが終わって少し時間がとれたので、町見郷土館(伊方町九町)へと足を運んでみた。
平成17年(2005)9月17日 津島町・内海村散策 調べたいことがあり、この日もかねてより「宿毛市」「愛南町」「宇和島市」と渭南地区を社中泊で広域調査する計画を立てていた。
1.高田八幡神社
2.金龍寺
3.野井集落入口の地蔵 4.野井の「お宮さん」
その神社は、集落の中ほどの小高い山の上にあった。教えていただいた道を登っていく。民家の脇より石段が続いている。その石段を登りつめると、小さな社が建っていた。
●狛犬
5.三界萬霊の地蔵 6.報恩禅寺【津島町山財】
7.報音寺川(岩松川水系)
8.御手洗橋
9.熊野神社
10.山財ダム・鷺里湖(さぎりこ)
11.横吹渓谷
12.譲ヶ葉森登山口
13.十一面観世音菩薩
14.源池
15.御内の街並みを歩く
16.下槙圃場整備碑 17.日切地蔵?
18.社日神
19.みどりの日制定記念・狩場山国有林分収育林契約分収林
20.増穂龍王大権現
21.見性寺
22.三島神社
23.満願寺
24.三島神社(三島拝高)
25.三島神社
26.禅蔵寺薬師堂 ※油袋集落の入口に小祠あり。 27.油袋(ゆたい)拝高神社
28.白王神社
29.祠
30.平碆
31.若宮社
32.嵐坂ポケットパーク「風園(ふうえん)」 33.猫神様? 34.津島やすらぎの里
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平成17年(2005)8月27日 愛媛民俗学会公開講座に参加する
松山市上野町の愛媛県生涯学習センターにおいて、
8/22の申込〆切日まで待って、スケジュールが空きそうなことが確認してから出席申込したにも関わらず、前日になって朝の4時から会社に呼び出される。
佐々木正興氏「学校教育における民俗学の成果の活用」
まで拝聴して、再び会社へと戻る。 本当は
しかし、ホント、まともに計画した予定は悉く覆されてしまうなぁ…。
平成17年(2005)8月12日 高森・陰地の頭登山(東之川より菖蒲峠経由) ●高森、3等三角点、点名:三ツ森、標高
1359.32m
7:00過ぎに松山市を出発。国道11号線を東進し、西条市氷見より県道142号線(石鎚伊予小松停車場線)へと右折し黒瀬峠へ。引き続き黒瀬湖(黒瀬ダム湖)畔・加茂川沿いの県道12号線(西条久万線)を上り、西之川へと至る。途中、昨年の集中豪雨がもたらした痛々しい爪痕が至るところで見られる。今年の旱天で干上がりつつある様子の加茂川の姿とは対照的な風景である。 石鎚ロープウェイ乗り場を過ぎ、西条自然の家の前、御塔谷と名古瀬谷の出合のところの橋を渡り、東之川へと進む。途中、道路工事で少々足止めを食らうが、建設作業者が仕事の手を休め、こころよく道を譲ってくれたので、イライラすることもなかった。 9:00少し前に瓶ヶ森登山口の駐車場に到着。 ※駐車場は4、5台の駐車スペース有り
リュックサックへのパッキング・登山届の記入等の登山準備を終え、9:10過ぎに東之川谷沿いに林道を歩き始める。間もなく、東之川にお住まいの一人の老夫に出会う。 「どこに行きなさる?瓶ヶ森へ登るんなら、この先のところが崩れとるんで迂回路を通った方がええ」
民家の脇より石積みの階段から成る細道を上っていく。薄暗い植林へと少し入くと、見事な石崖が随所に見られる。石崖には地蔵が祀られていたりもする。昔の集落跡だろうか。 この石垣群を過ぎて間もなく、右手方向に目をやれば、木々の間より石鎚の姿が見える。ここからの景色を見れただけでも十分訪れた価値があるように思う。 やがて、「菖蒲峠」「瓶ヶ森」の分岐へと至る。道端には「迂回路
瓶ヶ森」「菖蒲峠」の行き先表示の立て札がある。
急坂を上っていくと、左手に墓地が見える。記年を見るとその殆どが明治時代に建てられたものである。今は墓参に訪れる人もいないようで、荒れ果てた様子であるのが物悲しい。 杉・ヒノキの植林帯が続く。植林帯の山歩きは単調に思えがちだが、意外と雰囲気は悪くない。所々に自生したものと思われるモミ・ツガ類の巨木が聳えている。 道もしっかりしている。落ち葉のクッションが効いていて非常に歩きやすい。至って明瞭な道であり、これなら迷うこともなさそうだ。昔は往還道として人の往来も多かったことだろうが、今も荒れ果てていないところをみると、物静かな山を楽しむために足を運ぶものが割と多いのだろう。ひょっとしたら石鎚お山開きの際に瓶ヶ森への登路として使用しているのかもしれない。7月初旬にもう一度登ってみて、その真偽を確かめてみたいところである。 運動不足のせいか、足取りが非常に重い。約2kmの菖蒲峠までの道は、ほとんど水平部がなく、勾配も割合にきついので、僕のような「ぐうたら登山者」にはなかなかハードな行程である。 上方を見上げると稜線の向こうに青空が見えてくる。方角的にはやや北寄りなのだが、余りものバテように、「あそこが菖蒲峠に違いない」と信じ込みたくなる。しかし、行き着いてみれば案の定、途中の稜線に到着したに過ぎない。 木の間越しに陰地の頭が見える。かなりの険しくそそり立っているように見え、この先が思いやられる。 気を取りなおして最後の一踏ん張り。重い足を一歩一歩前へと運んでいく。 菖蒲峠の手前の登山路脇の地面に何やらぽっかりと洞穴の口が開いている。入口周辺にはカマドウマがいっぱいいる。奥深いのだろうか。ケービングしてみたくなってくるのだが、今日は生憎懐中電灯を持ってくるのを忘れてしまった。常備していなかったことをつくづく後悔する。 デジカメでフラッシュを焚いて撮影してみる限り、それほど奥深そうにはない。高々4〜5mぐらいの奥行きに見える。自然に出来たもののようにも見えるが、この付近の岩は石灰岩質でもなく、何となく奇異に思える。そういや、ここから直線距離4〜5km北東の藤之石風透には風穴がある。これと似たものだろうか。ひょっとしたら、なにか金属を採掘するための露天掘りの跡なのかもしれない。 そうこうしているうちに、菖蒲峠に着いた。目の前には林道の合流・分岐する広い空間が開けている。菖蒲峠より南へは林道ショウブ線、北へ高森東斜面を巻いて林道高森線が続いている。こんな風景には、多くの登山者が興醒め感を覚えるであろうが、人がうようよしているわけでもなく、車の姿が見えるわけでもない。静寂極まりないのだから、悪舌を並べることもなかろう。 菖蒲峠にて小休止。辺りをゆっくりとうろついてみる。 南を仰ぐと、瓶ヶ森の女山が間近に見える。瓶ヶ森の左側に見えるのは西黒森だろうか。それにしては余りにも瓶ヶ森に近付き過ぎている。とは言え、4等三角点、点名
「菖蒲峯は東之川山と、荒川山との境也、荒川山より、菖蒲迄の間二里程あり、此間に竹の平・切抜獄・郷路・勘塲の谷・竹谷・桃の木谷・菖蒲谷等いふ小名あり、これを登れば、所謂菖蒲峰にて、荒川山と東之川山との境也、右へ行けば東之川山、左へ上れば、御瀧竈、竈が森等を経て、瓶が森の絶頂に至る也、仔細に尋問ひ且歩み試て、前の如くにはしるしけるなり」(西条誌) 視界を西へと移せば、石鎚山から常住にかけての山並みが指呼に望める。石鎚のビュースポットとしては抜群のロケーションである。 また、林道高森線へと少し足を運べば東に向けての眺望も良い。黒森山、沓掛山、笹ヶ峰、寒風山などが一望できる。 せっかくだから林道陰地線のことについても触れておこう。 以前、寒風山登山帰りにチロルの森の側から少し上がってみたことがある。その時はあまり時間もなかったので途中で引き返したのだが、路面はさほど悪くない。これならば終点まで走ってみても良かった。冬場でも装備さえしっかりしておけば菖蒲峠までは悠々車で足を運ぶことができそうだ。 高森登山を目論んで計画を練っているときに、林道高森線を北進し、山頂東側から直登するコースも思い浮かべていたのだが、今回は菖蒲峠から稜線をトレースしながら登ることにした。 登り口には地蔵が1体。明治三十三年に建てられたものらしく、建立者名「工藤冨造」とともに「右フヤムネ石 左アラ川石」と刻まれている。「アラ川石」の方は「荒川」を指すのだろうが、「フヤムネ石」とはどこを指すのだろうか。全く想像がつかない。 さあ、本題である登山に話を戻そう。 菖蒲峠からの稜線伝いの登山道も相変わらず急坂で厳しい。こうも休みなく急勾配の道が続くといい加減うんざりしてくる。しかし、当初の予想に反して、スズタケなども刈り込まれており、道は明瞭で歩きやすい。 急坂を登りつめたところに、モミだろうか大木が聳えている。目通りの幹にはロープが巻かれており、神木らしき様相を呈している。大木の根元の空洞(うつろ)には2体の仏像が祭られている。左側のものは、右手・右足を挙げ、左手を腰にやっている。この姿から察するに蔵王権現像だろうか。右側のものはよくわからない。いずれも石鎚信仰に係るものであることには間違いなかろう。 この木を通り過ぎたところが、菖蒲峠より高森へ至るまでの縦走路における第1ピーク「陰地の頭」である。ケヤキの巨木が2、3見え、なかなか良い雰囲気である。ここで腰を下ろし小休止する。 登山再開。今度は急坂の下りである。せっかくしんどい思いをしながら高度を稼いだのに体力が勿体ないではないか。 しかし登山道の雰囲気は非常によい。原生林的雰囲気に満ち溢れている。道沿いにはシャクナゲの木も多く、これならば春にはもう一度訪れたくなってくる。 白っぽい大岩の横を巻いて進んだりと、変化に富んだ登山道はなかなか歩いていて楽しい。決して終始安全な道とは言えないが、メジャーな山では味わえない面白さがある。 ゆるやかにアップダウンを繰り返しつつ、高森へ至る登山路の最後のコルに下りてきたら、急に東方向の景色が開けてきた。黒森〜笹ヶ峰〜寒風山の姿が青空の下に映えている。本日一番の景観の良さである。天気予報では余り良い天気にならないように伝えていたが、雨も降らずガスもかからず、見通しは非常に良い。登った甲斐があったというものだ。
高森の南肩部の岩場からは、先ほどのコル部よりも更に景観が良い。南側には陰地の頭越しに瓶ヶ森も見渡せる。腰を下ろして昼食に移りたいところではあるが、山頂まではもう少し。気合を入れなおして足を進める。 登りはじめて休憩も含めて約3時間半。思ったよりも長時間を要してしまったが、無事3等三角点の建つ高森の山頂に到着。早速ビールで乾杯。引き続き焼肉昼食へと移る。 山頂部は木立に囲まれていてほとんど景観は望めない。落葉樹主体なので、冬場であれば見通しは良さそうである。 石鎚の姿はどうにか木の間から確認することができる。 約1時間半の山頂ロングステイの後、下山に移る。上りがしんどかった分、下りは非常に楽である。とはいえ、高森〜菖蒲峠間はアップダウンがあるので楽々すいすいというわけではない。絶対量ではなく相対量として楽だというだ。 菖蒲峠から東之川までもまずまずのペース。約1時間で登山口に着いた。 登山口(9:10)→菖蒲峠(11:25〜11:30)→高森(12:37) 登山口(16:07)←菖蒲峠(15:05〜15:10)←高森(14:15) 帰りがけに、高宮小学校跡に設けられた西条少年自然の家に立ち寄る。
平成17年(2005)8月10日 日暮れてから帰宅する生活ばかり続けてきたが、「会社一辺倒の生活じゃいかん」と思いなおして最近は日没前後の帰宅を心掛けている。勿論常に自由が利くわけでもなく、仕事がたまり続けることになるかもしれないのだが、緊張を弛緩するのが睡眠時間だけというのでは物悲しい。ある程度割りきることも必要だ。そう思いながら、今出の浜へと車を走らせ道草を食う。そして水平線へと沈んでいく夕陽を眺めるのである。 大抵の人の場合、「夕陽を眺める」のはナイーブな気持ちに襲われたときに取る行為なのだろう。僕も多少はそんな気持ちが入り混じってはいる。しかし、一家の主として生活の糧を得るための仕事が終わったこと、社会人としての自分の一日が終わったこと、会社人としての責務を今日も一日果たしたこと、そして家庭人としての自分の一日が始まること…という区切りをつけるための静寂なひとときを迎えられることは有り難いことなのだ。そんなことを考えていると、何となく明日への活力が湧いてくるではないか。 さて、今出の浜(松山市西垣生町)には次のような話が残っている。菅原道真が大宰府へと左遷されたとき、今治桜井浜より陸路をとり、そして今出の浜より船出をした。「今出」の地名は、道真公を追ってきた勅使が村人をつかまえて所在を尋ねたところ「今出たところ」と答えたことから付けられたともいわれる。 そんな伝説を思い起こしながら、沈み行く夕陽を眺めるのも、これまた一興である。
平成17年(2005)8月6日 松山から野村町への帰省がてらぶらり旅 ●金子天神社(伊予市)
●中山中学校前(伊予市中山町)
●伊予市役所中山支所(伊予市中山町)
●なかやま農業総合センター(伊予市中山町)
●遊栗館(伊予市中山町)
●三島神社(内子町)
●オズメッセ21(大洲市) ●宇都宮神社(大洲市)
●城願寺(大洲市)
●渓寿寺(大洲市)
●道の駅清流の里ひじかわ(大洲市肱川町) ●長命寺(大洲市肱川町)
●猿ヶ滝公園(大洲市肱川町)
●乙亥の里(西予市野村町)
●緒方家(西予市野村町)
●中村墓地(西予市野村町)
●たばこ乾燥場(西予市野村町)
●三島神社(西予市野村町) ●泉貨居士の墓(西予市野村町) |
平成17年(2005)7月31日 松前町探訪
●重信川河口碑【松山市西垣生町】
平成17年(2005)7月17日 陣ヶ森・皿ヶ嶺登山 久々に長時間歩きをしてみようという気になった。かといって、余り遠出もしたくはない。
重信川左岸の道を皿ヶ嶺へと向かう途中、路傍のひまわり畑に目を奪われ、ついつい寄り道をする。 ●素鵞神社(松前町中川原) ●ひょこたん池(松前町中川原) 瞽女童〜水の元〜上林トンネル〜陣ヶ森〜上林峠〜龍神平〜風穴〜水の元〜瞽女童のコースを歩く。
・ギンバイソウは中腹辺りで花開きつつある。上林トンネルより上は、まだ蕾のものが多い。
・陣ヶ森山頂には坂出からの団体さん約20名が滞在していた。
下山後、東温市上林地区を散策。 ●ほろせ石
平成17年(2005)7月10日 松山市上野町 息子が砥部の総合運動公園にサッカーの試合(U-18愛媛選抜
VS アルゼンチン)を観にいくというので送迎。
1.愛媛人物博物館(松山市上野町) 2.大宮八幡神社(松山市上野町) いざ撮影しようとデジカメを取り出したのだが、どういうわけかズーム操作・フォーカス動作が全く効かなくなってしまっている。撮影できないわけではないのだが、成り行きでしかピントを合わせられないのでは困る。
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平成17年(2005)6月18日 大西町散策
1.春日神社(北条市) 2.大西町星之浦・別府
2-4.諏訪ノ鼻
3.大西町新町
3-2.クスノキ 4.大西町大井浜
5.重茂山・おひつ岩
6.大西町山之内
7.菊間町種
8.菊間町高田(こうだ)・池原
9.菊間町西山
10.北条市萩原
平成17年(2005)6月4日 宇和島市 今日は私用のため宇和島へ。
1.番城橋
2.西園寺宣久の墓 3.来応禅寺
4.宮下の小祠
5.堀部公園
6.三島神社
7.宮下橋 8.徳正寺
9.神明神社 10.和霊神社・和霊公園 |
平成17年(2005)5月29日 新居浜市
きょうは新居浜市にて高圧ガス取扱主任者の検定試験。
1.正光寺山古墳
17:00過ぎ、松山へと帰る。
3.堀之内
平成17年(2005)5月4日 東温アルプス登山 5月連休初日に中山町の秦皇山周辺を、主に車を使って周遊したが、この連休、歩かず終いになってもいけないということで、快晴のこの日、東温アルプスへと繰り出した。 ・奥善神山への登山は、実に5年ぶり。すっかり道が良くなっていて、非常に歩きやすかった。
■その他立ち寄ったところ・観察したもの ●井内御来光の滝(東温市井内)
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平成17年(2005)4月30日 経石山公園【松山市桑原4丁目】
息子を病院に連れていき、リハビリの待ち時間にぶらり散歩。
平成17年(2005)4月29日 中山町秦皇山周辺散策 ゴールデンウィーク初日。
平成17年4月20日〜22日 新居浜市内散策 1.真光寺
平成17年(2005)4月17日 伊予稲荷神社周辺散歩 伊予市稲荷の正一位稲荷神社の境内・裏山などを散歩。
平成17年(2005)4月9日 行堂山登山+α ●行道山
●NHK行道山中継所
●八大龍王神社跡(小祠有り)
●EBC中継所 ●EAT/ITV中継所 ●松山市消防局中継所 ●行道山三角点
●伊予灘SA
●廣田神社
●埜中神社 |
平成17年(2005)3月26日 松山市大峰ヶ台周辺散策
同僚の送別会のため市内へ。会場へ向かう道中、ぶらり散策。 ●日吉神社(松山市北斎院町)
●高家八幡神社 ●大宝寺
●真光寺
●愛光学園生誕地 ●大林寺
平成17年(2005)3月21日 松山市久米方面散策 ●長善寺
平成17年(2005)3月1日 松前町散策 ●塩屋海岸
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平成17年(2005)2月26日 北条市(現松山市北条)散策
約1ヶ月間、探訪らしき探訪に出られなかった。そのウサを晴らすかの如く、北条市内広域調査へと乗り出す。 1.三津浜港(松山市三津)
2.三津内港(松山市三津)
3.常楽寺(北条市久保)
4.柳原:猪野蛍光堂周辺(北条市柳原)
5.三穂神社(北条市柳原)
6.柳原港(北条市柳原)
7.龍宮神社(北条市柳原)
8.一心庵(北条市柳原)
9.西の下大師堂(にしのげだいしどう)
10.へんろ道道標 11.北条港
12.鹿島神社(お旅所)
13.法然寺
14.杖大師・青面山養護院
15.河原地蔵堂 16.三穂神社
17.中央公民館 18.旧市役所(現松山支所)
19.宗昌寺 20.八竹山
21.厳島神社 22.正岡小学校 23.国津比古命神社
24.櫛玉比売命神社
25.庄薬師堂
26.兜跋毘沙門天立像(多門天) 27.堂 28.松山市庄農家高齢者創作館 29.奥の谷古墳 30.十輪寺
31.山守喜三右衛門一家七人之墓 32.鎌大師
■立ち話
32.貴布祢神社 33.道の駅ふわり 34.観音岳 35.波妻の鼻 36.六地蔵の板碑 37.前田池
38.大殿様【北条市磯河内】
平成17年(2005)2月20日 重信町河口にて野鳥を眺める ●西垣生町側
平成17年(2005)2月6日 松前町探訪 ●伊予市中央公民館/市立図書館
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五十崎町・河辺散策【平成17年(2005)1月30日】 ●堂
●三島神社 ●紅葉ヶ滝・ドウド(鮎返り)の甌穴へ ●ドウドの甌穴 ●紅葉ヶ滝 ●道端の地蔵 ●常盤橋(屋根付き橋) ●海蔵寺 ■瓊敷小学校跡 ●再び屋根付き橋 ●若一皇子神社 ●常久寺 ●ムクノキ ●北浦三島神社 ●林道泉谷線 ●泉谷の棚田 ●林道ダラリ線 ●だらり権現 ●泉ヶ峠 ●大師堂 ●三島神社 ●赤子滝(裏見の滝) ●三杯谷の滝 ●三島橋(屋根付き橋) ●薬師堂 ●しいたけ乾燥場 ●足半草履 ●豊年橋 保内町・長浜町散策【平成17年(2005)1月22日】 ●高徳寺
川内町・重信町散策【平成17年(2005)1月16日】
瀬戸町三机・塩成散策【平成17年(2005)1月4日】 取材メモのみ記載しときます。 ●長養寺周り
●町民センター前公園
●須賀公園
●堀切
●松浦岩蔵記念碑
●塩成小学校
●海岸端の神社・地蔵・祠
●大神宮
松山市和気地区取材【平成17年(2005)1月3日】 取材メモのみ記載しときます。 ●佐古岡神社(馬木町) ■柳泉学校跡
白形邸・田所邸を眺めながら南へ。 ●白形邸
●JR和気駅
●丹生神社(にゅうじんじゃ)
●円明寺
●御堂
●恵比須神社
●和気浜漁港
●七人のへんろの墓
●円明寺奥之院
●坂浪金毘羅神社
●勝岡八幡常夜燈 ●中野山若宮神社
●片廻公民館前
●素鵞神社
野村での年越し後、松山へと戻る【平成17年(2005)1月1日】 目覚めて戸外へ出ると、辺り一面は雪景色であった。久し振りの「雪に包まれた正月」である。しかし、今日は松山へ帰る予定。道路の状況が気にかかるところである。ウチの実家へと入る道は車1台も通っていない様子で、轍の跡も付いていない。よって本年度チェーン初装着。しかし、野村市街地まで出ると路面はシャーベット状態、宇和町に至るまでには完全に路面の雪は消滅していた。しかし、大洲はどうなっているかわからない…ということで、八幡浜・保内経由で国道379号線を通って松山へと帰る。宇和・八幡浜・保内とも、雪は殆ど無し。唯一、長浜町内だけは、路側・民家の屋根に3cmほどの積雪が見られた。 |
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