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こたろう博物学研究所
探訪記録:2005年

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平成17年(2005)12月17日 松山市
1.愛媛人物博物館
 平成17年度企画展「愛媛なつかし物語?地誌・絵図類でたどる愛媛の名所遊覧」の初日。

2.坊っちゃんスタジアム
 人物博物館の帰りがけに立ち寄る。野球資料館内、公園内を観覧する。



平成17年(2005)12月11日 中山町探訪
国道56号線を南下し、内子町立川にて県道224号線へと右折する。

1.幟立橋周辺
●幟立橋(のぼりたてはし)
・中山川
・昭和44年3月
●立川地区案内図
・昭和62年10月立川青年団
・立川公民館前
●立川中学校跡碑
「立川青年学校創立 昭和10年4月
立川中学校創立 昭和22年4月
立川中学校開校 昭和47年3月
内子中学校立川校舎 昭和47年4月
内子中学校実質統合 昭和49年4月」
●奥田石五郎君頌徳碑
・幟立橋の袂
・井上酒店前

※ここより石畳まで約9km。
※論田、立山へと至る道は県道329号線(石畳中山線)。

2.龍王渓谷公園
●龍王渓谷公園土地寄付者名碑
●龍王社?
 川べりに新しそうな社殿が建てられている。
●龍王淵?
 ここに龍王社が祀られていることから察するに、大蛇伝説でもあるのだろうか?
●龍王神社龍王公園休憩所新築落成記念碑
・平成8年9月吉日
●龍王神社
 小祠が巨巌の袂に祀られている。祠には「藤ヶ森龍王神社」の額が掲げられている。
 祠内部には身体に蛇を絡ませた像が置かれている。
 賽銭箱の上には卵が備えられている。

3.次郎丸(じろまる)線改修記念碑
・中山町長 森…
・昭和53年3月竣工
・藤之郷川

4.黒橋(くろはし)
・平成7年1月
・藤之郷川

船ヶ迫山を目指し、左折して小川を渡る。

5.谷橋
・平成元年3月
・藤之郷川

6.福住
●福住農道改修記念碑
・愛媛県知事 久松定武
・昭和41年12月
●名匠成田徳松之碑
・昭和39年10月
●福住川
・肱川水系
・土石流危険渓流
●林道改修記念碑
●山四国:焼山寺(2体)

民家の防風用として植えられたものだろうか、カゴノキ(コガノキ)がなかなか立派な風格で聳えている。

7.山四国
●常夜灯
・文化十一甲戌三月吉日
●山四国:恩山寺、立江寺、鶴林寺(4体)

8.山四国:竹林寺(1体)
 道端のコンクリート壁を繰り抜いて、石仏が収められている。

9.山四国:雪蹊寺、?(大1体、小3体)
 道端にコンクリート製の御室あり。

10.衣寺権現
・昭和42年4月奉納。

船ヶ迫・平松・中組(柳曽)、永木(石畳方面)分岐より、船ヶ迫方面へ。

11.山四国:観自在寺、龍光寺、明石寺、大宝寺(4体)
 路壁に4箇所の刳り抜き祠が設けられ、各々1体づつ石仏が安置されている。
 41番仏木寺の石仏はいったいどこに安置されているだろうか。

12.山四国:?(3体)

13.山四国?:?(1体)

 やがてアスファルト舗装が途切れ、これ以上は車で登るのは難しそうだ。誰もやってきそうにないので、ここに車を停めて、歩いて登山することにする。

14.船ヶ迫山登山(14:22?14:55、)

 軽自動車だったら十分走れそうな未舗装道を歩いていく。
地図に破線で示されている山道とは、少し位置関係が異なっているようだが、一番高いピークを目指して成り行きで歩けばどうにか山頂に辿り着けるだろう。
 そんな気楽な気分で歩いていくと、やがて頼り甲斐のある、1基の標柱が道端に立っていた。「船ヶ迫登山口」と記している。永木小学校により建てられたものだ。

 そこから林道を登っていく。ムラサキシキブの自生が随所に見られる。そして、残雪が所々に残っている。夕方が近くなっているためか段々と冷え込んでくるのだが、雪が落ちてくる様子はない。

 間もなく山頂に到着。
 山頂は意外と広々としている。平の中央に地蔵堂やケルンが見られる。そして、奉納の痕跡を示す石柱が数基建てられている。
・大正六年七月二十八日、黒田石五郎、西山喜八郎
・「奉納地蔵尊」、明治二十六年三月四日、黒田万五郎、西山佐太郎、中村熊五郎
・昭和三十六年二月、黒田数…、中村亀五郎

15.町道永木坂本線開通記念碑
・昭和60年4月

16.永木の里マップ
 永木小学校ボランティアにより作成されたもの。この地図から、固有名詞を拾い上げておこう。

 猪の峠、鳥越峠、採石場、地蔵尊、夫婦岩、森の堂、一本鳥居、三島神社、山四国八十八番、永木小学校、鷹尾翁碑、佐伯…、弘法堂、合ノ森城跡、瑠璃殿、陣ヶ森、梅原寺、龍王堂
船ヶ迫、河の森権現

17.梅原農道改修記念碑
 県道_号、梅原への入口にある。
・愛媛県知事 久松定武書
・昭和40年4月

18.梅原寺
・山号:天香山
●六地蔵
●樅(?)の巨木
●梅原寺位牌堂庫裡新築・本堂修復記念碑
・平成8年2月落慶
●常夜灯
・文政三辰年仲春日
●馬頭観音
・山門下
※この寺から船ヶ迫山が真向かいに見える。

19.記念碑群
 道路沿いに4基の記念碑が立ち並ぶ。
●立川上灘線県道移管記念
・昭和24年5月
●改修記念碑
●鷹尾寅太郎翁之碑
・昭和24年5月
●道路改修速成会寄付…城戸庄五郎
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20.永木小学校
 未だ正門には「中山町立…」のプレートが取り付けられている。
●「開校百年」の碑
・愛媛県知事白石春樹書
●忽那快風句碑
●自然植物観察歩道「草や花のわかる道」
●道標「かみなだ二リ十二丁 うしのみね一リ二丁」

21.茶堂橋
・肱川水系奥川(土石流危険渓流)

22.藤縄の森橋 ※陶器橋
 永木小学校生徒による陶板画などが欄干に当て込まれている。
・アーチ橋
・平成8年10月完成
・肱川水系永木川(土石流危険渓流)

23.弘法大師像/山四国:志度寺・■栗寺(石仏3体)
・中山町指定有形文化財(石造物)(平成17年3月1日指定)
・建立年:1795年
 旧大洲街道筋であり、通行人の安全を祈願して建立されたと伝えられている。

24.三島神社
●鳥居
・元禄十六癸未歳三月
・中山町指定有形文化財(石造物)(平成17年3月1日指定)
・金石文字には、当村名主長岡尹貞発起人・神主佐伯能登守・石大工尾崎九兵衛と明記されている。
●楼門
●一本鳥居
●石灯篭
・元禄十六癸未歳三月
・藤縄の森三島神社には、氏子達の寄進により多くの灯篭が建立されているが、中で最も古いものである。
●狛犬
・文政四年八月吉日
●境内社:稲荷神社/杵築神社
・本殿左側
・文久元年奉斎
●境内社:八幡宮/小千神社/鹿島香取宮
・拝殿右斜め前
・慶應に年丙寅奉斎
「ヤシキシン」と書かれた…
●鎮座1220年祭碑
●八股のヒノキ
●境内社:八耳神社
●境内社:足塚神社
●境外社:石鎚神社永木遥拝所

25.茶堂
●灯篭
・奉日本総鎮守
・文政二巳卯年八月吉日
●山四国:大興寺・神恵院

26.林道永木高見線
・幅員4.9km、延長5.6km
 始点?終点全線舗装済み。道端で、所々柱状節理の観察が出来る。
●地蔵
●鳥越峠
●林道永木高見線開通記念の碑
 珍しい木製碑。巨木の幹をまるごと利用している。
・工事延長9,528m、事業期間:平成元年度?平成10年度、事業費:1,744,950千円、事業主体:愛媛県



平成17年(2005)12月10日 砥部町散策

息子が「サッカーの試合(天皇杯)を見に行かんといけんのやけど、自転車がパンクしとる」というので、仕方なく愛車に息子の自転車を積み込み、息子を県総合公園へと送り届ける。そして、いったん砥部町のフジの100円ショップでパンク修理の道具を買い揃える。よくよく考えると、自転車の鍵を息子に手渡すのを忘れてしまっている。ダイヤルロック式の鍵も買っておかねば。
 せっかくなので、「陶街道五十三次」のチェックポイントでも回っておこうと、開花亭・真砂屋などに立ち寄り、その後、西野公園にてパンク修理。修理完了したので、自転車に乗って総合運動公園へ。
 きちんと施錠して、駐輪場に自転車を置く。そして、通谷池の脇を散歩しつつ、西野公園へと戻る。
 その後は、晴れて自由時間。近隣散策に移ることとする。

 しかし、中央公民館に到着したところで、息子からの電話。「お父さん、鍵が無くなっとる…」
「何ぃ?ちゃんとダイヤル式の鍵かけとったろが?」
「いや…。嵌め込み式の鍵が抜かれとる…」
何と性質の悪いヤツがいることだろうか。わざわざ他人の自転車の鍵を抜き取るとは。
 おかげで、結局散策は中止。またもや運動公園まで息子を迎えに行き、愛車に再び自転車を積み込む羽目に。

 こんなことなら、自転車など積み込まず、素直に送迎したほうがマシだったか。まぁ明るい時間帯でパンク修理に取り組めたんで、良かったと思っておこう。

【本日の散策場所と観察物】

1.開花亭
●坂村真民詩碑(第100番碑)「念ずれば花ひらく」
●成就石「どんな願いでも告げて下さい。どんな願いでもかなえて下さる霊石です」
●陶街道五十三次案内マップ(陶街道起点)

2.真砂屋
●井上正雄記念館
※ちょうど「陽器なやきもの展」というのをやっていた。土造窯(坂本明三郎)、つもる窯(宇都宮積)の両氏の作品を展示していた。宇都宮積氏としばらくお話させてもらった。宇都宮氏は非常に物腰が低く丁重な物言いで、色々と説明をしてくださった。

3.うめの製陶所

4.県立運動公園

5.通谷池
●碑
・天保四癸■歳三月吉祥日

6.浄瑠璃寺
●寺号碑
・昭和46年5月吉日
●正岡子規句碑「永き日や衛門三郎浄瑠璃寺」
●へんろ道道標
 参道階段前。道を挟んで向かい。
●釈迦(?)の手形石「知恵と技能」
●九横(くおう)封じ石
 標柱に"うらをごらん"と書かれている。
 "薬師如来は九横(九つの災難)"を救う。
●鎮魂の皿
●イブキ(3本)
・松山市指定天然記念物(昭和43年10月25日)
 目通りほどに大きなウツロあり。どうやら幹内部は空洞化しているようだ。
●もみ大師
・豊作、延命
●竜頭観音(りゅうずかんのん)
 "命の水を下さる竜頭観音"との説明書きが観音像の脇に。その台座には延命水と書かれている。
●燈ぼさつ
●手洗い?
 親子亀、瓶の中に亀。
●仏足石
・昭和48年仏誕2597年、弘法大師生誕1200年
●仏手花判
・ほとけの指紋
●一願弁天
●イブキの巨木
・一願弁天の裏
●本堂
●大師堂
●平岡遠江守通倚の墓
 元々は久谷村指定文化財であった。
 墓碑の西側に宝篋印塔あり。
●水守地蔵
・水子菩提、家内安全、子孫繁栄
●おだんご薬師
●へんろ道道標
・歩きへんろ道 (47)八坂寺へ700m
・"境内は御仏のお膝です"、"今生きていること有難し","今日の一日を充分に味わう"

7.へんろ道道標
 瑠璃池へ向かう途中の道沿いに建っている。

8.瑠璃池

9.月見大師

10.新張城址
●小祠:土岐神社
●常夜灯
「石氏金」
「明治12年9月吉良日」

11.鳥ヶ成橋(とりがなるばし)
・昭和35年5月20日
 新張城北側に架かる。

12.荏原城址
●小祠
●若宮神社

13.地蔵:三界萬霊
・荏原城北西、堀の外側の道沿い

14.中央公民館
●友愛のモニュメント
●砥部町民憲章碑
●陶板壁画



平成17年(2005)12月3日 砥部町散策

1.魔住ヶ窪
2.大森彦七供養塔
3.一等水準点
・大森彦七供養塔の下、道沿いにある。
4.理正院
5.水満田古墳公園
6.円通寺

 折角砥部町へと足を運んだのに、デジカメにSDカードを装着するのを忘れているではないか。口惜しい思いを抱きつつ、デジカメをいじっていたら、ふと内蔵メモリがあることに気がついた。購入後1年ほど、全く気がつかなかった。WEBサイズ(640×480ドット)ならば、100枚弱の写真を収めることができるじゃないか。
 気を取り直して、訪れた先で軽快にシャッターをきりまくる。

 しかし、家に帰ってからパソコンに画像を転送し、撮ったはずの写真を眺めてみると、すべてピンボケではないか!
 そういや、昨日、文献を接写モードで撮影してOCR作業をしたまま、焦点距離の設定を変えるのを忘れてしまっていた。普段ならばすぐに気付くものを、SDカードを装着し忘れたことですっかり舞い上がってしまっていたようだ。

 後悔先に立たず。

平成17年(2005)11月20日 広田村・中山町散策

●1.広田村 総津落合
■玉谷川
■田渡川
■新倉谷橋
・平成2年3月完成
※新倉谷橋から田渡川を見下ろすと、何やら謂われがありそうな深淵があった。名も知らぬ淵なれど写真に収める。橋の下にも下りて観察する。
■石仏(2体)
※路側のコンクリート壁を刳り抜いた祠に2体の石仏が祀られている。
■四国のみち道標
※「44番 大宝寺 16.6km」と刻まれている。
■総津落合バス停留所
■落合トンネル
・愛媛県 平成4年3月 延長103m 幅9.75m 高4.5m 施工 村上工業株式会社
■落合橋
・竣工年月不明
■石燈篭に祀られる木像
・玉谷川右岸、落合大師堂(バス待合所)よりやや下手の道沿いに石燈篭があり、その中にちいさな木像が祀られている。
■落合大師堂
 向かって左より、
 ■大師堂建立碑
 ・昭和3年
 ■大師堂建立碑
 ・建立年月不明
 ■落合大師堂改築記念碑
 ・昭和56年5月
 ■大師堂建設記念碑
 ・昭和56年5月

※ガードレールに洗濯物を干しているオバちゃんを掴まえて「鬼の臼」の所在地を確認する。耳が遠いのか、それとも僕の言っていることが理解できないのか、何度聞いても「水ならここから上に上がったところに湧きよらいな。大きな岩のところから湧きよらい。夏の日照りでも涸れんし、全然濁らんのよ。夏場は冷やい水よ」とお答えになられる。まぁ水の情報も悪くない。と思って田渡方面へとその湧水を探しに行くのだが、それらしき水場は結局見つからなかった。

2.小田町 臼杵
※上流へと溯っていく。途中渓流に目をやると、松山市久谷町の「蛇の釜」のような地形になっている場所がある。石灰岩質の岩を侵食した細い谷なのだが、注目すべき代物ではないのかもしれない。
■倉頭川
■倉谷神社
■六地蔵
■道標
■碑

※倉谷神社の前で、近所のオジさんに「田井神社」の所在地を尋ねる。どうやら自動車では行けないとのこと。歩いて上れるかどうかも聞いたのだが、地元のよく知った人でないと所在地はわからないだろうとのこと。今は臼杵三島神社に合祀されていて、荒れているとのこと。
※今日のところは探訪を断念。オジさんに「だいばん椿」の所在地を教えてもらう。倉谷神社から東を仰ぎ、「あの送電線鉄塔の丁度下あたりよ。道沿いにあらい。この先は道が細くなっとるんじゃが、ちょうど離合できる場所があって、そこにあるんよ…」と教えていただいた。

■だいばん椿
※案内板も何も立ってないので、うっかりすると通過してしまう。
※先ほどのオジさんの教えがなければ、まずそれが「だいばん椿」であることには気付かなかったであろう。
※だいばん椿の上部には小さな社が祀られていた。

3.小田町臼杵 折谷(おれだに)

※楽にUターンできる場所を探しつつ、川上へと進んでいくと、「折谷」と記された標識があったので、何気なく左折する。行けども民家らしきものはない。やがて建設現場(砕石場所だろうか?)に行き着いた。余りめぼしいものには出遭えそうにないので、そのまま引き返すことにした。

4.総津への道すがら

■大下橋(おおしもばし)
・平成2年完成。国道379号線に架かる。

5.広田村総津
■秀禅寺
・曹洞宗瑞雲山
・本堂には「聖観世音」と記された額が架けられている。
 ■道路改修紀念碑
 ・参道入口に建てられている。
 ・明治45年3月建立
 ※多居谷へと抜ける道の途中にあるテレビ塔が聳える山を望む。
 ■イヌマキの巨木
 ■句碑
 ■六地蔵
 ■山門

■地蔵橋
・昭和62年3月竣工。
※「泉」という屋号の鏝絵、その下の窓の中央には何故だか温度計の鏝絵が。
※地蔵橋より立花城跡の残る小山を望む。
■地蔵
※「地蔵橋」の名の元になっているのはこの地蔵だろう。穴明き石が紐を通して掛けられているところを見ると、耳の病気に御利益有りか。

■総津の街並み
■佐々木酒造主屋・レンガ煙突
・国登録文化財
・砥部の里めぐり陶街道五十三次
・清酒八重菊

■三島神社
 ■狛犬
 ・昭和10年10月
 ■倉橋隆宣翁記念碑
 ・昭和13年1月25日建立
 ・倉橋隆宣氏は備中国生まれ。安政五年四月十五日、広田村の郷社三島神社の社家第43代として跡継に入る。
 ■常夜灯
 ・参道階段上部
 ・明治18年3月
 ■常夜灯
 ・参道階段最上部
 ・嘉永元戌申七月
 ■境内社(摂社):金毘羅社
 ■銀杏の巨木

※大豆を稲架に掛けている。

■総津集会所
 ■半鐘
 ■総津集会所建設/あたご道路建設碑
 ・昭和49年4月
 ■常夜灯
 ・明治17年7月

■砥部町役場広田支所
 ■広田村閉村之碑
 ・明治二十三年?平成十六年(1890年?2004年)
 ・平成十六年十二月三十一日 広田村村長 三好晃二

 ■中樋橋
 ・昭和34年3月竣工
 ■川崎正義先生之像
 ・昭和46年10月 広田村長 三好清
 ■渡邊成寿翁頌徳碑
 ・県知事 久松定武 揮毫
 ・(裏面)渡邊成寿翁頌徳碑建設趣旨 広田村長 三好清書
■総津小学校

■立花永久橋改修記念碑
・昭和38年建設
■立花橋架設記念碑
・昭和28年10月建立

■総津橋
・昭和33年11月竣工
■牛馬を守る仏?
■御大典記念樹の碑
■碑

6.道の駅周辺
■道の駅・峡の郷ひろた
 ■神藤橋(吊り橋)
 ・平成9年11月竣工
 ■県武道館円柱原木の杉の根株
 ・「これは県武道館で利用した円柱原木の杉の根株です。樹齢は約120年で、本村玉谷 橋本昭夫氏から提供していただきました。伐採日 平成13年3月25日」
 ■鉱山鉄道の橋
 ■陶芸舎

■神の森大橋
 ■説明書き-1
 「近代木造車道橋の発祥
神の森大橋は20トンの自動車荷重に耐えられるように設計された1等橋で、我が国で最初の本格的な木造による車道橋であります。その安全性や耐久性等は現代橋梁工学の面からも極めて優れた要素を持っております。
本橋の設計に当たっては、農林水産省森林総合研究所で実物1/2のモデル橋に対する各種の強度実験が行われました。また橋梁の部材は地場産の杉材を使用した構造用大断面集成材で造られております。
安全性をより高めるためにアーチ部材を箱型断面にしたり、屋根を付けて雨水による木材の腐食を防ぐなど構造上の工夫が随所に見られます。さらに近代木造車道橋の舗装に適した材料の開発も行われ、弾性舗装が施工されております。
本橋は、今後に発展が予想される我が国の近代木造車道橋時代の先駆をなす橋であると思われます。
その架設の意義はまことに深いものがあります。
(金沢工業大学教授 工学博士 本田秀行)」
 ■説明書き-2:神の森大橋全体図
 [データ]
 橋格/一等橋 TL-20
 形式/集成材2ヒンジアーチ
 支間/l=23m
 幅員/車道 5m
 使用材木/アーチリブ:すぎ構造用大断面集成材
      対傾構:すぎ構造用大断面集成材
      横構:すぎ構造用大断面集成材

      床桁:すぎ構造用大断面集成材
      補剛桁:すぎ構造用大断面集成材
      床板:べいまつ製材(北米式プレストレス木床材
 [特徴]
●新しく設計された木橋として我が国最初の一等橋です。
●アーチリブ他主要な構造部材に、地元産出の「すぎ」大断面集成材を使用しています。
●科学的に耐久性を付与するため、集成材ラミナの段階で防腐剤(DDAC)を注入し、その後積層接着して大断面集成材を製造しています。防腐剤注入が接着力に及ぼす影響については、実験を行い、大丈夫であることを確認しています。
●床の構造に、北米で盛んな「プレストレス床板」という経済的な方法を採用しています。
●構造的に耐久性を増すために、アーチリブの全長にわたってその上面に小屋根を付け、更に対傾構、横構等が集中する部分に大屋根を設置しています。
●アーチリブの運送上の制約から、アーチリブの2ヶ所に接合部を儲(ママ)け、現場で剛接合しています。
●アーチリブの横安定性を増すために、アーチリブをダブルに、かつ間隔を広くとって箱型に配置しています。」

※川沿いの遊歩道の脇の石にはほたるのレリーフが設けられている。

7.仙波渓谷
■仙波渓谷
・えひめ森林浴八十八ヶ所 48番「仙波ヶ嶽」
 ■六地蔵
 ・一体が欠如。
 ■嶽見橋(たけみばし)
 ・昭和63年3月竣工
 ■土居不可止句碑
 ■仙波ヶ嶽トンネル
 ■仙乃橋
 ・旧道に架かる。
 ■峡乃橋
 ・国道379号線に架かる。
 ■仙波渓谷マップ

7.広田村篠谷
■新篠谷橋(しんしのたにばし)
・平成11年11月竣工
※東方に聳える北ヶ森を望む。

8.広田村玉谷
■玉森三島神社
 ■鳥居(石)
 ■社号碑
 ・明治23年8月建立
 ■狛犬
 ・明治36年8月建立
 ■鳥居(木)
 ・山王造り
 ・平成6年10月
 ■常夜灯
 ・明治36年8月建立
 ■隠居神
 ・本殿裏の石積みの祠の中に木像が2体。

※峠を越えると階上山が望める。

9.中山町栗田
■六地蔵
■地蔵
■地蔵
■オムロ・
■農業構造改善実施記念碑
・昭和40年5月31日建立

■下兵庫川
・肱川水系

■お旅所?

■三島神社
 ・元郷社
 ■大杉
 ・幹周 7.7m
 ・樹高 45m(樹元地下4m)
 ・樹齢 400年以上(伝承)
 ・杉では中山随一の巨木で大東亜戦中出征者の弾丸よけを祈念し竹スダレで囲んで兵士を守護されたと言われその幹肌は美しい名木である。 平成3年3月 中山町産業課
 ■中山町指定文化財(天然記念物)
 スギ
 ・樹齢 推定400年
 ・樹高 40m
 ・胸高幹周 610cm
 ・烏帽子杜三島神社の神木である。
   平成17年3月1日指定 中山町教育委員会
 ■中山町指定有形文化財(石造物)
 石鳥居
 ・建立年 1792 寛政4年
 ・石灰岩石で造られ、風雨に侵食されながら今日に至る。
   平成17年3月1日指定 中山町教育委員会
 ・寛政四壬子年二月
 ■狛犬
 ・平成16年3月建立
 ■御神橋(ごしんきょう)
 ・昭和35年10月竣工
 ■神名石
 ・昭和60年11月建立
 ■境内社:
 ■境内社:

10.中山町栗田?中山町中心地
■鬼の金剛つり(栗田の入口)
・藁すぼ、草鞋、しゃもじを吊るす

■二川登道路改修記念碑
・昭和45年5月建立

※棚田

■影之浦林道改修記念碑
・昭和42年12月建立

■道路改修記念碑
■山岡橋
・栗田川

11.中山町の中心地
■三島神社
 ■神名石
 ・「大山積大神」と刻んである。
 ・明治26年8月建立
 ■石鎚神社/金刀比羅神社
 ■行司 岩井茂太郎

12.伊予市
■コスモス園



平成17年(2005)11月13日 双海町・伊予市散策

紅葉の季節。秋晴れだし、どっか気晴らしに出掛けたいところである。余り遠出する気分じゃないし、ガソリン代も勿体ない。
そういや愛媛新聞の記事に、双海町の堀内芸術館で「白鷹幸伯/菊地壮三郎/KAZ OHISHI 三人展」が本日最終日と記していたのを思い出した。KAZ OHISHIさんの切り絵は何としても見ておきたい。
ということで、双海町上灘を中心に、本尊山登山・周辺散策へと繰り出すことにする。

1.天一神社【双海町上灘】
●社号碑
・日露戦役紀念
・明治40年1月2日建立
●社景改修費
・参道階段にあり。
●注連石
・参道階段最上部(境内)にあり。
・「神人」(右側)、「不二」(左側)
●境内社:恵比須神社
●境内社:金毘羅神社
●境内社:金神天神神社
●境内社:住吉神社
●境内社:青麻三光宮
●境内社:灘邊神社
●本尊ノ宮・稲荷神社跡遥拝所
●稲荷神社社号碑
●讃州金刀比羅宮御注連石寄附碑

2.本尊山【双海町上灘】
※天一神社の左手より、線路を超えて登山道に移る。

3.清流橋【双海町上灘】
・上灘川
・昭和50年8月架設

4.旧双海町役場【双海町上灘】
●井上熊太郎翁頌徳碑
・久松定武書
・昭和26年9月3日
●公民館まつり
・元の双海町役場にて公民館まつりという催しをやっていた。本当はここに車を停めさせてもらって、上灘の街並み散策をする予定だったのだが、まつりのメイン会場ということで、車を停めるどころの騒ぎではない。
●双海町閉町之碑
●双海町民憲章碑
・昭和60年3月3日制定
●双海町議会 記念
●プロペラ
「鎮魂 このプロペラは昭和十九年八月九日…」

5.国土調査記念碑【双海町上灘】
・着手 昭和50年4月1日 完了 昭和63年3月31日
・実施面積 61.94k? 総事業費 524,279千円
・双海町長 丸山勇三

6.本覚寺【双海町上灘】
・山号:隨縁山
・宗派:浄土宗
●八幡宮
●六地蔵

7.地蔵【双海町上灘】
●上水道落成記念碑

8.戦捷記念碑【双海町上灘】
・由並小学校下にある。
・明治三十七八年戦後建之
・陸軍中将土屋光春書

9.由並小学校【双海町上灘】

10.ふたみシーサイド公園【双海町上灘】
●童謡の小路
・ふたみシーサイド公園内に童謡碑が数基設けられてられていた。
?赤とんぼ(恋人岬)
?夕日
?夕焼小焼
?紅葉
?故郷の空
?あの町この町
●希望岬
●恋人岬
●夢岬
●幸福の鐘
●時を超えた巨人モアイ
※KAZ OHISHIさんの絵葉書を購入。

11.八景山公園【双海町上灘】
●鳥獣供養塔
●鳥居
・明治31年9月
・石工は松前町高木嘉市郎
●金毘羅大権現常夜灯
・文化14年11月
・展望台下の松の木の根元
●歌碑
「春の日を八景山…」
・展望台下
・双海町制三十周年記念 昭和六十年三月建立

12.堀内芸術館(友光荘(ゆうこうそう))【双海町上灘】
★白鷹幸伯/菊地壮三郎/KAZ OHISHI 三人展
※コーヒーを戴きながらKAZ OHISHIさんと談話。「本尊八景」のロケーション等について御教えいただく。帰り際、奥さんにみかんを頂戴する。
また、KAZ OHISHIさんには、後日「本尊八景」に関する資料を郵送戴いた。あつかましい御願いにも関わらず、どうも親切なご対応をいただき、本当にありがとうございました。

13.引地川【双海町上灘 本郷】

14.大通禅寺【双海町上灘 本郷】
・宗派:臨済宗東福寺派
・山号:智勝山 
●寺号碑
・平成8年5月建立

15.常夜灯【伊予市三秋】
  奉

石水太稲金
  神  
  宮  

16.三秋の大池【伊予市三秋】
●大池線竣工記念碑
・平成元年三月

17.水之明神社【伊予市三秋】
●厳島神社
・祭神:市杵島姫命、多岐理比売命、多岐津比売命
●天神社
・祭神:■相丞、仲将殿、吉祥女
●素鵞神社
・祭神:建速須佐之男命
●春日神社
●秦神社
●秋葉神社
●石鎚神社

18.西願寺【伊予市三秋】
※寺の飼い猫だろうか、人なつっこく側にやってきて、足元に顔をすりつけてきた。余りにも可愛いので、しばし遊ぶ。


平成17年(2005)11月11日 山梨県甲府市見聞録

業務出張で山梨県甲府市に行った。
旅行ではないのだが、夜間・早朝の時間を利用して、ほんの少しだけ「旅行気分」を味わったので、そこでの見聞録を記しておくことにする。

【早朝散歩で訪れた場所・観察したモノ】

1.武田信玄像
 JR甲府駅前。駅から出て右側の派出所前の広場にある。
 本体総長370cm。巨大なブロンズ像である。
 昭和44年4月12日に除幕した。
 乗り込んだタクシー運転手の話によれば、この信玄像、もともとは駅前ロータリーにあったらしい。昭和61年の「(第41回)かいじ国体」のときに駅ビルを建設。そのときに現在地へと移したという。

2.舞鶴城(甲府城跡)?舞鶴公園
 宿泊した「サンパークホテル内藤」の裏手という非常に好都合な場所に甲府城跡があった。昨日の夕食後、大浴場で身体を暖めた後にも天守台まで上り、しばし夜景を眺めた。本日の早朝散歩で、もう一度公園全体を巡ってみる。

●内松陰門(うちまつかげもん)
●銅門(あかがねもん)跡
●暗渠
●天守台
・天守台の石垣の石には多数の落書きが刻まれている。歴史的遺構にこんなものを残すとは本当に困ったことだ。
・天守台より南を仰げば頭に雪を被った富士山を目にすることができた。生憎曇天気味ではあったが、姿を見れただけでも良しとせねばならない。
■明治天皇御登廰之趾の碑
「明治天皇御登廰之趾 山梨県」「昭和十三年三月建之」
●本丸櫓跡
●煙硝蔵跡
●稲荷櫓
●線刻画
●庄城稲荷(しょうじょういなり)跡
●二重の石垣
●数寄屋櫓(すきややぐら)跡[別称:巽櫓(たつみやぐ
●石切場(いしきりば)跡
■明治天皇御製歌碑
●水溜(みずだめあと)跡
●稲荷曲輪門
■小田…頌徳碑
●遊亀橋(ゆうきばし)
・平成12年9月竣功の木製の橋。
・橋の袂では菊花展が行われていた。
●庄城稲荷大明神
●高い石垣
●堀

3.「やますそ古の道」を歩く

●記念碑
 道端の民家敷地内に何やら記念碑らしきものがある。碑文の中に「舞鶴城」という文字が見えるので、とりあえずカメラに収める。
 「内容読解はまた何時の日か」ということで。
●よっちゃん食品工業株式会社の看板を見掛ける
 普通の人には全く目にも留まらぬモノであろう。しかし知る人ぞ知る「駄菓子のよっちゃん」である。今まで余り意識しなかったのだが、「よっちゃん」は山梨の企業だったのだ。それを知ったことに何となく嬉しくなり、この看板を写真に収める。
●蛍橋
 長禅寺前の小川に架かる。以前は蛍が飛び交う川だったのだろうか。今ではコンクリートで覆われてしまっていて、蛍が棲むような川には到底思えない。
●長禅寺架道橋
 JR線路の下を通り抜ける。路側に「金手?甲府間 長禅寺架道橋 JR東海 静岡支社 身延工務区 05566-2-1210」と記された表示板が貼りつけられている。
 橋桁がレンガ積みとなっていて、何となくエキゾチックな感じがする。レンガ積みの建築物・構造物というだけで、近代化遺産に見えてくるのは病気だろうか。

4.長禅寺
●門前の碑
 「武田信玄公北堂大井夫人之塋處 晴信幼時修学之道場 機山公参禅薙髪之霊跡 瑞雲山 長禅寺」と記されている。
 ここで「塋」は「はか」と読む。墓のことである。
●「武田史跡」案内図
●鐘
●武田信玄公母堂 北之坊霊廟
 堂の前の石標には、その由来らしきものが記されている。昭和31年11月3日に当寺の住職が建てたものらしい。
 堂には、茶碗が多数かけられている。何の願掛けなのだろうか。
●信玄母堂大井夫人之墓参詣道

5.「古の道」を歩く。
●道端の小社
●三念坂改修碑
●山梨県立愛宕山こどもの国 科学館 入口
 「歩いて15分」とあるが、早朝散歩に残された時間はあと40分少々。愛宕山にも登ってみたかったのだが断念せざるを得ない。
●山梨英和高校入口

6.愛宕神社

7.成田不動尊
 看板から拾い書きしておく。
  縁日:毎月1日・15日・28日
  真言密教護摩祈祷
  家内安全・商売繁昌・厄除・交通安全

 成田不動尊から少し上った浄水場からは、甲府の街並み及び盆地を取り囲む山々が一望できる。非常に良好なビュースポットである。ショートステイでは勿体ないのだが、余り時間がないので、すぐさま下山。

8.上行寺(じょうぎょうじ)
 山号は恵日山、宗派は日蓮宗。
 境内地脇に五輪塔がある。その塔の前には「上行院」と刻まれた碑が建っている。

9.三念坂
 三念坂改修碑の立つ場所からJR甲府駅北口へと向かうなだらかなスロープを降りる。その坂を降りきったところの小川に架かる橋の名を確認すると「三念坂橋」とある。平成2年3月竣工。河川名は「藤川」らしい。
 二十歳のときに散策した、京都の三年坂(清水の子安観音へ安産祈願する参詣道ということで「産寧坂」とも記される)のこと、グレープ(さだまさしの所属していたフォークデュオ)をふと思い出した。

10.平和通り
 JR甲府駅前の並木道の入口に「宝石の街 甲府」と記された看板が立っている。
 僕は今まで「ぶどうの町」「ワインの町」というイメージしか持っていなかった。「宝石の街」とは初耳だ。
 しかし、それは単なる僕の無知に他ならない。山梨は古くから水晶加工産地として知られているようだ。現在では水晶を産出することもないが、宝石加工においては日本一を誇っているらしい。ということもあって、甲府市内には日本唯一の宝石博物館「山梨宝石博物館」が建設されている。

その他、甲府で見聞きし、また帰宅後に調べた事柄について雑記しておこう。
 

【タクシー運転手の話の聞きかじり】

1. JR甲府駅北口での話

 11/10の夜間散歩の際、JR甲府駅北口で客待ちしていたタクシー運転手に尋ねてみる。

■甲府温泉
 「甲府温泉は早朝から営業しているのですか?」と尋ねてみるのだが、「甲府温泉? 積翠寺温泉、湯村温泉はあるが…」と、どうやら甲府温泉のことはご存知でない様子。甲府温泉以外の温泉はタクシーでも使わなければ足を運べそうにない。「多分、朝早くからはやってませんよ」という曖昧な返事に、早朝温泉入湯計画は打ち切りにした。

■武田神社
 「武田神社へ行ってみたいんですが、どのくらいの距離ですか?」
 「そうですね…。約3kmといったところでしょう。」(タクシーで900円程度の模様)
 「歩きだったら1時間程度ですかね?」(後になって思えば、タクシー運転手に尋ねるのは失礼な内容だった。)
 「いや、上り勾配になってますからね。ここは扇状地で北方向へはかなりの勾配で持ち上がっているんですよ。」
 これも早朝散歩計画の候補地からは除外すべき場所のようだ。

■荒川
 「扇状地を形成するということは、盆地の中央に大きな川でも流れてるんですかね?」
 「荒川と笛吹川が流れてますよ」
 「えっ、荒川ですか? ということは、東京の方に向けて流れてるんです?」
 「いやいや、その荒川とは違う川で、静岡へ向けて流れる川ですよ」
 そうか、今の今まで「山梨は東京の上流」という先入観があったが、川の流れから見ると静岡の上流と考えねばならないんだな。四国以外の地理に疎いこと、大いに反省すべしである。

 こんな話をしていると、本当のお客さんがやってきた。
 乗りもしない客の話に付き合っていただき、本当に有り難い限りである。

2. 11/11朝、出張先へと向かうタクシーの運転手との話

 乗り込んだタクシーは「第1タクシー」。僕の家の近所のタクシーもこれと同じ名前であり、妙に親近感を覚えてしまう。まぁ、ごく有り触れた名前であり、珍しいことではないにしろ。

●平和通り
 JR駅前のメインストリートを「平和通り」と称する。街路の並木が実に清々しい。どことなく、松山市の平和通りを思い起こさせる。そんな話をタクシー運転手にしてみると、
 「この平和通りは、更に新平和通り、そして更に新新平和通りと続いてるんですよ」
などという話が返ってきた。この点は、松山市の空港通りと似ている。甲府の平和通りは直列的な拡張、松山の空港通りは並列的な拡張という違いこそあれ、新しい道への命名方法が実にイージーである点が共通している。
 そういや、広島市にも平和大通りがあったなぁ。こちらも爽快な並木道が続いている。考えてみるに「平和」の象徴は「緑」ということなのだろうか。

●甲州街道
 国母(こくぼ)へと向かう道すがら、いきなり「国道20号線、これが甲州街道ですよ」と説明されるのだが、「へぇ。そうなんですか」と回答するのが関の山である。
 しかしながら「甲州街道」などという固有名詞を聞かされると、自宅に帰ってからどんなモノかを調べてみたくなるってものだ。
■甲州街道
江戸を起点とする五つの陸上交通路、いわゆる「五街道」の一つである。五街道といっても、これまたピンと来ない。調べてみると
・東海道
・中山道 (中仙道)
・甲州街道 (甲州道中)
・奥州街道 (奥州道中)
・日光街道 (日光道中)
の五つらしい。
これらは慶長五?六年(1602?1603)頃に徳川家康が全国支配を目的として整備を始め、四代将軍家綱の代になって基幹街道に定められた街道である。
甲州街道は、江戸日本橋を起点とし、甲府を経て中山道に合流する下諏訪までの道。

■国道20号
・東京都中央区?長野県塩尻市へ至る一般国道。甲州街道とほぼ同じルートを辿っているため、今でも甲州街道と通称されているようだ。

●南アルプスの天然水、サントリーのこと
 タクシーに乗って国母(こくぼ)へと走る道中、タクシーの運転手が、「あれが南アルプスですよ」と右手に聳える高峰についてガイドしてくださった。その中の一際高い山は頂上部が冠雪している。
 運転手は更に「サントリー天然水のラベルに描かれている山です」と付け加えた。こうなると、SUNTORYのホームページ(http://www.suntory.co.jp/water/tennensui/alps/deki_01_h.html)を眺めてみなければならない。
自宅に帰ってからホームページを眺めてみると、
(南アルプスの雪どけ水×水晶)+人=天然水
という方程式が成り立つらしい。なるほど、「宝石の街」であることにもさり気なく振れている。
 八ヶ岳・甲斐駒ヶ岳の麓、白州(はくしゅう)町にあるサントリー白州工場で製造されているようだ。

※「あれが南アルプスだよ」と教えてもらったのだが、実際のところ、どの山がそうなのかが即時には掴めなかった。家に帰ってから地図を眺めてみると、地蔵ヶ岳(標高2764m)、観音岳(標高2840m)、薬師岳(標高2760m)、辻山(2685m)、千頭星山(標高2139m)といった高峰が前衛の山として聳えている。僕のような一見の客にはどれがどの山などと到底識別できようもない。

●甲武信ヶ岳(こぶしがだけ)
 甲府市ガイドマップに載っていた山「甲武信ヶ岳」について、その読み方について尋ねてみた。
「あの、甲府盆地の北方に聳える、甲羅の甲に武田信玄みたいな名前がついた山、あれって何と読むんですか?」
 一瞬、「このお客さん、突然何を言ってるんだろ?」と言うような「間」をとったが、間もなく「あぁ、"こぶしだけ"のことね」と回答をくれた。
 しかしながら、なかなか変わった名前であり、興味がそそられる。当初は、「甲斐の武田信玄の山」という意味を込めてこの字を当てたものと考えたのだが、実は甲州・武州・信州の三州の境界に聳えるからであった。
 

 甲武信ヶ岳は埼玉県大滝村・長野県川上村・山梨県三富村の三村の境界に聳える。標高2,475m。日本百名山・関東百名山・関東百山・山梨百名山・日本の山1000などに選ばれている。

※甲府城天守台から北方を仰いだときに見えた山を「甲武信ヶ岳」だと思って尋ねてみたのだが、実際に見えていたのは、帯那山(標高1422m)?太良峠(標高1120m)あたりだろう。

●武田神社ふたたび
 武田神社は、信玄の居館跡だとのこと。
「この扇状地は北に向けて坂になっていて、武田神社の場所は、河川からは20階建てのビルの高さほど持ち上がっている。一方、背後には高い山々が聳えている。だから天然の要害になっている」
といった話もしてくださった。
 後から地図を眺めてみると、武田神社の北川に「要害山」という地名も見える。「なるほど」と改めて思わされた。

3. 帰りがけの電車待ちにて

 「かいじ」は漢字でどう示すのだろう。東京から山梨へ向かう「あずさ」を待つ駅のホームにてそんなことを考えていた。
 同行のK君に「"かいじ"ってどんな意味の言葉なんやろ?"沈黙の艦隊(週刊コミックモーニング、講談社)"の"かわぐちかいじ"と関係あるんかなぁ?」と疑問を投げ掛けてみる。「それってギャグのつもり?」と冷たい回答。
 しかし、「かわぐちかいじ」氏について調べてみると、その推測もまんざら嘘ではないような事実が浮かび上がってきた。
 かわぐち氏は、広島県尾道市出身の漫画家であるが、現在は小金井市在住という。小金井市といえば、JR中央線沿線の都市である。この中央線には、昔は準急列車「かわぐち」「かいじ」が走っていた。ひょっとして、列車名からもじったペンネームではなかろうか。
 無理やりこじつけめいた話をしてしまったが、実際のところは本名が「川口開治」らしい。何とも面白い偶然である、


平成17年(2005)11月5日 伊予市探訪・考古館にて講演会拝聴

 久々に探訪らしい探訪に出掛ける。とは言え、あまり遠出はしたくない気分である。というのも、ここ1週間ほど風邪ひきでダウンしていたからである。午前中は手軽なところで「伊予市」を巡り、午後からは考古館にて「考古学の魅力〜卑弥呼と祈り?」という講演を聴きに行くのが本日の計画。

1.伊予市探訪(一部松前町を含む)
●松前町役場
・庁舎、モニュメント類を撮影。
●圃場整備記念碑(伊予市宮下)
●伊曽野神社(伊予市宮下)
●大日如来(伊予市宮下)
●お旅所(伊予市上野)
・長尾谷川、長尾谷橋なども観察
●伊豫小学校
・武智惣五郎像、武知勇記像などを観察。
・入口には砂防記念碑あり。
●称名寺/鎌倉神社
●伊予岡八幡神社
●伊予市立図書館

2.松山市立考古館
 特別展記念講演会「考古学の魅力〜卑弥呼と祈り」

 フリーアナウンサーの木藤たかお氏、元・藤山歴史資料館長で民族藝術会員の河野正文氏の講演、そして引き続き考古館学芸員の梅木謙一氏を交えてのフリーディスカッションが行われた。
 フリーディスカッション後の質疑応答では、「邪馬台国はどこにあったと考えるか…」「今日愛媛新聞に最古の古墳が見つかったと載っていたが詳しく教えて欲しい…」などと、少々的外れな質問が連続し、講演者を気の毒と思いつつ、聞きたいことを聞けないことに苛立ちを覚えていたのだが、講演終了後に梅木氏を捕まえて「分銅型土製品の用途・意味」について色々と談話することができたので大満足。(梅木さん、お忙しいところ貴重なお時間、本当に有難うございました。)


平成17年(2005)10月22日 久し振りに考古館・湯築城・道後公園へ

娘が「福祉会館でセミナーがあるので連れてけ」というので送迎。セミナーの待ち時間をつぶすために、まずはコミュニティセンターへと足を運ぶ。

 図書館にて1時間程度調べモノをした後に、考古館へ。平成17年度特別展「祈り」の初日である。「愛媛県・西日本地方に出土した祭祀遺物」を展示していて、分銅形土製品などはなかなか興味深いものであった。館員がビデオ視聴をしきりに進めるのでエントランスに座って10分ばかりのビデオも眺めた。NHKの「なぞ解き歳時記」という番組の録画で、流し雛の由来などを説明していた。思っていたよりも面白い内容で、満足。

 思ったよりも時間が経つのが早く、すぐに娘を迎えに行かねばならない時刻になってしまった。それでも電話で「終わったよ」という連絡があるまでは時間を有効に活用したい。ということで、散策場所を湯築城跡・道後公園へと移す。
 資料館は閉館時間間際であり、観光ボランティアも事務所内に入って、「間もなく閉館します」という放送をし始めている。駆け足で展示物を眺めた後、駆け足で公園内を一周。とにかくカメラで撮れるものは撮っておこうという、まさに林家ペー状態。取材もくそもあったものではない。

 「せっかくここに来たならば」と道後公園内も駆け回る。伊佐庭如矢氏の銅像や湯釜薬師、句碑などを画像に収めたところで、「迎えに来てぇ」のコール。



平成17年(2005)10月15日 伊予市立図書館にて埋蔵文化財展示会を観る 

 僕を含む松山市在住の郷土研究者三人が集い寄って「参参(しんしん)」なる小冊子を創刊することになった。
 今日はその最終打ち合わせ。いつもの喫茶店で2時間ばかり四方山話に興じる。

 その後、調べゴトがあったので伊予市立図書館へと足を運んだのだが、土曜日は17:00閉館ということを忘れていた。閉館5分前にもぐりこみ、必要な文献の必要ページを複写依頼を出してコピーすると、すぐさま退館せねばならなかった。落胆した様子が後ろ姿に表れていたのか、図書館員の方が「図書館は閉まりますけど、3階の埋蔵文化財展示会は17:30までやってますよ」と非常に有り難い情報を与えてくださった。そういや、この展示会のことをすっかり忘れてしまっていた。30分間の短い時間であったが、展示物の閲覧もできたし、欲しかった資料も入手できたので大満足。思わぬ収穫であった。

 やはり、色々と動いてみるに限る。



平成17年(2005)10月9日 夕刊ガッツ(テレビ愛媛)取材

最 テレビ愛媛の夕方16:30からの番組で、「あなたも作家になれるかも…?」といったテーマを取り上げるので出演して欲しいとのオファーがあり、その録画取りを行った。

 自宅の書斎(我が研究所)を撮影したいとの申し入れがあったのだが、我が書斎は、公共の電波に流せるような画像を撮れるはずもない状況であった。机の上は地震直後のような状態。床も足の踏み場もない状態だ。出来ることならばとお断りしたい申し上げたのだが、つい断りきれず、前日には必死になって時期外れの大掃除を敢行した。

 努力の甲斐あって、どうにかこうにか取り繕うことが出来はしたが、常に片付けすることの大切さを痛切に感じた。

 一通り、書斎での画像を撮り終えた後、近所の川原でインタビューということであったが、さすがに自宅のすぐそばでの撮影は、知っている人と遭遇する確率も高く、いささか気恥ずかしいので、ディレクター(兼カメラマン兼インタビュア)のOさんと共に岩子山へ。

 ここならば滅多に人と遭遇することはなく、落ち着いて話ができる。しかし、滅多に人が来ない山だけあって、登山道は蜘蛛の巣だらけである。おまけに、山頂は薮蚊が飛びまくっている。蚊に刺されながらも淡々とカメラを回し、取材を進めるOさんの姿を痛々しく(痒々しく)思いつつ、適当なコトを喋り続けて、取材は無事完了した。(あんな場所に連れていき、本当にすんませんでした。)

(放送は2005/10/10にあった)」



平成17年(2005)10月3日 岩子山へ登る

最近ちょっと疲れ気味。
土日も出勤でどこへも行けず終い。
自宅の机の前にも満足に座ることもできない。原稿書きも探訪記録の整理もままならない。メールチェックと返信ぐらいが関の山だ。

気分を一新するためにも…と、溜まった書類を置き去りにして、17時過ぎに退社。会社帰りに岩子山へと登ってみる。
会社生活も20年を超えたが、帰りがけに山へ登るのは初めてのこと。生憎の曇天のせいもあって、山頂に着いた頃には辺りは薄暗くなっていたが、満足感は得られた。普段はこんな時間にこんな場所にいるはずもない。そんなことに喜びを噛み締める自分がいた。こんな生活もたまにはいいもんだな。

平成17年(2005)9月24日 県立図書館へ〜堀之内界隈をぶらり散歩

以前から目を通しておきたいと考えていた資料を閲覧しに県立図書館へと足を運ぶ。館内閲覧しか出来ないと思って筆写を進めていたのだが、聞いてみると貸し出し可能とのこと。感謝感激である。
気分もよくなって、堀端界隈をゆっくりと散歩する。
●札の辻
●旧松山市営球場
●桜井忠温書の碑
●松山市産院跡


平成17年(2005)9月23日 町見郷土館へ

お彼岸で里帰りした。墓参りが終わって少し時間がとれたので、町見郷土館(伊方町九町)へと足を運んでみた。
欲しかった資料を買い求めることもでき、満足。



平成17年(2005)9月17日 津島町・内海村散策

調べたいことがあり、この日もかねてより「宿毛市」「愛南町」「宇和島市」と渭南地区を社中泊で広域調査する計画を立てていた。
しかし、またもや会社の仕事が入る。金曜日24:00過ぎまで会社におり、翌日も下手をすれば(呼び出しがかかれば)出勤という状態。
朝の9時にどうやら出勤しなくて済みそうな状況になったとの電話連絡がある。しかし、余り遠出はできそうもない。
しばらくどうしようかとモヤモヤ考えていたのだが、せめて旧津島町だけでも調べに足を運びたい。そう思い立ち、10時過ぎに松山を出発。

1.高田八幡神社
●神木一番杉
●童形御神像 [現物確認できず]
●高田八幡文書 [現物確認できず]
●瓶子(へいし) [現物確認できず]
●獅子頭 [現物確認できず]
●棟札 [現物確認できず]
●狛犬
●境内社
●社日大神
●手水石と井戸
●鳥居

2.金龍寺
●十六善神由緒書 [現物確認できず]
●十六善神神仏画

3.野井集落入口の地蔵

4.野井の「お宮さん」
岩松のガソリンスタンドにて「野井に神社はありませんか」と尋ねてみる。すると「『お宮さん』と呼ばれる、今は寂れた神社があったはずだとの回答。野井まで車を走らせ、近所の人に所在地を尋ねてみる。すると親切なことに、登り口まで案内してくださった。「この神社は何という名前ですか」と問うと、「名前は知らんよ…。『お宮さん』とは呼ぶけどなぁ。そういや考えたことなかったわい」とのこと。近くを通りがかった古老を呼び止めて「ここのお宮、何か名前あったかなぁ」と尋ねてくださったのだが、「名前はないぞぉ」との期待はずれの答え。

その神社は、集落の中ほどの小高い山の上にあった。教えていただいた道を登っていく。民家の脇より石段が続いている。その石段を登りつめると、小さな社が建っていた。
どうやら、「三社神社」という名前らしい。何時ごろかはわからないが、このお宮や野井集落内にあった小社計十四社を合祀したもののようだ。

●狛犬
祠の中に珍しく粘土製の狛犬がある。慶應四年十一月の記銘あり。

5.三界萬霊の地蔵

6.報恩禅寺【津島町山財】
・臨済宗妙心寺派
・岩林山
●千手観音像
・町指定有形文化財(昭和44年3月1日指定)

7.報音寺川(岩松川水系)
・土石流危険渓流

8.御手洗橋
・岩松川支流本覚川

9.熊野神社
●常夜灯

10.山財ダム・鷺里湖(さぎりこ)
・昭和53年3月竣工
・天端標高 EL94.5m、堤高64m、堤頂長205m、天端幅4m、堤堆積 220,000m3、集水面積29.4km2、湛水面積0.3km2、総貯水容量6,500,000m3
●山財ダム完成記念碑
・愛媛県知事白石春樹題
・碑文
「この地域は、宇和海沿岸特有の急峻な地形のため、豪雨出水時には、各所で氾濫し、多くの災害を受ける一方、保水力が著しく低いため、渇水時には慢性的水不足をきたし、たび重なる洪水と干ばつとの二重苦に悩まされ続けてきた。
特に昭和四十二年の夏には、百年来の大干ばつに襲われて地域の住民と産業は大きな打撃を受けたのである。
こうした窮状を打開するため、抜本的な治水対策を施して水資源の確保をはかるべく、津島町、内海村、宇和島市が総力を結集して、県および国に対して強力な要請運動を展開した。
かくて苦節七年にわたる努力の結果、岩松川総合開発事業として多目的ダムの建設が具体化し、多くの人々の誠意と協力によって、着工以来六年の歳月を費やして、昭和五十五年三月山財ダムの完成をみたのである。
まさに歴史的大事業である。この感激を後世に伝え、豊かで住みよい郷土建設の礎たることを念じつつ関係各位の献身的労苦に思いを致し、この碑を建立する。
昭和五十六年六月
岩松川総合開発促進対策協議会
会長 松岡多四郎
津島町
内海村
宇和島市
書、平田琴風」

11.横吹渓谷
・足摺宇和海国立公園
・県立篠山自然公園
●ひょうたん渕 ●なべの渕 ●なべの滝 ●夫婦岩 ●千畳敷 [いずれも時間が無く探訪断念]

12.譲ヶ葉森登山口
 大道川(おおどうがわ)橋の袂に真新しい登山口標識が立てられている。譲ヶ葉森にも登りたかったのだが、時間が無く登山断念。

13.十一面観世音菩薩
・観音前バス停留所

14.源池
●「源池公園」の碑
・背面には「栄松」と刻んでいる。
●句碑
「名月や…」
●御槙村歴代村長記念碑
「御槙村歴代村長
初代二代 林鉄五郎
三代七代 吉良寿
四代八代 吉良頼雄
五代六代 居本氏明
九代 堀田良吉
十代十一代十五代 渡辺熊太郎
十二代 住田藤平
十三代十四代 福田三代蔵
十六代 山口都一
十七代 梶原百太郎
十八代 林信一
建立の趣意
明治二十三年町村制実施と共に御内、槙川の両村は清満地区の各村と合併し清満村として発足した。
然るところ明治三十二年七月一日再び清満村と分離し今度は新たに御槙村として誕生を見た。
■■て昭和三十年二月十一日町村合併促進法に基づく津島町の実現を見るに至り御槙村も亦之に合併し遂に永年の村政に幕を閉じた。
前述の通り明治大正昭和の三代五十有六年の長期にわたり幾変遷の中■く村政担当の責に任し地域のために貢献された多大の功績をたたえこれを永く後世に伝えるため、■■碑を建立する。
昭和四十九年十二月」
●御槙村■次■翁碑
●「源池」水源の森
多目的保安林総合正義事業
林野庁 愛媛県 津島町
●さぎ草園

15.御内の街並みを歩く
●御内のバイパス道の道端に祀られる祠
●御内の街並み

16.下槙圃場整備碑

17.日切地蔵?
●古岩禅師高弟の墓(姓名不詳)
●山口家の先祖 大内重隆の墓
●句碑
「あの山の向ふも里か凧(いかのぼり)蘭亭」
●古岩禅師と吉良蘭亭翁

18.社日神
 槙川バス停留所前。白いヒガンバナが咲いていたのが印象的であった。

19.みどりの日制定記念・狩場山国有林分収育林契約分収林
元越川

20.増穂龍王大権現
 平成元年九月吉日建立。山の中に鎮座する。いかにも龍が出現しそうな大岩が立ち並んでいる。

21.見性寺
●イチョウ
●宝篋印塔
●六地蔵

22.三島神社
●常夜灯
●狛犬
●神馬像
●社日神
●合祀社
●巨木

23.満願寺
・臨済宗妙心寺派
・光雲山
●首無し地蔵
・文化二年十一月
●六地蔵
●木造観世音菩薩坐像一躯
●木造薬師如来坐像一躯
●清満戦没者位牌堂
●二重柿(一名子持ち柿)
●銅鏡
●七条のけさ
●林道不呂の奥線
・幅員4.0m、延長1,613m
●「甦る岩淵の里」の碑
「碑文
ここ岩淵地区は、開田以来、洪水と干ばつの被害に悩まされ続け、幾度かの河川改修を行い、干ばつ時には地下水を汲み揚げて対処してきたが、昭和五十四年の山財ダム建設によって農業用水の確保と共に改善された。
しかしながら、水田は狭隘で飛地となっており、又その半分は湿田であり、農道・水路についても老朽化し耕作に支障をきたしていた。
こうした状態を打開するため、農家の土地基盤整備事業に対する意欲は高まり、昭和五十六年に団体営岩淵地区圃場整備事業として採択され、同年九月に着工、以来七ヶ年の歳月と総工費二億五千五百万円を費して、昭和六十三年三月に完成をみたのである。
まさに歴史的大事業であり、役員諸氏の献身的努力と地権者の理解と協調により、ここ岩淵地区は新耕地として甦り、将来に明るい展望を切り開くに至った。
この里が、さらに一層の発展を遂げることを願い、この碑を建立する。
昭和六十三年三月吉日
岩淵土地改良組合
津島町

24.三島神社(三島拝高)
●鳥居
●イチョウ

25.三島神社
●鳥居
●常夜灯
●境内社:神明神社

26.禅蔵寺薬師堂

※油袋集落の入口に小祠あり。

27.油袋(ゆたい)拝高神社
 平成六年十一月改築。

28.白王神社
「愁龍大明神」とマジックで記された石が奉納されている。

29.祠
 道端に「鬼の金剛」の名残か、大草鞋の残骸が転がっている。「龍王大権現」と記した札がかかっていることから、この祠は龍王社と見る。

30.平碆
●紀念碑
「由良傳太郎氏は風土漁労法の…
大正十二年一月建之
発企人 牧野彦四郎」
●頌功碑
「中川庫一翁は明治三三…
昭和六十一年三月再建 平碆部落建之」
●頌功碑
「中屋喜六翁は明治三三…
昭和六十一年三月再建 平碆部落建之」

31.若宮社
●鳥居・狛犬
・昭和59年5月
境内の左側より山手に遊歩道が続く。
登りつめると金刀比羅宮・秋葉宮が祀っていた。
ここからの眺めはなかなかよい。
金刀比羅宮は昭和48年10月、秋葉社は昭和60年3月に祀られたもののようである。

32.嵐坂ポケットパーク「風園(ふうえん)」

33.猫神様?

34.津島やすらぎの里
●薬師寺薫氏寄贈 田中坦三記念ギャラリー

平成17年(2005)8月27日 愛媛民俗学会公開講座に参加する

松山市上野町の愛媛県生涯学習センターにおいて、
「教育現場における『民俗』の活用・実践」というテーマで愛媛民俗学会の公開講座が開催された。

8/22の申込〆切日まで待って、スケジュールが空きそうなことが確認してから出席申込したにも関わらず、前日になって朝の4時から会社に呼び出される。
翌日も4時から出勤。
しかし、どうしても気が治まらず、10時に会社を抜け、一路上野町へ。

佐々木正興氏「学校教育における民俗学の成果の活用」
井上浩二氏「柳田國男の教育論」
宮本春樹氏「宇和海中学校での実践報告」
佐藤秀之氏「次世代への祭りの継承〜西條祭りを事例に〜」
宮本昌枝氏「八幡浜川上小における児童の神楽体験」

まで拝聴して、再び会社へと戻る。

本当は
高嶋賢二氏「博物館と学校との連携」
藤井玄氏「若者と生活体験〜国立大洲青年の家での実践報告〜」
と、最後まで話を伺いたかったのだが、最初のほうを聞けただけでも幸せというもの。

しかし、ホント、まともに計画した予定は悉く覆されてしまうなぁ…。



平成17年(2005)8月12日 高森・陰地の頭登山(東之川より菖蒲峠経由)

●高森、3等三角点、点名:三ツ森、標高 1359.32m 
●陰地の頭、三角点なし、標高 1369m
●菖蒲峠 

 7:00過ぎに松山市を出発。国道11号線を東進し、西条市氷見より県道142号線(石鎚伊予小松停車場線)へと右折し黒瀬峠へ。引き続き黒瀬湖(黒瀬ダム湖)畔・加茂川沿いの県道12号線(西条久万線)を上り、西之川へと至る。途中、昨年の集中豪雨がもたらした痛々しい爪痕が至るところで見られる。今年の旱天で干上がりつつある様子の加茂川の姿とは対照的な風景である。

 石鎚ロープウェイ乗り場を過ぎ、西条自然の家の前、御塔谷と名古瀬谷の出合のところの橋を渡り、東之川へと進む。途中、道路工事で少々足止めを食らうが、建設作業者が仕事の手を休め、こころよく道を譲ってくれたので、イライラすることもなかった。 

 9:00少し前に瓶ヶ森登山口の駐車場に到着。 

 ※駐車場は4、5台の駐車スペース有り
 ※公衆便所有り
 ※駐車場脇に「石鎚登山案内地図有り
 ※登山届置場2箇所有り 

 リュックサックへのパッキング・登山届の記入等の登山準備を終え、9:10過ぎに東之川谷沿いに林道を歩き始める。間もなく、東之川にお住まいの一人の老夫に出会う。 

 「どこに行きなさる?瓶ヶ森へ登るんなら、この先のところが崩れとるんで迂回路を通った方がええ」
と親切に御進言を下さる。どうも昨年の豪雨で登山道が大崩落しているらしく、川の向こう岸に迂回路が設けられているようだ。
 「いえ、今日は菖蒲峠の方へ上がろう思うとるんですよ」
 「ほうかな。菖蒲峠やったら安心じゃな」
暖かいお言葉に対する御礼を述べて、登山を再開する。

 民家の脇より石積みの階段から成る細道を上っていく。薄暗い植林へと少し入くと、見事な石崖が随所に見られる。石崖には地蔵が祀られていたりもする。昔の集落跡だろうか。

 この石垣群を過ぎて間もなく、右手方向に目をやれば、木々の間より石鎚の姿が見える。ここからの景色を見れただけでも十分訪れた価値があるように思う。

 やがて、「菖蒲峠」「瓶ヶ森」の分岐へと至る。道端には「迂回路 瓶ヶ森」「菖蒲峠」の行き先表示の立て札がある。 
 分岐を折れて少し上ると、小さい沢を渡る。ここにも集中豪雨の爪痕が残っている。沢に架けられた橋は、無惨にも押し流されている。とは言え、原形を留めているのだから、まだマシな方である。

 急坂を上っていくと、左手に墓地が見える。記年を見るとその殆どが明治時代に建てられたものである。今は墓参に訪れる人もいないようで、荒れ果てた様子であるのが物悲しい。

 杉・ヒノキの植林帯が続く。植林帯の山歩きは単調に思えがちだが、意外と雰囲気は悪くない。所々に自生したものと思われるモミ・ツガ類の巨木が聳えている。

 道もしっかりしている。落ち葉のクッションが効いていて非常に歩きやすい。至って明瞭な道であり、これなら迷うこともなさそうだ。昔は往還道として人の往来も多かったことだろうが、今も荒れ果てていないところをみると、物静かな山を楽しむために足を運ぶものが割と多いのだろう。ひょっとしたら石鎚お山開きの際に瓶ヶ森への登路として使用しているのかもしれない。7月初旬にもう一度登ってみて、その真偽を確かめてみたいところである。

 運動不足のせいか、足取りが非常に重い。約2kmの菖蒲峠までの道は、ほとんど水平部がなく、勾配も割合にきついので、僕のような「ぐうたら登山者」にはなかなかハードな行程である。

 上方を見上げると稜線の向こうに青空が見えてくる。方角的にはやや北寄りなのだが、余りものバテように、「あそこが菖蒲峠に違いない」と信じ込みたくなる。しかし、行き着いてみれば案の定、途中の稜線に到着したに過ぎない。

 木の間越しに陰地の頭が見える。かなりの険しくそそり立っているように見え、この先が思いやられる。

 気を取りなおして最後の一踏ん張り。重い足を一歩一歩前へと運んでいく。

 菖蒲峠の手前の登山路脇の地面に何やらぽっかりと洞穴の口が開いている。入口周辺にはカマドウマがいっぱいいる。奥深いのだろうか。ケービングしてみたくなってくるのだが、今日は生憎懐中電灯を持ってくるのを忘れてしまった。常備していなかったことをつくづく後悔する。

 デジカメでフラッシュを焚いて撮影してみる限り、それほど奥深そうにはない。高々4〜5mぐらいの奥行きに見える。自然に出来たもののようにも見えるが、この付近の岩は石灰岩質でもなく、何となく奇異に思える。そういや、ここから直線距離4〜5km北東の藤之石風透には風穴がある。これと似たものだろうか。ひょっとしたら、なにか金属を採掘するための露天掘りの跡なのかもしれない。

 そうこうしているうちに、菖蒲峠に着いた。目の前には林道の合流・分岐する広い空間が開けている。菖蒲峠より南へは林道ショウブ線、北へ高森東斜面を巻いて林道高森線が続いている。こんな風景には、多くの登山者が興醒め感を覚えるであろうが、人がうようよしているわけでもなく、車の姿が見えるわけでもない。静寂極まりないのだから、悪舌を並べることもなかろう。

 菖蒲峠にて小休止。辺りをゆっくりとうろついてみる。 

 南を仰ぐと、瓶ヶ森の女山が間近に見える。瓶ヶ森の左側に見えるのは西黒森だろうか。それにしては余りにも瓶ヶ森に近付き過ぎている。とは言え、4等三角点、点名
蔭地(標高1550.24m)だとすれば菖蒲峠からなら西黒森よりも左に見えなければならない。となれば、標高1600mピークだろうか。そういや西条誌(日野和煦)には菖蒲峠から瓶ヶ森へ至る縦走路に「竈ヶ森」・「御焚竈」などの山名が記されていた。いずれは現状の様子を確認するために踏破してみたいところである。

「菖蒲峯は東之川山と、荒川山との境也、荒川山より、菖蒲迄の間二里程あり、此間に竹の平・切抜獄・郷路・勘塲の谷・竹谷・桃の木谷・菖蒲谷等いふ小名あり、これを登れば、所謂菖蒲峰にて、荒川山と東之川山との境也、右へ行けば東之川山、左へ上れば、御瀧竈、竈が森等を経て、瓶が森の絶頂に至る也、仔細に尋問ひ且歩み試て、前の如くにはしるしけるなり」(西条誌)

 視界を西へと移せば、石鎚山から常住にかけての山並みが指呼に望める。石鎚のビュースポットとしては抜群のロケーションである。

 また、林道高森線へと少し足を運べば東に向けての眺望も良い。黒森山、沓掛山、笹ヶ峰、寒風山などが一望できる。

 せっかくだから林道陰地線のことについても触れておこう。 以前、寒風山登山帰りにチロルの森の側から少し上がってみたことがある。その時はあまり時間もなかったので途中で引き返したのだが、路面はさほど悪くない。これならば終点まで走ってみても良かった。冬場でも装備さえしっかりしておけば菖蒲峠までは悠々車で足を運ぶことができそうだ。

 高森登山を目論んで計画を練っているときに、林道高森線を北進し、山頂東側から直登するコースも思い浮かべていたのだが、今回は菖蒲峠から稜線をトレースしながら登ることにした。

 登り口には地蔵が1体。明治三十三年に建てられたものらしく、建立者名「工藤冨造」とともに「右フヤムネ石 左アラ川石」と刻まれている。「アラ川石」の方は「荒川」を指すのだろうが、「フヤムネ石」とはどこを指すのだろうか。全く想像がつかない。

 さあ、本題である登山に話を戻そう。

 菖蒲峠からの稜線伝いの登山道も相変わらず急坂で厳しい。こうも休みなく急勾配の道が続くといい加減うんざりしてくる。しかし、当初の予想に反して、スズタケなども刈り込まれており、道は明瞭で歩きやすい。

 急坂を登りつめたところに、モミだろうか大木が聳えている。目通りの幹にはロープが巻かれており、神木らしき様相を呈している。大木の根元の空洞(うつろ)には2体の仏像が祭られている。左側のものは、右手・右足を挙げ、左手を腰にやっている。この姿から察するに蔵王権現像だろうか。右側のものはよくわからない。いずれも石鎚信仰に係るものであることには間違いなかろう。

 この木を通り過ぎたところが、菖蒲峠より高森へ至るまでの縦走路における第1ピーク「陰地の頭」である。ケヤキの巨木が2、3見え、なかなか良い雰囲気である。ここで腰を下ろし小休止する。

 登山再開。今度は急坂の下りである。せっかくしんどい思いをしながら高度を稼いだのに体力が勿体ないではないか。 

 しかし登山道の雰囲気は非常によい。原生林的雰囲気に満ち溢れている。道沿いにはシャクナゲの木も多く、これならば春にはもう一度訪れたくなってくる。

 白っぽい大岩の横を巻いて進んだりと、変化に富んだ登山道はなかなか歩いていて楽しい。決して終始安全な道とは言えないが、メジャーな山では味わえない面白さがある。

 ゆるやかにアップダウンを繰り返しつつ、高森へ至る登山路の最後のコルに下りてきたら、急に東方向の景色が開けてきた。黒森〜笹ヶ峰〜寒風山の姿が青空の下に映えている。本日一番の景観の良さである。天気予報では余り良い天気にならないように伝えていたが、雨も降らずガスもかからず、見通しは非常に良い。登った甲斐があったというものだ。 
 コルの少し手前から高森の南肩部までは、若干薮が多い。しかし、道に迷うほどではない。踏み跡は非常に明瞭である。

 高森の南肩部の岩場からは、先ほどのコル部よりも更に景観が良い。南側には陰地の頭越しに瓶ヶ森も見渡せる。腰を下ろして昼食に移りたいところではあるが、山頂まではもう少し。気合を入れなおして足を進める。

 登りはじめて休憩も含めて約3時間半。思ったよりも長時間を要してしまったが、無事3等三角点の建つ高森の山頂に到着。早速ビールで乾杯。引き続き焼肉昼食へと移る。

 山頂部は木立に囲まれていてほとんど景観は望めない。落葉樹主体なので、冬場であれば見通しは良さそうである。  石鎚の姿はどうにか木の間から確認することができる。

 約1時間半の山頂ロングステイの後、下山に移る。上りがしんどかった分、下りは非常に楽である。とはいえ、高森〜菖蒲峠間はアップダウンがあるので楽々すいすいというわけではない。絶対量ではなく相対量として楽だというだ。 

 菖蒲峠から東之川までもまずまずのペース。約1時間で登山口に着いた。 

登山口(9:10)→菖蒲峠(11:25〜11:30)→高森(12:37)

登山口(16:07)←菖蒲峠(15:05〜15:10)←高森(14:15) 

 帰りがけに、高宮小学校跡に設けられた西条少年自然の家に立ち寄る。 
湯之谷温泉に入って一日の疲れを癒し、19:00松山へと帰る。



平成17年(2005)8月10日 

 日暮れてから帰宅する生活ばかり続けてきたが、「会社一辺倒の生活じゃいかん」と思いなおして最近は日没前後の帰宅を心掛けている。勿論常に自由が利くわけでもなく、仕事がたまり続けることになるかもしれないのだが、緊張を弛緩するのが睡眠時間だけというのでは物悲しい。ある程度割りきることも必要だ。そう思いながら、今出の浜へと車を走らせ道草を食う。そして水平線へと沈んでいく夕陽を眺めるのである。

 大抵の人の場合、「夕陽を眺める」のはナイーブな気持ちに襲われたときに取る行為なのだろう。僕も多少はそんな気持ちが入り混じってはいる。しかし、一家の主として生活の糧を得るための仕事が終わったこと、社会人としての自分の一日が終わったこと、会社人としての責務を今日も一日果たしたこと、そして家庭人としての自分の一日が始まること…という区切りをつけるための静寂なひとときを迎えられることは有り難いことなのだ。そんなことを考えていると、何となく明日への活力が湧いてくるではないか。

 さて、今出の浜(松山市西垣生町)には次のような話が残っている。菅原道真が大宰府へと左遷されたとき、今治桜井浜より陸路をとり、そして今出の浜より船出をした。「今出」の地名は、道真公を追ってきた勅使が村人をつかまえて所在を尋ねたところ「今出たところ」と答えたことから付けられたともいわれる。

 そんな伝説を思い起こしながら、沈み行く夕陽を眺めるのも、これまた一興である。 



平成17年(2005)8月6日 松山から野村町への帰省がてらぶらり旅

●金子天神社(伊予市)
・常夜灯、社号碑(菅公二千年祭)、注連石、常夜灯、鳥居などを観察。

●中山中学校前(伊予市中山町)
・清崎敏郎句碑「菩提樹の花の盛りは今ならん」、中岡傳吉氏頌徳碑を観察。

●伊予市役所中山支所(伊予市中山町)
・中山の中世城郭に関する書籍類を頒布していないか問い合わせたら、教育委員会に連絡をとって下さった。親切な御対応に感謝である。しかし目的とする文献は生憎絶版状態で、「中山の巨樹」に関するものしか頒布できないとのこと。それでも立ち寄った甲斐があるというものだ。

●なかやま農業総合センター(伊予市中山町)
・伊予市(中山)教育委員会 「巨木と語る?なかやまの巨木・銘木?」を購入。書籍代1,000円也。
・併せて伊予市指定文化財一覧表(平成17年6月1日現在)のコピーを戴く。
・玄関脇に、村上霽月句碑 「黄昏の春を中山泊哉」あり。
・センター内には、昭和47年10月9日に中山町影之浦の標高600mの地点に出没・捕獲された月の輪熊の剥製がある。

●遊栗館(伊予市中山町)
・公園入口の橋の袂には奥村渓山句碑「藻がくれにうおのきへたるあつさかな」がある。
・庭に愛媛県中山町・鳥取県中山町 姉妹町縁組記念の碑有り。
・愛媛新聞社主催のスタンプラリーのチェックポイントとなっている。
・館内には、中山栗に関する様々なパネル説明がある。
その一部を以下に記す。
「中山町は愛媛県における栗栽培の発祥地です。中山町には古くから栗が自生していました。徳川三代将軍家光の頃、大洲藩主加藤泰典(かとうやすのり)の参勤交代に随行していた中山町の「太兵衛(たへい)」という人が、藩主に栗の実を納め、これを将軍に献上したところ、ことのほか称賛されました。これが、近代まで栽培されていた「赤中栗(あかちゅうぐり)」と伝えられています。記録によれば、明治2年(1869年)中山栗の収穫量はおよそ11トン、明治10年(1877年)には現在の伊予市で初めて栗を販売したとされています。
明治20年(1877年)になると伊予市の郡中港から、京阪神へ初めて船による出荷が行われています。そして昭和5年(1930年)には北米に輸出が開始されるようになりました。明治31年(1898年)中山栗の植栽本数は1,400本、明治44年(1911年)には2,500本が植栽されています。そして、昭和4年(1929年)中山町の山本島衛(やまもとしまえ)氏が苗木育成に成功すると、栗栽培面積は急速に増加し、昭和15年(1940年)中山町における栗の栽培面積は400ヘクタール、生産量は1,200トンに達しています。
昭和25年栗栽培に大きな被害を与えるクリタマバチの発生が愛媛県内にみられるようになりました。以後、急速にその被害は拡大し、中山町においても、昭和30年頃栗園がほぼ全滅するほどの甚大な被害を受けることになりました。
しかし、その後、クリタマバチ抵抗品種が普及しはじめたことによって、生産意欲も高まり、昭和35年(1960年)には筑波等の苗木を年間20,000本をも植え付けるようになりました。生産量も昭和40年代に入ると回復し、昭和43年(1968年)には、895トン、昭和48年(1973年)には1,506トンとなり、中山町史上最高の出荷量となりました。
このような栗栽培の変遷には、動力選果機の開発や加工場の建設など、中山町あげての栗栽培への熱心な取り組みが大きく影響しています。」

●三島神社(内子町)
・国道56号線を南進中、路傍に「喜多郡一宮 三島神社」の標識(看板)が目に留まる。県道324号線を行けども行けども、それらしき鎮守の森も次なる標識も見当たらない。
榎谷に至り、近所のおばちゃんの姿が目に留まったので三島神社のことを尋ねると
「それはそれはすんませなんだなぁ。来る途中にあったんですがなぁ。約倍ぐらい来た思たらええです」とまるで自分に落ち度があったような物腰の低さで場所を教えてくださった。
・さすが「喜多郡一宮」と銘打つだけあって、なかなか立派な神社である。
・三島神社経営特別功労者河内友吉碑、楼門、拝殿、永代常夜灯、手水鉢、御神像と狛犬(町指定有形文化財)、手水石、
・拝殿内部には多くの絵馬が掲げられている。佐藤秀文の絵馬 (町指定有形文化財)は必見。
・社切り(稚児行列)、獅子舞、御供相撲、立川神楽など数多くの民俗行事がに指定されている。

●オズメッセ21(大洲市)

●宇都宮神社(大洲市)
・神名石 裏面の碑文には
「當神社は宇都宮豊房公が伊豫州守護職に任ぜられ城を大津に築き領内鎮護の神として元弘元年九月九日下野州宇都宮三神を御勧請された社である。
今年は六百五十年に當る年であり氏子各位の誠意により拝殿お屋根を銅板にて葺き替え社殿各所の修復を成し遂げ六百五十年祭を記念して之を建てる。
昭和五十六年五月吉日」
と彫られている。
・入口には「大洲市指定有形文化財(建築物)宇都宮神社本殿一棟 附棟札一面」の説明書きの標柱がある。そこには神社の由来が略記されている。
「元徳二年(1330)伊予国守護職に補せられた(異説もある)宇都宮豊房が、元弘元年(1331)下野国宇都宮より領内鎮護として大津の五郎(元 市川郷)に勧請した神社であると伝えられているが、当初の社殿については知る由もない。
現在の本殿は、勧請後354年を経過し、貞享2年(1685)9月、国主加藤遠江守(播州)の代に再建されたものであることが棟札により明らかである。」
(ペンキが剥がれ、一部不明瞭な部分があるため、一部こたろうが補正している。)

●城願寺(大洲市)
・山号:徳雲山
・宗派:臨済宗妙心寺派
・駐車場の周りを夥しい数の地蔵群が取り囲んでいる。
・寺号碑、六地蔵、三界萬霊碑、五郎橋の橋柱、開創紀年碑などを観察。
・境内に真新しい五輪塔あり。副碑に
「康平六年鎌足十五代の後胤(こういん)藤原宗円は下野国宇都宮城主となり其裔族宇都宮氏と称す
宗円の孫宗房系は代々豊前国城井城主となり五代頼房の次男豊房は元徳二年伊豫守守護職に任せられ元弘元年大洲地蔵岳に築城して初代城主となる。正平二十四年八月十八日七十七才にて卒し当城願寺に葬れる。其後幾百星霜を経て其墓所は甚だ荒廃し此度遠孫の者達共同して新塔を建立し祖名を構成に傳える。
昭和57年3月21日」
と記されている。

●渓寿寺(大洲市)
・道端の随所に緑・黄・赤・白・青の五色の旗がたなびいている。何かお祭りでもあるのだろうかと、渓寿寺に向けて車を走らせる。
・渓寿寺の杉(大洲市天然記念物)、釣月橋(ちょうげつきょう)、六地蔵、「顕彰 曹洞宗大本山総持寺元輪番地」碑などを観察。
・僧侶達がせわしそうに作業をしている。尋ねてみると8/6の施餓鬼会の準備らしい。新居浜市の瑞応寺から手伝いに来ているとのこと。そんな忙しい中、本尊のこと等、色々とお話を聞かせて戴いた。
現在の本尊は釈迦如来像であるが、元の本尊は薬師如来像であった。この木像は、位牌堂(元の僧堂)に安置されているという。
「見学されますか」という暖かいお勧めを戴いたので、間髪入れずに「是非」と答えた。案内された先には、寄木造りのものが一体、一木造りのやや小振りなものが一体安置されていた。どちらもバランス的に頭部がデカく、素朴な造りになっている。作製年代は不明であるが、1200?1300年代のものではなかろうか。(全くもって当てずっぽうな推測ではあるが…。)
・阿部小川、清谷川、下板野川、渓寿寺川…など、神南山の麓にはいくつもの小川が肱川へと流れている。

●道の駅清流の里ひじかわ(大洲市肱川町)

●長命寺(大洲市肱川町)
・宗派:曹洞宗
・山号:佛日山
・六地蔵、日露戦勝碑を観察。

●猿ヶ滝公園(大洲市肱川町)
・いきなり雨に見まわれた。かなり粒の大きな雨。折角来たからには、城跡まで登らねば。
・猿ヶ滝城は肱川町指定史跡。
・山頂部には祠と四等三角点の標石があった。
・周辺には藤棚などもあり、自然散策に適した場所である。

●乙亥の里(西予市野村町)
・オープンして間もないのだが、ウィークデーということもあって客は全く訪れていない。非常に閑散とした様子。
・館内には「猿坂峠の黒松(猿坂松)」の写真、樹幹標本が展示されている。猿坂峠(標高約420m)に聳えていたもので、樹齢約400年、樹高約40m、根周り約10.3m、目通り直径3.3mもあり野村町の天然記念物にも指定されていたが、松食い虫被害にあい枯死。天然記念物指定解除となった。僕が野村小学校に通っていた頃には、山を見上げるとその雄姿を示していたのだが、残念なことである。
・井関三四郎川柳碑「花抱けば妻に二十の日が還る」がある。
・相撲資料展示館には地元の生んだ幕内力士・玉春日をはじめとする、大相撲力士の写真などが展示されている。

●緒方家(西予市野村町)
・乙亥の里の南側の路傍、緒方酒造の前に「児島大審長苦学之地」の碑が建てられている。
・緒方惟貞・児島惟謙(これかた)の事績を記した説明書きも建てられている。
・付近の路地には、以前は気付かなかったのだが稲荷の小さな社が設けられている。

●中村墓地(西予市野村町)
・大塚源十郎五輪塔を探して中村地区を歩き回るのだが、どうにも所在がわからない。探せども、川沿いに地蔵(3体)、田の中に小さな御室があるぐらいで一向に見つからない。
・ジュースを買いに立ち寄った店の人に聞いてみるも、中村地区に墓地はないという返事。「本当に有りません?」としつこく食い下がって質問すると、川を挟んだ向かい側の墓地も中村地区の一部という返事がかえってきた。野村町生まれの僕だが、その墓地は太田、もしくは木落(こおとし)に属するものだと思っていた。だから大塚源十郎五輪塔が存在する中村墓地がその墓地であることは想像もしていなかった。
・足を運んでみると、確かに五輪塔があった。「世柱様由来記」の碑が建てられていて、「天正十一年(西紀一五八三年)頃に当地方の先覚者で…元小振城主紀長門守安親公、別名大塚玄蕃であって南朝に仕えた紀貫之の末裔であり古くより里人は世柱様と称え信仰して来た」と記している。説明書きには、「大塚源十郎五輪塔 これは紀の長門守安親(別名越智安親または大塚源十朗)が、またはその子越智勘兵衛の供養塔であろうといわれています。尚、この地域の開祖として俗称"世柱様(よばしらさま)"とも称されています」と記されている。

●たばこ乾燥場(西予市野村町)
・双津野を源流とする戸石川が宇和川(肱川)に合流するところにある。朽ち果てていると思ったが、今だ健在なのに安堵感を抱いた。

●三島神社(西予市野村町)

●泉貨居士の墓(西予市野村町)

平成17年(2005)7月31日 松前町探訪

●重信川河口碑【松山市西垣生町】
●松前城址【松前町筒井】
●義農神社【松前町筒井】
●松前町総合文化センター【松前町筒井】
●金蓮寺【松前町西古泉】
●長徳寺【松前町西古泉】
●不動院【松前町西古泉】
●常夜灯【松前町西古泉】
●八幡神社【松前町筒井】
●大智院【松前町筒井】
●矢野地蔵【松前町筒井】
●古城橋【松前町筒井/北川原】
●和多津見神社【松前町北川原】



平成17年(2005)7月17日 陣ヶ森・皿ヶ嶺登山

久々に長時間歩きをしてみようという気になった。かといって、余り遠出もしたくはない。
そういえば今年は未だササユリも見てないし、皿ヶ嶺辺りでも歩いてみようかと早速車を走らせた。

重信川左岸の道を皿ヶ嶺へと向かう途中、路傍のひまわり畑に目を奪われ、ついつい寄り道をする。

●素鵞神社(松前町中川原)

●ひょこたん池(松前町中川原)

瞽女童〜水の元〜上林トンネル〜陣ヶ森〜上林峠〜龍神平〜風穴〜水の元〜瞽女童のコースを歩く。
特記事項を以下に列記しておく。
・上林トンネル下部より上林峠に至る道は大雨で崩落していた。多少遠回りにはなるが迂回したほうが無難。
・花はキツリフネ、ハガクレツリフネ、ホタルブクロ、ヤマアジサイ、ヌマトラノオ、カラスウリ、ノアザミ、ニガナ、ミズキなどが見られた。
・たった1輪だけであったが、ツチアケビを見ることができた。これは今回の山歩きでの大きな収穫といえる。

・ギンバイソウは中腹辺りで花開きつつある。上林トンネルより上は、まだ蕾のものが多い。
・ササユリの季節は終わろうとしていた。陣ヶ森・龍神平に花が若干残っていたのがありがたかった。
・ガサッという物音にびっくりさせられた。何がいるのかと恐々と目をやれば、胴体長さ15cmほどのガマガエルがじっと座り込んでいるではないか。何とも愛くるしいではないか。

・陣ヶ森山頂には坂出からの団体さん約20名が滞在していた。
・風穴には多くのキャンプ客が訪れていた。
・風穴のメコノプシス(ヒマラヤケシ)も花開いてはいたが見頃を超えた様子。
・陣ヶ森山頂付近、日当たりの良い乾いた地面に小花が咲いていた。花は直径7〜8mmの大きさ。名前がどうにも掴めない。

下山後、東温市上林地区を散策。

●ほろせ石
・近所のオジさんに所在地を尋ねると、場所を教えては下さったのだが怪訝そうな顔で「民有地じゃけんな、ちゃんと家の人にことわらんといけんぞ。変なけんな」と戒められた。よほど不審人物に見えたのだろうか。
・現地到着したら、ちょうどオバちゃんが庭先に姿を現したので早速ご挨拶し、写真撮影の了承を得た。庭先にある2m四方ほどの石がほろせ石とのこと。イワマツが多数張りついているが、水不足のせいかどうにも元気がない。石の上部には不動明王と思われる石仏が祀られていた。
●金刀比羅神社、秋葉火除/竈荒神社
●八王子神社
●金毘羅常夜灯(中筋集会所)
●村上壷天子句碑・常夜灯
●六十六部日本廻国供養塔



平成17年(2005)7月10日 松山市上野町

息子が砥部の総合運動公園にサッカーの試合(U-18愛媛選抜 VS アルゼンチン)を観にいくというので送迎。
待ち時間の間、ぶらり近郊探訪。

1.愛媛人物博物館(松山市上野町)

2.大宮八幡神社(松山市上野町)

いざ撮影しようとデジカメを取り出したのだが、どういうわけかズーム操作・フォーカス動作が全く効かなくなってしまっている。撮影できないわけではないのだが、成り行きでしかピントを合わせられないのでは困る。
已む無くデジカメを買おうとヤマダ電機へ走り、
@乾電池で動作すること
A記録媒体がスマートメディアであること
BOLYMPUS C-720のマクロコンバージョンレンズが使用できること
C300万画素以上であること
Dお値段は4万円以下
の3条件で探したのだが、A、Bの条件に合うものは見当たらない。Bを成り立たせるためには、@、Aを犠牲にしなければならない。@だけは死守したい。
中古品も探したのだが見つからない。
取材活動をする上で、是非とも今日中に調達しておきたい。
散々迷った挙句、SANYOのDSC-S3という機種に落ち着いた。128MByteのSDカード及びカードリーダ込みで20,000円。
しばらくはこれでしのぐことにしよう。花のクローズアップ写真を撮るのには難があるが、風景等を撮るには申し分ない。

平成17年(2005)6月18日 大西町散策

1.春日神社(北条市)

2.大西町星之浦・別府
2-1.牛神社・荒神社・犬神社
●ドンド橋
●岩なべ川
●地蔵、六地蔵
●幸木神社
2-2.成道寺
●「越智岩太郎翁紀績碑」(道端)
●修行大師像
●六地蔵
2-2.星神社
2-3.碇掛天満宮
●参道入口碑
●地蔵祠
●交通安全祈願やく除け地蔵
●天神踏切
●社号碑
●鳥居
●「不撓不屈」の碑
●大山祇神社?
●注連石
●鳥居
●宝来荒神社(境内末社)
●大山祇神社
●狛犬
●石灯篭
●石灯篭
●若宮神社(境内末社)
●牛像
●手水石
●碇の奉納品
●拝殿
●保志崎神社・御先神社(境内末社)
●碇の奉納品

2-4.諏訪ノ鼻
●町民運動場
●諏訪大明神
2-5.星之浦海浜公園
●環界のモニュメント
「環界 空から星が降ってきた 1993-94 橋本清孝」

3.大西町新町
3-1.井手家

3-2.クスノキ

4.大西町大井浜
4-1.一里塚
4-2.正八幡神社
●社号碑

5.重茂山・おひつ岩
5-1.重茂城(十文字城)
●重茂山城跡
5-2.ふれあい広場
5-3.おひつ岩

6.大西町山之内
6-1.大河内神社
●鳥居
●注連石
6-2.天神社
●鳥居
●注連石
●末社殿(三島神社、貴布祢神社、荒神社)
●社号碑
6-3.間所神社
●社号碑
●鳥居
●注連石
●公園
●手水石
●金刀比羅神社・若宮神社(境内末社)
●クスノキ
●長本明一翁遺徳顕彰之碑

7.菊間町種
7-1.円成寺
7-2.池原小ヶ丸広場公園
●お供馬乗馬体験練習場
●「子供の国ここに展く」の碑

8.菊間町高田(こうだ)・池原
8-1.ひるめ地蔵
●森松章吉氏頌徳碑
●「高田池」の碑
●小社

9.菊間町西山
9-1.ホタルの生息地:西山
9-2.新西山橋

10.北条市萩原
10-1.馬頭観音



平成17年(2005)6月4日 宇和島市

今日は私用のため宇和島へ。
空き時間にぶらりと番城界隈を歩く。

1.番城橋
 ・来村川に架かる。
 ・昭和45年3月架設。

2.西園寺宣久の墓

3.来応禅寺
 ・臨済宗妙心寺派
 ・真正山

4.宮下の小祠
 来応禅寺の背後から北へと小高い岡が続いていて、その岡の終端に小さな祠が祀られていた。社名等は不明。

5.堀部公園
●長山閑子句碑「まいまいの舞ひ疲れては草による」
●高畠明皎々句碑「城南の春静かなり黄楊の花」

6.三島神社
 神社が鎮座する山の頂上に上ってみるものの三角点などはなし。電柱が1本建っているのみ。
●猿田彦神社
●庚申社
●末社殿
 一宮神社、厳島神社、地神社、金刀比羅神社、龍王神社、稲生神社、天一神社、伊勢山神社、尾串森神社、川内神社

7.宮下橋

8.徳正寺
 ・浄土真宗本願寺派
 ・金栄山
●徳正寺開基500年記念碑

9.神明神社

10.和霊神社・和霊公園


 
平成17年(2005)5月29日 新居浜市

きょうは新居浜市にて高圧ガス取扱主任者の検定試験。
帰りがけ、列車の待ち時間が1時間近くあったのでJR新居浜駅東側の正光寺山古墳を見に行く。

1.正光寺山古墳
●「正光寺山古墳」の碑
 ・愛媛県知事 久松定武謹書
2.JR新居浜駅前
●市民像
●市制施行35周年記念 市花つつじ
 ・昭和47年12月

17:00過ぎ、松山へと帰る。
調べ事のため、県立図書館へと足を運ぶ。

3.堀之内
●戦災復興記念碑
 ・昭和43年5月 松山市長宇都宮孝平



平成17年(2005)5月4日 東温アルプス登山

5月連休初日に中山町の秦皇山周辺を、主に車を使って周遊したが、この連休、歩かず終いになってもいけないということで、快晴のこの日、東温アルプスへと繰り出した。

・奥善神山への登山は、実に5年ぶり。すっかり道が良くなっていて、非常に歩きやすかった。
・井内峠→奥善神山→善神山→奥善神山→井内峠→梅ヶ谷山→井内峠というピストン登山を行った。
・ブナの新芽はまだ若緑に萌える様子は見られない。
・ツツジはあちこちに花開いている。
・奥善神山からは皿ヶ嶺方向の景観が開けている。
・善神山への歩き時には、済美高校の先生と山頂にて談話した。
・梅ヶ谷山への歩き時には、一人の登山者と擦れ違った。
・本日目にした登山者はこの二人のみ。静かな山行が楽しめた。

■その他立ち寄ったところ・観察したもの

●井内御来光の滝(東温市井内)
・朝、上る時に眺めたのだが、太陽の光が上から注ぎ、なかなか美しい姿を見せていた。
●善城寺(東温市井内)
●井内林道開通記念碑(東温市井内)
●吉井神社(東温市井内 中野)
●寄合池(松山市津吉町)
・源平谷池には多数の鯉幟が橋渡し状態で泳いでいた。
●安楽寺(松山市津吉町)
●龍光院(松山市津吉町)
●渡部家住宅(松山市東方町)
・外観のみ観察。
●大蓮寺(松山市東方町)

平成17年(2005)4月30日 経石山公園【松山市桑原4丁目】

息子を病院に連れていき、リハビリの待ち時間にぶらり散歩。



平成17年(2005)4月29日 中山町秦皇山周辺散策

ゴールデンウィーク初日。
喧騒な日々から逃れ、どっか高い山でゆっくり過ごそうと思ったのだが、腰痛も癒えず、長距離歩行にもちょっと自信がない。
こんな時は、車で容易の上がれて、しかも「観光地」として余り注目されていない場所に行くに限る。
ということで、久し振りに伊予市(旧中山町)の秦皇山周辺を散策することにした。
●五体天神宮
●大矢の池
●長曽池
●秦皇山
●山吹神社
●三島神社
●奈良原神社(石像)・すんだか地蔵
●真光寺薬師堂
●天満宮



平成17年4月20日〜22日 新居浜市内散策

1.真光寺
2.三崎神社跡
3.サニーロード
・北入口に建つ銅像「青春譜」(作者:松岡高則)を眺める。
4.登町南商店街
5.一宮神社
・古楠群には圧倒される。
6.葛渕(つづらぶち)
7.宗像神社
8.広瀬公園
9.慈眼寺
10.金子山
11.弁財天宮
  ●秋山みさ子句碑「泉湧く元宅ゆかりの御茶屋前」
12.御茶屋観音堂
  ●小林一茶句碑「帳閉る加勢もせずに旅寝とは」
13.御茶屋おたぬき地蔵/双体道祖神?/…
14.大徳寺
15.北谷寺
16.五輪塔群
「史跡 五輪塔群 
 昭和40年(1965)6月3日 市指定
17.新高木橋より南側に聳える山々を眺める
18.河内寺



平成17年(2005)4月17日 伊予稲荷神社周辺散歩

伊予市稲荷の正一位稲荷神社の境内・裏山などを散歩。



平成17年(2005)4月9日 行堂山登山+α

●行道山
 本願寺脇の車道からアプローチする。
 このルートは以前に試みたことがあるのだが、地形図の見誤りで頂上に辿りつくことができなかった(西側の支尾根へと出てしまった)が、今回は、地形図を携帯し、しっかり眺めてルートをつき合わせながら行ったので、迷うことなく山頂部へと辿り着くことができた。 

●NHK行道山中継所
 行道山より大谷池・谷上山を望む。山頂部の桜が満開で美しい。
 東を望めば、テレビ中継用の鉄塔がそそり立つのが見える。

●八大龍王神社跡(小祠有り)
 ここからの道後平野側の景観は非常に良い。

●EBC中継所

●EAT/ITV中継所

●松山市消防局中継所

●行道山三角点
 後で気がついたのだが、本願寺からよりも、一つ東側の道を上がったほうが、効率良く登れることができたのである。

●伊予灘SA
 車道より高速道伊予灘SAへと入る。
 POMジュースで乾いた喉を潤しながら、今さっき登ったばかりの行道山を見上げる。

●廣田神社
 図書館へ本を返しに行く途中、立ち寄る。

●埜中神社


 
平成17年(2005)3月26日 松山市大峰ヶ台周辺散策

同僚の送別会のため市内へ。会場へ向かう道中、ぶらり散策。

●日吉神社(松山市北斎院町)
■手水石
・慶應三卯年九月吉祥日
■注連石
・明治十五壬午九月吉日

●高家八幡神社

●大宝寺
・姥桜が咲いているかと思い立ち寄ってみたが、まだ殆どが蕾のまま。
・車での参道の脇の木蓮の花が満開だった。

●真光寺
・「西山観音 真光寺 山本八十蔵先生菩提所」と寺号碑に刻まれている。
・その脇の副碑には、
「皓堂山本八十蔵先生は、明治九年十二月大阪に誕生、東京美術学校彫刻科を卒業。明治三十九年愛媛師範学校に奉職。昭和十三年まで三十有余年の間師弟の育成及び美術教育と本県彫刻界の発展向上に尽力された。太平洋戦争中戦災のため西宇和郡三瓶町に疎開この地で逝去。
先生は天涯孤独教え子達その徳を慕ひ当山に葬る」と刻まれている。
■平和之鐘
■松山新四国霊場30番
■池田亀市翁頌徳碑
「翁は明治三十年伊予郡砥部町に生れ軍籍二十有七年大東亜戦争後元軍人の恩給復活と青少年の育成に情熱を傾注す
常に公益と正義に徹し私財を投じて社会公共共に盡瘁され武人として又社会人としても世人の信望実に篤く翁の徳を慕うものその数を知らず
又翁が文教えの旺盛なる熱情はこの郷土記念館の建設に集中され貴重な文化財の保護にも大いに貢献された
よってこの碑を建立し以てその偉大なる赤誠の結晶を永久に顕彰せんとするものである」

●愛光学園生誕地

●大林寺



平成17年(2005)3月21日 松山市久米方面散策

●長善寺
●西林寺
●波賀部神社
●日下泉(南土居町)
●鷹巣泉(南土居町)
●南土居集会所前(南土居町)
●六反地注連石(南土居町)
●松山市上水道南土居水源地(南土居町)
●中之子注連石(南土居町)
●立待泉(南土居町)
●中之子廃寺(南土居町)
●熊野神社(土居町)
●五十鈴神社(南土居町)
●長塚泉(来住町)
●軍森神社(来住町)
●久米窪田集会所南の小祠
●龍神社(窪田町)
●素鵞神社(鷹子町)
●芝ヶ峠
●極楽寺
●浄土寺
●日尾八幡神社



平成17年(2005)3月1日 松前町散策

●塩屋海岸
●和多津見神社
 


 
平成17年(2005)2月26日 北条市(現松山市北条)散策

約1ヶ月間、探訪らしき探訪に出られなかった。そのウサを晴らすかの如く、北条市内広域調査へと乗り出す。

1.三津浜港(松山市三津)
●正岡子規句碑「十一人一人になりて秋の暮」
●「汽船乗り場」の石標

2.三津内港(松山市三津)
●渡しの由来
●三津の渡し

3.常楽寺(北条市久保)
●常楽稲荷大明神
●常楽稲荷祭

4.柳原:猪野蛍光堂周辺(北条市柳原)
●雪雀酒造
●柳原館趾
●中江藤樹先生立志之碑

5.三穂神社(北条市柳原)
●柳原地名誕生之碑
●小祠
●大洲藩主加藤家・大洲藩士中江家の小祠
●絵馬堂
●亀の甲羅の奉納
●牧野種三郎先生頌徳碑
●注連石
●社号碑
●鳥居

6.柳原港(北条市柳原)
●柳原港改修記念碑

7.龍宮神社(北条市柳原)
●柳原港竣功紀念碑
●柳原漁業組合創立五十周年記念碑
●常夜灯
●焼玉エンジン

8.一心庵(北条市柳原)
●風早四国道標
●沼田氏五輪塔
●先祖墓處轉集の記
●白石兎遊(とゆう)句歌碑
●得居家墓碑群
●松尾芭蕉句碑
●一字一石塔
●六地蔵

9.西の下大師堂(にしのげだいしどう)
●虚子の松
●高浜虚子之像
●高浜虚子の句碑「この松の下にたたずめば露のわれ 道の辺に阿波へんろの墓あわれ」
●阿波の遍路の墓
●西の下大師堂
●備中国からきた遍路(?)の墓

10.へんろ道道標

11.北条港
●鹿島神社鳥居
●地蔵:三界万霊
●北温海岸防波堤竣工記念碑
●鹿島観光案内図
●常夜灯
●安居島行きの船の時刻表

12.鹿島神社(お旅所)
●鹿島稲荷大明神
●北條港改修記念碑
●灯台(北條港灯柱)

13.法然寺
●浄土宗宗歌碑「月かげのいたらぬさとはなけれどもながむる人の心にぞすむ」
●法然上人座像
●松尾芭蕉句碑
●仏足石

14.杖大師・青面山養護院
●シンセキ地蔵
●如意輪観音
●けんだつば神王
●慈母観音
●伏見稲荷大社
●薬師如来
●八幡大菩薩
●修行大師
●国土調査実施記念碑
・昭和52年1月

15.河原地蔵堂

16.三穂神社
●常夜灯

17.中央公民館

18.旧市役所(現松山支所)
●北温中学校跡碑
●北条市役所跡地碑
●堀本宣実翁銅像
●松田喜三郎翁頌徳碑

19.宗昌寺

20.八竹山
●八竹山墓園
●地蔵
●押尾川内松乃音墓
●蓄魂碑
●松山市上水道北条配水池
●祠
●四等三角点

21.厳島神社

22.正岡小学校

23.国津比古命神社
●祭り
●忠霊塔
●句碑
●八脚門
●神楽殿
●真名井の井戸
●金毘羅神社
●常夜灯?
●石額
●砲弾
●稲荷社
●絵馬

24.櫛玉比売命神社
●国津比古命神社・櫛玉比売命神社改築記念碑
●社号碑
●和霊神社
●櫛玉社旧本殿
●素鵞社
●歌碑?
●三輪田米山書「式内名神両社千年祭之碑」

25.庄薬師堂
●耕地整理記念碑
●木像薬師如来座像
●仏像群
●木心乾漆菩薩立像
●木像菩薩立像

26.兜跋毘沙門天立像(多門天)

27.堂

28.松山市庄農家高齢者創作館

29.奥の谷古墳

30.十輪寺
・真言宗醍醐派弘法山丹生院
●金毘羅大権現
●鳥居
●金毘羅大権現像?座・本殿・拝殿各?
●愛染明王
●毘沙門天
●大杉之碑
●句碑「遙かなる町の灯点る夕桜 玄子」
●智恵の輪
●撫仏
●春日神社

31.山守喜三右衛門一家七人之墓

32.鎌大師
●愛の道しるべ
●霊木大師松之碑
●鎌大師
●芭蕉塚
●十八人塚
●花へんろ 第1番札所 修行大師
●松守延命地蔵尊
●句碑
●句碑「托鉢や」
●頌徳碑
●勇歌碑
●エヒメアヤメ自生南限地
●一茶の道
●イヨスミレ
●篠原藤交

■立ち話
・七人みさきのこと
・大師松のこと
 ランドマークが存在しなくなったこと。
・立ち枯れが多くなったこと
・新城山への登路がないこと(道が荒れていること)
・松茸がとれていたこと
・草履ででも山に繰り出していたこと
・ハメが多数出没すること
・イノシシが里に下りてきたこと

32.貴布祢神社

33.道の駅ふわり

34.観音岳

35.波妻の鼻

36.六地蔵の板碑

37.前田池
●縄文土器出土地

38.大殿様【北条市磯河内】
●風早四国 第36番 薬師堂
●大改修改築記念碑
●大殿様



平成17年(2005)2月20日 重信町河口にて野鳥を眺める

●西垣生町側
最近、休みらしい休みがとれない。
重信川河口右岸(西垣生町側)にてぼんやりと野鳥を眺める。



平成17年(2005)2月6日 松前町探訪

●伊予市中央公民館/市立図書館
●天神社
●鷲野南村塾「燈黄園」跡地
●南黒田墓地
 ■鷲野南村墓碑
●宗通寺
●菅谷半之丞墓碑
●庚申堂
●素鵞神社
●四ツ黒大権現
●華蔵庵
●岩鋪天満宮(鎮守神社)
●地蔵堂
●素鵞神社(松前町大溝 叶田)
●大乗妙典一字一石碑
●永田案内板
●鎮守神社(舞殿)
●西沼寺(さいじょうじ)
●頭王神社(松前町大字恵久美五反地)


五十崎町・河辺散策【平成17年(2005)1月30日】

●堂
 ■坪江庵のツバキ(樹齢約200年)
 ■坪江庵のイチョウ(樹齢約400年)
●薬師堂
 ■銀杏

    ・五十崎町指定天然記念物(昭和58年2月4日指定)
 ■ 椿
    ・五十崎町指定天然記念物(昭和58年2月4日指定)
●天神宮・祇園社・生目八幡宮
●三島神社
●紅葉ヶ滝・ドウド(鮎返り)の甌穴へ
●ドウドの甌穴
●紅葉ヶ滝
●道端の地蔵
●常盤橋(屋根付き橋)
●海蔵寺
 ■瓊敷小学校跡
●再び屋根付き橋
●若一皇子神社
●常久寺
●ムクノキ
●北浦三島神社
●林道泉谷線
●泉谷の棚田
●林道ダラリ線
●だらり権現
●泉ヶ峠
●大師堂
●三島神社
●赤子滝(裏見の滝)
●三杯谷の滝
●三島橋(屋根付き橋)
●薬師堂
●しいたけ乾燥場
●足半草履
●豊年橋


保内町・長浜町散策【平成17年(2005)1月22日】

●高徳寺
●二宮敬作記念公園
●客神社



川内町・重信町散策【平成17年(2005)1月16日】



瀬戸町三机・塩成散策【平成17年(2005)1月4日】

取材メモのみ記載しときます。

●長養寺周り
■宝篋印塔
・町指定文化財
・享和三癸亥歳(1803)七月吉日
・「天下泰平
  奉納大乗妙典日本廻国
  日月清明」
■イボ神様
・「高覚道眼醫師 安永四未年十二月十二日」
・安永4年(1775)
■三机大川
「土石流危険渓流 大川水系三机大川」と記された看板が横たわっている。辺りを確認するも、川らしい川の姿は見当たらない。
■長養寺八十八ヶ所・三十三観音
「長養寺山林ニ四国八十八ヶ所三十三番観音様ヲ祀テ有タ 道路新設ニ散在シ詣モデキナイノデ三机老人会員外有志ノ奉仕ヲエテ復興シ供養デキル事ニナル 昭和五十四年三月二十一日記念シテ之ヲ建テル 井上重利氏ノ寄贈ニヨリ碑ヲ建テ後世ニシルス 昭和五十四年十二月 老人クラブ会有志一同」
■長養寺参道上り口の地蔵堂

●町民センター前公園
■旧役場跡
■瀬戸町合併記念碑

●須賀公園
■注連石
■ウバメガシ林
■六艘堀
■境内末社
■改築記念碑
・和霊神社、恵比須神社、厳島神社、三社神社(大神宮/大山祇神社/三島神社)、合祀社、八坂神社、客神社、海津見神社、天満神社
■九軍神慰霊碑
・昭和41年8月吉日建之
・古野繁実少佐、岩佐直治中佐、横山正治少佐、広尾章大尉、横山薫範特務少尉、佐々木直吉特務少尉、上田定兵曹長、片山義雄兵曹長、稲垣清兵曹長 の9人を慰霊する。
■忠霊塔
■鳥居
■常夜燈
■魚霊塔
■自然海浜保全地区

●堀切
■松根東洋城句碑
■藤村儀作之碑
■地蔵

●松浦岩蔵記念碑
「養蚕組合創立功労者 松浦岩蔵記念 昭和六年一月建之」
・塩成小学校前の道路沿いにある。

●塩成小学校
■開校百年記念碑
「1981 開校百年記念 町立塩成小学校」
「昭和56年11月建之 記念事業推進委員 委員長 門田徳次郎 ...」

●海岸端の神社・地蔵・祠
■神社 (社名不明)
■三界万霊
■地蔵
■阿部官三郎記念碑
「大正十年一月九日建之」

●大神宮
・「昭和62年6月新築」とある。



松山市和気地区取材【平成17年(2005)1月3日】

取材メモのみ記載しときます。

●佐古岡神社(馬木町)

■柳泉学校跡
・柳泉学校は明治15年(1882)に開設された。
■常夜燈
・柳泉(りゅうせん)学校跡(現在は野間氏邸)の前にある。
・常夜燈は、文化十二年乙亥年に造られたもの。(文化12年は1815年)
■佐古岡神社
・景観樹林保護地区(指定年月日:昭和54年3月30日、指定番号:第28号、位置又は区域:松山市馬木町(1,238u))
・祭神:大己貴命(大国主命)、少彦名命、猿田彦神、河野通治、河野通遠(通治の子)
・元弘3年5月7日、足利軍との戦いにおいて、敵方武将・大高重成(おおたかしげなり)との一騎討ちに敗れて討死した河野七郎通運(みちかず)(通遠)を祀ったので「七郎明神」とも呼ばれる。
■神名石
・村社 佐古岡神社
■注連石
・右:威稜扶宇宙
・左:恩重福生霊
・大正9年(1920)9月建立。(「大正九年庚申歳九月建之」)
田所成恭書。田所成恭は陸軍大佐か。
■菅公一千年祭紀念碑
・明治30年4月
■狛犬
・建造年月は刻文が摩滅していて判読できず。
■戦捷記念碑
・日清戦争(明治27年(1894)7月〜明治28年(1895)4月)、日露戦争(明治37年(1904)2月〜明治38年(1905)9月)、日独戦争(大正3年(1914)8月23日〜大正7年(1918)11月11日) の戦勝を記念したもの。
・大正8年(1919)12月、陸軍中将正三位仙波太郎謹書とある。
・陸軍大学校第1期卒業。(明治18年)
・陸軍中将。愛媛県生。幸雄の長男。陸軍大学卒。日露戦争では陸軍少将として出征し、のち中将となる。当時、桂太郎・宇都宮太郎とともに陸軍の三太郎と称せられた。衆議院議員。昭和4年(1929)歿、75才。
■拝殿
・社殿は明治36年(1903)に建造された。
■境内末社(拝殿左側)
・素鵞神社、生目八幡神社/天満宮/金比羅宮、素鵞神社(一番右端に瓦製の御室も祀ってある)
■境内末社:出雲大社
■手水石
・慶應三(丁)卯年十月、平田村中(慶應3年は1867年)

白形邸・田所邸を眺めながら南へ。

●白形邸
●田所邸
●城北食品工業所
●善福寺
・宗派:真言宗智山派
・山号:堂聖山
■本堂
■布袋尊
・平成13年1月
■大師堂
・松山新四国霊場16番札所
■修行大師像
・平成10年11月
■六地蔵
■頌徳碑
・大正3年1月
・誰を頌徳したものかは詳らかではない。碑文をざっと見たところでは、歴代住職関係と思われる。
■水子地蔵尊
・平成14年3月
■弘法大師千百年御忌供養塔
「處々遺跡不闕影向」

●JR和気駅
■佐々木義潔翁・芳野市蔵翁頌徳碑

●丹生神社(にゅうじんじゃ)
・祭神:水波能売神(みずはのめのかみ)
・祭日:10月9日
■鳥居
・大正9年8月
■注連石
・明治29年8月
■神名石
・大正4年11月

●円明寺
・明治8年(1875)、円明寺の客殿を借りて鶴聞(かくぶん)学校が開設された。
・山号:須賀山(元々は海岸山だったが、元和元年(1615)、須賀専斎重久が塔ノ口から移転・再建時に山号を改めた。)
・院号:正智院
・四国八十八ヶ所霊場第53番札所
■八脚門(やつあしもん、はっきゃくもん)
・県指定重要文化財
・入母屋造り、本瓦葺
■中門
■本堂
■仏足跡
「仏足跡とはお釈迦さまの足跡を印したものです。お釈迦さまが入滅され、現在のような仏像が造られる以前は、お釈迦さまの足跡を印し礼拝してきました。この左足の仏足はインドグブタ朝五世紀の作で最も古い仏足跡の模刻です。
この仏足跡を合掌し、礼拝した手で身体の悪い箇所を撫でると罰障を滅し、所願を成就するといわれています。」
■仏足跡建立協賛者碑
・平成14年10月建立。
■閻魔大王
・本堂前。仏足石の隣。
■おびんずる様
・本堂の濡れ縁に置かれている。全身真っ赤。
■大師堂
・「松山新四国霊場第11番 須賀山 圓明寺」
・平成11年9月
■不動明王
■観音堂
■鎮守堂
■句碑 「島遍路 干潟歩きて 近道す」
・平成10年1月、愛媛運河俳句会
■常夜燈
・大正10年3月
・八脚門の右側にある。
■句碑 「鈴の音に 笠共々に 霞みけり」
■句碑 ・「いかにして 剪りたる 泰山木能花」 井寒
・昭和46年10月27日建立。
■キリシタン灯篭
■須賀専斎重久の墓
■句碑 「麗かや めくらの眼にも 弥陀の像」 三允
・昭和46年10月27日建立。
■句碑
■へんろ道道標

●御堂
■常夜燈
・円明寺西の御堂前に建っている。

●恵比須神社
・祭神:事代主命
・祭日:10月9日
・昔、恵比須像が和気の海岸に漂着し、それを祀ったのが始まりという。
■鳥居
・昭和18年1月
■狛犬
・昭和18年1月
■注連石
・大正8年5月
■松の木
■常夜燈
■拝殿

●和気浜漁港
・昔は、ここから宮島(広島県)行きの船が出ていた。(→See.円明寺前へんろ道道標)
■領門神社
■常夜燈
■汐先八百蔵の墓
■地蔵
■水門

●七人のへんろの墓
・昔、嵐に遭って漂着した七人の旅人を、村人は海賊と誤って皆殺しにしてしまった。それ以来、雨が降る度に鈴の音が聞こえたり、足腰を病む人が増えたりした。これは七人の旅人のタタリに違いないと考え、地蔵を祀って供養した。

●円明寺奥之院
・御詠歌
 「われ住めば四海静謐(せいひつ)波静か 種々の願いをかなへ得させむ」
・松山新四国霊場第13番 海岸山 円明寺
・天平勝宝(てんぴょうしょうほう)元年(749)、聖武天皇の勅願により、行基が開創した。開創地は、現在の奥之院より少し登ったところにある。この山を寺山と呼ぶ。本殿跡には、地蔵が祀られている。
・文永5年(1258)、戦火により焼失。元和元年(1615)、須賀専斎重久(すがせんさいしげひさ)が現在の円明寺に再建した。
■常夜燈

●坂浪金毘羅神社
■ホルトノキ(=モガシ=シチジョウ)
・「坂浪金毘羅神社に大きなホルトノキが聳えている」というので訪れてみたものの、それほど大きいとは思えない。樹齢約300年ということだが、どう見ても50〜60年ほどのものである。昔の写真と照らし合わせてみても、格段に小さい。おそらく、山茶花が植わっている所の傍にある切り株が、ホルトノキの巨木の名残なのだろう。「現在は枯死している」と判断して間違いなさそうだ。今度は現地で話を聞いてみることにしよう。
・昭和53年4月27日に松山市保存樹木に指定されている。
■常夜燈
・享和元年(1801)建造。

●勝岡八幡常夜燈

●中野山若宮神社
・この小山は中野山と呼ばれ、小千命が白人宮(うらんどのみや)という社を築いたところである。
・例祭は8月7日。
・現在は若宮神社と称する。
■中野山
■若宮神社
■常夜燈

●片廻公民館前
■常夜燈
■蘇鉄
■へんろ道道標
■四国のみち道標

●素鵞神社
■拝殿
■本殿
■常夜燈



野村での年越し後、松山へと戻る【平成17年(2005)1月1日】

目覚めて戸外へ出ると、辺り一面は雪景色であった。久し振りの「雪に包まれた正月」である。しかし、今日は松山へ帰る予定。道路の状況が気にかかるところである。ウチの実家へと入る道は車1台も通っていない様子で、轍の跡も付いていない。よって本年度チェーン初装着。しかし、野村市街地まで出ると路面はシャーベット状態、宇和町に至るまでには完全に路面の雪は消滅していた。しかし、大洲はどうなっているかわからない…ということで、八幡浜・保内経由で国道379号線を通って松山へと帰る。宇和・八幡浜・保内とも、雪は殆ど無し。唯一、長浜町内だけは、路側・民家の屋根に3cmほどの積雪が見られた。

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