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こたろう博物学研究所
探訪記録:20020714

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久万町お手軽登山、砥部町行き当たりばったり散策【平成14年(2002)7月14日】


 先月1日の皿ヶ嶺登山以来、ここ1ヶ月は御近所の小山に登る程度でまともな山登りをしていない。曇天で気乗りはしないのだが、たまには山らしい山に行って自然を満喫し、気分転換をしたい。とは言え、最近はあまり身体を動かしていないし、長距離を歩く体力もない。遠出をするにしても、どうも億劫である。

 双海町方面でも行ってみようかと、南へ車を走らせるが、牛ノ峰山頂あたりは雲がかかりつつある。背後に目をやれば、高縄山・北三方ヶ森辺りは晴れており、目的地を変えようかと浮気心が走ってしまう。東方に目をやれば、石鎚には雲がかかっているが三ヶ森上部は晴れ渡っている。しかし、せっかくだから、たまには未踏の山を目指したい。こんなジレンマを抱きながら、結局国道33号線へと出てしまう。

 曇天ではあるが、目の前に三坂峠上部に聳える黒森山の姿がくっきりと見える。ここから1時間足らずで登山口に行けて、なおかつ未踏峰であるという絶好の条件の山。うん、決めた。今日の目的地は黒森山(久万町)だ。



黒森山(久万町) 標高1,154.2m

 国道33号線を上り、三坂峠(標高720m)を越して、ドライブイン(現在改築中)前の90°カーブを曲がってすぐのところで右折し、未舗装の林道へと突入。未舗装とはいえ、そう走りにくいほどではない。途中幾つかの分岐があるが、全て右側を選んでいく
 そういや、思い付きで家を飛び出してきたこともあって、普段持ち歩いている地図帳を持ってくるのを忘れた。まぁ、無線中継所を目指して行けばどうにかなるだろう。

 やがて「新和敬荘」の看板が掲げられた山荘が目に入る。道路を挟んで対面には「ボーイスカウト野営場」なる広場がある。さてこの山荘、どんな人が所有・利用しているのだろう。一般客を受入可能なのだろうか。この山荘の前の道は幅員が広く、ちょっと車を停めるには好都合と思われるが、この先も道中は長そうだ。林道歩きも余り面白くなさそうなので、車で行けるところまで行ってみよう。

 道端を彩る花々を眺めながらゆっくりと進んでいく。テンナンショウは花の季節を終え、粒粒の実を突き出し始めている。至るところでオカトラノオが白い花穂を垂らしている。ホタルブクロの花も旺盛だ。名も知らぬ花には数多くの蝶が群がっている。車を停めて近寄ってみても、一向に逃げる気配を見せず、無警戒に甘い蜜をむさぼっている。
 そのうち、どっちに進むべきか迷ってしまいそうな、同一幅員の分岐道に出くわす。ここでも右を選ぶことにした(正確には、左側を選んで20mほど進んだのだが、何となく「これは違う」という直感が働き、すぐさまバックで戻った)のだが、これは正解であった。一部コンクリート舗装の区間があるが、すぐにダート道に戻る。間もなく右手の道沿いから杉林にかけて、ヤマアジサイの群落がお出迎えしてくれる。野生味溢れる独特の青い花(正確には萼(がく))である。このお花畑は、僕の中ではなかなかポイントが高い部類に入る。

 自然を満喫しながら先へと進むと、ほどなく明るい空間が開けてきた。尾根に出たのである。先に目をやれば、無線中継所、その先に2つのピークが見える。

 無線中継所のやや下手の路側に駐車して、10:13、登山開始。3分ほど歩くと無線中継所の横に着いた。フェンスで囲まれた構造物には「第二電電株式会社久万リレーステーション」と記されている。そうか。DDIの無線中継所だったのか。

 無線中継所を過ぎてすぐのところに、「中の峰登山口↑此れより山頂へ約200m」の看板が立てられている。「中の峰?これって黒森山の別称かいなぁ?」と思いつつも、先程車を停めたところから見た限りでは、奥側のピークの方が高そうに感じた。「まぁ、200mぐらいなら、とにかく登っても損じゃないわい」とその看板に従い、山道を登って行く。

 曇天ではあるが、幸運にも近傍の山々を見渡すことができる。東には皿ヶ嶺、その向こうに石墨山が見渡せる。やや南に視点を移すと、久万高原の町並み及びそれらを取り囲んで聳える山々、船山、餓鬼ヶ森、菊ヶ森、桂ヶ森などの姿が見える。遥か向こうには、大川嶺や中津明神山らしき山の姿も見えるのだが、頂部付近は霧雨に霞んでいて、山容がはっきりとは確認できない。
 まぁ、景色は悪くない。というか、期待以上に風景が楽しめる。いや、眺望など期待できるとは思っていなかったので、嬉しい誤算である。
 登山道もなかなか良好で、途中岩登り的なところもあり、非単調なところも良い。取り囲む林も、北側は植林だが南側は自然林も豊富だ。ツツジも僅かであるが花が残っている。

 「なかなかいいんじゃない?」と独り言をつぶやいていたら、10分足らずで中の峰山頂に到着した。時刻は10:25。ここが黒森山だとしたら、いくら何でも近すぎる。辺りを見渡してみても、三角点の姿はない。石が積み重なっており、一見ケルンのようにも見えるが、単に自然石が重なりあっているだけのようである。
 やっぱり奥側のピークが黒森山本体であろう。
 山頂からの縦走を図ろうと試み、南側から巻いて進んでいくのだが、道らしきものは見つからない。踏み跡も見出せない。尾根をトレースしていこうと思ったのだが、スズタケが蔓延っていて薮漕ぎ必至である。
 雨露に濡れている薮を漕いでいくのは、どうも億劫である。途中断念して引き返すことにしよう。

 いったん麓の登山口まで引き返し、南側の山麓に延びている林道を歩いていくことにする。そのうち、黒森山への登山口が確認できることを期待しつつ、切り崩し部分に咲く花々を眺めながら歩いて行く。
 6〜7分歩いたところで上を見上げると、黒森山直下付近に来ていることに気付かされる。切り崩しの上にの杉の木には赤テープが巻かれており、どうやらここが登山口のようである。早速、切り崩しをよじ登り、黒森山を目指すことにするのだが、すぐさま薮に阻まれる。「だから、今日は薮漕ぎはイヤなんだってばぁ!」とうめきつつ、今日のところは山頂制覇を断念することに決める。まったく「根性無し」としか言いようがない。

 「まぁ、せっかくだからゆっくりしていこう」ということで、林道に転がっている石に腰を下ろして一服。暫く、鳥の囀りしか聞こえない空間でリラクゼーションした後、林道を引き返して11:08、駐車した場所へと戻る。

 そして、花を愛でながらゆっくりと林道を下っていく。



 さて今からどうしようか。雨もまばらだし、時間もまだたっぷりある。昼飯を食うにはちと早い。高い山にでも行きたいところだが、先程黒森山から眺めた限りでは、1400mを超えるような山には雲がかかっている。せっかく登っても眺望が望めないならどうしようもないしなぁ。
 まぁ、とにかく国道33号線を南に進んでみよう。
 六部堂のスキーランド入り口のところにトイレ完備の小屋が出来ている。ここに車を停めて、六部堂〜十字峠のルートで皿ヶ嶺にでも登ろうかとも思ったが、やっぱり未踏峰を目指したい。ということで、「皿ヶ嶺様」には本日は登頂ご辞退を申し上げて、更に南へと進む。
 途中、道端に停車しているパトカーの姿を見つけてドキっとする。別に悪いこと(スピード違反)しているワケでもないのだが、何となくヤな感じ。

 11:39、カフェテリア二十番館、巨大な鷲のモニュメント、久万青銅廻廊の門柱(?)などに興味をそそられ、久万カントリークラブ入り口で一旦停車し、その姿をカメラに収める。そうこうしているう
 「そうだ。この先に確か船山、笠松山の登り口があったはずだ」
と次の目的地が衝動的に決定される。

 久万カントリークラブのクラブハウスを過ぎて、ゴルフコースの中に続く舗装道路を進む。途中1ホールだけは、林道がコースを横断している。車にゴルフボールをぶちあてられてもたまらない。左右確認を綿密に行い、グリーン上でプレイを続けている前の組の面々、ティーグラウンドでグリーン方面を眺めている後の組の面々の姿を確認して、「今だぁ!」と見覚えのあるコースを横切っていく。「そういや高いゼニを払って、芝刈り・ボール蒔き散らししてた時期もあったなぁ。この久万カンにも何度か来たもんよなぁ」と懐かしい思い出に浸りつつ、ゴルフコースに別れを告げて林道をひた走って行く。

 それから間もなく、別荘らしき建物が見えてきた。道沿いには、色鮮やかな紫陽花が出迎えている。まさに満開。紫、青、紅....眺めていて飽きないくらいの咲きっぷりだ。

 そこから少し上がったところが「笠松山登山口」である。腐りかけではあるが木製標識が建っているので、容易に登山口は確認できる。

 笠松山登山口よりやや北に、またもや数多くの紫陽花が植わっている。ミツバチの巣箱が4〜5個置かれており、せわしそうに巣箱内外を行ったり来たりしている蜂達。刺されやしないかと恐怖心を抱いてはみるものの、ミツバチ達は収拾した蜜を巣に持ち帰ることに一生懸命で、僕の存在などお構いなしといった感じである。

 しばらく進むと「林道中組奥線」の標識が立っている。起点より0.8kmである。幅員3.0m、延長1.5km。これならば歩いても大した距離ではない。
 ※この標識には船山の標高が710mと記されているが、これは誤り。

 やがて赤土を切り崩した峠に出て、そこからやや下ったところで林道は途絶える。林道終点で車をUターンさせたあと、路肩に駐車して船山登山モードへと移る。



船山(久万町) 標高910m

 12:02、林道を少し折り返すと、右側に白い荷造りテープと赤いビニールテープが目に入る。登山口であるには間違いなさそうだが、その向こうは膝下ほどの雑草が立ち並んでいる。小雨交じりの中、足元が濡れるのはやだなぁ。そういやスパッツを装着してくるのを忘れた。まぁいいやと思いながら進むのだが、雑草が立ち並んでいるのは、意外と取り掛かりだけである。林の中は、なかなか快適な道が続いている。

 なだらかな道を進むと、すぐに尾根に出る。この辺りは道が不明瞭だが、稜線はここから右手方向に傾斜を増している。ここで右に折れて進むと、左に向かってやや下り勾配の横道が続いている。迷わずこの道を歩いていくと、再び支尾根に出る。ここでまた右の折れていくと、段々ときつい勾配になってくるのだが、歩いてみるとそれほどしんどい道でもない。坂を上り詰めると、スズタケが覆い尽くした平坦部へと出る。「ひょっとして山頂到着か?」と思い、三角点を探してみるが見当たらない。
 更に西へ向かって歩いていき、杉林を抜けると三角点が埋め込まれた山頂へと出る。12:13、山頂到着。意外と山頂部は広々としており、昔ここに城砦があったという話はもっともらしい気がしてくる。。

 わずか10分の登山であるが、湿気を帯びた山道歩きで、汗が噴き出てくる。絶好のランチタイムでもあることだしと、荷物を降ろし、昼食準備に移る。
 山頂からは眺望がまったく望めず、ただ杉林が取り囲むだけであるが、人間の匂いもせず、物音一つしない山頂の空間で、ぼんやりと時間を過ごすのも悪くはないものだ。
 あれこれと考え事をしていたら、煮込んでいたうどんが「食べて食べて」と急かすかのごとく、白い泡を豪快に噴きながら沸騰音を響かせてきた。それじゃ、お呼ばれしましょう。

 30分少々くつろいだ後、12:46下山開始。10分足らずで駐車場まで下山。なんともお手軽な登山だこと。



笠松山(久万町) 標高868m

 林道を折り返し、13:00に紫陽花群落地まで戻る。もう一度花々やミツバチを観察した後、13:03より笠松山登山を開始。ここも尾根に取り付いた後は、右に折れて進むのみ。思ったよりも落葉樹の多い山である。単調な植林地歩きではなく、いい感じの山である。振り返ると木々の隙間より、先程登った船山の姿が見える。

 僅か10分足らずで頂上に辿り着く。頂上には「笠松城址」の碑がでんと腰を下ろしている。碑の台座にはカヤやハゼなどが背を伸ばしており、何となく寂れた雰囲気になっている。これはいけませんと、バッグからナイフを取り出し、ボランティア草刈り大会を一人挙行する。

 30分足らずの労働を追え、13:42に下山開始。わずか6分で登山口へと戻る。



 この後の探訪については、詳細は割愛しときます。


久万青銅廻廊(久万町)

 受付のカウンターにて恐る恐る入館料を確認する。大人500円。財布の中身と相談する。いかん!支払えんじゃないか!
 係員が擦り寄ってくる前に、そそくさと戸外へと出て行く。

 ここからは黒森山の風景が美しい。先程登った中之峰よりも、やっぱり左側(西側)に聳える黒森山のほうが魅力的に見える。うーん、実に勿体ないことをした。後悔先に立たずとはこのことだが、やはり薮漕ぎしてでも登っておいたほうが良かったな、



仰西渠(久万町)

 川沿いに園地がきれいに整備しているのに、訪れる人の姿は全く見えない。いいとこなのに勿体ないなぁ。だけど、この空間をこの時間帯だけでも一人占めした気分に浸るのは悪くない。



高殿神社(久万町)

 境内には明治43年三嶋神社合祀記念碑がある。三嶋神社の神名石に「明治43年」「合祀記念」を掘り加えたものと思われる。



大除城址(久万町)

 「四国のみち」の歩道沿いに「大除城の跡」と記された案内板が建っている。その内容は以下の通り。
 「大除城は、天文年間(1532〜1554年)に、道後湯築城主の河野氏が、土佐の長曽我部一族の侵入を防ぐためにこの前方の山頂に築いたものです。以後、城主の大野家は3代にわたり繁栄しましたが、天正13年(1585)に秀吉の命を受けた小早川隆景軍に河野氏が降伏し、大除城を明け渡したのです。」



つづら川トンネル〜つづら川沿いの道(立野つづら川林道)

 国道33号線から抜け出す脇道は4〜5箇所あるが、つづら川の集落へと抜けるトンネルは今迄一度も通ったことがなかった。せっかくだから、つづら川経由で砥部町の立野へ下りていくことにしよう。

 トンネルを抜けるとそこはつづら川。サンショウウオやアカカジカガエル(だったかな?)の棲息地とのこと。興味深いのだが、どこにお隠れになっているのかはわからない。

 道を下って行くと、道路に10数人の地元民が集結しているではないか。しかもほぼ全員が草刈り鎌・草刈り機を携帯している。「ここはスプラッター地帯か!」と一瞬たじろいでしまったが、どうやら地元民総出の道草刈りの日だったらしい。

 草を刈ったということは、さぞかし快適な道が続いているに違いないと、わくわく気分で下っていったのだがそれは甘かった。僕のCRVでは通行が厳しい1車線道路が延々と続いている。左側にいつ脱輪してしまうのかと冷や汗たらたらと流しながら、泣きたい気分での走行を余儀なくされる。
 これが草ぼうぼうの状態だったら、更に悲壮感を増強させるところであったろう。その意味では、地元民の皆さんに感謝の言葉を述べなければならない。

 やっとの思いで見覚えのある砥部町立野の下の道に辿り着くことができた。二度と走行したくない道であった。



 立野集落への上り口には
・「立野七社さま/脳かみさま」
・「立野菩薩堂/延命長寿抜苦離観音」
と記された標柱が建っている。ここから2〜3km登ったところに集落があるのだが、今ではほとんど住んでいる人がいないのではなかろうか。あばら屋が目立つ。


立野菩薩堂(砥部町立野)

・立野集会所
・延命長寿抜苦離観音」
・オニユリの花
・弘法大師修行像
・念ずれば花ひらく
・陶板碑
 ・仏像並御堂の由来
 ・竹嶋亀五郎翁顕彰碑(平成6年12月 立野会有志 代表 中川喜志雄謹書)



立野七社神社(砥部町)

・コガノキ(御神木、樹齢一千年)
・立野部落の歴史(陶板碑)
・「七社大明神社について
このお社は大己貴命 八千矛神 大国主命 大国玉命 顧国玉命 大物主命 葦原醜男命の七祭神でありまして大黒様を主神とした神社であります。昔から近隣近郷では脳かみさま又は頭痛神様として遠路参詣者が後をたちません。この度崇敬者の寄進により新しい社殿が再建出来ました。世の多くの人々にお陰を受けていただきたいと思います。御参詣をなさった方は御記帳下さい。例祭(年1回)には...... 昭和62年9月吉日 立野七社大明神崇敬会」



銚子の滝(砥部町)

・滝見橋:昭和58年9月完成。砥部川支流銚子川に架かる。
・銚子滝(ちょうしだき)バス停(松山へは2便/日、小田へは1便/日)



コナ(小名)

・小名橋
・砥部四国24番札所



岩谷霊岩寺(砥部町)

●道標(岩谷口):「左 古岩谷山 五丁」と刻まれている。大正11年1月織田冨代建之。
 (1丁≒109m→36丁≒1里≒4km)
●岩谷道路改修記念碑/里道改修記念碑
●ミニ四国八十八ヶ所
●岩谷霊岩寺
・木造阿弥陀三尊像(砥部町指定文化財、平成12年3月)〜江戸時代初期作
・正保2年(1645)開山。岩谷さん
・薬師堂内:入母屋造の厨子、須弥檀→県指定文化財(昭和39年3月27日指定)
●古岩谷山巡路案内図
 奥の院、くぐり岩、展望台、一とび岩、稲荷神社、毘沙門天、くぐり岩、寝釈迦仏、かさね岩、両院の河原などが記されている。ここで「両院の河原」と記しているのは西院の河原(=賽の河原)の誤りであろう



大宮八幡神社(砥部町)

・米山書・注連石(石造美術) 平成14年3月 砥部町教育委員会
・イチョウ(樹高23m、幹周360cm、樹齢300年以上)
・クスノキ(樹高23m、幹周400cm、樹齢300年以上)
・ムクノキ(樹高22m、幹周300cm、樹齢300年以上)
・ムクノキ(樹高27m、幹周410cm、樹齢300年以上)



砥部橋(砥部町)



宮内天満宮(砥部町)

・天神橋(平成12年2月)
・三輪田米山神名石(砥部町指定文化財)
・三輪田米山書俳額(砥部町指定文化財)
・境内社:宮内神社、宮崎神社、北野神社、春日神社、小松池龍王神社
・末社:(向かって右より)宇賀社
・菅公歌碑「立ち寄りてみれバかわいの....」

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