北条界隈での登山と探訪【平成13年(2001)2月18日】
北条市内の国道196号線バイパスを北へ。途中でローソンに立ち寄り、インスタントラーメンや水を買い込む。
北条市に入ってぽつりぽつりと雨が落ちてきた。そう大した量ではないが、車のフロントガラスに水滴が着くのを見ていると、何となく嫌な予感が起こってくる。天気を心配しながら、県道17号線(北条玉川線)を東に進む。
陣ヶ森
笹ヶ峠へと続く県道17号線は、殆ど二車線の快適な道が続く。3年前に訪れたときとは雲泥の差であり、離合困難の心配などする必要もない。
笹ヶ峠の「玉川町」の標識、「今治20km、玉川13km」の道路標識を少し越えたところから右へと続く未舗装道路がある。林道陣ヶ森線である。入口には起点標識が建っている。この標識に示されている楢原山の位置関係はどうもおかしい。どう見ても北三方ヶ森の位置である。(玉川町役場の方、修正されてはいかがでしょうか?)
地図には、
「幅員3.0km、延長2.3km」とある。このままずっと車で進もうとも一瞬考えたが、パンクなどしようものならたまったものではない。200mほど進んだところの路側に駐車して、林道歩きへと移る。
しばらく歩くと、左手に玉川湖が見える。なかなかの景色である。そして、そこから少し進むと、今度は北条側の海が遠くに望める。更に先へと進むと、今度は今治〜東予にかけての平野部とその先に瀬戸内海が見えるではないか。低い山で大した期待はしていなかったのだが、なかなかどうして、結構ナイスな山である。
陣ヶ森山頂へと至るための登山道標識は一切見当たらない。手持ちの地図では、林道終点から登山道が続くように記されている。この地図を信じて、とにかく林道が途切れるまで進むことにする。途中、「蒼社川流域森林整備活動支援事業 今治地方水と緑の懇話会主催 平成12年4月27日施行」と記された標柱が建っている広場がある。登山道らしき道が右手に延びているのだが、登山口であることを示す標識は一切無い。直感的には山頂へ至る道と思ったのだが、初志貫徹で林道を行く。そうして先へと進むとまたもや広場へと辿り着く。そこには白地に緑十字の旗が立っており、風にたなびいている。三叉路になっており、まだ先へと道は続いている。左手の道を選んで先へと進む。道は若干下り勾配に変ってきたのだが、まだ林道は途切れていない。
しかし、どうも様子がおかしい。時間的にもう山頂付近に到着しても良い頃である。「これは行き過ぎた」と判断し、引き返す。先程の安全旗のところまで戻って辺りをじっくりと見回してみると、安全旗の袂辺りに林道終点を示す標柱が建っているではないか。
ふと我に返り、先ほど笹ヶ峠の林道入口にてデジカメで写した起点標識の地図があったことに気付く。小さい液晶ディスプレイに映し出された地図を眺めてみると、林道終点よりも北側に山頂は存在している。ここからは尾根道に取り付かなければ。林道終点よりやや引き返したところから稜線をトレースして北上することとした。登り口ははっきりしなかったのだが、草を掻き分けてみると、意外にも踏み跡がしっかりした登山道が隠されていた。刈込が不十分なため、若干の薮こぎにはなるが、歩くのに難があるほどではない。
しばらく進むと、眼前に高縄山の雄姿が飛び込んできた。その左側には北三方ヶ森も見える。視界を遮るものはない。抜群のビューポイントである。更に左側、そう今登ってきた道のほうを眺めると、木々の間から楢原山、そしてその先には冠雪した石鎚方面の山々の姿も一部確認できる。
ここから北へ数10m歩いたところに二等三角点がある。笹に埋もれた格好になっており、辺りに「陣ヶ森」の名を示すような標識類は一切ないが、容易に確認することができた。辺りはヒノキ・スギなどの植林帯。低山ながら地表がササに覆われているのが異様な気もした。
一旦、高縄方面の眺望が抜群の場所へと戻り、昼食準備に移る。湯が沸く間、辺りを散策し、景色を楽しむ。しまなみ海道方面〜来島大橋〜もばっちり見える。高縄半島の突先である波方町方面も見える。
食事を終え、三角点越しに下山へと移る。ササの中に続く登山道を降りていく。なだらかな斜面を下りていくと、すぐに来るときに歩いてきた林道へと出る。山頂への登山口は笹の中に潜んでいるので見過ごしてしまうのが当たり前といった感じだが、注意すればそれらしい雰囲気ではある。「山火事注意:たばことたき火はよく消そう」という注意標識と「保安林標識」が並んでいるところから10mほど林道を進んだところの右手が登山口なので、登山される方は参考にされたい。
【同行者】なし
【コースタイム】
[往路]笹ヶ峠−(40分)−林道終点−(5分)−山頂
[復路]山頂−(5分)−旧林道終点−(25分)−笹ヶ峠
県道17号線沿い探索
●立岩地区農村集団電話開通記念碑
警察の駐在所前には、「徒歩専用高縄登山道」と記されたボードが掲げられている。そのやや西側にこの碑が建っている。
この碑は、昭和44年6月11日開通を記念して、渡部伊勢松、菊原要、外区長会一同により建立された。
碑文には「山に木を 心に魂を 植えて育てた先人の遺産実り茂りて平和と絶愛に充つ理想郷立岩に全戸加入の農集電話開設の花と咲く農業経済文化発展の源泉として永遠之鳴り続ける 快なる哉 壮なる哉」と記されている。
●「ようこそ立岩へ/好きです立岩 笑顔いっぱい花いっぱい」
平成8年度立岩子ども会議製作(立岩亥の子募金)のイラストマップである。
弁慶の切石、神途城跡、中村三十三墓、唐椿、金蓮寺、儀式公園、明見神社、風早八十八ヶ所第1番、蓮生寺、しゅんだか地蔵、三度栗、千人斬り墓地、荒神社のカゴノキ、十二ヶ滝、弓祈祷、嫁ヶ石、洪水記念碑など、興味深いポイントが克明に記されている。
●嫁ヶ石
難波界隈
●一茶の道:高橋五井(ごせい)邸
江戸時代の著名な俳人小林一茶は寛政7年(1795)伊予路に来遊し、1月12日行きくれて、さまよい歩くうち、高橋五井に温かく迎えられて一夜を過ごした。その時に詠んだ句
「月朧 よき門さぐり 当てたるぞ」
五井は高橋伝右衛門の号で俳諧を好み温情豊かな人であった。
恵良山を借景した造りになっているのがニクイ技である。門前から北方を望めば、邸越しに烏帽子形の山容が美しく広がっている。
●上難波公民館
西側に風早四国番外14番地蔵堂が建っている。番外15番の中通地蔵堂はここから2kmである。
恵良山(烏帽子山、冠山)
上難波公民館に駐車させてもらい、恵良山への登山へと移る。しばらく歩くと、三叉路の脇の「一茶の道」の標識の下に木製の登山道標識が建っている。
ここから右手に折れ、車幅1台分のコンクリート舗装道を登っていく。数分歩き、竹林に入ると松並木に挟まれた歩道が見えてくる。車道も先へと続いてのだが、歩道側を歩いて行くことにする。
登山道標識のところから10分強歩いたところで、車道終点と合流する。
鳥居が15段ほどの石段の向こうに見える。石段の右脇には「恵良神社奥之宮」と刻まれた社号碑が建っている。
「荒神堂/天満宮/痘神堂」の小さな御堂のところから、自然林に包まれた急斜面の登山道が続く。とても標高300mの市街地近郊の山とは思えないほど、鬱蒼とした林である。
やがて山頂に近づいてくるにつれ、市指定天然記念物のイブキビャクシンが姿を現しはじめる。そして間もなく広々とした境内敷地へと辿りつく。北条市街地・鹿島沖などが一望でき、実に良い眺めである。
拝殿の右脇には木製の簡素な鳥居が立っており、これをくぐると山頂へと繋がる登山道が続く。
白山権現を祭る本殿が建っている。本殿を東側から巻きながら更に登っていくと安山岩の岩塊の上・、本殿の裏側に石積み(ケルン)がある。ここが山頂で、標高302mである。低山ながら、360度のパノラマ風景が楽しめる。自然あり、御手軽、景色良好の三拍子揃っており、暇が取れない人にはお勧めの山と言えよう。
また特筆すべきは、山頂付近のイブキビャクシンの自然林である。さすが「市指定天然記念物」と思わせるものであり、幹周も大きく、枝ぶりも良い。北条市教育委員会の立て看板によれば、この地方では古くからイブキビャクシンは水分をよく保存する植物として大切にせられ、また河野一族がここに居城(恵良城)を構えるに当たって防風林として保護し、伐採を禁じたため、現代までこのようなビャクシンの美林が残ったという。
【同行者】なし
【コースタイム】
[往路]上難波公民館−(3分)−「一茶の道」「登山口」標識−(12分、松並木道経由)−車道終点−(10分)−拝殿−(4分)−山頂
[復路]山頂−(3分)−拝殿−(7分)−車道終点−(10分、車道経由)−「一茶の道」「登山口」標識
最明寺
・山号:大雄山
・禅臨済宗妙心寺派
・「66番東禅寺へ2丁」の標柱が門前に立つ。
・山門・鎮守堂は平成10年11月に新築された。
●県指定有形文化財・絹本箸色月庵宗光の画像(昭和45年指定)
●一茶の道スタンプ
「月朧 よき門さぐり 当てたるぞ」 一茶の道(上難波・高橋邸)
「朧々 ふめば水なり まよい道」 一茶の道(上難波・最明寺)
「門前や 何万石の 遠がすみ」 一茶の道(八反地・門田邸)
●一茶句碑
小林一茶像とともに、
「雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る」
「やれ打つな 蝿が手をすり 足をする」
「痩がへる まけるな一茶 是に有り」
の三句が刻まれている。
・平成6年11月、一茶来遊200年を記念して建立された。
●茶席如足亭
●地蔵堂/句碑/供養碑
供養碑裏面には、
茶来(さらい)
上難波西明寺の住職、美濃の人、竹苑文淇、俳号 月下庵茶来
明和7年(1770)二六庵竹阿(一茶の師匠)は西明寺「八景序」(其の日ぐさ)をつくり、茶来と親交あり
安永5年本堂庫裡火災にあい心労、天明元年(1781)6月14日没(47才)
安永9年(1780)風早河北連で竹阿門其庵■十を悼む句あり 今一つは最明寺境内の句碑となる(俳諧二つ笠 安永4年刊)
朝顔や入りのこりたる星一つ 茶来
平成12年6月吉日建立 風早一茶の会
と記されている。
東禅寺
・山号:普門山
●修行大師像
●御開帳記念碑
・明治2年4月建立
湯川の神様
腰折山
東側ルートからの登山を試み、車で行けるところまで行くことにする。終点付近の路傍に駐車し、薄暗い山道を登っていったのだが、途中に「毒ヘビ(マムシ・ハメ・毒バチ)出る 危険! 山に入ルナ 被害者続出中 山林所有者」という不気味な文句の看板が立っているのが目に入る。道端にはゴミが散乱しているので、おそらくは不法投棄を戒めるために立てられた標識だとは思うのだが、なかなか恐怖心を煽られる文句である。
「ほんまかいな」と思いながら眺めていると、突如ブルルルルと獣の身震いするような不気味な物音が背後より響く。「うぁ」声にならない叫びをあげてしまう。「ゲェ!ひょっとして猪でもおるんか!」と恐る恐る周りを確認するが、いかなる生物の姿も存在しない。
にわかに腰折山山頂辺りに数十羽のカラスが出現し、不気味な鳴き声をあげ始める。薄気味悪くてしかたない。なんとなく不安になり、ここからの登山は断念することにした。(臆病モンだね)
大通寺
●大暁禅師の倚像(県指定文化財)
●木造宝冠釈迦座像(市指定文化財)
●坂村真民:「念ずれば花ひらく」碑
●観音堂
●三門改築記念碑
●写経塔
●詠讃歌碑(作詞:赤松月船、作曲:遠藤実)
腰折山
大通寺からやや南へ下ったところより右折し、慈童幼稚園の西を抜ける「一茶の道」を行く。車幅ほどの細い道ゆえ、対向車が無きことを祈りながら進む。慈童幼稚園の西側入口に、「河野久留島家開基の寺/禅曹洞宗
大通寺」と刻まれた標石が建っているのを確認した後、先へと進むと。やがて上池が見えてくる。池畔を通って蜜柑畑へと出るが、辺りに駐車できそうなスペースは無い。池をぐるっと巻いて進んだところに普通車がどうにか置ける場所があり、畑の所有者に迷惑がかかるかもしれないとは思いながらも車を置かせて貰った。
小道の登っていくと、墓地につく。北側から続く車道の終点のところに登山口がある。刈り取られた枯れササで埋まった道を行くと、やがて「天然記念物エヒメアヤメ自生南限地」と碑が見えてくる。後ろには北条市街・鹿島の美しい景色が広がっている。
あっと言う間に山頂へと着く。山頂はそれほど広くもなく、薮に覆われている。標識類は一切立っていない。三角点も発見できない。三角点と思わせる場所に脇に募金箱(サクマドロップスのカン)が置かれているだけである。
【同行者】なし
【コースタイム】
[往路]上池−(2分)−登山口−(15分)−山頂
[復路]山頂−(9分)−登山口−(1分)−上池
鎌大師
腰折山から下山したのち、上池から西へと車を走らせ、鎌大師へと出る。境内に駐車できそうなスペース有るではないか。腰折山登山には絶好の位置であり、ここに停めれば良かったと思ってしまう。しかし無断駐車はやっぱり御迷惑だから、遠慮した方が良いのだろう。
●鎌大師境内:市指定史跡(昭和48年4月9日指定)
●鎌大師
●芭蕉塚
●十八人塚
●弁護士渡辺喜十郎翁頌徳碑
●「愛のみちしるべ」の石像
●句碑
●霊木大師松之碑
●句碑:「托鉢や 鉢に.....」
●松守延命地蔵
●修行大師像
●石鎚本教恵良山眞事教会
●篠原家の墓
●「一茶の道」碑
●「国指定天然記念物エヒメアヤメ自生南限」標柱
●「エヒメアヤメ」の説明書き(国指定天然記念物)
●「イヨスミレ」の説明書き(市指定史跡)
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