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こたろう博物学研究所
探訪記録:20000709

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楢原山・五葉ヶ森登山、鈍川渓谷の旅(玉川町)【平成12年(2000)7月9日】


  昨夜3:00まで、6月18日の谷上山行、7月2日の瓶ヶ森・子持権現山・伊吹山行の原稿を書いていたせいもあって、目覚めも悪かったのだが、窓から外を眺めると天気が良さそうなので、予ねてより行きたいと思っていた楢原山・五葉ヶ森を目指すことを思い立つ。

 9:30に松山を出発。石手川の土手沿いを走り、石手寺前の遍路橋の袂に出る。ここで右折し、東野のヤマサキディリーストアでアイソトニック飲料のPETボトルなどを買い込む。そして、国道317号線を北上する。

 国道317号線の奥道後から玉川にかけては、「ネムノキ街道」と命名したくなるほど、道の脇のネムノキが、柔らかな紅色の花を枝一杯につけている。春には桜が綺麗だが、なかなかどうして夏もそれに負けず劣らずである。

 水ヶ峠トンネルを越え、玉川町竜岡を通り過ぎる頃、肝心のノートとペンを持ってくるのを忘れたことに気付く。これがないとクリープを入れないコーヒーのように、折角の山行が物足りないものになってしまう。しかし、いかんせんこの界隈にはそれらしき店が見当たらない。玉川ダム湖畔を通り過ぎ、鈍川渓谷への三叉路はもうそこに見える。仕方無いので右折せず、国道317号線もう少し先まで走ってみる。すると幸いなことに、1kmほど走ったところに新しくコンビニが出来ていた。早速、ノートとペンを調達し、これにて準備万端。すぐに折り返し、県道154号線(東予玉川線)へと折れ、そして鈍川渓谷へと向かう。

 楠窪の鈍川温泉郷を通過し、木地川沿いに続く町道・木地川本線をどんどんと上っていく。こちらもネムノキの花は満開である。なんとも心地良い限りである。

 やがて、下木地に至り、「奥道後玉川県立自然公園 楢原山登山口」と記された看板が林道入口に建っているのが目に入る。ここから湯ノ谷林道に進めば最短時間で楢原山に到着できるはずだ。林道入口には5〜6台の駐車スペースが設けられており、香川ナンバーの車が一台停まっている。確かに林道を車で進めば最短時間かもしれないが、ここから歩きだとすれば相当の時間を要するはずである。まぁとにかく、今日は頂上にて誰かと巡り逢えそうな予感がする。

 一瞬、ここから歩こうかとも、いやいや湯ノ谷林道を車で上がろうかとも思ったが、今日は予定では上木地からのコースから登ることに決めていたので初志貫徹。浮気心を抑えて、再び車を走らせる。

途中、倉尾谷からも楢原山へと続く道があるようだが、今は崩落していて通行止となっている。そこから少し先に進んだところで、千疋峠登山口も見える。千疋峠までは1.0kmと記してある。

 川沿いに進めば、釣り堀を擁する山荘など、アウトドアレジャーのスポットが点在しており、家族連れなどでなかなか賑わっている。どうも登山目的で訪れている人は少ない模様だ。

 やがて、上木地の登山口に達する。時刻は11:20。買い物で寄り道し過ぎたせいか、すっかり昼時になってしまった。

 林道コタマゴ線(幅員4.0m、延長1.8km)がここから延びている。林道を少し入ったところには民家があり、柴犬がこちらを怪訝そうな顔で見つめている。さて、どこに車を停めようかと思案したが、適当な所はと言えば、林道分岐点よりやや上手の町道の脇ぐらいしか見当たらない。車1〜2台が限度だが、他に登山者も見当たらないのでそこに停めることにする。

 11:22、登山開始。
登山口の脇には、「奥道後玉川県立自然公園 楢原山登山口」という大きな看板の他、「四国のみち(四国自然歩道)楢原山へのみちコース、北三方ヶ森へのみちコース(一部)」の案内板が立てられている。「高縄寺←(6.0km)→北三方ヶ森←(3.7km)→水ヶ峠←(1.2km)→竜岡木地←(3.0km)→楢原山←(2.3km)→上木地←(4.1km)→下木地←(3.7km)→鈍川温泉」というコース設定であり、ちゃんと楢原山もコースに折り込まれている。ということは、道が相当整備されていることを窺わせる。

 登り始めてすぐの所に荒廃した民家跡が残っており、その前に指差しマーク付の「奈良原神社」の案内碑(明治四五年子八月)と「四国のみち」の道標(楢原山2.2km/上木地0.1km)が建てられている。
「木地」という地名から察するに、昔は木を切り出す木地師達の生活の場として栄えたところであろうが、今では人の匂いのしない集落になっている。楢原山も木地師達の信仰の対象としてねんごろに奉られていたのであろうが、今は山登りに興じる人以外には、行き交う人も殆ど居ないように見える。

 思った通り、杉の植林地帯を縫って比較的広い登山道が続いている。しっかりした道であり、迷う心配もなさそうだ。しかし、杉の葉の腐葉土を踏みしめながらの急坂はなかなかきつい。行けども行けども周りは杉の植林ばかりで辺りの景色は完全に閉ざされている。かんかん照りの中を歩かなくて済むというのが唯一の気休めの道とも言えよう。

 道は木々の間の窪みに続いている。かなり掘り込んだ様子であるが、おそらく大量の雨が降ったときには、道を水路代わりにして雨水が流れ、段々と掘り込んでいっていまのような深溝状の登山路になっていったのだろう。道の両脇はまるで土壁を築いているような感じである。注意深く観察すると、蛙の卵の産み跡と思われる白い泡が所々に落されている。

 歩き始めて20分弱でようやく平坦な尾根道に出る。と思いきや直ぐにまた急坂である。展望も利かず、ただ前に向かって進むだけの登山というのもなかなかしんどいものである。時計を確認すると、歩き始めて30分。遂にたまりかねて小休止をとる。アイソトニック飲料を口に含み、疲れを癒すが、妙にふくらはぎの辺りが痛む。最近体重が増えたせいだろうか。

 5分ほど休むとどうにか馬力が復活してきた。気を取り直して再び歩き始める。

 12:10、中間点に到着。「四国のみち」の「上木地1.2km/楢原山1.1km」の道標が建っていて、「ようやく半分まで来たか..」と少し安心感を覚える。一息ついて辺りを見回すと、北方向へ続く尾根の先辺りが明るくなっており、眺望が期待できそうな雰囲気である。喜び勇んで、疲れも気にせず、重たい荷物を道の脇に置き去りにして足を運んでみる。しかし、雑木が邪魔して何も景色は望めない。曇り空も相乗していて、仮に見通しが利いたとしても遠景は楽しめない様子ではあるが....。

 煙草を吸って一服したあと、再び歩き始める。それから5分ほど歩くと樹相がだいぶん変わってきた。道の片側にはブナ、ナラなどの自然林が広がっている。樹齢が100年は超えると思われる落葉樹の巨木が目に入る。このような林の中を歩くならば、少々の疲れなど吹っ飛んでしまう。俄然元気が出てきた。

 12:46、上木地より2.2kmの地点に到着。楢原山まではあと100mだ。間もなく竜岡木地/湯ノ谷林道からの登山道と合流。薄暗い木々の間から太陽の光が降り注ぐ明るい空間に出る。そこには、「奈良原神社 楢原山(標高1,042m)の山頂にある奈良原神社は、昔、奈良原権現と呼ばれ、牛馬を守る神として信仰されていました。南北朝時代に長慶天皇が戦争に敗れ、牛に乗って楢原山深く逃げ延びたという伝説から、牛追、馬斬、千疋峠などの地名が残っています。また奈良原神社経塚からは、国宝の銅宝塔(平安期)をはじめとする遺跡が見つかっており、町立玉川近代美術館で展示されている」という説明書きの立て札が立っている。

 12:53、枯死した二本杉に辿り着く。目指す山頂はすぐそこに見える。ここからの道は木々が光を遮らず、快晴でなくとも明るい道だ。そのせいか、道の脇には雑草が生い茂っている。このような場所が楢原山には少ないせいか、どうもマムシが多く生息しているようだ。山頂に辿りつくまでに3匹のマムシと遭遇した。

 12:58、山頂に到着。三角点らしきものは見当たらない。その代わりかどうかは知らないが、「標高1042.0m、東経132度56分49秒、北緯33度56分13秒」という平成6年に玉川中学校が製作した立て看板が建っている。
 石造りのベンチとテーブルも据えられており、昼食を摂るには好都合である。荷物を降ろし、早速辺りを散策する。

 山頂からは景観が望めない。北側にかすかに陣ヶ森が望める程度である。晴れていれば瀬戸内海の多島美が見渡せるであろうに。

 「奈良原神社本社跡」碑が山頂の広場の中央にでんと構えている。裏面には、「奈良原神社は、社伝によると、持統4年創建、牛馬の守護神として、県下に広く信仰普及していたが、牛馬の減少に加え、木地部落民(氏子)全員が今治地域に移住するに至り、やむなく昭和47年3月今治市別宮、大山祇神社境内に分霊を鎮座する。 平成4年8月吉日 氏子中」と記されている。このような碑文を読むと、時代の流れとともに廃れていった山頂社の物悲しさを感じずにはいられない。
 南側の木々に囲まれた空間には経塚がある。「経塚発掘跡」と記された碑のよこには宝筺印塔と石造りの祠が、そしてその前には阿吽の2体の狛犬が門番している。

 山頂の北側には、「鈍川小学校閉校記念おわかれ遠足登山」、「平成七年度鴨部小学校6年親子ふれあい遠足」などの記念碑(木製)なども散見される。

 そうこうしているうちに、1人の登山者が追っかけ山頂に姿を見せた。「お疲れさまです」と声をかけ、続いて「どちらから登ったんですか」と尋ねる。
 「湯ノ谷林道を歩いてきたんよ」
 「あ、それじゃ、林道の入口に停めてあった香川ナンバーの車、あなたのですか」
 「そうそう」
 「林道沿いは自然林とか結構残ってるんですか?」
 「うん、まあまあ残ってたよ。じゃけど、アスファルト舗装しとるけん、歩くんは足腰が疲れらい」
 やはり林道を徒歩で登ってくるには相当の時間を要するようだ。話を聞いてみると、急ぎ足でも2時間30分近くかかったらしい。

 昼食をとりながら、あれこれと山談義などをする。そして、
 「今日は香川の方から来られたのですか?」
 「いや、西条市に転勤してきて単身赴任なんよ。元々、生まれは南予のほうなんじゃけどね」
 「えー!南予ですか?南予のどちらです?」
 「広見町よ」
 「広見ですか。それじゃ隣町なんですね。私は野村町ですけん」
 このような場所で同郷の人と出会うとは思わなかった。まぁ愛媛県内の山なのだから驚くほど不思議な話でもないのだが。

 しばらくすると、1組の夫婦連れが登ってきた。林道終点まで車で進み、そこから歩いてきたとの事。今治からやってきたという。

 あれこれ歓談し、約40分の山頂の時間を過ごした後、下山に移る。広見のオニイサン(失礼かもしれないが、どう見ても自分よりは年配なので敢えてこう記させて戴く)は、林道歩きはもう勘弁ということで、一緒に上木地まで下りることにした。13:40、下山開始。

 下りは一人でないせいか、急勾配の下りですいすいと足が運ぶせいか、疲れも感じず、ハイピッチ・ノンストップで一気に下りていく。登山口には14:25、約45分で到着した。

 広見のオニイサンを下木地の登山口まで送り届ける。、
 「どうもありがとう。今から温泉でも行こうかと思とるんじゃけど、どうするの?」
 「いや、今から五葉ヶ森を目指そうと思とるんですよ」
 「え?元気やなぁ...。で、どこにあるん、その山は?」
 「ここから少し引き返して、そう、林道ヨコグラ線っちゅう道があったでしょ?そこを入って終点まで行けば、ほら地図で見ると500mぐらいで辿り着けそうですからね」
 「そりゃ車に乗せてくれと頼んで悪かったなぁ....」
 「いやいや、気にせんといてください。4km近くの道を歩かすわけにはいかんでしょ。車でならあっと言う間に辿り着く距離ですからね」
 再びどこかの山で逢いましょうと言葉を交わして、お互い反対方向に車を走らせる。

 林道ヨコグラ線の標識が建っているヨコグラ橋を渡り、奥へ奥へと進んでいく。やがて、林道柱ヶ谷線(総延長3598.3m、幅員3.6m/4.0m)の終点との三叉路となる。ここから右に折れ、コンクリート舗装の細道を登って行く。離合もままならないような道なので、対向車が来たらどうしようかと気をもんだが、そのような心配は不要であった。ヨコグラ線の終点はトラックが余裕で転回できるような広場になっている。

 ここに車を停めて、15:15、登山開始。そう距離もなさそうだし、重たい荷物は車に残し、最小限の装備で登ることとする。
 コンクリート製の細道が上方へと延びている。その細道の入口には水場があり、非常に有り難い。まずは喉を潤す。

 コンクリート道は結構急勾配で歩きにくい。重たい足をひきづりながらゆっくりと上って行く。道の脇には季節外れのような真っ赤な躑躅がぽつぽつと咲いており、気持ちがなごむ。

 長尾谷No.6コンクリート谷止の銘板が埋め込まれた砂防ダムの脇を抜け、15:22、コンクリート道の終点。ここからは先程登った楢原山や北方・朝倉から今治にかけての平野部及び瀬戸内海が見渡せる。遥か向こうには来島大橋の姿も確認できる。なかなかの眺望だ。

 ここから赤テープなど、登山道を示すものは全く見当たらない。あれこれ悩んでも仕方無いので山に分け入っていくと、意外にも踏み跡らしきものが明瞭に先へと続いている。とにかく行けるところまで行ってみよう。

 雑木と杉植林の境界の尾根道を忠実に進んでいく。しかしながら半袖半ズボンで来たことを少し後悔した。踏み跡は確認できるものの、小枝を刈り込んではいないので、ヤブコギに近い状態がずっと続く。マムシの出現に脅えながら、足元を注意深く眺めながら先へ先へと進む。

 右側に雑木林、左側に植林帯の稜線沿いに進んでいくと、やがて見晴らしの良いピークに着く。ここが頂上かと思ったが、辺りを見回しても三角点らしきものが無い。他にここよりも高いピークが無いものかと東方向に目をやるが、その方向は立ち木で塞がれていてどうにも確認できない。ここで引き返そうかとも思ったが、明瞭な踏み跡が続いているので、とにかく先に進んでみることにする。

 平坦な尾根道をしばらく進むと、右手に楢原山方面の景色が広がる。おそらくこの場所が楢原山の山容を眺めるには最高のところだろう。これを見れただけでも来た甲斐があったというものだ。そして、遥か遠く、北条市の腰折山が姿を見せているのには驚いた。北三方ヶ森・高縄山などが邪魔して遠くまでは見渡せないと思っていたのに、意外にも良い方向に隙間ができているのだ。気分上々になって進んでいくと、道は上り勾配になり、そして見上げると最高ピークと思われる山の突先が見える。「あれこそ間違い無く五葉ヶ森山頂だ」と俄然元気が出て来て一気に駆け上る。

 思った通り、山頂には二等三角点が埋め込まれている。このようなマイナーな山で、目指す三角点を探し当てることができた瞬間は何とも言えぬ達成感を味わえる。山名を示すものも、見所も無いのだが、著名な山には無い、独特の喜びを感じてしまう。15:38、標高840.6mの山頂に到着。

 山頂は狭く、景観が飛びぬけて良いというわけではないが、楢原山や今治方面が開けている。低山ということで、余り景観を期待していなかったけれども、合格点をあげたくなってしまう。
 この山は、松の木が結構残っているようであり、秋口には松茸もとれるようである。山頂の東側は東予市黒谷の人々が松茸採取禁止の看板を掲げ、白いポリエチレンの紐で区画しているので、「入山してもよかったのだろうか」と一瞬考え込んでしまう。

 5分ほど滞在した後、さっさと下山に移る。こちらも下り勾配で、しかも経路が確認できた道。小枝を払いながらでも、10分足らずでコンクリート舗装の終点まで戻ることができた。そして、15:57、駐車していた場所に到着した。

 あとはヨコグラ線を下りるだけ。林道をゆっくりと下りていくと、真っ赤なヤマツツジが意外と多く残っている。低い山なのにこれほど花が残っているのはどうしたことだろう。花期は4〜6月といったところのはずだ。ひょっとしたら、植物学的に特異な現象・品種ではなかろうかと素人ネーチャリストの僕は妙な期待感を抱いてしまう。その他にもあちこちに名も知らぬ花々がいっぱい咲いている。山野草観察でも十分楽しめる山である。名前が確認できたものは、ドクダミ、ホタルブクロぐらい。あと、ヌマトラノオだろうか、長さ10〜30cmの花穂(かすい)に白い花がびっしりと付いている。

 満足の行く山登りを終え、帰路に就く。途中で森林館に立ち寄り、山林・水源に関する書籍類を斜め読みする。そして、鈍川渓谷入口にある温泉入浴施設・鈍川せせらぎ交流館にて汗を流す。露天風呂・超音波風呂・ジャグジー風呂など、温泉リラクゼーションには欠かせぬ風呂が揃っており、入浴料も400円とリーゾナブルである。泉質は低張性アルカリ性冷鉱泉で、ph値は9.9と高い。とても滑らかな湯で、さすが「伊予の三湯」として名高いだけはある。

 余りにも気持ち良かったせいか、ゆっくりし過ぎて18:00になってしまった。もう道草を食わずに帰ろう....と湯上がりさっぱり気分で国道317号線を走り、家路に向かった。



【同行者】なし(復路は、広見出身西条市在住のオニイサン)
【コースタイム】
[往路]上木地登山口−(50分)−中間点−(50分)−楢原山頂上
[復路]楢原山頂上−(45分)上木地登山口
[往路]林道ヨコグラ線終点−(7分)−尾根西端−(20分)−五葉ヶ森頂上
[復路]五葉ヶ森頂上−(15分)−林道ヨコグラ線終点
 

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