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こたろう博物学研究所
探訪記録:20000513 |
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御在所山登山・野村町中筋方面散策【平成12年(2000)5月13日】 国道56号線を南下。道の駅・内子フレッシュパークからりを通り過ぎて、次の信号を左折し、小田川沿いの細い道を走る。五十崎町の小田川河川敷公園の土手にあるトイレで用を足した後、橋を渡り、県道229号線(鳥首五十崎線)に移る。国道197号線と合流したところで左折。
地図で眺めて想像したよりも、県道44号線は激しく狭い。そして距離も遥かに遠く感じる。九十九折れ状態であり、そして、いつまで経っても人間の存在を感じさせないほどの山の中をくねくねと進むしかない。
しばらく進んで行くと蔵川の集落に出た。小学校も有り、ちょっとした中心地といった感じである。そこを過ぎると、またもや人気を感じさせない細道が続く。まあアスファルトがしてあるだけマシかとも思いながらも、県道なんだからせめてもう少し広げて欲しいなどと私利私欲的な思いを抱いてしまう。 やがて、「大谷(県道308号線)、大貸・小蕨、野村・舟原(県道44号線)」の行き先が記された標識が立っている。そこを左折し、県道308号線を進み、そして肱川町大谷方面へと向かう。 山越えの峠に差し掛かる。ここには「水が峠」の碑が建っている。この碑は、肱川町が川サミット開催を記念して平成11年9月に建立したものである。「水が峠」という名前は、その名の如く「分水嶺」を跨ぐところを指し示し、その分かれた水は別れっぱなしで二度と出会わないのが普通のような気がするが、ここで分かれた水は山を巻きながらやがて合流して同じ川の流れとなる。ここが肱川の面白いところである。 水が峠を越えて少し下ったところから右折。こちらの方面から行った場合には、「御在所山自然の森」といった行き先表示板が背中を向けているので、通り過ぎぬよう要注意だ。僕の場合はいっぺん大谷経由で御在所山麓まで行ったことがあるので、迷い無く右折できたのだが、全くここを訪れたことがない者ならばうっかりと見過ごしてしまいかねない。 10:47、見覚えのある場所に到着した。キャンプ場の所に車を停めて、颯爽と登山開始。西手へと延びる林道を歩いていく。山間には、伐採作業の真っ只中ということもあり、けたたましくチェンソーの音が鳴り響いている。 10:52、御在所第一カルストの森という立て看板が見え、ここから登山道が上方に向いて続いている。カルストというと、どうも四国カルストを真っ先にイメージしてしまう。先入観でしかないのだが、「草原の中に白い石灰岩。そして上には青い空」という風景が頭の中に浮かんでくる。しかし、ここのカルストは「落葉の中に白い石灰岩。そして上には杉の小枝」であり、どうもイメージが狂ってしまう。それでも山肌に露出した石灰岩は長年の雨による侵蝕作用で独特の形、そう奇岩と呼ぶに相応しい形で森に佇み、独特の幽玄は雰囲気を形成している。本来の意味の「カルスト」を保っているとも言えよう。 10:57、目の前に第2カルストが見えてきた。ガイドブックには掲載されていないが、この辺りまで林道が延びて来ている。どうもこう赤じゃけた土壌があちこちに露出していては、風情が損なわれるような気がしてならない。しかし、森を守るための間伐作業のためならば仕方なしか...。 11:00、第3カルストに辿り着く。この辺りから歩道は段々平坦になり、非常に歩くのも楽になる。そうこうしているうちに、11:04〜05、第4カルストに到着。岩塊が尾根にある場合は一味も二味も違うような気がしてくる。少しでも展望が楽しめるかと、遊歩道から少し外れて、尾根沿いにルートを取って歩く。西方向の展望が開けていて、名も知らぬ山々の稜線が広がる。ただ、急峻な崖になっているので、高所恐怖症にとっては小便ちびる思いである。 カルスト地帯を外れ、山頂へと続く遊歩道を降りて行く。すると、小祠及びコンクリートの礎石が残る場所に出る。昔は神社の社殿でも構えていたのであろう。御在所山は、その名が示す通り、公家など高貴な人々が在りし処。信仰的な要素が残っていても全然不思議な感じはしない。平家落人伝説も残っている。 11:13、御在所山山頂到着。標高668.8m。山頂付近からの景観は残念ながら宜しくない。若干西側が開けているようではあるが、雑木が邪魔して景観を臨めない。うーん、残念。
11:17、「展望台・休憩所入口」に到着。そして1分も歩かぬ内に展望台に着く。東斜面に設営されているので、展望が利くのは当然東方向のみ。天気は余り良くなく、遠景は今いちではあったが、遠くは四国カルストの姿も確認できる。
11:45、昼食と食後のコーヒーが終わり、下山に移る。まさに遊歩道と呼ぶに相応しい歩きやすい道を下りて行く。途中、炭焼き窯の跡なども確認することができる。5分ほど歩くと、椿のトンネルの下をくぐることになる。もう花の最盛期が過ぎているのがちょっと残念である。重たそうな花を登山道を埋め尽くすようにいっぱい撒き散らしている。 11:52、登山口まで下りてきた。林道と出会うこの場所には高松軽登山会の登山口標識が立つ。そして、その脇には、御在所自然の森「樹木園」と書かれた看板が立っており、ヤマモモ1,000本、ヤブツバキ1,000本、ミツバツツジ300本、ヤマハギ500本が植えられていることを示している。そして、数は少ないのだが、辺りにはシャガの花が派手なマダムといった感じで咲き誇っている。 林道を段々と下っていく。途中、「御在所自然の森・しいたけ園 しいたけほだ木12,000本、ほだ場面積3,000u」「、御在所自然の森・山菜園」なる看板も目に留まる。自然に触れ合うための工夫を凝らしているようである。 11:58、再び第1カルスト入口の登山口へ。そして12:00を少し回って駐車場に辿りついた。以前来た時には何だか距離が有りそうな気がして登頂を断念したが、実際に回ってみると意外と短時間で全体を巡回できるものだ。距離的にはなんだか物足りない気もしたが、他の山では滅多に見れないような風景がころがっているという点では、やはり名山と呼んでも間違いではない。
【同行者】なし 【コースタイム】 登山口→(5分)→第1カルスト→(5分)→第2カルスト→(3分)→第3カルスト→(4分)→第4カルスト→(10分)→山頂→(4分)→展望台→(7分)→登山口(林道合流)→登山口(8分) 御在所山を後にして、来た道を折り返し、水が峠を再び越えて、次の分岐で野村町中筋方面へと折れ、県道44号線を南進する。途中、県道脇に御堂を発見。透明な水がその横からこんこんと湧き出ている。脇には次のような説明書きが記されている。
喉を潤した後、少し車で下ると何やら水道施設らしきものが目に入る。ここは中筋簡易水道。横には高瀬川と呼ばれる小川が流れ、やや上流には砂防ダムが建設されている。高瀬川はコンクリートで塗り固められていて風情が損なわれているのだが、岸の盛り土部分にはツツジが白・赤・ピンクに彩りを加えていて、なんとなく公園的な雰囲気を感じさせる。
しばらく車を走らせると、ちょっとした集落に出る。高瀬である。路傍の左側には藤の花に彩られた御堂、そして右側には何やら立て札が立っているので、興味をそそられ、車を停めてみる。 御堂のほうは、「五郎兵衛堂」という名前らしい。堂の中に何やら由来らしきものが記された額がかけられている。
立て札のほうは、
と記されている。兵藤太郎左衛門が編み出した「泉貨紙」は、今もこの地で脈々と生き長らえている。 そこから然程距離を置かずして、右側に神社の杜が見えてくる。ここは野坂神社。鳥居の脇には大きなイチョウの木が1本聳えているので、遠くからでもすぐに場所を見出すことができる。鳥居の脇に車を停めて参道を上がって行く。参道沿いにはエビネが美しい花を咲かせている。 野坂神社は菊理姫命、早玉男命、事解男命を祭神とする。長禄2年(1458)に紀伊の熊野本宮より勧請し、社殿を造営したと伝わる。 特筆すべきは、この野坂神社には狛犬が多く配置されていること。合計8匹の狛犬を観察できた。小振りな境内敷地に似合わない数である。何故、これだけの数の狛犬がいるのかは興味深い。
と記されている。 以上で、本日の山登りプラス散策は終了。 野村町に生まれた僕であるが、この辺りをじっくり眺めたことはこの歳になるまで全く無かった。肱川に流れ込む多くの支流沿いに集落が点在しているため、地元とはいえ、なかなか町の全域まで足を延ばすことは無いことだ。このような趣味でも持たないことには、訪れることもきっと無かったであろう。 この町の広さ、奥深さをあらためて知らされたような気がする。
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