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こたろう博物学研究所
探訪記録:19990918

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五十崎町/大洲市散策【平成11年(1999)9月18日】


1.紅葉ヶ滝【五十崎町御祓】


2.常久寺【五十崎町北表】

・山号:福聚山
・宗派:曹洞宗

●聚星学校跡

・1877〜1879の間、この常久寺に学校が設けられていたようだ。境内に設けられた畑の中に標柱が建っている。
★寺の境内に佇んでいると、御祓小学校の方から「よさこい踊り」の軽やかなメロディが響いてくる。校庭の方に目をやると5〜6人のおチビちゃん達が一生懸命踊りの練習をしている。若い男性教師が時折大きな声をあげて一生懸命踊りを指南している。運動会の季節である。

3.椋の木【五十崎町北浦】

・町指定天然記念物(昭和37年11月30日指定)

4.三島神社【五十崎町北浦】

●三島神社社叢

・町指定天然記念物(昭和37年11月30日指定)
★突然、くまんばちに追いかけられ石段を転がるように下りて逃げる。
★樫の木だろうか。黒粒の栗の実のような丸っこい実が辺りに転がっている。4〜5個ポケットにしのばせて持ち帰る。

5.若一皇子神社【五十崎町御祓】


6.菊ヶ森城址(丸山城址)【五十崎町御祓】

★登り口から約120m上がった小高い丘の上に城址が残っている。
・領主・菊原(後に季羽)與三猶美の居城、戦国時代の山城である。只海、北表の一部、弦巻(現五十崎町福岡)、川崎(現河辺村)、橡谷(現河辺村)、中津惣川(現肱川町/野村町)の村々を領す。
・天正7年7月(1579)土佐長曽我部元親と内子曽根宣高の連合軍に攻められ、激戦の末に落城した猶美らは立石村梅本(現小田町上成)へ落ち延びた。数年後に猶美は只海村へ戻り、姓を季羽と改め、領内鎮護、若一皇子神社の神官となる。以来、子孫も代々神職を継ぎ、明治末に至るまで15代にわたり奉祀した。
・現在山上に郭(削平地)八面、堀切四ヶ所、石積が残る。城内の小峰に田神様の観音堂(伊予市谷上山宝珠寺の分堂)が建つ。他に、城山の西を流れる円山谷川奥の崖上に、郭一面と堀切が残る。
・また、300m西の尾根に、両軍の戦死者を弔う千人塚がある。

7.海蔵寺【五十崎町御祓】

・山号:法輪山
・宗派:高野山真言宗

8.古田地蔵堂【五十崎町古田】

・古田集会所の敷地内に建っている。
・古田地蔵堂の前には「古田地蔵橋」がある。この橋は「女体川」という、何とも艶めかしい名前の川に架かっている。「女神南」から流れる川として名付けたものだろう。

9.神南山【五十崎町】

・2等三角点、710.1m

●愛媛レピータ研究会神南山中継所JR5WR

●NTT Docomo菅田無線中継所

●NTT 神南山中継所


10.稲荷山公園/稲荷神社【大洲市】

●紅葉山(稲荷山公園)

・大洲市指定名勝(昭和31年9月30日)
・神南山(標高654m)の麓、稲荷神社境内を含めた緩傾斜地帯60アールに、楓が林生する一帯を「紅葉山」として、名勝に指定されている。
・神社は旧新谷藩主の祈願所で、雨乞い、晴れ祈祷、平安祈願がなされ、一般藩民の崇敬も篤く、現在も旧初午祭、例祭など氏子との関連は深い。
・楓は「イロハカエデ」で、真紅に紅葉をする。約200年前、藩主が参勤の帰途、京都の高雄の苗木を持ち帰り、植え付けたと伝えられる。新緑の楓、晩秋の松・杉・桧の緑に映える紅葉を楽しむために訪れる人が多い。
・なお、霊台桜花、稲荷山晩楓、法眼寺暮鐘、南山晩雪の新谷八景(大正4年制「愛媛県案内」)の内、残る数景の一つである。

●稲荷神社

・祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命、等
・古き時代には神社の建物はなく、神南山が神様のおわす神聖な場所として、古代祭祀が行われていた。その後、現在の場所に神社が創立されたが、その年代は不詳である。元和9年(1615)初代加藤直恭公による新谷藩が成立しており、新谷藩主加藤累代の崇敬を集めた。
・造営修理は藩費で行われ、祭典も盛大に執行されていた。
・特殊神事:初午祭(旧暦初午の日)、湯釜祭(旧暦初午の日)、祈年祭(2/27)、本殿祭(10/5)、神幸祭(11/10)、新嘗祭(11/23)など

●湯釜祭

・天照大神が天の岩戸に隠れたときの神事を伝承して行うものといわれる。誠心誠意を神明に誓う意味より起こる行事であり、祭に参加する者の穢れを祓う目的である。
・若返りの若水の観念が含まれているという説もある。

★駐車場の端に佇む小祠には男根をシンボル化した奉納品が置かれている。「男神南」の裾野に位置することから男根崇拝に結びついているのだろう。

●四国のみち(川沿いのみちコース)

黒内峠−(2.0km)−矢落橋−(0.6km)−田合−(0.9km)−新谷−(3.0km)−十夜ヶ橋大師堂−(3.7km)−五郎橋−(1.8km)−肱川公園−(1.8km)−肱川休憩地−(1.3m)−北只

11.十夜ヶ橋永徳寺【大洲市】

・弘法大師御野宿所
・今から千百有余年前、弘法大師が四国巡錫中、このあたりに差し掛かったとき、日が暮れてしまい泊まるところもなく、空腹のまま小川に架けた土橋の下で野宿をされた。わずか一夜のことではあったが、夜明けまではそれこそ十夜の長さにも感じられる思いで過ごされ、「行きなやむ浮世の人の渡さずば一夜も十夜の橋と思ほゆ」と詠まれた。
・これから十夜ヶ橋と名がついたといわれ、また、遍路が橋を通る時、杖をつかないという風習もこの話から起こったと伝えられる。
●田舎の四季
1.春
  道をはさんで畠一面に 麦はほが出る 菜は花盛り
  眠る蝶々 とび立つひばり 吹くや春風たもとも軽く
  あちらこちらに桑つむをとめ 日ましましにはるごも太る
2.夏
  ならぶすげがさ涼しいこゑで 歌ひながらにうゑ行くさなへ
  ながい夏の日いつしか暮れて うゑる手先に月かげ動く
  かへる道々あと見かへれば■末々々に夜つゆが光る
3.秋
  二百十日も事なくすんで 村の祭のたいこがひびく
  稲は実がいる日よりはつづく 刈ってひろげて日にかわかして
  米にこなして俵につめて 家内そろって笑顔に笑顔
4.冬
  松を火にたくゐろりのそばで 夜はよもやま話がはずむ
  母がてぎはの大こんなます これがゐなかの年こしさかな
  たなのもちひくねずみの音も ふけてのきばに雪降積る

この歌は大洲盆地のこの付近の農村風景を主材に堀澤先生が明治41年大洲中学校教諭当時作詞されたものです。国定教科書小学読本巻七にのせられ、また文部省唱歌として全国に普及し親しまれてきました。堀澤先生の略歴と歌碑は冨士山展望台のそばに建設されています。


12.冨士山【大洲市】

●田舎の四季(堀澤周安作詞)
  道をはさんで畠一面に 麦はほが出る 菜は花盛り
  眠る蝶々 とびたつひばり 吹くや春風たもとも軽く
  あちらこちらに桑つむをとめ 日ましましにはるごも太る
・昭和51年11月吉日 田舎の四季歌碑建設会が建立した。
・眼下にひろがる大洲の風物を中心に日本の農村生活を歌った「田舎の四季」は明治42年大洲中学校教諭堀澤周安先生が文部省の募集に応じて第一等となり、小学国語巻七に採用され小学唱歌として親しみ深い旋律と共に愛唱されたものである。
・先生は明治2年愛知県犬山市に生まれ、偉大な教育者として全国各地において独特の国語教育に専念され、善通寺高等女学校長在職中、昭和16年に73歳でなくなられた。また先生には校歌、市町村歌、和歌等多くの珠玉の作品があり、昭和3年「明治節」を作詞された。

13.如法寺【大洲市】

・大洲藩2代藩主加藤泰興が寛文9年(1669)に創立した。
・宗派:臨済宗妙心寺派

●如法寺仏殿

・仏殿1棟、石燈籠2基、手水鉢1基
・国指定重要文化財(平成4年8月10日指定)
・仏殿は寛文10年(1670)創建時代の建築である。
・創建当初の形態を良く保ち、禅堂を兼ねた禅宗様仏殿として珍しい遺構であるとともに、良質な木造りと優れた意匠・構造形式を示し、近世禅宗仏殿を代表する遺構である。
・龍門寺(兵庫県姫路市網干)の盤珪和尚を招いて開山した。龍門寺蔵「行業曲記」には「寛文九乙酉、師歳四十八。(中略)造建伽藍日如法寺」とある。
・仏殿内部に畳敷の床を設け、禅堂を兼ねる特徴ある形式を持ち、大梁を渡した内部の空間構成にも見所がある。
・仏殿は石積基壇上に建つ正面5間、側面4間、正面拝1間、入母屋造、本瓦葺である。

●地蔵堂

●多聞天堂

●轉法輪蔵

・昭和44年に修復。

●大洲藩主加藤家墓所

・市指定史跡(昭和63年2月24日指定)
・「これより100m余上方山内に 2代 泰興、3代 泰恒、4代 泰統、5代 泰温、7代 泰武、9代 泰候、12代 泰祉 7藩主の墓所」と記した標示板が建っている。

●如法寺の椿3株

・県指定天然記念物(昭和52年4月15日指定)

◆五色散椿

・推定樹齢:300年
・京都地蔵院(椿寺)の加藤清正縁の名木の分身といわれている。

◆酒呑童子(大江山)

・推定樹齢:250年以上
・伊予市上野に目通り3m、推定樹齢300年以上の大木があり、この古木に縁があると考えられる。

◆酒呑童子(大江山)

・推定樹齢:150年以上
・旧大洲藩内だけに見られる品種である。

●NHKテレビドラマ"風と雲と虹と"放送記念「藤原純友ゆかりの地」の碑


14.内堀菖蒲園【大洲市】


15.大洲城址【大洲市】

・大洲城は、元弘元年(1331)に伊予国守護となった宇都宮豊房により築かれた。その後、安土桃山時代から江戸時代初頭にかけてこの地を支配した藤堂高虎或いは脇坂安治により近世城郭としての形が整ったと言われる。
・その後元和3年(1617)から明治2年(1869)の版籍奉還までの253年間加藤家6万石の居城となった。
・大洲城本丸には現存する台所櫓と高欄櫓とともに4層4階の天守閣があり、複合連結式の天守群を構成していた。また。城郭内には大小20棟を超す櫓が立ち並んでいた。
★市政施行50周年を迎える平成16年(2004)を目指して天守閣復元を計画中である。大洲城は、古地図・写真などの資料が残っているところから、全国でも正確に復元することができる数少ない天守閣の一つだといわれる。

●台所櫓

●高欄櫓

●題忍字 中江藤樹

一忍七情皆中和
再忍五福皆■■ 
忍到百忍満腔春
照々宇宙都真境

忍の字に題す
一たび忍べば七情皆中和で
再び忍べば五福皆ならびいたる
忍んで百忍に至れば満腔の春
さきたる宇宙すべて真境
・昭和55年3月建立


16.姜■詩碑

近世日本思想史に大きな影響を与えた儒学者 姜■の伊予での七言律詩

錦帳名郎落海東絶程千里信便風
鳳城消息鯨涛外鶴髪儀形蝶夢中
両眼却慚同日月一心猶記旧鴛鴻
江南芳草群鶯乱■有飛■返寓公 

錦帳の名郎 海東に落ち 絶程千里 便風に信る
鳳城の消息 鯨涛の外 鶴髪の儀形 蝶夢の中
両眼却って 日月を同に...慚... 一心猶記す 旧の鴛鴻
江南の芳草に群鶯乱る ■し飛■有こは 寓公を返せ 


17.大洲肱南の街並み【大洲市】

●芋綿櫓

●神伝流発祥の地

●「水に遊ぶ」のモニュメント

●小谷商店


18.住吉神社【大洲市】

●住吉神社のケヤキ

・市指定天然記念物(昭和63年2月21日指定)
・全体的にケヤキの樹相をよく備えている。根回り5.5m、目通り4.35m。東に18m、西に13m、南に16mの広がりを見せている。樹高20m、推定樹齢200年。樹勢も旺盛である。

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