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こたろう博物学研究所
探訪記録:19981010

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南予方面広域調査【平成10年(1998)10月10日〜11日】


03:00に松山市を出発。
国道56号線を南下。
流石に草木も眠る牛三刻。大洲まではほとんどノンストップ。
ところが鳥坂峠に差し掛かると途端にペースダウン。「何で急に渋滞するんだろう、ひょっとして事故でもあったんかなぁ」と不思議に思っていたら、間もなくその理由がわかった。
霧である。数メートル先が見えない状態だ。松山に住んでいると、霧なんぞにはとんと出くわすことがない。久々に霧の中を走ると、結構恐怖感を感じてしまう。

その後、峠を下り始める頃には順調に車は流れ出す。

宇和島市内はかなり道路事情が変化していた。まるで浦島太郎状態である。
高速道路予定の新道を走ると、一体自分がどこを走っているのか訳がわからなくなってしまった。

06:00一本松に入る。目指すは篠山。
国道56号線の県境に位置する篠川橋のところから左折し、県道332号線(篠山公園線)へ。


1.篠山(ささやま)【一本松町】

・足摺宇和海国立公園(昭和47年11月指定・特別保護地区)
・篠山神社から山頂(1064.7m)にかけての広大な自然林は「蓮華座」と呼ばれ、太平洋からの烈風と暖風を受け、暖帯常緑樹の姿勢が面白く、またコウヤマキ、ヒノキなどの針葉樹は立ち枯れして白骨化している。

●虹ヶ滝(にじがたき)

・垂直落差22m。

●白滝前広場

・ここから第一駐車場までは約4.3km。

●白滝(しらたき)

・垂直落差50m。

●不老長寿の水

・白滝前広場から第一、第二駐車場へ向かう道の途中に湧き出ている。
★そういや、昨晩から何も飲み食いしていない。無性に腹が減ったが、水でも飲んで凌ぐことにした。流石に天然の水は美味い!混じり気のない透明な水が体に染み込んでくる。

●松ヶ滝(まつがたき)

●篠山荘

・第一駐車場のところに建っている。
・シーズンオフか、閑散として人気もない。

●正木林道開通記念碑

・第一駐車場からの登山道登り口のところに立つ。
・昭和52年3月29日建立。

●観世音寺跡

「伝えるところによれば、人皇31代用明天皇の勅願所ありと言われ、人皇51代平城天皇の御代、大同元年(806)弘法大師により、四国八十八ヶ所の番外札所として開山された由緒深き霊域であったと言う。
 明治元年神仏分離により廃寺となる。
 本尊十一面観音像、脇立不動尊像など、正木歓喜光寺権現堂に安置されている。
 悠遠の古代より栄枯盛衰変遷の歴史を見守った。
 此の聖域に立ち、諸人頭を垂れて静かに幽玄の昔を偲ばれんことを。
昭和61年1月 篠山小中学校組合教育委員会」
・観世音寺跡の敷地には町指定天然記念物に指定される大杉がある。

●篠山山頂自然林

・一本松町指定文化財 天然記念物(昭和62年10月31日指定)
・13.67ha
・霊峰篠山1065mの山頂を取り巻く周囲2kmに及ぶ広大な森林は神社所有地で、古くから山岳信仰の霊地として栄え、神聖地とされてきたこともあって、ほとんど自然のままの姿を残している。通称「入らずの森」0.1haには、樹齢300年以上のハリモミ100本ほどの巨木林がある。アケボノツツジは頂上一帯に群生。樹齢100年を超えた老木が多く、花期は壮観。特にアケボノツツジやシャクナゲなど10種類以上の木が着生した「10色のコウヤマキ」は胸高経長4m15cm、樹齢500〜600年と推定される。観世音寺跡右奥地にある樹齢1000年、胸高経長6mの大杉は県下で一番大きいといわれている。

@アケボノツツジの群生
Aコウヤマキの林と十色のコウヤマキ
Bハリモミの林
Cシャクナゲの群生
D大杉と杉、桧
Eミヤコザサ
Fその他樹木

●ツリーウォッチング

・滑床自然休養林等保護管理協議会と宿毛営林署が企画したもの。
・登山道に聳える各種樹木の名前当てを行うもの。
@イスノキ Aアカガシ Bヤブツバキ Cトウダンツツジ Dナナカマド
Eリョウブ Fモチノキ Gカヤ Hツガ Iモミ
Jアセビ Kヒノキ Lスギ Mカナクギノキ Nアケボノツツジ

●天狗堂跡

●入らずの森

●篠山神社


・旧郷社
・祭神:伊弉冊命(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)、事解男命(こととげおのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
・神紋:りんどう
・例祭:旧暦3月18日、10月18日
・この祭神は、昔正木庄屋蕨岡家の邸内に飛来し、霊光四方を照らされたので、暫く同家に安置奉斎されていたが、ご神威を汚しては勿体ないと、今からおよそ1500年前の清寧天皇の御代に篠山の頂上に遷し奉った。
・その後、用明天皇の勅願所となり、平城(へいぜい)天皇の大同年間には弘法大師が来山して祈願したという遺跡がある。
・昔より山岳信仰の霊地として栄え、藩政の頃は伊予・土佐両藩主の尊宗が特に厚かった。
・昭和8年建築の社殿が老朽化したので、昭和62年12月に改築した。
・登り口第一駐車場脇の篠山荘(管理人:中田孝、84-2822)、増田の篠山神社(宮司:狩野喜三郎、84-2130)にて神札を頒布している。

●旧国境標石

・「南 伊豫國境」「北 土佐國境」
・「高知懸權令 岩崎武 愛媛懸權令 参■大久保親彦 立合建」
・「紀元二千五百三十三年 明治六年十月」

●矢筈の池

・山頂の水溜りは「矢筈の池」と呼ばれ、昔、池の中央に立石があり、その石が伊予と土佐の国境であったと伝えられる。


2.篠山神社二の鳥居【一本松町】

・県道320号線途中、集落の切れ目のところに「篠山自然公園」の大きな案内板が建っている。
「海抜1,065mの篠山は篠山権現が祭られており、山腹一帯は国有林で、頂上付近には、アケボノツツジ・シャクナゲの群生、コウヤマキ・ハリモミ等の原生林、ミヤコザサがあり自然植物の宝庫となっています。また山頂からの展望はすばらしく、足摺宇和海国立公園のリアス式海岸をはじめ、遠く九州の山々を望むことが出来、雄大で変化に富む景観となっています。昭和47年に足摺宇和海国立公園に指定されています。」と記されている。
・その案内板のところから東に折れる道があるが、篠川に架かる篠山橋を渡るとすぐに鳥居が見える。ここが篠山神社二の鳥居である。
・一本松町指定文化財。

●蕨岡義久翁頌徳碑

「貴殿は町道替地線篠山橋の架設にあたり其の財源捻出に苦慮する町の財政を心配され多額の浄財を寄附され多年の懸案を一挙に解決する機運を作り県立自然公園篠山の表玄関にふさわしい本橋の落成を迎え得ました。このことはひとえに貴殿の篤行のたまものであり崇高な公徳心のあらわれであります。ここに町民一同を代表し深く感謝の意を表します。  昭和39年7月27日 一本松町長 稲田卓一」


3.歓喜光寺【一本松町正木】

・山号:白翁山
・宗派:曹洞宗

●花取り踊り


4.戸たてずの楠(蕨岡邸)【一本松町正木】

・町指定天然記念物
・太さ8m、推定樹齢約700年
「二本の楠の大木は、ここ旧蕨岡庄屋の庭にあり、枝はりも大きく、樹形の美しさも県下有数のものである。昔、この楠に止まって悪さをしていた天狗の翼が家人の放った矢に当たって庭に落ちた。家人がその翼を返してやったところ、天狗は「お礼に子々孫々にわたり、この家に盗人が入らぬようにしよう」と言い残して篠山の奥に飛び去った。その後、盗人が入ったが出ようとして敷居まで来ると体が動かなくなった。以来、盗人が入らなくなり、蕨岡家では一切戸を閉めないことから人々は「戸たてずの庄屋」と呼び、敷居を削って盗難除けのお守りにするという。
平成4年3月 一本松教育委員会」


5.蕨岡義久翁之像【一本松町正木】

・翁は明治21年8月7日、北宇和郡明治村松丸の素封家山口武七の三男として生まれ、大正15年6月蕨岡家の養子となる。資性明敏衆望極めて厚く、議会議員・政党役員として地方政財界の発展に貢献する傍ら、私財を投じて学校敷地の提供、篠山橋、いずり谷橋の架設等公共事業に尽瘁した。昭和35年5月多年社会事業に貢献した功により紺授褒章を受けた。
・この像は翁が八十の賀を迎えるにあたり、徳を慕う正木部落の者が相寄り、昭和42年8月に建てたものである。


6.フレッシュ一本松【一本松町増田5470】

●一本松温泉

●郷土資料館

・行ってはみたものの、今日は10月10日で国民の祝日。生憎休館日であった。

●あけぼの農村公園


7.法眼寺【一本松町】

●宮岡重行翁頌徳碑

・昭和41年丙午3月建立


8.日枝神社【一本松町】

●宮殿改築之碑

・「起工:昭和三年秋、竣工:昭和四年、工費:五千五百圓、氏子:二百十八戸」と記されている。


9.安養寺【一本松町増田】

・宗派:浄土宗
・増田安養寺の堂宇に高山尊神という神様を祀っており、神仏合祀の珍しい例である。
・神領域は今でも女人禁制となっているが、地元では高山様と称して敬い、毎年旧暦7月11日には古式をそのままに日本刀の真剣を持って踊る「花取り踊り」が行われる。

●花とり踊り(県指定無形民俗文化財)

・花取り踊りは、その昔、元亀・元正の頃から始まり、約400年の歴史を持つといわれている。
・踊り子は青壮年8人、鉦叩き中老老人3人、太鼓叩き子供1人の計12人。
・踊りの用具は日本刀真剣8振り、鎌4丁。
・衣服は麻地裾波模様を配する。


10.若宮神社【一本松町増田】


11.猿越城跡【一本松町増田】

・御荘勧修寺家の枝城、通称しろんと山にあり、地元では板尾城ともいった。城塞の主体は増田分で矢倉がいくつかあり、広見分はその後方陣地で倉庫などが構築されていたという。
・猿越城の侍大将は板尾津之輔であり、増田(旧板尾村)の出身であった。
・天正11年(1583)2月、土佐の長宗我部元親は四国平定の牙城御荘勧修寺攻略の命を発し、伊予に向けて進発した。猿越城攻略の武将は土佐吉奈城主十市備後守で、その謀略にかかり落城した。


12.出合橋【一本松町増田】

・猿越峠を境にして東側奥より朝尻川、遊子ノ子川、船の川、熊太郎川、堅木山川、東池川、国木原川、老農川の8つの川が集まり、東の横綱増田川となる。西側奥より亀ノ串川、大西川、円座川、大谷川が集まり、西の横綱広見川となる。この2横綱が合流する地点が出合橋で、地域の人々の交流の場となっている。
・近くに出合の東屋がある。


13.南レク大森山公園【城辺町蓮乗寺】

★スポーツをしに来た人以外には面白味も糞もない....。
★晴れ上がった絶好のスポーツ日和。広い駐車場にびっしりと車が敷き詰められ、ワシなんかが入る余地が無いほどじゃった。


14.諏訪神社【城辺町】

●境内社:恵美須神社

●境内社:八坂神社

●常盤城跡

・城辺町指定史跡(昭和39年指定)

●正岡子規の句碑

●湯浅虎一翁頌徳碑

・氏子総代が昭和51年2月に建立。

●松下礒市翁頌徳碑

・元宇和島市議会議員。
・明治21年5月15日、城辺町矢野町に生まれる。

●勲三等山崎福馬先生之像

・昭和63年10月建立

●西一翁之像

・昭和40年11月建立
・旧東外海村村長
・明治30年12月生まれ。


15.道の駅みしょうMIC【御荘町平城4296-1】

・四国各市町村の観光パンフレットが置いてある。(貴重な情報源、パンフをいっぱい戴きありがとうございました!)


16.歓自在寺【御荘町】

・山号:平城山
・本尊:薬師如来
・人皇天皇51代平城天皇勅願所
・大同2年四国霊場裏関所として開創。
・平城天皇の病気平癒のため、般若心経・護摩供の秘法を修せられる。
・後、宇和島藩伊達家の祈願所として法灯を伝え現在に至る。

●本堂

・昭和39年10月

●大師堂

・平成5年1月21日
・本尊:弘法大師御影像、脇士:不動明王、愛染明王

●当山鎮守篠山大権現

●心経宝塔

・昭和53年11月

●平城天皇遺髪塚

・「岡村(邑)松軒」の墓が数基ある。彼は一体何者だろう?近くには松軒山もある。

●宝聚殿文殊堂

・本尊:文殊菩薩

 ●南予七福神:弁財天

●芭蕉句碑

 「春の夜や 籠人ゆかし 堂の陽」
 ・右中将藤原実愛郷御筆
 ・天保14年10月、岡村呉天翁建之

●十二支守本尊八体仏

●鐘突堂

●天皇の松

●ぽっくり地蔵

●御荘新四国

・境内駐車場脇に巡路図が掲げられている。


17.外泊〜石垣の里【西海町外泊】

・県道297号線(久良城辺線)で日土峠、久良峠、船越、内泊、中泊を経由して外泊まで移動する。
・そう言えば朝飯も昼飯もまだ食べていない。時刻は13:30になろうかとしている。辺りを見渡すが店らしき店はない。まあ石垣の集落の中でも歩いてみるかと足を進めると、「まるよし」という食料品店があるではないか。そこで菓子パン2個を買い、ほおばりながら散策をする。

●「石垣の家 文化の里 愛媛県 西海町」の碑

・外泊地区 石垣の家、段々畑、猪垣、道越鼻の石垣、闘牛、氏神様子安地蔵、宇和海博物展示館


18.若宮天満神社【西海町外泊】

●「旧神社境内地」の碑


19.西浦中学校跡【西海町内泊】

●建学の趾

「校歌 碧水作
 権現山の夕星に 豊後水道の漁火に
 理想と夢を育みつつ 希望あふるる西浦中
    為閉校記念 PTA建之 PTA会長同窓会代表 吉田俊広」

●碑

 「ここ女呂の岬で颯々の松籟と共に若人の夢を育みし白亜の学び舎も統合によりその輝かしき歴史と伝統の幕を閉ずることになった。西浦中学校の校名は久遠の彼方に消ゆるとも三十六年の星霜を数えて遠ざかる思い出の何と美しく高貴であることか。千四百六十一名の卆業生の栄光と軌跡をとどめるため、同窓生相集いここに校跡記念碑を建立し往時をしのぶよすがとす 昭和五十八年三月 撰文 11代校長 広瀬享」


20.若宮神社【西海町内泊】


21.松の木道祖神【西海町内泊】

・昭和56年8月建立。
「かって此処から岬寄りに松の大樹あり
「船越ばなの松」と愛称し、約300年の樹齢を刻む。
昭和54年秋、松喰虫被害に倒る
吾等この浦に育ちしもの皆朝な夕な春夏秋冬を通じ眺め愛しそれぞれの心の中に感慨をいだきしものなり
今はなき斯の松に愛惜の念や止み難く懐古の縁にと道祖神を建つ
 昭和56年夏日 岬の松を懐かしむ同志建立」


22.第3号南予レクリエーション都市公園馬瀬地区(馬瀬山頂公園)【御荘町馬瀬】

●御荘湾ロープウェイ

・運行時間:9:00〜16:50

●宇和海展望タワー

・運行時間:9:20〜16:40

●紫電改保存館

・開館時間:9:30〜17:00
・「この紫電改は、南宇和郡城辺町久良、長崎鼻約200mの海底41mのところに眠っていたが、昭和53年11月城辺マリンクラブ会員によって確認された。愛媛県は機体を引き揚げ、慰霊の誠を捧げ、恒久平和を祈念することとした。紫電改は、当時最も優れた局地戦闘機紫電21型機で、その全容は、
  全長 9.34m
  主翼 11.99m
  高さ 3.9m
  装備重量 4.8トン
  時速 620km
  エンジン 2000馬力
  20mm機銃 4門
を備え、独特の自動空戦フラップを駆使できる海軍交通の■尾を飾る優秀な戦闘機であった。この紫電改は、旧第343海軍航空隊に配属され、昭和20年7月豊後水道上空で光線したなかの1機であると言われている。県から委託を受けた藤田海事工業株式会社は、地元漁業関係者等の協力を得て、昭和54年7月14日引き揚げた。機体は全面フジツボに覆われ、破損箇所も見受けられたが、原形をとどめていた。県は、紫電改の政策に当たった旧川西航空機株式会社、現新明和工業株式会社航空機製作所に委託し、一部補修、防錆塗装を行った。終焉の地、久良湾が望見できるここ南予レクリエーション第3号都市公園内に、永久保存する。」

 ●旧海軍艦上攻撃機「天山(12型)」

 このプロペラは、昭和53年2月西宇和郡三崎町二名津沖で発見され、引き揚げられたものである。

●こども動物園

・開館時間:9:30〜17:00
・孔雀や鶏、リスザルに直に触れることができる。
・県道320号線(西海有料道路)
・「これで420円は無いだろ」と思わず言いたくなってしまう。


23.松軒山公園【御荘町】


24.厳島神社【御荘町菊川】

・とても長い参道沿いには、様々な木が立ち並ぶ。然程樹齢が高いものはないのだが、近所の小学生が木の名札をつけており、差し向き植物園のようだ。植物の勉強をするにはいいかもしれない。
・クチナシ(アカネ科)
・トベラ(トベラ科)
・ヒサカキ(ツバキ科)
・ウバメガシ(ブナ科)
・オオムラサキシキブ(クマツヅラ科)
・ハマクサキ(クマツヅラ科)
・ムクノキ(ニレ科)
・アラカシ(ブナ科)
・タブノキ(クスノキ科)
・ヤブツバキ(ツバキ科)
・カゴノキ(クスノキ科)
・ヤブニッケイ(クスノキ科)
・タイミンタチバナ(ヤブコウジ科)
・ヤマビワ(アワブキ科)
・クスノキ(クスノキ科)
・クロガネモチ(モチノキ科)
・ケヤキ(ニレ科)
・スダジイ(ブナ科)
・ハゼノキ(ウルシ科)
・サザンカ(ツバキ科)
・コジイ(ブナ科)
・ネズミモチ(モクセイ科)
・ヒメユズリハ(トウダイグサ科)
・スギ(スギ科)
・モチノキ(モチノキ科)
・シロダモ(クスノキ科)


25.内海展望所【内海村脇田】

・室手海岸沿いを走り、町境を越えるとすぐ。


26.DE・あい・21【内海村柏】


27.須の川海岸【内海村須ノ川】


28.海栄寺【内海村須ノ川】

・山号:立石山
・荒れている。生活の臭いがプンプンしており、家庭用品の廃材が散乱している。


29.禅蔵寺【津島町大門】

・宗派:臨済宗妙心寺派
・山号:法林山

●禅蔵寺薬師堂1棟

・県指定有形文化財(昭和57年3月19日指定)
・「この建物は、方三間(間口・奥行5.61m)一重方形造茅葺である。
・創建は室町時代末期とされ、その様式を残して江戸中期に再建されている。
・外部は素朴な草庵風の、日本の伝統的民家様式で、内部意匠は唐様である。
・特に花頭窓は禅宗様の古い形のものである。建築年代は板札によると天正年間(1573〜1591)とあるが、寺の伝説によると天文9年(1540)ごろ、畑地鶴ヶ森城の鶴御前のため、津島城主越智通孝が祈願寺として建立したと伝えられる。
・平成2年3月31日、向拝・花頭窓・内陣をそのままに解体修復した。


30.南楽園【津島町】

・県道37号線(宇和島下波津島線)

●お里帰りのアンズ

・江戸時代、宇和島藩第2代藩主伊達宗利の御長女豊姫は、延宝元年(1673)、信濃松代藩第3代藩主真田幸道公の夫人としてお輿入れになられた。
・そのとき、宇和島よりアンズの苗木を持参され、今の更埴市(こうしょくし)に植栽せられ、アンズの花ひらく早春ともなると、はるかなる宇和島を偲ばれたという。また初夏のころ、黄色く熟れるアンズの実の種子は、ぜんそく、せきなどの良薬だと御実母の稲御前からお聞きになっていたことであろう。
・それより300年余りの歳月がたち、更埴市では、その数150000本に及ぶアンズ畑がひろがり、アンズの里として世に知られるようになった。
・この度更埴市から、ここ津島町に移し植えられ「お里帰りのアンズ」となったのである。
・伊達家と真田家はえにし深く宇和島藩第8代藩主伊達宗城公の御長男が迎えられ、松代藩第10代藩主真田幸民公となられたのである。
・このアンズも、またえにし深く、ここ津島の地に根をおろし、永えに花咲き実を結ぶこととなったのである。


31.岩松川【津島町岩松】

・新橋辺りでしばし川をながめる。

●浜田三島堂

●獅子文六句碑

・「獅子文六先生は昭和を代表する作家の一人である。殊にペーソスあふれ風刺の利いたユーモア小説では第一人者として多くの読者の支持を得ていた。たきたまこ夫人の縁で戦後の約2年間、当地東小西家に寄寓され、その間の見聞を題材としたいくつかの作品を発表され、荒んだ当時の人々に爆発的好評を博した「てんやわんや」「大 」「娘と私」他、短編、随筆など。また津島町若松の名は小説の舞台として一躍全国的に知られることになった。
この文学碑は、こうした先生のご貢献に報いる為、先生ご来町の当時の■■として寄せられた句の中から選び、津島ライオンズクラブ創立10周年記念事業の一つとして建立するものである。名誉町民山本稔氏(東京都)よりもご協力頂いている。 平成9年2月」


・宇和島市内で野営しようと思ったが、見当たらない。
・汗をかいたので風呂に入りたい。が
・疲れた。薬師谷渓谷の看板が見えるが遠そうなので止める。しまった。薬師谷にも温泉があるじゃないか...でも通り過ぎたんで仕方ない。
・天赦園の看板も見えるが、時刻は18:00。もう完全に閉まっているだろう。
・宇和島駅の前を通りすぎ、国道320号線へ。
・成川温泉にでもいこうかと思いながらも、ふと「まつの温泉」の存在を思い出す。そうだ、松野へ行って河原にでも車を停めて泊ることにしよう。


32.まつの温泉【松野町】

・入浴料280円、シャンプー20円合わせて300円也。


33.虹の森公園【松野町】



・夕食を食べに行こうと思うが、生憎松野町にはめぼしいところが見当たらない。しぶしぶ広見町までバック。
・うどん屋と焼肉屋ぐらいしか開いていない。一人で焼き肉っちゅうのもなんなんで、うどんでも食うことにした。


33.虹の森公園【松野町】

●芝不器男俳句の小径:15番


32.まつの温泉【松野町】

●豊松橋

・昭和53年3月竣工。鰯川に架かる。
・欄干は花壇になっており、サルビア等の花が彩りを添えている。

●芝不器男俳句の小径:9番

●芝不器男俳句の小径:10番


34.松野公園【松野町】

●芝不器男俳句の小径:11番

●松野公園碑

・「この公園敷地7166uは正木正光氏の寄贈により昭和51年緑地等利用休養施設として整備し、松野公園となる。初代正木正光氏 明治13年5月27日生。大正7年より明治村議会議員 のち昭和4年には明治村長となって村政の伸展に努む。とくに投じ疲弊の極にある村財政の再建に挺身して功績多大なり。昭和12年5月7日没  昭和52年9月吉日 松野町」


35.松丸スポーツ広場【松野町】

・長谷池

●芝不器男俳句の小径:8番


36.河後森城跡(かごもりじょうあと)【松野町】


37.松野西小学校【松野町】

●芝不器男俳句の小径:7番

・短冊型。探訪当日は「川蟹のしろきむくろや秋磧(あきがわら)」が架かっていた。

●吉(古?)良寛の歌碑

・「やまさとにあられた....松野小学の歌にちなんで ふるたひろし」

●「愛媛県立松丸高等学校趾」碑

●「松丸高等学校校歌」碑

・古田拡作詞、清家嘉寿恵作曲

●昭和32年度卒業(173名)記念碑

・「東経132°42314、北緯33°13270、標高107.57m」と刻んである。

●北村西望作「おかあさん」ブロンズ像

・像は愛媛物産(株)、松野立石電機(株)、台座は(株)竹中工務店の寄贈による。
・北村西望氏の経歴:文化勲章受章、文化功労者、日展名誉会長、日本彫刻会名誉会長、日本芸術院会員、代表作:長崎平和祈念像、東京美大卒、長崎県出身

●芝不器男俳句の小径:6番

●「河後森城趾」碑

・松野町長古川林三郎撰文
・渡辺式部少輔教忠後裔 宇和島八幡神社宮司 渡部正建立
・平成2年10月建立。

●「河後森城登山道」碑

・末裔高知市大膳町 野中千歳、中川望が建立した。


38.JR松丸駅【松野町】

・無人駅であり、切符は駅前の理容店「ユタカ」で販売している。
・広見町の村おこしフェスティバル「でちこんか'98」のポスターが目につく。

●芝不器男俳句の小径:2番

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天ヶ滝

・落差30m
・奥野川上流

●ニッポンタチバナ

・町指定天然記念物

●逆杖のイチョウ

・根回り12m、樹高30m
・弘法大師の立てた杖が芽吹いてこの木になったという伝説がある。
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39.旧松丸街道【松野町】

●正木正光吟醸

・地酒「野武士」を醸造している。


・芝不器男記念館(芝不器男生家)は9:00から。まだ時間は8:00を回ったところだから、も少し町並みを散策してみよう。


40.永昌寺(ぼけ封じ観音)【松野町】

・山号:東光山
・四国ぼけ封じ三十三観音第16番霊場

●永昌寺薬師本尊仏像

・町指定文化財(昭和48年7月10日指定)
・元禄14年(1701)、檀家新城吉行の依頼で仏師西村主膳が高さ47mの薬師仏を作り、胎内に吉行の持仏の高さ13cmの木造仏を納めた珍しい仏像である。

●河原渕領主渡辺氏居館跡

・町指定史跡(昭和48年7月10日指定)

●芝不器男俳句の小径:5番


41.天満神社【松野町】

・参道上り口に、「奉文化九年壬申三月」と刻まれた大きな常夜燈有り。


42.礁崎石地蔵【松野町】

・町指定文化財(昭和48年7月10日指定)
・享保14年(1729)、代官新城六之丞が寄進し、仏師禅浄慶によって刻まれた。
・松丸・土佐街道の交わる場所としてこの礁崎の辻に建ち、松丸東部の守り地蔵になっている。


43.松野町役場/町民センター前【松野町】

●芝不器男俳句の小径:2番

・昭和60年12月24日建立。書者は山下三年。

●北村西望作「夢(Day Dreaming)」


44.芝不器男記念館(芝不器男生家)【松野町】

●芝不器男俳句の小径:3番

●芝不器男俳句の小径:4番


45.虹の森公園【松野町延野々】


46.道の駅:広見森の三角ぼうし【広見町永野市】


47.金剛滝【広見町本谷】

・高さ20m、巾4m
・広見町の最高峰高月山から郭公岳にかけて連なる尾根を水源とし、豊富な水量は四季涸れることなく、飛瀑を見せており壮観である。
・昔この滝に蛇が住みついていると伝えられ、村人によって和霊様の奥方をお祭りする祠を設けていたこももあり、猟師を滝壷に引き込もうとした蜘蛛の伝説も残っている。
・猿が居る。畑の中に猿がもの凄い数、犇めいている。畑の大根の食い荒らしている。
・今夏、滑床渓谷に行っても1匹の猿とも出会わなかったのだが、食物を求めてはるばる山の反対側斜面に降りてきたのだろうか。


48.天御中主神社【広見町本谷】



49.市の又古墳【広見町市の又】



50.等妙寺【広見町市の又】

・静かな山間に猟銃の音が響く。

・宗派:天台宗
・山号:奈良山
・等妙寺の起源は、延暦23年に遡るという。
・その後五百余年を経て、元応2年(1320)、理玉上人が本尊如意輪観音を祀り、等妙寺(天台宗)と改称した。
・中興開山以来10年間に二十有余の堂坊、伽藍が完成し、元弘1年のは後醍醐天皇の勅願寺となり、戒檀院を置くに至ったが、さらに正平年間に足利に二代将軍義詮が永野市500石(一説では400石)の地を寺領として寄進したので寺運益々栄え、末寺は72ヶ寺と称せられた。
・然るに天正15年(1587)板島(宇和島)丸串城主戸田勝隆によって寺領を没収され、かつ落雷のため殆どの伽藍を消失したので、天正18年芝村の長者鎌田氏の協力を得て移転した。
・室町期の寺宝が多数秘蔵されている。

●日吉神社
・桓武天皇の勅命により入唐した伝教大師が天台国清寺の山王祠を模し、比叡山にを建立したのが始めとされ、祭神は大山咋神。
・大師が大和国三室山大三輪神を勧請し神号を山王と奉り、比叡山の守護神とした。これが日吉神社の起源と伝えられる。
・等妙寺開山理玉和尚により、等妙寺が創建されたときに山王権現日吉神社として祭られた。
・天正16年城主による等妙寺焼き討ちの暴挙に日吉神社も類焼した。
・享保5年、現在地に再建された。
・現在の社殿は平成4年12月に建立された。

●如意輪観音像御開帳等妙寺再建四百年祭記念の碑
・平成5年10月10日〜12日


51.小倉【広見町小倉】


52.安森洞【広見町小松】

・安森洞は昭和54年より地元保存会で開発され、現在80m程掘り進められている。
 

●安森鍾乳洞

・安森洞上方に安森鍾乳洞がある。ジャコウ鹿、月の輪熊、日本鹿、狸など、数万年前から10万年前の化石骨が出土されたが、今は遺跡保存のため閉鎖されている。

●夫婦滝(樽淵二段滝)

●たるの権現(石灰岩の侵蝕地形)

・天然記念物(昭和59年7月指定)
・夫婦滝に向かう径から谷を挟んで向こうにそそり立つ岩柱(ビュート)。

●石鎚蔵王大権現

●素麺流し

・6月末〜8月末
 

●ふるさとの家安森


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日切地蔵【広見町】
・90年程昔、この土地の有志が松山市の日切地蔵善勝寺より勧請した。
・日を決めて願をかければ利益をあずかる。

庚申堂【広見町広見】
・本尊は、人間の吉凶禍福を司るという青面金剛である。
・戦国時代に多武ヶ森城の間道を守護するために祀ったと伝えられる。
・地四国の1番札所

愛宕山権現堂【広見町広見】
・もと多武ヶ森城城砦があった。

禪定寺【広見町広見】
・多武ヶ森城主の菩提寺であった。
・地四国の88番札所

成王瀬滝
・坂上二郎衛門の伝説がある神秘的な滝。
・下からの眺めが良い。

河内神社【広見町中野】
●大杉

ミニ四国八十八ヶ所【広見町西組】
・百余年前、地元の篤志家が八十八ヶ所の土を持ち帰り建立したと伝えられる。

轟甌穴群【広見町】
・数百個の甌穴が群集し、奇岩・怪石の乱立する天然の造形美は、広見川の清流と調和している。
山口牧場【広見町】

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53.善光寺【広見町小松】

●善光寺薬師堂1棟 附 厨子1基

・国指定重要文化財(昭和52年6月27日指定)
・薬師如来の由来は、文治1年(1185)壇ノ浦合戦に敗れた平家の残党松浦氏が小松村に逃れ、城下の庵寺に木像を建立したに始まる。正平13年(1358)坂上四郎左衛門がこれを修理した。
・薬師堂並びに厨子は、室町期の禅宗様式(唐様)の特徴を備えた建物で、四国では最南端に位置する重要な物件として昭和52年に国の重要文化財に指定された。
・薬師堂は東面した三間堂で、屋根は寄棟造茅葺、室内中央の四天王柱(4本を2本に省略)は、平安時代以来の一間四面堂の伝統を継承したもの。
・昭和55年度から2年かけて解体修理が行われ、江戸初期移築時の形態に整備された。
・厨子は一間厨子で、堂内にある。入母屋造本瓦葺風板葺であり、組物は三手先結組、軒は二軒扇■である。質が良く保存もよいので扇■も桟唐戸と共にそのまま残っている。

●木造薬師如来坐像及び二天十二神将
・町指定有形文化財(昭和52年10月28日指定)
・木造薬師如来坐像は、厨子内に安置されている。坐像は、像高70cm、雲光背85cm、台座76cmの結跏跌坐で、左手に薬壷を捧げ(薬壷はなくなっている)、右手は施無畏印を結んでいる。桧材の寄木造りで鎌倉期の作である。
・二天十二神将は薬師堂内に安置され、二店(多聞天、増長天)立像は、像高50cmの桧材寄木造り、十二神将立像は、像高30cmの桧材寄木造りで、共に少しばかりの虫害、欠損はあるが、造立当時の面影をそのまま残し、守護侍として12体残っている。


54.武左衛門大いちょう【日吉村】

・村指定天然記念物
・樹周り6m、樹高35m、樹齢約460年
・ここ瑞林寺跡の大公孫樹は、吉田騒動といわれる百姓一揆の頭領、上大野の武左衛門を埋葬したという寺に聳え立つ近在にない雄株の大樹である。
・武左衛門は、寛政7年(1795)に吉田藩の役人に捕らえられ、今の広見町清水の筒井坂の峠で首を打たれた。
・200年の昔、一死を以って領民を救った武左衛門を偲ぶこの大公孫樹を、村人達はいつのころからか「武左衛門いちょう」と呼んでいる。


55.熊野神社【日吉村】


56.道の駅:日吉村(日吉夢産地)【日吉村下鍵山】

★ここの便所は四国一!?トイレの中にせせらぎが...。


57.明星ヶ丘【日吉村】


58.道の駅:きなはい屋しろかわ【城川町】


59.寺渡瀬【城川町日の浦】


・交番のすぐ横に碑が建っている。平成7年5月に城川町、城川町史談会が建立した。
・「宇和島藩農民一揆(野村騒動)ゆかりの地」と記されている。
・「此の地 "寺渡瀬"は明治3年春の宇和島藩農民一揆(野村騒動)のゆかりの地です。前年の天候不順による凶作で生活苦を強いられた宇和島藩各村浦の農民は、税の減免等を求めて徒党を組み野村の民政局に出訴しました。77ヶ村浦からの農民は7500とも15000を越えるとも云われました。この宇和島藩始まって以来の大一揆の指導者となったのは我が町城川の中津川の鶴太郎と川津南の和太治等でした。城川からも全域から約1300人が参加しましたが、3月20日に窪野板取川奥の山姥に集まった窪野、土居、川津南、中津川、古市、伏越の農民達は、祓川を越え、ここ下相の寺渡瀬を渡って今田、田穂と進み、道々の農民と合流して桜峠を越え野村に進みました。交渉の結果、農民の要求の多くは聞き入れられ二週間位で無事に帰村しますが、指導者の鶴太郎、和太治そして惣吾や仙三郎は後で捕えられ宿毛沖の沖の島に流刑となりました。農民達の生命を賭しての行動の証しのあとがこの地です。」


60.ゴトランド紀(シルリア紀)石灰岩【城川町窪野/嘉喜尾(かぎお)】

・県指定天然記念物(昭和28年2月15日指定)
・ゴトランド紀(シルリア紀)はサンゴ類の栄えた時代である。スウェーデン国バルト海上のゴトランド島がこの時代の地層でゴトランド紀と呼んでいた。
・その後、ソ連の広大なシルリア地帯がこの地層であったので、現在、地質学者はロシア語のシルルあるいはシルリアと呼んでいる。
・県内で最も古い地層である。地質時代から言えば古生代末期のおよそ今から4億2000万年前のものといわれる。
・この地層は東は窪野、西へ嘉喜尾、男河内地区へと町内のほぼ中央を北寄りに東西性をもって不連続的な帯状で存在し、その中に分布している石灰岩の中から床板サンゴ類に属する鎖サンゴ(ハリシチス)、蜂の巣サンゴ(ニッポシテス)が発見された。
・このサンゴはシシリア紀及びその次のデボン紀に繁殖し、その後絶滅してしまったのである。
・このシルリア紀の床板サンゴ類は現在までの研究ではわが国最古のものである。
・歴然と化石に残るサンゴ類(城川かるた)


61.三石橋バス停界隈【野村町西】

●鴛鴦(オシドリ)飛来地

・毎年11月の中頃、肱川の鹿野川湖(旧197号線沿い)に、数千羽の鴛鴦の群れがやってくる。翌年の2月まで、ここで越冬する。
・大きく蛇行する鹿野川湖の静かな空間は、鴛鴦にとってまたとない安全な住処である。この頃の鹿野川湖の岸辺には、鴛鴦の好物であるドングリなどの木の実がたくさんある。
・鴛鴦は、中国、韓国、日本など東アジアだけに見られる水鳥で、我が国には広く分布しているが、鹿野川湖は日本屈指の鴛鴦の飛来地として有名である。
・1988年からは国連の機関である国際自然保護連合が作成している「絶滅のおそれのある生物のリスト=レッドリスト」にも鴛鴦の名前が登場するようになってしまった。

●地蔵

・巨石の上に、地蔵が何体か祀られている。地四国のものだろうか。



てなわけで、主体性も無く南予を広域的に徘徊してみましとい。
久々の南予ということで、わくわくしっぱなしじゃった。しかし、幼い頃住んどったとこの界隈とは言いながら、こうして実際に方々を回ってみると、何と知らなかったことの多いことか!灯台もと暗しとはこのことじゃ。 
 

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