[KOMIL:KOtaro's Miscellaneous 
Information Laboratory]
Copyright (C) Kotaro Iseki (1996〜2016).
All rights reserved
こたろう博物学研究所
探訪記録:19980606

トップページに戻る

インデックスに戻る

大西町/波方町/今治市方面散策【平成10年(1998)6月6日】


今回は探訪記録が主体です。随筆ではありません。

1.藤山健康文化公園【大西町宮脇】

・妙見山古墳(みょうけんさんこふん)を主要なランドマークとした「海と緑の田園都市」大西町にふさわしい都市公園。
・妙見山古墳は藤山健康文化公園の標高80mの頂にある古墳で、石室内部も見学できるようになっとるわい。遊歩道も綺麗に整備されとるんで、散歩には絶好のところよ。
・藤山歴史博物館は入場料200円。あんまり見るものは多くないんじゃが、古墳を基調にした小奇麗な造りになっとるわい。平成9年度グッドデザイン施設(通産省、10月1日)に選定されとる。

2.宮崎界隈【波方町宮崎】

(1).梶取鼻(宮崎ふるさとこみち@)

・わが国が大陸文化の輸入やその中継地である九州との往来はすべて海路によった。その点で波方町宮崎の地は重要な地点であった。大宝律令(701)の中の軍防令によって各国に軍団が置かれ、この軍団には外敵の侵入に備えて、その進入経路にあたると予想される地に、◆◆(のろし台)と◆(◆)を置き、国府(現在の今治市富田付近)との連絡、防備にあたった。
・左方の山を火山といい、◆◆跡の決め手となる灰の◆がいくつか発見されている。
・また松山藩の参勤交代の際には「のろし場」として使用され、歓迎の意味でも利用された。
・眼下の海岸(七五三ヶ浦)には番所という地名が残っている。現在この付近一帯は瀬戸内海国立公園に指定され、梶取鼻灯台と無線信号所で海の男達に知られている。
 

●「烽山の賦(ほうざんのふ)」の石碑

この頂きのあたりを火山(ひやま)という。狼火をあげし水軍や興亡のあと松籟胸をゆすりて荒猛き防人をしのぶよすがもなし◆鞳たる来島のひびきのみ僅かに残る城塞の石くれに谺す小道をゆけば斎灘の潮の香ただようなかうらうらと山桃の紅熟れて木洩れ日に光るぞ哀し
  昭和52年5月 森繁久彌

●「烽山の賦(ほうざんのふ)」の石碑

この山上を火山という。水軍の興亡松籟に聞くのみ狼火焚く舟手たちの道あれば山桃の熟れて潮騒にゆるる

●弘法大師像

・半島四国開設十周年記念像(昭和40年4月建)

●来島梶取鼻灯台

・昭和37年3月初点

(2).七五三ヶ浦(宮崎ふるさとこみちA)

(3).御崎神社(宮崎ふるさとこみちB)

・この神社は、以前梶取鼻(古御崎)にあった香取神社と烏鼻(御崎)にあった烏明神が祀られている。梶取と香取の語源は同じであり、香取の神は海の守護神であるから、海上安全を祈って祀られ、また烏明神は農耕の神として牛馬が祀られている。
・昭和30年頃迄は田植えの終わった近郊の農家が牛馬を休ませてこの神社に参詣し、また牛の草鞋を造って奉納し、牛馬の護符を受けて畜舎に飾って農作業の安全と豊作を祈った。
・又、この御崎は戦国時代来島水軍の砦となっていた所であり、海岸の岩の上には無数のピット(桟橋跡柱穴)が残っており、付近には「磯の七不思議」といわれる見事な岩がある。

●御神灯架設の由来碑

●山桃の叢林(町指定天然記念物)

(4).山桃の小道(宮崎ふるさとこみちC)

・「山桃の叢林」町指定天然記念物(昭和57年7月7日指定)
・御崎神社へ続く約300mの参道。
・中には幹周5mに及ぶ大木もある。
・波方町に残された唯一の自然樹林。

(5).お頭の家跡(宮崎ふるさとこみちD)

・海賊時代の頭領の屋敷跡。当時この家に「おかしら」という家号を持ち、赤い旗、火縄鉄砲、なぎなたなどが残っていたといわれている。この谷のように宮内の人々に、外部(海)から見えないところに散らばって住居や田畑を持ち敵の襲撃から身を守ったと言われている。
・北側の山の墓地に「ご先祖さん」と呼ばれている二基の墓がある。表面は風雨で摩滅して文字は判別できないが、元禄時代(1688〜1704)のものではなかろうかと思われている。

(6).宮崎城跡(宮崎ふるさとこみちE)

・この城跡は最もすぐれた海賊城で、ピット(桟◆跡柱穴)、堀切りなどの城郭跡がはっきり残っている。

(7).高山磐座[たかやまいわくら](宮崎ふるさとこみちF)

・林道高山線(幅員4m、延長693m)を上り切ったところにある。(NTTの中継所のあるところで行き止まり。)
・原始社会では山に神霊があるという考え方が一般的であった。そして麓や遠くから眺め仰げる所でお祀りをしていた。石に対してもやはり同じで、石器時代以来考えられており、古墳時代(400〜700)は益々盛んだった。石神(メンヒル)、磐座(いわくら)などがそうである。石神はそのものを神とし、磐座は神の座として神霊が宿ると考えられていた。

3.西浦界隈【波方町西浦】

(1).西浦荒神社(西浦・森上地区ふるさとこみちC)

・祭神:大巳貴命、事代主命、素盞鳴命
・創建年代:不明
・玉生八幡神社(波方港)の末社として置かれていた。
・来島水軍時代、来島に大根城を置いたが、来島城を守り抜くためそのまわりに数多の城砦を築造したが、その砦群の一つではないかと思われる。

(2).はかり磯(西浦・森上地区ふるさとこみちD)


4.大角鼻界隈【波方町】

(1).大角遺跡群(波方ふるさとこみちE)

●天満見張台跡(狼煙台跡)

●水軍住居跡

●番所跡

(2).大角鼻公園

●千枚磯

●潮流信号所

●水◆遺跡

●大角

(3).弘法の泉


5.太閤井戸【波方町】


6.波止浜港界隈【今治市波止浜】

(1).円蔵禅寺

・山号:護国山
・宗派:黄檗禅宗

●芭蕉天満宮

  ・元禄年間当山初代大休

(2).波止浜渡船場

・来島、小島、馬島への渡船場
 

●常夜燈

(3).波止浜水門


7.龍神社【今治市波止浜】

(1).ウバメガシの樹林

・市指定天然記念物(昭和45年3月30日指定)

(2).神明神社山車および祭り

・無形民俗文化財(平成元年11月1日指定)

(3).人長・随神、絵馬

・有形文化財(昭和62年1月7日指定)


8.厳島神社【今治市波止浜】

・祭神:市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命
・相殿:大山津見命 外六柱
・例祭:5月12日 神幸祭
・慶長13年8月19日、木原仁右ヱ門通興の建立する所なり。仁右ヱ門の父祖峯明神の城主にして弘治の合戦に毛利元就に属し、厳島宮を祈誓して補助を蒙り大いに戦功を樹て爾後安藝の厳島神社を遥拝するを常とせり 毛利家滅亡の後高部村に帰り居住す 或年早朝海辺にて沐浴中立派な宮室流れ着きたるに依り大いに驚き恐み厳重に自宅に奉斎し奉り、御啓示あれば姫神三座ます 外神は猿田彦大神なり 慶長13年の春、狭霧山の霊地に奉祀する為新に神殿を建立し、8月19日工成りて木原本家より神殿に遷座す 狭霧山は潮霧夕霧に陽に陰たる海辺の森にして青銅器時代約2000年前の古墳の趾なり 爾来近郷の人等の崇拝甚だ厚く寛文8年産土神となす 延宝2年拝殿を奉建し享保2年8月御輿を設け明治9年村社に列せられる。

●和霊神社
 

トップページに戻る

インデックスに戻る


ご意見・ご感想は

kotaro@a1.mbn.or.jp

kotaro@kotaro-iseki.net

まで