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こたろう博物学研究所
探訪記録:19980118

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北条市方面散策【平成10年(1998)1月18日】



今年になって初めての散策調査へ出動した。
1月16日も有給休暇を取り、4連休にして万全の準備を図った上で散策調査に臨む予定じゃったんじゃが、かねてより待ち望んでいた「Windows95マシン(「Windows95がプレインストールされている」「Windows95を載せても使用感の満足度が損なわれない」マシン)の取得が遂に実現したんよ。
・PC-6001(パピコン)【NEC,CPU:μPDxxxx】.....現在他人資産
・→X1-turbo【Sharp,CPU:Z80】.....現在インテリアと化す
・→PC-286VF【EPSON,CPU::i80286】.....現在もニョーボパソ通マシンとして稼動中
・→PC-98noteNS/T【NEC,CPU:i80386】.....大活躍してたのに雨に濡れて死滅
・→Woody CF-V31D【松下電器,CPU:80486互換】.....ホームページ公開ちょい前より研究活動に大活躍
・→INFINIA【東芝,CPU:PentiumMMX】.....今後の発展・活躍を祈念
てなわけで、嬉しそうに連日昼夜を忘れていじくり回りよったもんで、本業の研究所活動がすっかり影を潜めてしもうた。

連休の最終日、「これじゃイカン!」と一念発起(そんな大層なもんかいな....)して、13:30眠たい目をこすりながらも北条市方面散策に繰り出した。


1.柳原界隈

 松山空港から三津に抜ける海岸脇の道を北上。アイテムえひめ前辺りの車の流れがちいと悪うなっとる。「なんぞ催しモンでもあったかのぅ?」と思いながら通過しとったら、どうも氷上ミュージカル「オズの魔法使い」をやっとったようで、今日はその最終日じゃったとめらい。それを尻目に更に海岸通りを北に進み、松山観光港前から勝山の自動車免許センターへ抜ける道を北上。そして堀江に抜け、国道196号線を更に北上。
 北条市内に入り、バイパスでは無く旧196号線に入っていき、最初に立ち寄ったのが、JR柳原駅前辺り。「←太宰府天満宮分祠」の看板が見えたので、すかさず左折し、ちょうど柳原公民館前に空き地があったんでそこに車を止めることにした。
 まずは、この辺りの地勢を知る意味でぶらりと旧道に沿ってお目当てとなるものを探しながら歩いてみた。
河野川に架かる河野橋歩道橋を渡ったところに、高浜虚子句碑を発見。ちっぽけなお堂、高浜虚子の銅像・句碑、ちっぽけな松、ちっぽけな墓標..と、取り立てて一般人が立ち寄るようなところでもなさそうじゃが、調査メモ取りに移る。近所の人が散歩で通りがかる度に「何しよるんじゃろか?」と怪訝そうな顔をするが、こんなんはもう慣れっ子になっとるけん余り気にならん。実は一番最初に目に付いたのは「阿波のへんろの墓」という小さな墓標。無縁仏が何とも言えぬ哀愁を醸し出しておったんよ。巡礼の途中、異郷の地で果てた遍路の無念さ。それを哀れんで墓標にうずめた村人。まれびとを丁重に扱う四国の風土を垣間見たような気がしたわい。 てなこと考えながら、句碑を眺めると、虚子も同じことを感じて詠ったんじゃね。
    「 道の辺に 阿波のへんろの 墓あはれ 」

 そこから元来た道を引き返し、河野橋の上でしばし佇み、「なんで河野川っちゅうんじゃろ?やっぱり風早(今の北条界隈)に縁深い河野氏から来とるんじゃろな」などと考えもって山側を眺めてみる。川の両岸には桜か梅か今の時期じゃ判別でけんが、ようけ立ち並んどる。「春になったら奇麗に花が咲き乱れるんじゃろな」と思いながら更に山の方に目をやる。大小様々な橋が折り重なって見える。そしてその向こうに高縄山が聳え立っとる。高縄山は河野氏の居城高縄城が築かれとったとこ。やっぱりそこから流れるけん、河野川なんじゃろね。

 南へ戻りながらも、海側に出てみようと右に折れる。やがて柳原漁港に出る。ひなびた漁村といった感じじゃった。人の姿もほとんど見えん。

 ぶらぶら歩いていると車を停めた公民館裏にある神社が見えた。最初に目についた「太宰府天満宮分祠」がここなんじゃが、社名の標石を確認すると「三穂神社」と刻んである。受験シーズンじゃけん、娘を連れてお参りに来とる家族がおった。「苦しいときの神頼み」っちゅうやつじゃろね。ここの境内をぶらつきながら物色してみる。「柳原地名誕生碑」、「大洲藩主加藤家/大洲藩士中江家の小祠」、「絵馬堂」、「牧野種三郎先生頌徳碑」などがある。ワシは神社に奉納されとる絵馬類を眺めるんが好きなんよ。日本古来の美術っちゅう感じで、結構ええ作品が多いんけんねぇ。特筆すべきは、この「絵馬堂」に大きな亀の甲羅が奉納されとったこと。横80cm×縦100cmくらいじゃろうか。えらい大きな亀じゃねぇ。奉納額には何やら添え書きされとる。どうも明治30年9月に近所の人がこの沖で捕獲したようじゃ。まあウミガメが水族館で眺められる現代ではちっとも珍しゅうないんじゃろうが、当時の人はきっと「がいな亀を獲ったんじゃ!」と大騒ぎしたことじゃろう。

 この辺りをもう少し念入りに歩いてみると、「中江藤樹先生立志之地」とか「柳原館址」などの石標、石碑なども見ることができたわい。

 あと地図で「一心庵」というんが確認できたんで行ってみよかと思うたんじゃが所在確認出来ず。雨も落ちそうな気配になってきたんで、次の目的地へと車を走らせることにした。


2.八反地(国津比古命神社/櫛玉比賣命神社)界隈

 旧道を北上し、JR北条駅を過ぎた辺りから右折、東に向かおうと思うたんじゃが、一つ手前から右に折れ、脇道に入っていった。北条高校の校舎が見えるなぁ...と思った矢先、目の前の踏み切りの遮断器が下りて来たんで慌てて停止した。JRの踏み切りは遮断器がいっぺん下りるとものすごく長い。実際に電車がやってくるまでに数十台は余裕で通り抜けれるくらい長時間待たされる。
 小雨もパラつき、イライラに拍車をかける。
 さんざん待ちくたびれて目の前を通過した電車はたったの一両編成である。「めちゃくちゃ腹立つのぅ」と後続車に同意を求めようと振り返るが、待たされとったのはワシの車1台だけじゃって、滅茶苦茶哀しかった。

 その苛立ち・悲しみの余韻が残ったのか、JR駅裏の袋小路に入って引き返し、東側の道に入ると道幅が狭くて通過できず、またもやバックで引き返す。散々ロスタイムを発生させてしもうた。

 さてさて、それからは結構順調でバイパスを通り越え東へ。次なる目的地「宗昌寺」に到着する。
ここには県指定文化財が3つあると本堂脇の説明書きに書いておる。「大蟲和尚の法筐印塔」、「木造大蟲禅師倚像」、「木造文殊菩薩座像」の3つである。
そのうち唯一閲覧可能な「大蟲和尚の法筐印塔」の建っている岡に上がってみる。余り古さを感じないが貞治3年(1364)に建立されたモンらしい。岡の上から海側を眺めると遠くに鹿島が見える。そういや、墓てなもんは見晴らしのいいところに造られることが多いわいねぇ。「仏を尊び、至上の景観と共に後世の人々の安泰を見守ってください」っちゅう願いが根底にあるんかいねぇ。ワシゃ悟りを開いてとらんけん、この辺りのことはわからんけどね。

 メモを取っていると雨足が強くなってきた。もう今日は調査継続を断念せんといかんかなぁなどと思いながら車の中に引き上げる。水性ボールペンの文字も所々滲んでいる。じゃけど、遠方までわざわざ来たんじゃから色んなとこに行ってみなければ。

 次に訪れたんが、国津比古命神社櫛玉比賣命神社。ここまで来ると雨が本降りなった。傘も持たずに出てきたんで、どがいしょうかと思いあぐねたが、取り敢えず参道の階段を上ってみた。流石に延喜式内社というだけあって豪壮な門・社殿がでんと構えておる。雨が強くて調査ノートを開くこともできず、国津比古命神社社殿へ続く階段を上る。そして過去の調査活動では殆ど拝むこともなかった信心薄いワシじゃが、苦しいときの神頼みで二礼二拍一礼で拝んでみた。しっかり参拝帳にも記帳した。すると不思議にも雨足は弱まり、雲の切れ間から太陽の光が霧雨と共に降り注いできた。こうした「祈りの瞬間」と「自然現象の転移する瞬間」の一致が、「神の存在」として崇められてきたのじゃなかろうか...などと感謝も忘れ、にわかに活気付き調査活動のメモ取りを再開した。

 ところでこの豪壮な門〜八脚門〜は、もともとはここにあったんじゃのうて、松山市味酒町の阿沼美神社にあったもんを元禄年間(1688〜1703)に移してきたらしいわい。「式内社じゃけん豪壮」と単純に考えるんは早計っちゅうもんじゃね。とは言え、この阿沼美神社も式内社じゃけん、まんざらまるっきりの見立て外れっちゅうわけでもないわいねぇ。
 この門の面白いところは、構造材の所々に動物の姿が見えること。特に入り口の横の梁を支える部分には象の姿が見えるんよ。近代になって補修したもんかどうかはわからんが、建築当初からこの「象」が刻まれとったとすれば、その作者(彫師)はどこで象を見たことじゃろう。あ、それと忘れとったが、神社本殿の左右両脇に奉納されている絵馬には「虎と相撲(格闘?)する図」が描かれておった。この虎などは毛並みもしっかりと描かれとって、写真もなかった当時(文久2年6月奉納との銘有り)にどうやって模写したんかが非常に興味深いわい。


3.上難波界隈

 雨も上がって、上機嫌で北側に立ち並ぶ山の裾にある大通寺最明寺へと車を走らせた。
 大通寺では丁度葬儀が行われとって、バカげた調査の姿を御見せするのも気の毒ということで十分な調査はできず、駐車場に停めた車の中から若干のメモをとっただけに終わってしもうた。またの機会じゃね。
 最明寺では柴犬2匹が今にも噛み付くかの如く執拗に吠えまくり、境内での騒ぎに異変を感じた住職がたまりかねて様子を見に来る始末で、これも恥ずかしゅうて十分な調査が出来ず終いじゃった。この寺には約200年前小林一茶が愛媛来遊の際に立ち寄ったらしく、一茶の句碑が並んで建っとった。説明書きには、「生憎、一茶が訪ねた住職の茶来(師二六庵竹阿の友)が死去しており、あいまみえることができず、一宿を乞うたが断られた」と記されておったが、この寺には「まれびと」を突き放す因縁が深いんかいねぇ。(関係者の方、失礼な書き方でごめんなさい。)

 さてさて、陽もだいぶ落ちてきたんで、そろそろ引き上げることにしたんじゃが、未練たらしく一茶の通ったという道に沿って車を走らせてみると、「俵原池」という案内板が見えたんで、そこまで足を伸ばそうと試みた。県道339号線を北へ車を走らせたんじゃが、一向に目的地が見つからん。途中、恵良神社(赤坂神社)というちっぽけな神社に立ち寄ったぐらいで特にめぼしいものにも遭遇できず、残念な気分で家路に向かうため、「サンセットヒルカントリークラブ」の看板が見えたところで引き返すことにした。
車をUターンさせて、少し走ると眼前にそれは美しい「鹿島に向かって沈む夕日」の風景が描かれていた。なるほど。「サンセットカントリークラブ」というゴルフ場にしては洒落こいた名前じゃのうと感心していたが、これだけ美しいと「ごもっとも」と賞賛しざるを得ない。ワシが居住する松山市の今出から見る夕焼けも格別じゃと思うとったが、この「サンセットヒル」から見る夕焼けは北条市の町並みと田園、そして沖に浮かぶ鹿島を何とも形容しがたい赤に染め上げて絶妙の美を醸し出している。愛媛で「夕焼け」を売りにしている双海町の海辺よりもワシゃ気に入ったがね。


4.帰り道

 18:00に近くなると、冬場なんで陽が落ちるのもはやく、辺りは薄暗くなってきた。今度こそ本当に家路に向かおうと車を南下させる。
 今日は日曜日じゃし、196号線は松山へ向かう車の列がずっと続いとるんじゃろうなぁと思い込み、北条バイパスを突き当たったところで、五明・伊台方面へ続く県道の方に入っていった。途中、薄暗い景色の中に幾つかの調査対象(神社・寺など)の姿を見掛けたが、流石にこれ以上の寄り道はできんと後ろ髪引かれながら車を走らせる。
 このまま五明に行ってもしゃあないんで、なんとか三津方面へ下りれないかと山道に分け入って行く。車1台通るんがやっとの道をずんずん上っていく。初めて通る道、辺りには民家らしきものもまばら...ということでちょっと不安を感じたりもしたが、やがて松山市東大栗町と書かれた道路工事の看板を見つけ、安堵感に浸った。(研究活動上、知らぬ間に松山市に存在する百数十町の名前と大体の位置関係を把握しているのがこのような状況下では非常に幸いした。)
 自分の今いる位置に確信が持てたことで余裕ができたのか、「東大栗町に来たならば医座寺を見ておきたいなぁ」などと寄り道を敢行する始末である。じゃけど、夜の寺って輪をかけて不気味じゃね。結局、説明書きの内容を読むんもままならんけん、一通り境内を回るとすぐさまメモもとらずに車を走らせましたわい。

 その後、県道204号線から国道196号線に合流し、太山寺越えの県道183号線経由で自宅へと向かった。太山寺手前から時速20kmで走行する軽自動車に行く手を阻まれ、狭い四国の道を恨みながらも苛立ちの余りクラクションで脅しあげてしもうた。「温厚」が信条なワシにとって不本意な行動じゃったと思うたが、敵はひるむことなく三津までの道をマイペースで時速20km走行を保っておった。それが信条をも翻すほど怒りを増長させたが、「すみれ野居住者への迷惑」を考えると更に警笛を鳴らし続けるにもいかず、耐え忍ぶしかなす術はなかったわい。

 カルシウム不足か知らんが、今日は妙にイライラする調査じゃった。



★やっぱ、こんな感じで調査・散策しに出かけたときのことはしっかり記しておかんといかんねぇ。んじゃないとメモの雑書きじゃ、後から読み返したときに記憶が鮮明に戻ってこんけんねぇ。
 これを機に、時間をかけて過去の調査散策記を纏め上げますんで、よかったらまた眺めに来てやんなはい。

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