|
[KOMIL:KOtaro's Miscellaneous
Information Laboratory]
Copyright (C) Kotaro Iseki (1996〜2022).
All rights reserved |
こたろう博物学研究所
市町村別情報庫
愛南町
(旧・内海村) |
|
市町村概要
※平成16年10月1日、愛南町となった。
キャッチフレーズ
(1).「真珠貝のふるさと・内海村」
(2).「いきいきとした生活と活力のある内海村」
村の花 |
村の木 |
村の花木 |
村の鳥 |
ヤマザクラ |
ウバメガシ |
|
メジロ |
特産物
★真珠貝(アコヤガイ)生産日本一!
沿革
平成16年(2004)10月1日、愛媛県南宇和郡内海村・御荘町・城辺町・一本松町・西海町が合併して愛南町を発足した。
地名
村名の由来:藩政時代まで柏村、内海浦と呼ばれていた。
大字 |
字 |
柏(かしわ)
(愛南町柏) |
|
柏崎(かしわざき)
(愛南町柏崎) |
|
須ノ川(すのかわ)
(愛南町須ノ川) |
|
平碆(ひらばえ)
(愛南町平碆) |
|
家串(いえくし)
(愛南町家串) |
|
油袋(ゆたい)
(愛南町油袋) |
|
魚神山(ながみやま)
(愛南町魚神山) |
|
網代(あじろ)
(愛南町網代) |
|
文化財
網代開拓由来【内海村網代】
・村指定文化財(昭和60年指定)
・明治26年に網代地区開拓の歴史(浦和家の事跡)を記した書。
火打石【内海村油袋
火打】
・村指定文化財(昭和60年指定)
五輪塔【内海村】
石造白牛車観音【内海村】
大わらじ【内海村】
・毎年正月の「念仏の口開け」の日に「うねの松」に大わらじが奉納されていた。
城址
法華石城跡【内海村須ノ川】
串ヶ丘城跡
鳥ノ巣城跡【内海村柏】
・内海村史には、串岡城(赤樫城)と記されている。
・法性寺の東方に位置する。
→See.内海村史 上巻
→See.「都道府県別 日本の中世城館調査報告書集成
第19巻 四国地方の中世城館 愛媛・高知」、東洋書林
「柏坂街道は北宇和地区より御荘地区に通する南方主要道路である。前項述べた鳥の首城跡と相対して、法性寺東方高地に串岡城址(一名赤樫城跡ともいう)があつて両者相対して居る。而して此の両城跡及其の中間地区は古戦場と傳へられてをる。この城跡は城ではなく壘の跡であつて、古來戦死者の五輪と称するものに五十個、鳥の首に二十個、計七十個が最近まで散在してゐたのであるが、いつの間にやら砥石に持帰り或は石垣に利用し、或は埋没したりして現在其の一部が残存してゐるだけである。約七十の戦没者を出したと仮定せば往昔の戦斗としては相当の激戦で、其の兵力も略ぼ推判せらるゝのであるが、遺憾ながら文献がない所謂逸名の戦跡である。而して彼我の中間地区の矢落部落よりは、過去の時代數太刀を堀り出し或は鏃を堀り出したことがある。この戰跡は戰國時代のものではなくて、或は吉野朝。或は鎌倉時代のものであるかも知れぬが、みだりに想像することは出來ない。暫くこれを措いて、前項金峰社の祭神が古來傅説として記録しある處によると、往昔大和國吉野金峰神社の分霊を勧請し、安閑天皇を奉祀したるものとしてあるが、編者の探査した処によると吉野金峰社より勘請した交献はなく、大和に安閑天皇を奉祀してある神社等一切なく、而して吉良ノ岡の社を古くは藏王権現、藏王宮と称して僧籍の者之れを奉祀してゐたところからみると、修驗者大峰山入山の歸途吉野藏王権現を勸請して何等かの由緒で祭神を安閑天皇としたのではあるまいか。安閑天皇を祭神とするが如きは、近代人の思ひもよらぬと想像さへ及ばぬ處で余程古き時代の修驗者の持ち帰へりたる土産物と貝倣さねばならぬのである(愛媛縣には同祭神の同神社が三ケ処ある)開拓当時聚落の信仰者より部落の守護紳として勸請可然ものであろう。斯く詮して來ると産土神の位置、祭神、街道の状況。無名の戰跡などよりして、部落の開拓は余程の古き時代にあつたものと想像しても過言ではあるまい。」(内海村史 上巻)
鳥の首城【内海村】
※上で記した「鳥ノ巣城」と同じものを指すのだろうか?内海村史には「鳥の首城跡」という記載が見える。柏に存在したものだから、鳥ノ巣城跡のことを指すものに違いなかろう。→See.内海村史 上巻
「現柏坂の東方、現在ある坂元達雄邸の東側地区より、鳥の首城跡の東側谷地を柏坂頂上に通する山径は、旧街道であつて其の旧街道の今一つ東側谷地に旧々街道があると傳へられて居る。現在では殆んど兎狸の通路で一種の樵径に過ぎないこの旧街道なり、旧々街道共に吉艮ノ岡附近で柏川をわたり柏部落に通じて居る。その吉良ノ岡は産土神金峰神社の所在地であつて、聚落開拓当時、神明奉祀の適切なる聖地であつたであろう。如何とならば現柏坂を縣道としての柏の産土神を、現在建立するとしたならば部落民は必す吉良ノ岡は選定せぬであろう。部落民の奉賽に便なる柏川下流適當地を必ず相するであろうことは、誰人が見ても燎然たるところである。」(内海村史 上巻)
遺跡
鼎の松の遺跡
「柏坂を登降する現道路は、旧縣道であつて其の頂上にあつたといふ鼎の松の遺跡などから考へると、現柏坂道は徳川時代をはるかにさかのぼる時代の開設であることは、丈献が之れを証して居る。」(内海村史 上巻)
浦和家魚類製造家屋【内海村】
古墳
跡地
寺
網代三玄院【内海村綱代】→愛南町綱代320
海栄寺【内海村須ノ川】
1998/10/10
・山号:立石山
・荒れている。生活の臭いがプンプンしており、家庭用品の廃材が散乱している。(1998/10/10)
正覚寺【内海村中浦】
・山号:西海山
・もとは間前寺と称した。(→See.内海村史)
泉法寺【内海村家串】→愛南町家串947
法性寺【内海村柏】→愛南町柏1872
神社
岩神社【内海村柏崎】
・柏崎の産土神
・祭神:大己貴命、大国主命、須勢理姫命、和田積神、山家清兵衛公頼
・享和3年(1803)8月12日、鰹船が鯨の背比べに遭い転覆寸前になった。よって「8月12日には出漁せん」と氏神(岩神社)に幟を奉納し、航海安全を祈願した。
・幟には「岩大明神 寄進 施主 柏崎浦 久之丞船 釣子人中 享和三歳亥十一月吉日」と染め抜いている。
岩神社巨木群(ウバメガシ叢林) ・ |
金峯神社【内海村柏】
・金峰神社とも記す。
・吉良ノ岡に所在する。
「金峰神社は、柏部落の産土神である。産土神は部落より遠隔の地にはおかれない。聚落の信仰の目標として通常聚落内又は聚落に近き神聖の地を相して奉祀せらるゝものである。」(内海村史 上巻)
お田植まつり
・5月15日 |
秋祭り
・11月3日 |
新御霊神社(しんごりょうじんじゃ)【内海村魚神山(ながみやま)】
・祭神:橘逸勢(たちばなのはやなり)、明智光秀
・ここでは光秀の出る太閤記十段目の芝居はしないこととなっている。
境内社:龍王様
・野村町大野が原の龍王神社の末社。 |
秋祭り
・11月3日 |
拝高神社【内海村柏】
「今一つ面白きことは、柏脇田に拜高神社(現大井田医師邸内)と、ギシン畑(一名義臣畑)があつたことである。拜高様は誰人を奉祀したかは分明せぬが、北宇和郡清満村山財地方には、後醍醐天皇崩御後、皇子懐艮親王九州御下向の途次此地に御駕を駐めさせられ、それより土佐の幡多に移られ、それから一氣に薩摩に着岸せられた模様で、懐良親王御駐駕を聯想せしめる傳説が傳承せられてゐる。こゝに上甲振洋の後醍醐帝木主記を載せてみよう。
我予州宇和郡山財邨報恩寺祀後醍醐帝木王相傳帝之皇孫某所奉持而傳于此地。晦巖禪師甞聞而異之、碑榻其写並得口碑記属予曰、願子有所勤、晏篤後醍醐天皇尊位九字書法雅健一見便知非凡筆矣、而其記以謂天授元中之際、建武帝皇孫某與十六人避乱南渡率居御内邦之渡辺綱末裔日源由者。皇孫依焉由厚侍之、昔足利氏大索南朝將士、皇孫計不一免、轉託所奉木主于山財川原禪院、遂抵岩松村龍口自投淵而薨、從臣殉之、民不勝哀慕乃健祠祀之号曰拜高大明神取拜尊之義也、又雕從臣像日生土神名其所居日御内、木主所在曰号王川原、其巡行号三道、二主今作大、大王國通也。其処隠日無音、願賊之莫覚也、甞游槇川憩山頂列石十六、跼其上、今日二十六憩場(下略)
以上は傳説を材料として記したものであるから史實とみることは出來ないが、足利方の探索が嚴しい爲その眼をくらます御策略から御投身あそばされた如く装つたもので、親王幡多の移行の途衣、至る虞で拜高神を設け或は侍臣が自殺した如くカバーした其の事柄を地方民が王方に同情し、其の擬装を傳へたのが今日まで傳ってゐるのではあるまいか。幾分たりとも其の臭氣があるものとすれば、柏部落は吉野朝時代には既に存在したものともみられ得る。ギシ畑は義臣畑、或は侍臣畑かも知れぬのである。」(内海村史 上巻)
白王神社【内海村平碆】
秋祭り
・11月3日 |
白王祭
・江戸時代にこの地域で流行した疫病を治めるために始められたという奉納相撲が、旧暦8月15日に神社境内で行われる。 |
若宮神社【内海村家串】
秋祭り
・11月3日 |
由良大権現【内海村】
拝高神社【内海村】
※内海村史には「大井田石邸内にある」と記されている。
→See.「後醍醐帝木主記」(上甲振洋)
お堂
塚
地蔵
西の谷の桃地蔵【内海村家串】
・年6回、子安・子授けの祭りをする。
祠
山
金剛山【内海村柏/御荘町菊川】
観音嶽【内海村泊】
・標高782m
鉱山
川・渓谷
柏崎清水の井戸
滝
ダム
橋
風景
昭和天皇御展望の地【内海村】
内海展望所【内海村脇田】
・室手海岸沿いを走り、町境を越えるとすぐ。
船越運河【内海村】
・由良半島のほぼ中央部に位置する運河。昭和41年12月に開通した。
由良半島【内海村】
・豊後水道に長く突き出た半島で、男性的な渦潮と荒波の中に、大猿、小猿の島々が映え、そそり立つ断崖の至る所に、海水侵食の洞、怪礁が見られる。
・旧海軍兵舎跡、要塞跡も一見の価値がある。
由良岬 |
由良岬灯台 |
海蝕洞 |
日本海軍要塞跡 |
由良砲台跡 |
浦和家魚類製造家屋(浦和の棟札) |
網代の防風石垣【内海村】
家串田ノ浦石垣擁壁【内海村】
洞窟・鍾乳洞
樹木
岩神社巨木群(ウバメガシ叢林)
花
道
柏坂へんろ道(四国のみち)
・弘法大師縁の柳水や、野口雨情が詠んだ詩が残されている。
「松の並木のあの柏坂 幾度涙で越したやら」
・柏坂からは由良半島が一望できる。
柳水大師
・昔、柏本街道のこの地に、四国遍路の弘法大師が立ち寄られ、往還の旅人の喉の渇きを癒すため柳の杖を地面に突き立てたところ、甘露の水が湧き出たので柳水と呼ぶようになったという。
・幼児ほどの大きさの石像が鎮座している。 |
清水大師
・ある年の夏、一人の娘巡礼が喉の渇きに意識を失って倒れているところへ弘法大師が現れ、娘を揺り起こして傍らにあるシキミの木の根元を掘るようにと告げた。娘が掘り起こしてみると真清水が湧き出し、その水を飲むと持病の労咳がすっかり治ったという話が残る。
・昭和15年頃までは、毎年旧暦7月30日になると、近郷の力士による奉納相撲が行われていた。 |
接待松
・ある日、病気で足の不自由な人が箱車に乗りこの地に差し掛かったとき、俄かにつむじ風が吹き荒れ、思わず箱車から逃げ出そうとしたはずみで長年の足の病が治ったという話が残る。
・また、地元の人達がこの場所で遍路に茶菓子の接待をしていたと伝えられる。
・この場所にあった大松は昭和30年頃に伐採され、今では朽ちた株を残すだけとなっている。 |
つわな奥展望台
・「つわな」とは「つわぶき」を意味する。
・展望台からは由良半島、そして更にその遥か向こうには大分県佐賀関の精練所のエントツが見える。
・ここには大蛇が住むという伝説が残る。 |
茶堂大師
・弘法大師木像が安置されている祠がある。
・21日の縁日には部落の人、遠来の人の焚く線香が絶えない。 |
小祝 |
筆掛けの松
・狩野芳元がこの地の絶景に心を奪われて絵を描いたという。 |
家平トンネル
内海ふれあいトンネル
峠
柏坂峠【内海村】
その昔、柏坂道は御荘−宇和島を結ぶ生活道路でもあり、四国八十八ヶ所巡拝道でも
あった。
道しるべ |
柳水大師堂
昔、弘法大師がこの地を訪れた際、この柳の根元を杖で打ち、水の枯れない泉を掘って旅人や柏の田をうるおしたと伝えれている。 |
碑
公園
須ノ川公園【内海村須ノ川】
1998/10/10
グリーンパークすのかわオートキャンプ場
・1997年7月1日にオープンした。
・電話番号:0895-85-1000
・温水シャワー、水洗トイレ、AC電源を完備。10区画有り。
・1サイト1泊3500円、電源使用料500円 ・ |
須ノ川海岸
・日本の渚百選に選ばれている。 |
ウバメガシ群生林 |
お観音様 |
祭り
イベント
浦安の舞(みこさん)【内海村柏】
・世の中の平和を祈願して踊られる。
・柏の中学2年生の女子が、化粧をし、巫女の衣装を着て、扇子と鈴を手に持ち、スローテンポの音楽に合わせて踊る。
[6月]金峰神社
[11月3日]金峰神社→各戸巡回→[11月4日 4:00]浜
お田植まつり【内海村柏】
・5月
・豊作祈願、豊かな地域づくり、子育て祈願のために平成に入ってから始められた。
・小学校高学年の女子が、金峰神社近くの神田で、紺色の絣の着物に赤い襷(たすき)・腰巻き、手に手甲をつけた早乙女姿になり、「越天楽」の流れる中で注連縄が張られた神田に苗を植えていく。
荒獅子【内海村家串】
・県下屈指の獅子舞が演じられる。
漁止祭【内海村柏崎】
・旧暦8月22日に柏崎で行われる。
・昔、鰹船が鯨の大群とで出逢ったが、「毎年この日だけは漁はしない」と氏神に祈ったところ助かったことから、漁休みの祭りが始まったという。
白王祭(白王様)【内海村平碆】
・旧暦8月15日
→c.f.白王神社
施設
DE・あ・い・21【内海村】
1998/10/10
・〒798-37 南宇和郡内海村柏390番地
・開館時間:[4〜9月]09:00〜18:00 [10〜3月]09:00〜19:00
・休館日:毎週火曜日、年末年始
・平成6年6月オープン
学校
温泉
伝説
お観音様【津島町須ノ川】
むかし、平碆(ひらばえ)の漁師が須之川の海で魚を捕っていると、網に小さな地蔵がかかった。平碆に持って帰ろうとするがびくともしない。そこで須之川の海岸のほうへ引き上げて見ると軽々と動いた。
そこで須之川に地蔵を「お観音様」として祀ったという。
シクサマ(シュクサマ)【内海村平碆(ひらばえ)】
この社殿の前を、白いものを着たり持ったりして歩くと、祟りにあり気がふれたり、火事に見舞われると恐れられる。これは平家の落人の怨霊だといわれる。(源氏の旗は白いため)
キャンプ
海水浴
人物
その他
義臣畑(ぎしんばたけ)
《References》
・
ご意見・ご感想は
まで