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伊予の隅々
こたろう博物学研究所
市町村別情報庫
愛南町
(旧・西海町)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要


キャッチフレーズ
(1).「海・ふれ愛・ホットにしうみ21」
(2).「クリスタルランドにしうみ」


町の花 町の木 町の花木 町の鳥

特産物
土産:タルト
特産品:スルメ、いわしの丸干し、ハマチ、鯛
郷土玩具:河豚提灯

沿革
平成16年(2004)10月1日、愛媛県南宇和郡内海村・御荘町・城辺町・一本松町・西海町が合併して愛南町を発足した。

地名
町名の由来:藩政時代には外海村と呼ばれた。その後、西外海村となり、これが西海町となった。
 
大字
越田→愛南町越田
弓立→愛南町弓立
小浦→愛南町小浦
樫月→愛南町樫月
船越→愛南町船越
久家→愛南町久家
下久家→愛南町下久家
樽見→愛南町樽見
大成川→愛南町大成川
小成川→愛南町小成川
福浦→愛南町福浦
麦ヶ浦→愛南町麦ヶ浦
武者泊→愛南町武者泊
外泊→愛南町外泊
中泊→愛南町中泊
内泊→愛南町内泊
→愛南町高茂
→愛南町鹿島
→愛南町横島
→愛南町小地島
●地名考証
越田:久良から超えて田を造ったことに由来するものと考えられる。
弓立:小浦に沢山の五輪塔を残した人々が、弓を持つ番兵を立てて見張ったことに拠る。

文化財
「ニッポンカワウソ」の生息地
・国指定特別天然記念物

鹿島

足摺宇和海国立公園
・県指定名勝
我が国で最初に指定された海中公園(昭和46年)。
・まるで海のお花畑のように色とりどりの珊瑚や熱帯魚が水中展望船から展望できる。
・鹿島はビロー樹やハマユウなどの亜熱帯植物が群生し、自然の楽園となっている。
・その昔、宇和島藩主伊達家の狩猟地であったため、動物、植物がよく保存され、自然公園としての豊かな自然を備えている。
・島の周囲には、男性的な海食洞や雄大な断崖が黒潮に洗われている。
・旧宇和島藩主の伊達宗徳・宗陳は、度々鹿島で鹿狩りを行ったという。
 
西海水中展望船「ガイヤナ」
国民宿舎「西海荘」
鹿島展望台
西海海中公園
・グラスボートでガラス越しに眺める珊瑚礁・熱帯魚はまさに南国気分にさせてくれる。
鹿島のうど(鹿島の穴)
・「うど」とは海蝕洞を指す。
・鹿島最南端にある大洞穴で、高さ35m、巾30m、奥行120mに及ぶ。
・数隻の船が入ることが出来る海食洞。
鹿島海水浴場
日本の水浴場55選に認定されている。
コーラルビーチ
青桐キャンプ場
イワタイゲキ
・岩場に群生して晩春に花を咲かせる。黄色く見えるのは花ではなく葉。
ヒメボタル
・5月下旬、ヒメボタルが観察できる。



城址


遺跡


古墳


跡地
西浦中学校跡【西海町内泊】
1998/10/10
 
建学の趾
「校歌 碧水作
権現山の夕星に 豊後水道の漁火に
理想と夢を育みつつ 希望あふるる西浦中
為閉校記念 PTA建之 PTA会長同窓会代表 吉田俊広」 

「ここ女呂の岬で颯々の松籟と共に若人の夢を育みし白亜の学び舎も統合によりその輝かしき歴史と伝統の幕を閉ずることになった。西浦中学校の校名は久遠の彼方に消ゆるとも三十六年の星霜を数えて遠ざかる思い出の何と美しく高貴であることか。千四百六十一名の卆業生の栄光と軌跡をとどめるため、同窓生相集いここに校跡記念碑を建立し往時をしのぶよすがとす
   昭和五十八年三月 撰文 11代校長 広瀬享」



西林寺【西海町内泊】
 
親鸞上人の親筆

正道寺【西海町船越】→愛南町船越845

清岳院【西海町中泊】→愛南町中泊21

大林寺【西海町福浦】→愛南町福浦1294
・宗派:曹洞宗


神社
住吉神社【西海町弓立】

西宮神社【西海町中泊】
・元禄9年(1670)9月、中泊地区の開祖といわれる淡路の人・喜兵衛が、淡路国福良の西宮神社より勧請した。

八坂神社【西海町小成川】

若宮神社【西海町福浦】

若宮神社【西海町樽見】

若宮神社【西海町久家】

若宮神社【西海町小浦】

若宮神社【西海町弓立】

若宮神社【西海町内泊】
1998/10/10
若宮神社【西海町船越】→愛南町船越1193-2

若宮神社【西海町越田】
・以前は「岡山神社」であったという。

若宮天満神社【西海町外泊】
1998/10/10
 
「旧神社境内地」の碑


お堂


平家塚【西海町福浦】
「寿永の昔(1158)、源平の戦にやぶれた平家落人が大挙して福浦の地に逃げこみ、ひたかくれに生活をつづけた。名ある者が死亡した際、その所持品の刀剣類を同時に埋葬したものであると伝えられ、赤い旗を立てた盛り塚が点在している」(愛媛の観光)

地蔵
松の木道祖神【西海町内泊】
1998/10/10
・昭和56年8月建立。
・「かって此処から岬寄りに松の大樹あり 「船越ばなの松」と愛称し、約300年の樹齢を刻む。昭和54年秋、松喰虫被害に倒る 吾等この浦に育ちしもの皆朝な夕な春夏秋冬を通じ眺め愛しそれぞれの心の中に感慨をいだきしものなり今はなき斯の松に愛惜の念や止み難く懐古の縁にと道祖神を建つ
      昭和56年夏日 岬の松を懐かしむ同志建立」




権現山【西海町】
・標高490.8m
遊子ヶ森
・標高230m
遊子ヶ森展望台(桜公園)

鉱山

川・渓谷



ダム



風景
石垣の里【西海町外泊】
1998/10/9
・第3回「美しい日本のむら景観コンテスト」農林水産大臣賞受賞
・外泊の集落はどの家も城壁を想像させるようなカッチリとした石垣で囲まれている。冬の強い季節風から家を守るための生活の知恵であるが、独特の不思議なムードが漂い、旅人の心を魅了する。猟師町の昔乍らの風情が色濃く残っている。
・石垣には海に面した方向に「海賊窓(かいぞくまど)」と呼ばれる窓が設けられ、ここから船の出入りの様子を眺めていた。

小地島【西海町】
ビロー樹の原始林

高茂岬(こうもみさき)【西海町】
・80m〜100mを超える切り立った断崖。
・秋には野地菊とススキの群生楽しめる。
・この岬は、鷹の渡りの拠点となっており、毎年秋には青空の中を滑空する鷹の姿を見ることができる。
 
高茂岬展望園地
高茂岬灯台
ウバメガシ・ツバキの原生林
野路菊
・秋口には野路菊が咲く。


洞窟・鍾乳洞

樹木










公園
宇和海海中公園【西海町 鹿島】

祭り

イベント
十日戎祭り(1/10)
二月(にんがつ)入り(2/1)
お薬師さま(2/8)【西海町福浦】
・子供相撲大会
※パンフレット「にしうみ」には1/8と書いてある。
お節句(4/3)【西海町内各部落】
鹿島島開き(4/29)【西海町鹿島】
牛まつり【西海町久家】(5/28)
・昔、久家部落では牛の協同飼育をしていた。ある年の6月のこと、久家の浜に鮪の大群が押し寄せ、その漁獲のため、部落総出でかかっていた。鮪を獲り終え、気がつくと部落中の牛が餓死していた。それから、この部落に原因不明の疫病が広がり大騒ぎとなった。部落の人々は牛の祟りだと考え小祠を建て、牛の供養のため青草を刻み、米のとぎ汁を加えて、供物としてお供えしたところ、疫病が治まったという。
・以来部落民は、毎年久家の牛まつりとしてこの供養をしている。
天神祭(6/25)【西海町内泊】
・絵や習字を奉納する。
祇園様(7/14)【西海町船越】
盆踊り【西海町内泊】(8/14〜15)
・14日夜は先祖供養の亡者踊り、15日夜は新仏供養の会踊りを踊るしきたりとなっている。
・多数のタオルをぶら下げた笹飾りが特徴的である。従来は、団扇や手拭いをぶらさげていたが、現在はタオルを用いる。歯ブラシなどの日用品を飾る地区もある。
海中公園まつり(8/16)【西海町船越】
・足摺宇和海国立公園に昇格したのを契機に始まったものでパレード、フックフィッシング、花火大会など。
芸能大会、海上花火大会
山の神おどり(8/20)
地蔵おどり(8/23)
秋まつり(11/2〜4)
・神輿、太鼓、八ツ鹿踊り

施設
宇和海博物展示館【西海町外泊】

学校

温泉

伝説
やぶのサラサラ姫【西海町】
・昔、漁師の五郎佐爺さんが漁をしていると、白い着物を着た二人の女が竹筏に縛られて流されてきた。爺さんは二人を家に連れて帰り介抱した。
・二人は豊後の地主の姫と召し使いで、人柱として流されてきたといった。
・それからというものの、五郎佐爺さんの竹薮から清水が湧き出るようになり、今まで飲み水に困っていた村人は「藪のサラサラ姫の救いの水」といって有り難がった。
いらずの森と角庵さま【西海町小浦】
 
入らずの森(小浦さま)
・村人は平家落人が作った谷だと信じている。
・今は寺屋敷と呼ばれ、墓地になっている。
小浦という小さな谷には数十基(50基強)の五輪の墓がある。人々は平家一門関係者の墓であるという。この50数基という数は、その文化と経済力が大きかったことを意味する。 
角庵さま
角庵さまは、風化の激しい巨大な五輪の墓であり、毎年旧暦7月24日の夜には、角庵踊りを部落民が奉納している。
・ある年、大雨のため踊りを中止したところ、夜中に蓑、笠をつけた異様な姿の人々大勢が輪になって無言のうちに踊り続けていた。驚いた村人は以来どんな悪天候のときでも角庵踊りを行うという。

お薬師さま【西海町福浦】
滝の下の地蔵さま【西海町内泊】


キャンプ

海水浴

人物
脇野清左衝門

その他
小笠原屋敷【西海町弓立】
・元和元年(1615)、山家公頼暗殺事件に関連し、宇和島藩を出た小笠原常彦が土着したという。
・伝承では、和霊の祟りにより子供を授かることなく一族は途絶えたという。
 
小弓立
弓立
小笠原屋敷 
おうめの墓【西海町弓立】
・「おうめ」は、通称「おらく」といい、弓立に最初に居住した人という。
・「おらく碆」という岩礁が今も残っている。


《References》
「宇和海・海中公園 にしうみ」(観光パンフレット)


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