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伊予の隅々
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市町村別情報庫
鬼北町
(旧・日吉村)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要


キャッチフレーズ
(1).「しまんとロマン・日吉」
(2).「しいたけとゆずの香りの日吉村」

村の花 村の木 村の花木 村の鳥
サツキ ヒノキ


特産物

沿革
 
日吉村へ 明治22年市政町村制施行 藩政時代
日吉村 日吉村 父野川
上鍵山
下鍵山
日向谷
上大野


地名
村名の由来:山王社の祭神が「日吉権現」であり、これが村名となった。
大字
上鍵山 上本村、下本村、長谷、相林、高皿、黒川
下鍵山 陽の地、出口、
上大野
父野川上
父野川中
父野川下
日向谷


文化財

済世救民武左衛門翁及同志者碑【日吉村下鍵山】
・村指定有形文化財

花とび踊り【日吉村節安 節安薬師堂】
・村指定無形文化財

武左衛門大いちょう【日吉村上大野】
・村指定天然記念物

紙漉き新之丞生誕の地【日吉村日向谷】
「この日向谷は、土佐和紙の祖と仰がれる新之丞の出身地です。四国行脚の途中土佐で病に倒れた新之丞は、長宗我部元親の妹養甫尼と甥の安芸三郎左衛門家友に助けられた。云々。時に一五九六年旧暦三月五日
 七色紙の秘法が外に出るのを恐れそれを守るためとはいえ、まことに哀れな最後であった。坂の峠にはその菩提を弔うために一八一五年に石仏がまた一九一六年には「抄紙法の恩人新之丞君碑」が建てられ懇ろに祀られている。
一九九六年一月(平成八年一月)新之丞翁四百年供養のため建立」(説明書き看板)

「碑文
伝説云 新之丞ハ伊予国宇和郡日向谷人 慶長初年頃成山ニ来リ抄紙法(しょうしほう)ヲ伝フ
後帰国ノ途次安芸三郎左衛門 之ヲ坂峠(*1)ニ要シ斬殺スト 蓋(けだ)シ抄紙法ノ秘法ヲ保チ村民ノ利益ヲ保護セムトスル戦国時代ノ風習ニテ然リ 其後土佐ノ製紙業ガ長足(ちょうそく)ノ進歩ヲ見ルニ至リシハ君ノ尽力与(にあずかっ)テ力アリ 社会ノ同情君ノ一身ニ集リ春秋香華(こうげ)永(とこしえ)ニ絶エズ 追憶ノ至誠(しせい)凝(こり)テ記念碑ト化シ 君ノ功績ヲ不朽ニ伝フ
大正五年九月   萱中雄幸 撰」(「新之丞君之碑」碑文、高知県伊野町 成山和紙の里公園)
(*1)坂峠=仏ヶ峠。
→See.「予土の峠をゆく(改訂版)」、妻鳥和教、平成16年4月



城址
萩森城址(はぎもりじょうし)【日吉村上鍵山 黒川】
萩ノ森城とも記す。
・何時の頃に築城されたのかは不明であるが、戦国時代末期には宇都宮広公が城主であったという。一説によれば、芝一角に近い人物の城であったとも言われる。
・黒川側と上本村側との二箇所に城址が発見されている。
→See.「都道府県別 日本の中世城館調査報告書集成 第19巻 四国地方の中世城館 愛媛・高知」、東洋書



遺跡


古墳


跡地
長谷五輪塔【日吉村上鍵山 長谷(ながたに)】
・長谷を切り開いた人物の墓とも言われる。

高皿五輪塔【日吉村上鍵山 高皿(たかざら)】


医王寺(いおうじ)【日吉村上鍵山305(上本村)】
・1678年に上鍵山黒川にあった宝蔵寺(ほうぞうじ)を沖台に移し、医王寺と名付けられた。
・明治10年には日吉小学校としても使用された。

宗楽寺【日吉村父野川下1332】


神社
木幡神社【日吉村】

熊野神社【日吉村】
1998/10/10

節安神社【日吉村父野川】

日吉神社【日吉村下鍵山】

日吉神社【日吉村上鍵山】

三島神社【日吉村父野川】

山の神神社【日吉村父野川 奥藤川】

行宮神社(ゆきみやじんじゃ)【日吉村上鍵山黒川】

綿津見神社【日吉村日向谷】
・前身は龍王祠。鎌倉時代に鎮座した。


お堂



地蔵
伊予地蔵、土佐地蔵【日吉村父野川上】
→c.f.地蔵山





地蔵山【日吉村/高知県大正町/十和村】
・海抜1096.5m(1128.0m?)
・土佐の地蔵と伊予の地蔵が其々の県を向いて祀られる縁日が4月中旬に行われる。(旧暦4月24日)
・土佐の地蔵と伊予の地蔵が、昔太平洋から来た津波を食い止めたことに由来するという。

御在所山(ございしょやま)【日吉村上鍵山/城川町/広見町】
・標高907.9m
・昔、源平合戦の落人がこの山に落ち延びて来て、城川・上鍵山・三島(広見)の三方へ、それぞれ馬・鹿・牛に乗って分かれて行ったとの伝説がある。
・この山には竜天寺という寺があったらしく、瓦が出土することがあるらしい。この寺は、後に城川町魚成の龍澤寺になったという。
・マンガン、石灰岩などの鉱物が豊かで、以前は鉱山が設けられていた。
・途中には神社跡とみられる入らずの森がある。

上鍵山【日吉村上鍵山】
・標高555.3m

下鍵山【日吉村下鍵山】
・標高519.8m

高研山【日吉村/高知県梼原町】
・標高1055.3m

霧立山【日吉村/高知県檮原町/大正町】
・標高1096.3m

長山【日吉村父野川中】
・標高939.7m


鉱山

川・渓谷
広見川

父野川

日向谷川

上鍵山川

節安ふれあいの森【日吉村父野川】
 
節安渓谷
・えひめ自然100選
百間滝
節安神社
薬師堂(薬師様)・子安地蔵
花とび踊り
山岳レクレーション基地
ログハウス
・1棟1泊 7,000円(5〜8人) ★2000年頃の料金です。現時点では変更されているかも知れません。
観光リンゴ園
アメノウオ・マスつかみどり会場
体験学習施設
・宿泊料金:大人2,000円、子供1,000円 ★2000年頃の料金です。現時点では変更されているかも知れません。



御前の滝【日吉村上鍵山】
・戦国時代のことである。平家の落人の奥方らしき一人の目の不自由な女が主人を訪ねてこの地を訪れた。杖を頼りに歩いていたが、滝の上を通ろうとして、誤って下に落ち亡くなってしまった。
・その後、主人か身内の者かわからないが、女を訪ねてきた人がいたが、亡くなったことを告げると滝の上に宮を造って祀ったという。
・それからこの滝のことを御前の滝と呼ぶようになった。


ダム



風景

洞窟・鍾乳洞

樹木
武座衛門大いちょう【日吉村上大野】
1998/10/10
・村指定天然記念物
・樹周り6m、樹高35m、樹齢約460年
・ここ瑞林寺跡の大公孫樹は、吉田騒動といわれる百姓一揆の頭領、上大野の武左衛門を埋葬したという寺に聳え立つ近在にない雄株の大樹である。
武左衛門は、寛政7年(1795)に吉田藩の役人に捕らえられ、今の広見町清水の筒井坂の峠で首を打たれた。
・200年の昔、一死を以って領民を救った武左衛門を偲ぶこの大公孫樹を、村人達はいつのころからか「武左衛門いちょう」と呼んでいる。









萩森城主の碑(はぎもりじょうしゅのひ)【日吉村上鍵山】


公園
明星ヶ丘文化の里【日吉村下鍵山427】
1998/10/10
 
大日吉神社
武左衛門広場
歴史民俗資料館
武座衛門一揆記念館
大野作太郎地質館
茅葺の民家(明星草庵)
・大正時代の茅葺き民家を復元したもの。
・上鍵山の高皿にあった酒井家の建物を移築したものである。
・土間には民具が展示されている。
・庭には水琴窟が据えられており、耳をすませば心地よい音が聞こえる。
武左衛門堂
・堂内には、武左衛門と23名の同志と共に、安藤継明公の名前を刻んだ武左衛門像を正面に据え、黄金の釣り鐘「しあわせの鐘」を配置している。
六地蔵堂
井谷正命氏の生家(井谷家)

勝山公園【日吉村】
 
勝山城跡


祭り

イベント
花とび踊り【日吉村節安 節安薬師堂】
・村指定民俗文化財
・平家の落人が安産祈願の為、節安の薬師様に奉納したと伝えられる。節安花とび保存会に依れば、戦国時代、高貴な身分の落人が難産で苦しんでいるのを救うため、節安地区の農民らが踊りで安産を祈願したのが始まりとされる。
・旧暦1月16日、節安で開催される。
・節安地区は、昭和37年、38年の豪雪・豪雨で壊滅的被害を受け、殆どの住民が下鍵山等に移転したため、踊りも途絶えていたが、昭和53年に節安花とび踊り保存会が復活させた。
・鉦、太鼓が響く中、法被、襷、草鞋に身を包んだ児童が「庭払い」「えつけ」の舞を披露する。

渓流つり大会
・3月最終日曜日もしくは4月第一日曜日に広見川で行われる。

さつき祭り
・5月に開催される。

清流まつり
・7月最終日曜日に、四万十川源流・節安川で開催される。大量に放流されたアメノウオのつかみ取りなどが行われる。

ふるさと祭
・8月14日に、百姓一揆の雄・武左衛門の一揆を模した行列が村内を練り歩く。
・納涼盆踊りや花火大会も行われる。

六地堂奉納相撲
・8月24日に日吉神社にて開催される。
※2004年は下鍵山の武左衛門広場で実施。
・100年以上の歴史がある。

秋まつり
・11月第2日曜日に行われる。
・牛鬼、五つ鹿踊り、よいやっさ、相撲甚句が行われる。


施設
日吉夢産地【日吉村下鍵山54】
1998/10/10
・道の駅
・電話番号:0895-44-2340、fax:0895-44-2341
 
陣屋入口
・日吉村の文化財を展示する。
日吉しいたけまつり
・しいたけ炭焼き試食コーナー
・しいたけ栽培体験コーナー
・ししなべコーナー

歴史民俗資料館【日吉村下鍵山427】
1998/10/10
・1階は日吉村ガイダンスエリアで、村の特産品をはじめ、祭り・伝統工芸・四季・交流マップなど村の様子を紹介する。
・2階は歴史・民俗エリアで、村の伝統産業・民具などを紹介する。

武左衛門一揆記念館【日吉村下鍵山427】
1998/10/10
・電話番号:0895-44-2666
・開館時間:09:00〜17:00
・休館日:火曜日(祝日と重なった場合は、順次繰り下げ)
・入館料:大人(高校生以上)200円、中学生以下無料。

大野作太郎地質館【日吉村下鍵山427】
1998/10/10
・電話番号:0895-44-2666
・開館時間:09:00〜17:00
・休館日:火曜日(祝日と重なった場合は、順次繰り下げ)
・入館料:大人(高校生以上)200円、中学生以下無料。
・地質学者・大野作太郎が発見した化石や、作太郎の遺品・地質資料などが展示されている。


学校

温泉

伝説
女ざむらい【日吉村日向谷 中の川】
 昔、日向谷は、高知城に続く道であった。
 江戸時代の頃、中屋敷の木の茂みで、高知城へ行く途中の女ざむらいが殺された。そこには墓が残っている。墓碑には「享保十年、花紅女蓮禅炭八三月吉」と彫られている。
 そこの木の下を通った人は「ほろせ」が出来た。そこで「お山さん」と呼ばれる人に拝んでもらうと、そこに女ざむらいの墓があることがわかり、以来毎年祝うことになったのだが、そうすると「ほろせ」ができる人はいなくなった。
(「日吉村の民俗」、三好豊、伊予の民俗 第26号、伊予民俗の会、1978/5/5)

大蛇の伝説【日吉村日向谷 中の川】
 日向谷から奥に入ったところに「おそごえ」という所があり、そこには大蛇が棲んでいた。
 むかし、ある人が木を伐りにそこへ行くと、大蛇が出て来たので慌てて逃げた。
 また、日向谷の信心深い人が「おそごえ様」を祀り、おそごえの滝で修行をしていたが、修行を終えてお堂へと帰り着いた途端、心臓マヒで亡くなった。(大蛇のタタリ?)
(日吉村の民俗)

おまん姫【日吉村日向谷 中の川】
 むかし、戦(いくさ)に敗けた殿様の娘が、日吉の高研山(たかとぎやま)へと逃散した。
 ある日、蚊帳をつって寝ていたら、遠眼鏡を携えた追手の侍がその蚊帳を発見した。追手はどんどんと近付いてくる。それを察知した姫もどんどん逃げた。
 現在のトンネルの近くに茶店があり、姫は金を渡して「私がここを通ったことを決して言わぬように」と口止めした。
 間もなく追手の侍もこの茶店へとやって来た。「若い娘がここを通らなかったか」と茶店の主人に尋ねると、主人は口では言わなかったが、姫の逃げた方向を指差して教えた。
 とうとう、姫は捕まり、侍に殺されてしまった。
(日吉村の民俗)

おまんの墓【日吉村境】
 むかし、源平の合戦に負けた平家の娘におまん姫というとても美しい姫がいた。姫は源氏の追手を逃れ、四国に落ちのびた。そして西へと逃げ、日吉村の高研山(たかとぎやま)までやってきた。
 姫は疲れた足を休めようと道端の石に腰掛けた。側に流れる川の水面に木屑が流れているのを見て、上流に人が住んでいるに違いないと川上へと上っていった。
 すると、途中で木こりに出会う。姫は木こりに金を渡して「私が通った事をくれぐれも人に言わぬよう」と頼み、更に上流への上っていった。
 だが、追手の源氏がやってきて木こりに金を握らせると、木こりは姫の逃げていった方向を教えてしまった。
 追手の武士は姫が寝泊まりしていた茅葺きの家にのりこみ、首を討ち取ってしまった。
 姫の死を哀れんで、村人は姫が腰掛けた石を墓石として、高研山の中腹に祀った。

谷の御前【日吉村日向谷 高研山】
 昔(源平の頃)、谷の御前といわれる平家の落人が、敵の源氏に追われて日吉の高研山へと逃げてきた。それを追手に悟られ、今度は三島の高研山へと逃げた。
 逃げる途中、着物が雨で濡れたので脱いで木にかけて干していたところ、それを見つけられてしまい、姫はとうとう追手に捕まり首をはねられてしまった。
 御前の殺された場所は三島の高研山のつづら川で、御前を祀る祠があるという。
(日吉村の民俗)

雨地蔵【日吉村日向谷 中田】

(日吉村の民俗)

竜神様【日吉村日向谷 下中合】

(日吉村の昔ばなし)

綿津見神社【日吉村日向谷 下中合】

あたご様の相撲大会【日吉村日向谷 中屋敷】

御前の滝【日吉村上鍵山 相林】
 戦国時代の頃、落人の奥方らしい一人の盲目の御前が旦那を尋ねて上鍵山の相林までやってきた。そしてそこから黒川へむけて下った途中、自ら入水したのか事故なのかは定かではないが、五間程の滝へと落ちて亡くなった。
 その後、旦那か身内か一人の侍が御前のことを訪ねてやってきて村の衆から事の次第を聞いた。そして遺品である銀の簪(かんざし)を見て、滝に落ちて亡くなったのが御前であることを確信した。
 そこで侍は、滝の上にお宮を祀った。そのお宮は盲人の神として祀られ、目の悪い人が願を掛け、治ったときには杖を奉納したという。
(日吉村の民俗)

萩の森城主の墓【日吉村上鍵山 黒川】

(日吉村の民俗)

ながせ岩【日吉村上鍵山 長谷】
・この岩からは蛇の姿が見えるそうであり、その姿によりその年の天候や豊作・凶作を占ったという。
・ながせ(梅雨)の始まりには蛇の頭が見え、中頃には胴が見え、そして終わり頃には尻尾が見えたという。

子もけ岩【日吉村上鍵山】
・昔、雪の降る日に夫婦連れの遍路がこの地にやってきた。女遍路は妊婦であり、急にこの岩のところで産気付き、女の子を産んだという。それからこの岩のことを子もけ岩と呼ぶようになった。

入らず山【日吉村上鍵山】

奉納相撲【日吉村下鍵山 甲田】

武左衛門の生い立ち【日吉村上大野 栗の木】
 武左衛門は土居村(現西予市城川町土居)のある家元の子であったが、庶子であったため、松之助という人に預けられた。
 やがて、おしまという女と結婚し、女児二人をもうけた。
(日吉村の民俗)

武左衛門の首【日吉村上大野 植木】
 武左衛門は、一揆の首謀者として処刑され、堀切のところでさらし首にされたが、妻おしまがこっそりと首を取ってきて隠したという。
 今ではどこに隠したか、墓さえも残っていない。
 上大野村の熊田という家で「いもつぼ」を掘ろうとして家の下を掘っていると、大黒柱の所から首無しの死体が出て来た。触れるとすぐにボロボロになったという。その骨は別のところに埋められたというが、所在は不明である。
(日吉村の民俗)

武左衛門の首立て木【日吉村上大野 堀切】
 武左衛門の打ち首にされた首は、堀切にあった大きな梨の木の枝にさらされていた。その梨の木の切り株のころを地元の人は「首立て木」と呼んでいる。
(日吉村の民俗)

熊野神社【日吉村上大野 勝山】

人造(じんぞう)ぶち【日吉村父野川 屋敷】
 富母里に人造淵という淵がある。
 ある夜この淵に人造という人が夜釣りに出掛けた。すると淵の中から河童が出て来て、相撲をとろうと誘った。人造は村一番の相撲の強い人であったが河童もなかなか強い。激戦を繰り広げたものの、結局は河童を負かせた。河童はこのことを他言せぬようにと懇願し、たくさんの魚を人造に手渡した。しかし数日後、人造はこの約束を破り、村人に河童を相撲で負かせたことを言いふらした。
 その後、人造はいつものように淵へと夜釣りに出掛けていった。すると怒った河童が出て来て、淵に引きずりこまれて死んでしまった。
(日吉村の民俗)

城山の大銀杏【日吉村父野川 勝山】
 昔、城山に大きな銀杏の木があった。
 ある夏のこと、落雷により銀杏の枝が途中で折れてしまった。その折れ枝で、大層上等な将棋盤がこしらえられた。
(日吉村の民俗)

犬神様【日吉村父野川 下本村】
 父野川の犬打山のあたりは梅木山と呼ばれていた。そこの谷へ近くに住む一人の男が、毎日のように木挽きに出掛けていた。男は大層利口な犬を飼っており、犬は昼になると男のところへ弁当を届けていた。
 ある日、いつものように弁当行李を首にぶら下げてもらった犬が主人の元へと行く途中、縛り方が悪かったせいか結び目が解けて、弁当行李は落ちてしまった。犬はどうすることもできず、弁当を持たないまま主人のところへと行った。男は犬が弁当を持っていないのを見て立腹し、犬を打ち殺してしまった。
 それから幾日か経って、男は得体の知れない病気に罹った。その近所にもしばしば凶事が起きた。そこで土地の者が犬山の社人さんに祈祷してもらうと「四つ足のさわり」であると告げた。きっとこれは男が殺した犬のタタリに違いないということになり、犬神を祀り、山も犬打山と改めた。
 今でも、犬を殺した所と弁当の落ちていた所に小祠を祀り、3月と9月の年2回、戌の日にお祭りをしている。
(日吉村の民俗)

おおくら様【日吉村父野川 藤川】
藤川橋の袂におおくら様の祠が残っている。
おおくら様というのは役人で、熊田の前に橋を架けようとして、奥藤の「じいが山」に欅を伐りに出掛けた。....(怪力男譚)
(日吉村の民俗)

うまのツノ【日吉村父野川 川口】

(日吉村の民俗)

大きな木の話【日吉村父野川 下本村】

(日吉村の民俗)

黄幡神社【日吉村父野川 下本村】

五十でん【日吉村父野川 犬飼】

(日吉村の民俗)

たぬき岩【日吉村父野川 上本村】

(「日吉村の昔ばなし」、伊予の民俗 第16号、伊予民俗の会、1978/5/5)

伊予地蔵、土佐地蔵【日吉村父野川 富母里】

(日吉村の民俗)

なる天の大木【日吉村父野川 節安】

おやくっ様【日吉村父野川 節安】

おんぶち、めんぶち【日吉村父野川 節安】

たけぶちのエンコ【日吉村】

宗楽寺の馬の角【日吉村】

深田と梁井原【日吉村】

南光院さん【日吉村】


キャンプ

海水浴

人物

その他
四国メーデー発祥の地【日吉村】



《References》
「日吉村の民俗」、三好豊、伊予の民俗 第26号、伊予民俗の会、1978/5/5
・「日吉村の昔ばなし」、伊予の民俗 第16号、伊予民俗の会、1978/5/5


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