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伊予の隅々
こたろう博物学研究所
市町村別情報庫
宇和島市
(旧・吉田町)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要


キャッチフレーズ
(1).「山なみに 海とミカンがにあうまち」
(2).「花とみかんと文化の町」

町の花 町の木 町の花木 町の鳥
ミカン メジロ
イメージキャラクタ:吉田くん、たまこちゃん


特産物

沿革
・北宇和郡吉田町は、宇和島市の北っ側にある人口14,000人弱の町じゃわいね。
・かつては吉田藩3万石の陣屋町じゃった。吉田藩は、明暦3年(1657)、伊達10万石宇和島藩からの分知により誕生したんよ。

地名
町名の由来:はるか昔、この辺り一帯が葭(よし)の群生する湿地帯であったため、葭田と称した。
大字


文化財

上甲家住宅【吉田町東小路】
・国登録有形文化財
・大正初期の建造物

旭醤油醸造場【吉田町東小路】
・国登録有形文化財
・大正初期の建造物

食籠(じきろう)(1合)【吉田町立間尻 大信寺】
・県指定有形文化財[工芸品](昭和40年(1965)4月2日指定)
・高さ23cm、直径13cm、木製筒形で、身三重の上に蓋を重ねている。
・黒漆塗りで、胴部一面と蓋の上部に室町時代末期〜桃山時代に流行した高台寺蒔絵の技法による藤の花が描かれている。
(愛媛の風土と観光、愛媛県商工労働部、愛媛県観光協会、平成五年三月)

薬師如来坐像【吉田町立間 二番耕地 医王寺下】
・町指定有形文化財:彫刻

薬師如来坐像【吉田町与村井】
・町指定有形文化財:彫刻

神像【吉田町法ヶ津】
・町指定有形文化財:彫刻

八十八体仏【吉田町裡町】
・町指定有形文化財:彫刻
・江戸時代後期頃に地方の仏師が四国八十八ヶ所霊場の本尊を模刻し、それを武士や町人が長福寺に寄進した。

陣屋跡【吉田町御殿内】
・町指定史跡
・明暦3年(1657)、吉田藩初代藩主伊達宗純が構えた居館跡。
・万治元年、田を埋め立てて陣屋を造った。

善門寺跡【吉田町寺家】
・町指定史跡
・奈良朝時代建立との説もあるが定説はない。
・永録3年(1560)石城の戦で廃絶した。

藩主の墓所【吉田町寺家】
・町指定史跡
・宇和島藩主・伊達秀宗の供養碑、4名の殉死者の碑、吉田藩初代藩主・伊達宗純、3代藩主・村豊、7代藩主・宗翰(むねもと)及びその夫人の墓碑がある。

石城跡【吉田町竹城下】
・町指定史跡

時観堂跡【吉田町桜町】
・町指定史跡
・寛政6年(1794)に吉田藩が設立した藩校。

御用井戸【吉田町御舟手】
・町指定史跡
・直径約2m、水深約10m。
・藩の御舟手役所にある御船頭高月家役宅にあった井戸。
・藩政当時汐濡れした御船道具の洗い場に充てられたと伝えられる。

西蔵寺跡【吉田町雪森】
・町指定史跡

吉田藩刑場跡【吉田町郷蔵】
・町指定史跡

伊達兵部一族の墓【吉田町寺家】
・町指定史跡
・歌舞伎の狂言「伽羅先代萩」や小説の「樅の木は残った」で有名な仙台伊達騒動の政争に敗れた伊達兵部一族の墓である。
伊達兵部の嫁と三人の子を預かり、この地で生を終わった。

法ヶ津本城跡【吉田町法ヶ津】
・町指定史跡

安藤継明廟所【吉田町御舟手 海蔵寺】
・町指定史跡
・寛政5年(1793)、吉田領内で勃発した百姓一揆(吉田騒動)を切腹を以って解決の方向へ導いた吉田藩家老・安藤継明の廟所である。

僧日述謫居跡【吉田町東小路】
・町指定史跡
・将軍徳川秀忠の怒に触れ、吉田藩預けとなった不受不施派の僧。
・16年間ここに閑居した。

僧日述の墓【吉田町立間尻】
・町指定史跡
日述は延宝9年(1681)9月1日、72歳で病没し、聖人山に葬られた。

犬尾城(いぬびじょう)跡【吉田町立間尻】

お八人さまの墓(八烈士の供養碑)【吉田町大工町】
・町指定史跡
・約300年前、横暴な家老であった山田仲左衛門(宇和島藩初代藩主伊達宗純の寵臣)を暗殺しようと企てて失敗に終わり、切腹の刑に処された8人の下級武士の墓所である。
第二吉田隧道入口の右の林の中の小さな祠堂の中にある。
  氏名    戒名
  長兵衛   長山道水禅定門
  徳兵衛   徳室道元禅定門
  覧右衛門  覧翁道悟禅定門
  四右衛門  四禅道聖禅定門
  五右衛門  五空道禅定門
  三助    三心道界禅定門
  四平    志雲道起禅定門
  久助    久林道昌禅定門
・この戒名は海蔵寺の荊林和尚が付けた。
・墓石には「寛延三年庚午九月二十八日起」と刻まれている。
→c.f.吉田藩の山田騒動

おねり【吉田町吉田】
・町指定無形文化財

七ツ鹿踊り【吉田町立間】
・町指定無形文化財

河内口説(かわちくどき)【吉田町喜佐方】
・町指定無形文化財(昭和60年(1985)指定)
・約250年前から伝わる民俗行事。
・戦後に一度廃れてしまい、約10年間は中断したが、昭和46年に再開。
・毎年8月16日の夕方、吉田町河内の河上大師堂で奉納される。
・盆に行われる行事で、歌舞伎や芝居の名場面を集めて構成される踊り。「忠臣蔵」、「山崎街道」、「曽我兄弟」、「め組喧嘩」、「弁慶の出会い」などが演じられる。新仏を弔うとともに、豊作祈願として奉納されてきた。

「太鼓伴奏 電灯の踊り 宇和島・吉田『河内口説』」、愛媛新聞、2005年8月18日
「優雅な舞『河内口説』 吉田・喜佐方 忠臣蔵の名場面など披露」、愛媛新聞、1999年8月
「取材最前線 盆踊り」、愛媛新聞、日付不詳

龍王鼻流跡【吉田町】
・町指定天然記念物

程野館製糸場
・吉田町最後の製糸工場。昭和33年に閉鎖。



城址

法華津本城跡【吉田町法花津】
(参照→宇和町 法華津城)
・町指定史跡
・法花津の領主清家氏が天文15年に本城とし、7支城を持った。
・西園寺領海防の拠点となった。
・「法華津本城跡 所在 法花津(吉田町指定史跡−昭和49年3月1日)
『歯長寺縁起』に、元弘三年(1333)歯長寺の僧侶など数十人が与村井から乗船して京都に向ったという記事があり、これによっても、現在の玉津(与村井付近)が当時すでに港としての機能をもっていたということを想像することができよう。法華津すなわち法華の港という地名は、歯長寺をはじめとし、当時この地方の大勢を占めていた天台宗寺院が、その根本教義としたところの法華経に由来するものと考えられ、また西園寺氏の被官としてこの地に下った清家氏は、その地名をとって法華津氏を称したものと思われる。法華津氏ははじめ犬尾城を本城としたとも伝えられるが、のち法華津に転じて本城を構築、ついで周辺の要地に六ヶ所の支城(新城・銅蔵城・今城・高森・福之森・吉岡山城)を築いた。応永二十八年(1421)すでに法華津在城との記録(東円坊大般若経奥書)があるところをみると、本城の構築はこれをいくらかさかのぼるものと考えられようか。法華津氏歴代中の雄将清家播磨守範延(せいけはりまのかみのりのぶ)は、土居氏とともに豊後大友氏の来攻を防いで歴戦数十度、常勝を誇ったが、とくに海戦を得意としたその一族の活躍は、伊予水軍史上に輝かしいその名をとどめている。」
(吉田町の文化財)

新城

銅蔵城

今城

高森城

福之森城

吉岡城跡【吉田町喜佐方】

石城(せきじょう)跡【吉田町竹城下】
・町指定史跡
・標高120mのところにある。
土居清宗が1546年に入城した。
・大友軍の侵攻に備え、5回の来襲を撃退した。
(→See.吉田町の文化財)

犬尾(いぬび)城趾【吉田町立間尻】
・町指定史跡
・戦国の士豪・法華津氏の本城であったが、後に法華津城の支城となった。
・大友軍との激戦地となった。
・「犬尾城跡
 犬尾山犬日ともいう)は標高130m、石城より10メートルばかり高い。法華津氏は、はじめこの犬尾山に城塞をおきこれを本城としたと伝えられるが、その年代については不詳である。しかし、1300年代における犬尾城が、立間郷の中心地立間の前門を守る重要な拠点であったことは疑いもなく、ついで宇和西園寺氏の前衛第一線となることも、その地理的な位置、戦略的な地形からして当然であったと思われる。のし豊後大友氏の侵攻に対し、石城・犬尾を大友氏に、法華津本城に法華津氏をと、防衛拠点が二分されたことは、あくまでも対大友戦略の展開上重要な措置であり、依然として犬尾城は海辺防禦の最前線にあった。天文十五年一族郎党をひきいて石城に入った土居清宗は、大友氏の侵攻がはじまるや、その子八郎宗実九郎宗信をして犬尾城を守らせた。大友の来攻は、永禄元年を境にして激しさを加え、土居氏また善戦してよく敵を撃退したが、同三年の大攻勢をうけてついに犬尾は陥落する。要衝犬尾城の陥落が石城の落城を早めたことはいうまでもないが、いずれにせよ、土居氏入城以来十数年、つねにその前衛的役割を果たした犬尾城は、戦国時代における郷土戦史上の輝かしい存在となっている。」(吉田町の文化財)



遺跡


古墳


跡地

法華津一族の墓【吉田町】
(→See.吉田町の文化財)

吉田藩陣屋跡
(→See.吉田町の文化財)

法花津屋(ほけづや)三引(みつびき)邸跡【吉田町魚棚1丁目】

久代屋(くしろや)の土蔵造り【吉田町本町2丁目】


安楽寺【吉田町河内 甲371】
・山号:清涼山
・宗派:臨済宗妙心寺派
・天正年間、御手洗弥三郎道隆登蓮寺跡に創設した。この寺の名前は、今も部落名「東蓮寺」として残っている。登蓮寺の消滅については、
@天正年間、長曽我部氏の侵攻により焼亡した。
A山崩れにより倒壊・埋没した。
B大友氏により破壊された。(大友氏はキリシタンであり、武門神の八幡を除いて各地の社寺を破壊した。)
など諸説有り。
 
御手洗三郎の墓
・本堂右手の山腹にある。
御手洗弥三郎道隆は、法華津殿清家播磨守範延の旗本で、喜佐方吉岡城の城代を務めた人物。
忠魂碑
秋山好古の書。
吉田三傑山下亀三郎清家吉次郎秋山好古の間には交友関係があっ
た。
山下亀三郎
・山下汽船創立者
・世界の海運王
・内閣顧問も務めた。
大公孫樹
無逸門
清家吉次郎邸(北小路 吉田高校前)にあったものを、翁の50年忌に移転した。
清家吉次郎
・〜昭和9年2月23日没
・教育者
・吉田町長、県議会議員、衆議院議員を務めた。

医王寺【吉田町立間二番耕地2710】
・山号:如意山
・院号:宝珠院
・宗派:天台宗
・竜王山の裾にある。
・南の谷間にあった円乗院東光山円竜寺を吸収一体化している。
・万治2年(1659)、初代藩主・伊達宗純が祈祷所として整備。
・貞享元年(1684)、大阿闍梨法印大僧都智■(■=おうへんに眞)大和尚の中興開山。
・天明4年(1784)、5代藩主・伊達村賢が再建。
 
本堂
・円乗院の阿弥陀如来も安置している。
厨子
 等身座像薬師瑠璃光如来
 脇侍仏(日光・月光菩薩)
透かし堂
・本堂左側にある。
・北辰妙見・商売繁盛の仏であり、密かに念ずれば生涯小遣いに困ることがないという。
採燈護摩大祭
・毎年、2月第2日曜日の午後に行われる。
大師堂
・明治21年建立。
ミニ八十八ヶ所霊場
・医王寺〜竜王山

一乗寺【吉田町立間尻 甲743】
・山号:最上山
・宗派:日蓮宗
・遠見山の裾にある。
・明暦3年伊達宗純公が建立したと伝える。寺伝では、万治2年創立とある。
 
枝垂れ桜
・かつては、この寺の境内に見事な枝垂れ桜が植わっていたというが、昭和30年代に枯死。
鬼子母神堂
・弘化5年5月5日建立。
・天井には48枚の花鳥の絵が描かれている。
お火焚
・12月12日に行われる。
・1年間の寺社のお札・お守りなどを焚く。この火で炙った餅を食べると、翌年一年間の無病息災の御利益を与かる。

円通寺【吉田町沖村甲2237-3】
・山号:東持山
・宗派:臨済宗
・本尊:観音菩薩
・元禄15年、沖村の庄屋・佐治兵衛が開基。
・大乗寺の浩雲祖養禅師が開山。
・明治17年再建。

海蔵寺【吉田町立間尻甲312(御舟手)】
・山号:幡竜山
・宗派:臨済宗妙心寺派
・本尊:釈迦牟尼仏
 
村井保固(むらいやすかた)の墓
村井保固(安政元年〜昭和11年)
吉田三傑の一人。
村井保固は安政元年9月24日、吉田藩御船手に父林虎市と母さよの次男として生まれた。幼名を三治といった。
・13歳で奉公にでたが、その傍ら毎晩漢学の勉強に通っていた。
・明治2年に村井家の養子となり、名を保固と改めた。
・教師を目指し勉学に励んでいた彼は、西園寺公成との出会いが契機となり、宇和島の不棄英学校に入学する。英学校では教師中上川彦次郎に刺激され、学問への意欲と西洋文明へのあこがれをかき立てられた。
・明治10年、24歳で慶応義塾に入学。福沢諭吉の教えを受け、犬養毅尾崎行雄らと親交を結ぶ。
・卒業後、当時アメリカと貿易をしていた森村組に入社。
・明治12年ニューヨーク支店勤務となり、持ち前の情熱と誠実さで実業界でめざましい活躍を遂げた。
・その一方私財を投じて、実業奨励会、愛郷会、吉田病院、吉田中学(現吉田高校)、図書館を設立、郷土の教育・福祉に貢献した。
・昭和11年2月11日、83歳で没。
安藤継明廟所
句碑
「有明けの 戸に又戻る しぐれかな」
坂村真民「念ずれば花ひらく」の碑
・平成3年6月建立。
坂村真民は、吉田高校在職時にこの寺を訪れた。

西福寺【吉田町牛川】
・乳貰いの寺。「乳ぐるみ」奉納。
・藤原純友の守り本尊が祀られているという。
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」
 
念仏講

宗昌寺【吉田町鶴間494】
・山号:補陀山
・宗派:臨済宗妙心寺派
・俗称「サルボ山」の麓に位置する。
・海蔵寺の隠居寺として開基。
・昭和5年、三世・宝宗和尚が再建。
 
大女狐の化身出没伝説
・裏庭の井戸の傍らに柚の古木があった。その木陰より大女狐の化身が出没したとの言い伝えが残る。
・古狐退治の為、尾張より宗昌寺へ入山した尼僧が祈願したところ、翌朝井戸の傍らで大狐が死んでいたという。
おどい(古井戸)
・旧参道途中にある。
三十三観音像
観音堂
・十一面観音を安置する。
稲祈祷

・かつては吉田十二景に選ばれた桜の銘木があったらしい。

大信寺【吉田町立間尻甲837】
・山号:恵林山
・院号:常照院
・宗派:浄土宗
・本尊:阿弥陀如来
 
本堂
大仏堂
・平成3年建立。
・安置される大仏は、光背に永仁弍午三月二十七日の記年されている。
・永禄3年(1560)、立間の普門寺より、
  普門寺→寺家谷(立間)→安養寺[後に大信寺へ改称]
のルートで戦火を逃れて運び込まれたという。(※寺家谷は、一名「大仏谷」と呼ばれる。)
善光寺堂
・文久2年(1862)建立。
・善光寺如来像を祀る。
食籠
・県指定有形文化財
吉田藩主伊達宗純公母堂の墓
・「常照院殿泰誉光安慧林善尼公大姉」
村上道順の墓(道順堂)
・「道順様」とも呼ばれる。
道順祭
・江戸時代の名医として語り継がれている村上道順を偲ぶ祭り。
・4/17に行われる。
・奉納子供相撲で賑わう。
村上道順は伯方島生まれで、元禄期に今の吉田町に移って開業した町医者。
・道順は診察の前に一杯の酒を所望するだけで治療代を殆ど取らず、「赤ひげ」として町民に慕われ、1697(元禄10)年4月19日に死去した。身寄りがなく大信寺に弔われ、命日には好物だった酒と豆腐が供えられる。

「村上道順しのび子供相撲を奉納 吉田の大信寺」、愛媛新聞、1997年4月21日

大乗寺(だいじょうじ)【吉田町立間1-3661 (寺家郷蔵)】
・山号:玉鳳山
・宗派:臨済宗妙心寺派
・伊達家の菩提寺で、天保山を借景とした庭園がある。
・明暦3年(1657)、初代吉田藩主伊達宗純が、太易禅師を中興開山として再建し、吉田伊達家の菩提寺とした。
・町内最古の名刹。
・禅道場として著名。
(愛媛の風土と観光、愛媛県商工労働部、愛媛県観光協会、平成五年三月)
 
大乗寺庭園
藩主の墓所
 伊達宗純の墓
伊達兵部一族の墓
・寛文11年(1671)の伊達騒動により吉田藩に預けられた伊達兵部(ひょうぶ)一族四人の墓。
水引地蔵
・弘法大師作とも伝えられる。
・雨乞いに霊験有り。立間郷の大旱魃時に祈願することで慈雨を得たとの伝説が残る。
・「昔立間郷四五之両月旱魃村田渇水、其時云 葩玉 有 僧、生平地蔵菩薩、成 晨香夕燭之勤、向 地蔵 曰、菩薩者被 護 五穀、若有 方便、使 村田種苗、不 然秋不 得 納、秋不 納者、檀越乏、檀越乏、則仏法亦乏、拙僧亦口皮辺乏、若不 補 口皮辺 者、朝暮献 香花灯燭 無 力、言了、傍退而静坐、其夜天晴無 雲、早朝見 田面、水溢 蛙、村人成 不思議、謂 希有、看 田中 有 大足跡、尋 其跡 者、即入 地蔵茅屋之中、看 薩捶[←つちへん]像、泥土着 身全体尽湿、此故村人得 力種 村田、其年之米穀籾生 籾、寔地蔵方便難 有、自 是悉皆同 心而奉 尊信 之、干今有焉、以 是世々号 水引地蔵」(吉田古記)
尼地蔵
・「古昔有 盗兵者、而催 徒党、大勢来欲 焼 寺奪 法財、干時地蔵菩薩、現 老比丘尼、設 酒食 饗応 之、盗兵者、乱酌 酒飽成 食、依 老婆尼心切、忘 焼、尼向 盗兵 曰、此寺莫 焼却、本尊長八尺、忝弘法大師一刀三礼之作也、焼 此茅屋 者、可 憐仏体焦土、大師再無 出 生干世、作仏亦豈有焉、尼老衰、故不 能 出 本尊 憑伏各々、莫 焼 此寺、盗兵者、老尼懃意不 浅言了、終不 焼而退 寺、従 其以来村里老翁、言伝号 尼地蔵 云爾 」(吉田古記)
御茶堂 大淵庵
・昭和63年6月、京都嵯峨野の岡松慶久氏より寄贈された茶堂を移築・再建したもの。
橘観音(果祖田道間守公御廟所)
昭和23年11月分霊を伏見より勧請した。

大楽寺(だいらくじ)【吉田町河内甲1703(中)】
・山号:金仙山
・宗派:浄土真宗
・元々は天台宗大楽院として建てられた。宇都宮堂房(いえふさ)によって開基された。堂房は、豊前国の宇都宮鎮房の第3子。堂房は、萩森城主・宇都宮房綱を頼って九州より敗走してきたが、房綱は天正13年(1585)に長曽我部氏に討たれてしまっていた。そこで、房綱の姉婿である菊池武国を頼って、この地に落ち延びた。
・天正19年(1591)の開基。
・大楽寺はムササビ寺として有名。
(愛媛の風土と観光、愛媛県商工労働部、愛媛県観光協会、平成五年三月)
★ムササビを見ることができるらしいわい。
 
トサミツバツツジの自然林
民俗資料館
・町内の歴史資料が約1,000点展示されている。
発明和尚

長福寺【吉田町裡町2-85-1(魚棚)】
・山号:光明山
・宗派:浄土宗
・本尊:阿弥陀如来
 
ニホンタチバナ
長福寺の名水
北野天満大自在天神祭祀堂
清家播磨守範延霊廟
お舟流し

東蓮寺【吉田町】
「(その1)
 むかし、東蓮寺谷に東蓮寺という真宗寺がありましたが、長曽我部に焼討ちされるのを聞き、本尊阿弥陀如来を河平にある、せいけん寺に移しました。後に又大楽寺に奉安したとの説もあります。
 せいけん寺が焼討ちされたおり、大切なものは側にある堂に預けたそうです。聞く所によれば、寺は消失後も再建されず、大楽寺に奉安し、親鸞上人の直筆と称する妙号は堂に残し、又、大楽寺以前の毘沙門天を「うねもり」に移した跡に別に阿弥陀如来を勧請したそうです。
(その2)
 東蓮寺は一向宗で、見真大師の六字の名号をその檀家である川平の共有として保存していましたが、だれが建立したのかはわからず廟屋敷という所の附近に多く五輪の塔が出土することがあるのは、山崩れにより、廃寺になったものと考えられます。」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)
 
東多田八幡宮
桧ノ木段大相撲

普門寺跡
(→See.吉田町の文化財)

福巌(禅)寺【吉田町法花津2-375(和田)】
・山号:徴妙山
・宗派:臨済宗妙心寺派
・本尊:阿弥陀如来(恵心上人自作という)
・長和5年(1016)以前、恵心源信僧津を開山として創建。
 
法華津一族の墓
・法花津本城は、西園寺公広の15将に挙げられる清家播磨守範延が居城した。
山門
・安永9年(1780)庚子に修復。

明淵寺(明渕寺)【吉田町裡町48(裡町1丁目) (魚棚)】
・山号:玉龍山
・宗派:浄土真宗
・本尊:阿弥陀如来
・万治2年(1659)、大田正貞上人により開山。

立昌寺(立正寺)【吉田町南君501 西】
・山号:草雲山
・宗派:曹洞宗
 
大公孫樹
・慶長12年(1607)、南海山立正寺として開設。
・寺伝によれば、元和3年3月10日、愉岳玄悦■座開祖。
禅堂
・御大師様、御地蔵様、(聖)観音様、子安観音様の4体を安置する。
・子安観音様は「お産の観音」として有名。安産の御礼に底抜け袋を奉納する。
郡蚕の霊碑
・大正8年、蚕の供養のために建立。
六地蔵
・天保10年8月29日、西部落の人々が建立。


神社

安藤神社【吉田町西小路】
・祭神:吉田藩家老・安藤儀太夫継明(つぐあき)
・明治6年(1873)、安藤継明旧邸内に創建。
安藤継明は、藩政立て直しのための紙専売制に端を発した「武左衛門一揆」(寛政五年(1793))に際し、八幡河原に集結した領内農民を鎮めるための解決を試みたが失敗に終わり、藩の無策の責任を一身に背負い、八幡河原を見下ろす堤の上で切腹した人物。
(愛媛の風土と観光、愛媛県商工労働部、愛媛県観光協会、平成五年三月)

犬日神社【吉田町立間尻】

大雷神社【吉田町喜佐方】
大雷神社は、天徳2年社司阿部家の祖、藤原重則という人が五人の家来を従え、土佐の国より移住され、藤原家の祭神雷公宮を現在の社殿の南向う釘切の山腹に奉安されたのを、現在の宮床に遷宮されたときいています。
 以来社殿を改造すること二回、今日にいたっています。
 当時の石造りの狛犬は現在も保存してあります」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)

賀茂神社【吉田町南君】

住吉神社【吉田町】
 
境内末社:淡島(粟島)神社
・古雛が供えられている。
人形供養
出買い船おはらい
末社:恵美須神社
十日えびす(恵美須神社)

健雄神社【吉田町深浦 池の浦】
「健雄神社は、いつごろ祭られたかは知りませんが、昔、やとおもてに流れ着いた蛇を今の氏神様にお祭りして有るとか言われています。
 氏神様の水ために蛇の絵を書いてあげた所、その年は深浦に悪病が出て大変だったそうです。それで水ためを海にすてたとも言われています
 戦争時分には、多くの人が深浦へお参りに来ていました。又、健雄神社は今でも、いぼの神様として皆お参りしています。お参りした方にたずねてみますと、良くなっています。とのことです。お礼参りにたこの絵を奉納しています。」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)

天満神社【吉田町白浦】

戸島神社(門島神社、とじまじんじゃ)【吉田町知永】
・祭神:海少竜神、豊玉彦命、大物主命、猿田彦命、大山祇命
・祭日:春祭4月18日、秋祭10月18日
・「弘化3年(1846)9月16日、渡部帯刀相勤む」
(社記)
 
しだみこし
門島(とじま)神社は知永地区民の氏神であるが、その昔、知永浜の川口に戸島から流れついた石を御神体として祀ったのにはじまるとされている。「社記」や「神社御改帳」などに、渡島神社あるいは戸島神社とあるのも、その御神体の来し方に由縁するものと思われる。しだみこしとは、いわゆる羊歯(しだ)で飾りつけた神輿であるが、十月十八日、門島神社祭礼の神幸行事として少年によって奉仕されるのを例とする。神輿の骨組みは青竹、全体を羊歯で飾り屁屎葛(へくそかずら)で結ぶ。屋根飾りの鳳凰も羊歯、稲穂をくわえた嘴は唐辛子。神輿には舁き手が四人、前後に一人づつの楫取りがつく。頭取の采配にしたがって、三体の神輿は部落の戸々を巡回し、最後にお旅所への走りこみと祭り気分を盛り上げる。三体のうち、中神輿につけた大鈴は神の分身、祭りのあと、翌年の年番がたいせつにこれを保管する。解体後の神輿の骨組みを持ちかえり竹箸を作れるのは、楫取りなど頭取格の少年の特権である。このしだみこし発祥の年代・由緒などについては知る人もない。板みこしの時代があったともいわれるが、どちらが先ともわからない。いずれにしてもこれは、前代の知永を象徴するところの野趣豊かな行事であり、民俗学的にも興味をひく存在としてその方面の注目を集めている。」(吉田町の文化財)

※楫(かじ)

姫宮神社【吉田町魚棚】

日吉神社【吉田町玉津】

三島神社【吉田町玉津】

峰住神社【吉田町魚棚】
 
お伊勢踊り

八幡神社【吉田町立間】
・吉田藩の総鎮守として歴代藩主に尊崇された。
 
秋祭り
・旧暦9月14〜15日が八幡神社の例祭であった。荘厳盛大を極め、各種練り物が多彩で、豪華さは宗藩(宇和島藩)を凌ぐほととも言われていた。
・今は吉田町の統一秋祭として11月3日に祭りが行われる。

八幡神社【吉田町喜佐方】
「」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)

八坂神社【吉田町立間】

龍前神社【吉田町牛川】

竜前神社【吉田町浅川 】
・明治6年に竜前神社に社号を改める。
・明治40年に再建される。
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」
 
境内社:金刀比羅神社
奉納子供相撲(金刀比羅神社)
稲祈祷


お堂
大師堂【吉田町河内上】
 
河内口説

大師堂【吉田町立目】
 
般若講

観音堂【吉田町玉津】
「観音堂は、老人の人も月に一度は掃除をしたり、又、夏柑も植えて収入にしています。御手洗清真が、書き残したものでは、戦国の頃、豊後大友の家臣御手洗弥三郎道隆といえる者、主命により家臣数十名を従え、現在の吉田町南君に上陸し、同地方を治め、喜佐方村にきて、吉岡城を構えました。土佐の長曽我部との戦いに破れて、主従密かに世陰に乗じて筋浦(今の筋)より深浦に逃れて、ここに居住し後に庄屋となりました。その戦の重傷者二名は後に死亡し現在深浦の観音堂の所に埋葬されています。現在も墓標二基が有ります。」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)




地蔵

御地蔵様【吉田町玉津】
「御地蔵様は、いつ頃から深浦にお納りしてあるか分りませんが、石に書かれてあるには、寛政時分のことで、地主深浦、孫之丞と横にしるされています。天下和順、奉納六十六部廻国供養で、今では、厄・災難の御地蔵様として皆御参りをしています。御礼には、よだれかけを奉納しています」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)





遠見山【吉田町立間尻】
・標高322.2m
・藩政時代には狼煙山とされた。

権現山【吉田町牛川〜川平】
・山頂には、自然石を積んだ祠、石畳がある。
・以前の神体は盗まれ、今は石鎚神社から受けた鏡を祀っている。

竜王山【吉田町立間】
・c.f.医王寺

金仙山【吉田町河内】
・c.f.大楽寺

うねもりの山【吉田町】

犬尾(城)山【吉田町】
・宗昌寺より真向かいに見える。
・標高130m。
・法華津氏居城。
・大友氏の侵攻により、1561年犬尾城は陥落した。
・山頂までの道路が整備されている。
・山頂からの展望は良好。

サルボ山【吉田町鶴間】
・c.f.宗昌寺

帆柱山(ほばしらやま)【吉田町】
・標高521m
・戦国時代には西園寺氏の火山(ひやま、海辺防禦の信号基地)であった。
・NTT法花津無線中継所がある。

御太鼓場山【吉田町】

槇の山【吉田町/宇和島市】
・標高438.5m
 


鉱山

川・渓谷

立間川

国安川




ダム

桜橋【吉田町】


風景

吉田十二景

吉田十景
@法華津峠
A桜橋
B犬尾城跡
C大良の鼻と小島の灯台
D吉田夏祭り
E国安川
F吉田町立図書館
Gみかん取り
H吉田公園
I桜の小道(立間川沿い)

法花津八景
・明治年間、吉田の文人、飯淵櫟堂(いいぶちれきどう)、荻野春泉(おぎのしゅんせん)など八家によって選定された。
@鳴谷滞瀧(なるたにのたいろう)
A三児漁火(みつこのいさりび)
B三尾走帆(みつをのそうはん)
C新城夜雨(しんじょうのやう)
D和田春耕(わたのしゅんこう)
E小島遊舫(こじまのゆうほう)
F漁礁間鴎(ぎょしょうのかんおう)

奥浦五景
・奥南村(現吉田町)
・俳人岡田燕子(おかだえんし)の歌詞により示された。
@
A
B
C
D小島 立てる巌もめずらしく 生ひそふ松もおもしろく
景色筑紫の山々も 見ゆる小島のなつかしさ

吉田十景十勝
・大正14年4月、吉田新報社がその発刊十周年を記念して選定した。
 
【十景】 【十勝】
@遠見山の月 @須賀崎(すがざき)の汐干狩
A宗昌寺晩鐘 A三輪橋の夕涼み
B安藤社公園 B立間川の蛍狩り
C住吉高燈篭 C待合桟橋の魚つり
D只波(ただなみ)の夕照 D御殿前の松並木
E嶺太(れいた)の晴嵐(せいらん) E蔓天満宮の藤花
F長栄橋帰帆 F玉凰山禅寺の庭
G法花津雪景 G太鼓塲山の夕照
H紫禿(むらさきはげ)の暮靄(ぼあい) H立間村の蜜柑園
I蒲田(かまた)の落雁(らくがん) I一乗庵のしだれ桜

魚棚の町並み

小大崎鼻(こおさきのはな)

大良鼻(おおらのはな)【吉田町奥浦】
 
大良崎灯台
小島灯台【吉田町奥浦大良鼻】
・昭和28年設置。
・灯台近隣のウバメガシ純林にも注目。

・干潮時には陸続きになる。
・俳人岡田燕子は「立てる巌もめずらしく、生ひそう松もおもしろく、景色築紫の山々も、見ゆる小島のなつかしや」と詠んでいる。
(愛媛の風土と観光、愛媛県商工労働部、愛媛県観光協会、平成五年三月)

只波鼻(ただなみのはな)


洞窟・鍾乳洞

樹木






野福峠【吉田町】
・標高340m(トンネル口)
 
穴御前(穴の御前様)【宮ノ谷】
・海抜280mの位置にある鍾乳洞。
・「鴫谷兵庫守没落ノ時其室入リテ自刃セル所」(玉津郷土誌稿)

法華津峠(ほけづとうげ)【吉田町/宇和町】
・足摺宇和海国立公園

歯長峠【吉田町/宇和町】
・峠から東方にはカーレンフェルト(カルスト地形)が見られる。
・四国八十八ヶ所霊場遍路道(42番仏木寺〜43番明石寺)、官道・大河内(おおかわち)路などの旧道はハイキングに好適。

黒ノ瀬峠【吉田町/宇和島市】

十本松峠【吉田町/三間町】
「吉田藩には三本の旧街道があったという。黒ノ瀬峠を越える宇和島街道、法華津越えの宇和街道、それに十本松峠が登場する三間街道の三つである、なんといったって米倉地帯・三間盆地との最短コースは吉田藩にとって最大の関心事。かくて約三百年前に年貢米道路として十本松峠のデビューとなる。
目黒仁左右衛門
明治村大字目黒に生まる。当時吉田藩は三間−吉田間の交通を便ならしめんとし十本松道路を新開せんがため、工事の指揮監督を仁左右衛門に命ず。仁左右衛門すなわち鋭意人夫を励まし、歳余にして竣工した。しかるに道路開設が藩の野心の兆ありとの声が出たため、自ら責めを負ったという。延宝三年(1675)8月29日病没す。一乗寺に葬り妙修院日行と諡す。=剣教育会北宇和部会編『北宇和郡誌維新前部』より要約」(愛媛の峠、愛媛新聞社、昭和49年6月30日)


西村清雄歌碑【吉田町/宇和町法華津峠】
「山路こえて ひとりゆけど 主の手にすがれる身はやすけし」(讃美歌404番)
・昭和30年(1955)3月建立

酒井黙禅句碑【吉田町/宇和町法華津峠】
「鶯や 天険にして 海の景」

岩城蟾居句碑【吉田町裡町】
「知人の 先へ来ている 花見かな」
・昭和4年建立

小林朝治句碑【吉田町北小路3区】
「石菖の 色の洋館は」
・平成2年(1992)2月建立。

遠山矩道翁記念碑【吉田町 吉田公園】
「ふるさと20世紀 製糸王国 明治〜昭和 吉田町」、愛媛新聞、平成11年(1999)7月15日


公園
喜佐方児童公園【吉田町】

吉田町ふれあい運動公園【吉田町鶴間甲1507】
・休館日:月曜日、祝祭日の翌日(月曜日が祝日のときはその翌日)
・電話番号:0895-52-4155
 
温水プール
・利用料金:大人400円、小人200円(中学生以下)
ガーデンプール
・利用料金:大人400円、小人200円(中学生以下)

ふれあいの森【吉田町御殿内】

吉田公園【吉田町御殿内】
・ローラースライダー、日本庭園、クジャク園などがある。
 
遠山矩道記念碑
・この碑は大正6年に建立されたもの。
・吉田藩士・遠山矩道は廃藩置県で失業した吉田藩士の救済のため、士族の婦女に養蚕技術を広め、明治13年に製糸工場興業社を設立した。
・養蚕の発達に呼応して製糸工場も次々と開設され、大正5年頃には最盛期を迎えた。


祭り

吉田祭り
・春夏秋の年3回行われる。
 
浦安の舞

お日待ちの大わらじ作り【吉田町知永】
・毎年1/16。
・お日待ちとは、「日の出を待つ」の意。
・大わらじ作りは、上光満、本村、赤松でも行われる。
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

奉納相撲【吉田町元町 大信寺】
・5月中旬の日曜日に行われる。
・村上道順を供養する。
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

夏祭り【吉田町魚棚3区 住吉神社】
・7/16
・茅の輪くぐりが行われる。
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

稲祈祷(いなぎとう)【吉田町鶴間 宗昌寺】
・7/18
・江戸時代初期から始まった。
・豊作祈願
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

姫宮様【吉田町大工町】
・旧暦9/16
・姫宮様は、土居一族の妙栄尼を祀る。
・火の神として崇められる。
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

お伊勢踊り【吉田町元町 峰住神社】
・2/17、7/13、11/23
・豊作祈願。
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

人形供養【吉田町魚棚3区 住吉神社境内 粟島神社】

※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

出買い船おはらい【吉田町魚棚3区 住吉神社】
・「出買い船」とは、鮮魚運搬船。
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

奉納子供相撲【吉田町浅川 竜前神社】
・4/10
・竜前神社前の小祠「金刀比羅様」に大漁祈願・海難防止を祈って奉納する。
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

稲祈祷【吉田町浅川 竜前神社】
・7/17
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

十日えびす【吉田町魚棚3区 住吉神社境内 恵美須神社】
・1/10
・恵美須神社は、寛文6年(1666)6月に、君ヶ浦の岡の鼻より移転したもの。
・福笹
・商売繁盛、家内安全
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

石神様【吉田町】

※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

石神様【吉田町中浦】
・旧暦5/14,8/14に旗を立てる。
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

鬼子母神祭【吉田町元町 一乗寺】
・4月の8のつく日
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

お火たき餅焼き【吉田町元町 一乗寺】
・12/12
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

お舟流し【吉田町裡町2区 長福寺】
・8/16
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

念仏講【吉田町牛川 西福寺】
・1/16
・牛川の入り口3ヶ所に草履を吊り下げる。
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

念仏講【吉田町船間 奥の谷】
・1/16
・部落の入り口7ヶ所に草履を吊り下げる。
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」

般若講【吉田町立目 大師堂】
・2/3
※See.「吉田の民俗芸能・年中行事」


イベント

施設

吉田ふれあい国安の郷(くにやすのさと)[歴史公園]【吉田町鶴間1503】
・平成7年(1995)5月オープン。
・開館時間:9:00〜17:00
・休館日:月曜日、祝祭日の翌日(月曜日が祝祭日のときはその翌日)
・入場料:大人200円、小人100円(中学生以下)
・運動公園に隣接している。
・広さ5970uの敷地に総事業費7憶4800万円を投じて武家や敷きや商家、農家、漁家、米倉、水車小屋、番屋、火の見櫓などを移転改築・復元した。
 
法華津屋の復元店舗
・安政6年(1859)の建築という。
法華津屋は江戸時代に御用商人として財をなした豪商である。
・中の売店には、日本各地の「吉田町」の特産品も置いてある。
祭り館
・乗物籠、牛鬼、神輿などを展示している。

吉田町立図書館【吉田町】

観光文化センター【吉田町西小路】

吉田フィッシングセンター【吉田町】


学校

温泉

伝説

吉田藩の山田騒動【吉田町】
・吉田藩は、明暦3年、宇和島藩十万石のうち三万石を分知して開かれた。
山田仲左衛門は三間村の医者で、吉田藩初代藩主伊達宗純の病気を治した功により、延宝3年御殿医となり、併せて剣道指南役を任された。天保年間には家老職を任された。
・山田は藩創業時の改革を断行し、17家の家臣を整理した。これにより怨みを買い、吉田領81ヵ村から選り抜かれた青年9人が山田の暗殺を企てた。
・その後山田は貞享3年、仙台伊達に終身幽閉された。

吉田藩紙騒動
「ふるさとのよもやま話 第十五話 吉田藩紙騒動」、萩山美征、ウィークリーりっく

だーいら【吉田町喜佐方】
「国森丘を「だーいら」(寺屋敷)といいます。大楽の訛で、然も片言などではありません。そういう点から大楽寺に関することかもしれません。又「でーら」は「寺」の訛だと思われますが、ともかく墓標に用いた青石を多く発見しました。又経文をかける(墨にて)小石を折々掘り出すことを思えば、寺跡と言い伝えも事実に近いものだと考えられます。」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)

御仮屋床【吉田町喜佐方】
「大崎着の丘を御仮屋床戻り畑といっています。往古藩主の仮屋で、もろやよりくしげ越の麓井の辺に墓もありますが、これは普道院の墓だと言い伝えられています」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)

おやす場【吉田町喜佐方】
「東蓮寺谷のうねに、一本の老松があって、「おやす場」と称する所があります。藩政の頃藩主が出猟の際の休みの場所だったのでしょう。」(よしだ今は昔 −第1集、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日)


キャンプ

海水浴

筋海水浴場【吉田町】

バサコ海水浴場【吉田町白浦】

貝の浦海水浴場【吉田町奥浦惣代】
 ★ワシが小さいときには、バスん乗ってようここに海水浴に行きよったもんじゃ。


人物

吉田三傑
@山下亀三郎
A清家吉次郎
B村井保固

遠山矩道
・吉田藩士族。
・士族の婦女に養蚕技術を広めた。
・明治13年、製糸工場興業社を設立。


その他


 
200

 

《References》
●「ふる里吉田のお寺さん」、平成4年11月15日発行、吉田町史談会
●「吉田町誌」上巻・下巻、1971/1976、吉田町
●「よしだ今は昔 −第1集」、吉田町教育委員会、昭和56年3月31日
●「愛媛の風土と観光」、愛媛県商工労働部、愛媛県観光協会、平成五年三月
●愛媛新聞記事



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