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こたろう博物学研究所 市町村別情報庫 西予市 (旧・城川町) |
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町の花 | 町の木 | 町の花木 | 町の鳥 | 町のイメージフラワー |
ツツジ | イチョウ | キジ | マリーゴールド
(平成13年(2001)選定) |
大字 | 字 |
田穂(たお)
(西予市城川町 田穂) |
田穂西、上組、中組、岡組、下組、田穂東、中津川 |
魚成(うおなし)
(西予市城川町 魚成) |
川向、蔭之地、町中、古市、今田、成穂 |
下相(おりあい)
(西予市城川町 下相) |
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嘉喜尾(かぎお)
(西予市城川町 嘉喜尾) |
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男河内(おんがわち)
(西予市城川町 男河内) |
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遊子谷(ゆすだに)
(西予市城川町 遊子谷) |
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野井川(のいがわ)
(西予市城川町 野井川) |
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窪野(くぼの)
(西予市城川町 窪野) |
大茅、桂、長崎、寺野、程野、中ノ川、窪川、男地、河内、片平、串屋 |
土居(どい)
(西予市城川町 土居) |
川後岩、下里、葛籠、呉野々、新開 |
古市(ふるいち)
(西予市城川町 古市) |
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高野子(たかのこ)
(西予市城川町 高野子) |
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川津南(かわづみなみ)
(西予市城川町 川津南) |
窪野の八つ鹿踊り【城川町窪野】
・国選択無形文化財[記録作成の措置を講ずべき無形文化財](昭和49年12月4日指定)
・所有者:窪野八つ鹿踊り保存会
※指定日は昭和39年9月10日が正解か。昭和52年1月11日が正解か。
・三滝城落城(天正11年1月13日)以前から城の隆盛・武運長久・領内安泰・五穀豊穣等を祈願して奉納されていたという。
・現在では4月17日の三滝神社大祭にて奉納される。
上川神仏講(城川遊子谷の神仏講の習俗)【城川町上川】
・国選択無形文化財(昭和56年12月26日指定)
・所有者:上川区
※指定日は昭和56年12月24日が正解か?
穴神洞遺跡【城川町川津南3723】
・県指定文化財[考古資料](昭和51年4月16日指定)
穴神鍾乳洞【城川町川津南3723】
・県指定有形文化財
・所有者:三柱神社
顕手院文書(2通)【城川町魚成 顕手院】
・所有者:顕手院
・県指定有形文化財:書跡・典籍・古文書(昭和46年4月6日指定)
三滝城跡【城川町窪野】
1999/5/29、2002/11/10
・所有者:三滝城跡保存会
・県指定名勝(昭和43年3月8日指定)
遊子谷の七鹿踊り【城川町遊子谷】
・所有者:遊子谷七鹿踊り保存会
・県指定無形民俗文化財(昭和43年3月8日指定)
ゴトランド紀(シルリア紀)石灰岩【城川町窪野/嘉喜尾(かぎお)】
1998/10/10
・県指定天然記念物(昭和28年2月15日指定)
※指定日は昭和28年2月13日が正解か?
・ゴトランド紀(シルリア紀)はサンゴ類の栄えた時代である。スウェーデン国バルト海上のゴトランド島がこの時代の地層でゴトランド紀と呼んでいた。
・その後、ソ連の広大なシルリア地帯がこの地層であったので、現在、地質学者はロシア語のシルルあるいはシルリアと呼んでいる。
・県内で最も古い地層である。地質時代から言えば古生代末期のおよそ今から4億2000万年前のものといわれる。
・この地層は東は窪野、西へ嘉喜尾、男河内地区へと町内のほぼ中央を北寄りに東西性をもって不連続的な帯状で存在し、その中に分布している石灰岩の中から床板サンゴ類に属する鎖サンゴ(ハリシチス)、蜂の巣サンゴ(ニッポシテス)が発見された。
・このサンゴはシシリア紀及びその次のデボン紀に繁殖し、その後絶滅してしまったのである。
・このシルリア紀の床板サンゴ類は現在までの研究ではわが国最古のものである。
・歴然と化石に残るサンゴ類(城川かるた)
田穂の石灰岩(下部三塁紀)【城川町田穂】
・所有者:兵藤熊続et.al.
・県指定天然記念物(昭和28年10月21日指定)
三滝神社の大イチョウ【城川町窪野】
・所有者:三滝神社
・県指定天然記念物(昭和26年11月27日指定)
如意輪観音像立像及び座像【城川町魚成】
・所有者:水野義久
・町指定有形文化財(昭和38年3月22日指定)
大般若経【城川町魚成】
・所有者:水野義久
・町指定有形文化財(昭和38年3月22日指定)
妙見寺本堂【城川町】
・所有者:長山考四郎
・町指定有形文化財(昭和44年10月8日指定)
鹿面【城川町】
・所有者:八幡神社
・町指定有形文化財(昭和50年10月22日指定)
和鏡【城川町】
・所有者:福原純一
・町指定有形文化財(昭和53年5月27日指定)
打掛【城川町】
・所有者:佐伯常珍
・町指定有形文化財(昭和53年5月27日指定)
林庭院【城川町窪野 三滝城址】
2002/11/10
・所有者:井谷寺
・町指定有形文化財(平成元年2月21日指定)
魚成新四国【城川町魚成】
・所有者:魚成総務区長
・町指定有形文化財(平成元年2月21日指定)
・四国八十八ヶ所霊場のミニチュア版(地四国)で、明治9年に開創された。
・平成元年2月、町有形民俗文化財に指定された。
・顕手院から龍澤寺に至る約2時間の巡拝コースである。
兎門山龍沢寺【城川町魚成】
・所有者:志村正泰
・町指定史跡・名勝(昭和38年3月22日指定)
白岩城跡【城川町遊子谷3751】
・町指定史跡(昭和47年8月28日指定)
甲ヶ森城跡【城川町土居728】
2002/11/10
・町指定史跡(昭和47年8月28日指定)
黄幡城跡【城川町高野子2239】
・町指定史跡(昭和47年8月28日指定)
隆ヶ森城跡【城川町魚成 川向2956】
・町指定史跡(昭和47年8月28日指定)
紀貫之の墓【城川町 報恩寺】
・町指定史跡(昭和57年3月26日指定)
岩蔭遺跡【城川町古市3273】
・町指定史跡
・約8000年前(縄文時代)の土器片・石鏃・縄文人骨などが出土している。
・穴神遺跡とも関連がある。
中津川洞遺跡【城川町】
・所有者:中津川区長
・町指定記念物(昭和44年10月8日指定)
刀匠大内勇【城川町】・所有者:大内勇
・町指定無形文化財(昭和49年7月17日指定)
川津南楽念仏【城川町川津南】
・所有者:向井孝道
・町指定無形文化財(昭和38年3月22日指定)
御田植神事【城川町】
・所有者:土居総務区長
・町指定無形文化財(昭和44年10月8日指定)
花とり踊り【城川町】
・所有者:下相総務区長
・町指定無形文化財(昭和44年10月8日指定)
実盛送り【城川町】
・所有者:大字総務区長
・町指定無形文化財(昭和57年3月26日指定)
浦安の舞【城川町】
・所有者:遊子谷総務区長
・町指定無形文化財(昭和57年3月26日指定)
黒瀬川鍾乳洞【城川町下相】
・町指定天然記念物(昭和50年10月22日)
・この鍾乳洞は、昭和35年11月、肱川流域総合学術調査地質班愛媛大学永井浩三教授等によって調査されたもので、延長300m、壁は純白の石灰華で覆われ、鍾乳洞の宝庫といわれている。
・また県下では珍しいユビナガコウモリの大群が棲んでおり、地元ではコウモリ穴と呼んでいる。
・洞穴動物の研究は昭和42年国立博物館上野俊一博士によって始められ、コウモリ類、多足類、昆虫類など約40種の動物の棲息が確認されている。
「黒瀬洞 国の調査で 名も高く」(城川かるた)
宝泉坊大樫群【城川町】
・所有者:池野々区長
・町指定天然記念物(昭和48年9月29日)
びゃくしん(柏木)【城川町田穂】
・所有者:宝泉寺
・町指定天然記念物(昭和38年3月22日指定)
穴神鍾乳洞【城川町】
・所有者:川津南総務区長
・町指定天然記念物(昭和47年8月28日指定)
黒柿(リュウキウマメガキ)【城川町】
・所有者:山内キヌエ
・町指定天然記念物(昭和55年3月14日指定)
椿【城川町】
・所有者:藤堂操
・町指定天然記念物(昭和55年3月14日指定)
しだれ桜【城川町】
・所有者:三島神社
・町指定天然記念物(昭和55年3月14日指定)
桂木【城川町】
・所有者:金本綱敏
・町指定天然記念物(平成元年2月21日指定)
三滝神社 |
林庭院
・町指定有形文化財 ・三滝城主紀親安の廟 ・碑石に、のちの庄屋、矢野惣左衛門景遠、同惣之丞景長父子が願主となり、宝暦13年(1763)親安の命日にあたる正月13日追塔焉とあるから親安没後180年後の建立となる。 ・建物は平成2年原型のままに再建されたが、その原型は明治24年(1891)の改築であったから、それまでにも幾度か改築があったものと思われる。 ・碑文正面中央が親安公の林庭院殿日諦正春大居士であるが、その左槙秀山花大姉は奥方の菊の方、その右月峯正詠上座は長男正親を合祀したものといわれている。 |
三滝城の大いちょう |
三滝城の大いちょう前の歌碑
「蔭山の 花は咲けとも 散りくちて 草の都の 花さかり見む」 ・昭和33年12月、窪野区により建立された。 ・三滝城主親安(ちかやす)公の辞世の句という。 「親安の最期を語る大銀杏」(城川かるた) |
馬場跡 |
三滝城跡 |
三滝山
・標高642m |
八つ鹿踊り
・国選択無形文化財[記録作成の措置を講ずべき無形文化財](昭和47年文化庁) ・4月17日の三滝神社の春祭(三滝城址)、4月28日梼原町四万川(しまかわ)海津見神社の春の大祭、町内川津南の秋の祭りで奉納される。 ・文政10年(1827)頃、庄屋の矢野総左衛門が、宮城県仙台からわざわざ師匠を迎えて半年間自分の家に滞在させ、従来のものに手を加え現在の形のものに仕立て直したと伝えられる。 |
白岩城跡【城川町遊子谷3751】
・町指定史跡
・三滝城の支城。
・白岩左近太夫祐宗が城代として城を守った。
・三滝城と共に落城した。
甲ヶ森城跡【城川町土居728】
2002/11/10
・町指定史跡
・三滝城以前に北の川殿の本拠城として設けられた。
・後に三滝城の支城となり、長山豊綱の居城となった。
「甲森城墟 周智郡土居村に在り。紀貫之朝臣の裔実平と云(ふ)人の城跡なり。其子常安、其子勝千代、常安弟通安、其子親安と云(へ)り。
宇和旧記(に)云(ふ)。実平京より下向の時、上伊予猿川村(*1)にて病死。遺骸を土居村に送りて下谷(したや)と云(ふ)所に葬り、後に八幡と崇めける。猿川村に貫之墓と云もの即実平の霊を祀る所也と云。西園寺十五将の一人にて、世に北之川殿と称す。周知郷・柳郷内にて高四千五百石、大洲領の内四分一村にて五百七拾石、都合五千七百石を知行せり。昔は三千貫の知行也と云。枝城には大番・白岩・鐙(あぶみ)が鼻・猿が滝・白石等あり」(愛媛面影)
(*1)猿川村=北条市猿川原
「甲ヶ森城跡案内」の説明書き
「甲ヶ森城主は、紀貫之の末裔12代実之の子 従三位実定にはじまる。実定は北朝の後 小松院に仕■いたが南北合併の後、当地に来て城主となり七城の大守として22邑3000貫を領するようになった。 その子実平も三滝の要害に本城を移そうと計画したが、果たさずして病死し、天文年間その子実次の代になり、三滝に城を構えて本城とし、これに移したため甲ヶ森はその支城となった。天正11年正月、土佐の長曽(宗)我部元親は、大軍をもって攻め来たった。 時の城代永山伯耆守豊岡(信在)は万戦練磨の勇将であり、城を守るよう防ぎ戦ったが衆寡敵せず力つきて遂に落城する。時に天正11年正月14日(三滝落城の翌日)今を去る396年前である。」 「桜咲く 伯耆守の 甲ヶ森」(城川かるた) |
EAT/ITV城川テレビ中継所 |
南海放送テレビ中継所 |
NHK 城川テレビ中継局 |
EBC
城川テレビ中継局
・この施設は野村テレビ中継局の電波を受けて放送しています。この設備は自動化されており機械の状況は定期的に点検することになっています。受信できる範囲は城川町の大部分です。どうかここの施設を傷めないようにお願いいたします。■お気付の点はテレビ愛媛までご連絡ください。 電話0899-43-1111 ・海抜高450.4m ・空中線形式:4L・1段・4面 ・空中線地上高:19.1m ・送信チャンネル:33CH ・送信出力:10W ・開局年月:49年5月 |
愛媛県甲ヶ森雨量局 |
魚成城跡【城川町魚成】
「魚成城墟 魚成村に在り。豊後守平通親と云(ふ)人の城墟也。西園寺十五将の一人にて、周智郷の内高千石を知行せり。世に魚成殿と称す。豊後守親綱・民部少輔通親・大和守玄親(はるちか)・伊豆守能親・上総介親能と続きける由
宇和旧記に出(で)たり。」(愛媛面影)
黄幡城跡【城川町高野子2239】
・町指定史跡
・三滝城の支城。
・紀親安の弟綱安が城代として拠る。
・三滝城と共に落城した。
・大番城とも記す。(伊豫温故録、愛媛面影)
・「大番城 高子村に在り
城代紀長門守居る」(伊豫温故録)
隆ヶ森城跡【城川町魚成
川向2956】
・町指定史跡
・西園寺15将の一人、摂津豊後守通親(魚成殿)の居城跡。
・天正13年に落城した。
・「龍ヶ森城 魚成村にあり
平朝臣豊後守通親居る 其子豊後守親縄民部少輔通親大和守玄親伊豆守能親上総介親能
と続き 城主たり 清良記すには 魚成兵庫頭兼吉とあり 河野分限録には 魚成領主 魚成上総介親盛 龍森在城手勢五騎 子息魚成彌五郎親能」(伊予温故録)
山ノ城跡【城川町魚成】
・「魚成村にあり 龍ヶ森の出城なり(郡録)」(伊予温故録)
清澤城跡【城川町魚成】
・「魚成村に在り 松田覚介居る
是れは西園寺一家なり(郡録)」(伊予温故録)
竹ノ森城跡【城川町川津南】
・「川津南村に在り 城主は北ノ川一家のよし 姓名不知 此村の庄屋宅
則ち其櫓なり 庄屋より土州高知へ二十三里あり 谷ヶ峰といふ土佐界までは庄屋前より一里此内半道坂なり」(伊予温故録)
穴神洞(あながみどう)遺跡【城川町川津南】
1999/5/29
・県指定有形文化財[考古資料](昭和51年4月6日指定)
・昭和36年(1961)、愛媛大学洞穴探検隊により発見された。
・縄文早期を中心とする遺跡で、最下層からは細隆起線式時、オオツノジカの臼歯などが出土している。
・鍾乳洞の中に展開する本遺跡は、城門時代の遺跡として県下屈指のものである。特に縄文早期初期に相当する層位(第9層)から、我が国で最も古い土器(約12000年前)であるとされている隆起線文土器の口縁部が発見され、また小型楕円、山形押型文(約7000〜8000年前)とともにタカラガイ、ツノガイ、キセルガイ、シドロガイなど、いずれも海産の貝殻を囲うして作った装身具が豊富に出土したことなどが注目されている。
・さらに頭蓋部をはじめとする人骨片も出土し、縄文早期の人類の姿を解明する良い手がかりが提供されている。人々の生活のあとを止める遺構としては、やはり早期に属する最下層部から礫を集めて築かれた炉址が検出された。なお上層部からは後期〜晩期の土器や石器が発見されており、この洞穴がかなり長期にわたって人々の生活の一根拠地であったことも物語っている。
「穴神は万年前の住居跡」(城川かるた)
●市内埋蔵文化財めぐり(2) 「縄文人の生活」〜穴神洞遺跡(城川)〜
城川町川津南。安尾川を望む急斜面中腹にあります。城川には多くの洞穴遺跡や岩陰遺跡がありますが、その大半は、こうした川を目の前に望む斜面や河岸段丘に立地しています。穴神(あながみ)洞遺跡からは多くの縄文土器のほか、石器、貝製の飾り、人骨、貝類など、当時の生活の様子を忍ばせる貴重な遺物が数多く出土しています。これらの遺物は城川の歴史民俗資料館で見学できます。穴神洞遺跡も見学可能。見学されたい方は城川教育課へお問い合わせください。
(広報せいよ、2004年9月号)
穴神鍾乳洞
・町指定天然記念物 ・全長75mの鍾乳洞。 ・この鍾乳洞は、昭和44年6月、地元の中学生が「こうもり」を取りに入って発見したものである。 ・洞は全長75m、高さ8〜10mで、石筍、鍾乳石など豊富で変化に富み、県下では類のない鍾乳洞であるといわれている。 「こうもりの飛びかう穴神鍾乳洞」(城川かるた) |
緑雨句碑
「暖や 働く人も 野の物も」 ・平成3年5月建立。 |
菊野谷岩陰遺跡【城川町】
中津川洞(なかつがわどう)遺跡【城川町】
・恵美須神社境内にある。
・四国初の撚糸文(よりいともん)土器が出土している。
寺渡瀬【城川町日の浦】
1998/10/10
・交番のすぐ横に碑が建っている。平成7年5月に城川町、城川町史談会が建立した。
・「宇和島藩農民一揆(野村騒動)ゆかりの地」と記されている。
・「此の地 "寺渡瀬"は明治3年春の宇和島藩農民一揆(野村騒動)のゆかりの地です。前年の天候不順による凶作で生活苦を強いられた宇和島藩各村浦の農民は、税の減免等を求めて徒党を組み野村の民政局に出訴しました。77ヶ村浦からの農民は7500とも15000を越えるとも云われました。この宇和島藩始まって以来の大一揆の指導者となったのは我が町城川の中津川の鶴太郎と川津南の和太治等でした。城川からも全域から約1300人が参加しましたが、3月20日に窪野板取川奥の山姥に集まった窪野、土居、川津南、中津川、古市、伏越の農民達は、祓川を越え、ここ下相の寺渡瀬を渡って今田、田穂と進み、道々の農民と合流して桜峠を越え野村に進みました。交渉の結果、農民の要求の多くは聞き入れられ二週間位で無事に帰村しますが、指導者の鶴太郎、和太治そして惣吾や仙三郎は後で捕えられ宿毛沖の沖の島に流刑となりました。農民達の生命を賭しての行動の証しのあとがこの地です。」と記されている。
恩報寺【城川町土居】
・「土居村に在り 曹洞宗 当郷領主紀実平
応永二十二年三月十五日 宝燈国師に請ふて開山と為し七堂伽藍を創営し釋無端を以て住持とす
後ち実平京師より帰途 道前猿薮村(*1)に於て病に罹り
六月十八日卒す 爾後堂宇頽毀し ただ小堂を存するのみ 天文二十一年春 釋大寄留錫寓居す
同年七月甲ノ森城主長山伯耆守と圖り伽藍を再建す
元亀元年実平の廟を寺内に作り 号して八幡宮と云ふ
天正十一年 長山氏 長曽我部の為めに大敗し 正月十二日自殺す
里民其の屍を埋葬して碑を建つ 此時此寺も亦悉く焼滅せらる 明暦元年 釋祖暁資本を募集してこれを再興せり(明細書)」(伊予温故録)
(*1)猿薮村は、現在の北条市猿川。
顕手院(けんじゅいん)【城川町魚成】→西予市城川町魚成1374
・山号:湧泉山
・宗派:曹洞宗
・魚成新四国の出発点でもある。
西方寺【城川町川津南】
1999/5/29
・宗派:曹洞宗
・山号:瑞光山
川津南楽念仏(かわずみなみがくねんぶつ)
・町指定無形民俗文化財(昭和38年指定) ・8月6日に行われる。 ・楽念仏は、戦前までは城川町の各地区で盛んに行われていたが、戦時中に鉦を供出したため、現在まで保存伝承されているものは少なくなってきている。 ・町指定無形文化財である川津南の楽念仏は、一年間の地区新仏と先祖の霊を併せて供養する施餓鬼行事である。 ・川津南楽念仏は高野楽で、一遍上人から伝習されたとも伝えられ、特に「打ち上げ」が勇壮で特色があり、約20分間にわたって念仏踊りが披露される。 ・大太鼓7人と鉦(かね)14〜15人の楽士(「楽方(がくかた)と呼ぶ」が、交替で念仏を唱えながら鉦や太鼓を打ち鳴らす。 楽士は「念仏」と染め抜いたそろいの浴衣にはかま、白足袋に草履といったいでたち。胴取(どうとり)と呼ばれる大太鼓7人と楽方(がくかた)と呼ばれる鉦(かね)の15人は、午後1時過ぎから念仏踊りを開始。「7つドウ、ナムゴーホォオミドウ」と唱えながら、鉦や太鼓を打ち鳴らしました。
|
誓願寺【城川町遊子谷
日浦】→西予市城川町遊子谷2261
2002/11/10
井谷寺(せいやじ)【城川町窪野 串屋】→西予市城川町窪野7588
善願寺【城川町嘉喜尾】→西予市城川町嘉喜尾2486
東光寺【城川町高野子】→西予市城川町高野子1490
報恩寺【城川町土居】→西予市城川町土居1728
宝泉寺【城川町野井川】→西予市城川町野井川2914
・「野井川村にあり 曹洞宗なり 大永元年精兵司志磨権之助創営せり(明細書)」(伊予温故録)
宝泉寺【城川町田穂】
2002/11/10
・山号:栢岩山
大イブキ |
実盛送り
・6月最終日曜日(?)に行われる。 |
龍澤寺(りゅうたくじ)【城川町魚成764】→西予市城川町魚成753
・電話:0894-82-0016
・四国曼陀羅霊場 第51番札所
・宗派:曹洞宗総持寺派
・山号:禹門山
・法灯650年禹門山竜沢寺は、曹洞宗総持派に属し末寺56か寺を有する中本山で、県下最大の精舎である。かつては末寺80を数えたという。
・桃山時代の建築様式による七堂伽藍が豪壮な名刹。苔むす石畳の参道の両側には、樹齢約300年を越す杉の巨木がそびえている。
・そして周辺は「森林浴の森 全国百選」に選ばれた緑あふれる公園となっており、キャンプ場、バンガロー、トリムコース、198mのジャンボローラー滑り台、グラススキー、テニスコート等の施設が整っている。
・また、竜沢寺は、各種研修の場として利用できるほか、予約をすれば精進料理も楽しめる所である。(精進料理受付:0894-82-0018)
・魚成新四国の結願寺(けちがんじ)でもある。
・「魚成村に在り 後醍醐天皇の御宇 元享癸亥年 徳翁禅師の開山
中尾坂城主釆女正平吉貞創建なり
其後断絶せしか 後花園天皇御宇 嘉吉三癸亥年 仲翁和尚中興す
此僧は島津薩摩守元久の長男 小名梅寿といふ
少年より文才あり 夫れより星文和尚 夫れより立室和尚なり
一日児を失ふ 成王瀬の下淵の龍の所為たるへきとて立室和尚錫を杖て淵に臨み叱して云ふ
汝何に依てか我侍児を掠む 淵中忽波濤わきかへり 龍出て答て云ふ 我は此淵主なり
寺の東司此水上にありて不浄を流し入れ此淵を汚す故に恨を報す 願くは寺地を替へて給はば
永く山門を鎮して水災を守らんと云ふ 和尚終に龍ヶ森の城主豊後守通親に語って
康正元乙亥年 今の地に寺を移せり 此年より文明年中まで三十年間に諸堂悉く成り
龍天寺を改めて今の寺号となす
なら谷より火難を遁るる札を出せり
是れ則ち立室和尚成王瀬下の淵の龍と問答の時より始まるとなり
今のなら谷門前楢木橋より古なら谷楢木橋まで二十町余
夫より成王瀬の淵まで十五町 古寺跡三町四方ばかりあり.....(以下略)」(伊予温故録)
花まつり(4月8日)
・釈迦の誕生祭。ツバキやレンゲ、サクラなどで装飾された花御堂が境内に置かれる。その中には釈迦の誕生仏の像が安置されている。誕生仏に甘茶をかけて、無病息災を祈願する。 |
竜門橋(偃月橋)
・竜沢寺の前の小川に架かる屋根付き橋。 |
竜沢寺緑地公園 |
畜霊碑 |
竜見寺【城川町古市】
古市お不動様(不動尊)の縁日
・旧暦1月16日に行われる。 ・昔、不動明王の怒りで大火が起こり、里人達がやっとの思いで火を消し止めた。それ以来不動明王を手厚く祠に奉っている。 ・城川の春を告げる火の神として崇められる。 ※元々は火をつけた張本人なのに、防火の神として崇めるのは少々奇異に思える。しかし、「元を断つ」と考えれば頷けることではある。 「立春を 過ぎて古市 初不動」(城川かるた) |
一宮神社【城川町魚成 川向】→西予市城川町魚成2081
男河内杉王神社【城川町男河内】
・瀬織津媛命
恵美須神社【城川町野井川 雨包山】
恵美須神社【城川町古市 中津川】
春日神社【城川町嘉喜尾】
2002/11/10
境内末社:八坂神社 |
河内神社【城川町魚成
今田 皿峰】
・祭神:猿田彦命、天鈿女命
河内神社【城川町野井川
重谷】
2002/11/10
白王神社(しらおうじんじゃ)【城川町田穂
稲屋】
2002/11/10
・祭神:木花開耶姫命、素戔鳴命、天照皇大神、菅原道真公
・本殿両側にイチイガシ(一位樫)、イチョウの大木が聳える。
・境内には草相撲の土俵がある。
天満神社【城川町遊子谷
下遊子】
2002/11/10
・文禄2年に太宰府より勧請した。
・元禄13年、現在地に移転。
・文政8年、安政4年、明治30年、昭和27年に改築。
「笛を吹き太鼓も踊る七つ鹿」(城川かるた)
鳥居
・昭和8年10月建立 |
句碑 |
遊子谷の七鹿踊り |
「遊子谷七鹿踊りの由来」碑
・「今より約350年前、仙台伊達秀宗が宇和島藩主になりし頃仙台の鹿踊りを模し地方に広めたものと伝え聞く 当地の七鹿は、土居の八ツ鹿に教わりし説と、以前からありし説とあるが定かではない。 毎年10月25日秋祭に踊りを奉納している。尚、県、町から無形文化財指定を受けている。先人を称えここに名を刻す 高田茂明 大崎新市 細川武雄 中井永三郎 厚朴寅蔵 大野尚繁 中平 弘 橡木末勇 細川貞道 中原金治 三瀬熊吉 平成11年11月11日 遊子谷総務区建立 「伊予銀行地域文化活動助成制度」による 」 |
「遊子谷七鹿踊りの由来」の説明書き |
頌徳久松茂翁之碑
「この鹿踊りは今より約350年前、元和元年3月奥州仙台伊達正宗の子秀宗が宇和島城(当時丸串城)十万石の領主となり、この頃から奥州の鹿踊りを南予各地へ教え伝えられた。 当時、土居の三嶋神社の鹿踊りから教えられたとの伝説もあるが、これより以前から鹿踊りはあったのだとの説もあり、毎年10月25日の天満神社秋季大祭にはこの踊りを奉納している。 無形文化財に指定されている方は左記の通り 高田茂明 大崎新市 細川武雄 中井永三郎 厚朴寅蔵 大野尚繁 中平 弘 橡木末勇 細川貞道 中原金治 三瀬熊吉 昭和43年3月 城川町教育委員会 」 |
土居三嶋神社【城川町土居】
1999/5/29
どろんこ祭り保存館 |
どろんこ祭り |
八幡神社【城川町高野子】
八幡神社【城川町古市】
八幡神社【城川町下相(おりあい)】
・祭神:神功皇后、応神天皇、玉依姫命 他17柱
花取り踊り
・8月21日に奉納される。華やかな短冊を身に付けた中学・高校生が、鉦と太鼓の音に合わせて舞を披露する。 「花とりを 踊って疫病 しりぞける」(城川かるた) |
三柱神社【城川町川津南】
三島神社【城川町魚成】
・祭神:大山祇神、
三滝神社【城川町窪野】
1999/5/29
・祭神:大山祇神、大雷神、高おかみ神、日本武尊、安閑天皇、紀親安公、菊桐姫命、素戔鳴命、菅原道真公、誉田別命、火産霊命、稲倉魂命、木花開耶姫命、天照大神、大己貴命、年代相知命、事代主命、奥津彦命、奥津姫命、底筒男命、大物主命、健磐龍命、宗忠大神
三滝祭り
・4月17日に開催される。 ・八ツ鹿踊りが奉納される。 |
大イチョウ |
宝泉坊(ほうせんぼう)さま
・小さな堂が祀られている。ここは宝泉坊師が住んでいた場所という。
宝泉坊大樫群
・町指定天然記念物 |
茶堂
・7月になると、部落の人達は交代で茶堂に出て、漬け物や煮豆やかき餅などを焼いたものを道行く人や部落の子供たちに接待するしきたりになっている。
・野口らの調査に依れば町内59ヶ所に存在するという。
▼オチャト:朝から晩までお茶をわかして接待すること。
城川茶堂群:権大峠の茶堂
・茅葺、角柱 |
城川茶堂群:桂茶堂
・旧暦7月7日には施餓鬼行事が行われる。 ・念仏鉦は天保1年(1840)の銘有り。 ・念仏踊りは、袴、念仏笠(玉虫を織り込んでいる)を纏い、太鼓に合わせて踊る。 ・お成就:精進料理で酒を酌み交わしながら世間話に興じる。 |
城川茶堂群:五輪田茶堂(野井川
泉田)
2002/11/10 |
城川茶堂群:ナカゴウラ茶堂
2002/11/10 |
城川茶堂群:杭茶堂(魚成
杭)
2002/11/10 |
城川茶堂群:桜峠(さくらんとう)茶堂(魚成
田穂)
・元々は桜峠にあった。県道拡張により、やや東に移転。その後、現在地(桜峠トンネル東口)へと移された。 |
城川茶堂群:沖の堂(魚成)
|
城川茶堂群:蔭之地茶堂(魚成)
・8月15日には茶番(茶の接待)が行われる。 ・大日様(大日杭を立てて青竹を縛り付けて参拝に来た牛を繋ぐ) |
城川茶堂群:古市茶堂(魚成)
2002/11/10 ・安置像:馬頭観世音菩薩、大日如来観世立像、三界萬霊座像 |
城川茶堂群:菊之谷茶堂(高川)
1999/5/29 ・高川保育所前にある。 ★丁度横に「土石流危険渓流:黒瀬川水系東ゴボノオク川」という看板が見える。 |
城川茶堂群:程野茶堂(窪野)
・県境大茅峠にある。 |
城川茶堂群:河内茶堂(窪野)
2002/11/10 |
城川茶堂群:下里茶堂(窪野)
1999/5/29、2002/11/10 ・滝花橋バス停前にある。 |
城川茶堂群:三上茶堂
▼お接待 ・8月中の2〜3日(平成6年、茶堂新築より始められた。) |
城川茶堂群:北谷茶堂
▼七夜念仏 先祖供養の行事。8月の上旬、1週間通して、「座り念仏」を唱え続ける。最終日の「打ち上げ」では、鉦(かね)に合わせて念仏を唱える「踊り念仏」が行われる。 |
雨包山【城川町野井川】
2002/11/10
・標高1111.4m。
・「野井川村にあり 高山にて山上に夷子堂あり
風悪しき故に堂の破損すること度々なり」(伊予温故録)
雨包山の名の由来
・宝徳年間(1449〜1452)、西宇和郡川之石に一人の海女がいた。 ・ある日、夢枕に事代主命(ことしろぬしのみこと)が現れ、「海の底で苦しんでいるので、高い山に連れていってくれ」と告げた。 明くる朝、夢のお告げに従って海底を探すと金の恵比寿像があった。そこで海女は高い山を探し、伊予之地(野村町)を通り、その先に祀るのに相応しい山を見つけた。 ・海女がこの山の頂に恵比寿像を置いて山を下っていくと、恵比寿が山頂付近の岩の上に立ち、海女を恋しそうに見送っていたという。 ・これより「海女包山」と呼ばれ、これが「雨包山」と記されるようになった。ちなみに、恵比寿が立っていた岩を「海女恋しの岩」という。 |
御在所山【城川町/広見町/日吉村】
・標高908.1m
甲ヶ森【城川町土居】
2002/11/10
・標高451.3m
甲ヶ森城跡 |
黒瀬川【城川町】
菊之谷川【城川町高野子】
牛鬼淵 |
愛宕精進 |
実盛淵【城川町遊子川】
成王瀬(なりおうせ)ノ淵【城川町魚成】
「魚成村に在り 淵の上に三四反田あり さがだての二郎左衛門といふ者
代々作り来れり 糞肉の類入るることならす 耕作の時も二便ともに田を出て山へ入ぬ
或時二郎左衛門年久しく成ぬれば 子細あるまじとてこやしいれたり 其夜より二郎左衛門家内にちいさきくちなわみちみちたり
あだはなさじといへとも 男女ともおびへて 終に家を明けたり 其の時二郎左衛門
龍澤寺より札をもらいて立てたりしが くちなわ皆失せぬと此淵を上より見る所あり
ちいさき木をとらへてのぞくに 足のうらこそばゆく おそるべき深淵なり 旱魃の時は此淵にて雨乞ひせり」(伊予温故録)
「成王瀬淵 竜沢寺中に在り。旱(ひでり)する時此淵にて雨を祈れば必瑞雨ありと云。昔此淵に竜の住けるに、三世玄室和尚と問答しける事、宇和旧記に見えたり。こは竜沢寺と云(ふ)名によりて附会したる説なるべし。固(もと)(よ)り信ずるに足らず。」(愛媛面影)
三滝渓谷【城川町窪野】
1999/5/29、2002/11/10
・天正の昔、三滝城落城時の城主紀親安公が悲運の最後をとげた哀話を始め、多くの伝説が残っている。
・八十八滝、九十九渕といわれる。
クロスケ昼寝の石
・クロスケ(別の名をホホグロという)は塩の商人で、豊親山蔵王権現の信者であり、向こう倍の力を授かっていた。このクロスケは、暇さえあればこの石で昼寝をして力を蓄えていたという。今でもこの石に腰をかけて城跡に向かって手を合わせ、「豊親大権現」と17回唱えると、力が相手の倍になると伝えられている。 |
産湯の滝
・今から約450年前、この滝の下、合良橋のほとりに、三滝城おかかえの甚兵衛という仲の良い樵の夫婦が住んでいた。ある日夫婦が木こりをしていたとき、嫁のおとめさんが俄かに産気づいて、家に帰る途中、この滝の辺で男の子を産んだ。日頃三滝城守護神を信仰していた甚兵衛は、蔵王大権現に祈り続けると、不思議なことに滝の水が湯に変わり、その滝で産湯をつかわせた。夫婦は子供に次郎吉という名前をつけた。それから、誰とはなく「次郎吉産湯の滝」という。 |
ジロウ淵
・頃は天正の時代、次郎吉という樵が城主に召抱えられていた。 樵では不満であった次郎吉は、城から出てここで武芸を修練した。この鍛錬が実を結び、やがて城主に認められて馬掛りに出世、士官となった。 ★産湯の滝の次郎吉と同一人物を指すかどうかは定かではない。 |
タロウ淵 |
マサカリ淵 |
テッポウ淵(鉄砲淵) |
アカゴ淵(赤子淵)
・夜泣き淵ともいう。 ・生活苦のため、産み落とした子を投げ入れたという伝説が残る。 |
二見滝
▼「二見滝の虹しぶき」の伝説 ・中野川から落ちる右の滝壷がナベ淵、窪川から落ちる左のトックリ淵、二つの異なった谷から落下する滝を見られるのは、全国でも稀なことであるという。 ・トックリ淵の上にヨゼン淵、豊親様が水に入り行をされたというカンス淵、ヨゼン淵の水煙かすむところにひずめのような小洞があり、石を投げ入れるとよい嫁さんを迎えられるとか、いつでも満石である。ヨゼン淵は石鎚山の登山者が身を清めていく処だといわれている。(土居郷土誌) |
カンス淵
・2段目の滝。 ・滝壷に石を投げ入れると、良い嫁を貰えるという。 |
行者の滝 |
よぜん淵
・石鎚行者が水垢離を行った場所という。 ・「世善淵」か? |
茶堂 |
塩崎素月句碑
「鶯や 眉の上なる 三滝城」 |
城川町ふるさとこみち
「三滝渓谷とシルリア紀石灰岩」 ・多くの伝説を秘めた渕の連なる三滝渓谷は、新緑、紅葉の季節はもとより、四季折々の景観は素晴らしく、町内随一の景勝地である。また渓谷の下流にあるシルリア紀石灰岩はハチノスサンゴなど床板サンゴ類に属する我が国最古の化石も発見されている。 ・慶弔地とともに地質学上からも興味深い渓谷である。 「紅葉照る 九十九渕の 三滝城」(城川かるた) 「歴然と 化石に残る サンゴ類」(城川かるた) |
樽滝【城川町野井川】
2002/11/10
堂ノ坂(どうのさこ)【城川町田穂】
2001/7/14、2002/11/10
・棚田百選
大イチョウ【城川町窪野 三滝神社】
1999/5/29、2002/11/10
・県指定天然記念物(昭和26年11月27日指定)
・旧二の丸にあり、高さ約40m、根周り約8.6m、目通り約7.4m、枝張り半径約15m、地上8mにて二大幹となっている。推定樹齢350年。
・天正11年正月13日、城主紀親安は城に火を放ち、この大銀杏の下で辞世の歌を詠み自害したと伝えられる。
大イブキ【城川町田穂 宝泉寺】
2002/11/10
・樹齢500年以上。
・県指定天然記念物
・ヒノキ科の常緑高木
・本州(宮城県以南)、四国、九州、琉球、朝鮮、中国に分布する。ここ栢岩山宝泉寺は、室町時代末期の永禄2年(1559)に竜沢寺11世椿山霊樹大和尚の開山で創建され、栢岩山という山号に柏(ビャクシンの意)が冠せられているところから当時すでに相当な樹勢をもっていたことが推察される。
・推定樹齢500年以上
・庭園樹として賞用され、材は鉛筆材として重用される。
宝泉坊大樫群【城川町】
・町指定天然記念物
・シラカシ、ウラジロガシの巨木がある。
竜馬の小便杉【城川町高川】
・坂本竜馬が脱藩時にここで小休止をし、小便をかけたという。
九十九曲峠【城川町】
・勤王志士脱藩ルート。この峠を越えて脱藩したのは、吉村虎太郎、那須俊平、千屋菊次郎、松山深蔵、上岡胆治、田所壮輔、中平竜太郎、尾崎幸之進、安藤真之助、千屋金作。
・一方、韮ヶ峠経由は、坂本龍馬、沢村惣之丞。
唐岩峠【城川町遊子谷/野村町】
桜が峠(さくらんとう)【城川町田穂】
・桜が峠は大正年間に開削された。(大正2年2月着手、大正2年6月落成)
・桜が峠付近には桜がたくさんあるのだが、これは開削当時、田穂の青年達が「桜の名所にしよう」と植えたのが始まりという。
・昭和40年代まで、峠にはお堂があった。これは、田穂と中津川の青年らが、野村に行く途中の休憩所として作った茶道である。桜の咲く季節には、峠までよく足を運んだものだ。野村小学校では、遠足のコースとして必ず織り込まれる風光明媚な峠であった。
・おぼろげな記憶によれば、桜峠には茶店があった。これは常時あったというわけではなく、桜の季節に限定したものだったように覚えている。
・茶堂は、道路拡張に伴い、やや東へと移動され、遂には桜峠トンネルの近傍まで移動された。
・一時期、国道に昇格したものの、数年で県道に降格。今は町道にまで降格している。(※西予市になってからは、市道扱いか?)
焼棟峠【城川町/野村町】
大門峠【城川町高野子】
「勤王志士坂本龍馬脱藩通過地」の碑 |
塩崎素月句碑
「鶯や 眉の上なる 三滝城」
ひろし
川柳碑【城川町遊子谷 日浦 JA前】
「農政に かかわりもなく 棚田打つ ひろし 1994.2」
2002/11/10
記念之碑(県営圃場整備事業
杭工区)【城川町魚成 杭】
2002/11/10
・杭茶堂のやや西側の道沿いに建つ。
・昭和62年2月
蛍雪碑:遊子谷尋常/高等小学校跡【城川町遊子谷
日浦】
2002/11/10
「沿革
開校 明治8年 白岩小学校
改称 明治26年 遊子谷尋常小学校
改称 明治45年 遊子谷尋常高等小学校
閉校 昭和13年 野井川校と統合移転し閉校
追思
此所に学舎ありき
遊谷の気に身を漱ぎ
亭々たる公孫樹を仰ぎ
霜にうたれ勉したる先人あまたなり
校史六十余年の訓
連綿として今に広遠を照す
蛍雪の歳月を偲びこれを建つ
建立寄付者芳名
....(略)....
平成12年3月建立
窪野小学校跡碑【城川町窪野】
・明治8年、井谷寺の一室にて三滝小学校を開設した。
・明治19年、男地浦田氏隠宅にて三滝小学校分教場を開設した。
・明治20年、窪野簡易小学校と改称。場所は河内宮下になった。
・明治25年、窪野尋常小学校と改称した。
・昭和5年、現在地に校舎を改築した。
・昭和16年、窪野国民学校と改称した。
・昭和22年、窪野小学校と改称した。
・昭和47年、学校統合により閉校となった。
義民一揆
義農顕彰の碑
義民一揆 義農顕彰の碑
明治三庚午年宇和島藩吉田藩 義民一揆 義農顕彰の碑 宇和島藩(野村騒動)関係分 鶴太郎(中津川) 惣吾(中津川) 和太治(川津南) 仙三郎(中津川) 吉田藩(三間騒動)関係分 嘉之助 藤吾 国三郎 庄吉 為治 丈左衛門 源吾 沢吉 桃吉 源助 惣治 米造 与三郎 虎之進 定治 共に高野子 城川町 城川町史談会
|
樽滝公園【城川町】
2002/11/10
・野井川上流の渓谷美溢れる公園。
樽の滝(たるのたき)
・町内最高峰1111mの雨包山から流れ出る清き水で造られた、高さ30m程度の滝。 ・秋には、滝の周囲の紅葉と白糸の滝の調和が非常に美しく、毎年地元の人々によって“もみじ祭り”が開催される。 |
城川町総合運動公園【城川町】
ジェット、セスナ機、ヘリコプタ展示 |
ジャンボ滑り台(125m) |
トレーニングセンター |
全天候型テニスコート(2面) |
三滝渓谷自然公園【城川町窪野】
2002/11/10
城川自然ロッジ |
天蚕センター |
城川自然牧場
・地豚と、ドイツマイスター直伝の技術を活かした手作りハム・ソーセージを堪能できる。 |
窪野小学校跡碑 |
ゴトランド紀石灰岩
・県指定天然記念物(昭和28年3月13日指定) ・県内で最も古い地層である。地質時代から言えば古生代末期のおよそ4億2000万年前のものといわれるこの地層は、東は窪野地区から西は嘉喜尾・男河内へと町内のほぼ中央を北寄りに不連続的な帯状で存在し、その中に分布している石灰岩の中から床板サンゴ類に属する鎖サンゴ・蜂の巣サンゴが発見された。 ・このシルリア紀の床板サンゴ類は現在までの研究では、わが国最古のものである。この石灰岩は、左後方下の川床に現出している。 「歴然と化石に残るサンゴ類」(城川かるた) |
万葉の道
★城川自然ロッジから地質館へと続く約300mの散歩道沿いに42基の歌碑が立ち並び、そしてその碑文の万葉歌に出現する植物が碑の傍らに植えられている。 |
地質館【城川町窪野2080】
・開館時間:08:30〜17:00 ・休館日:年末年始、毎月第4火曜日 ・入館料:高校生以上300円、中学生200円 ・いろいろな化石や植物ジオラマが展示されている。 ・地球の成り立ちを学ぶことができる。 ・地質館前の広場には、グリーンランド片麻岩、中国桂林の石灰岩、オーストラリアの鉄鉱石、ストロマトライト石灰岩、枕状溶岩などが展示されている。 ・地質館内には、ネパールのリップルマーク(地層に残った波状模様)、アカスタ片麻岩(世界最古の石)、珪化木(けいかぼく)などが展示されている。 |
びっくりハウス
・不思議おもしろ体験ができる視覚体験館 |
龍澤寺緑地公園【城川町魚成】
・森林浴の森日本百選に選定されている。
キャンプ施設 |
トリムコース |
遊歩道 |
ジャンボローラー滑り台(長さ198m) |
グラススキー場 |
バンガロー |
遊子川公園【城川町遊子谷
日浦】
2002/11/10
・愛媛県観光協会・城川町が平成3年12月に建立した標柱に「遊子川公園」と記されている。
句碑 |
慰霊塔 |
古市お不動尊【城川町古市】
・旧暦1月16日
今田どんど焼き
・無病息災を祈願し、1月15日頃、河内神社近くの水田で行われる。
・その年に厄年を迎える者が、河内神社から神火を運んできて、どんどに点火する。
穴神どんど焼き【城川町川津南】
・1月15日、穴神洞前の広場で行われる。
・無病息災を祈願する。
(*1)必ずしも1/15というわけではないようだ。
龍澤寺花まつり【城川町魚成】
・4月8日
三滝祭り【城川町窪野】
・4月17日
実盛送り[虫送り行事]【城川町田穂】
・田植えが終わった後、五穀豊穣・悪虫退散を祈願して毎年6月下旬の日曜日(田休み)に田穂・魚成地区で行われる民俗行事。
・虫送り、虫祈祷、土用祈祷などとも呼ばれる。
・斎藤実盛(さいとうさねもり)は平安末期の武士で、越前生まれの人。後に武蔵国長井に移り源為義(みなもとのためよし)、義朝(よしとも)に仕えた。義朝没後、平宗盛に仕えたが、木曽義仲との北陸での戦いにおいて稲株に足を取られて敗死した。これに怨恨を持って死んだため害虫に転生し、後々まで祟りを及ぼすようになったと言われる。
・稲藁でこしらえた武将姿の大きな実盛人形を鉦や太鼓で囃しながら、田植えの終わった田のあぜ道を行列をなし、圃下流の地区へ送り継いで行く。最後は供物と共に川へ流す。
・実盛の霊を弔うために鉦や太鼓を打ち鳴らし、田の畦道を歩いて送る行事が「実盛送り」である。
・実盛様の行列は、鉦や太鼓を打ち鳴らしながら田の畦道を進み、途中で善男善女が茶堂に参拝し、今年の無病息災と豊作を祈る。
・実盛様の棟の「さんや袋」の弁当(赤飯・柏餅)をいただくと、夏病みしないとの言い伝えがある。
どろんこ祭り(御田祭り=おんだまつり)【城川町土居 三嶋神社】
・町指定無形文化財(昭和44年指定)
・「奥伊予の奇祭」として有名。
・毎年7月上旬の日曜日(第1日曜日)に開催される。
・田植えが終わった喜びを神に感謝し、五穀豊穣・無病息災を祈願する田休み行事。
・明治14年ごろから土居の高月兵太郎氏らによって始められた。
・「牛の代掻き」「畦豆植え」「さんばおろし」「早乙女の手踊り」「御田植え」などの神事が行われる。
・神事の後、三島神社横の御供田(ごくでん)に水を入れて11頭の牛が代かき(荒がき)をする。まず荒かきをして、次いでかきあげに移るころ牛の背中に御幣と幟を立てる。(かきあげ歌を歌いながら)
※「牛の代掻き」の時に泥をかけられると夏病みしないという。
かきあげ歌
ヤーレナー こなたのやしろ ヤーレナー めでたいやしろ
ヤーレナー ひなはんどきぞ ヤーレナー やつのさがり
ヤーレナー かいたるしろを ヤーレナー のこすなよ
ヤーレナー せきやまこえて ヤーレナー やどとろか
ヤーレナー せんしゅうらくに ヤーレナー たびをなせよ
ヤーレナー まんざいらくに ヤーレナー うたいおさめ
・次いで4人の若者による「畦豆植え(あぜまめうえ)」が行われる。ワラスボ、ササラ、杵などを持ち、滑ったり転んだりして滑稽な演技を行う。畦豆植えは、田の畦を利用して大豆を植える姿を面白おかしく表現したものである。
・水田の中の特設舞台では無病息災・五穀豊穣の祈りを込めて、神楽「三番下し(さんばおろし)」が演じられる。
・最後は菅笠に赤い襷(たすき)・浴衣姿の早乙女が田植え歌を歌いながら苗を植える所作「早乙女の手踊り」を演じる。
全国かまぼこ板の絵展覧会【城川町
ギャラリーしろかわ】
・7月下旬〜11月下旬
川津南楽念仏【城川町川津南
西方寺】
・8月6日
土居高川盆踊り花火大会【城川町
町運動公園グラウンド】
・8月13日
下相花取り踊り【城川町下相
八幡神社】
・8月21日
宝泉坊温泉まつり【城川町高野子 宝泉坊温泉】
・8月最終日曜日に行われる。
・温泉下の黒瀬川での「マス釣り大会」、「ウナギのつかみ捕り大会」などが行われる。
奥伊予牛ニバル(ギューニバル)【城川町】
・10月の第2日曜日に龍澤寺緑地公園で実施される。
・県内一の肉牛生産地である「城川町の和牛肉」のPRのためJA(農業協同組合)・役場・商工会などで組織する村おこし実行委員会が主催し、平成2年(1990)から始った。
奥伊予・栗まつり【城川町役場前 きなはい屋・流通センター】
・9月第3土曜・日曜日10:00〜16:00に行われる。(城川町主催)
・栗を原材料とした各種特産品の販売や、栗に因んだ催し物が行われる。
城川オリンピック【城川町土居】
・城川町土居の運動公園で10月10日に行われる町最大の町民参加型スポーツイベント。
・昭和43年から始まった。
遊子谷秋祭り【城川町遊子谷】
・10月25日
秋祭り【城川町全域】
・11月3日
愛宕精進【城川町高野子菊之谷】
・毎年12月24日に行われる伝統行事で、菊之谷川の牛鬼渕で水垢離をして防火を祈願する。
・昔、この地区で大火があったことから、山の上に火の守護神「愛宕大明神」を祀り、村の長老が冬至から3日間断食をして朝昼晩と1日3回の行水を行ったのが始まりと言われる。
道の駅:城川町特産品センター「きなはい屋」【城川町】
ふるさと交流館【城川町窪野】
・三滝渓谷にある。
どろんこ祭り保存館【城川町土居】
1999/5/29
・開館時間: 8:30〜17:00
・料金:大人300円、小・中学生150円
・平成7年(1995)7月完成
・1階ロビーでは「町内の祭りと行事」「御田植(おんだ)祭りの歴史」などを紹介、奥の展示室では「等身大の大番(だいばん)」と「泥んこの若者達の畦豆植え風景」などを再現している。
・保存館前には「代掻きのレリーフ」 がある。
地質館【城川町窪野2080】
地質センター【城川町
城川西中学校】
・城川町内で採集した化石を陳列している。
城川町立歴史民俗資料館【城川町下相945】
・開館時間:08:00〜17:00
・休館日:毎週月曜日、国民の祝日の翌日
・穴神洞・中津川遺跡出土品(約8,000年前の人骨)などが保管・展示されている。
城川自然ロッジ(旧三滝ロッジ)【城川町窪野2560】
1999/5/29
・三滝渓谷自然公園
・宿泊料金:1泊4,000円〜
・URL:http://www1.sphere.me.jp/yukai/sirokawa/
城川自然牧場【城川町】
1999/5/29
・手作りハム・ソーセージが食べられる!
宝泉坊温泉【城川町高野子】
・国道197号線沿いにある。
・低張性弱アルカリ性の冷温泉。
・効能は、神経痛、筋肉痛、リウマチ、五十肩。
・温泉下には黒瀬川が流れる。
・営業時間:10:00〜22:00(年中無休)
・入浴料:大人300円、小中学生150円、家族風呂は基本料金50分1500円。
宝泉坊の伝説
・宝泉坊には冷泉が湧出しており、昔から万病に効くと伝えられている。 ・天正の昔、一人の法師が矢傷を負い、この森に逃れて冷泉で癒した。法師はこの地に庵を結び仏道修法に念じ、旱魃には雨を恵み、疫病には冷泉で人々を救った。以来、村人は宝泉坊様として大切にまつっている。 |
宝泉坊家族風呂
・営業時間:12:00〜22:00(予約したほうがよい) ・基本料金:1200円(40分間、大人3人または大人2人、小人2人) |
宝泉坊別館和室
・料金:昼間4時間まで1550円、夜間4時間まで1860円 ・宴会・会食・休憩等に利用 予約制 1室15畳 25人まで |
宝泉坊プール
・営業期間:6月15日〜9月15日 ・料金:大人200円、小人100円 ・50mのスライダーつきプール |
宝泉坊温泉まつり
・8月最終日曜日に行われる。 |
宝泉坊ロッジ【城川町高野子】
・施設:客室18室(和室7室、洋室11室)
・宿泊料:中学生以上2500円、小学生1800円、幼児(3歳以上)1200円
・休憩:午前10時から午後4時。一室(和室のみ)3時間まで1550円、超過料金 1時間320円
揚桁冷泉【城川町】
・「魚成村に在り 温度六十五度にして炭酸の気を含む 温めて浴すべし」(伊予温故録)
サルバイ【城川町田穂】
1999/5/29
・昔、田穂の領地をめぐって、魚成の神[一宮神]と野村の神[三島神]が境界争いをした。両方の神は、各々の社を出発し、出会ったところを境界にすると約束した。
・ある朝、一番鶏を合図に魚成の神が牛に乗り、野村の神が猿に乗り出発した。猿の方が足が速く、野村の神はとうとうここまで来て魚成の神と出会った。
・この場所を猿が奪ったから「猿奪い(サルバイ)」という地名が付いたそうである。
・これにより田穂は三島の氏子になったという。
エンコの証文【城川町魚成】
江戸ぶち【城川町魚成】
取らず関【城川町魚成】
石切り地蔵【城川町魚成】
首無し馬【城川町魚成】
坊主峠【城川町魚成】
オオサブ・クロスケの伝説【城川町遊子谷】
【茶堂の向きを変えた話】
あるとき、野村町植木にある茶堂の向きを変えたまま宇和島へ行き、帰りに再び寄って見ると社人(祈祷師)を呼んで組中の人が拝んでいる。聞けば知らぬ間に茶堂が向きを変えたので拝んでいるという。そこで「そんなことをしなくてもいい」と二人で茶堂を抱えて元の向きに直したという。
【オオサブの怪力伝説】
塩荷駄を持っていたオオサブが殿様の行列と行き合ったとき、塩を6俵つけた馬を軽々と抱えて道の側に立っていたという。
【クロスケの怪力伝説】
隣の高知県梼原村(現梼原町)の龍王様の祭礼で三升飯を食べ、物干し竿をしごいて柔らかくしてふんどしにし、土俵に上がって四股を踏んだところ、右足が脛まで土中にめりこんだ。これを見て恐れをなした高知勢は、相撲をとるのをやめ、以来クロスケは「とらず関」の異名をとったという。
【言うこときかんと....】
この辺りでは、言うことをきかない子供に「言うこときかんとクロスケに連れていんでもらうぞ」と嚇す。まるで鬼扱いである。
鬼子【城川町遊子谷】
牛鬼淵【城川町遊子谷】
音なし穴【城川町高川】
黄幡狸【城川町高川】
宝泉坊の泉【城川町高川】
あかごぶち【城川町高川】
牛鬼淵【城川町高川】
ナガトのナガソデ様【城川町高川】
あびうぜの淵【城川町土居】
山口坊主【城川町】
アンモナイト化石層群【城川町田穂】
田穂は、古代化石群で有名なんよ。
「おつくりもの」の風習【城川町魚成(川向、町中、蔭之地)】
・「こえ松」「柿の木」を材料に、男性の性器を象った「おつくりもの」をこしらえて、結婚式に新郎新婦に贈る風習が残っているという。