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伊予の隅々
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伊方町
(旧・伊方町)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要
「私は海の中で生れた 1901年1月28日 一枚の鱗にさう書いてあった 伊予の西南の象の鼻のやうに突き出た半島の中ほどの伊方である」 高橋新吉
■姉妹都市提携:北海道 迫村
■姉妹都市提携:米国レッドウィング市


キャッチフレーズ
(1).「みかんと杜氏の町」
(2).「いま拓く 豊かな伊方 ゆめ・未来」

町の花 町の木 町の花木 町の鳥
ツワブキ クロマツ


特産物

丸ずし
・サヨリ・イワシなどを開いて塩・酢で味付け、おから(雪花葉)・ネギ・ショウガ・おのみなどを包んだもの。

さつま
・焼き魚とみそをすり合わせたすり鉢を逆さに火であぶり、だし汁を加えた後、ごはんに掛けて食べる。

あずま
・おからに味を付け、酢・米を混ぜゴマを入れて作る。

酒づくり
・伊方杜氏は四国で最大の杜氏集団であり、戦前までは、県内はもとより、四国、九州、遠くは満州や朝鮮半島にまで酒づくりに出掛けたという。

味噌(無添加いなか味噌)

つわ漬け(かす、みそ)

ちりめん

温州みかん


沿革
・昭和30年3月31日、町制実施。
・平成17年(2005)4月1日、瀬戸町・三崎町と合併して新生伊方町をスタートした。

地名
大字
大浜
中之浜
仁田之浜
湊浦
河内
小中浦
中浦
川永田
豊之浦
伊方越
亀浦
九町 奥、向、畑、須賀、久保、西、九町越、長崎
二見 二見本浦、加周、田之浦、古屋敷、鳥津、大成、岩見


文化財

ナギの木【伊方町中浦】
・県指定天然記念物

市右衛門供養塔【伊方町中浦甲692 法通寺】
・町指定記念物[史跡](昭和41年3月26日指定)
愛媛県 伊方町  市右衛門供養塔(墓)
 文政13年(1830)春、庄屋追放に立ち上がった伊方騒動の首謀者、中浦の市右衛門は、庄屋更迭に成功したが、翌天保2年 (1831)斬罪となった。
・遺徳を称えて、法通寺境内に墓碑が建てられて供養されている。
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

丸岡城跡「城の台(しろのだい)」【伊方町】
・町指定記念物[史跡](昭和62年4月24日指定)
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

長崎城跡【伊方町九町 須賀】
・町指定記念物[史跡](昭和62年4月24日指定)
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

得能主膳ゆかりの地【伊方町九町安浦 得能神社等】
・町指定記念物[史跡](昭和41年3月26日指定)
・今から約400年前、、九町長崎城主に任用された得能主膳は、行政に意を注ぎ、土地の開拓と資源の開発に努めていた。領主らは、九町浦を治めた偉業をたたえて主膳を祀った。(得能神社)
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

妙楽寺五輪塔 8基【伊方町湊浦1966番地 妙楽寺】
・町指定記念物[史跡](昭和41年3月26日指定)
・慶長九年(1604)、妙楽寺を開基した佐々木六郎左衛門尉源義行と妻のタノの墓碑で、町内で最も古い石像美術。
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

一里塚【伊方町九町】
・町指定記念物[史跡](昭和53年12月20日指定)
・九町(くちょう)の高野山三宝寺の前に一里塚がある。
・三宝寺前の道は九町から二見へと通じる旧街道であり、昔、陸路の里程を表すために一里毎に塚を作り、これを一里塚と呼び黒松を植えた。
・藩主の参勤交代時の登り坂の休み場として利用されたと伝えられている。「これより左二見道を経て三机へ至る」(「これより西へ二見道を経て三机に至る」?)
・九町一里松は、明治末期老衰のため枯死した。その後二代目黒松も成長していたが、昭和49年(1974)に枯死した。

一里塚【伊方町川永田甲888】
2004/12/31
・町指定記念物[史跡](昭和41年5月17日指定、昭和53年4月1日名称変更)
・伊方町中央公民館には、この黒松の断片が保存されている。
・この地方は、明暦・元禄年間(1657〜1693)第2代宇和島藩主・伊達宗利(むねとし)の統治下にあった。この時期に宇和島藩内の主要街道に塚が作られたのだが、この地にも延宝元年(1673)に黒松が植えられ、一里松と呼んでいた。
・川永田の港は天然の良港であり、参勤交代時の交通路となっていたので、この一里松は旅の目印として活用された。
・この松は近年まで樹齢300年、幹周4.38m、樹高約13mの勇姿を誇っていたが、昭和53年(1978)2月に松食虫被害により枯死したので一里塚と改称した。
・伊方町中央公民館には、この黒松の断片が保存されている。

(備考)
・織田信長が、36町(約3.93km)をもって一里とし、領内に塚を築き、その上に黒松と榎を植えさせたのが、我が国の一里塚の始まりである。
・徳川家康も信長に倣い、慶長9年(1604)、江戸日本橋を起点として諸街道に一里塚を築かせた。

・「昔の陸路は、里程を表すために一里ごとに塚をつくった。これを一里塚といい、その上に木を植えた。我が国では織田信長が36町(約3.9キロメートル)をもって一里とし、領内に塚を築かせたのが初めであり、その上にエノキを植えさせた。
 その後、慶長9年(1604年)徳川家康は、江戸日本橋を起点として諸街道に塚を築かせた。宇和島藩でも、江戸幕府にならって藩内の主要街道に一里塚を築き、その上に黒松を植えた。当時(寛文13年、1673年)川永田の港は、天然の良港であるため、参勤交代の交通路となっていたので、旅の目印とされた。その後、相ついだ海岸埋立により、今では部落の中央部に位置している。
 この一里松も松くい虫の被害で、たびたびの防除の甲斐もなく、昭和53年2月遂に枯死するに至った。樹齢約300年、目通り4.38メートルの由緒ある黒松も基幹部を残し伐採された。地域の住民はもとより、国道197号線を通行する者に親しまれていた一里松の英姿をしのぶ人は多い。昭和41年町指定文化財「一里松」と指定されてきたこの記念物を、昭和53年4月「一里塚」と改称し指定を存続している。
(町指定史跡)」(えひめのふるさとこみち 南予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日)

大名駕籠【伊方町中浦 法通寺】
・町指定民俗資料(昭和410年4月25日指定)
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

きそん(節)【伊方町九町】
・町指定無形文化財(昭和41年3月26日指定)
 「きそん」の起源は天明時代(1781〜1788)以後といわれるが、詳しくは不明。
・節調はご詠歌調で、先祖の霊を供養することから次第に娯楽的なものに変化していった。
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

ナギの木【伊方町中浦 法通寺】
・町指定天然記念物→県指定天然記念物
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

クロキヅタ【伊方町仁田之浜海岸】
・町指定天然記念物(昭和50年12月17日指定)
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

木造聖観音菩薩立像【伊方町亀浦】
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

木造十一面観音立像【伊方町川永田】
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

木造阿弥陀三尊像【伊方町九町奥 天徳寺】
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

涅槃図【伊方町九町奥 天徳寺】
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

地獄極楽絵図【伊方町九町奥 天徳寺】
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

伝後水尾天皇宸翰(でんごみずのおてんのうしんかん)【伊方町九町奥 天徳寺】
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

大赦願書控(たいしゃがんしょひかえ)【伊方町九町奥 天徳寺】
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

不動明王像【伊方町中浦 法通寺】
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

野馬図屏風【伊方町中浦 法通寺】
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

伊達宗紀筆扁額「法通」【伊方町中浦 法通寺】
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

兎薄図【伊方町中浦 法通寺】
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

八幡縁起絵巻【伊方町湊浦 八幡神社】
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

熾仁(たるひとしんのう)筆扁額「八幡大神」【伊方町湊浦 八幡神社】
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

彰仁親王筆大師宝号(あきひとしんのうひつだいしほうごう)【伊方町九町西 三宝寺】
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

一ノ宮客神社
(愛媛温故紀行、平成15年)

佐々木酒造場
・ビジネスホテル伊方の、道を挟んで向かい。
(愛媛温故紀行、平成15年)

松田嘉吉酒造場
・伊方町役場庁舎北西。
(愛媛温故紀行、平成15年)

女子岬精錬所
(愛媛温故紀行、平成15年)
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

井田医院
(愛媛温故紀行、平成15年)

栗田医院
(愛媛温故紀行、平成15年)

佐々木長治家
ビジネスホテル伊方の、道を挟んで向かい。(現在の中田氏邸)
(愛媛温故紀行、平成15年)

清家粂一郎家
・佐々木邸南西(現在の桐山氏邸)
(愛媛温故紀行、平成15年)

石橋芳保家
・現渡辺氏邸
(愛媛温故紀行、平成15年)

菊池家住宅
(愛媛温故紀行、平成15年)

藤堂家住宅
(愛媛温故紀行、平成15年)

旧湊座



城址

沖の城【伊方町九町】
→鶏をきらう氏子

長崎城【伊方町九町】
・町指定史跡(昭和62年4月24日指定)
・九町の須賀海岸に、もと九町池があった。その上方に、長崎城跡がある。
→二見のからと様
・長崎城主は元亀3年7月16日自害した。(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日の「38.金山城」を参照)

金山城(忠城)跡【伊方町二見 忠城】
・金山山頂
・城主・得能主膳通明
・元弘・延元頃の築城と考えられる。
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

丸岡城跡「城の台」【伊方町】
・町指定史跡(昭和62年4月24日指定)
・戦国時代の城跡。
・元亀3年7月15日落城。

「法通寺の後上方に中浦字丸岡というところがあり、「城の台」とも呼ばれ、伊方湾内一円を望める小高い丘が戦国時代の丸岡城の跡とされている。
 城主は、有馬右兵衛佐藤原義通という人で、元亀年間(l570〜1573)に土佐城主一条家(中村)の臣の為、落城した。
 このとき、義通は出家して法通寺(当時は薬王寺)に入って、僧「大真」と名を改め、時の住職「良巌上人」のもとで寺を現在地に移し(従来は中浦椿の段、今の大師堂あたり)城を復興する代わりに寺を復興したと思われる、
 現在も寺の周辺に、城に関係した地名(塀の上・舟堀空堀など)が多く残っており、明治初年までの塀には矢狭間があったことからもそれがうかがえる。
 当時は戦乱の世であった為、寺と城を兼ねての復興であったと思われている。
 丸岡城の築城の年代等詳しい事は不明であるが、戦国時代の伊方を治めていた大名であることは疑いなく、歴史上極めて重要である。
法通寺略縁起より
昭和62年4月28日指定 伊方町教育委員会」(立て看板より)



遺跡


跡地

歩越(かちこし)番所跡【伊方町伊方越】

(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)



古墳

三宝寺【伊方町九町1-204(安浦)】
・宗派:真言宗
・山号:高野山
一里塚

天徳寺(てんとくじ)【伊方町九町4-725(高見)】
・山号:海南山(かいなんざん)
・本尊:阿弥陀如来
・脇仏:観音菩薩、勢至菩薩
・創建不詳。寛文11年(1671)以前で開基不詳。
・本尊の阿弥陀如来は、恵心僧都(けいしんそうず。寛仁元年(1017)没)の作と伝えられる。
・寺はもとは梵田(ぼんた)の山手にあったが、消失して現在地に移転した。その後、建立・改築・増築・修復され、現在の寺域を保っている。
・現在の建物で最も古いものは、文政2年(1819)の庫裏である。

・「天徳寺は、戦国時代(永禄一天正年間)の支配者、得能主膳が建立したものともいわれている。得能家に伝わっていた武器や、主膳の所持品などが献上されていたが、寺の炎上によって焼失したと伝えられている。現在の本堂は明治35年3月に建立されたものであるが、庫裏(くり)は文政2年(1819年)に、山門は弘化2年(1845年)に建立されたものである。宝物として、次のような、後水尾天皇の御展筆と伝えられるものがある。
唯有 一乗法 二亦無 三
いつくにか我のりならぬ法やあると
空ふく風にとへとこたへす
 近くに主膳が自決したといわれている梵田(ぼんた)と言う所があり、梵と記された石塔が建っている。宇和旧記に「海南山天徳寺本尊阿弥陀勢至観音、禅宗、開山不知、此寺の門前田の中に城主得能主膳石塔あり」と書かれている。」(えひめのふるさとこみち 南予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日)

本立寺【伊方町大浜611-2】

法通寺(ほうつうじ)【伊方町中浦甲692番地】
・四国ぼけ封じ33観音霊場17番札所
・「この寺は伊達藩公の信頼があつく、法通寺の紋章が伊達家の家紋と同じであり、伊達春山公の筆である本堂正面の「法通」も奉納、保存されている。」(えひめのふるさとこみち 南予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日)
 
市右衛門の墓(市右衛門供養塔)
・町指定史跡
市右衛門伊方騒動の犠牲者である。
・文政13年(1830)、庄屋の非をあげ、大洲に出訴し、斬られてしまった。
・「市右衛門は、約800人の浦人と共に、庄屋辻長次兵衛父子を訴えるため、徒党を組み騒動を起し、時の庄屋の悪政浄化につとめた主謀者の一人である。中浦の住人で越訴の罪により天保2年(1831年)11月27日処刑された。」(えひめのふるさとこみち 南予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日)

(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

大名かご
・町指定有形文化財(昭和41年4月25日)
・朱塗りの大名かご。
・「大名かごは、元治元年(1864年)長州征伐のさい藩主が伊方まで出陣待機したが、この戦いは、長州藩の恭順により戦いに至らず引揚げた。その時、分宿の礼として宇和島藩主より法通寺が拝領したものである。」(えひめのふるさとこみち 南予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日)
★藩主:宇和島藩第九代伊達宗徳
★出陣待機のための滞在期間:数十日間

(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

丸岡城跡
木造不動明王立像
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)
ミニ八十八ヶ所巡り
法通寺裏山山麓より丸岡城跡山頂にかけて石仏が並ぶ。
・平成元年9月に造られた。
ナギの木
・町指定天然記念物
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

妙楽寺(みょうらくじ)【伊方町湊浦1964番地】
・山号:東林山
 
五輪塔
・町指定文化財[妙楽寺五輪塔8基](昭和41年3月26日指定)
・1604年、東光山妙楽寺を開基した源氏の末流・佐々木氏の墓碑。
「@妙楽寺(みょうらくじ)五輪塔8基
所在地 西宇和郡伊方町湊浦1966番地
 妙楽寺の五輪塔8基のうち、花こう岩製の大型2基は、原型をとどめ、町内の代表的な石造美術の遺品である。向って右側は、慶長9年(1604年)2月8日に、妙楽寺を開基した源氏の末流佐々木六郎左衛門尉源義行(1636年没)の墓碑で、左は、その妻タノ(1662年没)の墓碑である。歴史的な明確さにおいて、町で最も古く、その規模、型態も優れている。
 小型の6基は、銘文や由緒も不明であるが、そのうち、凝灰岩製(高さ1メートルほど)の4基は、宝暦年間(18世紀の中頃)のものとみられている。
(町指定有形文化財)」(えひめのふるさとこみち 南予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日)


神社

一ノ宮神社(一宮客神社)【伊方町二見 加周】
・祭神:大物主命
・天保10年(1839)建立。
・亀ヶ池畔に鎮座する。
 
防風石垣
・一宮客神社裏。
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

一ノ宮神社【伊方町仁田之浜】

伊方八幡神社(いかたはちまんじんじゃ)【伊方町湊浦1032】
・神社明細帳によれば、第56代清和(せいわ)天皇御宇貞観14年(872)に勧請され、その後、文和元年(1352)に初めて神幸を営み、それから春秋の2回祭事が営まれるようになったと言われている。
・境内の池の側には、佐瀬部浦(させぶうら)の名を刻んだ石灯篭が2基ある。

大浜八幡神社(おおはまはちまんじんじゃ)【伊方町大浜】

大浜和霊神社(おおはまわれいじんじゃ)【伊方町大浜】

客神社(きゃくじんじゃ)【伊方町大浜】
・祭神:菊理姫命、伊邪那岐命

客神社(きゃくじんじゃ)【伊方町豊之浦】
・祭神:菊理姫命

客神社【伊方町亀浦】
・祭神:菊理姫命、伊邪那岐命

九町八幡神社(くちょうはちまんじんじゃ)【伊方町九町】

金島神社【伊方町中浦】
 
アコウ樹

金平羅神社【伊方町中浦】

金平羅神社【伊方町亀浦】

鯛之浦神社【伊方町伊方越】
・平家大明神を祀る。
・壇ノ浦の戦いで敗走した平家残党が上陸・落ち延びたため「退之浦」、転じて「鯛之浦」と称するようになった。
・勝負事の神として崇められる。受験・就職・選挙などで大願成就した際には、赤旗を縫って奉納する風習がある。
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)
お上りの岩
・安徳天皇が休息した岩と伝える。

得能神社【伊方町九町安浦】
・伊方町中央部から、得能道と呼ばれる細い山道を登ったところに鎮座する。
・400年前の九町長崎城(*1)主・得能主膳を祭る。
・神社の辺りを「徳の森」と呼ぶ。
(*1) 「九町長崎城」と「得能森城」は同じ城を指すのだろうか?

「●得能森(とくのもり)
所在地 西宇和郡伊方町九町字浦安1番耕地 898番地の2
 長崎城主であった得能主膳をまつる徳能明神がある。その氏子(得能森紐)は主膳とその一族によってつくられ、以前より13戸あってそれ以上増すことはないとされている。巨大な位はい碑があり、一超円禅定門と刻んである。
 また、この場所より、沖の城、大木戸(おきど)がながめられる。沖の城は城の字があるが現地は、九町の田の中にある小高い丘で、得能主膳の所持物が埋めていると伝えられている。
 大木戸は、九町仲の町井田病院のあたりをいい、長崎城のあったころここに木戸があったという。このあたりから、今の天徳寺の方に続いて山城があったとも伝えられ、小字名にという所がある。
(町指定史跡)」 (えひめのふるさとこみち 南予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日)
 
得能主膳ゆかりの地
・町指定史跡。
氏子たちが鶏を飼わないこと

二宮神社【伊方町二見本浦】
2005/9/23

・二宮神社の拝殿内部には様々な天井絵が描かれている。
境内社:稲荷神社
・金山善三郎氏寄進
御大典記念碑
狛犬
灯篭
波止竣工記念碑
鳥居
※二宮神社の鳥居は最近建てられたものらしく、真新しさを感じさせる。
奉献者は高野さん。
高野建設の方であろうか?

妙見神社【伊方町伊方越】

八坂神社(やさかじんじゃ)【伊方町河内】
安徳天皇縁の地(安徳天皇の墓)と伝えられる。
・一説によれば、鯛の浦(退の浦)に上陸した第81代安徳天皇は、すでに崩御していて、遺体は鎧櫃に入れられ、退の浦より伊方越をして、河内(かわうち)の山中に手厚く埋葬されたという。この地が伊方の八坂神社であるという。
八坂神社と名付けられたのは明治になってからのことである。
・地元の人々は、この山を天皇山、森を皇子ヶ森と呼び、神社のことを今でも親しみを込めてお天皇さまと呼んでいる。

八尺神社(やさかじんじゃ)【伊方町川永田】
・神社のある辺りを篠谷(しのたに)という。
・往古は神幸など営み、1000余年以前の鎮座と言われている。
・末社の一宮神社は、宇和旧記によれば「一宮棟札大旦那藤原氏宇都宮守綱並に歳女此の宮を立つ者也 天文17年(1548)」とある。
・この宮には「一ノ宮の蛇」の伝説が残っている。

寄木神社【伊方町九町】

鯛ノ浦神社【伊方町伊方越】
・平家縁の地と伝えられる。


お堂

大師堂【伊方町】
・寺山の鐘楼前から小中浦へ下りると大師堂がある。
・この寺は、もと宇和島藩から下付され、移築したもので、昔は宇和島藩の四方に御堂を建て、城下の人々に日ごと祈祷させたという。
・ある日、御堂を取り除く話を聞き、願い出て下付されたという。
・小中浦から、船を仕立てて大勢の人夫を連れ、御堂を解体して港まで運び、船積みして持ち帰り、堂宇を建立したという。その後、再三修復・改築を繰り返している。

大成阿弥陀堂【伊方町大成】
・通称「お阿弥陀様」。
・壇ノ浦の戦いに敗れて瀬戸内海を落ち延びた平家軍勢の一部が、大成の沖で大波を受けて亡くなった。それから平家の亡霊が夜毎現れ、雄叫びが聞こえた。人々はその霊を慰めるために祀ったが一向にそれは治まらなかった。
・文化13年(1816)3月、権六という人が、大成の堂山に阿弥陀如来石像を祀って以来、亡霊は出現しなくなったという。
・その後、新暦2月15日を縁日と定め、お祀りしている。
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

古屋敷薬師堂【伊方町古屋敷】
・享保2年(1717)、古屋敷地区の池田家の2代目・六之丞の妻さん女が、出雲大社参拝した折、一畑薬師の分身像を持ちかえったのが始まりと伝えられる。
・寛政2年(1790)、落慶法要を行ったという。
・現在の堂は、昭和56年(1981)に完成したもの。
・毎月八日がオコモリの日。
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

子安観音【伊方町亀浦】
・今から約300年前、隣村に仏像が漂着した。猟師が村に持ち帰り長老にそれを見せたところ、このようなものを村に置いていると大変なことが起きると言い、元の海に戻した。
・この仏像が亀浦に漂着した。一人の老婆が持ち帰り、祀ったところ、それ以来、亀浦では難産が無くなった。それゆえ子安観音と呼ばれ、安産の願が叶ったら底無し袋を奉納するようになった。




地蔵



堂堂山【伊方町】
・標高397.1m。
・山頂まで車道が延び、頂上にはNTT無線中継所、展望所も設けられている。

大峯【伊方町】
・標高358.9m。

金比羅山【伊方町】

石神山【伊方町/瀬戸町】
・標高 302.7m。
・国道197号線、瀬戸トンネルが貫通している。


鉱山

川・渓谷



ダム

妙見橋
伊方町役場前


風景

女子岬(めっこみさき)【伊方町】
・女性が横になっているように見えることから名付けられた。
・宇和海特有の海蝕景観が美しい。

黒島
無人島。

鳥島(からしま)
無人島。

亀ヶ池【伊方町加周】
2005/9/23
・約500年前の大津波のため、入り江の大部分が一夜のうちに外海から遮断されてできた愛媛県下一の潟湖である。
・周囲1.8km、面積8.7ha。
加周池(かしゅういけ)ともいう。
・「加周にあり、面積13ヘクタール、周囲4キロメートル、一番深い所は9メートルもある。いつごろ池ができたかは、はっきりしないが、慶長年間(1596〜1614年)までは、入り海であったことが記録に残っている。波といっしょに打ち寄せられた土砂が、だんだん積って、海をせき止めでぎた池で、この種の池としては、愛媛県第1の大きさである。また池の底に波止めの跡があり、古い時代には、人が住んでいたと思われるふしもあるところから、陥没によってできた池ではないかという説もある。
 国の指定特別天然記念物である「カワウソ」も、以前は伊方地区に相当数生息していたらしい。昭和40年1月13日、加周海岸の東で伊方町二見の山口雅雄氏の網に重さ4.5キ・グラムの雌が死体となってあがった。これによって二見地区にも、今なお生息している可能性があるものと思われる。」(えひめのふるさとこみち 南予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日)

(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)
 
亀ヶ池の大蟹
亀ヶ池温泉


洞窟・鍾乳洞

樹木

ナギの木【伊方町中浦 法通寺】
・県指定天然記念物(昭和54年3月20日指定)、町指定文化財(昭和41年4月25日〜昭和54年3月20日)
・法通寺境内大日堂の傍らに聳える。
・県下最大級。幹回り3.2m、樹高19m。推定樹齢700年。
→県内のナギ:田ノ上神社(新居浜市神郷)、御幸寺(松山市御幸)、新谷小学校(大洲市新谷)、大元神社(長浜町下須戒)
・ベンケイナカセ、チカラシバとの別名も持つ。(葉を葉脈方向に引っ張ってもなかなかひきちぎれないことから)(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)
・「ナギの木は、700年以前の鎌倉時代に植えたものと推定されている。目通り3.2メートル、樹高18メートルの巨木であり珍らしい。
 日本では天然記念物として指定されているものは数本である。」(えひめのふるさとこみち 南予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日)

アコウ樹【伊方町中浦 金島神社】
・「写真の"アコウ樹"は、国道197号線に面した、伊方町中浦海岸ぞいの土地に自生しているものである。根元は1本で、途中から2本の幹にわかれている。(樹高14.40メートル、目通り4.25メートル)
 この地は、海岸に近く付近一帯にアコウの自生が多い。中でも、中浦、金島神社の一樹(目通り1.12メートル、樹高9メートル)が、愛媛県における自生地の北限である。」(えひめのふるさとこみち 南予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日)

クロキヅタ【伊方町仁田之浜海岸】
・町指定天然記念物(昭和50年12月17日指定)
・クロキヅタ(いわづた科)
・日本はもとより世界でも珍しい海藻。緑藻類に属する。
・「日本はもとより世界でも大変珍しいイワヅタ科に属する海草である。昭和29年仁田之浜海岸の一岩礁上に多数群生しているのを、野村義弘氏(湊浦)が発見、その後、調査の結果、海岸500メートルにわたって群生していることがわかった。我が国で3番目に発見された群生箇所である。
 この海草は美しい緑色で、長さ10〜20センチ、のこぎりの歯のような型をしたものであり、低潮線下に生じる。
(町指定天然記念物)」(えひめのふるさとこみち 南予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日)




県道鳥居喜木津線
・四国電力伊方原発での重大事故発生時の避難路確保[原発避難・救援道路整備事業(1.9km)]を目的に県が改良工事を進めている。(愛媛新聞、2016/7/22)
亀浦トンネル
・419m。
●安全祈願祭
・2016年7月17日、坑口で行われた。2017年度開通を目指して工事が本格化する。(愛媛新聞、2016/7/22)



加周峠【伊方町】

平石峠【伊方町】
・国道197号線、伊予鉄バス「加周口」バス停留所がある。
・もともと「大成峯(うね)」と呼んでいた。この辺りに小字として平石という名前があり、小さな公園を造って「平石公園」と命名してから、平石峠と呼ぶようになった。
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

伊方峠【伊方町】
(伊方の文化財、伊方町教育委員会、平成15年3月20日)

宿名峠【伊方町】

茅の峠【伊方町】

大峠【伊方町/保内町】
保内町との境。国道197号線、トンネル上部。
→伊方町の平家落人伝説


町見中学校趾の碑
2005/9/23

2005年9月23日 伊方町二見浦

町見中学校趾
作詞:井上生太郎 作曲:清家嘉寿恵
1.宇和の海原 潮うつ
磯の香高き 学び舎に
久遠の心理 求めつつ
自由の旗の もとにたつ
町中生徒ぞ いざわれら

2.若きは叫ぶ 青空に
契りは固く 師と共に
至善の道を 開きつつ
正義の旗の もとにたつ
町中生徒ぞ いざわれら

3.伊方の峰の 映える陽に
垂乳根偲び ふるさとを
慕い集いて 今日もまた
四隣の旗の もとにたつ
町中生徒ぞ いざわれら

昭和31年2月8日制定。

「創造」の碑
2005/9/23

副碑には以下のように記されている。
「二見本浦地区功労者
昭和42年4月より
大野■敬
岩井順久
山田一則
上口久志

工事施工 高野建設、山口松市
揮毫は元国務大臣池田氏。
※国務大臣名を調査すること。
※伊方町誌より、この碑に記されている人物の事績等を調べておくこと。
※高野建設の社長名を調べておくこと。

鳥居茂市翁頌徳碑【伊方町鳥津】
・昭和60年(1985)建立。
・鳥居茂市は、私財を投げ打って防波堤を完成させた。

古田仙右衛門頌徳碑【伊方町大成】
・大正2年(1913)建立。
・古田仙右衛門は二見浦加周の人で、私財を投げ打って防波堤を完成させた。


公園

室鼻公園【伊方町】
室鼻海水浴場

九町越公園【伊方町九町越】
 
観光物産センターきらら館
伊方ビジターズハウス

レッドウィングパーク【伊方町九町越】
・国道197号線沿い、九町トンネルの南東に位置する。
・スポーツレクリエーション施設。
・1995年8月8日に、米国ミネソタ州レッド・ウィング市と姉妹都市提携の調印を行った記念に公園化した。
わんぱく広場(スイングロープ等)
冒険の丘広場
・展望休憩所、ローラー滑り台、トリムコースなどが有る。
町民グラウンド
・多目的グランド(夜間照明設備)、テニスコートなど。
レッドウィング広場
・米国レッドウィング市との国際交流姉妹都市提携を記念し、インディアンの住居をデザイン化したステンレス製のモニュメントが有る。


祭り

イベント

きららまつり【伊方町九町越 きらら館】
平成8年(1996)から始まった。

きなはいや伊方まつり
・平成2年から始まった。
・7月下旬の土・日曜に開催される。
・太鼓の競演や活魚つかみどり、きなはいや市場、花火大会などが開催される。

伊方杜氏の酒まつり
・7月第4日曜日に行われる。


施設

観光物産センターきらら館【伊方町】

・電話番号:0894-39-0230
・国道197号線「メロディーライン」沿いにある「道の駅」。
・地元産品の展示・販売や民俗資料展示などを行っている。
・平成6年(1994)にオープン
・開館時間:9:00〜17:00(冬季)、9:00〜18:00(夏季)
・休業日:なし(年末年始を除く)
・伊方ビジターズハウスとは歩廊で連結されている。

愛媛県 伊方町  観光物産センター(きらら館)
 平成6年4月にオープン、観光客に対するサービスの拠点として地元産品の展示・販売を始め、魚に触れることのできる「ふれあい水槽」、民俗資料、休憩コーナー等を設置しており、屋上の展望デッキからの眺めはドライブの休憩地としても絶好の所である。開館時間 冬期 9時〜17時夏期 9時〜18時     八幡浜から車で30分 ※観光物産センターと伊方ビジターズハウスは隣接
役場商工観光課  
 
観光物産販売コーナー(1FL)
ふれあい水槽(1FL)
・水槽の水面よりも低い位置にぽっかりと穴が開いていて、そこから手を突っ込むことができる。うまく圧力調整しているのだろうが、水がこぼれないのは不思議だ。
民俗資料館(2FL)
打瀬船の模型
「打瀬網」は広島県の漁夫により伝えられ、明治30年頃から始まった漁法であるという。
「打瀬船」は風力を必要とする帆船で、大正初期から昭和20年頃まで宇和海の漁場で活躍した。
森元青芳の砥部焼人形
「念ずれば花ひらく」「和楽」「想い出」「わらべ」が展示されている。
森元青芳(もりもとせいほう)は1928年3月3日、伊方町九町に生れた。1950年に砥部町に移り、梅山窯に勤めた。翌年、野本星黄氏と共同で砥部町八倉に矢取窯を開窯。1962年に砥部町五本松に青芳窯を独立・開窯した。
休憩所(3FL)
展望デッキ(RFL)

伊方ビジターズハウス【伊方町九町】

・原子力発電の仕組みやエネルギー問題などを近代的なデモンストレーション装置やパネル表示、映像・音響設備などで紹介する。
・昭和53年6月にオープン。
・屋上からの宇和海・瀬戸内海の眺めは最高。(双眼鏡は100円突っ込まなくても見ることができるのが嬉しい。)
・入館料:無料
・開館時間:9:00〜17:00
・開館日:12/29〜1/1を除き年中無休
 
原子力展示ホール
情報ライブラリー
5重の壁説明コーナー
原子燃料関係パネル
自然放射線測定コーナー
集会ホール
エネルギー展示ホール
ソーラーカーレース
「電源の多様化とエネルギー」パネル説明
「人類とエネルギーの歴史」模型
暮らしと電気のコーナー
原子力ゲームコーナー

伊方町地域振興センター【伊方町】

町見郷土館【伊方町二見甲813-1】
2005/9/23
・開館時間:9:30〜16:30
・休館日:月曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始
・入館料:大人100円、小人50円

町見中学校記念室【伊方町】
・町見中学校は平成9年度に閉校した。

八西地域総合情報センター【伊方町】
・通産省のニューメディアコミュニティ構想をもとに、昭和60年に設立された財団法人。
CATV(ケーブルテレビ)を開局し、地域密着情報の提供を行っている。
・敷地に隣接して、子供の遊び場「レッドウィングパーク」がある。

伊方原子力発電所(いかたげんしりょくはつでんしょ)【伊方町】


学校

温泉

亀ヶ池温泉【伊方町九町 加周】


伝説

亀ヶ池(加周池)の大蟹【伊方町加周】〜八畳敷の大蟹
・約400年前までは入り江だったという潟湖「亀ヶ池」には畳8枚分の大蟹が棲んでいるという。
・昔、九町池に大きな蟹がいた。
・蟹は日に日に大きくなって、やがて畳八畳もの大きさになり、九町池では思う存分泳ぎまわることができなくなった。
・蟹はもっと広い池が欲しくなり、隣部落の加周池に行った。そこには一匹のえんこが住ん
でいたが、えんこにはこの池は大きすぎて、もっと小さくて住み良い池に移ろうと考えていたので、喜んで蟹に住処を譲ってやった。
・広々とした池に住みはじめてからというものの、蟹は毎日思う存分池の中を泳ぎまわった。ところが蟹が泳ぎまわるようになってから毎日のように加周池の水が溢れるようになった。そのため、池を渡って仕事に行く百姓の船がしばしば転覆した。困った百姓達は神主に頼んで蟹を池の底深くに閉じこめて貰った。
・今でも閉じこめられた蟹が出てこないようにと、秋祭には「牛鬼」が加周池を渡っていく習わしが残っている。

一ノ宮の蛇【伊方町川永田 八尺神社】

得能神社の氏子たちが鶏を飼わないこと(鶏をきらう/忌む氏子)
・天正12年(1584)2月、長宗我部軍が得能主膳の城を攻め立てたがなかなか落城しない。
・一方、主膳側は度重なる合戦に疲労の色を示し、主膳は家来達を呼び集め、「武運は尽きた。明朝、一番鶏が鳴いたら、それを合図に城を脱出する」と命じた。
・しかし密通者が居て、長宗我部軍にこのことが漏れてしまった。長宗我部軍は、主膳らの脱出時刻をずらすために、鶏の足を火で温めて時を告げさせた。
・そうとは知らない主膳ら一族は城を脱出し、待ち構えていた長宗我部軍に全員討ち取られてしまった。
・このような伝説に由来して、得能神社の氏子達は鶏を飼わないという。

中浦のおまんダヌキ
 悪いタヌキを取り入れたおまんさんの話

カボチャと大ダコ
 九州の戦いに敗れて、辻一族が豊之浦に逃げ延びて来た。総大将の奥方の遺言により、一族の者はカボチャを食べなくなった。また、畑に出て来た大ダコを殺したところ、一同熱を出して苦しんだので、「カボチャとタコは家の敷居をまたがせてはならない」という家訓が出来た

伊方町の平家落人伝説
 
上場(うわば):伊方越。壇ノ浦から従三位門脇中納言肥前守教盛(のりもり)を先頭に安徳天皇を奉じて上陸した場所。
鯛の浦(たいのうら):伊方越。「退の浦」とも記す。平家落人達が舟を捨てた場所。
大峠(おおとうげ):平家谷に落ち延びる途中に越した峠。
平家谷(へいけだに)
戦場坂(せんばさこ):追手の源氏との合戦が繰り広げられたという。
勝負ヶ崎(しょうぶがさき):戦いの見張り場所
赤はた:平家の武士が立て篭もった場所

二見ののぞき岩【伊方町二見】
加周峠(かしゅうとうげ)に高さ1m、幅50cm、中央に10cm程の穴が開いている緑泥片岩(りょくでいへんがん)がある。
・源平合戦以来、平家の落人が佐田岬半島に居住するようになり、こののぞき岩は、外敵の侵入に備え、見張り所として作ったものと伝えられる。
のぞき岩より約200m離れた所に墓地らしき畳6枚敷きぐらいの平石を敷いた所が二ヶ所ある。これらはいずれも平家さまと呼ばれ、昔から財宝が隠されていると言われてきたが、祟りを恐れ、平石を開けた者はいないという。
のぞき岩より約800mの所に屋敷跡らしい所があり、のぞき岩との連絡所ではないかと伝えられている。


キャンプ

海水浴
 

室鼻(むろのはな)海水浴場
・伊方湾の入口に突き出していることから、この名前がついたと言われている。
・町の中心地からも近く、景勝地としても知られている。
・平成2年に海水を利用したプールが完成した。

九町(くちょう)海水浴場

加周(かしゅう)海水浴場


人物

高橋新吉
・詩人
・伊方町出身

向井範夫
 ・向井工業梶m静岡県三島市]

藤堂敦義
 ・藤堂工務店[兵庫県神戸市]

古田乙彦
・フルタ製菓梶m大阪]

井上千芳
・昔の打瀬船のミニチュア和船をはじめ、各種の物を造作


その他

伊方杜氏(いかたとうじ)
・「伊方杜氏は日本でも古い伝統を誇る杜氏である。」(大阪学芸大学篠田博士)
・伊方杜氏の歴史は古く、江戸時代半ばに櫨(はぜ)の実搾りやイリコの行商に行ったものが酒造技術を習得したのが始まりと伝えられる。
・最盛期の昭和11年頃には、中国、朝鮮、県内外で約700人に及ぶ杜氏が酒造りに従事していた。

加周【伊方町】
・「嘉聚」と記していたのを書き改めたものと思われる。これは「幸の集まる」という意。
・往古は双見ヶ浦と呼ばれていた。これは入江の両端に大岩が二つ見えることに由来する。
 
すずしめばや(すずめばや)
・「ばや」とは「鼻」が転訛したもの。
・東にあるピラミッド形の女岩。
・頂には弁天を祀る。
西のおおばや
・丸味を帯びた男岩。



《References》



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