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こたろう博物学研究所 市町村別情報庫 八幡浜市 (旧・八幡浜市) |
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シュードタキライト及び変成岩類【八幡浜市大島】
(「国指定天然記念物 八幡浜大島のシュードタキライト及び変成岩類「地震の化石と地下深部の石」、八幡浜市教育委員会)
(八幡浜大島のシュードタキライトと周辺の地質・岩石に関する調査報告、八幡浜市教育委員会、平成13年)
カワウソ【八幡浜市】
・国指定特別天然記念物
八幡愚童記【八幡浜市矢野町 八幡神社】
・県指定有形文化財(昭和30年11月4日指定)
「これは元寇の役の研究には基本的な史料であるがすでに原本は存在せず、この神社のものは文明年間に作られており、全国に数種現存する写本の中でも、もっとも原本に近いとされている。」
(ふるさとの森−えひめの社寺林、(財)愛媛の森林基金、平成4年3月31日)
八幡愚童記
(伊豫の文化財)
八幡浜市八幡神社の所蔵となっている上・下2巻の奥書きに文明十五年の記述がある。
[愛媛県郷村変遷史「文化財三宅メモから」、三宅千代二、愛媛出版協会、昭和52年1月1日]
五反田の柱祭り【八幡浜市五反田】
・県指定無形民俗文化財(昭和40年3月29日指定)
川名津の柱松神事【八幡浜市川上町川名津】
・県指定無形民俗文化財(平成12年4月18日指定)
・4月第3土曜日から翌日にかけて、川名津天満神社の春季祭礼で行われる。
・厄火祓いの行事であり、境内に立てられた高さ20mの松(杉)に、大魔(だいま)が登り、五穀豊穣を祈願しながら大松明を投げ下ろす。
長命講伊勢踊り【八幡浜市穴井】
・県指定無形文化財(昭和38年5月31日指定)
・明和2年(1765)正月11日から200年間毎日11日に欠かすことなく踊り続けてきた。
禾山和尚退休軒【八幡浜市本町(大門) 大法寺】
・市指定記念物[史跡]
・西山禾山(1837〜1917)の隠居所。
・碧巌録の講義は有名なところである。
・門下に河野広中らがいる。
上甲振洋謹教堂跡【八幡浜市横町】
・市指定記念物[史跡]
・上甲振洋(1817〜1878)の私塾跡。
・上甲振洋は昌平校、明倫館でも講義した。門下に末広鉄腸、児島維謙など。
萩森城跡【八幡浜市大平】
代官所屋敷跡【八幡浜市矢野町7】
2003/11/15
・市指定記念物[史跡](昭和36年8月5日指定)
・江戸時代初期に設置されたが記録は残っていない。
・明治時代には登記所があった。
江戸時代末期に、この地は低湿地の砂州であったが、多少、埋め立てて、この四ツ辻のほぼ中央に宇和島藩矢野組代官所が建てられた。建物は、平屋で瓦葺き、入母家造りの堂々たるものであった。
廃藩置県後、私塾や学校・区役所・西宇和郡役所などに利用され、1893(明治26)年には、八幡浜区裁判所となり明治末期まで続いた。 大正初期に、取り壊されて道路となった。庭木の松が残され、「代官松」と呼ばれていたが、1970(昭和45)年に伐採された。 八幡浜市教育委員会 |
覚王寺古代遺跡【八幡浜市松柏】
・市指定記念物[史跡]
・市内最古の古代遺跡で、弥生前期から後期にわたる2000〜3000年前の遺跡。
徳雲坊古代遺跡【八幡浜市徳雲坊】
金山出石寺本堂【八幡浜市/長浜町豊茂】
・市指定記念物[史跡]
二宮忠八生誕地【八幡浜市】
・市指定記念物[史跡]
了月院山門【八幡浜市日土
了月院】
・市指定有形文化財[建造物]
了月院阿弥陀三尊像【八幡浜市日土
了月院】
・市指定有形文化財[彫刻]
成就寺本堂【八幡浜市東矢野町】
・市指定有形文化財[建造物]→解除
八坂神社天井画【八幡浜市】
・市指定有形文化財[絵画]
長谷観音像【八幡浜市高野地】
長谷寺十一面観世音菩薩像【八幡浜市】
・市指定有形文化財[彫刻]
新堂阿弥陀如来像【八幡浜市日土町新堂】
・市指定有形文化財[彫刻]
如是庵観世音菩薩像【八幡浜市】
・市指定有形文化財[彫刻]
愛染堂延命地蔵菩薩像【八幡浜市】
・市指定有形文化財[彫刻]
大法寺禾山笑木彫【八幡浜市】
・市指定有形文化財[彫刻]
禅興寺の大般若経【八幡浜市若山】
・市指定有形文化財[書籍等]
野井家安定古文書【八幡浜市幸町】
・市指定有形文化財[書籍等]
大元神社棟札【八幡浜市中津川
大元神社】
・市指定有形文化財[書籍等]
王子文庫古文書【八幡浜市】
・市指定有形文化財[書籍等]
大法寺マリア像【八幡浜市大門】
・市指定有形文化財[石造美術]
八幡神社の延宝鳥居【八幡浜市】
2003/11/15
・市指定有形文化財[石造美術](昭和56年1月10日指定)
福高寺十六羅漢石仏【八幡浜市】
・市指定有形文化財[石造美術]
二宮忠八の飛行器模型【八幡浜市愛宕 愛宕中学校】
・市指定記念物[歴史資料]
川名津の柱松神事【八幡浜市川上町川名津】
・市指定無形文化財
五反田の柱祭【八幡浜市五反田】
薬師堂のイブキビャクシン【八幡浜市若山
薬師堂】
・市指定記念物[天然記念物]
真網代のアコウ【八幡浜市真網代】
・市指定記念物[天然記念物]
尾之花のハゼノキ(唐櫨)【八幡浜市尾之花】
・市指定記念物[天然記念物]
津羽井の大ツバキ【八幡浜市】
・市指定記念物[天然記念物]
医王寺の大杉【八幡浜市今出】
白王神社のイチイガシ【八幡浜市】
・市指定記念物[天然記念物]
白王神社のヅクノ木【八幡浜市】
・市指定記念物[天然記念物]→解除
大島の山王神社のウバメガシ【八幡浜市】
・市指定記念物[天然記念物]
大島のシュードタキライト【八幡浜市大島】
・市指定記念物[天然記念物]→国指定天然記念物
ミカブ構造線【八幡浜市】
愛宕山【八幡浜市】
・市指定記念物[名勝]
四国山【八幡浜市】
・市指定記念物[名勝]
八幡神社付近一帯【八幡浜市】
・市指定記念物[名勝]
旧青木石油・青木運輸事務所【八幡浜市沖神田】
・太陽石油の創業者・青木繁吉氏が昭和9年(1934)に事務所兼社長宅として建築した。
・平成15年(2003)11月、老朽化のため取り壊し。
萩ノ森城【八幡浜市大平】
・市指定記念物[史跡]
・「萩ノ森城 八幡浜町にあり 城主は宇都宮彦右衛門尉藤原房綱といふ 房綱は喜多郡大洲城主宇都宮総州二男なり 嫡男豊綱に大洲屋形の城を譲り父子共に当城に移住せり(…以下略)」(伊豫温故録)
・由来譚として以下のような話が伝わる。
@大洲城主宇都宮清綱が拠ったが、大野直之に攻められ、天正2年(1574)に落城した。
A「宇都宮房綱が築城した。土佐長宗我部軍侵攻の折、白馬に跨り闇に紛れて討って出たが、白馬が敵の目にとまってしまい、愛馬もろとも房綱は討死した。以降、付近の農民は房綱の無念を思いやり、白馬を飼わないようにしたという。(明治時代にこの禁忌を破って大平の男が白馬を買い入れたが、萩森城落城の日に不審火を出して焼け出されたという。)
天神山城【八幡浜市五反田】
・「天神山城墟 五反田村に有り。西園寺殿幕下に拾五将の一人摂津豊後森実親の城跡なり。.....[以下略]」(愛媛面影)
・「天神山城 五反田村に在り 攝津豊後守実親 其子伊豫守親安 其子久五郎親宗 其子仁蔵後彦右衛門親興これに居る....[以下略])」(伊豫温故録)
元城【八幡浜市五反田】
・「.....南方殿は元来公家の子孫にて大和侍の由、矢野領主となり知行取はじめ、磯崎浦へ下着、それより五反田村元城へ移居城とし玉ふといへり。」(愛媛面影
「天神山城墟」)
今城【八幡浜市矢野町】
「.....矢野町に今城あり.....」(愛媛面影
「天神山城墟」)
「今城 矢野町に在り 攝津久五郎居る
南方の出城なり」(伊豫温故録)
石堂城【八幡浜市矢野町】
「石堂城 矢野町に在り 菊池源左衛門居る 此処に中西殿とて南方の家老居たるよし(旧記)」(伊豫温故録)
覚王寺(かくおうじ)遺跡【八幡浜市】
・弥生時代前期の古墳。
徳雲坊(とくうんぼう)遺跡【八幡浜市】
・東九州の下条式系の弥生前期後半の土器が出土している。
・弥生時代後期の高地性集落。
十本松塚穴古墳【八幡浜市】
・愛宕山山頂に位置する。
・箱式石棺を埋葬施設とする。
医王寺【八幡浜市日土町 今出】
徳雲坊(とくんぼう)梅之堂地蔵尊(三尊仏)【八幡浜市】
・国指定重要文化財
・平安時代の作。阿弥陀如来を中心に、勢至菩薩・観音菩薩の三躯。
・普段はその姿を見ることができないが、4月16日の縁日だけは見ることができる。
・いずれも檜の寄木造りで、漆箔(しっぱく)で仕上げたもの。
・平安時代末期、八幡浜地方の地頭・平忠光が矢野郷の徳雲坊(とくんぼう)に忠光寺を建立し、阿弥陀五尊仏を祀ったが、その後忠光寺が廃絶し、嘉慶3年(1388)に地頭・平忠清が再興・現在の梅之堂に五尊仏を祀った。
・「梅堂 中津川村に在り 昔しは忠光寺と号したる寺にて
平家の将上総五郎兵衛尉忠光の建立といふ棟札あり.....[以下略]」(伊豫温故録)
・三尊仏は五尊形式で、残り二体は竜樹菩薩・地蔵菩薩で、これらは奈良国立博物館に収蔵されている。江戸時代、これらの仏像は宇和島市で別々の寺(等覚寺に中尊阿弥陀如来と脇侍観世音菩薩・勢至菩薩の3体、そして潮音寺に脇侍に竜樹菩薩・地蔵菩薩の2体が)安置されていた。明治5年8月4日に三体が八幡浜に戻ったが、残り二体は取り残され、後に文化庁が買い上げた。
雲松寺【八幡浜市中津川】
円照寺【八幡浜市国木】
尭範禅寺【八幡浜市川上町】
金山出石寺【八幡浜市/長浜町】
・標高812mのところにあり、晴れた日には四国の山々はもとより、遠く九州・中国地方の山影まで見渡すことができる。
・瀬戸内海国立公園。
・真言宗別格本山。
・養老2年(718)開基と伝えられる。
・本尊:千手観音
健徳寺【八幡浜市】
四国山【八幡浜市】
・国道378号線沿い。
・標高135m
初代朝汐の碑 |
弘法大師像
・石の道を上り切ったところには、高さ10mの弘法大師像が立っている。 |
ミニ八十八ヶ所(地四国) |
蔵福寺【八幡浜市】
大円寺【八幡浜市真網代】
大法(禅)寺【八幡浜市本町】
・二宮忠八が11歳の秋、神山(こうやま)小学校の新築落成に愛媛県学務課長が来校した記念として、地元8ヶ村から優秀な児童が寄り集まり、大法寺の大仏間で学術の競争試験が行われた。忠八も代表児童に選ばれ、見事一等賞に輝いた。
・「大法寺 八幡浜町字大門に在り 明細書に云ふ 臨済宗 慶安二年三月浅井市重郎衆と議し これを創営し 釋徹傳を開基住持とす 山号は江西山と云ふ 舊記に云ふ 舊は弥陀寺と号せし由」(伊豫温故録)
禾山和尚退休軒 |
忠光寺(ただみつじ)【八幡浜市】
「忠光寺 南茅村に在り。嘉慶二年再興の棟札に、後白河法皇幕下之忠光造営也、又地頭平忠清、と宇和旧記に見たり。.....[以下略]」(愛媛面影)
万松寺(ばんしょうじ)【八幡浜市古町】
松陰小学校の近く。
萬松寺寺叢
・ツブラジイ、クロガネモチ、スギ、ホルトノキ、クスノキの大木。ヤブツバキ、カゴノキ、タイミンタチバナ、イズセンリョウ、ヤブニッケイ、ネズミモチ (ふるさとの森−えひめの社寺林、(財)愛媛の森林基金、平成4年3月31日) |
保安寺(ほあんじ)【八幡浜市五反田】
2003/11/14
・宗派:曹洞宗
・山号:仙井山
・永禄年間(1558〜1570)、宮田山保安寺と呼んでいたのを、存雄(ぞんゆう)和尚の高徳により、城主摂津豊後守親安が諸堂を建立して宮田院仙井山(せんせいざん)保安寺と改めたと伝える。
・曹洞宗より数えて約400年の歴史を持つ。その前からこの場所に寺はあったものと思われる。
・寺前には六地蔵有り。
※龍王堂に案内してもらった。堂の入口上部には水墨画風の龍の絵、そして龍の彫り物が掲げられている。年代等は不明。堂内には地蔵菩薩と羅漢像が安置されている。いずれの像もカラフルな彩色が施されている木像である。さて、地蔵は見えども龍の像は見当たらず。地蔵の上には「地蔵菩薩/大島八大龍神」と名前が掲げられている。(2003/11/14)
竜神様の伝説 |
木造阿弥陀如来及び両脇侍坐像 |
妙泉寺【八幡浜市谷】
良久寺【八幡浜市日土町】
了月院能忠寺【八幡浜市日土】
・宗派:浄土宗
・小野能忠が、平家一門の霊を弔うために仏師・興阿弥の阿弥陀三尊を持仏堂に安置したのが始まり。
・当初は小野堂と呼ばれていたが、出海城主・兵頭石見守直正の二男で萩森城主に仕えた兵頭喜右衛門が、落城後日土村の庄官となり、慶長年間に現在地にあった小庵を改築して寺を建立し、小野堂より阿弥陀三尊を移し、能忠寺と称した。
阿弥陀三尊
・平氏一族が造立したという。 |
穴井天満宮【八幡浜市穴井】
石鎚神社【八幡浜市日土町】
一宮神社【八幡浜市合田】
一宮神社【八幡浜市舌間】
一宮神社【八幡浜市日土町 樫の木】
一宮神社
・「一宮大明神 矢野町の内に古矢箆(やの)と云所有、此所にます神也。今城落城の時、社壇も神体も焼失しを、市左衛門と云者、信心深きにより里人を勧小社を建しかど、神体なき故、似たる石を神体として崇敬しけるに、.....
[以下略]」(愛媛面影)
・「一宮神社 矢野町にあり 大己貴命 味■高彦根命を祭る
今城城主攝津久五郎の氏神にして其の城内に鎮座ありしか 寛永17年5月6日久五郎死亡せし
故與三右衛門今の地に移す(明細書)」(伊豫温故録)
厳島神社【八幡浜市舌間】
大元神社【八幡浜市郷】
大元神社【八幡浜市川之内】
大元神社【八幡浜市中津川】
「正長元年(1428)に村の氏神として、若山大元八幡神社より勧請したもので、社殿造営の棟札は宝徳3年(1451)のものから計12枚が保存されており、市指定文化財となっている。」
(ふるさとの森−えひめの社寺林、(財)愛媛の森林基金、平成4年3月31日)
「大元神社 中津川村に在り 天御中主尊 国常立尊を祭り 永正17年釆女なるもの若山村より勧請せり(明細書).....[以下略]」(伊豫温故録)
大元神社棟札
・市指定有形文化財[書籍] |
田中山大元神社社叢
・サカキ(鳥居両側)、スダジイとタブノキの合着木(社殿裏)、スダジイ、イスノキ、イチョウ、イヌマキ、イロハカエデ、ヤブツバキ (ふるさとの森−えひめの社寺林、(財)愛媛の森林基金、平成4年3月31日) |
大元神社【八幡浜市若山】
大山積神社【八幡浜市日土町】
川上神社【八幡浜市】
祇園八尺神社【八幡浜市矢野町】
貴船神社【八幡浜市松柏(まつかや)】
客白王神社【八幡浜市布喜川】
・祭神:伊弉諾尊、伊弉册尊
白王神社のイチイガシ
・市指定記念物[天然記念物] |
白王神社のヅクノ木
・市指定記念物[天然記念物]→解除 |
熊野神社【八幡浜市】
山王神社【八幡浜市大島(三王島)】
須田大明神【八幡浜市向灘 須田】
住吉神社【八幡浜市川上町上泊】
橘神社【八幡浜市真網代】
・祭神:田道間守
・柑橘の神として和歌山県の橘神社本社より勧請。
天満神社【八幡浜市真網代】
天満神社【八幡浜市川上町川名津】
柱松神事「厄火ばらい」 |
八幡神社【八幡浜市矢野町】
2003/11/15
・県社
・養老元年(717)8月19日に鎮座したといわれる。
・二宮忠八の実家はこの近くにあり、忠八は幼い頃、この神社の境内で遊んでいた。
・「八はた浜なる小高き岡上に立せり。此神社あるによりて浜の名におほせたるなるべし。宇和旧記云、其昔当浦の干潟に夜々光物あり。地下人心にかけて尋けるに云々。又、今の処に光り給ふによりて社殿を建、神体を納奉り、氏神と崇祭れり。元和7年の棟札ありと云。社司云、養老元年丁巳8月19日の鎮座にして、万葉集によめる矢野神山是なり。.....[以下略]」(愛媛面影)
・「八幡神社 八幡浜町にあり 本明細書に云ふ 養老元年丁巳八月十九日鎮座守護舊藩主代々崇敬す 即ち矢野神山と称して歴世の撰集に表出する所の勝区なり 宇和舊記に云ふ 創営年月不祥 伝え言ふ 昔し此浦に光り物あるゆえ浦人見とどけたるにほうしゃうといふもの大分集り神体を持あけ居たる由にて神体を何の地に祝ひ祭らんと会議中矢の町の鳥越といふ山に光り物あり 其後又今の社地に光り物あり 依て社殿を創建して神体を奉納し氏神と仰ぎたりと云ふ 棟札は元和七年依頼のものありて 是より巳前のものなしと」(伊豫温故録)
八幡愚童記
・県指定有形文化財 |
八幡神社の延宝鳥居【八幡浜市】
・市指定有形文化財[石造美術](昭和56年1月10日指定) |
「明治24年考案鳥型飛行機 二宮忠八翁ゆかりの地 八幡神社」の碑
・「平成4年12月吉日 八幡浜市長 吉見弘晏」とある。 |
「萬葉史蹟
矢野神山」の碑
・國學院大學教授 小野和■ 謹書 ・拝殿に向かって右側にある。 |
神功皇后
應神天皇 八幡御神像
・拝殿に向かって左側にある。 |
茶釜塚
・本殿右にある。 |
髪長神社 |
松尾神社 |
生目八幡神社 |
若宮神社 |
愛宕神社 |
八幡神社社叢【八幡浜市清水町】
・ホルトノキ、クスノキ、アラカシが優占。 (ふるさとの森−えひめの社寺林、(財)愛媛の森林基金、平成4年3月31日) |
八幡神社【八幡浜市日土町】
飛行神社【八幡浜市】
宮鴫神社【八幡浜市谷】
八尺(やさか)神社【八幡浜市矢代】
・市内南東部の小高い丘の上にある。
・八幡浜工業高校と八代中学校に隣接する。
「八尺神社 八代村に在り 素盞鳴尊を祭る 八幡宮勧請以前は当社を以て矢野全郷の総氏社と為す(明細書)」(伊豫温故録)
八尺神社社叢
クスノキ、ホルトノキの巨木 アラカシ優占。カゴノキ、タブノキ、ヤブツバキ、ネズミモチ、ヤブニッケイ、イズセンリョウ (ふるさとの森−えひめの社寺林、(財)愛媛の森林基金、平成4年3月31日) |
神祇讃歌
・八尺神社宮司・清家清氏が作詞。 ・「尊しや王子の森の天王宮、樹々もささやく遠つ代の、神の御声に御影に」 |
清家堅庭出生地
・清家堅庭は藩政時代の西洋医学者。 |
湯島天神社【八幡浜市国木】
若宮神社【八幡浜市大島】
竜王社【八幡浜市地大島】
2003/11/15
・龍伝説の残る大入池(おおにゅういけ)の南側に鎮座する。
・拝殿建立の芳名碑の裏側には、「奉献 八龍威霊蔵池中 干天慈雨司大漁 善人寄進新堂宇 観欣大入池龍神 竜子撰 平成元年十二月吉日建立」と刻まれている。
・拝殿前には、「池古りて 神鎮まりし竜神の 安居の宮に鴨の声きく」の歌碑が建っている。
※「鴨」か「鴫」かは判読できなかった。
薬師堂【八幡浜市若山 高下】
薬師堂のイブキビャクシン |
ちどり塚【八幡浜市合田】
・鎌倉幕府の重臣・梶原景時(かじわらかげとき)の妻・ちどり姫がこの地に落ち延びてきた。駿河国清見関で土地の豪族と戦い、命運尽きたと自刃した一族の菩提を弔い、写経の日々を送り、やがてその生涯を終えたという。里人はこの姫を弔い、ちどり塚を作って供養した。
・合田の杏は、このちどり姫が道中薬用として杏の種を持っていたことにあやかって村中に植えられたのが始まりという。(c.f.杏の里)
銅介の墓【八幡浜市日土町福岡】
・銅介は山家清兵衛の家来。
・清兵衛が日土に剣の達人がいるとの噂を聞きつけこの地を訪れたとき、目の前に鍬をかついで歩く農夫が居た。後ろから見るに、この農夫は一分の隙もない。清兵衛が無礼を承知でこの農夫を背後から斬りつけようとしたところ、この農夫は持っていた鍬の先でその刀を受け止めた。この農夫こそが剣の達人・銅介であった。
・銅介が清兵衛の仇を討ったとの伝説も残る。
赤陣太の墓【八幡浜市日土町中当(なかとう)】
・南予を代表するトッポ、陣太の墓がある。
・陣太は身長2m、体重150kg(以上)の大男で、鼻の頭が赤いことから「赤陣太」と呼ばれた。
石神様【八幡浜市中津川】
・旧中津川村と旧国木村の境界にある。
・高さ80cmの偏平な緑泥片岩。
向灘六地蔵【八幡浜市向灘】
・「享保十七子七月廿四日」と刻まれている。
・むかし、大内浦の磯崎網と杖の浦の宝屋網とが、代官からの「秋の一番漁をご主君に献上のこと」というお達しでコノシロ漁を競い、大乱闘となった。後日、この争いの取り調べのため須田の浜に出頭するよう、八幡浜代官・木綱房之助より呼出があった。
・双方の網元から三名ずつが須田の浜に出頭すると、竹矢来が張り巡らされていた。
・この取り調べについて代官が宇和島の殿様に裁断を委ねたとき、殿は殿医と碁を打っていて形成不利な状況であり、立腹した殿が「みな斬ってしまえ!」と言ってしまったからだという。
・六人は打ち首に処されてしまった。
・この六地蔵は、打ち首にされた六人の冥福を祈願して建てられたという。
出石山【八幡浜市/長浜町/大洲市】
・標高812m
浄心山【八幡浜市/長浜町】
・標高781.6m
銅ヶ鳴【八幡浜市/保内町】
・標高766.8m
権現山【八幡浜市/保内町】
・標高364.2m
鞍掛山【八幡浜市/大洲市】
・標高629.4m
愛宕山【八幡浜市】
大黒山【八幡浜市】
新川【八幡浜市】
千丈川【八幡浜市】
五反田川【八幡浜市】
鳴滝【八幡浜市】
【新川に架かる橋】
沖の橋
千代田橋
新川橋
本町橋
浜田橋
明治橋
出合橋
【五反田川に架かる橋】
祇園橋
【千丈川に架かる橋】
諏訪崎(すわざき)【八幡浜市栗之浦】
・四国の自然百選(昭和60年9月、朝日新聞社/(財)森林文化協会)
・四国二十景(昭和60年10月、四国郵政局)
・森林浴の森日本百選(昭和61年4月、緑の文明学会/緑の文明総合研究所)
・行ってみよう!えひめ感動の地20選(平成元年11月、四国大型キャンペーン推進愛媛(協))
・えひめ自然百選
・全長約3kmの岬。
・林間キャンプ場、ログハウス(「あじさい」、「つつじ」)などアウトドア派の施設も完備。
・「夢咲き岬」とも呼ばれる。
【花】
ツバキ[椿](初春) サクラ[桜](春) 公園内に植えられているのは大島桜(オオシマサクラ)。 フジ[藤](春) アメリカハナミズキ(春〜夏) ツツジ[躑躅](4〜5月) 約1500本のツツジ(オンツツジ、ヒラドツツジ)が遊歩道脇に植えられている。 アジサイ[紫陽花](6月) サルスベリ[百日紅](7〜9月) ハギ[萩](初秋) ツワブキ(仲秋〜晩秋) |
魚霊塔 |
諏訪崎祭り
・4月下旬のツツジ・サツキが満開の時期に行われる。 |
杏の里【八幡浜市合田】〜一望千本合田杏
ちどり塚 |
薬師堂のイブキビャクシン【八幡浜市若山
薬師堂】
・雌株
・胸高幹周4.8m、樹高約17m。
・樹齢数百年以上
・行基が立ち寄ったときに植えたという伝説が残る。
耳取峠
郷峠
・八幡浜市郷−大洲市平野町。
榎峠
・五反田−舌間。
夜昼峠
・国道197号線・夜昼トンネル(八幡浜市−大洲市)が貫いている。
名坂峠
・国道197号線・名坂トンネル(八幡浜市−保内町)が貫いている。
・戦国時代には、宇都宮房綱が萩森城(はぎのもりじょう)を築いた。
新川河原の碑【八幡浜市】
・新川に架かる明治橋の袂に建てられている。
・二宮忠八は12歳の時、父親を亡くした。忠八は家計を助けるために、様々な職につくとともに、持ち前の創造力を生かして凧を作った。この凧は非常に良くあがることで評判であった。忠八は凧が出来ると実家から200m離れたこの河原で凧をあげては調子を見ていた。近所の人々は「忠八凧」と呼び、しばし見物に訪れた。
「冒険とロマンの浜『源蔵前』」の碑【八幡浜市真網代】
・大正2年、打瀬船で米国に渡った浦人が船出をした地である。
堀江倉吉翁頌徳碑【八幡浜市五反田】
2000/10/14
・昭和42年5月建立。
・倉吉翁は明治33年2月1日当市五反田鯨に生まれた。昭和12年の鉄道布設の際、村民を率いて交渉にあたった。弥栄神社の新築、祖霊碑の建立などの功績がある。
斐光園【八幡浜市大平】
・斐とは、あやがある様、隠れて表面に現れない美しさを示す事がであるが、忠八翁の偉業を頌えて大正15年に帝国飛行協会から贈られた「斐々有光」の書にちなんで名付けられた。この公園は、桜・躑躅・楓などが美しく、忠八翁の遥かな夢を偲ばせる。
・公園は大正11年に開設した。
・公園の中には忠八が命名した「烏が丘」「玉虫坂」などがある。
愛宕山公園【八幡浜市】
・桜の名所で、春には花見客で賑わう。
・八幡浜市街地とその向こうに広がる八幡浜港・宇和海が一望できる。
王子ノ森公園【八幡浜市五反田】
五反田の柱祭り |
大島海浜公園【八幡浜市大島】
北浜公園【八幡浜市】
十日えびす【八幡浜市魚市場】
・旧暦の1月10日に行われる。
・漁船の船長が冷たい海に飛び込み、御神体である恵比須像を清める。この像は高さ30cmの木像。朝一番に帰港した船の漁船員が拾うのが習わしとされる。
・この恵比須像は、約150年前に八幡浜沖の佐島に流れ着き、地元漁師が拾って奉じたと伝えられる。
・十日えびすの行事は1962年から始まった。
真穴(穴井)の座敷雛
・4月2日、3日の両日に行われる。
・初節句を迎える女の子を持つ家庭で飾られる。
・座敷を開け放ち、廊下や庭まで利用して飾り付ける。
・屋敷の庭に面した座敷や隣部屋を開け放ち、優美な風景を描いた幔幕を張り巡らせて背景を作る。雛壇には豪勢な雛人形を、内裏様から官女まで古式通りに飾り付け、正面の額に初節句を迎える女の子の名前を墨書して立てる。庭や広縁、廊下などには盆栽・漁網・蜜柑籠などの小道具を利用してミニ庭園が造られる。
・4月2日の夕方、親類縁者が招かれて祝い酒を酌み交わしながら女の子の健やかな成長と幸せを祈願する。
・4月3日まで飾られた座敷雛は、「いつまでも飾っておくと縁づきが遅れる」と3日深夜から4日の早朝にかけて、すっかり取り払われる。
・天明年間、この地方は若衆歌舞伎が盛んで、その様式を取り入れたとも、村人が雛壇に松の枝や古木を飾り付けたのが始まりとも、諸説がある。(穴井歌舞伎が創設された天明3年(1783)頃を起源とし、現在の形となったのは明治初期という。)
梅の堂三尊仏縁日
・4月16日
四国山霊場縁日
・旧暦3月21日、旧暦7月21日
川名津の柱松神事(はしらまつしんじ)「厄火ばらい」【八幡浜市川上町川名津】
・以前は4月18日に行われていたが、今では4月の第3土・日曜日に行われる。3月28日に実施されていた頃もあった。
・江戸時代(約200年前)の寛政6年(1794)2月に相次いで大火が起こり、地元民が厄払い・火魔除けを祈願して始めたといわれる伝統行事。
・境内に立てられた約20mの柱松に、大松明(たいまつ)を背負った大魔(だいま=赤鬼)が、「ゴーエ、ゴーエ」の掛け声のなか、柱松の頂上までゆっくりと登り、頂上に達すると「菅原道真公を表す藁人形」(相丞様、しょうじょうさま)を四方に振ってから、漏斗状の籠の中で燃え盛るかがり火の中に投げ入れ、四方鎮火、家内安全、五穀豊穣・悪魔退散を祈願する。降りるときには逆吊・宙を舞うなど曲芸的な演技を行う。(これは「善神に追われて逃げる疫病神」を表現する。)
・松の木を伐り出すことを「松おろし」という。当年42歳の厄年を迎える男達が、「エンヤコラ・ヨッコンセー・タッチンセー(横にしろ、縦にしろ)」と掛け声勇ましく、山から蟻王川沿いに約2kmの道を引き降ろしてくる。
・伐り出した松の木は海で潮ごりし、その後宮川を遡って川名津天満神社まで運ぶ。
・夕方には川名津神楽が奉納される。賑やかな囃子に合わせて「大蛇退治」や「鎮火の舞」などが次々と披露される。
二宮忠八翁記念飛行大会
・二宮忠八翁の飛行実験成功を記念し、毎年4月29日に行われる。彼の偉業を偲びながら、飛行機飛ばしなどのイベントが催される。
五反田の柱祭り【八幡浜市五反田】
・県指定無形民俗文化財。
・愛媛のまつり50選
・盆行事で、8月14日に行われる。
・戦国時代の五反田の元城で、誤って味方に討たれた修験者・金剛院円海の慰霊・鎮魂供養として始められた。
・長さ20mの柱の突先にはジョウゴが取り付けられ、このジョウゴめがけて麻藁(あさがら)製の松明(たいまつ)を投げ込んで点火する。この麻藁には小石がくくりつけられる。
・王子の森公園で開催(2005年)
(「夜空焦がす炎アーチ 八幡浜・五反田柱祭 たいまつ放り息災祈る」、愛媛新聞、2005/8/16)
みなと夏まつり
・8月中旬。
・宇崎竜童作曲の「てやてやウェーブ」のリズムに乗って、若者達が真夏の夜を乱舞する。
※「てやてや」は魚市場での競りの掛け声で、「買うてや、買うてや」が
reductionしたもの。
みなと花火大会・灯篭流し
・8月14日
金山出石寺縁日
・5月8日、8月9日、8月17日
みなと祭り
・10月18日〜20日
・愛媛のまつり50選
おさかな牧場シーロード八幡浜【八幡浜市向灘2935】
・1999年7月20日の海の日にオープン。
・浮き消波堤を利用した釣り堀、レストラン、特産品売り場などを有する。
・消波堤と陸とは、長さ81mの斜張橋「びゅうブリッジ」で連結される。
・シーロード入場料は大人300円、小学生100円。
・イケス(釣り堀)利用料は大人500円、小人200円。
・外釣り利用料は大人1,000円、小人500円。
・電話番号:0894-24-5111、(fax)0894-24-5114
・営業時間:09:00〜17:00
・休業日:月曜日(祝日の場合は翌日)※夏休み中は無休
http://www.searoad.co.jp
http://www.rakuren.co.jp/searoad/
http://www2.ocn.ne.jp/~searoad/
市民図書館
八幡浜港みなとオアシス
・平成17年8月29日、国土交通省四国地方整備局の「みなとオアシス」に登録。
http://www.y-minatomachi.net/
日土小学校校舎【八幡浜市日土町】
・大洲市出身の建築家・松村正恒氏の設計。
・1956年完成。
・日本の近代建築20選(DOCOMOMO)
夫婦岩【八幡浜市双岩】
夫婦岩(みょうといわ)の伝承
昔、この村に夜になると出てきて作物や家畜を食い荒らすものがいた。 困った村人達は、毎晩見張りを続け、とうとうその犯人を突き止めた。 それは滝の下に住んでいた竜彦、竜姫という2匹の竜であった。 怒った村人達はこの竜を煙攻めにした。すると雷雲がわき起こり、土砂降りの大雨が何日も降り続き、田畑や作物は流されてしまった。 村人達は竜の祟りに違いないと恐れ、神に祈ったところ、急に雨が止み、滝の側に大きな2つの岩が立っており、いつまでも仲のよい夫婦岩となった。人々はきっと竜彦と竜姫の生まれ変わりに違いないと信じ、大層なことをしたものだと思い、竜の供養を続けるようになった。 ★双岩の地名もこの伝承にちなんだものであろう。 |
双竜の滝 |
竜神様の伝説【八幡浜市大島】
長者伝説
五反田の保安寺裏の小池に雄の龍神が住んでいた。段々と成長してくるにつれ住んでいた池が手狭になってきて、どこかへ住まいを移したいと考えていた。そこで目をつけたのが大島の大入池。 ある日龍神が娘に化けて舌間の海岸に出ると、そこへ一人の貧しい漁師が通りがかった。漁師は親切に、龍神を船に乗せて大島まで渡ってくれた。漁師の親切に感謝した龍神は正体を明かし、「もし私の事を口外しないならばこの船をいつも大漁にしてあげよう」と告げた。それ以来、漁師は大漁続きで大分限者となったが、ある日うっかり口を滑らしてしまうと途端に魚は揚がらなくなり、もとの貧乏に戻ってしまったという。 |
雨乞い伝説
以前の住処であった保安寺の和尚が雨乞いの(七日間の)断食祈願に大島を訪れたので、龍はいかなる日照りでも雨を降らすことを約束した。 以来、保安寺の雨乞いは必ず降雨をもたらすことで名が知れた。(藩政時代に家老名で贈られた感謝状が保安寺に保管されている。) |
ねずみ島海水浴場【八幡浜市大釜】
・ねずみ島は潮がひくと浅瀬が陸続きになる。
大島海水浴場【八幡浜市大島】
・八幡浜港から定期船で約25分。
・竜神伝説が残る。
八幡浜港
・「八幡浜港 八幡浜にあり 港口西に向ひ 干潮深さ四丈二尺 満潮深さ四丈五尺 定繋船三百四十五艘あり 此地は三崎湾の極北西宇和郡の中央にして頗ぶる良港の地勢を得 豊後日向土佐等の商價来集し商業繁盛富豪の家多し」(伊豫温故録)
佐島【八幡浜市】
・川之石沖の宇和海上にあり、八幡浜市に属する。
・明治26年から大正9年まで佐島製練所が置かれた。
風車のモニュメント【八幡浜市真網代】
2000/10/14
多田千尋「おもちゃのフィールド」の碑【八幡浜市真網代】
2000/10/14