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こたろう博物学研究所 市町村別情報庫 八幡浜市 (旧・保内町) |
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町の花 | 町の木 | 町の花木 | 町の鳥 |
スイセン | 松 |
大字 | 字 |
愛媛蚕種(えひめさんしゅ)建造物【保内町川之石】
・国登録有形文化財(平成11年(1999)登録申請)
・事務室・玄関、第一蚕室、第二蚕室の3建造物が対象。
・愛媛蚕種社は、明治17年(1884)創業。昭和21年に合資会社「日進館」から現社名に変わった。
事務室・玄関
・明治後期の建築で、木造2階建て。延べ面積418u。ひずみのあるガラスに明治・大正期の和風建築感が漂うが、正面玄関の三角形の庇や軒先の透かし細工、側面の上下スライド窓など随所に西洋技術が見られる。 |
第一蚕室
・大正8年の建造物 ・木造三階建て。延べ面積630u。三階の天井裏には大きな様式トラス構造が見られる。 |
第二蚕室
・大正8年の建造物 ・木造二階建て。延べ面積120u。 |
内之浦公会堂(うちのうらこうかいどう)【保内町川之石】
・国登録有形文化財
・昭和12年(1937)の建造物。
旧川之石浦庄屋二宮家住宅石塀【保内町川之石】
・国登録有形文化財
・江戸末期〜明治初年の建造物
・土蔵は1862(文久2)年の建築。
・3mを超える青石の灯籠と井戸が残る。
・駐車場の石垣は、防火用に設置されたもの。
・この場所には、1887(明治20)年、宇和紡績創立事務所が置かれていた。
保内郷総鎮守三島神社所蔵神像五躯【保内町宮内
三島神社】
・県指定重要文化財[彫刻](昭和31年11月3日指定)
・木造の御神像
保内郷総鎮守三島神社所蔵懸仏一体【保内町宮内
三島神社】
・県指定重要文化財[工芸品](昭和31年11月3日指定)懸仏(1面)
常昌寺の仏像三体【保内町喜木 常昌寺】
・町指定有形文化財
太子堂【保内町須川 法眼院】
・町指定有形文化財
宝篋印塔3基【保内町 高徳寺】
・町指定有形文化財
保内郷総鎮守三島神社所蔵神像二躯
・町指定有形文化財(昭和46年3月15日指定)
旧白石和太郎洋館(川之石ドレスメーカ女学院)【保内町川之石琴平】
1999/3/14
・町指定有形文化財
・川之石ドレメ女学院は、木造二階建て。約 130u。
・明治30年頃、地元で紡績、鉱山を経営していた実業家が事務所として建てたと言われる。
・外観はギリシャ神殿を彷彿させる。
・縦長のスライド窓の周りには木目細かいヨーロッパ風彫刻の装飾が施されている。
・持ち送り部分(屋根の庇などを支える装飾部位)も洋風デザインとなっている。
・外壁には漆喰の飾り、玄関の天井には珍しい世界地図が描かれ、上に開くぶんどう式窓など貴重な擬洋風建築物である。
・部屋にはペチカや柱頭飾りがある。
・基礎石には花崗岩が敷き巡らされている。
・明治時代の繁栄の歴史を物語る建物である。
龍潭寺本堂【保内町川之石 龍潭寺】
・町指定有形文化財
龍潭寺庫裏【保内町川之石 龍潭寺】
・町指定有形文化財
格天井画【保内町 金刀比羅神社】
・町指定有形文化財
古文書(願文)磯崎浦波戸勧化之事【保内町 郷土資料室】
・町指定有形文化財
二宮敬作出生地【保内町 二宮敬作記念公園】
・町指定史跡
喜木八幡神社のけやき【保内町喜木 喜木八幡神社】
・町指定天然記念物(昭和50年6月4日指定)
客神社社叢林【保内町磯崎 客神社】
・町指定天然記念物(昭和50年6月4日指定)
平家谷自然林【保内町平家谷】
・町指定記念物
磯崎港石波戸【保内町磯崎】
・町指定記念物
柳谷銅山製錬所跡【保内町須川】
・町指定記念物
枇杷谷焼【保内町宮内】
舟つなぎ石【保内町宮内】
千手観音像【保内町雨井】
夢永・磯崎の石造美術【保内町磯津】
二宮医院(擬洋風建築群)
・明治34年の建築。
・欅の大黒柱、漆塗りの襖、凝った細工を施したシャンデリア、洋風の階段などを有する和洋館。
・門塀には、宮殿を連想させる美しいデザインの鉄柵があったが、戦時中に銃弾の材料として供出し、今では植え込みの垣根となっている。
宇都宮邸
・明治11年、県内初の銀行「第29国立銀行」の事務所が置かれた江戸期の建築物。
・畳大の桧の一枚板に精巧な透かし彫刻を施した欄間、15畳の座敷には優美な花頭窓、黒檀(こくたん)の床柱、客をもてなす式台を有する玄関...など、武家屋敷専用の建築様式で、江戸期の民家にしては稀なものである。
赤煉瓦通り
・旧白石和太郎洋館、二宮医院との路地を入っていくと、赤レンガ造りの塀が随所に見られる。
東洋紡(八興産業)赤レンガ倉庫[旧東洋紡績川之石工場]
・明治22年、東洋紡績の前身、宇和紡績が自家発電を設置し、四国で初めて電灯が灯った。
・現在はレンガ倉庫が残るのみとなっている。
菊地庸夫邸(西のおやけ)
稲見米穀店
からみレンガ
・銅鉱石を精錬する過程で銅分を取り除いた後の鉱滓からできている。
・「佐島レンガ」とも呼ばれる。これは、1893(明治26)年川之石沖合の佐島に精錬所ができ、そこで作られていたことに由来する。
・江ノ口橋の親柱にも用いられている。
今城跡【保内町】
飯森城跡【保内町宮内
枇杷谷】
→See.「都道府県別 日本の中世城館調査報告書集成
第19巻 四国地方の中世城館 愛媛・高知」、東洋書林
磯崎城跡【保内町磯津】
城高城跡【保内町喜木】
・大塚嵐之助居城。
・城跡に龍王社を祀る。雨乞い祈祷の場であったという。
→See.保内町ふるさと写真集
須川丸山遺跡【保内町須川】
鉄砲鍛冶場跡【保内町宮内】
大峯鉱山坑口跡【保内町】
雨井代官所跡【保内町】
雨井慈眼庵【保内町】
慈眼庵青石の石垣(じげんあんあおいしのいしがき)
・雨井地区は、天保年間から海運業で栄えた。帆船で、地元特産物(ハゼ・ろう・干鰯等)などを阪神方面に運んでいた。 |
二宮新吉墓地【保内町】
高徳寺【保内町宮内】
1999/3/14,
2005/1/22
・宗派:曹洞宗
・山号:無上山
山門
・山号額「無上山」が掛けられている。 |
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聖観音像 | ||||||
寺号碑
・昭和61年7月建立 |
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六地蔵
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地蔵 | ||||||
三界萬霊塔
・天保十五甲辰七月 |
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印塔 | ||||||
宝篋印塔(三基)
「宝篋印塔(三基) 保内町宮内無上山高徳寺 昭和47年3月28日町文化財指定 この三基の印塔は、室町末期と江戸初期に当るもので、何れも素材は凝灰石で、高さ1.0mにもみたない小型のものであるが、造定の年記を残している点で貴重なものである。 向かって右の印塔は、確認できないが津々喜谷一族のものと思われる。 左の塔は来翁宗本座 念三月敬白 元和五年の銘がある。これは、宮内庄屋都築家の祖、津々喜谷太郎左衛門重行「のち 宗昧と号す」のものであり、当寺過去帳に福田院殿来翁宗本上座 元和五年三月二十三日と記されている。 中の塔は為掩粧月桂妙秋大姉 文禄三甲午十月の銘があり、太郎左衛門夫人のものである。 太郎左衛門は、喜多郡から天正年間この地に来て、当時開基、宮中村ほか八ヶ村の里正(庄屋)で、一時矢野郷・保内郷の代官であったといわれる。 保内町教育委員会」 |
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千手観音(石仏)
・台座には「里組」と刻まれている。 |
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釈迦如来像 | ||||||
石仏 | ||||||
本堂 | ||||||
松 | ||||||
石柱
・天保二辛卯歳 |
慈眼庵【保内町】
常昌寺【保内町喜木3番耕地112番地】
1999/3/14
・山号:佛日山
常昌寺の仏像三体(常昌寺観音堂在仏像)
・町指定文化財(昭和50年6月4日指定) ・木造不動明王立像(像高1.03m) ・木造観世音菩薩立像(像高1.11m) ・木造毘沙門天立像(像高さ1.02m) ・当山観音堂に安置してある三体の尊像は、いずれも一本づくりで、三体の背面には「行基作明和五子夏天再興主常昌寺四代湛月誌」(1768年)との朱銘がある。 ・三体とも多少の破損があり後世に手を加えたところがあるものの、浅い彫り、緩やかな衣紋の流れは、穏やかな姿を浮かび上がらせて、昔の手法を偲ぶことができる。 |
真願寺【保内町宮内】
法眼院【保内町須川177】
1999/3/14
・山号:妙光山
・宗派:日蓮宗
太子堂
・町指定文化財(昭和61年10月1日指定) ・寛政年間に都築文六が建立したもので、江戸時代から明治末期までは、須川村の庚申堂と兼ねて、村のほぼ中央にあったものを大正初期に現在地に移転。その際、桧皮葺を銅板に替えられているが、形整い、釘無使用で、手の込んだ建築彫刻は見事である。 ・都築文六は、都(京都)にあって太子堂を建て、その出来映えがよく、苗字・御■許されて須川村に帰郷しこの堂を建てたと伝える。 |
龍潭寺(りゅうたんじ)【保内町川之石】
田翁(でんのう)和尚の水かけ石 |
山門
・延享二年(1745)に建てられた。 |
雨井神社【保内町川之石】
クスノキ |
アコウ樹 |
一宮神社【保内町西之河内】
バクチノキ |
祇園神社【保内町喜木】
喜木八幡神社【保内町喜木2番耕地571番地】
1999/3/14
宝亀八年鎮座千二百年記念碑
・昭和57年8月吉日建立 |
常夜燈
・大正14年12月 |
けやき
・町指定天然記念物(昭和50年6月4日指定) ・このけやきは宝暦12年(1762)神越から現在地に社地替の際に植えられた。八幡神社造営にあたり、参道をつくり併せて町筋の水害防止のため喜木川を改修、堤防を築堤し、約2.0m〜1.5m下に補強いを兼ねて川原(八幡川原)をもうけ、「けやき」や「松」が植えられたと伝えられる。 「けやき」や「松」は巨木となり、近隣にない松並木の参道としてその景観を誇っていたが、「松」は松食虫におかされ枯死、「けやき」だけが現存し氏子を見守っている。 ・樹齢:推定230年 ・高さ:15m、昭和18年(1943)台風による豪雨で護岸が損壊。復旧の際、現在の高さまで根元が埋め立てられた。 ・根回り周囲:5.0m |
句碑
「大欅 虚空を支ふ 裸かな」 ・けやきの根元に建つ。 ・平成9年6月吉日建立 |
客神社【保内町磯崎2280】
1999/3/14、2005/1/22
・祭神:伊弉諾命、伊弉冉命
・配神:國狹槌命
客神社社叢林
・町指定天然記念物(昭和50年6月4日) ・客神社は、伊弉那岐命、伊弉那美命を主祭神としているためか、樹木も一対のものが多い。 ・「楠の森」とも呼ばれ、周囲約6mの2本の大楠(幹周575cm、532cm)をはじめ、椎、ヒョンノキ、椿などの群生が目立つ。 ・ほかに、榊、タブノキ、イチョウ、楓などの樹木が茂り、貞享3年(1686)、本殿再興の古い神域にふさわし森厳の気を放っている。 →See.ふるさとの森−えひめの社寺林、(財)愛媛の森林基金、平成4年3月31日 |
相合の松 |
秋祭り
・10月15日 |
客神社【保内町夢永】
・祭神:伊弉諾命、伊弉冉命
・配神:國狹槌命
秋祭り |
客神社【保内町広早】
・祭神:菊理姫命
・配神:大山積命、市杵嶋姫命、天之御中主命
秋祭り
・10月17日 |
金刀比羅神社【保内町琴平】
アラカシ優占林 |
クスノキの大木 |
夏越祭(輪抜け) |
新田神社【保内町須川】
クスノキの大木 |
秋祭り
・10月19日 |
八幡森神社【保内町楠町】
秋祭り
・10月23日 |
八幡神社【保内町神越】
八幡神社【保内町喜木】
・宝亀8年(777)、宇佐八幡宮より分霊を勧請。
・宝暦12年(1762)、現在地に移設。
秋祭り
・10月19日 |
平家神社【保内町宮内
平家谷】
平家谷 |
平家神社奥ノ院 |
臥竜藤 |
平家神社社叢林
(ふるさとの森−えひめの社寺林、(財)愛媛の森林基金、平成4年3月31日) |
保内三島神社【保内町宮内5番耕地1番地】
1999/3/14、2004/12/30
・宝亀5年(774)8月、今から約1200年前保内郷内の五穀豊穣・人民繁栄のため越智郡大三島大山祗神社より、御分霊を勧請したものである。
・往古、このあたりは入海になっていて、社地のみ浮島となって船形を形成し、神様を乗せた御船が止まった所であるので船森三島大明神と呼ばれたと伝えられている。
・昭和8年県社となり、保内郷の総鎮守の神社として郷民に崇敬されている。本社の主な祭日は、例祭(春祭り)4月23日、祈念祭(としごえのまつり)2月23日、新嘗祭11月23日、神奉祭(秋祭り)10月23日、夏越祭(わぬけ)7月28日などがあり、特に10月23日の秋祭りは多くの人々の参拝で賑わい、川之石・宮内のおねりが三島神社に集まってくる。
保内郷総鎮守三島神社所蔵神像・懸仏
・神像五躯:県指定重要文化財(昭和31年11月3日指定) ・神像二躯:町指定文化財(昭和46年3月15日指定) ・鎌倉時代後期頃の作とされる神像七躯のうち、傷みの見られた二躯は、平成7年補修を施したが、いずれも像高31〜37cm、桧材の丸彫の像で、手先を ■つけるもの二躯、冠と髪■、■形などに■■をのこしている。 ・頭に巾子冠を頂き、枹衣(公家の宮廷服)や狩衣(公家の常用略服)をつけている。豊かな表情と姿態のたくみな変化は、長年手がけた伝統の下に、時代の写実を生かした力強い表現技法をうかがわせる。 ・朝廷で行われた相撲の節会にちなんだ角力人形ともいわれているが、県下の三島系神像の傑作といえる。 |
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懸仏一面
・県指定重要文化財(昭和31年11月3日指定) ・懸仏とは、円鏡の表に神仏の像を現し、寺社の円陣にかけてあるお姿のうち、半肉彫・丸彫の像を据えたものをいう。 ・三島神社の懸仏は、直径約33cmの円錐に愛染明王座像と台座が取り付けられ、青銅製で重さ1.69kg、裏面上部の釣穴でかけつるすようになっている。 ・裏面の■刻銘文から、建久5年(1194)鎌倉時代初期の作と知られ、工芸品としても、愛染明王信仰の歴史を知るうえでも貴重なものといえる。 |
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神船石(おふねいし)と神龍池(しんりゅういけ)
・宝亀5年(774)、大三島から御船に乗って神様がこの地に着かれた。その神船が石と化して安座故事に因んで神船石という。池は水涸れることなく、旱天に慈雨をもたらす雨乞いの神として親しまれた龍神社の竜神の気がみなぎり神龍池と呼ばれる。 |
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神龍池改修記念碑
・平成7年10月建立。 |
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宮中神社
・国や県の、集落内神社の統廃合による「一村一社」の方針に従い、明治42年(1909)4月10日届出、旧宮内村内の無格社18社が、宮中神社として合祀された。
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三島神社社叢(守船跡森三島神社)
・クスノキ、スダジイ、ケヤキ、イチョウ、イヌマキ、スギ ・「裏側には大きなバクチの木が2本あり、赤い樹肌が暗い林内で目立っている。成木となったバクチノキは、ある時急に褐色の樹皮が剥げて、赤い樹肌を呈する。このことをバクチで金を失うことと関係づけて、江戸時代には博徒の信仰樹となった。この故事を知ってか知らずか、本殿裏ではこの木にだけにおみくじが結び付けられている。」 (ふるさとの森−えひめの社寺林、(財)愛媛の森林基金、平成4年3月31日) |
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秋祭り
・10月23日 |
松尾神社【保内町赤網代】
ムクノキ |
八坂神社【保内町喜木津】
秋祭り
・10月17日 |
雨井庚申堂【保内町雨井】
三本松新四国八十八ヶ所【保内町】
・この地域の人々が先祖供養・家内安全を祈願して明治の頃設立した地四国。
・雨井慈眼庵から始まり、庚申堂や龍潭寺を経て、標高240mの三本松山を越して宮内駄馬の薬師堂に至る。
銅ヶ鳴【保内町/八幡浜市】
・標高 766.8m
天ヶ森【保内町/長浜町】
鞍掛山【保内町】
権現山【保内町/八幡浜市】
・標高 364.2m
雨乞山【保内町】
・標高 499.2m
三本松山【保内町】
・標高 240m
浄心山【保内町磯崎】
天王山【保内町】
城高城跡 |
宮内川
喜木川
里川
・土石流危険渓流
・里川水系
・高徳寺前を流れる。
美名瀬橋【保内町】
・昭和8年に架けられた。
・平成10年(1998)に、改修工事が行われた。
江ノ口橋【保内町】
・平成7年8月完成
・喜木川に架かる。
・親柱にからみレンガ(製練カスを固めたもの)を使用している。
落人伝説 |
素麺流し
・清流を利用した素麺流しが4/29〜9/10の間、行われる。 ・営業時間は9:00〜18:00. ・料金は食べ放題で大人400円、小人250円、幼児100円。 ・無料駐車場有り。 |
入らずの森 |
丸碆【保内町磯崎】
1999/3/14
・磯崎から平家谷へ抜ける海岸沿いの旧道を走ると、眼下の海上に浮かぶ小島が見える。これが丸碆である。道の脇には、
「丸碆は言う 私は大昔よりここでイサキを見つめている...と」
「丸碆よイサキを語れこの磯で」夢十
という碑が建っている。
住吉鼻【保内町川之石】
渕ヶ谷池(大藪の池)【保内町枇杷谷】
喜木八幡神社のけやき【保内町喜木 喜木八幡神社】
客神社社叢林【保内町磯崎 客神社】
エノキ【保内町西之河内】
ホルトノキ【保内町】
・平家谷に行く途中の二宮酒店の裏山にある。
旧吉田街道【保内町】
瞽女トンネル【保内町】
1999/3/14
・平成11年2月開通。
・長さ:2156m
喜木津トンネル【保内町喜木津】
1999/3/14
・長さ:635m
磯崎トンネル【保内町磯崎】
1999/3/14
瞽女ヶ峠(ごぜがとうげ)【保内町】
日露戦役記念碑【保内町喜木】
1999/3/14
・いよてつバス喜木停留所前
宮内村先賢の碑【保内町宮内】
1999/3/14
・三嶋神社の本殿西側、国道を挟んで宮内小学校側にある。
・袂には、「瞽女トンネルの石」と刻んだ、瞽女トンネル開通記念の碑が添えられている。この碑は平成9年11月に建てられたもの。
二宮敬作記念公園【保内町磯崎】
1999/3/14、2005/1/22
二宮敬作記念公園建設碑
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Corylopsis
Kesakii
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二宮敬作銅像 | |
二宮敬作出生地
・町指定史跡 ・幕末の日本に西洋医学を伝えたドイツ人医学者、シーボルト(1796〜1866年)に師事した医者、二宮敬作(1804〜1862)の出生地。 |
第39代横綱前田山記念公園【保内町喜木】
1999/3/14
前田山生誕地/前田山記念公園建設碑
・公園面積49u、土地寄付者萩森直義氏、事業費24,814,000円 ・工事内容:横綱前田山像一体、ベンチ一基、植栽四本、灰皿一基 ・平成4年10月吉日建立、保内町・横綱前田山顕彰事業協賛会 本名萩森金松 大正3年5月4日父圓太郎,母ツユの五男として喜須来村喜木(現保内町喜木)に生まれる。喜須来尋常高等小学校卒業後、14歳で大相撲に入門する。昭和4年1月喜木山で初土俵 昭和8年12月新十両の土俵を前に右腕上膊骨骨髄炎になるが、慶應大学前田和三郎博士の診療手術により約1年を費やし完治する。その恩に感激し前田山と改め三段目より再スタートする。その後は順調に出生し十両を二場所、入幕三場所目後に大関となり、大関在位時に高砂を襲名する。大関を9年18場所務め、戦後初の横綱となる。幕内通算成績206勝104敗39休。引退後は高砂親方として横綱朝潮、大関前の山、関脇高見山、小結富士錦らの力士を養成する。相撲協会においては理事・取締の要職を務める。また協会きっての外国通として知られ、昭和26年9月には力士3名を伴い、相撲紹介のため渡米する。後のハワイ巡業などにも尽力し、外国人関取第一号となる高見山をスカウトするなど、相撲の国際化に多大な貢献をした。昭和46年8月17日、57歳で波乱の生涯を閉じる。この第39代横綱前田山英五郎関の偉業を偲ぶことは、保内町の誇りであり、後世に顕彰するためこの像を建立する。
1992年10月吉日 保内町長菊池善治 |
★喜須来小学校の正門前にある。
★ノートパソコンを開き、碑文の写し取りを始める。すると、横の草原の木に鎖で繋がれいたゴールデンレトリバーが吼え始める。小学校の校庭で遊んでいた児童が珍しそうに寄ってきて、ワシの作業を覗き込み、「わぁ〜はえぇ〜これやったら有名科学者になれるよぉ」と叫んでいる。どんな根拠だろうか?まあ、なんとも長閑な田舎の人見知りを知らない純真かつ素朴な子供たちである。(1999/3/14)
神越コミュニティ公園【保内町神越】
・平成元年3月完成。
夢永コミュニティ公園【保内町磯崎】
・平成16年3月完成。
琴平公園【保内町川之石】
富沢赤黄男句碑広場 |
平家谷レクリエーション公園【保内町】
さくら祭り【保内町 琴平公園とその周辺】
・4月7日
春祭り
・4月10日:金刀比羅神社・八幡神社・雨井神社(川之石地区)
・4月15日:八幡神社(喜木地区)・新田神社(須川地区)・客神社(磯崎地区)
・4月17日:八坂神社(喜木津地区)・客神社(広早地区)
・4月23日:三嶋神社(宮内地区)
夏祭り(輪抜け)
・7月10日:金刀比羅神社(川之石地区)
・7月15日:祇園神社(喜木地区)・客神社(磯崎地区)
・7月18日:黒住教会(喜須来地区)
・7月25日:八幡神社(喜木来地区)
・7月28日:三嶋神社(宮内地区)
秋祭り
・10月15日:客神社(磯崎地区)
・10月17日:八坂神社(喜木津地区)・客神社(広早地区)
・10月19日:八幡神社(喜木地区)・新田神社(須川地区)
・10月23日:八幡森神社(川之石楠町地区)
・10月23日:三嶋神社(川之石楠町地区を除く。宮内地区)
保内町文化会館【保内町宮内1-118】
・開館時間:09:00〜17:15
・休業日:なし
平家の落人伝説(隠れ里伝説【保内町宮内 平家谷自然公園】
・昔壇ノ浦の合戦(1185)で敗れた平家の侍が、この地に逃れてきて隠れ住んでいた(*1)が、いつ源氏が攻めてくるかわからないので、瞽女を瞽女ヶ峠に立たせて関東武士の言葉訛りを聞き分けさせたり、「よぼし岩(烏帽子岩)」という高い岩の上に見張りの者を立てていた。
・三年も経ったある日のこと、山の麓に白旗を風になびかせた源氏軍が攻めてくるのが見えた。もはや逃れる術もないと若者二人を残して切腹して果てた。しかし源氏の白旗と思ったのは、白鷺の群れて飛んでいるのを見誤ったものであった。それから若者二人は山を下りて村人と住むようになった。その二人の家を村の人は2軒の家だから両家と呼ぶようになったという。
・それからというものの、この辺りでは、白色がタブーとなり、正月の餅も白い餅は遠慮されるという。
・現在の両家部落には、平家の子孫がいるといわれている。
(*1) 平家敗走ルートは「壇ノ浦→伊方越(伊方町瀬戸内海側)→平家谷」とされる。
【平家伝説に由来する地名】
・異境の地での生活の慰め「琵琶(びわ)」、「鼓緒(つづみお)」を弾いたことに因んで、「枇杷谷」、「鼓尾」などの地名が付けられたという。
田翁(でんのう)和尚の水かけ石【保内町 龍潭寺】
・今を去る200年くらい昔、龍潭寺に高名な名僧田翁和尚が住山し社会の教化に努めていたという。
・この和尚は特に神通力に優れておられ、ある日和尚は感ずるところがあって30〜40人の小僧を本堂に集めて支度をさせ庭にある丸型の石に水をなに何十杯となくかけさせた。小僧達は不思議に行ないに不審の念を抱いたが、特に申し立てする者もなかった。それから幾日か経ったある日、豊後の国の寺院の火災を消して戴いた御礼にと特船を仕立てて使者が礼物を持って来られた。豊後に大火があり助けてくれた御礼だと言い、小僧達は何の事か解らなかったが田翁和尚は礼物を快く受けられた。
・その豊後の大火を救った石を「水かけ石」といい、今も境内に残っており、又その時の礼物も大切に保存されているとのことである。
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