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(旧・長浜町)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要
★長浜町役場の位置:東経132度29分、北緯33度37分


キャッチフレーズ
(1).「未来をひらくながはま 肱川あらしと開閉橋の町」

町の花 町の木 町の花木 町の鳥
サルビア サンゴジュ サツキ

特産物

沿革
・昭和30年、長浜町、喜多灘村、櫛生村、出海村、大和村、白滝村が合併して長浜町となった。

地名
大字
今坊(こんぼう)
戒川(かいかわ、かいのかわ)
黒田(くろだ、くろのだ)
仁久
上老松(じょろうまつ)
大越
白滝
下須戒
穂積
沖浦
須沢
櫛生(くしゅう)
出海(いずみ)
豊茂(とよしげ)


文化財

銅鐘(1口)【長浜町豊茂 金山出石寺】
・国指定重要文化財[工芸品]
・朝鮮高麗王朝時代の作
・高さ69cm、径47.6cm。

沖浦観音(本尊十一面観世音菩薩立像(1躯)【長浜町沖浦 瑞龍禅寺】
・国指定重要文化財[彫刻]
・藤原時代初期の作

長浜大橋【長浜町長浜】

長浜町庁舎【長浜町長浜】
・国登録有形文化財
・昭和11年の建造物

末永家住宅旧主屋【長浜町】
・国登録有形文化財(平成15年1月31日)
・所有者:末永咲子
・明治17年(1884)の建築物。木造二階建。土蔵造2階建、瓦葺。建築面積177u。
・棟梁は、地元の隅田弥太郎(すみだやたろう)と伝えられる。
・1階には石を用い、2階腰部(こしぶ)になまこ壁を設け、2階屋根を支える持ち送りや窓回りを漆喰細工とするなど、特徴ある外観をもつ。
(広報ながはま、平成15年4月号)

末永家住宅「旧主屋・百帖座敷」【長浜町】
・国登録有形文化財(平成15年1月31日)
・所有者:末永咲子
・昭和2年(1927)の建築物。木造平屋、入母屋造り、桟瓦葺(さんがわらぶき)。建築面積105u。
・敷地奥の北側に建っている。
・18畳敷きの座敷と次の間を持つ。次の間には5畳の前室(ぜんしつ)を整え、庭側に縁を通している。次の間は棹縁(さおぶち)天井、座敷は折上格(おりあげごう)天井であるが、若干の洋風装飾も備えている。
(広報ながはま、平成15年4月号)

兵藤家住宅[主屋 座敷棟・住居棟]【長浜町出海】
・兵藤家は、中世の水上城主として出海地区に居を構え、江戸時代には庄屋職を務めた。
("兵藤家(大洲)主屋など4件 登録有形文化財に答申"、愛媛新聞、2005/3/19)
座敷棟
・江戸時代末期の建築。
住居棟
・明治時代初期の建築。瓦葺、木造平屋。

木造釈迦如来坐像(1躯)【長浜町豊茂 金山出石寺】
・県指定有形文化財[彫刻]
・南北朝時代の作
 

青島踊り(青島の盆踊り)【長浜町 青島】
・県指定無形民俗文化財
・青島盆踊り保存会
・赤穂47士の精霊の踊りなど。
・青島は水無瀬島といい、かつては無人島であった。
・有人化したのは、寛永16年(1639)のこと。播州坂越村(現在の赤穂市坂越)の与七郎が16戸を率いて移り住んだことに始まる。
・この人達たちが、毎年8月14・15日の両日氏神(坂越神社の分身)の前で踊り明かしたのが、青島踊りの味まり。
・13日「大漁踊り」・・・魚の供養
・14日「亡者踊り」・・・1年間の死者の慰霊

金山出石寺【長浜町豊茂】
・県指定名勝

久保家文書【長浜町今坊】
・町指定有形文化財[古文書]
・新谷藩関係の史料。寛政6年(1794)から明治5年(1872)にかけての庄屋文書。土地や貢租関係のものが多い。
・久保家は、新谷藩今坊村の庄屋であった。

駒手丸船おろしの図(絵画)【長浜町長浜】
・町指定有形文化財[絵画](昭和55年3月11日指定)
・文政12年(1829)10月26日、大洲藩の建造船「駒手丸」の船おろしの様子を描いたもの。駒手丸は、参勤交代時の乗用船(参勤船、御召船)として利用された。元和2年(1616)〜安政4年(1857)の間、建造は10回に及んだ。
・第10代大洲藩主加藤泰済のお抱え絵師無生文流斎若宮養徳惟正)の手による彩色の巻軸。縦26p、横110p。

駒手丸模型【長浜町長浜ふれあい会館ギャラリー】
・町指定有形文化財[彫刻](平成元年8月30日指定)
・所有者:住吉神社
・仁久の大工が造り、大洲藩主が住吉神社に奉納したもの。この模型は昭和44年(1969)年に復元された。
・駒手丸は、大洲藩侯の御召船で、1616年(元和2)から1857年(安政4)までに10回建造され、長浜の江湖の港に置かれていた。

小野地蔵尊座像【長浜町白滝】
・町指定有形文化財[彫刻]
・江戸時代初期の作
・白滝小野集会所(西瀧寺末庵伽羅陀山宝憧寺)に安置されている。
・像高166cm(台座を含む)、胸幅35cm、膝幅73cm。寄木作り。

延命地蔵菩薩立像【長浜町戒川】
・町指定有形文化財[彫刻]
・室町時代以降の作

戒川道しるべ【長浜町戒川】
2003/6/8
・町指定民俗文化財[有形民俗文化財]
・約160年前の道標
・大洲街道の標識として、文政10年(1827)に建てられた。

手水鉢【長浜町長浜 住吉神社】
・町指定有形文化財[石造美術](昭和48年2月7日指定)
・約340年前の作
・応永9年(1402年)、伊予郡中山の豪族・栗田正泉らが、中山産の黒雲母安山岩を材料として中山町永木の三島神社へ鳥居を献納した。この鳥居は、その当時、全国的にも数少ない石の鳥居であった。
 それから約250年後の江戸時代、大洲藩主・加藤泰興がこの鳥居を見てその石材の立派さに驚き、石柱の一本を取って江戸に持参しようとしたが、何らかの都合で江戸持参を取りやめ、海の守護神として信仰の厚かった住吉神社に手水鉢として奉納した。それがこの手水鉢である。高さは約1.5m、円柱の直径40p、水溜部分は内径約25p、深さ約20p。

出海金毘羅宮標柱立石俳句【長浜町出海 金毘羅宮】
・町指定有形文化財[石造美術](平成元年8月30日指定)
・文化・文政時代の作。
・35cm角、高さ70〜80cm。二宮歌遊、二宮波同らの句が彫られている。
・登り口左の立石には萬人一歩講、右には泰再建とある。

伊予長浜豊年踊り【長浜町下須戒】
・町指定無形民俗文化財
・伊予長浜豊年踊り保存会
・大正11年(1922)に、旧相生村の青年であった川田時衛により考案された。
・米作りの過程をすべて模擬的な踊りや所作で表現する。
・踊りの演目は、
 1 田植え、 2 草取り、 3 稲かり、 4 束てね、 5 脱穀、 6 唐箕、 7 籾すり、 8 万石通し、 9 米つき、 10 俵作り、 11 年貢米調べ(一俵と人俵との問答)と続き、最後に一同での 12 豊年万作踊りで終わる11景約20分。

豊茂五鹿踊り【長浜町豊茂 奥・朝日地区】
・町指定無形民俗文化財(昭和55年3月11日指定)
・所有者:豊茂五ツ鹿踊り保存会
・今から約160年前にはじめられた。
・五ツ鹿踊りは、豊茂の丸又七三郎(1826〜1908)が青年時代(天保12年(1841)頃)に日土中当や鍛冶岡の青年7〜8人とともに保内町に行き、宮内地区の人から教えてもらったという。

イタジイ【長浜町櫛生】
・町指定天然記念物

イチョウ【長浜町出海 出海神社】
・町指定天然記念物

イブキ【長浜町今坊 客神社】
2003/6/8
・町指定天然記念物

三島神社のイチョウ【長浜町豊茂 三島神社】

・町指定天然記念物(昭和46年3月30日指定)

カツラ【長浜町豊茂 金山出石寺】
・町指定天然記念物

カンコノキ【長浜町長浜 住吉神社】
・町指定天然記念物

コガノキ【長浜町豊茂】
・町指定天然記念物(昭和46年3月30日指定)

タブノキ【長浜町今坊 矢野上宗長】

・町指定天然記念物

ナギ【長浜町下須戒 大元神社】
・町指定天然記念物

ツバキ【長浜町穂積】
・町指定天然記念物

戒川三島神社社叢【長浜町戒川 三島神社】
・町指定天然記念物



城址

水上城【長浜町出海】
兵藤権頭頼方より16代の孫の石見守まで居城(?)。
・「出海村に在り。兵藤権頭頼方より16代の孫石見守天正13年下城して当村庄屋となる」(伊予温故録)

笠間城【長浜町豊茂】
・大洲城主・宇都宮清綱の次男がこの地を領し、笠間蔵人正綱と称し、笠間城に居城した。

大陰城【長浜町下須戒郷】

城の台−古城
→積塵邦語 pp.88



遺跡


古墳

阿弥陀寺【長浜町】
2003/6/8
・宗派:浄土宗
稲荷大明神

安養寺【長浜町櫛生】

圓立寺【長浜町】
1999/3/14
・山号:満珪山
・宗派:浄土真宗本願寺派
・長浜商店街の中にある。

沖浦観音(瑞龍寺=ずいりゅうじ)【長浜町】
1999/3/14
・山号:萬松山
・宗派:臨済宗妙心寺派
・寺号:瑞龍禅寺
・本尊:十一面観音立像
・大洲藩主・加藤泰恒(かとうやすつね)の開基、仏智弘済禅師の開山と伝わる。
・航海安全の守り神として信仰厚い。また安産にも功徳があると信じられている。
・春は桜の名所として知られる。
・寺宝として、加藤泰恒が画いた十六羅漢図、盤珪禅師筆の掛軸が所蔵されている。
沖浦観音の由来(平家伝説)
・むかし、壇の浦の合戦に敗れた平家の武士と、平清盛の娘登喜姫(ときひめ)(*1)は、小田町の山中に落ちのびた。登喜姫は、領主や村人に親切にされ、清盛寺の一室にかくまわれたが、それから間もなく17歳で亡くなってしまった。
 (*1).徳子(とくこ)と呼ばれることもある。
・その後、登喜姫のもとにあった観音像は大洲藩の殿様の手にわたり、さらに加藤泰恒が参勤交代で長浜の港から船出する際に海上安全を祈願して瑞龍寺に寄進したという。
本尊十一面観世音菩薩像
・国指定重要文化財(大正元年9月指定)
・像高は163.6cm、一木造り。
・寺伝では奈良飛鳥時代の仏師・鞍作止利(くらつくりのとり)の作とされるが、平安前期(1,000年前)のものといわれる。
沖浦観音まつり
・4月17日

金山出石寺【喜多郡長浜町豊茂】

・電話:0893-57-0011
・宗派:真言宗御室派 別格本山
・山号:金山
・四国別格二十霊場第7番
・四国三十三観音霊場
・四国ぼけ封じ観音霊場第18番
・瀬戸内海国立公園:特別地域
・大師雪中修行跡
・本尊:千手観世音菩薩
・佐田岬半島の付け根にある標高812mの出石山山頂に建つ寺。
・瀬戸内海や四国山地が一望できる。
・300台駐車可能

・金山出石寺の開創は、元正天皇の御代養老2年(718)6月17日である。
・旧宇和島郷(磯崎)の猟師作右衛門は一日狩に出て1匹の鹿を見つけ跡を追う中、遂にこの山に迷い込んでしまった。すると突然暗雲低迷天地鳴動し、光明赤赤と輝き鹿の姿はかき消すように見えなくなった。作右衛門はあまりの恐ろしさに大地にひれ伏してしまったが、鳴動もやみ静かに顔を上げると先ほどの鹿の姿はなく、鹿の立っていた足許の岩が真二つに割れ、暗雲の中より一條の光に映し出された御体、千手観世音菩薩の姿が地上に湧出し、金色の光を放っていた。
・作右衛門は殺生を業とする生活を懺悔し、妻子に別れ仏門に入り、名を道教と改め仏像傍らに庵をかまえ一生を捧げ送った。
・以上が金山出石寺開山の縁起である。
(新聞広告、「心の寺探訪シリーズF」、日付不詳)

・「此寺高山にて雲にそびへ、遠海目前に迫り、肩を並山なし。養老年中、宇和郡の猟師猪を追て来、地劈巌開て千手観音・地蔵尊の石像湧出す。其威容凡様にあらず、則奇怪の思をなし忽発心して剃髪し、道教号して草庵を此山に結び、二仏を供養す。其後弘法大師、此山に入て久しく行有。其後色々の宝物有。中にも龍の爪冷し、奉納の文有。」(大洲旧記)

・「金山出石寺は、日土・土谷・上須戒、此三か村の境より湧出し給ふ千手観音なり、秘仏なり、開帳本尊弘法の御作なり。此寺の本尊は、元正天皇養老二年に、猟師見付奉り、仮に堂建立の時、石仏湧出し給ふ故、次第に御長高くならせ給ふ故、棟の槌うち申時、大工そと御ぐしを打候へば、槌二つに割れ飛来り申所を日土小屋と申のよし。日土の内、中峠村つち田と申所あり、此田へ槌落申よし、然ば日づちのつちの字は、槌の字たるべし。彼本尊見付申人、相果たる所、日づちの内、出石寺道にあり、黒ぬたの神と祝ひ宮有、日土の森山村祭仕のよし、出石寺道に、諸鳥獣の踏跡有る岩あり。同道にくぐ石とて、人形なりたる石神あり、出石寺へ参詣の人は、礼をなし花を捧る由。同道小坂村の内に、穴の御堂とて岩谷弐つ有、湧出の石仏有之由、岩より壱尺弐三寸も高くはあからせ給ふよし、是も観音のよし。日土村の内、杭野にて、畑壱町六反八畝廿四歩出石寺へ被付置 也。大同二年夏の此、弘法大師本堂一夜建立にし給ひ、護摩を被 修之時、天狗魔をなせしにより、独杵にて片足を打折られ給ふよし、夫より此山に片足の天狗住給ふよし申伝なり、時に雷雨の時分は、片足の跡有之由也。出石寺縁起 .....。昔の縁起には、観音出現を見初し人は、宇和郡田野人と有し故、此縁起相違と存再三尋る処、一漁翁とあり、抛釣竿 とあり、道教末類とて、正月三日磯崎より三人づつ毎年登山故、右之処を磯崎浦と改直し申由、法印より答書あり。」(宇和旧記)
 
祭礼・行事:
・金山出石寺本尊初開帳  : 1月3日
・涅槃絵            : 3月15日
・金山出石寺春季大縁日  : 4月7日
・花祭り             : 5月8日
・弘法大師誕生会      : 6月15日
・四万八千日         : 8月9日
・金山出石寺夏季大縁日  : 8月14日(17日?)
・金山出石寺熊野大権現縁日: 11月3日
銅鐘
・国指定重要文化財
・慶長の役(1897)に出征した藤堂高虎が朝鮮から持ち帰り、寺に奉納したものという。
・高さ69.1cm、直径47.6cm。
木造釈迦如来坐像
・県指定文化財
・檜材による寄木造り。
・像高87.5cm。
・南北朝期の造立と推定される。
護摩堂
御手びきの鹿銅像
・昭和53年6月吉日建立
入竺之碑
寿楽観音像
本堂
・八幡浜市指定史跡(昭和38年2月1日指定)
・この本堂は昭和16年の火災後に再建されたもので総欅造り、屋根は銅板葺きで反りが荘重な感がある。
・本堂には宇和島七代藩主伊達宗紀筆の観世音の額がある。内には木彫千手観世音菩薩像があり、毎年1月3日に開帳される。元来本尊は自然湧出の銅仏といわれている。
・ご真言:オン バザラ タラマ キリク
・ご詠歌:くもりなき 二名の島の金山に 御法(みのり)の光 輝くを見よ
千年杉
・弘法大師のお杖杉と伝えられ原型の約1/5である。
護摩の岩
・大同2年、弘法大師
弘法大師像
熊野権現
句碑
『 寺を出て 花に憩へる 遍路かな 』
カツラ
・町指定天然記念物

西隆寺【長浜町戒川】

慈光寺【長浜町今坊】
2003/6/8

浄明寺【長浜町出海】

瑞林寺【長浜町柴】

長善寺【長浜町豊茂】

西滝禅寺【長浜町白滝】
1999/3/14
・JR白滝駅前。
・宗派:曹洞宗
・山号:東明山

福成禅寺【長浜町】
2003/6/8
・宗派:臨済宗妙心寺派
・山号:海東山

要津寺
(旧)清光寺
真言宗、盤珪禅師
→積塵邦語 pp.88

臨江寺【長浜町下須戒】
1999/3/14


神社

出海神社【長浜町出海】
イチョウ
・町指定天然記念物

稲荷神社【長浜町仁久】

宇都宮神社【長浜町豊茂】

大元神社【長浜町下須戒】
ナギ
・町指定天然記念物

貴舩神社【長浜町白滝】
1999/3/14

客神社【長浜町今坊 橋立】
2003/6/8
・祭神:八大龍王大神
・配神:少彦名大神
イブキ
・町指定天然記念物

剣高神社【長浜町戒川】

金刀比羅宮【長浜町出海】

十二神社【長浜町戒川 樫谷】
2003/6/8

住吉神社【長浜町長浜】
1999/3/14
・「正月、正月、正月、.......」季節感溢れる(?)習字が道沿いに貼り出される。
・大洲藩初代船奉行に任命された市橋新右衛門が河口左岸の沖浦から御建山(みたてやま)麓に勧請した。
・昭和40年に御建山山頂に移転した。
住吉公園
・桜の名所
手水鉢
・町指定文化財
・この手水鉢の原型は鳥居である。
・足利時代の応永9年(1402)、伊予郡中山の豪族栗田正泉らが中山産の黒雲母安山岩を材料として鳥居を作り、中山町永木の三島神社へ献納した。(→c.f.一本鳥居)
・それから約250年後、大洲藩主加藤氏がこの鳥居の立派さに驚き、石柱の一本を取って江戸に持参しようとした。しかし、何らかの都合で江戸持参を取りやめ、海の守護神として信仰の厚かった住吉神社に手水鉢として奉納したと伝えられる。
・手水鉢の高さは約1.5m、円柱の直径40cm、水槽部分の内径は約25cm、深さ約20cmである。
カンコノキ
・町指定天然記念物

壷神神社【長浜町】

新田神社【長浜町今坊】

八王子神社【長浜町柴】

婆神社【長浜町今坊】

弁天蛭子社
→積塵邦語 pp.88

丸山神社【長浜町白滝】

三島神社【長浜町戒川】
戒川三島神社社叢
・町指定天然記念物

三島神社【長浜町柴】

三島神社(みしまじんじゃ)【長浜町櫛生(くしゅう)】
鎮縄神楽(しめかぐら)
長浜町櫛生(くしゅう)の三島神社の社家、鎌田五根(享和元年(1801)9月14日没)が岩戸神楽を縮小・再構成したものが今日まで伝わっている。

三島神社(みしまじんじゃ)【長浜町豊茂(とよしげ)】
1999/3/14
・840年前の平治元年(1159)に出石寺の別当社として勧請され、以来豊茂の氏神となった。
・現在の社殿は、嘉永元年(1848)から明治22年(1889)の間に造営。永年の風雨で屋根の傷みが甚だしく、平成2年10月に社殿改修・境内整備を行った。
イチョウ
・町指定天然記念物(昭和46年3月30日指定)

宿氏神社【長浜町今坊】


お堂



地蔵



壷神山【長浜町】

・四国百名山(山と渓谷社)
・標高 970.5m
・山名は、医薬の神・少彦名命が薬壷を置き忘れたことに由来する。

滝山【長浜町】
・壷神山の北側ピーク。
・三角点「滝山」(4等三角点、標高 725.9m)は大戸越より東へ尾根伝いに行ったところ。

大戸山【長浜町】
・標高 521.3m (4等三角点「大戸」)

足山【長浜町】
・標高 674.8m (3等三角点「大越」)

皿が森【長浜町】
・標高 612m

高手山【長浜町】
・標高 381m

斎藤山【長浜町】

・標高 458.8m

御建山(みたてやま)【長浜町長浜】

浄心山【長浜町/八幡浜市】
・標高 781.6m

出石山【長浜町/八幡浜市/大洲市】

・標高 812m

牛の峰【長浜町/大洲市】


鉱山

川・渓谷

肱川

大和川

横松郷川

櫛生川


白滝 【長浜町白滝】
1999/3/14

(愛媛新聞、「ふるさと20世紀-178- 白滝観光」)
白滝小唄(野口雨情、昭和10年10月25日来村)
春の白滝 桜の眺め 松の蔭から 花が咲く
夏の白滝 青葉の頃は ほととぎすさえ 鳴いている
秋の白滝 木と木の紅葉 山に錦の幕を張る
冬の白滝 降る白雪は 積もりゃ枯木も花となる
雄滝雌滝と別れておれど 末は一つの川となる
不動滝
・「徳光」「竜王」など五段の滝から成る。
・昔は武士の修行の精神修養の場であった。
・不動大明神を祀る。
壷神神社
錦橋
奉祝記念碑
・裏面には、「君が代は千代に八千代に白滝の巌もあらん限らん紅葉とちかいこけのむすまで 萬蔵」と歌が刻んである。昭和62年4月29日、久保田芳枝、末子が建立した。
関所
東屋橋
久保田水車
句碑
「瀧の音 遮るものに 変わりけり」
・昭和39年11月、好崎設香水建立。
朱仙峡
見返橋
雄滝
・高さ約80m。
落合滝
雌滝
・高さ約60m。
もみぢ庵
来光の滝(御来光の滝)
白山権現
・享保3年加賀国白山大権現を勧請した。
おかげの水
るり姫塚
滝壷
るり姫本像(観音像)
・戦国末期、元亀元年(1571)秋、現在の大洲市米津地区にあった米津城(滝ノ城)は、土佐の長曽我部氏による再三の侵攻に奮戦むなしく、ついに落城した。城主の奥方瑠璃の方は二歳になる世継ぎ尊雄丸を小脇に抱え、姫の八重姫九重姫と待女達を励まし、血路を開いて白滝公園のこの地に辿りついた。そこで二人の姫をそば近くに招き、「姉妹は後に生き残りて我が一族の霊を慰め、冥福を祈れかし」と叫びつつ尊雄丸を抱き60m下の滝壷へ投身した。残る待女達も続いて滝壷へ飛び込み水死した。今この滝壷を「女郎か渕」と称えている、米津城の十六代城主、吉右衛門尉藤原行春(津々喜谷遠江守藤原行春)も残る家臣と共に菩提寺である横松山西禅寺(大洲市手成)において自刃して果てたと云い伝えられている。当地では、これらが霊を慰めるため毎年11月23日を祭日とさだめ、るり姫の供養が盛大に行われる。
・以上のことが、白滝るり姫観音像建立奉賛会が昭和63年10月に建立した「るり姫親子観音像の由来」碑に記されている。
・来光の滝の下にある「るり姫塚の由来」と記した看板には、るり姫が滝壷に飛び込む際に叫んだ言葉がもう少し詳しく書いてある。「姉妹は後に生き残りて我が一族の霊を慰め、冥福を祈れかし、世に悩める婦人病をなおし、子なき婦人には子宝を授け得させん」...。しかし、これはどう考えても、現代人が付け足した装飾的逸話と思われるが。
子供の国
・るり姫が身投げしたという滝壷のやや上流にある。
★遊具などもさびついてしまっていて、とても安心して子供を遊ばせるわけにはいかないほどの寂れようである。(1999/3/14)
都の滝
貫洞の滝
るり姫まつり
・えひめの祭り50選
・約400年前、滝に身を投げた「るり姫」の霊を弔う伝統行事。
・高さ86mの雄滝に「たるみこし」を投げ込む。
・11月23日、白滝公園で行われる。
白滝公園滝まつり
・えひめの祭り50選
・11月第3日曜日に行われる。
白滝うら盆まつり
・えひめの祭り50選
・8月24日
合歓の滝


ダム

長浜大橋【長浜町長浜】
1999/3/14、2003/6/8
・国登録有形文化財(38-0003)
・県指定有形文化財(平成10年(1998)指定)
・昭和10年の建造物(昭和8年10月着工。昭和10年8月完成。)
・四国みずべ八十八ヶ所「長浜大橋の肱川河口」
・肱川河口にかかる日本で現役最古のバスキュール式道路可動橋。
・日本で唯一のバスキュール式鉄鋼・道路可動橋
・地元では「赤橋」と呼ばれ、親しまれている。
長浜大橋(開閉橋)は、南予地域の振興発展を目的として、大正9年長浜・川之石道路改修組合設立以来昭和10年の完成まで、幾多の苦難を克服し、時の町長西村兵太郎翁によって架橋されたもので、現役の道路可動橋としては我が国最古のものである。
・構造:バスキュール式鉄鋼開閉橋
・工期:着工 昭和8年10月、 竣工 昭和10年8月
・長さ:226m
・幅 :5.5m
・開閉部分の長さ:18m
・開閉部分の重さ:82トン
・総工費:290,000円
・施工:細野組(大阪)

新長浜大橋【長浜町長浜】

大和橋【長浜町下須戒】

白滝大橋【長浜町白滝】
・工期:平成9年9月〜平成13年10月
・開通:平成14年12月8日
・総工費:約17億円
・橋長:240.1m
・幅員:車道7.25m、歩道3.0m
・道路規格:第3種4級
・設計速度:40km/h
・荷重:B活荷重・群集荷重
・構造形式:鋼ランガー桁・3径間連続鈑桁

白滝橋【長浜町白滝】
・白滝大橋の完成と共に撤去。

柿早橋【長浜町柴】
・白滝大橋の完成と共に撤去。


風景

樫谷の棚田【長浜町樫谷】

今坊から見下ろす伊予灘【長浜町今坊】

江湖より肱川上流を望む【長浜町長浜】

肱川あらし展望公園【長浜町長浜】

壷神山の杉林【長浜町】

国道378号線〜あじさいロード【長浜町長浜〜今坊】

橋立地区のビワ山【長浜町今坊 橋立】

白滝渓谷【長浜町白滝】

長浜八勝伝(積塵邦語、PP.96)
@県城蘇鉄
A立山花楓
B久米泊舟
C四山並松
上…今坊、下…須沢
D円明君
大平山
E住吉神社
※「手水鉢」のことが記されている。「中山梅原三島社の鳥居…」とある。「永木」ではないことに注目。
F諸侯湊入
G海浜釣網
積水渺茫(びょうぼう)
※渺茫:遠くはるかなさま。広く果てしないさま。

青島【長浜町】
・瀬戸内海国立公園
・長浜町唯一の島で、長浜港から北方沖合い13.5kmにあり、面積0.49ku、周囲4km、人口約100人の小島である。
・大洲藩が馬の飼育場としていたことから「馬島」と呼ばれていた。

※播州坂越の人・与七郎
青島盆踊り(亡者踊り)
・8月14日
・県指定無形民俗文化財。
・島の住民は赤穂藩の末裔と言われ、青島踊りは赤穂義士のいでたちで踊られる。
青島盆踊り(大漁踊り)
・8月15日

あじさいロード【長浜町】
・国道378号線、別名夕やけこやけラインのJR伊予長浜駅〜今坊に至る道沿いには、紫陽花が植えられており、梅雨時期には、ドライバーの目をなごませる。
・JR長浜駅の西側の線路沿いに「長浜駅あじさいロード」がある。


洞窟・鍾乳洞

樹木

イタジイ【長浜町櫛生 大峰】
・町指定天然記念物
・樹齢800年
・目通り7.0m、樹高10m。

三島神社のイチョウ【長浜町豊茂 三島神社】
1999/3/14
・町指定天然記念物(昭和46年3月30日指定)
・樹齢200年(大洲市ホームページによれば、樹齢約400年)
・目通り6.1m(大洲市ホームページによれば、目通り6.8m、樹高は約35m)

イチョウ【長浜町出海 出海神社】
・町指定天然記念物
・雌雄1対
・目通り3.0m、樹高約18m。

イブキ【長浜町今坊橋立 客神社】

・町指定天然記念物(平成元年8月30日指定)
・目通り4.8m
・樹高20m
・客神社西参道の脇にある。

カツラ【長浜町豊茂 出石寺】
・町指定天然記念物
・樹齢500年
・目通り11.7m、樹高は17m。
・平成10年8月11日、一部倒木。

カンコノキ【長浜町長浜 住吉神社】
・町指定天然記念物
・樹齢300年、根回り1.7m

コガノキ【長浜町豊茂】
1999/3/14
・町指定天然記念物(昭和46年3月30日指定)
・別名「カコノキ」「カゴノキ」(鹿子の木)ともいう。
・クスノキ科に属する。
・樹高15m、根周り9.3〜9.5m
・樹齢400年
・四方に枝を伸ばし繁茂している。
・木の皮は淡い黒色。同形のうすい皮が白くまだらに付いて鹿子模様になっている。

タブノキ【長浜町今坊 無事喜地(矢野上宗長)】
2003/6/8
・町指定天然記念物
・樹齢 300年
・目通り 6.1m
・樹高 15m
・無事喜地集会所横(北)にある。
タブノキ
このタブノキはクスノキ科に属し、クスノキによく似ているところから別名をイヌグスともいう。目通り6.1m、樹高15m、樹齢約300年の巨樹であり、地上約1.6mのところから三方に分かれており、さらに上方になるにしたがい多数の枝葉をつけ傘状に四方に広がっている。
 初秋のころ、黒紫色の小さな実をたくさんつけるが、長い果柄が赤色をおびているため赤い花が咲いたように見える。
 長浜町教育委員会

ツバキ【長浜町穂積】
・町指定天然記念物。
・穂積の矢野氏跡地にある。
・種名:「絞り乙女」
・樹高:約7.5m、腰高:約2.0m。
・樹齢:約400年。

ナギ【長浜町下須戒 大元神社】
・町指定天然記念物
・雌雄一対
・目通り:1.9m
・樹高:約20m
・平成12年雄木が枯死。
・安永7年(1779)神社再興の時に御神木として植樹したとの言い伝えあり。

→県内のナギ:田ノ上神社(新居浜市神郷)、御幸寺(松山市御幸)、新谷小学校(大洲市新谷)、法通寺(伊方町中浦)

戒川三島神社社叢【長浜町戒川 三島神社】
・町指定天然記念物




町道壷神線(壷神林道)【長浜町】

滝山林道【長浜町 樫谷】

林道大戸樫谷線
・幅員3m、延長3km。

町道長浜樫谷線

町道日ノ浦大戸線



耳取峠【長浜町/八幡浜市】

郷峠【長浜町/八幡浜市】

牛の峰峠【長浜町/大洲市】

藤ヶ峠【長浜町/大洲市】

石神峠【長浜町/大洲市】
・県道330号線(藤縄長浜線)

刈屋峠【長浜町】

都梅越【長浜町/大洲市】

鶴首峠【長浜町出海〜豊茂】

大戸越【長浜町戒川〜今坊】


壷神林道開通記念碑【長浜町】
2003/6/8
・昭和49年2月

滝山林道開通記念碑【長浜町 樫谷】
2003/6/8

町道長浜樫谷線開通記念碑【長浜町】
2003/6/8

大戸相撲及貯木場由来碑【長浜町】
2003/6/8
「標高400米に位する大戸山は昔戒川村今坊村の境界に在り逆のぼれば百数十年前より五穀豊饒家内安全の祭神として石神様を祭祀し旧暦9月15日を縁日と定め地方力士の相撲を奉納し地域は基より伊予西宇和方面よりも参加して盛況を呈して居た 又秋より春には木材貯木場として戒川方面其の他の地域より木材を集荷し是れを橋立地区の搬出者が海岸長畑へ運搬して地域の現金収入にも一役を果していた...貯木場も昭和の初期には姿を消し又奉納相撲も昭和18年ついに幕を閉じた....昭和46年には樫谷及び足山線の開通により相撲場も用地となり....
平成元年9月15日 橋立 足山 萩坂地区」
★壷神を取り巻く石神の存在は興味深い。

末永翁頌徳碑【長浜町 長浜保育園前】
2003/6/8
・「末永四郎平翁 ...特別会員として本会の振興に尽力され昭和8年愛児園建設さるや率先して4,600圓の金品を寄贈さる....昭和11年5月 長浜奨善会」

西村兵太郎君像【長浜町 長浜高校前】
2003/6/8
・長浜高校前の交差点に銅像が建っている。「西村兵太郎君像 従三位勲一等伊澤多喜男書」と記されている。西村兵太郎とはどのような事跡の人なのか? 傍らにある副碑には、
「西村兵太郎....長浜町長となり....其間四たび県会議員に当選し議長其他の要職に就き....昭和10年9月13日急逝す....像を長浜公園に建て永く其功を偲び其徳を伝へんとす....昭和13年4月 井上 要 撰弁書」
と記している。この銅像及び碑は、昭和13年4月12日、旧台場に建てられたものである。
西村兵太郎(明治17年(1884)3月30日〜昭和10年(1935)10月6日)
・長浜町長浜生まれ。
・長浜大橋建設等に貢献した。

十三勇士の墓・供養碑【長浜町青島】
・大正13年(1914)1月7日、青島沖2kmを漂流中の広島県御調郡立花村(現在の広島県御調郡向島町)の打瀬船(うたせぶね)を救助しようとして遭難した13名を供養する。


公園

沖浦公園【長浜町沖浦】

小浦リバーサイドパーク【長浜町】
・手づくりふるさと郷土賞(平成6年、建設省)

住吉公園【長浜町】
・大洲藩主加藤泰恒の声により造られた。
・形状が亀が海に入ろうとしている姿に似ていることから「亀の首公園」と、も称される。
→c.f.住吉神社
住吉公園
・4等三角点(標高 60.1m)

肱川あらし展望公園【長浜町】

・世界に例のない「肱川あらし」。
・11月頃から翌年3月頃まで、晴天の日には冷気に霧を伴った世界に比類なき、長浜町特有の「肱川あらし」と呼ばれる強風が発生する。
・大洲盆地と伊予灘の夜間の温度較差によって発生し、特殊な地形が霧を増強しながら、ゴォーゴォーとうなりをたてて開閉橋を吹き抜け、海上数km沖合いまで達する。
・わが国最古の朱塗りの道路可動橋「長浜大橋」を吹き抜ける様は、自然と近代化遺産の融合の世界であり、その様を眺めることのできる、標高160mの展望公園。
・荘厳な川霧のドラマが眺められる。
・また、遠く瀬戸の島々の眺望もパノラマ的に楽しめる。

環境緑地【長浜町】

町民のひろば【長浜町】
・長浜大橋の袂。

櫛生しょうぶ園【長浜町櫛生】

日本えびね園【長浜町須沢】
大えびね展
・毎年4月下旬から5月上旬にかけて開催される。


祭り

金山出石寺本尊初開帳
・1月3日

沖浦観音まつり
・4月17日

金山出石寺春季大縁日
・4月17日

大えびね展【長浜町須沢】
・4月下旬〜5月上旬

長浜海水浴場海開き
・7月1日

ながはま赤橋夏まつり【長浜町 長浜海水浴場】
・8月第1日曜日

青島盆踊り(亡者踊り)
・8月14日

青島盆踊り(大漁踊り)
・8月15日

金山出石寺夏季大縁日
・8月17日

白滝うら盆まつり
・8月24日

白滝公園滝まつり
・11月第3日曜日

白滝公園るり姫まつり
・11月23日


イベント

施設

学校

温泉

伝説

綱掛岩【長浜町】
1999/3/14
・天平12年(740) 9月、九州大宰府の少貳(次官)藤原広嗣は、朝廷に対し反乱を起こした。朝廷は大野東人を大将軍に任命し、17,000の兵を率いその反乱を鎮圧した。
・その際、伊予の国主越智玉澄も多くの兵を率い、船を利用して筑前(福岡県北西部)を目指した。しかし、その途中大時化に遭い、この浜辺に一時滞在することになった。その時、船の艫綱(ともづな)を投げかけたこの岩を「綱掛岩」と伝称している。やがて広嗣軍を征討した玉澄は、帰路再びここに立ち寄り、嶺櫛生に三島神社を建立したといわれている。

瑠璃姫伝説【長浜町白滝】
16世紀も終わりの頃の話である。白滝のすぐ隣、八多喜というところに「滝の城」、別名「米津城」があった。切り立った崖の上にあり、敵にもなかなか攻めにくい城であった。
白滝公園は、城主津々喜氏の遊園地でもあった。桜のほころぶ頃には、奥方の瑠璃姫は家臣と共に白滝公園によくやってきては、花見を楽しんだものであった。
家老の下西舟左衛門も、分銅のついた鎖を振り回す「■切木術」という舞を力強く披露した。瑠璃姫らは、喝采を送り、平和な春の白滝を満喫していた。
この平和な城にも「戦国時代」の波が押し寄せてきたのは、それから数年後のことであった。断崖絶壁の上に立てられた城も、四国一の力を持つ長曽我部氏の前に、簡単に取り囲まれてしまった。
しかし瑠璃姫の娘、八重姫・九重姫は八双手裏剣の名手。瑠璃姫自身も静流長刀の指南であり、また吹き矢は神業といわれるほどの腕前だった。
「殿、瑠璃姫らの見事な吹き矢にて、我が軍も多数の負傷者が出ております。ひとまず、退散して体制を整え直してはいかがでしょうか」
敵の軍勢は、じりじりと後退しはじめた。
「もう一息です。さあ、全ての吹き矢をここに持ってきなさい」
瑠璃姫の必至の叫び声が山々に響きわたった。
そのときであった。一人の待女が吹き矢を運びながら、瑠璃姫にこう叫んだ。
「瑠璃姫様、大変です。これが残りの吹き矢全てでございます」
吹き矢はあと十数本しかなかった。
「なるほど、瑠璃姫の吹き矢もこれでおしまいか。ものども、最早怯むことはない。かかれ!」
今にも退散しかけていた長曽我部の軍勢も、この待女の言葉に、忽ち勢いを取り返した。城は間もなく打ち滅ぼされてしまった。一方、瑠璃姫らは、やっとのことで白滝の雌滝の上まで逃げ延びてきた。しかし、背後に追手はなおも近づいてきていた。
「もはや、これまで」
そう悟った瑠璃姫は、八重姫・九重姫を呼び寄せて言った。
「敵に捕えられ一生辱めを受けるこの尊雄丸が不憫です。私はこの子と共にこの滝より身を投げましょう。世に悩める婦人病を治し、子の無い人には子宝を授けるため、生き延びて我らが霊を慰めなさい」
瑠璃姫は泣きすがる二人の姫を振り払い、尊雄丸と共に滝壷の中に吸い込まれていった。
残された姉妹の二人は、瑠璃姫の言いつけに従い、何とか逃げ延び、後に瑠璃姫と尊雄丸の霊を弔う観音を奉った。
それ以来、ここ白滝に住む者は、「瑠璃姫祭り」をして、二人の霊を慰めるようになった。毎年11月23日に行われるこの祭りは、幼児の無事成長を願う「稚児行列」と雌滝の上から落とす「樽神輿」で有名で、この時期には多くの観光客が訪れる。



キャンプ

松笠キャンプ場【長浜町沖浦】

須沢キャンプ場【長浜町沖浦】

青島キャンプ場【長浜町青島】


海水浴

長浜海水浴場 【長浜町沖浦】
海の祭典
・8月第1日曜日に行われる。
・船神輿の海上渡御
・宝撒き


人物

その他

人面岩【長浜町豊茂】
1999/3/14
・長浜町内から出石寺へ向かう県道を走っていくと、「神のいたずら? 自然のわざ? TV放映 人面岩 正面」という黄色い立て看板が立っている。
・正面に目をやると、山の中腹辺りに左を向いた顔面のような岩肌が見える。

坂本龍馬入港の港「江湖」
2003/6/8
・長浜大橋より南へ約30m。
法華経一字一石塔
・「文久二壬戌季七月吉日」の銘有り。

坂本龍馬出航の港「長浜港」〜維新の港【長浜町】

坂本龍馬宿泊地「富屋金兵衛邸」跡【長浜町】
・長浜大橋の袂(北へ約60m)。本町商店街の入口にある。

立神様【長浜町須合田(すごうだ)】

港の美術館【長浜町今坊 今坊漁港】
1998年よりスタート。3年に1回書き換えをする。(2001、2004年)

長浜水族館【長浜町】
・1985年に閉鎖。

長高水族館【長浜町】
・開館時間:第3土曜日 11:00〜15:00
・入館料:無料
(愛媛新聞、「四国ふるさと自慢-112」平成16年(2004)1月14日)

長浜まちなみ水族館【長浜町】



《References》



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