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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要


キャッチフレーズ
(1).「小田深山と銘木の町 グリーンハイランド小田」

町の花 町の木 町の花木 町の鳥
フジ


特産物

沿革
・浮穴郡広奴田郷太田山(ひろぬたごう おおたやま)と呼ばれた。
・近世時代には戸田勝隆池田高祐脇坂安治の支配を受ける。
・元和3年(1617)、加藤貞泰の大洲領となった。
・大洲2代藩主加藤泰興(やすおき)は弟直泰(なおやす)に1万石を分知して新谷藩を作り、小田郷のうち上川村(かみがわむら)、町村(まちむら)、立石村(たていしむら)が新谷藩領となり、明治に及んだ。
・その後、明治時代になり、明治22年(1889)の町村制実施により、参川村(さんがわむら)、小田町村石山村田渡村(たどむら)、浮穴村(うけなむら)が誕生した。
・昭和18年(1943)4月、石山村小田町村が合併し、小田町村になるとともに浮穴村は廃しとなり、北平と川上は河辺村に編入され、小屋は惣川村に編入された。
・昭和28年(1953)の町村合併促進法により、昭和30年3月、参川村小田町村田渡村が合併し、今日の小田町が誕生した。
・平成の大合併で、内子町・五十崎町と合併した。


地名
大字
本川 野田、北田、寺成、宮原、打木[うちぎ]、森、船戸
中川 中川西(桑原)、中川西(藤井)、中川西(蔵谷)、鎌土[かまつち]、亀ヶ谷、鈴ノ子、祝谷、深山
上川 今生、宮下、岡、薬師堂、久保成、北地、田窪、中畦
立石 立石峰、八ッ松、上組、中組、尾首、日浦、天神上、天神中、天神下、上成
南山 下源台、上源台、宮之首、南山中、南山下
寺村 水元、水地、中通り[なかどおり]、堂村[どうむら]、新田[にいだ]、林慶[りんけ]、恩地、京の森、豊谷
町村 町上、町下、日野
日野川 掛橋、道徳、日野泉
大平 大平
吉野川 大組、宮谷
中田渡 桜原、中田渡1、中田渡2、中田渡3
上田渡 上田渡峰、上田渡谷
臼杵 臼杵1、臼杵2、臼杵3、下臼杵


文化財

都築酒店店舗及び主屋【小田町】
・国登録有形文化財(平成14年)
・明治20年(1887)の建築物。木造二階建。

いちいがし【小田町本川 廣瀬神社】
 ・昭和25年10月10日指定

けやき 【小田町本川 廣瀬神社】
・昭和28年2月13日指定

乳出の大銀杏【小田町中川 鎌土 三嶋神社】

世善桜(よぜんざくら)【小田町上川北地】
・昭和34年3月31日指定

世善桜(よぜんざくら)【小田町上川御嶽】
・昭和34年3月31日指定

釈迦如来立像【小田町町村 栄町 阿弥陀堂】

懸仏【小田町 立石神社】

涅槃図
・町指定文化財(昭和57年4月1日指定)
・大洲藩第3藩主・加藤泰恒(やすつね)(号を乗軒(じょうけん)、傑山(けつざん)と称す)の晩年の作品といわれる。

登貴姫の墓と八房の梅【小田町 清盛寺】
・町指定文化財(昭和57年4月1日指定)

山の神の火祭り【小田町寺村】

三嶋神社の兄弟萱(その1)【小田町寺村 三嶋神社】
・町指定天然記念物 指定第10号(平成9年9月1日指定)

三嶋神社の兄弟萱(その2)【小田町寺村 三嶋神社】
・町指定天然記念物指定第10号(平成9年9月1日指定)

八幡河原の夫婦柳【小田町上川】
・町指定天然記念物 指定第12号(平成9年9月1日指定)

薬師の大いちょう【小田町上川今生(いまお) 薬師堂】
・町指定天然記念物 指定第11号(平成9年9月1日指定)

小田高等小学校建築予算書【小田町寺村】

町村の野取図(絵地図)【小田町町村】

旧小田地区の田畑検地帳【小田町】

明治初期の公文書【小田町町村】

大洲御領庄屋由来書【小田町町村】

立木式木蝋製造機【小田町上川 久保成】

大平土居家文書【小田町大平】

山田家文書【小田町本川 宮原】

上川・河野家文書【小田町上川 久保野】

上川・大野家譜【小田町上川 今生】

隠元(いんげん)の書【小田町上川 宮の下 龍蔵寺】

五輪塔【小田町本川 舟戸】

五輪塔【小田町寺村 京の森】

五輪塔【小田町中川 宝蔵寺】

五輪塔【小田町上川】

五輪塔【小田町吉野川】

石造宝篋印塔【小田町町村】

立石獅子舞【小田町立石】

寺村獅子舞【小田町寺村】

中川万才【小田町中川 西組】

さかさ念仏【小田町南山】



城址

笹ヶ峠城址【小田町南山】
・発祥:天正12年(1584)[推定] (文化財物語)
小倉丹後守が大除城主と共に戦死した場所。
・「小田町大字南山から北平に越える峠にある。この城は、大除城主大野山城守の要害のとりでである。土佐の長宗我部元親に討ちほろぼされたといわれ、合戦の首塚には大石塔がある。この笹ヶ峠は、天正年(1574)8月25日、大野直昌長宗我部元親の出会いの地といわれている。しかし、この両軍の合戦があったと伝えられる笹ヶ峠は、伊予と土佐の境であることから、大野ヶ原付近であったものと考えられる。これは、大野又兵衛が、筆記の際に誤って伝えたとも言われている。」 (文化財物語)

日野城址(日野々城址)【小田町町村 日野】

立石城【小田町立石】
・城主は大野加賀守直義
※どうやら尾首城のことのようだ。

尾首城址【小田町立石 尾首】
・発祥:天正13年(1585)年間[推定] (文化財物語)
・「大野加賀守直義の居城であり、立石及び田渡を領していた。天正13年(1585)に本領をはなれて左馬右衛門(さまうえもん)と改名し、安国寺恵瓊(えけい)に服従した。本姓は村上氏である。大野の名称を継いで当領を受ける。元禄2年(1689)安国寺にしたがって朝鮮に出陣し、戦功をたてたが、後に筑紫国で病死したということである。」(文化財物語)

赤岩城址【小田町寺村】
・発祥:天正2年(1574)[推定] (文化財物語)
・「大除城主大野直昌の弟、東筑前守(ちくぜんのかみ)の居城であったところである。彼は天正2年(1574)、兄の直昌に従い、笹ヶ峠にて戦死したといわれている。また一説には、直昌は土佐の長宗我部にあざむかれて、弟の東筑前守をはじめ家臣700余人を大野ヶ原で失ったとも伝えられている。東筑前守の嫡男であった内蔵太夫の長男治右衛門、その子佐治兵衛は本川村の庄屋となり、の弟は僧となって、寿慶(じゅけい)と称したということである。」(文化財物語)
・「赤岩城 寺村にあり、東筑前守居る 筑前守は天正2年閏8月 兄大野直昌に従ひ笹ヶ峠に於て長曾我部元親と戦ひ討死す 其の長男を内蔵太夫といふ 次男は僧となり寿慶と云ふ 内蔵太夫の嫡男治右衛門其子佐治兵衛本川村庄屋となる」(伊豫温故録)

轆轤城【小田町中川】
・「中川村にあり、宮田右京亮居る」(伊豫温故録)

中川城址(居倍野城(いばいのじょう)址)【小田町中川 祝谷】
・発祥:天文年間[推定] (文化財物語)
・祝谷の愛宕山にある。
・文化財物語によれば、轆轤城と中川城は同一視されている。
・「『伊豫温故録』によると、またの名を居信野(いのぶの)城といい、小倉丹後守為家(ためいえ)がおり、天正14年(1586)6月28日下城すとある。」 (文化財物語)
・「1段目の中央に間口高さともに1.2メートル程度、奥行70センチメートル程の石室があり、神様が祭ってある。神様の名は『だんごの神様』といい、地主の人が年に一度、祭りをするという。」 (文化財物語)
梅津見神社境内跡
・地元の人は「竜王様」と呼んでいた。
小倉丹後守の祠
小倉丹後守という人については次のような伝説がある。ちょうどそのころ丹後守の息子が中川誓願寺へ習字の勉強に行き、寺の坊さんに教えてもらっていた。息子は大変いたずらで、坊さんがきびしく注意した。息子はなきながら帰り、坊さんにしかられたことを父に話した。丹後守は大変おこって、その夜のうちに多くの家来に命じて誓願寺の前の道を掘りはじめた。土をのけてしまうと、この城の台からお寺まで見通しがきくようになった。丹後守は坊さんをうらみ、城から強弓をひきしぼって、寺にいる坊さんをねらって、ひょうと放した。矢はあやまたず坊さんに命中し絶命したという。その後、丹後守はどこへいったか行方知れずになったという。」(文化財物語)
※丹後守は行方知れずになったということだが、笹ヶ峠城で大除城主と共に戦死したという話もあるようである。

本川城址【小田町本川 野村】
・発祥:天文2年(1533)[推定] (文化財物語)
・「小田町大字本川野村という標高300メートル余りの部落の中心にある。城主土居下野守は、天正2年(1574)、土佐の長宗我部元親勢と、予土国境、笹ヶ峠に会し、はかられて戦死した。その子、弥五郎は、のち久万山大川村に立ち去ったと伝えられる。この古城址を調査すると、現在松野義光の別宅として使用されている元河野氏の屋敷に居城があったと思われる。数年前までは内堀と思われる200メートル近い細長い古池が残っていたが、現在は改修して用水池として利用されている。さらに大正の末までは外堀の一部があったといわれる。この古城址を部落の人は城の内と呼び、うしろの山にある小さな祠を、城八幡(城之本神社)として祭り、また50メートルほど離れた地点にある祠も、城本神社と呼んでいる。この城址の東側にある松野家を東と呼び、西側毛利家を西と呼ぶそうである。また向かい側にある山本家を向かい、城の横にあたる松本家が横畑と呼ばれていることは、城を中心としての呼名であることがわかる。またこの城に千人塚といわれる長宗我部軍との合戦に戦死した兵士の塚が大正初期まで残っていたが、現在はわずかにそのひとつが面影をとどめている。」 (文化財物語)
・城主土居下野守方玄(まさつね)は、天正2年(1574)、土佐の長宗我部元親勢と、予土国境、笹ヶ峠で話し合いをするために出掛けていったところ、兵を隠しておいた長宗我部勢の急襲に遭い戦死した。その子、弥九郎がこの城を受け継いだが、天正15年(1587)久万山大川村に行った。 (小田の文化財)
 
城の内神社
・城八幡ともいう。
千人塚
・城址近くの畑の中にある。
・大正末期までは2箇所の石積みがあったが、今は1箇所に纏められている。

亭(てい)の城【小田町町村】
・発祥:天正年間[推定](文化財物語)
・「土居下野守(どいしもつけのかみ)の居城であったところである。彼はこの地方の重鎮であったが、土佐の長宗我部氏にほろぼされたということである。」 (文化財物語)

太田城址(土居城)【小田町】

城跡【小田町上川】
・標高932.1m

岡崎城跡【小田町臼杵 上畦々】

登議城(とぎのしろ)【小田町吉野川 宮の谷】
・発祥:足利時代末期[推定] (文化財物語)
・「戦国時代、大野山城守直昌の家系にあたる城戸右衛門尉(きどうえもんのじょう)が築城したものである。この地域を登議といい、登議城の名は、地名からつけられたものであろう。現在は城跡らしいものはなく、ただ馬場(乗馬の練習場)と思われる平地がわずかにその面影をとどめているようである。」 (文化財物語)



遺跡

真弓遺跡【小田町大平】



跡地

参川東小学校跡地【小田町上川】
1999/3/28
参川東小学校閉校記念碑

田渡小学校跡地
2004/8/12
→小田町郷土資料館

丸井医院跡地
2004/8/12
丸井千年翁銅像

西照寺跡【小田町中川 亀谷】



古墳

願成寺【小田町立石3870】
2004/8/12
・山号:伝通山(でんつうざん)
・宗派:曹洞宗
・本尊:正観音菩薩
・発祥:寛永11年(1634)(文化財物語)
・立石の初代庄屋・嘉左衛門(かざえもん)(休意(きゅうい))が開基したといわれている。嘉左衛門は、尾首城城主大野加賀守直義の子孫にあたる。
・「開基は寛永11年(1634)で、過去帳によると、当村の古城主の廟として建立されたもので、寺院名の由来はこの古城主の法名よりきたものである。法名は『願成寺殿通山休意大居士』とある。お盆には、近隣の寺院方を招き盛大に施餓鬼会が行われている。またこの日は各檀家より回向袋(えこうぶくろ)を寺に納められることになっている。これは昭和16年(1941)よりはじまったもので、回向袋には五穀を入れることになっているが、最近では、お金を入れたものもある。」(文化財物語)

慶昌寺【小田町寺村】
・「寺村に在り 行基の開基なり 承應元庚辰年12月 僧良意中興せり」(伊豫温故録)

西照寺【小田町中川 亀谷】→廃寺
・寛文9年(1668)、僧教順(きょうじゅん)によって東本願寺(京都)の末寺として開基された。(小田の文化財)
・本尊:阿弥陀如来
・宗派:真宗
 
茶堂
神山充真の墓
神山充真(かみやまみつま)は中川村戸長。

昌福寺(しょうふくじ)【小田町臼杵1684(大込)】
2004/8/12
・山号:吉雲山(きちうんざん)
・宗派:曹洞宗
・本尊:千手観音菩薩
※文化財物語では、本尊は毘沙門天と記されている。
・臼杵中央部の毘沙門山に鎮座する。
・治暦4年(1068)、真言宗の寺院として臼杵倉頭(くらがしら)に建立され、五雲山昌福寺と称した。
・弘治元年(1555)、現在地に移転し、山号を吉雲山に改めた。
※文化財物語では、寛保2年(1742)に、臼杵の中央、毘沙門山に移転され、曹洞宗に改宗され、現在に至っているとある。
・元文2年(1737)に改宗し、曹洞宗になった。
・享和2年(1802)に火災に遭い、本堂・寺宝類を全て焼失。
・現本堂は明治25年(1892)に建てられたもの。
毘沙門堂
松王の位牌があるという。
小祠
人柱松王小児(まつおうこでい)の伝説
樅の木のこと
お旅所の前を通り掛かったオバちゃんと立ち話をしている最中で、昌福寺の樅の木の話題が出てきた。
「そういや、この下のお寺にも大きな木があったんじゃけどな。あれ、何言う木じゃったか忘れたが。それはそれは背の高い木じゃって、近所の人らが『どがいやって切るんじゃろのぅ』言うて皆見に行きよったが。」
「それは最近の話なんです?」
「あぁ、そがい昔のことじゃないんじゃけどな。あれは何年前じゃろか。私らはよう見に行かんかったんじゃけど」
「ふーん。そんなに昔じゃないんなら、無いなる前に見に来とったら良かったですね。残念。しかし、勿体無いですね、そんな巨木なら置いといても良かったのに…」
「じゃけど、お寺の方に倒れてもいかんしな」

境内へと続く階段を上りきったところに樅の木は存在していたようだ。今もなお、切り株が残っている。地盤が脆くなっているのだろうか、虎ロープで囲われている。(2004/8/12)

清盛寺(せいじょうじ)【小田町寺村913-1】
1999/3/28
・山号:太田山 →太田城との関連に注目!
・宗派:曹洞宗
・本尊:千手観音
・天平勝宝2年(750)、孝謙天皇の勅願寺として創建されたという。
・当初は白華山(はっかざん)清城寺(せいじょうじ)と名付けられたが、平氏が壇ノ浦の戦いに敗れ、この地(浮穴郡太田山)に一堂を建立して以来、太田山清盛寺と名前を改めた。
・「寺村字中組に在り 大洲旧記にいふ 慶長5年の帳あり 浮穴郡太田の内清盛寺村御検地差出帳6月吉日と有り 又た此村に左の古文書あり .......(略)」(伊豫温故録)
千手観世音菩薩像
登貴姫(ときひめ)の墓と八房(やつぶさ)の梅
・町指定文化財(昭和57年4月1日指定)
平清盛の五女、登貴姫は文治元年(1185)2月、壇ノ浦の戦いに敗れ、この地に落ち延びて来たが、翌年の文治2年(1186)6月に病気のため16歳の短い生涯を閉じた。
・八房の梅は、八重咲きの紅梅で、花びらが15枚あり、実は双子のものや、数個重なりあったものもある。別名「船形梅」ともいう。
・この梅は登貴姫のたもとにあった種を撒き、それが成長したものだと言われている。
観音様の縁日十七夜
・大洲藩主が智眼和尚に観音像を寄進し、毎年3月と6月の17日に観音様の縁日を執行し、この地方3里四方の祭日と定めた。
馬頭観音
・境内西側にある。高さ約1m、体長約2mの白馬体と、独立した観音像が合わせて祀ってある。
・子女、牛馬の安全の守り神とされる。

千如寺(せんにょうじ)【小田町本川 寺成】
・山号:満福山(まんぷくさん)
・宗派:曹洞宗
・本尊:十一面観世音菩薩(釈迦牟尼仏と合わせて祀られている。)
・慶長18年(1613)3月、内子町の高昌寺より、上雪下山大和尚禅師(じょうせつあさんだいおしょうぜんじ)(高昌寺九世の雪山秀存(せつざんしゅうぞん)が入山して千如寺を建てた。(小田の文化財)
・発祥:慶長18年(1613) (文化財物語)
・寛政2年(1790)、大正6年(1917)に火災に遭い全焼。(小田の文化財)

誓願寺【小田町本川 寺成】→宝蔵寺

忠光院【小田町立石】
更正の鐘

宝蔵寺(ほうぞうじ)【小田町中川773-1(蔵ヶ谷)】
・山号:仏性山(ぶっしょうざん)
・宗派:曹洞宗←臨済宗(〜大正8年(1919))
・本尊:釈迦牟尼仏
・発祥:和銅4年(711)(文化財物語)
・和銅4年(711)、元明天皇の勅願により、大和国東大寺の智乗上人によって開基されたと伝えられる。(小田の文化財)
※智乗上人開基ということは、誓願寺と同時期の建立か?…などと考えていたら、大正8年までは「誓願寺」と称していたようだ。
・「中川村にあり、年代詳ならず、大和國東大寺住職智乗上人の開基なり」(伊豫温故録)
本堂
・明治26年完成。(小田の文化財)
三大権現
・明治36年(1903)、谿山(けいざん)大権現(豁源(かつげん)和尚)の450年祭と、祥巌(しょうがん)大権現(禅巌和尚)の鎮座祭を行い、後に朝日大権現(光天和尚)も鎮座して三大権現として祀っている。(小田の文化財)
観音堂
・明治37年、小田深山より鬼ヶ臼観音を勧請して観音堂を建立した。(小田の文化財)

龍蔵寺(りゅうぞうじ)【小田町上川263 (宮の下)】
・山号:瑞雲山(ずいうんざん)←鳩岡山(はとかざん)
 ※上川北地の世善桜のある場所に「はとか」の地名が残る。最初はここに鎮座していたものと考えられる。(小田の文化財)
・宗派:黄檗宗(禅宗)←真言宗(〜元禄5年(1692)3月)、智宗(ちしゅう)和尚
・発祥:元禄5年(1692)(文化財物語)
別峰(べっぽう)和尚を勧請開山した。
大野直倫(なおみち)が現在の場所に移したと伝えられる。
隠元(いんげん)禅師の書
・寺宝
隠元禅師は黄檗宗の開祖。
薬師堂
・境外。道を挟んで龍蔵寺の向かいにある。
・弘法大師と薬師如来が祀られている。


神社

一宮大明神【小田町本川】
・「一宮神社 本川村にあり 大洲旧記に云ふ 大瀬村に深山口といふ所あり 是れより奥に人里なかりしか 当村に土州の者来りて稲を作る 次第に四方を伐り開くといへども 猪鹿多くしてぬた場にしあるゆへ 此地方を広奴田郷といふは是れより起るといふ 土佐の者の氏神は一宮なるを以て爰に勧請したりと今に小社あり 幾千年になることやあらん知るべからず」(伊豫温故録)
怪物八つ頭退治

臼杵三島神社(田井神社)【小田町臼杵 本成】
1998/9/5、2004/8/12
・県道42号線(久万・中山線)沿いにある。
・木製の鳥居を構える。
・地図上では単に「三島神社」と記されているが、拝殿の中の額を見ると「三島神社/田井神社」と併記してある。何時かの時点で合祀されたものと思われるが、由来等が記されたものが全く無い。(神名額は三輪田米山の書)
・創建は700〜800年頃と思われる。(1200年記念碑が建っていた。)
・郷社。小さな「村の鎮守」でありながらも、楼門を構えている。楼門内には古めかしい木造が安置されている。
・「臼杵村字寒水森に在り、社傳に云ふ、大應元年辛酉大三嶋より勧請す、此社へ相殿に祭る田井大明神あり、祭神は松王小児命といふ、松王小児は讃州香川郡田井民部の嫡子なり、民部故ありて當村に来住す、二條天皇御宇大納言國綱に勅して攝州兵庫に築地を作らしめ給ふ時に應保元辛巳年七月十三日松王自ら請ふて人柱となり遺言して築地の守護神と崇め祭らしむ、民部此地に移住せし後、又これを祭り田井大明神と称すといふ、當社の神寶現存するもの左の如し
 金幣 一臺
 古鏡 一面
 刀 廣瀬氏安清作
 長刀 長一尺一寸一分無銘
 社傳
 扁額 大山積大明神の六字
 文中文安康暦明徳年間の古文書
(伊豫温故録)
改築記念碑
鳥居改築寄進人名
手水舎
・手水石には、天保二卯八月の銘あり。
狛犬
・文化十三丙子三月
常夜灯
・明治32年旧暦8月
楼門
・昭和9年10月9日
・右大臣・左大臣の木像が収められている。
拝殿
本殿
境内社:天満宮
・本殿右側に鎮座する。(屋根瓦に梅の紋があるので天満宮と判断する。)
巨木
・杉の巨木が2本。その他の木も名前は知らぬが、デカい。
鎮座千二百年記念日
・宮司 横田清光書
藤枝定美翁記念碑
・大正5年1月
横田清光翁記念碑
・平成15年11月
記念碑
・山下良馬、丸山…

打木(うつぎ)神社【小田町本川 打木】
・祭神:天之御中主命、高皇産霊神、宇都国玉命(うずのくにぬしのみこと)、前玉神、応神天皇
・明治42年(1909)3月15日、政垣(まさがき)神社外四社を合祀。
神殿
・昭和26年5月に新築。
常夜灯
鳥居
・本川の一宮神社にあったもの。(小田の文化財)

大辰神社(おたつ様)【小田町上川 北地】
・祭神:龍神(自然石)
雨乞い踊り
・昭和20年頃までは、日照りが続くと上川地区全員で雨乞い踊りをした。広場で雨乞い音頭の太鼓に合わせて、蓑笠を背に「雨は降らしゃれやよーしんのばらばらとよー降れば五穀のょ糧になるよー ドドン」と唄いながら踊った。1日中踊り、夕方面谷(おもだに)の空の方に向かって笠で雨を招いて締めくくった。この雨乞いでも雨が降らないときは、広瀬神社の千人踊りになった。(小田の文化財)
・百姓達の水争いに頭を悩ませていた庄屋が、「たつばたけ」というところを歩いている途中、白くて網目の入った珍しい石を拾った。その石を庭先にあった一升マスの中に入れておいたところ、その石が成長してマスを割ってしまった。その不思議な現象に畏れを抱き、大辰神社を建立して祀った。その石をよく見ると龍の形に似ていたので、誰とはなく「雨の神様」と呼ばれるようになった。
この石に水をつけて雨乞い踊りをすると、たちどころに降雨した。
(小田のむかし話 伝説)

黄幡神社【小田町中田渡 桜原】
2004/8/12

大平三島神社【小田町大平】

京野神社【小田町寺村】

小御山(こみやま)天満神社
・「学問の神様 小御山天満神社」の標識に従って行けば良いが、車で行けるような場所ではない。
・1月10日合格祈願祭
・4月25日春の大祭

三王神社【小田町立石 尾首】

十二社神社【小田町立石】

田井神社【小田町臼杵 大陀羅】
※「田井神社は臼杵三島神社に相殿として合祀されている」という理解だったのだが、倉谷神社の前の案内地図には三島神社とは全く別の場所に田井神社が単独で記されているではないか。
「小田のむかし話 伝説」をよくよく読んでみると、「田井民部の屋敷は臼杵の大陀羅にあり、田井神社もそこにあったものを明治初年になって、相殿として三島神社に移しておまつりしたものである。」と記している。(2004/8/12)
※倉谷神社の前で、近所のオジさんに「田井神社」の所在地を尋ねる。どうやら自動車では行けないとのこと。歩いて上れるかどうかも聞いたのだが、地元のよく知った人でないと所在地はわからないだろうとのこと。今は臼杵三島神社に合祀されていて、荒れているとのこと。今日のところは探訪を断念。オジさんに「だいばん椿」の所在地を教えてもらう。倉谷神社から東を仰ぎ、「あの送電線鉄塔の丁度下あたりよ。道沿いにあらい。この先は道が細くなっとるんじゃが、ちょうど離合できる場所があって、そこにあるんよ…」と教えていただいた。(2005/11/20)

立石神社【小田町立石 天神下】
2004/8/12
懸仏
俳諧の献額

立石上の宮【小田町立石 上組】
2004/8/12
・愛宕山へと向う途中にある。

天神社【小田町日野川 道徳】

天神社【小田町上川 久保成】
・祭神:菅原道真
天神社の寒祭り

天満神社【小田町吉野川 宮之谷】
2004/8/12
天満神社のいちいがし

南山神社(なんざんじんじゃ)【小田町南山】

新田神社【小田町寺村】
1999/3/28、2004/8/12
・寺村の高台の上にある。

新田八幡神社【小田町中田渡】
1999/3/28、2004/8/12
・小田川支流田渡川沿い。
・天文3年(1534)、大野加賀守直義により建立された。
新田義貞の三男義宗を祀る。
・南北朝和睦後、新田義宗は都より宇和島を経て田渡村に入り、中田渡岩木の森(新田八幡神社鎮座地の前方)に住居を構えた。ここから東方を眺め、吉野朝廷を偲んで、千本桜を懐かしみ、東方の谷を桜原谷と呼び、また、谷と合流する川を吉野川と名付けたという。この地名は今も残っている。
・やがて年老いて義宗は現神社のある宮坂で息を引き取った。村人達は手厚く埋葬し、ここに新田武義社という小社を建て、武神八幡として祀った。→義宗と八幡様
・卯の刻に参ると霊験あらたかであるといい、「卯の刻参り」で栄えた時期もあった。
・また、縁結びの神としても知られている。
・境内には陰陽石がある。
新田武義神社
日本誕生の碑
・先端に注連縄が括り付けられた斜めに立つ長い石の下側には、球状の石が二つ....名前も怪しいが形状も怪しい。
八幡様の手水鉢

広瀬神社【小田町本川 宮原】
1998/8/2、2004/8/12
・祭神:天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)
・醍醐天皇、延長4年(926)の創建と伝えられる。(小田の文化財)
・旧郷社。
・拝殿の神名額には「妙見宮」と記されている。(現地踏査)
・建長2年(1250)、国司大田民部太夫大野伊勢守が、小田深山妙見ヶ森で戦勝祈願しところ、託宣を受け、勝利をおさめたので、宮原の里を妙見ヶ森と改め、社名も妙見宮と改めた。(小田の文化財)
・後に大洲藩18社の祈願社となり、田地および蛇の目紋章を戴き、広瀬神社といわれるようになった。(小田の文化財)
恵比須神社(大国主神社・事代主神社)
・拝殿の神名額には「大国主神社・事代主神社」と記されている。(現地踏査)
お亥の子さん
・恵比須神社祭礼。旧暦10月の初亥には市が立つ。祭りの前日、夕暮れより子供たちが「亥の子もち」をついて各戸を回る。(小田の文化財)
妙見橋の石柱
「妙見橋」「めうけんはし」と刻まれた石柱が建っている。(現地踏査)
一位樫(いちいがし)
欅(けやき)
大矢
・神宝。
平能登守教経(たいらののとのかみのりつね)が献上したといわれる。

町村八坂神社【小田町町村】
愛宕山の桧
愛宕山の御祭礼帳

三嶋神社【小田町中川 鎌土】
1999/3/28
・和銅5年(712)創建と伝えられる。越智郡大三島より、大山祇神、高お神、雷大神を3神を勧請して、一宮大明神の称号をもらった。(小田の文化財)
・その後、越智玉興(たまおき)が社殿を再建。小田町16ヶ村の氏神として祭った。(小田の文化財)
・天正年間に焼失したが、久万の大除城主・大野山城守直昌が再建した。
・寛保3年(1743)12月12日の夜、再度焼失。延享4年(1747)、大洲城主加藤出羽守泰衡(やすひら)が再建した。
・「中川村字鎌土にあり、社傳に云ふ、天喜癸巳年八月十五日伊豫守源頼義勧請す、北條新太夫親経建立して小田の氏神と為す、其後河野通信再建、天正五丁卯年焼失す、因って大野山城守直昌再建、寛保三癸亥年十一月一二日焼失す、因って大洲城主加藤出羽守材木を寄附し建立す」(伊豫温故録)
※再建したのは越智玉興か、それとも河野通信か?
・昭和3年11月5日、火災により焼失。昭和11年に氏子達により再建された。
境内社:豊受神社
・五穀豊穣の神
境内社:竜王神社
・農民の神、降雨の神
三島神社の神輿
・室町中期〜桃山時代の作といわれる。
乳出の大銀杏
中川のケヤキ
三嶋神社の兄弟萱(その1)
三嶋神社の兄弟萱(その2)

太森神社(ふともりじんじゃ)【小田町上川 田窪】

・祭神:伊弉諾尊、鐃速日尊(にぎはやひのみこと)
・「上川村字田ノ窪にあり、社傳に云ふ、文明十五癸卯年九月十五日吉野金峯山より當村三嶽古戸といふ所へ勧請す、大洲舊記に云ふ蔵王大権現は分明十五年中原景義の再興にして大旦那大野千寿丸と棟札にあり、即ち安藝守朝直の幼名と云ふ、中原景義は大野の旗下にて當時の地頭なりと見ゆ」(伊豫温故録)
本殿
中殿
拝殿
燈篭
大臣門
神輿蔵
末社
神社
狛犬
上川村役場文書
神徳橋(しんとくばし)の碑
・県道沿い、参道入口に建てられている。
里程標

石鎚神社【小田町上川】

大辰神社【小田町上川】

風鎮神社【小田町上川】

十二社神社【小田町立石 泉谷】


お堂

秋葉堂【小田町寺村 林慶】

阿弥陀堂【小田町町村 栄町】
釈迦如来立像

薬師堂【小田町上田渡】
・大元橋の袂。
地蔵菩薩立像
・町指定有形文化財
・桧の一木造。像高は約1m。幅は30cm。鎌倉時代〜室町時代の作と推定される。(小田の文化財)

薬師堂【小田町上川今生(いまお)】
1999/3/28
薬師の大いちょう

京の森の薬師堂【小田町寺村 京の森】

日浦大師堂【小田町立石 日浦】
2004/8/12
・集会所になっている。

上組お堂【小田町立石 上組】

久保野の茶堂【小田町上川 久保野】
大念仏

茶堂【小田町臼杵 上畦々】

茶堂【小田町臼杵 本成】
2004/8/12
・昌福寺の向かい側、県道脇の少し上がったところにある。
※ふと堂内の天井部に目をやると、御輿が収納されている。御堂に御輿という組み合わせは珍しいのではなかろうか。(2004/8/12)


南山千人塚【小田町南山】

御塚大明神【小田町突合】
(小田のむかし話 伝説)


地蔵

片山地蔵【小田町寺村 林慶】
片山地蔵講

日切地蔵尊【小田町寺村】

七供養【小田町中川】
・山仕事の安全を願い、山鎮めの祭り(魔除け)をしたのが七供養の始まりである。
・供養を行った七ヶ所に今でも古木や祠が残っている。
・七供養は旧暦1月15日、7月7日に行われていたが、現在では7年毎に7つの塔婆を立てて念仏供養を行う。
生草(なまくさ)(杉)
桶小屋(おけごや)(ほこら)
地蔵渕(おむろ、杉、桧)
はなつき(桧)
本谷(ほんだに)(桧、楓)
柾小屋(まさごや)(桧)
手川(てがわ)(杉、桧)

厄除け延命大師【小田町臼杵 本成】
2004/8/12
・臼杵三島神社よりやや西に下ったところにある。
※サルスベリの赤い花が美しい。(2004/8/12)




小田深山 【小田町小田深山】
小田深山国有林

狼ヶ城山【小田町/美川村】
・標高 1379.6m

大川嶺【小田町/美川村/柳谷村】

・標高 1525.0m

笠取山【小田町/柳谷村】

・標高 1562.0m

貝渚(かいなぎ)山【小田町/柳谷村】

水無山【小田町/柳谷村】
・標高 1408m

丸石山【小田町/柳谷村/野村町】
・標高 1327.5m

妙見森【小田町】
・標高 1325.0m

雨乞山【小田町/河辺村】
・標高 1213.1m

笹峠山【小田町/河辺村】
・標高 954.7m

寒台山【小田町/河辺村】
・標高 895.3m

登議城山【小田町】
・標高 655.2m

池ノ城山【小田町】

・標高 589.2m

三つ森山【小田町】
・標高 721.7m

三郷の辻【小田町/広田村/久万町】
・標高 931.9m

打越山【小田町/久万町】
・標高 859.7m

日浦嶺【小田町/久万町】

・標高 900.9m

うつぶき山(うつむき山)【小田町立石 尾首】
2004/8/12
・標高 535.75m
・NHK小田テレビ中継放送所、RNB中継所、J-phone内子大瀬局、IMT内子大瀬局などの放送・通信設備が山頂部に林立する。
※三角点発見できず。眺望は全くない。食事休憩する。(2004/8/12)

愛宕山【小田町上川】

愛宕山【小田町立石 上組】
2004/8/12
晩秋の鐘流れけり土俵の碑
忠光院土俵跡
・「昔毎年旧暦7月24日、25日の両日大相撲あり。四国でも指折りの格式高き土俵として知られたという。 昭和59年6月吉日」
巨杉2本
絵馬
更正の鐘

三石山【小田町】
・標高 616.8m

雨霧山【小田町】
・標高 1245.5m

毘沙門山【小田町臼杵】
昌福寺


鉱山

川・渓谷
小田川と田渡川とは、突合で合流し、内子・大洲へと至る。

田渡川
・上尾峠を源流とする。

臼杵川

後谷川【小田町臼杵 後谷】

畑谷川【小田町臼杵 本成】
・臼杵三島神社前を流れて、臼杵川に合流する。

大込川【小田町臼杵】

倉頭川
・倉谷神社前。

桜原川(さくらわらがわ)【小田町中田渡】
・新田八幡神社のところで合流。

小田川

立石川【小田町立石】
・立石の集落を流れる。

ムタン谷川【小田町立石】
・立石神社前

小田深山渓谷【小田町中川 小田深山】
2000/4/9
・四国カルスト県立自然公園
行ってみよう!えひめ感動の地20選
 
藤見河原
・昭和41年、高松宮が命名した。
●藤見河原にある看板
「遊歩道案内
川に沿って上って下さい。渓谷のお宿「みやま荘」まで400mで、一息入れて廻り岩へ更に300m 五色河原まで500m 足をのばせば起点安芸貞渕まで300m 全長1500m
大自然の中で静かに移りゆく 四季とりどりの景観を 心ゆくまで御探勝下さい。
愛媛森林管理署 小田町観光協会」
みやま荘
●みやま荘にある看板
「遊歩道案内
これより川に沿って下れば藤見河原まで400m
川に沿って上れば廻り岩橋まで300m 五色河原まで 800m 終点安芸貞渕(吊橋)まで 1,100m 渓谷の清流と岩と原生林がよく調和し造形の美を心ゆくまで御探勝下さい。」
牛渕の滝
カツラの渕
曲がり渕
廻り岩渓谷
安芸貞渕(あきさだぶち)【淵首】
●安芸郡の貞が不慮の事故にあった説
「安芸貞渕伝説
昔 戦国時代よりももっと古いむかしの話
土佐の国安芸村よりという木地師がこの深山に移り住んでいた。夫婦仲むつまじく暮らしていたが、或日山に入り、材を伐っている時雲急病の報あり 急ぎ帰宅の途中この渕の龍を見て驚き絶壁の小道から足をふみはづし渕におち水底深く沈み遂に上らなかった。夫の不慮の死を知らぬまま妻も時を同じくして自宅で息を引きとったという。それから後誰言うとなく安芸貞渕とよばれるようになった。この渕には龍がすむと古くから言い継がれて今でもこの渕に石を投げ入れると雨がふると古老は語る。
昔の姿そのままに神秘な美しさを誇る深山随一の渕として広く知られている。 小田町」(渓谷沿いの説明書き看板)
●安芸郡の貞が大蛇退治のために淵に入った説
・土佐国安芸郡のという人が、村人が見守る中、この淵に住む大蛇を退治するために短刀をくわえて飛び込んだ。貞はいっこうに浮かび上がってこず、やがて淵一面が真っ赤に染まった。
(小田のむかし話 伝説)
●安芸と貞が大蛇に飲み込まれた説
・二人が遊泳中に大蛇が出現し、二人を飲み込んだ。
(小田のむかし話 伝説)
五色河原
深山七不思議
@深山夫婦もみじ(深山荘前)
・イロハ楓 1本の樹が三面に紅葉する。
A見ざる・聞かざる・言わざるの岩(500m)登る
B腰のばし岩
・見上げるたび背が伸びるので名付けたもの(100m)登る
C廻り岩(300m)登る
・度重なる激流で巨岩が1回転し現在の位置におさまったと伝えられる。
D尻無川(300m)登る
・上流には豊富な水、河口には一滴の水もない。
E深山洞穴(硅岩石 350m)登る
・尻無川の水が分散湧出している。此の周囲がカメラ撮影に最もよい。
F五色河原原生林トネリコ(500m)登る
・何百年も河の中で生き続けている。現在は野球のバットに利用されている。

鬼ヶ臼渓谷【小田町】

生草渓谷【小田町】

地蔵渕渓谷【小田町】

柾小屋渓谷【小田町】
マサカリ渕
姥神ヶ淵
※松王を育てた乳母の阿鶴(おつる)が、松王が人柱になったことを耳にして、それを嘆いて入水した淵と伝えられるが、小田町内にあるのだろうか?(2004/8/12)


樽の頭(滝)【小田町上川】

牛渕の滝【小田町中川 小田深山】

犬帰りノ滝【小田町】


ダム

突合橋【小田町突合】

大元橋【小田町上田渡】


風景

たばこ畑【小田町立石 尾首】
※僕が小さい頃、通学路でよく目にしたたばこ畑の風景。今では殆ど目にすることができない。
それにしても、この尾首から小田町の町並みを見下ろす風景はなんと清々しいことであろう。(2004/8/12)


洞窟・鍾乳洞

小田深山の鍾乳洞【小田町中川 小田深山】
鬼が臼洞(六郎)
・アメノウオ養魚場より約1.2km。
・昔、鬼達が集まって臼で餅を搗いたという伝説がある。
・鬼が餅を搗く際、余りにも力が強過ぎて臼が土中に沈んでしまった。その臼が出て来た場所を鬼が臼の出口という。
(小田のむかし話 伝説)
深山洞(桶小屋)
雨霧洞(渕首)
廻り渕洞
カマド穴
障子岩


樹木

いちいがし【小田町本川 宮原 廣瀬神社】
1998/8/2、2004/8/12
・県指定天然記念物(昭和25年10月10日指定)
・根回り10m、目通り6.7m、樹高30m、推定樹齢1000年以上
・地上3mの所から南北に二つの大きな幹に分かれている。

天満神社のいちいがし【小田町吉野川 宮之谷 天満神社】
2004/8/12
・小田町指定天然記念物(指定第7号、平成9年9月1日指定)
・根周り 12.0m、胸高周り 4.7m、樹高 21.0m、樹齢 600〜700年

けやき 【小田町本川 宮原 廣瀬神社】
1998/8/2、2004/8/12

・県指定天然記念物(昭和28年2月13日指定)
けやき−その1
・根回り11m、目通り7m、樹高40m、推定樹齢1000年以上
けやき−その2
・根回り13m、目通り7m、樹高40m、推定樹齢1000年以上

中川のけやき【小田町中川 鎌土 三嶋神社】
・中川村栄古盛衰の記(明治11年)には、「境内には銀杏の大樹と共に槻(つき)の大樹あり、高さ25間余(約50m)、根の廻り2丈4尺余(約8m)。年経ること1000年以上の老樹なりと言い伝え近郷の大樹なり」(小田の文化財)

乳出の大銀杏【小田町中川 鎌土 三嶋神社】
1999/3/28

・えひめ自然100選
・県指定天然記念物(昭和24年9月7日指定)
・根回り15m、高さ45m
・推定樹齢:1200年以上(1300〜1500年)
・銀杏としては、県下一の巨木である。全国でも10本の指に入るといわれる。
・神社創建の和銅5年(712)に植えられたといわれる。
・あちこちから2mに及ぶ長い気根が乳房のように垂れ下がる。
・その気根を煎じて飲むと乳の出が良くなるという言い伝えがある。

世善桜(よぜんざくら)【小田町上川 北地】
1999/3/28
・県指定天然記念物(昭和34年3月31日指定)
・根周り9m、目通り5m、樹高18m、推定樹齢500年
・彼岸桜の巨樹
・文明年間(1469〜1486)に大野朝直(おおのともなお)が植えたものといわれ、樹の下方に花付きの多い年は稲が、また上方に花付きの多い年は畑作がそれぞれ豊作と、花の付き方によって吉凶禍福を占うことができると言い伝えられている。
・ここには、昔、鳩岡山(はとかざん)龍蔵寺(りゅうぞうじ)というお寺があった。
・根回り6.5mの巨樹であるが、樹高約15mのところで枯損している。

世善桜(よぜんざくら)【小田町上川 御嶽(みたき)】
1999/3/28
林道蔵ヶ谷面谷線(総長7.0km、幅員4.0m)の始点に「←樽の頭1.2km/世善桜1.5km→」の標識が付けられている。
・林道を行く。途中で舗装が切れてしまうが、くじけずどんどん進んでいくとちょっとした広場が設けられており、その上方に大きな桜の木が一本そびえているのが見える。
・この桜も、大野朝直が植えたものと伝えられる。
世善桜顕彰碑
「この桜は、分明15年(1483)、当時この地方を治めていた野朝直が大和国吉野の堂峰山より上川村御嶽古戸(現在地)に御堂を勧請するとき持ち帰って植えたものといわれ、一株は北地(鳩岡山龍蔵寺跡)にある。御嶽には紅白二本あったが、一株は朽ち果て、一株を残すだけとなった。村人たちはこの桜に「よい世の中でありますように」と願いを込め「世善桜」と名付け代々親しんできた。またの名を「世直し桜」とも言い、上の方が咲くと畑作がよく、下の方が咲くと稲作がよいとされ、作物の出来具合を占う神木と仰いできた。古老の話によると、昭和5年頃には十一戸の人家があり、桜の周囲は立派な田畑で、昭和32年には伝統もともり、ここを安住の地と定め農林業に打ち込んできた。昭和38年の豪雪により全戸が転住、見切りをつけ、農地は植林が進み、その成長と共に桜の枯死が心配されていた。
この度、事業費1,458,450円と(隣接)地主の方々の協力を得て、上川の貴重な文化財として保護顕彰するはこびとなった。なおこの地はもとの大森神社の境内で、後の延宝7年(1679)、田ノ窪の森に移され今日に至る。
平成10年12月上川部落」
太森神社
この桜が植わっている広場は、もとの太森神社の境内地であった。

八幡河原の夫婦柳【小田町上川】
1999/3/28
・町指定天然記念物 指定第12号(平成9年9月1日指定)
八幡河原の夫婦柳(その1)
・根周り6.3m、胸高周り4.1m、樹高10.0m、推定樹齢500〜600年
八幡河原の夫婦柳(その2)

薬師の大いちょう【小田町上川今生(いまお) 薬師堂】
1999/3/28
・町指定天然記念物 指定第11号(平成9年9月1日指定)
・目通り幹周7.3m、根周り13.7m、樹高25m、推定樹齢500〜600年
・当時、お講があり、人々の平和と安全と健康をお祈りしていた。美川の方からも入講して信仰していた。

三島神社の兄弟かや(その1)
1999/3/28
・町指定天然記念物指定第10号(平成9年9月1日指定)
・根周り10.5m、胸高周り4.7m、樹高25.0m、推定樹齢700〜800年

三島神社の兄弟かや(その2)
1999/3/28
・町指定天然記念物指定第10号(平成9年9月1日指定)
・根周り8.3m、胸高周り4.0m、樹高30.0m、推定樹齢700〜800m

登貴姫の墓と八房の梅

深山の藤の大木【小田町中川 小田深山】
・桶小屋(まさごや)から貝渚(かいなぎ)谷を約2km登った所にある。
・推定樹齢 300年。

墓守りの藤【小田町立石 中組】

愛宕山の桧【小田町町村】

大平の一本杉【小田町大平】

お旅所の杉【小田町臼杵】
2004/8/12

※これが正式名称なのかどうかはわからない。県道脇に石積みの神社跡のような場所があって、そこに大きな杉の木が一本立っている。一度として枝打ちをされていないのであろう。背が届きそうな最下部の枝などは、それ自身が樹齢20〜30年ほどにも思える太さになっている。高縄山にある千本杉を思い浮かべてしまう。
 写真を撮っていたら、負い子を担いだ近所のオバちゃんが通り掛かって「写真撮りよるんかな」と声をかけてくれた。
「ここは何なんです?上の方を見ても神社がありそうにもないし...」
「ここはなぁ、お旅所になっとんよ」
「三島神社の…?」
「そうそう」
ということで、この杉の木のことを「お旅所」の杉と称すことにする。(2004/8/12)

だいばん椿【小田町臼杵】
2005/11/20

※案内板も何も立ってないので、うっかりすると通過してしまう。先ほどのオジさんの教えがなければ、まずそれが「だいばん椿」であることには気付かなかったであろう。だいばん椿の上部には小さな社が祀られていた。(2005/11/20)

ブナ保護林【小田町中川 小田深山】
・県の自然環境保全地区。
・柾小屋(まさごや)から大野ヶ原へと抜ける旧砲車道の峠の辺り一帯には、ブナの純林がある。樹齢は約250年。

白樺林【小田町】




大規模林道 小田・池川線

林道豊谷線



獅子越峠【小田町】
1998/8/2、2000/4/9
・小田町内から曲がりくねった山道(県道52号線〜小田柳谷線)を上っていくと、峠に行き着き、小田深山スキー場SOLFAが見えてくる。獅子越峠だ。
・四国カルスト県立自然公園に指定されている。
・ここから眺める小田の高地性集落と連なる山々の景観は素晴らしい。
泉賢盈翁頌徳碑
武知勇記先生頌徳碑

別府峠【小田町中田渡/広田村高市】

がくが峠【小田町臼杵/広田村多居谷】

下坂場峠【小田町臼杵/久万町二名】

真弓峠【小田町臼杵/久万町父野川】
真弓峠のホラ

ほうじが峠(法事ヶ峠)【小田町上川】

畑峠【小田町臼杵】

八ツ松峠
2004/8/12


泉賢盈翁頌徳碑【小田町 獅子越峠】
2000/4/9

武知勇記先生頌徳碑【小田町 獅子越峠】
2000/4/9

丸井千年翁胸像【小田町庁舎前】
2004/8/12
丸井千年は小田町出身で、生涯をへき地医療一筋に専心した。
・地域の人々からは「いのちの神さま」と呼ばれ、小田町名誉町民第1号に選ばれた。
→丸井医院跡地

篠崎長之進翁頌徳碑【小田町庁舎前】
2004/8/12

男嶌/音羽山の碑【小田町吉野川】
1998/8/2、2004/8/12
小田川田渡川の合流地、突合にある自然石に刻まれた碑。明治21年11月建立。
・大洲、長浜、小田地区に跨って、素人相撲では有数の力士であったという。
音羽山(おとばやま)は内子町大瀬で生まれたという。


公園

千年の森公園


祭り

愛宕さんのお祭り【小田町寺村】
・毎年8月11日に行われる。
・小田高校の東南、標高約300mのところにある愛宕さんは、火防(ひぶせ)、火除(ひよけ)の神として祀られている。
・朝6時頃、山に登って祠の前で念仏を唱える。昔は108回唱えていたが、現在では簡略化され、21回になっている。鉦や太鼓に合わせて「ナムマイダブツ、ナムマイダッポ」と唱える。
・その後、神酒を酌み交わして下山する。

山の神の火祭り【小田町寺村】
文政6年(1823)に始まったと伝えられる。
※文政六年(1822?)から残る当番帳に年毎の行事内容が記録されている。
・毎年、8月15日(旧暦:7月20日)に行われる。
・この行事は、寺村地区4組(林慶、新田、堂村、中通り)が輪番で伝承してきた。現在は中通りが3班に分かれたため、6年で一巡している。
・当番の折、代表は「宿(やど)」といい、連絡係を「ふれかた」という。
・その年の当番人が、六角山(ろっかくさん)にしつらえた祭壇で、百万遍の念仏を唱和する。
六角山は標高約325mで、頂上に山の神の祠がある。
・夕暮れになると麓の田圃や畦道に並べられた灯芯(おひかり)に火がともされる。この火の列が山裾から平地一帯を埋め尽くし、やがて「山ノ神」という大きな火文字が山里の暗闇の中にくっきりと浮かび上がってくる。
※「オヒカリ」は、2mの竹の先に缶をとりつけたもの。約300本強のオヒカリが立てられる。
・夏の夜の神迎え行事で、大山祗神の娘、木花咲耶姫(このはなのさくやびめ)を迎えるという。木花咲耶姫は年12人の子を産むといい、豊穣の神として崇められる。
※木花咲耶姫は、木花之開耶姫、着花之佐久夜毘売、…などとも記される。大山祇神の娘。瓊々杵尊の妃。海幸・山幸の母。
・火を焚くのは、降臨する神の道標、道清めの意味を持つ。
・百八灯の「おひかり」を灯して山の神を迎え、山の幸と秋の豊作を祈願する。
※百八灯の念仏行事(旧暦7月20に行われていた)も習合される。→神仏混淆の名残。
※百八灯を献じて煩悩消滅を祈願する。百八という数は人間の煩悩の数といわれる。
・山の神は、春先には村里に降りて田の神となり、秋に収穫が終わると山へ帰り山の神となるという。
【Reference】
・「夜空焦がす『オヒカリ』 小田 山の神の火祭り」、愛媛新聞、2004/8/17
・「町並み村並み-35- 火祭りの里(小田町)」、愛媛新聞、2002/10/17

灯篭流し【小田町 小田川】
・8/30。
・盆の終わりの日の夕方、火を点した小灯篭を川に流す行事。
・盆に迎えた祖先の霊を送り返すために行われるという。

小田町燈籠祭り
平清盛の五女・登貴姫に纏わる伝説を題材にしている。

獅子舞【小田町寺村】

【Reference】
・「手作り獅子 軽快に舞う 小田 子どもら商店街で演技」、愛媛新聞、2004/10/20

牛馬市【小田町本川】
・「本川村にて秋季これを立つ」(伊豫温故録)


イベント

施設

小田町郷土資料館【小田町】
2000/4/9
・元の田渡小学校校舎を一部改造して開館したもの。
※かねてより、ウィークデーには是非寄ってみたいと思っていた。せっかく今回その想いが叶ったのだが、雨漏り修理・内部整理のため休館中とのこと。ほんとに運営再開するのだろうかと思わずにいられないほど寂れた様子だった。(2004/8/12)
田渡小学校校訓碑
「強く 正しく 朗らかに」

SOL-FAオダスキーゲレンデ

小田の郷せせらぎ【小田町寺村】
・特産品販売所。
・平成16年12月24日落成。


学校

温泉

伝説

平家落人伝説【小田町】
小田町には、壇ノ浦の戦いに敗れた平清盛の五女、登貴姫が落ち延びたという伝説がある。
→c.f.登貴姫の墓と八房の梅(清盛寺)

うどんと殿様【小田町】
・たらいうどん(手打ちうどん)の由来を語る。
(小田のむかし話 伝説)

山の神の火祭り【小田町寺村 林慶(りんけ)、新田(にいだ)、堂村、中通り】
(小田のむかし話 伝説)

京の森【小田町寺村】
・登貴姫が逃れて来た際、太田山から東方を眺めると京都の森に似ているので、京の森と名付けたという。
・昨日まで平地であったのに、一夜のうちに隆起して森が出来たので「今日の森」と名付けられ、いつしか「京の森」に変わったともいう。
・京の森には薬師堂があったので、堂の山が「どやま」となり、京の森も「どやま」と呼ばれることがある。
薬師堂
・山頂にあり、薬師如来像が安置されている。この薬師如来像は、南北朝時代作の木彫像である。
宝篋印塔
・薬師堂東側に、四角に積み上げられた石があり、これが経塚で、宝篋印塔があった場所である。
大師堂
・山の中腹にあり、弘法大師の座像が安置されている。
京の神社【小田町寺村 豊谷】
京の森から南東のはんどが森にある。
むかし、この地方に赤痢が流行り、多くの村人が苦しんだ。
祈祷師に病気が治るように祈らせると、一人の病人が、「わしは10年前に山崩れで生き埋めになって死んだ者だ。山崩れの処を掘ると鏡が出てくるからそれを掘り出して祀ってくれ。」と言った。
村人が鏡を掘り出して祀ると、その後は赤痢に罹る者は居なくなった。
この鏡を祀ったのが京の神社で、今も毎年8月4日には御祭りをして感謝の気持ちを表している。
また、進学の神として信仰が厚い。

愛宕の鐘と更生徳利【小田町立石】
(小田のむかし話 伝説)

ぐらぐら水【小田町上川 水ヶ峠付近】
・弘法大師:杖立清水
・老夫婦が菅生山大宝寺の縁日(23日)に参詣しに行く途中、峠付近で喉が乾いて一休みしていると旅の僧が出現する。「飲み水が湧くと助かる」と話すと、僧は杖で地面を突いた。すると不思議にも水がぐらぐらと湧き出した。
(小田のむかし話 伝説)

ずなまき【小田町上川】
・妖怪譚:砂撒き
・出没地:天神宮、盗人谷、両国箸、明堂、もちがたき橋
・雨がしとしと降る晩や、月のない晩、生暖かい風が吹く晩に、そこを通りがかった人に向かって、道の上から砂を撒く。
(小田のむかし話 伝説)

ぬびあがり【小田町上川】
・妖怪譚:伸び上がり
・出没地:上川橋
・「りゅうすけ」という名の旅遍路が「どんど」と呼ばれる淵に転落死した。村人達が道の下に葬ったのだが、不心得者が立小便をするので、「りゅうすけ」は「ぬびあがり」という化け物になって村人を威嚇した。
(小田のむかし話 伝説)

ほうこいわの狸【小田町中川】
・ほうこ岩の狸:金平狸(松山)の女房
・ほうこ岩:蔵が谷から小谷(こだに)に沿って1kmほど登ったところにある巨岩。
・金平狸の帰省=狸の提灯行列
・ほうこ岩の狸を燻り出そうとした村人が、村が火事になっている幻影を見せられる。(化かされる。)
(小田のむかし話 伝説)

ものいい岩【小田町中川】
(小田のむかし話 伝説)

石がうち【小田町中川】
・地名の由来。
・石がひとりでに転げて畑を耕していたという。
・桑原うねにある土地の名前。
(小田のむかし話 伝説)

間所(まどころ)【小田町中川】
・地名の由来。
・参川村を開墾した土佐の人が、帰省するときに獅子越峠から開墾した場所を見ると、家の窓を開けたように小さく見えたので「窓の所=まどのところ=まどころ」と呼ぶようになった。
(小田のむかし話 伝説)

ごんちょう滝【小田町中川】
・昔は「樽の奥」とよばれていた。
・大中ごんちょうという人がトロッコで木を運搬している途中にここで転落事故に遭ったが、運良く木の枝に引っ掛かって一命ととりとめた。それから「ごんちょう滝」と呼ばれるようになった。
(小田のむかし話 伝説)
→ゴンチョ滝発電所ナーガ、ゴンチョウ滝第2発電所ナーガターボ

くらがり峠【小田町中川 蔵が谷/小田深山】
・地名の由来
・小田深山での仕事は、峠で夜があけるくらいに早朝に出発しなければならないので、くらがり峠と呼ぶようになった。
・蔵が谷という地名も、この峠の下部にあたり、「くらがりの谷」と呼ばれていたのが reductionにより「くらが谷」になったという。
(小田のむかし話 伝説)

ナーメ【小田町小田深山】
・天狗伝説。
・赤岩という場所に来ると、眼前の杉の木が何十本も倒れてきたり(天狗倒し)、川向いの山から礫が飛んでくる。(天狗礫)
・ナーメ:縄目の意。
(小田のむかし話 伝説)

怪物八つ頭退治【小田町本川 一宮大明神】
・妖怪伝説
 昔、小田町の本川一帯は大きな木が生い茂っていて昼間でも暗いところであり、そこには恐ろしい怪物が住んでいると言われていた。そのためどんな勇猛な漁師も決してこの森に近づこうとはしなかった。
ある日、土佐の日野林村から徳森仙左衛門とその子の源右衛門源之丞乙次郎の4人がこの森にやってきた。
 村人達が制止するのも聞かず4人は「熊よりも恐ろしい怪物など棲んでいるものか」と森に分け入った。
仙左衛門親子は薄暗い山道をかきわけながら奥へ奥へと進んでいった。すると今まで差し込んでいた光が雲に遮られ、あたり一面は暗闇になり、鳥や獣の声も、木々の擦れ合う音も谷川の流れの音も一切聞こえなくなった。
 突如、頭上で雷音のような大きな音が響き、そしてゴーゴーと音を響かせながら何物かが段々と近づいてきた。
音のする方をじっと睨んでいると、頭を8つ持つ身の丈3mもの怪物がすぐ側まで来ていた。仙左衛門は自慢の弓で射て怪物を退治した。
 仙左衛門はその後八つ頭を退治した森を切り開き、土を掘り起こして水をひいて田を作った。そして村の平和と豊作を祈って一宮大明神の社を建て、八つ頭を射た矢を神の宝として祀った。

竜に乗った松王【小田町臼杵】
(小田のむかし話 伝説)
→田井神社、臼杵三島神社

たぬきにばかされた熊さん【小田町臼杵】
(小田のむかし話 伝説)

きえてしまった白うなぎ【小田町臼杵】
・うちこずみ:集落名
(小田のむかし話 伝説)

だいばんつばき【小田町臼杵】
(小田のむかし話 伝説)
→だいばん椿

池の成の主どん【小田町臼杵】
・「モノ言うドンコ」
(小田のむかし話 伝説)

伊予の一ぜん杉【小田町臼杵】
(小田のむかし話 伝説)
※同じ背丈・太さの二本の杉が並んですっと背を伸ばしているとき、人々はそれを「箸が成長したものではないか」と考えたのであろう。いわゆる「お箸成長」というヤツである。四国の場合、その箸を立てたのが弘法大師であることが多い。(2004/8/12)

すずめのおやこうこう【小田町臼杵】
(小田のむかし話 伝説)

かねのしずんだ池【小田町上田渡】
(小田のむかし話 伝説)
→池の城山

もぐらの借金【小田町臼杵】
(小田のむかし話 伝説)

義宗と八幡様【小田町中田渡】
・新田義宗がこの地に落ち延びてきて居住・死没したという伝説。また、この辺りの地名がそれに由来することを説明する話。
・岩木の森(新田八幡神社前方の小高い丘):居住地
・桜原(さくらわら):大和国吉野の千本桜を懐かしみ、この名を付けた。
・吉野川:これも大和国吉野を懐かしんだことによる。
・宮坂:義宗が没した場所。
(小田のむかし話 伝説)

八幡様の手水鉢【小田町中田渡】
(小田のむかし話 伝説)

力士の竜門(りゅうもん)さん【小田町中田渡 桜原】
(小田のむかし話 伝説)

おおかみと赤飯【小田町中田渡】
(小田のむかし話 伝説)

でしこし【小田町中田渡】
(小田のむかし話 伝説)

馬のおとしもの【小田町中田渡】
(小田のむかし話 伝説)

仙助さんのねこ退治【小田町吉野川】
(小田のむかし話 伝説)

きえたいりこ【小田町臼杵】
・河童伝説。
(小田のむかし話 伝説)


キャンプ

海水浴

人物

その他

南山奉行所立て看板【小田町南山】
「これより当領内に入る者 左の掟を守るべし
一.牛馬車 急ぐべからず
二.地主の許可なく山菜 花 取るべからず
三.自然を汚すべからず
             以上
           南山奉行所 」

ゴンチョ滝発電所ナーガ【小田町】
「ナーガ
『ナーガ』とはインドの神様の名前で、水の神・農耕の神・山の神、言わばエコロジーの神様の名前です。このゴンヂョウ滝発電所は自然の恵みによって発電して..... さなぎ会」

ゴンチョウ滝第2発電所ナーガターボ【小田町】

百姓一揆の発祥地【小田町臼杵 道房】

ならん駄馬【小田町立石】



《References》



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