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伊予の隅々
こたろう博物学研究所
市町村別情報庫
久万高原町
(旧・美川村)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要


キャッチフレーズ
(1).「人と自然の創る健康の村」
(2).「文化の里」

村の花 村の木 村の花木 村の鳥

1989年「全国美しい村サミット」開催〜1999年「美し村(うましむら)連邦」発足。→2003年10月3日解散
・茨城県美和村、美浦村
・長野県美麻村
・岐阜県美並村
・三重県美里村、美杉村
・和歌山県美山村
・岡山県美甘村
・徳島県美郷村
・愛媛県美川村


特産物

沿革

地名
大字
有枝(ありえだ)
大川(おおかわ)
上黒岩(かみくろいわ)
黒藤川(くろふじかわ)
沢渡(さわたり)
仕出(しで)
中黒岩(なかくろいわ)
七鳥(ななとり)
東川(ひがしかわ)
日野浦(ひのうら)


文化財

山中家住宅【美川村上黒岩】

・国指定重要文化財(昭和45年指定)
・もと宇摩郡別子山村にあったものを、「岩陰文化の里」に指定された美川村が譲り受け、昭和51年に上黒岩に移築し、上黒岩遺跡とともに保存活用を図っている。
・建築年代は 18世紀中期から末期頃と推定され、茅葺き屋根で古風な佇まいの家の中には農機具などが収められている。
・茅葺入母屋造り平屋建て。
・面積約114u。屋根面積は約236u。
・平成11年(1999)、茅葺き屋根修復工事着手。
(「先人の芸術品を後世へ 美川 旧山中家かやぶき屋根修復」、愛媛新聞、1999/3/26)

仁王門(1棟)【美川村七鳥 岩屋寺】
・村指定有形文化財

高膳(1対)【美川村東川 川崎神社】
・村指定有形文化財

阿弥陀如来(1対)【美川村黒藤川 正泉寺】
・村指定有形文化財

弥陀三尊像【美川村有枝】
・村指定有形文化財

上黒岩遺跡【美川村上黒岩】
・村指定有形文化財

御三戸嶽【美川村仕出】
・村指定天然記念物



城址

石本城【美川村大川】
梅木右馬之亟とその子彌九郎が居城。
「一説に竹村主水在城という」(美川の歴史と民俗、美川村教育委員会編)

錢居城【美川村日野浦】
菅新左衛門が居城。
※「美川の歴史と民俗」(美川村教育委員会編)には銭尾城と記載している。

鷹森城【美川村七鳥】
越智帯刀が居城。
・「七鳥村ニ有。大野直昌一族の出城。直昌小田、久万両庄壱万弐千石の領主。越智帯刀の居所なり。」(美川の歴史と民俗、美川村教育委員会編)

高森城【美川村有枝】

梅木屋敷【美川村大川】

桧尾城【美川村日野浦】



遺跡

上黒岩岩陰遺跡【美川村】

町観光スポット21選(平成17年(2005) 久万高原町選定)

・12000年昔の文化遺品として、緑泥片岩のそら豆大の小石に線刻された女神像が発掘された。
上黒岩遺跡は、今から約12000年前の縄文文化を伝え、我国でも最古の古代遺跡として1971年に国の指定を受け、現在は地層を保存するため、合成樹脂で加工している。
 
人骨
岩陰の奥部から約20体の成人・小児の再埋葬人骨が出土している。これら早期人の大きな特徴は顔の「寸づまり」の程度が強いこと、歯はけぬき状で著しく減っており(歯を道具等に使ったためと思われる)、身長は成人男性、平均157cm、女性 平均147cm。
上黒洞
上黒岩第2遺跡
考古館
上黒岩遺跡からは、日本最古12000年前の土器と言われる細隆起線文土器、線刻女性像や腰骨に槍の刺さった人骨など多数発掘され、これらの出土品は考古館を建設し、展示保存している。
・開館時間:09:00〜17:45
・休館日 :毎週月曜日、年末28日から3月17日まで
・参観料 :大人 100円、大学・高校生80円、中学・小学生 50円



古墳


跡地

純信の墓所【美川村東川】
2001/11/10
・よさこい節「....坊さんかんざし買うを見た....」のモデル・純信の墓所。
 
土佐民謡『ヨサコイ節』の主人公
僧 純信の墓所
文政2年 土佐市市野々 江渕要作の二男に生まれ、長じて竹林寺南坊妙高寺住職になった。
安政2年37才の時、17才のおうまと恋仲になり関所を破っての逃避行が国外追放の処分となって川之江に至った。寺小屋の師匠として教養人として生活を送っていたが、一年半で川之江から消息を断った。
 明治初年、中田與吉と名乗って当地の東川に転住した。娘サダヨに養子尾かもと寅吉郎を迎え子孫は繁栄している。
 明治21年9月29日 69才で没す。当地東光寺の過去帳に「慶應徳念和尚」に連記してある「僧禅之」の記事が、川之江から画家河田小龍に託したおうまへの手紙の末尾にかかれた「せんなり事 岡本要」とある「せんなり」とが符号することと、当地に残る数々の伝承との一致から、中田與吉こそ僧純信であると断定した。純信この地に眠る 合掌
発見者 土佐市市野々 矢野安民氏
執筆者 土佐市立図書館長 森喜一郎先生
昭和61年3月 美川村教育委員会


岩屋寺【美川村七鳥】→久万高原町七鳥1468

・四国八十八ヶ所霊場45番札所
町観光スポット21選(平成17年(2005) 久万高原町選定)
 

・ 「紅葉と奇岩」
・山号:海岸山
〜「谷ふかき岸の朝きり海に似て松ふく風は波にたとえむ」(空海)
〜この辺りの石は海辺の石のように角が取れて丸く、河原石を積み重ねたようであることから海岸山と名付けたとの山号由来譚がある。
・電話番号:0892-57-0417
・県立自然公園
・文部省指定名勝
・弘仁6年弘法大師42歳の時の開基と伝えられる。
・旧暦3月21日には岩屋市が開かれる。
・菅生山大宝寺の奥の院であった。
・弘仁六乙未年、空海により開基された。

★200円の駐車場に車を止め、山道をニョーボとIとSと一緒に山道を上っていく。  (Kは車の中で寝ている。)  樹齢100〜200年 級(と思うのだが)の大木が立ち並ぶ長い参道を上り詰めると岩肌に埋まるように寺の本堂が建っているのが見える。辺りが薄暗くなる中、5時を知らせる鐘の音が響き渡る。籤を引く。30円を投入するが出てこない。賽銭と思って10円突っ込むと出てきた。凶である。母は縁起が悪いと言って、更に30円突っ込む。またまた凶である。吉が出るまでといって更に30円。3度目の正直で吉が出た。家族全員満足して山を下りる。

・芦原岳、不捨嶽、白川鈴嶽、高祖岳、古岩、龍女峰など急峻な岩峰が聳え立つ。

光明寺【美川村日野浦】→久万高原町日野浦7560

宗泉寺【美川村大川】→久万高原町大川3341

正泉寺【美川村黒藤川】→久万高原町黒藤川927

東光寺【美川村七鳥】→久万高原町七鳥286


神社

大宮八幡神社【美川村東川 下ノ谷組】
2001/11/10
・祭神:天忍穂耳命、天穂日命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多岐津比売命、多紀理比売命、市寸嶋比売命(五男三女神)
尾崎神社【美川村中黒岩】
・祭神:天照大神、建速須佐男命
・仁平3年(1153)正月、源三位頼政が創設、疫病除けの鎮守神として奉斎されたと伝えられる。
 
境内末社:宇賀神社
・祭神:雅御産巣日神、宇賀魂命

川内八社神社【美川村東川 水押】
2001/11/10

河内八社神社【美川村七鳥 長瀬】
・祭神:天忍穂耳命、天穂日命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多岐津比売命、多紀理比売命、市寸嶋比売命(五男三女神)
・明治43年、熊野神社に合祀されたが、昭和23年に分離解散。昭和30年12月11日に、河内八社神社を創立した。

河崎神社【美川村東川 下沖】
・祭神:天忍穂耳命、天穂日命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多岐津比売命、多紀理比売命、市寸嶋比売命(五男三女神)
(というと、川内町の惣河内神社と同祭神か?)
・配神:藤原の舎人
・社伝では、慶雲2年(768)11月創建。
・明治43年、惣河内神社(水押)、熊野神社(中村)、大宮八幡神社(東川)、天満神社(東川)、新田八幡神社(仕出)、日吉神社(筒城)、七柱神社(筒城)を合祀した。
・昭和34年、大宮八幡神社(東川)を分社した。
・治暦2年(1066)春の旱魃時に祈雨祭が執行された。
 
境内末社:天満神社
・祭神:菅原道真

熊野神社【美川村七鳥】
・祭神:神武天皇
・配神:伊弉諾命、伊弉冉命、国常立神

熊野神社【美川村東川 東川】
2001/11/10
※以前は「中村神社」が鎮座していたのだろう。境内に「中村神社敷地寄附者 西村雅義 昭和49年3月19日」の碑が建っている。

縄文神社【美川村上黒岩】

惣川内神社【美川村 程野】

滝池神社【美川村七鳥】

七柱神社【美川村 蓑川】

白王神社【美川村 横山】

八社神社【美川村黒藤川】

八社神社【美川村七鳥 西古味】
2001/11/10
・祭神:天忍穂耳命、天穂日命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多岐津比売命、多紀理比売命、市寸嶋比売命(五男三女神)
・配神:新田義貞
 
境内末社:三宝大荒神
境内末社:金毘羅宮

八柱神社【美川村高山】

八柱神社(やつはしらじんじゃ)【美川村大川 豊久】
・祭神:天忍穂耳命、天穂日命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多岐津比売命、多紀理比売命、市寸嶋比売命(五男三女神)
・天正18年(1590)、古河内大明神、荒神社、風宮、椿宮、大河内大明神、上姫宮、中姫宮、下姫宮を合祀し、総河内八社大明神とした。
・明治3年、八柱神社と改称した。
 
境内末社:金刀比羅社
境内末社:恵比寿社
境内末社:綿津見社
境内末社:堂山神社
・夏祭り:7/15
・「肥たごを担いで堂山様の前を通ると身体がすくんでしまう」という。

八幡神社【美川村有枝】
・祭神:誉田別命、足仲彦命、気長足姫命瑞津姫命、用心姫命、市杵島姫命
         (八幡神社祭神)            (厳島神社祭神)
・延暦23年(804)6月15日、国司河野殿が厳島神社(安芸国)より三女神を勧請し、中の一社として創建した。
・延久3年(1071)、国司伊予守頼義が、石清水八幡宮(山城国)より勧請し、厳島宮と合祀した。
・明治43年、惣河内神社(程野)と山元神社(中通)を合祀した。

日吉神社【美川村 筒城】

松原八社神社【美川村日野浦】
・祭神:天忍穂耳命、天穂日命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多岐津比売命、多紀理比売命、市寸嶋比売命(五男三女神)

御三戸神社【美川村上黒岩 尾貝】

・祭神:国常立尊、大山津見尊、鹿屋野比売尊、建速素盞鳴尊、大市比売尊、米名戸祖尊、大己貴尊、少彦名尊
・山中家住宅近傍。河原沿いにある。
・「浮穴郡熊野山下蕃黒巌神の森に国社あり、一名河内古宮と号す」(美川の歴史と民俗、美川村教育委員会編 ← 伊予日記、明応4年(1495))

龍池神社【美川村七鳥 竹谷】
・祭神:高竈神、闇竈神
・配神:速秋津比売命、速秋津日子命
・弘仁6年(825)、弘法大師が岩屋寺を開基した時に、大那智権現、白山権現、高祖権現、別山権現、古山権現、龍池権現の守護神として斎く。
・明治43年に熊野神社と合併。
・昭和27年8月に熊野神社より分離して設立された。


お堂

里塚石【美川村】
土佐街道は、松山城西堀端の札の辻を起点に三坂峠を経て久万町、美川村を通り抜ける道で、伊予と土佐を結ぶ主要街道であった。
・当時の数え方で札の辻から県境まで12里18町(約49km)。
・1里ごとに旅人の道しるべとして、塚が築かれていたと伝えられる。
・町内に4ヶ所ある。


地蔵

鳥畑地蔵【美川村東川 アオツエ】
2001/11/10




大川嶺【美川村大川瀬】
2001/5/27、2001/8/12

・県立自然公園
・えひめ自然100選
町観光スポット21選(平成17年(2005) 久万高原町選定)
 
大川嶺牧場
・四国カルスト国営草地開発事業により135haの草地造成を行い、大川嶺牧場として、夏には200頭余りの牛を放牧している。近くには三葉ツツジなどが咲き、スキー場、キャンプ場とともに、四季を通じてのリゾートゾーンとなっている。
憩の森キャンプ場
大川嶺にあり、遠く石鎚山・明神山などが展望出来る大自然のキャンプ場。
・1棟5人収容のバンガロー 15棟、テント30張の他、キャンプ用具一式を備え、200人以上でもキャンプ可能。
美川峰【美川村/柳谷村】
つつじヶ森【美川村/柳谷村】
西の明【美川村/柳谷村】

・「西の明神」の略称。東の明神・「中津明神山」と対峙する格好になっている。
・この両山には、「山の背比べ」伝説(昔話)が残っている。西の明神が東の明神を呼び、「お前とワシとじゃどっちが高かろうな」と叫んだ。すると東の明神は「ワシのほうが高いに決まっとろうが」と答えた。そうなると西の明神も負けてはいられない。「何言いよんで。ワシのほうが高いわい」と言い返す。どちらも自分の主張を言い張ってきかない。そこで実際にどちらが高いかを試すことにした。両方の山の頂に樋をかけて、水を盛る。すると、東の明神の方から西の明神の方へと水が流れ落ちたではないか。軍配は東の明神の方に上がった。それ以来、西の明神は黙りこくって東の方をじっと睨み続けている。この時、東から西へと水が流れ、東の明神の頂の池はカラ池となり、一方西の明神の頂には水を湛えた池が出来たという。
伊豆ヶ谷【柳谷村】
大川嶺【美川村/小田町/柳谷村】

・標高 1525.0m
狼ヶ城山【美川村/小田町】
・標高 1379.6m
笠取山【柳谷村/小田町】

・標高 1562.0m
ウバホド山【柳谷村】

・標高 1481.7m
かいなぎ山【柳谷村/小田町】
水無山【柳谷村/小田町】
・標高 1408m

中津明神山【美川村/柳谷村/高知県 吾川村】

 
石祠
・「天保3年(1832)壬辰6月25日 久主村中五良兵衛」
燈篭
・「嘉永7年(1854)寅六月吉日 村中安全 天太夫」

二箆山【美川村/高知県 池川町】
2001/11/10
・標高 1258.7m
 
猿楽石
猿楽大師堂

三光ノ辻山【美川村/面河村/高知県 池川町】

四辻ノ森【美川村/面河村】


鉱山

川・渓谷

面河川【美川村】

直瀬川【美川村七鳥】

東川川【美川村東川】

前川【美川村黒藤川】

ビキイシ谷川【美川村黒藤川 二箆】

大川川【美川村】


池・沼・湖

赤蔵ヶ池【美川村仕出】
2003/8/2
・沢渡、黒藤川、仕出の中央、二箆(ふたつの)の峰にあり、四季を通じて蒼然と水をたたえる池である。
・池周は575m。湧き水による自然の池。
・茆(じゅんさい)が生育していたという。→現在も残っている様子。(2003/8/9)
・伊予温故録には、「鴨住ヶ池 黒藤川村字二ツ野にあり 或は鵺池といふ 又た遊か池 阿蔵か池とも書す....」と記されている。
・昔この地には怪鳥鵺(ヌエ)がいたと伝えられ、源三位頼政にまつわる伝説の池である。
・二箆は昔、源三位頼政の母が隠居していた所とされる。




ダム



風景

御三戸嶽【美川村仕出】
2003/8/2
町観光スポット21選(平成17年(2005) 久万高原町選定)

・美川村のほぼ中央、久万川面河川の合流点に石灰岩が水中から突起し風化したため、奇岩絶壁となった御三戸嶽がある。
・昭和46年に県名勝地に指定される。
・頂上に老松などが茂り、軍艦のように見えるところから、別名軍艦岩、又1日7色に変化するところから七面鳥岩とも呼ばれる。
 
御三戸遊園地
・御三戸嶽を中心に春から秋にかけてボートなどの川遊びを満喫できる。
・テント30張、キャンプ場なども完備されている。
御三戸公園
・御三戸遊園地に隣接し、1989年4月オープン。
・吾妻屋やベンチを備え、自然環境と調和した公園。
遊歩道もあり、自然の中の落ち着いた佇まいが、村内の人々  をはじめ、多くの人達の憩いの場となっている。
みかわ川まつり(8月下旬)
・花火、ボート漕ぎ競争、マスのつかみどりなどの催し物が開かれる。


洞窟・鍾乳洞

樹木

双生矢竹【美川村黒藤川 二箆】

万年松【美川村七鳥】




林道 水押イショブネ線
2001/11/10
・幅員 4.0m、延長 12.5km

林道 蓑川線

林道 赤蔵ヶ池線

林道 平井線
2003/8/2

農道 蓑川線

農道 置俵線



くるすの峠【美川村/面河村】

色ノ峠【美川村】

ほうじが峠(法事ヶ峠)【美川村/小田町】


胡愁句碑【美川村東川 中村】
2001/11/10
「この山の 幾歳月や 木々茂る」胡愁
・中村集会所前
・碑の裏側には
「中村林道開通記念
昭和63年5月吉日建之
松山市北久米町佐々木育太郎氏
中村林道建設委員会
句碑寄贈 高岡建設社長 高岡稔」
と刻まれている。

中村林道開通記念碑【美川村東川 中村】
2001/11/10


公園

祭り

イベント
縄文太鼓【美川村】
【Reference】
・「ハワイに響け 縄文太鼓 美川の保存会 13日に初披露」、愛媛新聞、掲載年月日不明


施設

道の駅みかわ【美川村上黒岩】
2001/8、道の駅に指定。
 
農村活性センターみかわ
2001/8/12
国道33号線沿い。
・営業時間:09:30〜18:00
・休日:月曜日
・美川村特産品販売所、レストランがある。


学校

美川小学校【美川村大川】

美川西小学校【美川村大川】

(「大好きな校舎忘れない 美川西小、今月で閉校」、愛媛新聞、掲載年月日不明)

美川南小学校【美川村日野浦】

黒藤川小学校【美川村黒藤川】

二箆小学校【美川村黒藤川】


温泉

伝説

矢竹【美川村黒藤川 二篦】
2003/8/2
黒藤川の二篦にこんもりとした竹林がある。双生矢竹として有名である。
この竹は昔、京の都で快鳥ヌエを退治した時に矢柄として使われたといわれ、篦は矢柄の意味で、これが双生することから二篦の地名が起きたといわれる。
双生ヤダケ
 伝説では、源三位頼政が800年の昔紫宸殿(ししんでん)の怪物鵺(ぬえ)(=[空鳥])を射落し大功を立てた。
 その矢は二箆の赤蔵ヶ池(あぞがいけ)に隠棲の母親が二箆の矢竹で造ったものだった。
 母は池の主竜王に子の立身を一心に祈願、鵺に化身して久万山の夜霧に乗って京に飛ぶ
 紫宸殿に頼政が鵺を射落すと二箆赤蔵ヶ池の水が真赤になったという。
 二箆とは二(ふたつ)箆(の)で、箆は矢竹の意、その二つの矢竹が地名となった。ここの矢竹は節のそろった竹が二本ずつ出来るので双生矢竹、夫婦竹といわれる。
ヤダケの特色
1.笹の一種で竹の種類ではない。
2.皮が竹のように落ちないで、いつまでもついている。
3.一節から枝が左右に出る。どの枝も同じ方向で出るので扇形をしている。
4.葉がしのべ竹より広くてつやがよい。
所有者 美川村
文化財指定 昭和48年2月21日
美川村教育委員会
★双生矢竹の保存地は、黒藤川方面から登る道を進み、二箆の集落の入り口にある。
★赤蔵ヶ池まではここから5.9km。
★以前は、二箆小学校にも双生矢竹が生えていたらしいが、現存しないとのこと。

源頼政の鵺退治【美川村黒藤川 二篦】
 頼政の母は、寺町加賀守宗綱の女である。宗綱伊豫親王の子浮穴四郎為世の孫であり、京都にて任官し、加賀守となった。
 母はいつも「我が源家は清和天皇の末裔で次々と武将を生み出し、その威厳は他家に匹敵するものなし。しかし今や平氏が我が家の威厳を奪い、源家一族は衰退の一途を辿っている」と考えていた。都に居て平氏の栄華を見聞きすることは忍ばれないと家綱に依って当国にやってきて、二箆に移り、幽居した。
 そこには、矢竹にするのに丁度良い双生の竹があった。この竹を伐り矢を作ったことが二ツ野の名の由来という。(何時頃から二箆という字をあてるようになったのだろうか?)
 母も自ら矢を作り、京都にいる頼政のもとへと送り、「射術は武勇のたしなみであり、これに勉めること」と次げた。やがて母は病に臥し、危篤状態に陥った。そのとき赤蔵ヶ池に住むという怪鳥〜猿の頭、狸の胴体、蛇の尻尾、虎の爪(肢)、声はトラツグミに似た〜が母のもとへとやってきた。そして夜に飛び去った後、今度は京都にこの鳥が出現した。天皇の寝室の上でやかましく鳴くので頼政を召して射るよう命じた。頼政は母の作ってくれた矢でこの鳥を見事に一発で射抜いた。時を同じくして、母は息をひきとった。それ以降怪鳥も赤蔵ヶ池に来ることはなくなったという。仁平3年4月7日の夜のことであった。

長者屋敷【美川村黒藤川 二篦】
源頼政の母の住居跡と伝えられる。二箆に2ヶ所有り。

七鳥の地名の由来【美川村七鳥】
以下の7つの鳥が生息することから名付けられたという。
@三光鳥〜"日月星"と鳴く
A慈悲鳥〜"慈悲"と鳴く
B三宝鳥(仏法僧)="仏法僧"と鳴く
C鴻鳳鳥(おおとり)
D鈴鳥
E濃志居婦鳥
F杜鵑(とけん)=不如帰(ほととぎす) ※この他、子規、蜀魂、思帰鳥、望帝などとも書く。

姥神さま【美川村】


キャンプ

海水浴

人物

その他

美川スキー場【美川村 日野浦】
・標高 1,100m, 面積 15ha
・ROUTE33
・駐車場:1000台以上
・貸しスキー:1000台
★美川スキー場は閉鎖されている。掲載情報は過去の記録として書き留めているに過ぎない。
白銀荘
・最大110名収容
大谷山荘
大川嶺山荘
観光会館
スキーカーニバル(2月11日)
・初心者向きスキー教室、宝探しなどの催し物が開かれる。
アドベンチャーフェスティバル(5月下旬)
・パラパント、野外コンサート、バーベキューなどが催される



《References》



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