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伊予の隅々
こたろう博物学研究所
市町村別情報庫
久万高原町
(旧・久万町)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要
北海道・丸瀬布町と姉妹町村提携。小学生交流体験事業・職員人事交流を行っている。→市町村合併以降はどうか。

キャッチフレーズ
(1).「自然と共生する高原文化のまち」

町の花 町の木 町の花木 町の鳥
ササユリ 杉(すぎ)

特産物
トマト
木材
久万山漬
・土づくりから加工に至るまで、一貫した手作り製法の漬物。大根や白ウリなどの昔懐かしいお袋の味。
ささゆりのしずく
久万高原に可憐な花を咲かせるささゆりの芳香をあしらったオーデコロン、香り玉、芳香剤

沿革
久万町へ 明治22年市政町村制施行 藩政時代
久万町(昭和34年3月31日合体) 川瀬村 直瀬
上畑野川
下畑野川
久万町(昭和18年9月1日合体) 明神村 東明神
西明神
入野
久万町(大正13年2月11日合体) 菅生村 菅生
久万町(明治34年8月20日町制) 久万町村 久万町
上野尻
下野尻
久万町(昭和34年3月31日合体) 父二峰村 露峰
二名
父野川


地名
大字
東明神 三坂、樅ノ木、高山、皿木、横通、野地、中、本上、山神、本下
西明神 北条、槙ノ川、栄谷、沖、高殿1、高殿2、仰西[こうさい]
入野 新開、梶山、影、日ノ地、駄馬1、駄馬2、春日台、新春日台1、新春日台2
久万町 住安町上、住安町中、住安町下、本町、桂町、福井町上、福井町下、曙町1、曙町2、曙町3、古町、辻上、辻下、緑ヶ丘、旭ヶ丘
上野尻 上高、大谷、上野尻1、上野尻2、上野尻中、上野尻下、北馬頭
下野尻 日切、下野尻
菅生 中ノ村1、中ノ村2、中ノ村3、宮ノ前、中通、中ノ上、中ノ下、東国、北村 
、槻ノ沢、中通3、宮ノ前2、槙の谷
上畑野川 東河之内、西河之内、東明杖[ひがしあかづえ]、西明杖[にしあかづえ]、宝作、岩川、上西之浦、下西之浦
下畑野川 上田、中村(畑)、上河合、東河合、西河合、柳井、新狩場、西峯、上狩 
場、南狩場、東狩場、紅吉、嵯峨山
直瀬 房代野、上永子、下永子、上之段、下之段、仲組(久保)、仲組(庵)、仲組(大西)、仲組(鳥越)、仲組(直)、竹屋敷、下沖、古宮、東組、駄馬(直)、中通(直)、吉久、西之川(直)
二名 永久、徳好、宮成、森田、由良野、東条、黒沢、中条、上厚、帯石、富重、瀬戸
露峰 橋詰、西ノ川(父)、中村(父)、中組(父)、若宮、落合
父野川 大久保、馬ノ地


文化財

旧石丸家住宅主屋【久万町 ふるさと旅行村】
・国登録有形文化財(平成14年)
・江戸時代後期の建築物。入母屋造り、三間取り。

土蔵【久万町 ふるさと旅行村】
・国登録有形文化財(平成14年)
・明治3年(1870)の建築物。木造2階建。

極楽堂【久万町 ふるさと旅行村】
・国登録有形文化財(平成14年)
・明治31年(1898)の建築物。

旧渡辺家住宅主屋【久万町 ふるさと旅行村】
・国登録有形文化財(平成14年)
・明治12年(1879)の建築物。木造平屋、入母屋造り。

隠居屋【久万町 ふるさと旅行村】
・国登録有形文化財(平成14年)
・明治38年(1905)の建築物。木造平屋、入母屋造り。

古岩屋【久万町直瀬】
2002/12/23
・所有者:久万町
・国指定名勝(昭和19年11月7日指定)
町観光スポット21選(平成17年(2005) 久万高原町選定)

「荏原より三、四里も有べきか、千峰万谷、深山遠郷、羊腸たる路を凌ぎ薮を行けば、小笹は茂り、次行最行東西、登り登りて久万山と云所あり、町並数多建続て豊饒なり、家居は城州宇治とも云ども是にはいかて増べきとも思はれず、崑崙彭蠡に引かへて日々に充満せり、海辺遠しといへども魚鳥に匱乏せず、彼唐土建渓の茶を写したるか、煎茶諸国に出る也」(予陽郡郷俚諺集)
・崑崙:中国古代の伝説上の山。中国西方に位置し、黄河の源と考えられた。崑山。 「崑崙山脈」の略。
・彭蠡:ポーヤン湖の古代の名称。中国最大の淡水湖。長江の南岸に開けた江西省九江市に隣接する。

 高さ60〜100mの石柱群(礫岩峰)が天に向かってそびえ立つ。
自然が創り出したその神秘的な造形美は見るものを圧倒する。

三島神社拝殿(1棟)【久万町菅生 三島神社】
・所有者:三島神社
・県指定有形文化財(建造物、昭和37年11月1日指定)

三十三燈台(1基)【久万町菅生 大宝寺】
・所有者:大宝寺
・県指定有形文化財(工芸品、昭和39年3月27日指定)

菅生山【久万町菅生】

・所有者:大宝寺
・県指定名勝(昭和43年3月8日指定)
・大宝寺を中心とする境内地8ヘクタール。
・スギやヒノキの巨樹の立ち並ぶ。

仰西渠(こうさいきょ)【久万町西明神 仰西】
2002/7/14、12/23
・所有者:久万町
・県指定史跡(昭和25年10月10日指定)
町観光スポット21選(平成17年(2005) 久万高原町選定)

・長さ 約57m(トンネル部分 約13m)、幅 約2.2m、深さ 約1.5mの用水路。
・元禄年間(1688〜1704)(*1)に山之内彦左衛門(仰西)(*2)が、農業用水確保のために私財を投じてノミとツチだけで掘削した灌漑水路である。
・人夫確保のため、石の粉1升と米1升を引き換えるという方法をとった。
・掘削開始後、3年の歳月を費やし、渠は完成した。
・毎年、11月26日には、仰西を頌えるための祭りが行われる。

(*1)碑文では元禄年間とされているが、文献によれば明暦から寛文年間にかけてという。
(*2)山之内家の先祖は村上水軍の将・村上義弘という。
(*3)山之内仰西(慶長19年(1614)〜):本名 光実(みつざね)。久万町村の造り酒屋である山田屋の主人・山之内光則(みつのり)の次男として生まれる。
→「愛媛 子どものための伝記 第3巻 森盲天外・山之内仰西・広瀬宰平」、愛媛子どものための伝記刊行会、昭和58年10月4日、(財)愛媛県教育会
仰西渠之碑
・国道33号線沿いの小高い岡の上に記念碑がある。
・明治10年(1877)9月に建立され、明治17年に現在の場所に移された。
藤野正啓撰。
・「仁人之沢 百世悠久 巌渠不竣 翁名無朽」と仰西を称える碑文が刻まれている。
・「里民のために永世の利を計る。資を損て、工を鳩め、崖を穿ち渠を開き、本流を分って、以て之に灌ぐ。中間峻厳に遇う。すなわち窟を穿つ。窟の長さおよそ三九尺、広さ四尺、深さ之にたたふ。渠の長さおよそ一四八尺、広さ窟に同じ。三たび戯を閲して工を竣る....」

★「藤野海南(かいなん)=藤野正啓」だろう。

山之内仰西翁頌徳碑副碑【久万町 久万中学校下】

八幡神社本殿・拝殿(2棟)【久万町直瀬 八幡神社】
・所有者:八幡神社直瀬総代
・県指定有形文化財(建造物、昭和43年3月8日指定)

鰐口(1個)【久万町西明神 高殿神社】
・所有者:高殿神社
・県指定有形文化財(工芸品、昭和54年3月20日指定)

川瀬歌舞伎【久万町下直瀬】
・県指定無形文化財(平成12年4月18日指定)
・保有者:直瀬公民館

イヨダケ(スダレヨシ)自生地【久万町露峰】
・所有者:久万町
・県指定天然記念物(昭和24年9月17日指定)
・自生地は久万町露峰イヨス山(標高877m)の中腹750m北斜面あたり。
「伊予すだれ」記念碑【露峰旧道入口】
「.....明神村小倉強氏の所有となっておったが、昭和24年に文化財として顕彰保存の運動が起こり、小倉氏の犠牲的な篤志によって父二峰村に寄付せられ、同年天然記念物の指定を受けた.....」と記してある。

カヤの樹叢【久万町下畑野川 住吉神社】

・所有者:住吉神社
・県指定天然記念物(昭和54年3月20日指定)

東明神のコウヤマキ【久万町東明神】
・所有者:山之内一孝
・県指定天然記念物(昭和59年1月10日指定)

幽谷上人入定の地(ゆうこくしょうにんにゅうじょうのち)【久万町下畑野川】
1999/5/1
・町指定有形文化財[史跡](昭和47年6月23日指定)
・上人は阿弥陀寺の住職であったが、同寺奥の院の地下で寛永8年(1631)11月2日に入定した。地底から鉦の音が21日間聞こえたという。上人入定後、村人は奥の院をお霊屋(おたまや)と称して尊崇し、聖地として石畳の道を裸足で「裸足参り」するようになった。
幽谷上人の事歴
幽谷上人は戦国時代初期の弘治3年(1557)、伊予郡松前町に生まれ、浄土宗を修め南予で研鑚したが、後に霊地を求めてこの地に庵住し、山谷を跋渉して超人的な修行を積み、仏道の奥義を極めて、寛永4年(1627)阿弥陀寺を創定した。功徳の奇蹟は、人々を驚かし、尊崇帰依する者が甚だ多かったが、寛永8年(1631)75歳の時、奥の院の地下に入り入定した。
・上人の徳化はこの地方に至大の影響を興え、お十夜盛りの祭祀や、阿弥陀寺の相撲は昭和の始め迄盛大であった。また地方の子供を集めて寺小屋を開き、学修の指導に力を入れ、その学統は明治大正の時代に及んだ。人々の上人に捧げる畏敬賛嘆の念は、今も多くの伝説となって語り伝えられている。
はだし参りの参道
・お霊屋(たまや)へお参りする石畳道で、白砂を敷き詰め、清浄な霊地としてはだしてお参りした。明治の頃まで樹木が鬱蒼と茂り、霊気が身にしみる参道であった。
行場(ぎょうば)
・上人が座禅を組み修行するため自ら建造したもので、周囲は石で囲み、屋根は緑泥片岩の板石で葺き、自然の洞穴を象ったもので、昭和47年に修復した。
・傍らの窪みは閼伽の水を汲んだところである。
名号石(みょうごうせき)
・堅質の安山岩に南無阿弥陀仏の六字の名号が彫り込まれ、宝珠の彫り添えられたものもあって行場の正面と参道にも建てられている。上人が指で彫ったものと伝えられ、今は苔むしているが、その字体は霊感ほとばしるが如く独得無比のもので、書道の上からも尊重されている。
墓碑と五輪の塔
・上人入定後に建てたお墓がある。五輪の塔は供養のためのもので古い様式を象っている。
幽谷上人霊廟
・奥の院として上人が建てたもので、後人が霊廟として尊び鞘堂を設けたので朽敗することなく、火災も免れて当時の建造を伝え、床下には建築の時に設けた上人入定の壕がある。
・正面の扉には上人修行の地の遍路の書き付けが判読される。
・今の霊廟は再建したものである。

住吉神社俳句の額【久万町下畑野川 住吉神社】
・町指定有形文化財[書跡](昭和53年7月13日指定)

旧土佐街道里程標(里塚石、3基 )【久万町東明神・入野・菅生】
・町指定有形文化財[史跡](平成9年10月8日指定)

神殿神社随神一対【久万町西明神 高殿神社】
・町指定有形文化財[彫刻](昭和47年8月25日指定)

五社神社本殿【久万町直瀬 五社神社】
・町指定有形文化財[建造物](平成13年4月11日指定)

絵馬【久万町菅生 三島神社】
・町指定有形文化財[民俗文化財](平成13年4月11日指定)

菅生山大宝寺三十番神【久万町菅生 大宝寺】
・町指定有形文化財[工芸](昭和39年1月15日指定)

金剛力士像【久万町菅生 大宝寺】
・町指定有形文化財[彫刻](平成7年8月9日指定)

掘り出し観音【久万町菅生 大宝寺】
・町指定有形文化財[工芸](平成3年5月10日指定)

芭蕉塚【久万町菅生 大宝寺】
・町指定有形文化財[石碑](平成3年5月10日指定)

宝篋印塔【久万町菅生 大宝寺】
・町指定有形文化財[工芸](平成3年5月10日指定)

久万山絵図【久万町菅生】
・町指定有形文化財[絵画](昭和63年5月12日指定)

大除城主大野直昌の位牌【久万町菅生】
・町指定有形文化財[彫刻](昭和49年12月17日指定)
・所有者:槻ノ沢組

陣鐘【久万町菅生】
・町指定有形文化財[工芸](昭和53年8月25日指定)

上畑野川郷土芸能保存会(万才)【久万町上畑野川】
・町指定無形文化財(昭和54年4月17日指定)
・保有者:上畑野川公民館

住吉神社獅子舞保存会【久万町下畑野川】
・町指定無形文化財(昭和54年4月17日指定)
・保有者:住吉神社氏子

父野川万才保存会(万才)【久万町父野川】
・町指定無形文化財(昭和54年4月17日指定)
・保有者:父野川公民館

あけぼの会(万才)【久万町直瀬】
・町指定無形文化財(昭和54年4月17日指定)
・保有者:上直瀬公民館

五社神社獅子舞保存会【久万町直瀬】
・町指定無形文化財(昭和54年4月17日指定)
・保有者:上直瀬部落

下直瀬獅子舞保存会【久万町直瀬】
・町指定無形文化財(昭和54年4月17日指定)
・保有者:下直瀬部落

ケヤキ【久万町直瀬 八幡神社】
・町指定天然記念物(平成11年2月15日指定)

イブキ【久万町直瀬】
・町指定天然記念物(昭和53年7月13日指定)
・所有者:石丸雄二郎

イチョウ【久万町直瀬 浄福寺】
・町指定天然記念物(平成2年8月7日指定)

ヒイラギ【久万町直瀬】
・町指定天然記念物(平成2年8月7日指定)
・所有者:石山剛

法蓮寺のシダレザクラ【久万町露峰 若宮 法蓮寺】
・町指定天然記念物(昭和59年10月11日指定)

シカラシ【久万町露峰 大元八幡神社】
・町指定天然記念物(昭和59年10月11日指定)

やぶ椿【久万町露峰 大元八幡神社】
・町指定天然記念物(昭和59年10月11日指定)

コナラ【久万町露峰】
・町指定天然記念物(昭和59年10月11日指定)
・所有者:亀岡石五郎

桂【久万町露峰】
・町指定天然記念物(昭和53年7月13日指定)
・所有者:井口憲一

シキミ【久万町二名】
・町指定天然記念物(平成11年2月15日指定)

ミズメ【久万町入野】
・町指定天然記念物(昭和59年10月11日指定)
・所有者:丸山茂

枝垂檜【久万町下畑野川】
・町指定天然記念物(平成7年8月9日指定)



城址

大除城跡(おおよけじょうあと)【久万町菅生 槻之沢(けやきのさわ)】
・久万の平地部の東に聳える標高約690mの山頂に、土佐軍の侵入を防御するために湯築城主・河野氏が築いた大除城があった。
・この山は南面が砕石採取で大きく削られているので、すぐに判別することができる。
・城の名前は、「大いに敵を払い怨を除く」の意をもってつけられた。
・城主として喜多郡の宇津城主・大野氏を迎え、直家・利直・直昌の三代続いた。

大除城址 東明神村にあり 河野家の将大野山城守直昌という人 天文の頃土佐一条家の兵を防ぎ新たに城塞を久万山に築きて大除と名づく 敵兵の害を除くの義にとると云えり」(愛媛面影)

 ※大野安芸守直家大野山城守直昌(おおのなおしげ)

★「四国のみち」の歩道沿いに「大除城の跡」と記された案内板が建っている。その内容は以下の通り。 (2002/7/14)
「大除城は、天文年間(1532〜1554年)に、道後湯築城主の河野氏が、土佐の長曽我部一族の侵入を防ぐためにこの前方の山頂に築いたものです。以後、城主の大野家は3代にわたり繁栄しましたが、天正13年(1585)に秀吉の命を受けた小早川隆景軍に河野氏が降伏し、大除城を明け渡したのです。」
 
物見櫓跡
大除城より北東に約200mの位置にある。標高は約710m。

笠松城【久万町東明神 本組】
2002/7/14
鶴原和泉守居城。
・笠松山にあった。

船山城【久万町東明神 横通】
2002/7/14
船草出羽守居城。
・屋敷は、東明神の(現字名不詳)というところにある。
・船山にあった。

越木ヶ甫気城【久万町西明神 栄谷】
山内丹波守居城。

天神森城【久万町入野】
梅木但馬守居城。

上之段城【久万町上畑野川 真畑】
武智近江守居城

高薮城【久万町上畑野川】
船草五兵衛居城。

筋野城【久万町直瀬 永子】
小倉丹後守居城。

勝山城【久万町直瀬 仲組】
鳥越左門居城。

龍ヶ岡城【久万町直瀬 下組】

重藤の城【久万町直瀬 下組】

池峠城【久万町上野尻】
渡辺左馬助居城。

野尻館【久万町上野尻】
山口豊前守山口順甫が居た。

柳小路館【久万町上野尻】
大家又兵衛が居た。

下野尻番所【久万町下野尻】

槻澤大代家城【久万町菅生 槻ノ沢】
大野直重居城

沖屋敷【久万町菅生】
露口清左衛門居城。

尾首城【久万町露峰 落合】
長尾城とも云う。
尾首掃部直幸が居城。

眉見城【久万町父野川】
眉見某が居城した。
・この人が大蛇を射たところ、屋敷が裂けてしまったため、そこを立ち退いた。その屋敷跡の釜屋と思しきあたりにその割れ目が残っている....と大洲旧記に記されてようである。
・「真弓古城」とも称される。

虎太郎城【久万町二名 永久】
丸山城とも云う。
中村伊豆守が居城。

片山城【久万町二名 宮成】
宮田右京進源道俊が居城。
道俊は東国の士であり、戦いで利を失って伊予にやってきた。河野家に頼み、度々河野領を犯す土佐勢を抑えるため片山城を与えられた。
・土佐勢が仁淀川を攻め登ってきたとき、道俊は防戦の末討死した。そして道俊の子四郎右衛門が城を相続した。
・戸田民部少輔所領のとき、四郎右衛門の子九郎兵衛が二名村の庄屋となった。
宮田右京進の墓が片山城の麓にあるという。

飯森城【久万町二名】
片山城の属城で、寄騎8人(土居伊豆、竹鼻上総、竹内彌六、井手上讃岐、東市之助、岡田善助、宮下雅楽、中屋三郎兵衛)が在番した。



遺跡

笛ヶ滝遺跡【久万町】
・笛ヶ滝公園内にある池の背後の丘陵にある。
・十字形石器、三叉形石器といった、九州的な色彩の濃い石器が出土している。

山神遺跡【久万町】
・久万カントリークラブ内にある。ゴルフ場建設に伴い、昭和48年('1973)に発掘調査された。
・舌状に延びた段丘から、三基の環状列石が検出された。その内の1基の環状列石内からは体高125cmの雄の小型馬が埋葬されていた。
・縄文後期から晩期前半にかけての遺構と見られる。



古墳

大宝寺【久万町菅生】→久万高原町菅生2-1173-2

・四国八十八ヶ所霊場第44番札所
→久万町誌、pp.232
町観光スポット21選(平成17年(2005) 久万高原町選定)

・所在地 :愛媛県上浮穴郡久万町字菅生1173
・電話番号:0892-21-0044
・山号:菅生山
・宗派:真言宗豊山派
・本尊:十一面観世音菩薩
・開基:明神右京・隼人
・大宝年間(701)、百済の僧侶が渡来して、この地にお堂(草庵)を建てて、奉持した十一面観世音像を安置したのが始まりとされる。
・弘仁年間(810〜824)に弘法大師が来訪し、堂塔を整え開創したという。
・根廻り10m級のスギ、ヒノキが立ち並んでいる。

「菅生山大覚院大宝寺、真言宗、本尊十一面観音立像、御長四尺五寸、天竺より三国渡来、弘法大師殊に感入給ひける尊像也、…」(予陽郡郷俚諺集)
 
三十三燈台 (1基)
・県指定有形文化財[工芸品]
菅生山大宝寺三十番神
・町指定有形文化財[工芸](昭和39年1月15日指定)
金剛力士像
・町指定有形文化財[彫刻](平成7年8月9日指定)
掘り出し観音
・町指定有形文化財[工芸](平成3年5月10日指定)
芭蕉塚
・町指定有形文化財[工芸](平成3年5月10日指定)
宝篋印塔
・町指定有形文化財[工芸](平成3年5月10日指定)

★息子のSが山門前に積み上げた石を足で蹴飛ばして家族の顰蹙を買う。そのバチが当たったのかどうか、帰りに参道を下るとき豪快にすっころんで大泣きする。

岩屋寺【久万町/美川村】

・四国八十八ヶ所霊場第45番札所
・電話番号:0892-57-0417
・山号:海岸山
・宗派:真言宗豊山派
・本尊:不動明王
・開基:弘法大師 ※弘法大師が42歳の時に開基したと伝えられる。

「海岸山岩屋寺 七鳥村菅生山より七十五町有、所謂奥院是也、 弘仁六年空海開基、本尊不動明王、…

八葉峰、鈴嵩明王の峯乾嶽、古岩屋権現峯同所、白山権現峯西峯、是より望めば河波、讃岐の海見ゆる、別山権現峯同所、高祖権現峯同所、蘆原権現峯同所、権現峯同所、不捨山阿弥陀峯西南峯、金仏、善女龍王峯、一説に如此ともあり、是非弁へがたし、大那智権現峯抻岳、白山権現峯、別山権現峯、高祖権現峯、小森権現峯東峯金社、古岩屋権現峯、龍地権現峯南岡、麓の河水より龍燈を挑けて南西の桜にかかると云ふ、
味方権現峯、…」(予陽郡郷俚諺集)
※「河波」は明らかに阿波の誤植であろう。

永仁寺【久万町二名2101】
・宗派:真宗大谷派
・山号:無量山
・院号:内照院
・本尊:阿弥陀如来
→久万町誌、pp.233

晃光寺【久万町西明神 大上】

高山寺【久万町東明神1225 茶屋駄馬】→久万高原町東明神1225
・宗派:真宗大谷派
・山号:獅声山
・本尊:阿弥陀如来
→久万町誌、pp.231
→文化財物語〜学制発布百年記念〜、愛媛県上浮穴郡久万町教育委員会編、昭和48年2月

浄福寺【久万町直瀬】→久万高原町直瀬1268
1999/5/1
・宗派:臨済禅宗
・山号:慧光山
・本尊:釈迦如来
→久万町誌、pp.234
イチョウ
・町指定文化財(平成2年8月7日指定)
・樹高22m、周囲5m、樹齢約200年

正法寺【久万町久万】→久万高原町久万1485
・宗派:日蓮宗
・山号:一兼山
・本尊:日蓮上人
→久万町誌、pp.232

定禅寺【久万町上畑野川(?)】
・今でもこの寺が残っているかどうかは定かでない。
・伊予温故録に「上畑野川村上ノ山に在り 土岐頼政の位牌あり 古跡のよしいひ傳ふれども詳かならず」とある。柳谷村の大寂寺にも「土岐頼政の位牌」があるという。果たして源頼政は上浮穴で生涯を閉じたのであろうか。ちょっと待てよ。「土岐頼政源頼政」という思い込みはよろしくない。→「ふるさと浮穴」を再読。

善通寺【久万町下畑野川】→久万高原町下畑野川545-1
1999/5/1
・宗派:臨済宗東福寺派
・山号:永隆山
・本尊:十一面観世音菩薩
→久万町誌、pp.233

馬頭寺【久万町上野尻251-2】
・宗派:真言宗醍醐派
・本尊:馬頭観世音菩薩
→久万町誌、pp.232

福城寺【久万町二名】→久万高原町二名1848
・宗派:真言宗豊山派
・山号:擁護山
・本尊:釈迦如来
→久万町誌、pp.233

法然寺【久万町久万】→久万高原町久万620
1999/5/1
・宗派:浄土宗知恩院派
・院号:口称院
・山号:万徳院
・本尊:阿弥陀如来
→久万町誌、pp.231

・法然上人が、建永2年(1207)に、都から土佐国へ流されそうになったときに、その弟子が身代わりになって土佐へ行き、赦免されて帰る途中に久万にこの寺院を建立したという。(「愛媛 子どものための伝記 第3巻 森盲天外・山之内仰西・広瀬宰平」、愛媛子どものための伝記刊行会、昭和58年10月4日、(財)愛媛県教育会)
・慶長年中、加藤嘉明の家老・佃十成が創建したと伝える。
★すっかり荒れている様子。それとも草木萌える季節なので境内の木々が枝を伸び放題に伸ばしているだけか?
★町の住宅地内にある立派な門構えの寺なのだが、本堂前にはゴミくずが積み重ねられている。勿体無さを感じずにはいられない。
★創建に纏わる話はどちらが本当なのか?佃十成は中興したのか?

法蓮寺【久万町露峰 若宮】→久万高原町露峰1431
・宗派:曹洞宗永平寺派
・山号:花谷山
・本尊:釈迦如来
→久万町誌、pp.233
シダレザクラ


神社

大元八幡神社【久万町中組】

葛城神社(かつらぎじんじゃ)【久万町二名】
1999/,2000/6/10

鴨宮(加茂宮?)【久万町直瀬】
1999/5/1
★直瀬に住む「小倉さん」がこの名前を教えてくださった。漢字でどう書くのかはわからないが、「かものみや」と呼んでいるらしい。

河上神社【久万町二名 上厚】
・祭神:素盞鳴尊
・享保8年(1723)、京都祇園から牛頭天王の分霊を勧請し、牛頭天王と称し、悪病除けの神として祀った。
・嘉永6年(1853)8月、水害のため流出。このため現在地に移転、社殿を造営した。
・明治6年4月、社号を河上神社と改称した。
→久万町誌、pp.226

河内神社【久万町東明神 茶屋駄馬 甲1266】
・祭神:素盞鳴尊、大市比売命、弥都波能売命、猿田毘古命、大己貴命、少彦名命、来名戸祖神、軻遇突智神
・口碑によれば、昔社殿が洪水で流失したことがあり、その際、荒れ狂う濁流の中に神霊が出現したので、当時の国司・小千宿祢玉興が社殿を建立した。
・東明神の高畑山に天日光天皇の御陵が作られたとき、その御陵の遥拝所として設けられたのが河内神社であるともいわれている。
→久万町誌、pp.226
→文化財物語〜学制発布百年記念〜、愛媛県上浮穴郡久万町教育委員会編、昭和48年2月

久万伊勢大明神【久万町久万 503】
・祭神:天照大神、豊受大神
→久万町誌、pp.226

五社神社(ごしゃじんじゃ)【久万町直瀬】
1999/5/1
→久万町誌、pp.230
五社神社本殿
・町指定有形文化財[建造物](平成13年4月11日指定)
真名井神社
・五社神社境内。
・古くから「八社さん」の名で親しまれてきた。
・平成16年(2004)10月20日の台風23号で全壊。
・平成17年(2005)5月29日再建。
(以上、「地域の財産 協力して再建 五社神社・真名井神社 台風被害から7ヶ月」、愛媛新聞、2005/5/31)
ツガ
スギ
★伊勢神宮と同じ祭神か?
★地元の人の日参が多いのには驚く。それほど、氏神信仰が根強く残っているということか?それとも単に朝早く神社に訪れたからそう感じるだけなのか?
★「神寄■五社神社」という神額が架かっている。(■:窓の心が木となっている。)
★赤穂浪士だろうか、多くの奉納額が架かっている。
★樹叢はかなり豊かで、杉の高木が林立している。

金刀比羅神社/総河内神社【久万町上畑野川明杖】
1999/5/1
・慶應二丙寅年三月の銘の入った奉納俳額有り。
★参道の階段下の広場では、老婆が三人、ゲートボールに興じていた。

金刀比羅神社【久万町西明神 金刀比羅山398】
・祭神:大物主神
・元文5年(1740)西明神大上組晃光寺境内にあった社を、庄屋・梅木弥五右衛門が寛保元年(1741)に現在地に移転したと伝えられる。
→久万町誌、pp.227
縁日(10月10日)の奉納相撲
・素人大相撲の奉納が盛んであったが、現在は子供相撲が奉納されている。
金刀比羅山からの10景
・元文6年(1741)、菅原陳護によって詠われた。
@里村暮煙、A水田夜雨、B土城夕照、C菅峰晩鐘、D長谷川蛍、
E北山晴嵐、F高野秋月、G遠伴貴賤、H広里落鳥、I西山暮雪

金刀比羅神社【久万町二名 中条】
・祭神:大物主命、金山彦命、大己貴命、菅原道真命、素盞鳴尊
・享保2年(1717)3月10日、金刀比羅宮を遷宮して福徳の神として祀る。
・嘉永元年(1848)2月、社殿を改築。
・明治6年、金刀比羅神社と改められた。
・明治42年4月、八坂神社、天満神社、八幡神社を合祀した。
→久万町誌、pp.228

金比羅宮【久万町直瀬】
1999/5/1
★年2回、2月11日と秋(11月)に火祭りという祭りを行っているらしい。仁淀村(だったかなぁ..)にある秋葉神社へ輪番制で2人が御札をとってきて神社に奉納した後、寄り合いをするらしい。

須我神社【久万町直瀬 駄馬】
・祭神:牛頭天王、素盞鳴尊、稲田姫命
・天王宮とも称する。
→久万町誌、pp.231

高殿神社(こうどのじんじゃ)(神殿神社)【久万町西明神 高殿267】
2002/7/14
・祭神:高御産巣日神、本勝国勝長狭命、雷神、大山祇神、高おかみ神、明神右京要神
明神右京が日向の高千穂にある高殿より分霊を移して祀ったという。
→久万町誌、pp.227
鰐口(1個)
・昭和54年3月20日に県指定有形文化財(工芸品)に指定された。
明治43年三嶋神社合祀記念碑
・三嶋神社の神名石に「明治43年」「合祀記念」を掘り加えたものと思われる。

住吉神社(すみよしじんじゃ)【久万町畑野川】

・祭神:表筒男神、中筒男神、底筒男神、息長足姫命
・天正年間(1572)に大野直昌によって造営された。
・「数百年前、大阪堺の神官当住吉神社の神霊を奉じて上畑野川字岩川組に来た時、病に罹って東浦の小さい石上に憩いしところ、隣家である山内吉郎右衛門の祖先気の毒に思いかいほうしたが遂に病死した。後神霊を古戸神と崇め祀りその後現在地に遷宮した」(社記)
・「天文十六年、住吉大明神舞殿造立再建」(棟札)
→久万町誌、pp.229
榧(カヤ)の樹叢
・県指定天然記念物(昭和54年3月20日指定)。
奉納俳額
・安永5年(1776)に奉納されたもの。

総河内神社(そうこうちじんじゃ)(金刀比羅神社)【久万町上畑野川】
・祭神:天忍穂耳命、活根彦根尊、市杵島姫尊、天穂日尊、熊野杼樟尊、天津彦根尊、瑞津島姫、田心姫尊
→久万町誌、pp.230
奉納俳額
・安政3年(1856)上畑野川の農民達が奉納した百句にのぼる二面の俳額。
・松山藩の家老・俳人、奥平鶯居(おくだいらおうきょ)が点者となって奉納した。
・農民俳諧の地方的師匠、稲田尾白(いなだびはく)を始めとした上畑野川の人々の俳諧が多く残されている。

露口大明神[耳戸明神]【久万町露峰(?)】
露口左京(隼人)を祭る。

天満神社【久万町入野 天神477】
・祭神:菅原道真
・天正年間に祀られたものと思われる。
・昭和19年頃に焼失。
→久万町誌、pp.227

堂山神社【久万町直瀬 中通】
・祭神:摩利子天、金山彦命、天村雷神、猿田彦命
→久万町誌、pp.230

八社大明神【久万町奥河之内】
 
奉納俳額
・慶応2年(1866)、久万俳壇の指導者、相原如江(あいばらじょこう)選の五十句の俳額が奉納されている。

八幡神社【久万町露峰 大元森】
・祭神:田心姫命、瑞津姫命、市杵島姫命、誉田別命、大帯姫命
・合祀:天菅穂積命
→久万町誌、pp.229

八幡神社【久万町直瀬】
1999/5/1
・県指定文化財(昭和43年3月8日指定)
・八幡神社は鎌倉時代の創祀と伝えられる。現在の社殿は寛政元年から2年に亘って築造されたものである。本堂は鞘堂によって古風を伝える素朴さが守られており、拝殿も簡素ななかに習合の平安期の曲線風や鎌倉期の唐様の感じられる部分があり、内部構造の特徴もこの時代のものとしては珍しい棟梁が地元であり、よく古風を守ったと察せられる拝殿の屋根裏から寛政元年の号を記した尺杖が発見され、確証・指定に至った。
→久万町誌、pp.230

★樹叢も非常に良い状態で残っている。
★郵便局横から東へ堂山神社参道の看板が立っているが、所在不明。
 
ケヤキ
・町指定天然記念物

三島神社【久万町菅生】
1999/10/23
・祭神:大山祇神、雷神、高おかみ神、大雀命、五男三女神
・参道には「弘化三丙午年九月」の狛犬2体が佇む。
・宝亀年中(宝亀4年(733? 773?))、大三島の大山積神社をこの地に勧請した。
→久万町誌、pp.228
拝殿
・昭和37年11月1日、県指定文化財に指定された。
・慶長8年(1603)に再建されたもので、慶長年間の建築様式を遺す。
御神木:千年杉
・目通り周囲:6.6m
・推定樹齢:800年
杉の巨木
・参道の階段を上がりきったところには、両側に神木らしき大杉が立っている。また、社殿の後方を取り囲む社叢林の一角、拝殿に向かって左側に「地元選択精英樹」(上浮穴林研グループ連絡協議会、平成3年)に指定されている大きな杉が立つ。
三島神社氏子館
三島神社拝殿文化財指定記念碑
 本殿は社伝によれば宝亀4年・西紀733年、大三島なる大山祇神の御分霊を勧請し、久万郷並びに小田郷の総氏神としてまつったことに創り、爾来実に1200年の古社である。
 旧社殿は慶長8年、佃十成公の修造にかかる桃山様式の建築である。其後、貞享年間に大修理を加えたが害われることなく現存し、県下稀にみる貴重な古建築と稱せられ、久万町の文化財に指定されている。近年腐朽甚だしく為に大修理の必要にせまられるに至り、関係者の間でしばしば協議を重ねた結果、この由緒ある社殿を解体修理し、県の文化財の指定を受けることに決し、その目的達成のため、昭和33年2月復興奉賛会を組織した。
 その後紆余曲折はあったが、遂に同36年9月着工の運びとなる。途中種々困難に出会ったがこれ克服して、翌37年6月竣工し、同年11月1日、県より指定を受け初志を貫徹した。この工事に要した総経費は約1000万円である。この復興によってえ神威いよいよあらたかに郷士の総鎮守としてながく氏子はもとよりひろく郷土にその恵沢をたれたもうことを祈念してその来由を石に刻し後世に伝えるものである。
 昭和37年11月吉日 宮司 土居重喜 謹誌 祢宣 辻田盛雄
高岡貞一郎翁頌徳碑
・碑文は愛媛県知事・久松定武の書。
・昭和37年10月に建立された。
・三島神社氏子館の横に建つ。
三島神社御鎮座1200年記念碑
・駐車場脇の小川の横に建つ。
井部栄治が昭和48年7月に建立した。
土居重喜先生顕彰碑
土居重喜は三島神社宮司であった。
・碑は昭和57年11月29日に氏子一同により建立された。
五神太鼓
・7月下旬の三島神社夏祭で競演される。
・戦国時代に上浮穴地方を治めた大除城主・大野直昌の故事に着想して、1994年に創作されたもの。

御調神社【久万町父野川 馬野地】
・祭神:倉稲魂命、保食神、雅霊神
・合祀:来名戸祖神、級長津彦紙、級長戸辺神、伊弉諾神、伊弉冉神、天満尊、天照大神、月夜見神、大日霊貴、大己貴命、少彦名命
→久万町誌、pp.229

山神神社【久万町露峰 サンジンボウ】
・祭神:大山祇神
・和銅元年(708)8月25日〜神亀3年(726)の間で、大三島の大山祇神社より勧請したものであるといわれる。
→久万町誌、pp.229

龍神社【久万町東明神 樅ノ木 龍神平】
・祭神:知多津美神、大龍神、雷神
・藩政時代、久万山代官所の雨乞い祈願所として創立された。
→久万町誌、pp.227

龍神社【久万町直瀬 駄馬】
・祭神:知多津美神、少龍神
・この淵には白蛇が住んでおり、金気を嫌うといわれるところから、金物を淵に投げ込むと大雨が降ると伝えられる。
→久万町誌、pp.231


お堂

お久万大師堂【久万町住安町】
・当初、久万町古町に建てられていたが、昭和43年(1968)に住安町の伊予鉄バス久万営業所東側に移転改築した。
 
お久万の伝説

地蔵堂(浄福寺)【久万町下直瀬】




地蔵

瀬戸新四国八十八ヶ所【久万町二名 瀬戸】
2000/6/10
町観光スポット21選(平成17年(2005) 久万高原町選定)

久万「瀬戸新四国八十八ヶ所」の由来
「ここ久万町大字二名瀬戸部落は、古来より十五戸余りの集落であった。約百五十年の昔、この地にはやり病が蔓延した折、お大師様をまつり息災を念じた処その霊験によりたちどころに平癒したと伝えられ、爾来ここは大仏谷と称され霊地として崇められていた。
 その後明治時代終り頃、原町村宮内(砥部町)に住む越智カメ女が発心し奉賛を呼びかけて、上尾峠の青石による石仏を奉納したと伝えられている。
 大正年間に入り、富重部落の渡部四郎三郎氏らの■進により御本尊様を囲んでの新四国八十八ヶ所建立となり、大仏谷周辺に篤信家奉納の石仏が建立されたのである。
 そののちこの新四国の石仏は、長らく忘れられていたかの如く風雪に打たれ、雑草に埋もれてしまっていた。これを昭和五十八年、地元の方々の発心と松山市徳風会の人々の御奉仕と山主の方々の御芳志により、同年九月十六日奉賛会員一同の念願がかない、開帳法要の運びとなったものである。
 以来、毎月十六日の縁日、そして九月十六日の大法要をはじめとして善男善女の参拝者は後をたたず、霊場に香煙のたゆることなく今日に至っているのである。」
と、久万町むらおこし事業実行委員会の建てた看板が県道沿いに立つ。

向かって右より、「瀬戸新四国八十八ヶ所」の碑、修行大師像、得徳院佛母禅定大姉石像(由来碑有り)、水子供養地蔵が建ち、八十八体の石仏が立ち並ぶ場所へと続く階段が左端にある。

石仏達は皆、赤や黄色の涎掛けを纏っている。




皿ヶ嶺【久万町/重信町】
1999/10/23、2000/8/12、2000/11/19、2001/5/13、2003/7/6
・標高1270.5m
 
竜神平
十字峠

引地山【久万町/松山市】
1999/10/23、2002/12/23
・標高1026.8m
・山頂は植林のスギに覆われ、景観は良くない。
 
パラグライダー発射場
・木製の発射台は朽ち果てていた。(1999/10/23)
引地山無線中継所
・ここからの道後平野の眺めは格別である。

陣ヶ森【久万町/重信町】
2000/11/19
・標高1206.9m

黒森山【久万町/松山市】
2002/7/14
・標高1154.2m
中の岳

船山【久万町東明神】
2002/7/14
・標高910m
船山城址

笠松山【久万町東明神】
2002/7/14
・標高868m
笠松城址

菊ヶ森【久万町上畑野川】
・標高:914.1m
伊予二名集に「菊ヶ森城在奥山、山之内若狭守 天正十三酉年落城」とある。
・久万町法然寺山内家過去帳に「初代山内二郎若狭守通政、天正二年河野氏滅亡後主従百余人と共に土佐より久万へ出て居住、天正十七年三月十五日没」とある。

餓鬼ヶ森【久万町上畑野川】
・標高:954.4m

桂ヶ森
2000/6/10
・標高:1224m

千本高原【久万町下畑野川】
1999/5/1、2001/4/22
・標高620m。
・菊ヶ森の東麓の山裾に広がる高原。
・昔は草競馬が催されたり、大正末期にはスキー場となり、愛媛スキー発祥の地とされる。
★「愛媛スキー発祥の地」の碑が三坂峠のドライブインの裏にある。
 
千本高原キャンプ場
・昭和46年、キャンプ場として整備された。
★何も無いところだが、名が通っているせいか、それともオートキャンプ可能ということなのか多くの人(といっても10数人といったところか)がテントを張って野営していた。['99/5/1]

石墨山【久万町/面河村(/川内町)】
2000/4/29、2001/7/22


鉱山

川・渓谷

有枝川
遅越の滝

直瀬川

久万川

露峰川


遅越の滝(おそごえのたき)【久万町明杖】
1999/5/1
皿ヶ嶺から南へ流れる有枝川の支谷、遅越の谷にある。
・高さ約24m。三段で、平均勾配約45度。
道路から300mほど山道を上ったところにある。案内の標が建っているが、見落としやすい。結局、あれこれ探していてもわからないので、仕事中の農家のおじさんに訪ねると、「ほれ、そこんとこを上がっていったらええわい」と教えてくれた。
★滝を見て帰ってくると「どうじゃったかな、暗いけん写らんかったろが。え、写った? ほじゃな、フラッシュたいたら大丈夫よな。」と奥さん共々、気さくに話し掛けてきてくれた。


ダム



風景

洞窟・鍾乳洞

樹木

法蓮寺のシダレザクラ【久万町露峰 若宮 法蓮寺】
・町指定天然記念物(昭和59年指定)
町観光スポット21選(平成17年(2005) 久万高原町選定)
・樹齢約150年、樹高約10m、幹周2.2m。
・樹齢約180年、樹高約8m、根回り約2m。(「大雪名物桜無残 久万高原・法蓮寺 樹齢180年枝折れる」、愛媛新聞、2005/12/23)
・12/17に直径約30cm、長さ約5mの枝など3本が、雪の重みに耐えきれず折損。(「大雪名物桜無残 久万高原・法蓮寺 樹齢180年枝折れる」、愛媛新聞、2005/12/23)




林道中組奥線
・幅員3.0m、延長1.5km。



三坂峠【久万町東明神】
1999/5/1
・標高720m。
・正岡子規も明治14年(1881)、明治22年(1889)の2回、友人と共に訪れている。
正岡子規句碑+漢詩(三坂即事)の碑
種田山頭火句碑
「秋風あるいてもあるいても三坂峠」
へんろ道道標
・明治に造られたもの。「右へんろみち、左松山道」とある。
檜垣翁顕彰碑
「四国スキー発祥之地」の碑

サレガ峠【久万町/広田村】

真弓峠【久万町/小田町】
真弓峠の名の起こり

下坂場峠【久万町/小田町】

今生坂峠【久万町/小田町】

農祖峠【久万町】

ひわだ峠【久万町】

千本峠【久万町】

上林峠【久万町/重信町】

井内峠【久万町/川内町】

白猪峠【久万町/川内町】

峠御堂隧道
2006/11/22
マリーザの森
「マリーザの森」の由来
ニュースタート事務局の活動は、1994年に、目標を失った日本の若者をイタリア中部トスカーナ地方のプリケッラ農園に送り、農作業と共同生活を体験させるプロジェクトからはじまりました。
私達は、宮川秀之・マリーザご夫妻がプリケッラ農園で展開されていた「家族をひらく」運動に感銘を受け、彼らのイタリアでの活動に学びながら、日本での「家族をひらく」運動を模索し今日に至っています。「家族だけで子供を育てようとするのではなく、他者の力を借りて子供を大きく育てよう」というのが「家族をひらく」運動です。
宮川マリーザさんは、2003年12月26日に65歳で急逝されました。マリーザさんは、いつも明るく前向きであり、親としても、あたたかく時に厳しい姿で、子どもたちに愛情をそそがれて来られました。また、全ての人は皆平等と考え、世界中の人々に接してこられた方でした。ニュースタートはそのようなマリーザさんの御遺志を受け継いで行く志を固め、四国お遍路の記念植樹園の名称とさせていただきました。
おりしも、2003年にニュースタート事務局の10周年記念事業として、毎年春と秋の歩き遍路企画「スローウォーク88四国お遍路」がスタートしました。そして地元の皆様のご協力により落薬樹の記念植樹園ができたのです。
毎回若者たちがお遍路の途中に、立ち寄って、植樹や管理作業を行い、この森を守り育てて行きます。宮川マリーザさんが、イタりアで展開された「家族をひらく」運動の小さな苗木をこの日本で大きく育ててゆきたいのです。
この「マリーザの森」は「家族をひらく」運動の象徴です。
2004年4月22日
NPO法人ニュースタート事務局
代表二神能基
坂村真民詩碑「大宇宙大和楽」


「四国スキー発祥之地」の碑

井部栄範翁頌徳碑【久万町】

「久万高原トマト発祥の地」の碑【久万町西明杖集会所前】

植樹百年記念碑【久万町菅生 中野村】
・昭和45年3月建立

秋本半次郎翁頌徳碑【久万町菅生 中野村】
・昭和46年10月20日建立


公園

久万公園【久万町】
わんぱく広場
★息子のSがハラビロカマキリを見つけて喜ぶ。

笛ヶ滝公園【久万町上野尻】
1999/10/23
・国道33号線わき、久万町中心部から徒歩で約5分のところに位置する。
・全国初の木造美術館がある。
・春には桜が美しい。

古岩屋【久万町直瀬】

・国指定名勝
・県立自然公園
国民宿舎 古岩屋荘
・温泉入浴のみの使用も可能。

久万農業公園アグリピア【久万町下畑野川】
1999/5/1
町観光スポット21選(平成17年(2005) 久万高原町選定)

・千本高原キャンプ場の下辺りに位置する。
★5月3日からのまつりの準備にいそしんでいる。
★建物の中には何があるんじゃろか?と覗いていると、「おーい、お客さんぞぉ」と叫ぶ声が。ワシって何のお客?「あ...ワシ、まぁお客じゃけど、お客じゃないんよ」と意味不明な回答をすると、「ほうかな、お客じゃないんかな」と会話が無理矢理成立するあたり....
★道路脇には多くのロッジが立ち並んでいる。
農業研修センター
・新規就農者のための研修施設。
クラインガルテン
・都市部の人々が農園で野菜作りを楽しむ。
ふれあい広場
いちご狩り(2〜6月)
収穫祭
・2006年:10/1に実施
【参考文献】
・「観光スポット21選めぐり」、広報久万高原、2006/11


祭り・イベント

百八灯(ひゃくはちとう)【久万町直瀬】
・8月14日の旧盆に松明(肥松(こえまつ)、麻殻(あさがら)を束にする)を持ち寄り、鉦と太鼓で念仏を唱えながら一斉に燃やして祖先の霊を迎える。
・長慶明神陵(長慶天皇の伝承上の墓)が直瀬にあるといい、この行事は長慶天皇の霊を供養するために行われるという。
・北朝に敗れた長慶天皇は、上直瀬に落ち延び、そして病没したといわれる。
・直瀬には「天皇越」(段と永子の境)という天皇縁の地名が残る。

久万山御用木まつり【久万町】
・大宝寺では、毎年盆の16日に「大宝さん」と呼ばれた大山鎮めの祈願をかける「山の神まつり」を行い、農林業の豊穣を祈る大祭として信仰されていた。
・初代松山藩主・加藤嘉明の松山城築城の際、重臣・佃十成(つくだかずなり)が久万御領地頭として城普請の用材を久万山に求め、その時築城祈願を込めて大宝寺で用材に祈祷を受けて御用達したという。この機等の儀式は、その後「山の神まつり」と合わせて「御用木まつり」と称し、久万山の祭りとして盛況を極めた。
・その後、いつしか途絶えてしまっていたのであるが、最近になって若者達により復活されている。
・久万おどり、花火大会などが行われる。
・8月第一金、土曜日。

川瀬歌舞伎【久万町下直瀬】
・県指定無形民俗文化財(平成12年4月18日指定)
県内唯一の地歌舞伎である川瀬歌舞伎の発祥地は下直瀬である。
・直瀬は僻地で娯楽がなかったことや、四国霊場44番札所大宝寺と45番札所岩屋寺の中間であり遍路がよく立ち寄り、その遍路の中に浄瑠璃などを語る人も居たことから郷土芸能として定着していったということである。この「歌舞伎を伝えた遍路」は阿波国から訪れた遍路であり、阿波の人形芝居が発展したものだとも言われる。
・演技としては、「三国伝来玉藻前旭袂三段目」「道春館の段」「絵本太功記十段目すしやの段」などがある。
・大正時代から組織化されて現在は公民館娯楽部が行っている。

秋祭り
・町内全域
・11月1日〜2日

林業まつり【久万町 久万公園】
・10月下旬

土曜夜市【久万町 商店街】
・7月毎土曜

ふるさと子供祭り【久万町】
・5月3日〜4日

大宝寺縁日【久万町】
・4月下旬、大宝寺境内にて行われる。

伊予だけ刈取と山焼き【久万町】
・霊峰、イヨス山
・3月下旬

万才(父野川、上畑野川、上直瀬)【久万町】
・江戸時代に三河から上浮穴郡に伝えられたもので、現在は保存会による保存と伝承が行われている。

久万山五神太鼓【久万町】
・戦国末期、土佐の侵攻を受けて滅亡の危機に陥った際に、城主大野直昌が神の御加護を得んと守護神ダイバの仮面を小姓衆に付けさせ、太鼓・樽を一斉に打ち鳴らし、願い・祈りは天に通じ、夕立襲来により窮地を脱したと伝えられる。これが現在、久万山五神太鼓として三島神社において受け継がれている。


施設

久万町立久万美術館【久万町菅生】
2001/4/22、2002/12/23、2006/11/22

行ってみよう!えひめ感動の地20選
町観光スポット21選(平成17年(2005) 久万高原町選定)

・全国初の木造美術館。久万産の杉・桧を贅沢に使っている。
・元県会議員で林業経営などでも知られた故井部栄治氏のコレクションを中心に約500点を収蔵している。
・日本画、書道、焼き物は県内の作品が中心。黒田清輝・浅井忠・村山槐多・萬鉄五郎などを収蔵。
・洋画は明治から昭和初期の日本人の洋画の歴史を辿るものとして、国内でも評価が高い。
・1996年6月には岸田劉生の「辰也之像」を購入。
・入館料:一般 500円、高校・大学生400円、小・中学生 300円
・開館時間:09:30〜17:00
・休館日:毎週月曜日および祝祭日の翌日・年末/年始(12/29〜1/1)
2006年11月12日 久万美術館

1.久万美術館
町立久万美術館平成18年自主企画展「伊予の豪傑?吉田藏澤・三輪田米山?」
 
モニュメント
「井部栄治先生を讃えて」と刻まれた副碑が添えられている。

★入館料金500円は高いような気がする...が入っていない身分でとやかく言う筋合いはなかろう。
★2001/4/22、波方町出身の画家・智内兄助の絵画展示会を観に行った。
★2002/12/23、常設展。
★206/11/22、平成18年自主企画展「伊予の豪傑〜吉田藏澤・三輪田米山〜」

久万高原ふるさと旅行村【久万町大字下畑野川

町観光スポット21選(平成17年(2005) 久万高原町選定)
「四国の軽井沢」と仰々しい名前で呼ぶ方もおいでる。
・入村料 :大人 300円、小人 150円
・入村時間:08:30〜17:00

・久万高原の農村リゾートの拠点。
・民家、辻堂、土蔵、山村歴史館、炭焼小屋、水車小屋、手作り館などの他、貸ケビン、キャンプ村、トリムコースなどが併設されている。
 
民俗資料館
アスレチック広場

久万高原天体観測館【久万町大字下畑野川乙488番地
・四国最大級、口径60cmの反射望遠鏡を備え、貸出用望遠鏡も各種完備している。
・展示館では大型ビジョンによる映像や写真で天体や野鳥を紹介している。
 
望遠鏡
・口径60cm、肉眼の 7,000倍の集光力を持つ。
プラネタリウム
・ドームサイズ:6m
・客席=40席
マルチビジョン(1FL)
・120インチ大画面による天文ビデオ、野鳥ビデオの上映
・利用料金:大人 300円、高校・大学生 250円、小・中学生 200円
(天文台、プラネタリウム共)
・開館時間:10:00〜17:00
・休館日:毎週月曜日および祝祭日の翌日・年末/年始(12/29〜1/1)

ふもと友愛館/ふもと温泉【久万町直瀬】
1999/5/1
★郵便局から1.8km上がったところにある。
★ここから南への眺めは美しい。

物産館みどり【久万町】
2002/12/23
★客の入りが芳しくない。とは言え、こういう自分も単にひやかしで店内を物色しただけで、全然売り上げに貢献していないのだが。(2002/12/23)
 

久万青銅之廻廊【久万町東明神乙343-1】
・久万カントリークラブ内にある。
・開館時間:10:00〜16:00(12〜3月)、10:00〜17:00(4〜11月)
・休館日:月・火曜日、年末年始
・入館料:一般500円、高校・大学生300円、小学・中学生200円

きのこ標本展示室【久万町二名 旧二名保育所】
・二名小学校・保育所の廃校の後、平成17年(2005)11月5日に開館。


学校

直瀬小/中学校【久万町直瀬】
1999/5/1
・直瀬中学校は平成11年(1999)3月閉校となり、久万中学校に統合された。
直瀬中学校校歌
「水清らかに 山気澄む 心直瀬の 平和郷
 わが学び舎に みなぎるは 勤労の風 進取の気」

二名小学校【久万町二名】
・平成16年(2004)3月、児童減少により廃校。

畑野川中学校【久万町畑野川】
1999/5/1
・平成11年(1999)3月、52年間の歴史を閉じ、久万中学校に統合された。


温泉

古岩屋温泉【久万町】

嵯峨山鉱泉【久万町直瀬】

ふもと温泉【久万町直瀬】


伝説

お久万の伝説(おくま大師)【久万町】
久万町は昔はもの淋しい村で、夜などは一人歩きもできないほどであった。
ある時、一人の貧しい身なりをした遍路(あるいは旅の僧)がこの村を通りかかった。  長旅をしてきたと見え、着物は薄汚れ、手足は埃まみれであった。この遍路が  丁度村のえんまどの辻という所にさしかかった時に、バタントントンと機を織る音が聞こえてきた。ふと足を止めると、それは小さな小屋から聞こえている。気立ての優しい娘の「おくま」が熱心に機を織っていた。
・遍路は汗を拭う織り布を所望した。おくまは惜しげもなく布を鋏で切って遍路に差し出した。その遍路が「何か望みがあれば一つだけかなえてあげよう」と言うので、おくまは、 この淋しい村を立派で賑やかな村にして欲しいと所願した。
・やがてその村は、おくまの願い通り繁栄し、立派な町になっていった。その時の遍路は弘法大師であり、弘法大師はおくまの名前を取って、町の名前を久万町と名付けた。

シャバガナル(見付嶽)【久万町西明神】
明神右京露口左京が腰掛けて、菅生山大宝寺の本尊十一面観音の後光を見つけた大岩のあるところを見付嶽(みつけだけ)と呼ぶ。
※久万町二名の富重にも見付嶽所在説がある。
・見つけた観音像に着物の袖を通して祀ったところを玉小袖(たまこそで)と呼ぶ。

龍駒石【久万町二名 富重】
・30坪ほどの大きな石で、ある時龍の駒が下りてきて、この石の周りに生えていた裏白の笹を食べたといい、その言い伝えに因んで龍駒石と名付けられた。
→広田村「リュウノコマ」

エンマの又平
・エンマの着物を奪った又平が、エンマを火あぶりにするはなし

たくあん二切れ
・熱い茶と熱い風呂の区別がつかない馬鹿な婿を嘆く嫁の話

桶屋さんと山女郎
・人心を惑わす山女郎が、自然にはじけた竹で逃げ出す話

凧屋八兵衛
・凧張りの若者が大阪の住友の娘をもらい大金持ちになる話

竜宮女房
・炭焼きの若者が、乙姫様の恩返しで庄屋にまでなる話

猿と爺
・猿を促えたおじいさんが、間違っておばあさんを食べる話

笠地蔵
・笠を与えたおじいさんへの恩返しと、欲深いおばあさんを見切った地蔵の伝説

炭焼き長者
・米・麦・金の神が、驕る大分限者から炭焼き爺さんに宿る話

神山の栃の木
・神山の栃の木で屋敷を建てた庄屋が、たたりを受けた伝説

頼政のはなし
・弓の名人頼政の出世を願う母親が、鵺(ぬえ)に化身して討たれる話

父二峯の霧
上浮穴郡久万町の父二峯は霧が多い土地である。
昔、上浮穴郡中津の二箆(ふたつの)という土地に源三位頼政の親子が住んでいた。頼政が職について都に上がって行ったので、その母親は頼政が都で立身出世をするようにと祈ってふたつのの池で毎日毎日水をかぶって水行をしていた。ところがとうとう鵺という怪物になった。
 鵺は頭は猿で体は竜、尾は八本もある化け物であった。それが父二峯を通って都へ上って行く途中にその息を吐いたところがその息が霧となった。父二峯の霧はそれが起こりだという。なお鵺は都へ上がり頼政の主人の屋敷の屋根の上に夜な夜な出た。頼政の主人がその鵺を退治するように頼政に言ったので頼政はそれを退治して出世することになった。

露峯の十二社権現
上浮穴郡久万町の露峯の山が鳴ったり、山から太鼓の音が聞こえてきたり、神楽を舞っている音がすることがあった。村の衆が心配して温泉郡田の窪の大徳院の法師をよんできて拝んでもらうことになった。露峯の法蓮寺で七日七夜をかけて十二社権現を祈ったので神さまの荒れはやっとおさまった。それ以後その法師は村にとどまって年々十二社権現の祭りをすることとなった。そのマツリは七月の七日でその日は割竹のたいまつを一〇八燈ともし、社では角力をとっていたという。これが露峯の十二社権現の起こりであるという。
[四国路の伝説、武田 明、第一法規出版、昭和47年11月]

一目千両
一目千両を呼ばれた美女に惹かれた若衆とおやじの話
久万山の法院さん
「赤鬼」と呼ばれた力持ちの法院さんをめぐる伝説
→赤鬼法性院の伝説(面河村)

天狗の涙石
田植え歌を競って負けた天狗の涙が石となったという伝説
・昔、庄屋が所有していた田で早乙女達が田植え歌を歌いながら田植えをしていると、裏山から天狗が飛来した。天狗が早乙女の歌真似をすると、早乙女達も負けじと大声で歌った。天狗も大声を上げて対抗したが、結局負けてしまった。天狗は立腹し、被っていた烏帽子を田へ投げ込み、涙を流しながら山へと帰った。投げ込まれた烏帽子はやがて石になり、それが「天狗の涙石」だという。
・この涙石のある田の田植えの日はいつも大雨になるという。(まさか、大雨の日を狙って田植えしているのではあるまい。)
参考:「伊予路を行く-67 天狗の涙石」、愛媛新聞、平成17年(2005)11月18日

雨ごいのおかめ様
山にころがっていたかめが雨ごいの神様だったという伝説

古岩屋のあまのじゃく
意地悪なあまのじゃくが大師様を邪魔したため古岩屋に寺が出来なかったという言い伝え。(九十九谷伝説)

大蛙の報恩
病に利く鳶の卵をめぐる大蛇の復讐と大蛙の恩返し

真弓峠の名の起こり
上浮穴郡の父二峯(現久万町)と小田(現小田町)の境の峠を真弓峠という。昔、この峠の奥にホラという名前の怪物がいた。峠の上から真弓堂という名の弓の名人が弓に矢をつがえてホラを射殺したので、それ以来その峠を真弓峠というようになったそうである。


キャンプ

千本高原キャンプ場【久万町】
・標高 約620m
・高温水晶の産出地。
・昔はこの原っぱで草競馬が催された。


海水浴

人物

その他

聖の巌【久万町二名 森田】
・森田の奥の岩の下に八畳敷ほどの広さの岩窟がある。往古に聖が住居していたといい、後に神として祀り、聖神と称するようになった。

明神層【久万町久万菅生】
ネルンボニッポニクスという古い型の蓮の葉の化石や、レンコンの化石が産出する。
・これは当時、この辺りが湿沼地であったことを示す。

きららの森【久万町】

ささゆり園【久万町東明神】
・三坂峠にある。
・入場料:500円
・ささゆりは6月が見頃。

パステルファーム・なおせ(Pastel Farm Naose)【久万町直瀬甲3110】
1999/5/1
・電話番号:31-0065
・「四国で星に一番近いお花畑」というキャッチフレーズがお洒落である。



《References》



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