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伊予の隅々
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(旧・双海町)

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伊豫の隅々インデックス

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市町村概要


キャッチフレーズ
(1).「しずむ夕日が立ちどまる町...双海町」
(2).「すきとおる海・すきとおる山・すきとおるまち」

町の花 町の木 町の花木 町の鳥
ツツジ


特産物

沿革

・元和3年〜明治:大洲藩に、高野川村、上灘村、高岸村、大久保村、串村、石畳村の6ケ村があった。
・明治21年、上灘村と下灘村に。
・大正10年、上灘村は町制を施行し、上灘町となった。


地名
大字
大久保 日喰(ひじき)、本谷(ほんたに)、石久保、閏住(うるすみ)、富岡(とみおか)
上灘 灘町、城之下、小網(こあみ)、両谷、久保、三島、岡、日尾野、柆野(くいの)、東峯、
大栄、奥大栄、高見
上浜(かみはま)、下浜(しもはま)、奥東(おくひがし)、
法師、池窪(いけのくぼ)、本村(ほんむら)、富貴(とみき)、満野、松尾、壷神
高野川 高野川
高岸 本郷、奥、塩谷、唐崎


文化財

オガタマノキ【双海町高野川(こうのかわ)高野川神社】
・県指定天然記念物

下浜の多層塔(五重塔)【双海町串153-1(下浜)】
1998、2004/9/12
・町指定文化財[建造物:石造](昭和50年3月1日指定)←(昭和60年3月1日指定?)
・国道378号線を南に下り、下灘より山手へ折れて県道54号線に入るとすぐに地蔵堂と塔が建っている。
・塔高:6.83m
・享保17年(1732)、西日本全域にわたり大飢饉が起こり、多くの者が餓死した。下浜の多層塔は、そのときの餓死者の供養塔として建立したものであり、町内随一の多層塔である。
・この塔には釈迦如来の尊像を安置し、その下には多くの小石に大乗妙典全文の写経が納められてある。
※2004/9/12探訪時、説明板の「多層塔」の文字は、全て「五重塔」に書き改められていた。
吉野川大師堂へ。
地蔵堂
・「耳どうさん 心願成就」とマジックで書いた、穴明き石が吊り下げられている。
・「タコ」の絵が壁に貼り付けられている。「タコ」の絵皿が掲げられている。
三界万霊
五重塔
・「助縁之 施主
 浮穴郡串邑之居住
 井窪孫六
 ■佐彦次
 同 施主
 越知郡大三嶌之居住
 高橋久左衛門」

本村の五輪塔【双海町本村】
・町指定有形文化財[建造物:石造](昭和60年3月1日指定)

三島神社の二重門(楼門)【双海町高岸(本郷) 三島神社】
2004/9/12
・町指定有形文化財[建造物:木造](昭和50年3月1日指定)

絵馬「金毛九尾悪狐退治の図」【双海町高岸 三島神社】

池窪地蔵尊【双海町池窪】
2004/9/12

板碑【双海町高野川(こうのかわ)】

・町指定有形文化財[民俗](昭和60年3月1日指定)

正法寺の陣太鼓【双海町本谷 正法寺】
・町指定有形文化財[美術工芸品](昭和60年3月1日指定)

岡の獅子舞【双海町岡】
・町指定無形文化財[民俗](昭和60年3月1日指定)
・三島神社に奉納された豊作祈願・悪魔祓いのための舞。
・双海町唯一のものとなっている。

三島神社のシイノキ群(7本)【双海町高岸 三島神社】
2004/9/12
・町指定天然記念物(昭和60年3月1日指定)

オガタマノキ【双海町高野川(こうのかわ)高野川神社】

翠小学校のギンモクセイ【双海町 翠小学校校庭】
・町指定天然記念物(昭和60年3月1日指定)

池ノ久保のツバキ【双海町池窪】
2004/9/12
・町指定天然記念物(昭和60年3月1日指定)

池ノ久保のシイノキ【双海町池窪】
2004/9/12
・町指定天然記念物(昭和60年3月1日指定)

池ノ久保土山(どやま)地蔵の石垣【双海町池窪】
2004/9/12
・町指定記念物[史跡](昭和60年3月1日指定)

石塔群【双海町小網】

石塔群【双海町岡】

常夜燈【双海町久保】

金毘羅大権現常夜燈【双海町 八登山】

宝篋印塔【双海町閏住】

金毛九尾悪狐退治の図【双海町本郷 三島神社】

高野川所蔵文書【双海町高野川】

甕【双海町閏住】

いわし供養塔【双海町小網】

山見小屋【双海町小網】

お篭【双海町本村他 (慶徳寺他)】

西谷お旅所【双海町西谷】

いのこ【双海町西谷・本郷ほか】

力石【双海町久保】

相撲の化粧まわし【双海町大栄】

木蝋道具【双海町灘町】

金剛【双海町本谷】

宗和台【双海町閏住】

力石【双海町日喰】

和船(釣船)【双海町下灘小学校】

瀧山城主位牌【双海町本村】

通り穴【双海町小網】

石材採掘場【双海町灘町】

冷水隧道(水路)【双海町高見】

疎水路【双海町本郷】

千人塚の池【双海町本郷】

横井戸【双海町本郷】

堀切(水路)【双海町松尾】

陶土【双海町高野川】

花の石【双海町奥大栄】

中央構造線【双海町本郷】

双海町教育委員会収蔵民俗資料【双海町灘町】



城址

由並本尊山城跡【双海町灘町】
本尊山は標高 180m。
河野対馬守通有の孫、得能六左衛門通時が築城した。
・土佐の長曽我部氏の侵攻により落城。その後再建するも、豊臣秀吉四国征伐時に小早川隆景の侵攻を受けて再度落城した。
 

海辺城跡(かいへんじょうせき)【双海町高岸(本郷)】
・由並本尊城の出城として西の原に、延元元年(1336)に築城された。
・本尊城主の得能氏一族が、姓を西原氏と改めて移住し、代々続いたという。
・この城跡は、本郷川河口にあったが、今では道路・家屋に取って代わり、その面影を偲ぶこともない。
「高岸村にあり 藤堂高虎の家老藤堂新七居る 大洲旧記にいふ 此城は此時より瓦ふきなりしと見へ 今に瓦の損し有り 堀あり 以前の城主を西原斎兵衛といふ」(伊豫温故録)

黒山城跡【双海町日喰】
・標高 730mの黒山山頂にあり、今から約 800年前に、平氏武将が築城したと言われている。
「黒山城、大久保村にあり 久保伊予守源高実居る 大洲旧記に云ふ 源高実応永四年九月十八日卒す 子孫代々続ひて 天正の頃縫殿助退城し 其の子孫此村に多し 又た高岸村の庄屋となる」(伊豫温故録)
「大久保と石畳村との境に在り、久保伊予守高実及其子孫代々の拠守する所なり」(伊予古城砦記)

山神城跡【双海町高野川】

瀧山城【双海町串】
「串村に在り 大洲旧記に云ふ 一日に田風呂喜城といふ 応永以前より代々打ち続き 久保式部入道道春 左衛門尉行修理行吉 伊豆守正行 美作守国春 織部入道行春 一に豊春とあり 天正年中下城して其の子孫六庄屋となる 此城付の士姓名書あり
卯多津 九兵衛 金田 杢右衛門 矢島 兵助 熊 喜左衛門
結城 與一三郎 田村 徳右衛門 瀧下 六左衛門 瀧下 小作
菊地 平兵衛 豊田 勘右衛門 菊地 喜右衛門 戸田 六助
大塚 新助 小山 平右衛門 小玉 新兵衛 加井 次郎助
安藤 甚五郎 野田 與七 矢野 源右衛門 寺井 市之丞
岡 孫右衛門 水野 太平 豊間 作右衛門 松原 與右衛門
玉津 半大夫 吉見 新三郎 角田 仁助 梅山 馬之助
若山 八右衛門 林田 善右衛門 武田 九兵衛 信村 助蔵
松本 市右衛門 森田 平助 佐原 喜作 阿部 半助
脇田 伊右衛門 一色 與右衛門 桜井 八蔵 駒山 仁右衛門
(伊豫温故録)

安久寺(あんきゅうじ)城跡【双海町灘町】
安久寺山城、上灘村に在り」(伊予古城砦記)
安休寺山古城、右中山邑ニアリ」(大洲領古城記)

庚申森城跡【双海町日喰 道玄寺】
猿正司(さるしょうじ)城ともいう。
「庚申森城、大久保村に在り 一に猿庄司といふ 加藤采女正長嘉慶以前の城主なり 法号を祥山宗慶大禅定門といふ 嘉慶元年十月十六日卒す」(伊豫温故録)
「下灘村大久保にあり、一名猿正司(障子)と云ふ。南北朝の時加藤采女正正長居る」(伊予古城砦記)
「大久保村 佐田の城跡さるしやうじ城加藤采女正長。又庚申城、嘉慶元丁卯十月十六日卒、法名祥山字慶大禅定門」(大洲秘録五)
「大久保村 庚申城加藤采女正正長。又庚申城、嘉慶元丁卯十月十六日卒、法名祥山字慶大禅定門」(大洲旧記第六)
「浮穴郡 大久保邑有故城、曰、庚申加藤采女正政長所居也」(伊予古蹟志巻二)

烏帽子岳城跡【双海町岡】



遺跡

東峰遺跡【双海町上灘】
・道路建設に伴い、平成7年5月から調査開始され、平成8年2月29日に旧石器時代のものと見られる石器が出土した。
・香川県坂出市出土石器と酷似していることから、この周辺から運ばれた可能性が高いという。
・狩りの途中で石器を補修した場所と見られる。

東峰・高見遺跡【双海町東峰・高見 おきよ池周辺】

本村埋蔵文化財包蔵地【双海町本村 沢の池周辺】



古墳

願正寺【双海町満野】
・山号:祥雲山
・宗派:臨済宗東福寺派
・正平18年(1363)創建。
薬師如来

慶徳(禅)寺【双海町串 本村】
2004/9/12
・山号:北海山
・宗派:臨済宗東福寺派
・本尊:阿弥陀如来
・瀧山城主菩提所

「串村字本郷に在り 応永三年三月 瀧山城主久保道春創営す」(伊豫温故録)

※住職に話を御伺いするときに、下浜の多層塔(五重塔)のところの地蔵堂(耳堂さん?)のことについて確認すること。

→円山神社(2004/9/12)
阿弥陀如来
地四国の石仏
・23番、9番
真心院温室智厚大姉の墓碑と六地蔵

小網庵【双海町上灘 小網】
・願正寺の末寺。

護法庵【双海町串 松尾】
・山号:医王山
・願正寺の末寺。
・「串村字松尾にあり 大永二年二月 瀧山城主久保正行創建す」(伊豫温故録)

西光庵【双海町串 池窪】
・慶徳寺の末寺。
・本尊:薬師日光如来。
・天文9年(1745)10月創建。

地蔵寺【双海町上灘613 (岡)】
・宗派:真言宗智山派
・本尊:延命地蔵

正光寺【双海町上灘 久保】
1999/11/21
・山号:法輪山
・宗派:臨済宗東福寺派
・本尊:観世音菩薩
・延宝3年(1675)、黙室和尚により創建。真室妙応禅師の開山。

正法寺【双海町本谷】
・山号:瑞如山
・宗派:臨済宗東福寺派
・本尊:聖観世音菩薩
・大久保八十八ヶ所34番札所
・慶長5年(1600)創建。
如意輪観世音菩薩

信福寺【双海町高岸 唐崎】
・山号:瑞雲山
・宗派:臨済宗東福寺派
・永正11年(1514)創建。
・木下小四良開基。竹文和尚開山。
・本尊:観世音菩薩。
・安永2年(1773)再建。

大通寺【双海町本郷】
・山号:智勝山
・宗派:臨済宗東福寺派
・本尊:阿弥陀仏
・天授元年(1375)創建。道山経禅師開山。
・延宝元年(1673)元昌和尚が堂宇を建立。
阿弥陀三尊仏

長楽寺【双海町串 奥東】
・山号:霊亀山
・宗派:臨済宗東福寺派
・明歴元年(1655)創建。
聖観世音菩薩

道玄寺【双海町日喰(大久保 富岡?)】
・山号:徳光山
・宗派:臨済宗東福寺派
・応安2年(1369)創建。(※下記の伊豫温故録の記載内容と食い違う。)
・黒山城主久保伊予守源高実が菩提寺として開基した。
「大久保村字富岡にあり 応永二十七年十二月創建す 此寺に黒山城主高実の法名あり 法僧院殿前豫州大守皆大勧喜大居士 応永四年九月十八日卒すと記す」(伊豫温故録)
宝篋印塔
常夜燈

富貴庵【双海町串 富貴】
・願正寺の末寺。
・滝山城第10代城主・久保織部入道行春公(慶長16年(1612)7月7日没)の位牌があるという。

本覚寺【双海町上灘 灘町】
・山号:随縁山
・院号:真如院
・宗派:浄土宗
・天文3年(1535)創建。十誉上人、専相和尚の開山。
本堂
・明治22年(1889)
薬師堂
・延宝6年(1678)創建。享保11年(1726)再建。
山門
・弘化元年(1844)
鎮守堂
・天明4年(1784)
阿弥陀仏
経典・古文書

無量庵【双海町高野川】
・願正寺の末寺。

浦島観音【双海町小網 本覚寺】


神社

一宮神社【双海町串 松尾】
2004/9/12
※今は町道が鳥居と拝殿の中間を貫いており、鳥居を潜って参拝する者はいないであろう。拝殿内部の床には、無造作に奉納絵馬が置きっぱなしになっている。(2004/9/12記)

厳島神社【双海町 下灘港】
・小祠が設けられている。祠は最近のもの。

黒山神社【双海町大久保 日喰】
・旧村社。
・元黒山城址にある。
・承和元年、黒山城主・藤原高延が菊理姫命を勧請し、瀧野権現と称した。応永3年、黒山城主・久保伊予守高実が紀伊熊野神社より速玉男命・事解男命を合祀し、崇敬神社となる。(←ここでいう「崇敬神社」は固有名詞ではない。)
・明治43年11月13日、目白神社(本谷)、山神社(石久保)、厳島神社(石久保)、空神社(石久保)、河内神社(石久保)、岡田神社(日喰)、一宮神社(日喰)、聖神社(日喰)、河内神社(富岡)、聖神社(富岡)を合併して、黒山神社へ改称した。
大杉

高野川神社【双海町高野川(こうのかわ)】
1999/11/21、2003/1/12
・旧村社。
・祭神:市杵島姫命外8柱。
・明治43年8月、元厳島神社へ河内神社(成組)、金刀比羅神社(成組)、山神社(成組)、若宮神社(西組)、水明神社(原組)、河内神社(原組)、田中神社(原組)を合併して、高野川神社へ改称した。
オガタマノキ
・県指定天然記念物(昭和63年4月19日指定)
・町指定天然記念物
・鹿児島、長崎に次いで日本で3番目の巨木であるという。
・古来から神木として崇められているオガタマノキが高野川神社を囲むように境内に4本立っている。いつ誰が植えたかは定かではないが、鹿児島、長崎に次いで日本で3番目の巨木である。オガタマノキはミカドアゲハの蝶生殖の木としても知られ、枝に産卵し、新梢の葉を幼虫が食べて成虫となる。春は葉液に紫色を帯びた芳香を発する白色の花をつけ、その後球果状の実をつける。オガタマノキのないところにミカドアゲハ蝶はみることができないという不思議な木である。

円山神社(圓山神社)【双海町本村】
2004/9/12
・旧村社。
・延長5年(927)9月、京都北野天満宮より勧請。
・初め丸山に社を構え、後に現在地へ移す。
※丸山の所在地は?そういえば、下灘小学校へと向かう途中、JAの選果場へと架かる橋に「丸山」の所在をほのめかすマークが記されていたなぁ。
・瀧山城主が累代尊崇した。
・延宝年中に厳島神社を合祀した。
・明治43年10月、富貴神社(西の上)、八王猿丸神社(満野)、一宮神社(松尾)、三島神社(ウ子)、金刀比羅神社(駄馬)、客神社(空の上)、秋葉神社(松の下)、妙見神社(横久保)
※「八王猿丸神社」という名前には惹かれるなぁ…。それと「ウ子」「空の上」という字も。

→一宮神社(2004/9/12)
境内末社:清神社
・拝殿向かって左
境内末社:?
・拝殿向かって右
椋の木
秋葉様の蘇鉄

三島神社【双海町高岸1320(亀ノ森)】
1998、2004/9/12
・旧郷社。
・神亀元年(724)創建とされる。
・奈良朝の頃、伊豫国越智郡大三島の大山祗神社より勧請した古社で、社殿には元明天皇の御宇和同5年8月23日の勅詔に基づき、聖武天皇神亀元年(724)8月23日、大山祗神社を勧請したと伝える。
・祭神:大山積大神、雷神、高■神(たかおかみのかみ)
・伝説三島宮由来には、神亀改元春正月、亀の背に金幣を輝かし浮遊して渚に走り上がり森の中に入る。万民この地に社を建てて祀ると伝える。
・伊予の国当時の十四郡へ、1部1社大山祇神社を勧請した郡の一の宮である。
・本尊城主、海辺城主の尊敬厚く、徳川時代伊予大洲城主加藤氏は累代祈願として特に崇敬したという。
・昔は由並郡、高岸村、上灘村、高の川村、大久保村、串村、石畳村、梺村、境村の8ヶ村の総氏神にして、今は伊予郡双海町大字高岸、大字高野川、下灘善部、喜多郡内子町石畳の氏神にして崇敬厚く、明治5年1月郷社に列せられる。
三島神社の二重門
・双海町指定有形文化財[昭和50年3月1日指定]
・天保12年(1841)8月11日、内子町の大工長尾幸之進が製作した。
・この建物は江戸後期の二重門造で、元禄文化の影響を受けた華麗な建物である。(5坪=約16.5u)
・周囲の彫刻は、京都の名工の作とも伝えられる。
・この門の特徴は扇垂木(おおぎたるき)、蟇股(かえるまた)の用いられているところで、県下の古社寺では極めて稀である。
亀の狛犬
・安政四丁巳年八月製。
・創建の謂れに出てくるように、海から金色の亀が上がってきたところに社を建てたということで、この神社の狛犬は亀のように甲羅を背負っている。
※この伝説は、創建が「神亀元年」であることから、元号に因んで語られるようになったと思わい。
常夜燈
・安政二巳卯年八月の刻有り。
・台座に「みするう」と刻まれているのが、何とも意味不明・不可解である。
★1999年7月3日記:ふと地図帳を眺めていて気付いたんじゃが、「みするう」じゃなくて、「うるすみ」なんじゃね、きっと。(日本じゃけん、右から読まんといかん!)「うるすみ」は多分、「閏住」じゃろうて。神社鎮座地から2kmほど南下したところに「閏住」という集落があるんで、きっとそこの集落の人が奉納したに違いないわい。
三島神社のシイノキ群(7本)
・双海町指定文化財(天然記念物)[昭和60年3月1日指定]
・樹齢:1,000〜1,200年
・樹高:14.5m
・幹周:4.1m
境内末社:出雲神社・淡島神社
・拝殿に向かって左。
・残念ならが陽物奉納は見られない。
境内末社:猿田彦神社
・拝殿に向かって右。左より猿田彦神社、床浦神社、高岸神社と並ぶ。
境内末社:床浦神社
境内末社:高岸神社
・拝殿前の鳥居には、文久元年の銘有り。
境内末社:住吉神社
・楼門を潜り、参道階段の左側に鎮座する。
絵馬「」
絵馬「金毛九尾悪狐退治の図」
・円山派の森寛斎(1814〜1894)作。

三島神社【双海町上灘 宮之下126】
1999/11/21
・祭神:大山積神、雷神、高おかみ神
・相殿:伊弉諾神、伊弉冉神
・御利益:交通安全、厄除、祈願
・旧郷社。
・「浮穴郡由並郷灘部五社大明神と号す。古書に見る灘部神是なり」(浮穴郡誌)
土佐浪人・吉弘の墓
・天正2年9月、富岡の地に居住。土佐の人。
・出淵村の小池で休んでいたときに怪光が闇を照らし、三島神が示現。霊石を運び、三島の里に安置した。
※この吉弘という人物、ひょっとしたら長宗我部軍の一員だったものか?

豊田神社【双海町串293 (奥西)】
1998、2004/9/12
・県道54号線を上がる途中、池窪との分岐路下にある。
・主祭神:水波能女大神
・配神:瀬織津姫命、猿田彦命、素盞鳴男命、....
・沿革、創立年月日未詳。寛正7年(1466)の神社調に河内神社と奉斎されたとある。
・明治43年12月1日、村社河内神社へ一宮神社(奥東)、和霊神社(奥東)、天満神社(奥西)、祇園神社(奥西)、金毘羅神社(浜)、住吉神社(浜)、弓削神社(池窪)と合併して豊田神社と改称した。
・上串地区の崇敬神社で、明治12年9月に村社として列し、昭和20年終戦に伴い、社格を廃し現在に至っている。
・例祭:春4月15日、秋10月19,20日(春祭には、神楽が奉納されるようだ。)

→池窪地蔵尊(2004/9/21)
豊田神社由緒
「豊田神社由緒
祭神主祭神 水波能女大神
配神 瀬織津姫命 猿田彦命 素盞鳴男尊 味■高彦根命 天照皇大神 大国主命 天日鷲命 和霊神 清正霊神
由緒 沿革 創立 年月日 未詳
寛正七年 一四六六年の神社調に河内神社と奉斎されたとあります
平成四年より五二六年前にあたる
明治四十三年十二月一日 本村社 河内神社へ
奥東より 一宮神社 和霊神社
奥西より 天満神社 祇園神社
浜 より 金毘羅神社 住吉神社
池窪より 弓削神社 を合併し豊田神社と改称した
上串地区の崇敬神社で明治十二年九月村社に列せられ 昭和二十年終戦に併い社格を廃し現在に至る
祭日 例祭 春四月十五日 秋十月十九、二十日
鎮座地 伊予郡双海町大字串二九三番地
境内地 二三二坪 九四二u
社殿 本殿流造 檜皮葺 間口一間 奥行一間一坪
幣殿 瓦葺 間口一.五間 奥行二間三坪
拝殿 瓦葺 間口三間 奥行二.五間七.五坪
山林地 サコウキ乙六六ノ一〜三 四、一一〇u
豊田神社 平成四年四月十五日」

■=[金且]

境内末社:新田神社
・背後に大きな神木が聳えている。これが椋の木か?
「新田神社由緒
新田神 南北朝時代 本県と深い関係にあった南朝の忠臣新田義貞公をはじめその御子息 義頼公 義興公 義■公 御舎弟 脇屋義助公と御子息 義治公等御神徳を慕ってその御霊を斎きまつった神社である
祭礼日 九月八日
言い伝え
昔 疫病が蔓延しました 当時の人達がこの新田神社にお参りをし疫病治療を祈願
治癒したあかつきはお礼に毎年続けてこの神社のお祭りをしますと祈願したのです するとご利益あらたかに不思議と病気は全快に至りました 以後休まず続けてお祭りが行はれていると言はれています
此の社殿は 昭和十五年に建築されました
新田神社 平成四年四月十五日」
■=うかんむりに禾
椋の木
注連石
・明治23年7月建立。
手水石
・明治21年寅9月

天一稲荷神社【双海町上灘】
1999/3/14、2003/1/12
・御利益:安産祈願
・祭神:大己貴命、少彦名命、倉稲魂命、伊弉冉命、瓊々杵尊
・大昔、大己貴命・少彦名命の二柱の神が国内巡歴の際、本尊山に登られたという故事にちなんで、伊予の国造がこの山を本尊の宮として祀った。
・元徳2年(1330) 2月、伊予守能通時がこの山を居城とするにあたって山頂に社殿を造営したのが天一神社の起こりである。
・元禄4年(1691) 9月、現在の位置に奉遷し、明治43年(1910) 1月5日に稲荷神社(中の宮)を合祀して、天一稲荷神社と改号し現在に至っている。
安産祈祷の由来
大洲藩主加藤遠江守通遠の奥方御懐妊にあたり、神宮武智■陵が安産御守を謹製して献上したところ御安産なされたという功績によって当神社は大洲候の御祈願所と定められ、安産の守護神として崇敬されている。
主要沿革表
 
元徳2年(1330) 本尊山頂に社殿創建[本尊の宮]
(主祭神−大国主命・少彦名命)
元禄4年(1691) 現在地に奉遷[天一神社]
弘化3年(1846) 拝殿・幣殿改築
明治43年(1910) 稲荷神社合祀[天一稲荷神社]
(中の宮)本殿改築
灘辺神社■斎(末社合祀)
明治44年(1911) 社務所新築
大正7年(1918) 社景改修(石段 上52 下24段 等)
昭和4年(1929) 講結成(終戦時まで活動)
昭和7年(1932) 神輿庫改築
昭和34年(1959) 神輿新調
昭和46年(1971) 松伐採
昭和48年(1973) 御旅所移転(国道の代替)
幟等新調
昭和51年(1976) 石垣改修
昭和53年(1978) 松伐採(松食虫の被害)
昭和54年(1979) 社務所改築
昭和55年(1980) 敬神婦人会結成
昭和62年(1987) 本殿葺替え、神社広報「鳥居」発刊
神社振興対策指定(モデル)神社となる(3年間)
灯篭、鳥居、神輿、七五三....
主祭日
1月1日 歳旦祭
4月23日 春祭(福撒)
7月30日 夏越(神楽)
10月22・23日  例祭(神輿渡御)
境内末社:青麻三光宮
・稲荷神社参道脇
本尊ノ宮・稲荷神社跡遥拝所
・狐の狛犬が向かい合っているだけで社殿・祠は設けられていない。


お堂

吉野川大師堂【双海町串 下浜】
2004/9/12
※下浜の五重塔をウォッチングしている途中で、御近所にお住まいの石田さんが「何しよんぞな」と声をかけて下さった。こんな調査をしている人間は物珍しかったのだろう。斯く斯く云々と説明。
色々とこの辺りに所在するマイナーな史跡類の所在を尋ねるにはちょうど好都合と思い、まず手始めに「安徳塚ってこの辺にありません?」と確認してみる。すると、「さぁ。聞いたことがありませんな。お大師さんやったら知っとりますよ。」と、旧国道の方へと連れて行ってくださった。
小川の脇に小さな祠が座っている。祠の中には石仏が3体。
小川(吉野川)から水をひく工事だろうか。近所の人と思われる工事業者が3人、測量を行っている。お仕事中に、何やら妙ちくりんな調査をしている姿を御見せするのは、どうも気恥ずかしい思いである。
→旧国道の町並み
→下灘小学校:「どうです。大きな学校でしょう」「ええ、いい雰囲気の所ですね。こじんまりとしてのびのび育つ環境になってますね」などと全く噛み合わない問答をしてしまった。全校生徒約100人とのこと。校庭の西端にソテツの木と胸像がある。
→下灘港:池窪地蔵尊の所在地を教えてもらう。
→県道54号線を上がっていく。下灘中学校では、運動会の真っ最中。狭い県道の路側に多数の父兄の車が駐車しており、少々通りにくい。
→災害復旧碑
(以上、2004/9/12記)


千人塚【双海町本郷】

おきよ墓【双海町岡】
→c.f.おきよの池

稲葉■刀の墓【双海町岡】

千代次の墓【双海町日尾野】


地蔵

牛ノ峯地蔵尊【双海町上灘(本郷)】
2001/1/28、2002/9/21
・昔、千蔵院という山伏が海中から引き上げて祀っていたが、「山頂にまつるべし」とのお告げがあり、牛之峰に祭祀したと伝えられる。
・沖合いを通る船をしばしば止められるので、奥向きに安置替えをしたという。
・縁日は 4/24、8/24の年2回。
・この地蔵堂からは伊予灘、松山平野が見渡せる。
 
一丁地蔵
二丁地蔵

池窪(いけのくぼ)地蔵尊(池窪土山(どやま)地蔵菩薩) 【双海町串 池窪】
2002/9/12
・町指定文化財
・祭日:春 4/24、夏 8/24(盆踊り)
※石田さん(下浜)の話によれば、今もなお盆踊りは行われているという。双海町誌には、「明治20年石の久保の弥吾さんという人が手ほどきしたものと伝えられている。現在は中止され、石の久保の盆踊りが復活した」と記されている。果たして現状はどうなっているのだろうか。(2004/9/12)
・応永年間に滝山城の鬼門に建立された。
・肥後国・加藤氏寄進の石積み等が残る。亨保3年、加藤氏が江戸へと参勤交代に向う途中、伊予灘沖で大暴風雨に遭った。海岸へ向い祈りを捧げたところ、土山地蔵尊より船へと向い一筋の光が放たれた。それから間もなく風雨は治まり、光跡を追うことで岸へと無事辿り着き、難を逃れることができた。加藤氏は江戸から帰路、豊田の浜に船を寄せ、願ほどきのため堂の周囲に石垣を築いた。
・上述の伝説により、海難に霊験有りといわれる。
・「多風呂木滝山城主・久保式部入道道春が、郷土鎮護のため、池窪の地に西光寺を建立し、その一堂宇として地蔵堂を建立し、地蔵菩薩を勧請したと伝えられるが、この土地を守るというので、土山地蔵という名がついたのである」(双海町誌)

池ノ久保土山地蔵尊
 亨保3年、肥後の国の参勤交代のため伊予灘沖を通過する時、大暴風雨に遭遇した。海岸に向かって加護を願ったところ、土山地蔵尊より難船に向かって一大光線が突如としてひらめき、たちまちにして風雨がおさまり、無事助かることができた。領主は帰国の帰路豊田の浜に到着し、当山を訪ねて参拝し、願ほどきのため城妬の浜より手探りで石を選び、お堂の周囲に石垣を築いたと伝えられている。

→池窪のシイノキ、池窪のツバキ
→慶徳寺
(以上2004/9/21)
池窪土山地蔵の石垣
・町指定文化財[史跡](昭和50年3月1日)
・管理者 池窪区長
・時代 享保三年(1718)
・由来 肥後之国領主が参勤交代の際、救難祈願成就の願ほどきのために住民の協力を得て、手繰りで浜より石を運び嵐から守る石垣を築かせたものと伝えられる。
地蔵堂内部
・享保8年7月「池久保中」と台座に記された石仏が左側に。
・明治時代に奉納された絵馬が多数掲げられている。
大乗妙典一字一石
・「文化十癸酉八月吉日 義覚謹書」

ぶいもく地蔵尊【双海町唐崎】

赤石地蔵尊【双海町唐崎】

八十八ヶ所地蔵尊【双海町翠校区】

お地蔵さん【双海町灘町】

地蔵菩薩(キリシタン像)【双海町日喰 浜のお堂】

かくれキリシタン像【双海町奥重 鳥越】

ホウトウさん【双海町久保】

魚藍観音【双海町下浜】

稲葉■刀の祠【双海町岡】

掘切峠の地蔵【双海町串 松尾】

朝ヶ峠の地蔵【双海町奥西】

鳥越峠の地蔵【双海町奥東】

仏峠の地蔵【双海町】
・大久保八十八ヶ所
灯籠
・古橋念仏講連中献灯
・文政十三寅年(1830)

曳坂の地蔵【双海町】

赤石の地蔵【双海町】

海守地蔵【双海町 由並校の下】

町区3丁目の地蔵【双海町】

上灘港の地蔵【双海町】

富岡入り口の地蔵【双海町】
・文化八未年(1811)
・大久保八十八ヶ所
※多分、富岡川に架かる小橋の袂に佇む地蔵のことであろう。→年号を照合する必要あり。

供養塔【双海町 閏住】
・宝暦六丙壬年三月

秋葉山の道祖神【双海町日尾野】

壷神山の道祖神【双海町松尾】




明神山【双海町/伊予市】
2000

秋葉山【双海町】
2000

牛の峯【双海町上灘】
2001/1/28
・標高896m
・交通:JR上灘駅下車徒歩3時間(7km、未舗装)
・キャンプ可能
「諸山の中、一番高く牝牛の臥せるが如く見えているのが、此の牛ヶ峰に外ならない」(四国アルプス、北川淳一郎)
「皿ヶ嶺や前司ヶ森山などのような、雄大・崇高な男性美を持っていないが、何となく柔らかな、貞淑な、然もあまり肩の張らない下町風の女性を想像せしめ、懐かし味と地味なところに、言外の美と無限の情をたたえている」(四国アルプス、北川淳一郎)

本尊【双海町灘町】
・標高 180m
由並本尊山城跡

黒山【双海町】
・標高 730m

妙見山【双海町松尾】

八景山【双海町本郷】

八登山【双海町】

鷹巣山【双海町高野川】
「高野川村にあり 高山にして聖ヶ窪といふ広野あり 切石の石塔あり 昔し此所を高野にし寺を立んとしたる故にこれを取りて村名を高野川とせしと云ふ 一説に加茂義則といふ人此所に居て 五郎か矢倉十郎か櫓といふ所ありて大なる石あり」(伊豫温故録)


鉱山

川・渓谷

上灘川【双海町】
ふるさといきものの里百選(環境庁)指定
双海町ほたる祭り

日喰川【双海町大久保 日喰】

富岡川【双海町】
・富岡川水系

吉野川【双海町下灘 (串 下浜)】


池・沼・湖

おきよの池(東峯池)【双海町東峰】
1998
・国道56号線、犬寄峠のところにある溜め池。
・「上灘町岡区五郎兵衛の妻おきよは、大洲藩主より選ばれて加藤泰武の乳母になる辞任にあたりて藩主の何事でも一時は叶えさせようとの言に水源を深くして百姓を豊かにと希う此の池は藩主の感謝と夫の理解とおきよの真心により江戸時代寛延年間にできた  昭和26年9月3日」という碑が傍らに建っている。
加藤泰武(後の大洲藩主)の乳母おきよが、水不足で困っている村のために、時の藩主加藤泰衡に願って造ってもらったと伝えられている。

五郎兵衛池【双海町】




ダム

丸山橋
・施工 昭和33年9月5日
・施工者 福嶋建設


風景

双海シーサイド公園【双海町】
1998、2000/9/2、2000/9/15、2002/9/21、2003/1/12、2004/9/12

[1998]
▼波打ち際には、とても伊予灘のものとは思えないような貝殻がいっぱいであり、子供達と一緒に美しい巻き貝を探した。
▼そのあと、石段に腰掛けて沈み行く夕陽をしばし眺めた。
▼ここからの夕日の眺めは最高である...とのもっぱらの評判である。
▼建物の中には円柱型の水槽があり、輸入してきた鯰や海亀、カブトガニがいた。
道の駅 「ふたみ」
恋人岬


洞窟・鍾乳洞

樹木

三島神社のシイノキ群(7本)【双海町高岸 亀ノ森 三島神社】

オガタマノキ【双海町高野川(こうのかわ)高野川神社】

池ノ久保のツバキ【双海町池窪】
2004/9/12
・町指定天然記念物(昭和60年3月1日指定)
・町指定天然記念物(昭和60年3月1日指定)
・管理者 池窪区長
・樹齢 約200年
・樹高 約11.7m
・胸高幹周 約1.55m
・ヤブツバキは町内各地で見られる。このヤブツバキがいつ、どうしてここに植えられたかははっきりしていないが、お庵の木として植えられ、大切に保存されてきたものと考えられる。

池ノ久保のシイノキ【双海町池窪】
2004/9/12
・町指定天然記念物(昭和60年3月1日指定)
・管理者 池窪区長
・樹齢 不詳(約200年)
・樹高 約14.5m
・胸高幹周 約4.5m
・2本のシイノキが植えられた由来などははっきりしていないが、樹勢は壮健である。

こが樹【双海町柆野 柆野公民館横】

やぶ椿の群生【双海町本郷】

大杉群【双海町本郷 牛の峰地蔵尊】

しんぱく樹【双海町唐崎 信■寺】

大杉【双海町日喰 黒山神社】

欅【双海町日喰 黒山神社】

椋の木【双海町奥西 豊田神社】

椋の木【双海町本村 圓山神社】

秋葉様の蘇鉄【双海町本村 圓山神社】

榎【双海町松尾】




夕焼け小焼けライン【双海町〜長浜町】
・国道378号線
・沿線沿いには、植物学者・八木繁一氏が「伊予の花街道」と名付けたように、四季折々の花々(菜の花、紫陽花、芙蓉、...)が咲き誇る。



掘切峠

朝ヶ峠

鳥越峠

仏峠


「大漁」の碑【双海町串 下浜 下灘漁港】
2004/9/12

災害復旧碑【双海町串 奥西】
2004/9/12
・「災害復旧碑 愛媛県知事 白石春樹
昭和45年8月21日台風10号により未曾有の豪雨に見舞われ豊田川流域は原型を留めぬ大災害を受く 直ちに国県町の協力に依り復旧に着手一億二千五百万の巨費を投じ部落民の悲願茲に完成す
昭和48年8月吉日奥東部落
施工者 泉建設 豊洋建設」

→豊田神社(2004/9/21)

地すべり対策事業竣工記念碑【双海町串 本村 円山神社下(本村集会所横)】
2004/9/12
・愛媛県知事 白石春樹
・「本村部落は永年広範囲に亘り地すべり現象を受け生活に不安を抱いていたが昭和四十三年春之が対策事業を知るや区民総力を挙げて陳情を展開し同四十六年三月国県町の協力を得て願望の地すべり地域の指定を受け同年四月採択以来継続事業十一ヶ年間水路六、八〇〇米排水ボーリング六五本集水暗渠六本集水井工一ヶ所総事業費四億円を投入し昭和五十七年三月茲に本事業の完成を見るに到る 依ってこれを永久に記念し竣功碑を建立する
昭和五十七年三月吉日 本村区」

井上熊太郎翁頌徳碑【双海町灘町 双海町役場前】

三豊網栗田愛十郎翁記念碑【双海町上浜 若松造船横】
・大正12年建立。
※三豊というと、香川県の「三豊郡(みとよぐん)」を思い浮かべてしまうのだが、瀬戸町三机の「三」と双海町豊田の「豊」を合わせたものである。三豊巾着網は、若松儀平・戎井春造らが、瀬戸町三机の奥山又三郎から購入したイワシ巾着網である。栗田愛十郎は、三豊巾着網を資本面からバックアップした。
→えひめブックス26 伊予灘漁民誌、渡部文也/高津富男、愛媛県文化振興財団、平成13年)

加納善太郎翁頌徳碑【双海町上浜】

瀧山城主の碑【双海町満野】


公園

ふたみ潮風ふれあい公園【双海町】
 
 
潮風みどりの広場
親水広場
芝スキー
テニスコート
体験学習施設
ちびっこ広場
野鳥の森
展望台
あじさいの園
管理棟
千人塚の池
・公園入口にある。

八景山公園(はげやまこうえん)【双海町高岸】 
・本郷にある禿山を開発し、「八景山」と改めて公園造成した。
展望台
老松


祭り

牛之峰地蔵堂縁日(4/24、8/24)

下灘みなと祭り【双海町下灘 豊田港周辺】
・7月第3日曜日に下灘みなと祭り運営委員会、双海町観光協会の主催で開催される。
・漁船パレード、競り市、おごちそう祭りなどが行われる。

ふたみの夏まつり釣り大会【双海町】

夕焼けプラットホームコンサート【双海町】
・毎年9月第1土曜日に、JR下灘駅で開催される。

双海町ほたる祭り【双海町上灘】
・6月の第1土曜日に開催されう。
・双海町翠地区ほたる保存会が毎年5000匹のゲンジボタルを上灘川周辺に放流しており、ホタルの名所として定着してきている。

夏越祭り【双海町本郷 三島神社】

おひまち【双海町小網】
・1月11日の未明に、小網地区の若者が公民館に集まり、潮の満ちるのを待つ。満潮になると若者達は海中に飛び込み、体を清める。そして大漁祈願のため、餅つき・しめ縄作りを行い、出来あがったものは船玉様に奉納する。

獅子舞【双海町両谷】

秋葉神社祭礼【双海町岡】

地引き網【双海町本郷】

盆踊り【双海町下浜】

盆踊り【双海町池ノ久保】
・8月24日(裏盆)に行われる。
・長浜町青島から伝わったという盆踊りが伝承されている。
・団七踊り、なぎなた踊り、扇子踊りなどが行われる。


イベント

施設

学校

温泉

伝説

富岡橋の化け物
「」(双海町誌)

安徳様
「」(双海町誌)

百八頭塚
「」(双海町誌)

法師部落
「」(双海町誌)

よせ彦神社と物干し
「」(双海町誌)

三島神社の御石体
「」(双海町誌)

岡の石仏【双海町上灘 岡】
「」(双海町誌)

正光寺の阿弥陀仏
「」(双海町誌)

亀の石【双海町高岸 本郷】
「」(双海町誌)

宮崎の石地蔵【双海町上灘 灘町】
「」(双海町誌)

本尊山の大雨乞【双海町上灘 灘町】
「」(双海町誌)

犬寄峠の由来
「」(双海町誌)

池窪地蔵尊【双海町串 池窪】
「」(双海町誌)

血口と切っ先大明神
・血口[地名]:黒山城と土佐長宗我部勢との合戦があり、流血が著しかった場所。
・切っ先大明神:五輪塔の塚。合戦時の勇将の死骸を葬ったところ。
(双海町誌を参照)

黒山の石神
「黒山城跡の裏山に安置されている黒山大権現の石像は、第一代城主であった久保伊予守高実が、黒山神社の前身である滝野権現にお祭りしたものと伝えられているが、或る年黒山に大火災が生じ、その石神の半面が焼けただれていた。ところが大洲から石工が『権現様の修復にはせ参じました』といって、わざわざ大久保にあった大洲の番所へやってきた。誰が依頼したのかわからないので、不思議に思いつつ大洲へ運んで修理した。しかし修理はできたものの如何にして山上へ運搬するかほとほと困っていた。その時、或る人が『私にお任せ下さい』と申し出て、石神を背負いなんなく山上へ運んで安置した。その後、不思議にも船が黒山の沖まで航海してくると理由もないのにとまったりするので、お寺で占ったところ『これは権現様をお祭りする方向をあやまっているからだ』とのことで、さっそく豊田の方へ向けかえてお祭りした。それからは何のこともなかったということである。」(双海町誌)

黒山の大蛇
「」(双海町誌)

黒山城の金の茶釜
「」(双海町誌)

黒山の岩
「」(双海町誌)

黒山城より出た人
「」(双海町誌)


キャンプ

海水浴

人物

その他

曳坂【双海町 翠校区】
・灘と中山を結ぶ旧主要路。
山吹御前の悲しい物語が伝えられる

蛸(たこ)供養塔【双海町 小網】

鰯(いわし)供養塔【双海町 小網】

鰆(さわら)供養塔【双海町 小網】

鱶(ふか)供養塔【双海町串 下浜 下灘漁港】
2004/9/12



《References》



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