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こたろう博物学研究所 市町村別情報庫 砥部町 (旧・広田村) |
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村の花 | 村の木 | 村の花木 | 村の鳥 |
こぶし
(タムシバ) |
クヌギ |
明治23年地方自治制度により、総津、高市、玉谷、満穂、中野川、多居谷、猿谷、栗田の8カ村が合併、昭和4年に栗田村を分村、昭和22年の地方自治発布により現在の形となった。
大字 | 字 |
総津 | |
高市 | |
玉谷 | |
満穂 | |
中野川 | |
多居谷 | |
猿谷 |
大字 | 字 |
満穂万才【広田村満穂】
・村指定民俗文化財(昭和54年4月1日指定)
※伊予万才の流れをくむ?
篠谷獅子舞【広田村篠谷】
・村指定民俗文化財(昭和54年4月1日指定)
中野川獅子舞【広田村中野川】
・村指定民俗文化財(昭和54年4月1日指定)
鴨滝獅子舞【広田村高市】
・村指定民俗文化財(昭和54年4月1日指定)
・10月23日の地方祭に、高森三島神社で行われる。
・明治20年頃、稀代の獅子頭の使い手であった亀岡音五郎が伝授したとも、窪田和乎が教えたともいわれている。
・雄獅子1頭と、子役の猟師(長男に限る)を伴う。
・「肩おろし」「尻かぶり」「四方固め」「三番そう」などの演目がある。
本村獅子舞【広田村高市】
・村指定民俗文化財(昭和54年4月1日指定)
総津獅子舞【広田村総津】
・村指定民俗文化財(昭和54年4月1日指定)
・10月23日の総津三島神社の祭礼(地方祭)に行われる。
・「どんちゃか」、「おや」等の演目があり、大人の猟師が出演する。
・明治の中頃、現砥部町麻生より、安部多賀石が伝習したとも、また河地文六が荏原から習って帰ったとも伝えられる。
仙波獅子舞【広田村仙波】
・村指定民俗文化財(昭和54年4月1日指定)
多居谷盆おどり【広田村多居谷】
・村指定民俗文化財(昭和55年8月20日指定)
高市舎儀利(しゃぎり)【広田村高市】
・村指定民俗文化財(昭和56年9月1日指定)
・ひょっとこ、動物、猿など色々な御面を被って行列する祭り。
・少なくとも6人以上の男児が必要で、しばらくは過疎化により子供が居なくなったため途絶えていたが、近年復活した。
・明治時代初期には既に成立していた。数え年14歳で太鼓かき、15歳になったら愛俗会に入り横笛を吹いた。
立花太鼓【広田村高市】
・村指定民俗文化財(昭和60年4月1日指定)
立花城趾【広田村総津】
2002/8/18
・立花城は、人皇105代後奈良天皇の御時、立花三郎兵衛直澄が築城した。
・その後天正13年7月、豊臣秀吉の四国征伐により親城・大除城とともに落城した。
「橘城 総津村に在り 大野九郎兵衛直周居る
大洲秘録には大野九郎兵衛直純とあり
直純は直周の子なるか」(伊豫温故録)
石鉄寺【広田村】
2002/8/18
・四国八十八ヶ所霊場第51番札所・石手寺の奥の院。
・古文書によれば、弘法大師が青年時代に来臨し、修行したという。
秀禅寺【広田村総津】
2005/11/20
・宗派:曹洞宗
・山号:瑞雲山
・立花城城主の菩提寺として創建された。
・文政10(1827)年の全焼後、現在地に至る。
「総津村にあり 本は当村字景市谷に在り
不老山長蓮寺と号し 橘山の城主大野九郎兵衛直周の創建なり
境内に直周の墓あり 法名長蓮寺殿清質浄翁大居士といふ
天正十五年下城後 此の寺も中絶す 後ち今の地に草庵を営み本尊を奉し景市山周善寺と号す
元文年中当村庄屋城戸氏更に再建して秀禅寺と改む
此寺に書本の般若経あり 其末に
奉施入 宇都宮大明神御宝殿地頭大旦那源高実
応永二年乙亥一夏真読 助緑旦那平服部真伝庵書了
又
至徳元年甲子十一月十日此丘無心願主 地頭大旦那高実
応念二年真読
又
大旦那伊賀前地頭因幡守源朝臣高実
大勧進比丘宗圓敬題
大久保村黒山城主に久保伊予守源高実といふものあり
応永四年九月十八日卒すといふ 此経巻の奥書は伊賀前地頭播磨守源高実とあり
其時代も同年代なれども其の卒したる時と此経巻を納めたる時と其の間の年数の短にして考ふるときは別人なるに似たり
伊賀前は伊賀崎とも五十崎とも書し 喜多郡五十崎郷古田村 龍王城主にて天文中亡ひたる
伊賀崎修理太夫綱実は此高実の末なるべし」(伊豫温故録)
秀禅寺庭園
・庭園様式:池泉観賞式 ・作庭年代:江戸末期 ・すべて石垣作りで、おおよそ一般的な日本庭園とは異質の庭である。一般的な庭は、自然の姿にまとめたものであるが、ここは明らかに人工的であり、直線表現を強調している。しかしながら、数少ない庭木の姿は自然仕立てである。 |
福善寺【広田村高市】
伊雑神社(いざおじんじゃ)【広田村篠谷】
2002/8/18
・神名石は三輪田米山の筆によるもの。
正八幡帝王神社(しょうはちまんていおうじんじゃ)【広田村仙波】
・神社の海抜は約540m。
・正八幡神社と帝王五社神社が明治42年に合併して現在の名前になった。
・スダジイ、シラカシ、ウラジロガシなどの大木が社叢林に聳える。
「帝王神社 猿谷村字宮中にあり 此社は芳我台女帰国の時壷に神像と馬の角己れの生髪とを入れて持帰り
これを祭りて帝王五社大明神と称す 其壷には’Y’かくの如き角
この女の元服頭になりたる時の髪を入れありといふ壷は三斗ばかり入るべき大さなり」(伊豫温故録)
高森三嶋神社(たかもりみしまじんじゃ)【広田村高市】
2002/8/18
・神社の海抜は約400m。
・天正15年(1587)に、高野家の土居高市、武者所高盛が大三島より勧請し、高盛の名前をとって高森三嶋神社と称した。
玉森三島神社(たまもりみしまじんじゃ)【広田村玉谷】
2002/8/18、2005/11/20
・文化7年(661)に勅願により大三島から三島大明神を勧請した。その後、この霊神を上浮穴郡総津に遷宮し、跡地に大明神の分霊を祭って玉谷三島神社と称した
九十九穴権現
→三所権現 |
隠居神
・本殿裏の石積みの祠の中に木像が2体。 |
鳥居(石) |
社号碑
・明治23年8月建立 |
狛犬
・明治36年8月建立 |
鳥居(木)
・山王造り ・平成6年10月 |
常夜灯
・明治36年8月建立 |
三所権現【広田村玉谷】
2002/8/18
・この岩山は通称滝山と称し(穴滝とも称す)、三所権現(さんしょごんげん)、滝山岩屋寺とも呼ばれる旧蹟。約700年前に開所された。
・上の宮、中の宮、下の宮から成り、これが三所権現と言われる所以である。
・岩松が多い。
・「瀧山 玉谷村にあり 瀧山の瀧は嶽なるに嶽も瀑布と同じく
たき といふ 此地は嶽山にて瀑布にあらず 其の嶽高六十間横三十間 岩穴数多あり
これを九十九王子といふ 上の宮 中の宮 下の宮といへども
今は上に宮なし 下の宮へは嶽急にして行れず 中の宮に書付ありといへども分らず
裏板に書付 貞和二年九月五日玉谷村岩谷寺とあり
同社棟木に菊水宮といふ字見ゆるのみ」(伊豫温故録)
九十九の穴 |
豊峰神社(とよみねじんじゃ)【広田村】
2002/8/18
・権現山(広田石鎚)の山頂に鎮座する。麓に社殿有り。
芳我神社【広田村】
・「猿谷村字西屋敷に在り 大洲旧記に云ふ 芳我台女の霊を祭る
昔し平家の代に京都より懸り人あり 兄弟大ぜい有れども これを忌みて 我行かんといふものなし
其中に女子ありて名をはがんたいといふ 甚だ剛強にして男子も及ばず
此女のいふやう我男子の形となり行くべし 左なくは一門の命あるまじ 若し女体あらはるる時は是非に及ばず
これを家門の運と決し給ふべしと出でて仕ゆること年久し 其の内人知りあわれみて取りなし暇たまはり無難に帰りたり
最早年もたけたれば家の厄介として暮しけるが こころ猛けくして家内の者いとひ
果ては炭を起し火中に投入して焼殺しけるが 祟をなして家に凶事のみ打ち続きければ
僧に頼み塚を営み 微笑院宝影了知大姉と号しとむらひけるが 後遂に神祭りたるなりといふ」(伊豫温故録)→c.f.正八幡帝王神社
三島神社【広田村多居谷】
2002/8/18
三島神社【広田村総津】
2002/8/18
「総津村字松尾にあり 大宝に年越智玉興の創建といふ 由緒に斎明天皇玉谷村の地に行幸す
其の時当社を勧請すといふは他の古記にも見へざる説なれば取らず」(伊豫温故録)
※広田村に三島神社が多く鎮座しているのは、大山祇神が「山の神」であるためか.....。
高市鴨滝薬師堂【広田村高市】
七ツ墓【広田村】
「猿谷村庄屋の前に在り 総津橘城合戦のとき討死の者を葬りたるなりといふ」(伊豫温故録)
千人塚【広田村】
・天正年間長宗我部軍との戦いに敗れた総津立花城の将兵を埋葬した塚と伝えられる。
・戦場となった場所を「千人ヶ成」、将兵の休んだ場所を「桜休場」という。
権現山(小型石鎚、広田石鎚、総津権現、西の権現、伊予の西石鎚)【広田村】
2002/8/18
・標高440m。
・豊岳(遠見嶽)、権現嶽(雄岳)、赤の水岳(雌岳)の3つの山嶽が聳え立つ連岳峰。
・通称「広田石鎚」と呼ばれ、古くより山岳信仰の地となっており、地方信者をはじめ、山伏、修験者に親しまれてきた村の旧蹟。
・山頂には「蔵王権現社」が祭祀されている。
・「天狗谷」「のぞき場」など壮快な景色が楽しめる場所が幾つかある。
・毎年旧暦の6月1日には「お山開き」が行われる。
★登山道には本物の石鎚と同じように3つの鎖(「一のくさり」「二のくさり」「三のくさり」)が設けられとらい。山頂からの眺めもなかなかのもんじゃ。
★麓から約40分で往復できる手軽な登山コースになっとらい。手軽なっちゅうても、登り降りするんは結構しんどいわい。
素麺流し
・期間 :7/1〜9/14 (休業日:8/14〜16) ・営業時間:09:00〜16:00 ・料金 :大人400円 |
立花山【広田村】
2002/8/18
立花城址 |
コクゾ峰【広田村】
・標高825m
・山名は総津権現の社の奥の院として虚空蔵菩薩を祀っていたことに由来するという。
・広田村出身の画家・倉橋正泰氏の権現山俯瞰図には「虚空蔵山」と記されている。
ウツブキ山【広田村】
※山容はいかに?その名の通り「うつむいている」ような形をしているのだろうか?
北ヶ森【広田村】
・標高 1010m。
北ヶ森の黒ドンコ |
リュウのコマ【広田村】
リュウのコマのドンコ
・リュウのコマの頂の池に棲むという。 ※山頂に魚は棲息し得るのだろうか?遡行路なき池にドンコはどのようにして棲みついたのか? |
白滝山【広田村高市】
白滝山の天狗 |
蒲山【広田村】
・標高874m。
蒲山の天狗 |
水梨山【広田村】
・標高728.9m
※元々は「水無山」だったのではなかろうか。水涸れで困った村人が、言霊信仰的に「水無し」を忌み嫌って、果汁が多くて瑞々しい「水梨」の字を当てたものと推測する。
三郷の辻【広田村/久万町】
・標高931.9m
高土の峰【広田村】
・標高796m
広田鉱山【広田村 神の森地区】
野地鉱山【広田村高市】
満穂鉱山【広田村満穂】
玉谷川【広田村】
夫婦川【広田村】
中野川【広田村】
仙波ヶ嶽/仙波渓谷【広田村】
1994/4/3、2005/11/20
・伊予十二景の一つに選ばれる景観の地。その記念碑が路傍に建立されている。
・その昔、仙人とか天狗が棲んでいたとの伝説がある。
「猿谷村に在り 双方へ岩かふきて凄まじき所なり 此村庄屋城戸彌三郎といふ者通ると橋の東詰にて頭を撫でけるを抜き打にしけるに天狗の羽がひを切落したり
其の太刀は荘平といふ者今に持ち伝ふと大洲旧記に見ゆ」(伊豫温故録)
★水も綺麗なし、紅葉は綺麗じゃし、ひとときの安息にはもってこいじゃね。
「伊予十二景 仙波ヶ嶽」の碑
・大正15年10月建之 ・海南新聞社主催 |
土居不可止句碑
「石斛(せっこく)や 天そそり聳(た)つ 仙波ヶ嶽」 |
長曽池【広田村】
・総津権現口バス停から約4km。
・長曽池は、昭和8年に農業用水路として造られたんよ。
・面積175a、最大水深11m。
長曽オートキャンプ場 |
白糸の滝【広田村】
2002/8/18
・赤の水岳(閼伽の水岳)の奥深くより端を発した渓流に、高さ15mの白糸の滝がある。
・滝壷の直径は約5mで、水深は約2m。
・権現山の浄域として深く信仰と結びついており、中世時代の往古より滝垢離(たきごり)の「行場」とされ修験者達が大切にしている。
・ |
滝山権現【広田村玉谷】
上尾峠【広田村/砥部町】
2002/8/18
・国道379号線、砥部町との境界に位置する。
・上尾は広田焼の陶石の産地である。
(旧)上尾峠【広田村/砥部町】
2002/8/18
・峠には民家が一件。
大佐礼峠【広田村/中山町】
1996/10/23
大佐礼隧道 |
鍛冶屋峠【広田村/中山町】
2002/8/18、2005/11/20
境柱峠【広田村/中山町】
サレガ峠【広田村/久万町】
がくが峠【広田村/小田町】
別府峠【広田村/小田町】
間戸峠【広田村/砥部町】
2002/8/18
広田村には、郷土出身の俳人土居不可止の句碑が多数建立されている。
土居不可止句碑【広田村高市】
2002/8/18
・鴨滝への入り口、高市橋の袂に建立されている。
土居不可止句碑【広田村 仙波ヶ嶽】
「石斛(せっこく)や 天そそり聳(た)つ 仙波ヶ嶽 」
神の森公園【広田村総津】
1994/4/3、1996/10/23
・国道379号線沿い、玉谷川渓流沿いの一角に設けられた、自然溢れる公園。近くには仙波ヶ嶽、仙波渓谷もあり、のどかな1日を過ごすにはもってこいの場所じゃわい。なんせ、松山から車で40〜50分もありゃ着くしねぇ。
※ローラー滑り台を滑ろうと思ったのだが、生憎使用止め。(1996/10/23)
※愛犬ロイが、到着草々、アスファルト道路上(交流ふるさと研修の宿前)でポンを垂れる。仕方なく、とべ動物園のパンフレットで後始末をする。(1996/10/23)
道の駅「ひろた」(峡の郷=きょうのさと)
・国道379号線、仙波嶽よりやや南に下ったところにある。 ・平成6月4月に建設省より「道の駅」に認定された。 ・道の下側を流れる渓流沿いは遊歩道が整備されとる。 ・トイレ、休憩所、あずま屋等が設置されている。 ・伊予鉄バス小田参川線・神の森停留所下車 |
こぶしの家
・「こぶしの家」はちょっとした食堂になっておりまして、田舎料理が楽しめます。別に食事を注文しなくとも、タダで麦茶も飲ませて貰えるし、好感が持てらい。 |
陶芸舎
・「道の駅ひろた」に入って、向かって一番右手にあるんが「陶芸舎」じゃが、ワシはここへは入ったことがないんよ。広田焼を楽しむならば、(山の斜面に広がる)神の森公園にある農村工芸体験館の方が気軽に入れるけんねぇ。 ・広田産の陶石を生かした広田焼に取り組む中田正隆をはじめとする陶芸家が製作する窯場で、作品の展示販売も行っている。 |
ふるさと館
・あづまや、水車小屋、特産品センター、農村食堂(こぶしの家)などから成る。 ・「特産品センター」では、農産物、工芸品などを販売している。 ・伊予鉄バス小田参川線にて神の森停留所で下車し、停留所一帯を神の森公園として各施設を公園内に整備している 。 ※真ん中にあるのが「特産品センター」。農産物・工芸品などを販売しとる。じゃが、気の毒なことに、いつ行っても客の入りがいいとは、お世辞にも言えん。 |
神の森大橋
・平成6年5月完成。 ・木造のアーチ橋。車で走りよったらいやでも目に付くわい。(仙波ヶ嶽トンネルを抜けてすぐんとこよ。) ・重量20トンまでの車両の通行が可能。 ・長さ26.4m、幅7.9m ・2ヒンジアーチ橋 |
農村工芸体験館(アートクラフトコテッジ)
・神の森公園へ続く道を上がっていくと、すぐに赤い三角屋根の円形(正12角形)の建物が見える。ここが、農村工芸体験館「アートクラフトコテッジ」じゃ。 ・1階には、訪れた客が作成した広田焼の作品が展示されており、円周上に広田焼の創作が出来る部屋が配置されとらい。ここでは手練りもしくは轆轤による焼き物製作ができるんよ。粘土は確か、1500円〜2000円/kg程度じゃったと思いまさい。(焼き代込み) ・当然、「焼く」わけじゃから、作品が完成するまで1ヶ月程度待たんとならんのじゃが、待つのも楽しみっちゅうとこですわいね。 ・2階には倉橋正泰氏が所蔵しておる日本各地の「土鈴」のコレクション展示や、倉橋正泰氏・戸田修平氏の水彩画の展示がなされとるんよ。中国揚子江下りの絵じゃったと思うんじゃが、壮大な風景が描かれとります。あと、広田村に点在する風光明媚な場所も描かれてとるね。「総津の町並み」とか「長曽池」とか。 ・壁には玉谷面(木彫)[広田村玉谷 大野保彦作]の展示がなされとらい。 《1995年10月28日》 ・家族5人でドライブに出かけた。秋の紅葉でも眺めようと仙波ヶ嶽を目指した。公園が整備されているという話を仕入れてたんで、仙波ヶ嶽で一通り渓流沿いの自然美を楽しんだ後で、神の森公園にふらりと寄ってみた。赤いとんがり屋根の建物で体験陶芸ができるということで、粘土2kgを買って広田焼に挑戦することにした。 《1995年12月2日》 ・焼き上がった焼物を取りにいく。 |
交流ふるさと研修の宿
・農村工芸体験館から更に上ると最上段に「交流ふるさと研修の宿」があらい。文字通り、「宿泊する場所」なんじゃが、夏ならではの特筆すべきこととしては「かき氷」が食えるっちゅうことじゃね。この界隈では、アイスクリームを食べとうなっても、売っとるとこがないけん、ままならん。「こぶしの家」にもアイスは置いとるんじゃが、なんせ客が少ないせいか、滅茶苦茶冷蔵庫の中が氷結して、アイスよりも多いぐらいの状態になっとる。 ・宿泊費用もいっぺん調べたのですが、なかなか資料の山から出て来んのよ。悪しからず。確か4000円程度でメシも食わせてくれたはずなんじゃがなぁ。 ・1階には16畳の研修室(和室)、2階には宿泊室(和室)が8部屋あるわい。 |
藤の森神社
・アートクラフトコテッジの東側のところに小さな祠がある。 |
山菜まつり(4月)
・春先の広田村内の野山で取れる山菜(タラの芽、ウド、ゼンマイ、ワラビ)を主に販売。
・ふるさと生活館前
ほたる祭り(6月)
・6月に一番自然のホタルが飛び交う時期を選定し、特産品販売とホタル鑑賞を行う。
・ 神の森公園他
権現山お山開き(旧暦6月1日)
・総津三島神社のご神体を豊峰神社に迎え、一夜護摩祈修を行ってから、斎戒沐浴した一信者に背負われて山に登られ、夕刻には三島神社に戻る。豊作祈願もあり、多くの信者でにぎわう。
・権現山登山口にて
権現山そうめん流し(7月1日〜9月中旬)
・自然の冷水を利用して、夏期のやすらぎを、憩いの婆として、そうめん流しを行っている。
・権現山登山口
地方祭(10月23日)
・各集落で神社より御輿を出し、獅子舞を行い、秋の豊作を祝う。
ふるさと産業まつり(11月3日)
・農産物・林産物・畜産関係の品評会や農林業相談所、農林業機械の展示・販売、芸能競演会等が行われる。
数珠まわし
鬼の金剛(1月16日)
・多居谷、総津、高市(山谷、鴨滝)などで行われる。
亥の子
キタガモリの黒ドンコ【広田村篠谷】
・猿谷橋の袂に看板が有る。
昔、この山の麓に洞穴があって、その底には深い水たまりがあり、大きな黒ドンコが住んでいた。
この噂を聞いた三津浜のエンコが早速生け捕りにしようと思いやってきた。やっとのことで捕まえて、背負って旧街道を急いで帰る途中、通り谷の池の土手に差し掛かったところ、池の蛇が大きく首を出して、「よーい。キタガモリのドンコどん。どこへ行くんぞ?」と声をかけてきた。
「おー。退屈なもんで三津ヶ浜へ砂かぶりに行こう思うて行きよらいのー」と返事をした。
これを聞いたエンコは、持って帰って焼いて食おうと思っているのに砂かぶりにいくというのでは気持ちが悪い。「これは食うどころではない。こっちのほうがやられる」と思い、急いで引き返し、元のところに戻したという。
★「物云うドンコ」伝説の典型パターンじゃね。
★北ヶ森の南に「リュウのコマ」という場所があるんじゃけど、そこにも「物云うドンコ」伝説が転がっとるそうじゃかぃ。
ドンコ伝説地 | ドンコ棲息地 | ドンコ強奪犯
ドンコ発見者 |
ドンコが喋った場所 |
北ヶ森 | 北ヶ森 | 三津浜の河童 | 通り谷の池 |
リュウのコマ | リュウのコマの頂の池 | 三津浜の河童 | 鳴滝(千里口) |
どんこ池 | 砥部七折のつちこが池 | 余戸の百姓 | − |
小田 | 池の成の大池 | 村人 | 落合の橋 |
白滝さまの金平狸
むかし、高市の白滝山に金平狸と呼ばれる狸が住んでいた。満月の晩には本村に出て来て、村人達に提灯行列を見せたという。
(愛媛県広田村 山村留学10年のあゆみ、2001年11月)
リュウのコマの足跡【広田村多居谷】
多居谷川の水源である北谷嶺のふもとに、高さ約10m、幅約30mに及ぶ赤紫色の巨大な岩嶺があり、駒ケ瀧はここに落ちている。瀧の頂上に約4uほどの平らな所があり、ここから水源に向かって、溝中央の岩石に馬蹄の跡が残る。これは昔、天の神様が「リュウのコマ(龍の駒)」に乗って天下り、富重部落の方へ行かれた跡であるという。以後、雨乞いの聖地とされている。
散取宮【広田村篠谷】
※散取川(さんどりがわ)
状山【広田村篠谷】
大森彦七の家来、仁兵衛(弓の名人)に纏わる話。
七箱の宝物【広田村多居谷】
九十九の穴【広田村玉谷】
2002/8/18
玉谷小学校から500mほど離れた山の中に小さな社がある。その裏山の直径20mほどの岩に子供の頭くらいの穴が99ある。これが通称、滝山・穴滝である。
[パターン.1]
これは昔伝教大師が修行のために玉谷に来たときに、村人への願掛けとして夜明けまでに100の穴を彫ろうとしたところ、夜明け間際にいたずら狸が一番鶏の鳴き真似をしたので、100穴が完成しなかったものと言われる。 |
[パターン.2]
弘法大師と天邪鬼の穴掘り合戦があり、一夜のうちに天邪鬼が掘った穴は九十九個あり、これに九十九王権現を祀った。 |
[パターン.3]
弘法大師が四国巡錫の途中、玉谷に来られ、滝山の岩に一晩で100個の穴を掘ろうと思い立った。音を聞きつけた天邪鬼も負けじと掘り始めた。負けそうになった大師は、まだ夜の明けぬ先に鶏の鳴き真似をしたので、天邪鬼は穴を掘るのを止めた。このとき天邪鬼が掘った穴99個に九九王権現をまつったといわれている。 |
★丹原町の「正善寺生木地蔵の話」と相通じる話じゃね。
★しかし、パターン2,3の話はちょっと矛盾が生じる。大師と天邪鬼がお互いに掘ったのだから、少なくとも140〜150の穴は出来たのではないか!大師が「穴掘るでぇ!」と言いながらも御就寝されていたなら別だが。
★2002/8/18探訪時、近所のおばちゃんに聞いた話では、「天の邪鬼」+「弘法大師」の組み合わせであった。
天狗
仙波ヶ嶽
・天狗・仙人が棲んでいた。 |
白滝山の天狗【広田村高市】 |
蒲山の天狗【広田村】 |
ぬび上がり(三尺坊主)
猿谷橋 |
高市 柱松 |
河童
カンカケ淵
・青山〜上田渡(カンカケ淵)に河童が棲んでいた。 |
龍
あゆ返し【仙波】 |
大蛇
蛇骨【猿谷】 |
蛇淵【総津】
総津町裏の川にあった気味悪い淵の近くに美しい娘が住んでいた。いつからか夜になると、どこの誰かはわからないが、1人の若者が遊びに来るようになった。母親は若者の着物の裾に糸を縫い付け、その糸をたぐっていくと、ちょうど淵のところで終わっていた。若者は再び訪ねてくることはなかった。娘は月満ちてこどもを生んだが、それは蛇に似ていた。人々は若者は蛇の化身だと思い、以後その淵を蛇淵と呼び、そのこどもをまつって蛇神様とした。(広田村誌) |
蛇神様【総津】 |
龍蛇塚【総津 正岡氏宅】 |
かもだきの龍蛇
むかし、高市のかもだき(鴨嶽)という所に大きな龍蛇が棲んでいたという。 (愛媛県広田村 山村留学10年のあゆみ、2001年11月) |
不動大権現【総津】
千人ヶ成【総津】
芳我台【猿谷】
化粧井【猿谷】
のまずの水【猿谷】
七つ墓【猿谷】
まま子嶽【仙波】
鬼ヶ臼【総津落合】
修験者成瀬仲次郎
明治・大正時代に山伏として活躍した修験者で、ふかく石鎚権現を信仰して、大先達の資格を授けられた。数々のエピソードを残す。
丑寅の大洪水
およそ300年前の寛文年間に、部落始まって以来の大洪水があり、氏神様の梢より高い古木の梢までも水がつき、ご神体が流されたのを、お拾いしたほどであった。いたるところ山津波、つえぬけが発生した。(広田村誌)
長曽池オートキャンプ場【広田村長曽】
1996/10/23
※改修工事中で、池の水も干上がっていた。(1996/10/23)
ひょうたんのつぼ【広田村玉谷】
2002/8/18
・玉谷から中山町へ抜ける県道沿いにある。
・旅人の喉の渇きを癒す清水が湧き出ている谷川の石に、ちょうど瓢箪の形の窪みができている。
夫婦岩【広田村高市】
・平畑へと入る谷の入口にある。
・雄嶽(おんだき)、雌嶽(めんだき)の二つから成る。
・「大つごもり」の日には1つになる。
カジカガエル
・広田村の清流に広く棲息する。その泣き声は非常に美しく、古来多くの詩歌に「河鹿」として詠まれる。