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東温市
(旧・川内町)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要


キャッチフレーズ
(1).「みどりと文化のまち」
(2).「深呼吸の似合うまち」
(3).「うるおいと活力のあるまちづくり」

町の花 町の木 町の花木 町の鳥
菊(きく) 木犀(もくせい)

特産物

沿革
・昭和31年、北吉井村、南吉井村、拝志村が合併して重信町となった。
・平成16年9月21日「市制」へ移行し、川内町と合併して東温市となった。

地名
大字
山之内(やまのうち)
→東温市山之内
樋口(ひのくち)
→東温市樋口
横河原(よこがわら)
→東温市横河原
志津川(しつかわ)
→東温市志津川
西岡(にしおか)
→東温市西岡
見奈良(みなら)
→東温市見奈良
田窪(たのくぼ)
→東温市田窪
牛渕(うしぶち)
→東温市牛渕
南野田(みなみのだ)
→東温市南野田
北野田(きたのだ)
→東温市北野田 
野田(のだ)1〜3丁目
→東温市野田1〜3丁目
上林(かみはやし)
→東温市上林 
下林(しもはやし)
→東温市下林
 
上村(うえむら)
→東温市上村


文化財

除ケの堰堤【重信町山之内大畑乙62】
2003/9/7
・国登録有形文化財(平成13年4月24日指定、文化庁、第38-0018号)
・昭和10年の建造物
除ケの堰堤(登録有形文化財)
所在地 重信町山之内大畑乙62
建設年代 昭和7年から昭和10年
形態 直線型重力堰堤2段
大きさ
 主堰堤長 115m
 副堰堤長 92m
 主堰堤直高 12m
 副堰堤直高 7m
 水叩長 20m
 水叩幅 75.5m
概要
 一級河川重信川は、重信町の東三方ヶ森を水源とし同町から松山市西垣生の河口まで、多くの支川を合わせながら道後平野を貫流する河川である。
 この河川は、河川延長が短く、川床勾配の非常にきつい、急流河川であり、古くから氾濫を繰り返していた。
 このため、下流域を土砂災害から守ることを目的に、昭和7年に県営工事として同堰堤の建設に着手し、昭和10年3月に完成した。
 この除ケ堰堤のダム本体は、瀬戸内海の島石を17,000個余り使った伝統的な石積工法であり、歴史的な土木構造物として高く評価されており、現在においても圧倒的な造形美を誇り、土砂流出防止の機能を維持している。
 このようなことから、平成13年4月24日に文化庁の登録有形文化財として指定された。
 
 愛媛県土木部

イブキビャクシン【重信町北吉井 大蓮寺】
・国指定天然記念物

木造聖観音菩薩立像(1躯)【重信町山之内 福見寺】
・県指定有形文化財[彫刻]

麓の楽頭【重信町山之内 麓 五十八社大明神】
・県指定無形民俗文化財(昭和44年10月1日指定)
・麓組
・8月14日夜に行われる盆行事。
・古来より麓城主の教養や雨乞いに用いた念仏踊り。

ベニモンカラスシジミ【重信町上林】
・県指定天然記念物(昭和37年3月23日指定)

船川神社本殿【重信町上村 船川神社】
・町指定有形文化財(平成16年4月1日指定)
・東・南予地方では、長州大工作風の彫刻が多く見られるが、中予では非常に珍しい。それは、松山藩が長州征伐に出兵したため、長州大工が松山地方を嫌ったためといわれている。当神社も地元や周辺の大工によって建てられたものと考えられ、建築年代は新しいものの歴史的にも意義あるものと考えれている。

石造美術層塔及び五輪塔群【重信町仙幸寺】
1997/12/26, 2001/8/25
・町指定文化財(昭和45年3月21日指定)
・古来「おたちゅうさん」(塔頭=とうちゅう)と称され、里人に信仰されてきた。
・現在は歩壇を設けて安置されているが、それは明治になってからで、以前は周辺に散在していたという。
・層塔は五層で相輪部を欠いている。
・造立年代は不詳であるが、屋根の造り・全体の輪廊構造等から鎌倉時代の様式の 特徴を持つ。
・この辺りを仙幸寺といい、金堂、奥老坊、東王寺など寺院関係の地名・伝承があることから、この種右辺は一大寺地であったものと考えられる。

別府の石造物群【重信町下林 竿甲2073-2】
2001/8/25
@享保17年の凶作による餓死者の50回忌の安永10年(1781)に建立された石碑と座像地蔵尊
A文化10年(1813)の金毘羅道石柱道標
B石積台座常夜灯(年代不詳)
C昭和18,20,21年の大水害による死者の供養と復興祈念の地蔵尊

・町指定有形文化財[歴史資料](平成9年(1997)4月1日指定)
→市指定有形文化財[史跡](平成9年(1997)4月1日指定)
・所有者:仙幸寺東組
 
・享保17年(1732)は、天候不順と稲の最大の害虫「うんか」の大発生による大飢饉で、下林村の死者は44名。(下林、大安寺過去帳による)
・当時の村の年間死亡者が5〜6人であったことを考えると、大変なことでした。
・飢饉50年後建立の供養塔は、当時の農民の心。また、もう一基の立像地蔵尊は、昭和の大水害復旧工事のとき、犠牲になった松山刑務所受刑者4人の供養。
・そして、石積の常夜灯と金毘羅へ28里の道標。
・ここは、下林の近代史を凝縮した、歴史と祈りの小空間です。

三輪田米山筆36歌仙絵馬
・町指定有形文化財[絵画書跡](昭和56年7月1日指定)
・江戸時代の書家三輪田米山筆による歌仙図。画工は藤田光蔵。

五十八社大明神の雨乞い面【重信町山之内】
・町指定有形文化財[彫刻](昭和44年10月1日指定)
・地元の人々は「御面様」と尊称し、不思議の面として信仰される。
・雨を呼ぶ面として門外不出のもの。
・室町時代の作品。

彫刻 鼻高面
・町指定文化財(昭和56年7月1日指定)

木樋(門樋)【重信町見奈良 歴史民俗資料館内】
・町指定有形文化財[歴史資料](平成9年4月1日指定)
・昭和61年、上村源平谷池の近代改修工事中に発見された。
・木樋に刻文があり、文政10年に総樋替えが行われていることが伺える。
・この地方の溜池の築造年代等も推定可能になり、貴重な水利資料である。

工芸品 銭壷及び古銭【重信町下林】
・町指定有形文化財[工芸品](昭和56年7月1日指定)
・昭和31年、下林字定力から出土した古備前焼大壺(高さ6cm、胴経195cm、重量27kg)。
・壺中に宋銭が入っており中世の財物保存の事例資料である。

工芸品 鉄鉾
・町指定文化財(昭和56年7月1日指定)

志津川古墳群出土遺物【重信町見奈良 歴史民俗資料館内】
・町指定有形文化財(平成16年4月1日指定)
・人物・子持ち壷類の装飾須恵器は西日本を中心に広く出土しているが、数は多くなく貴重な遺物である。

拝志古窯群出土遺物【重信町見奈良 歴史民俗資料館内】
・町指定有形文化財(平成16年4月1日指定)
・軒丸瓦及び、刻字入り須恵器片は、奈良時代末から平安時代初期のもので、松山平野に残る廃寺等との関連を解明する貴重な資料。
・また拝志古窯群伽藍1号窯跡は、県の文化財保護巡視場所に指定されている。

雨乞い三面【重信町牛渕(浮嶋神社)、野田(徳威三嶋宮)】
雨乞い三面(第一面) 雨乞い三面(第二面)  雨乞い三面(第三面)

・町指定有形文化財(平成16年4月1日指定)
・早稲田大学後藤淑氏(面の研究者)の調査報告が有る。
・  室町時代〜鎌倉時代の面がほぼ完全な形で残されていることは、町内では珍しく貴重な工芸品である。

経塚【重信町下林】
・町指定有形文化財[史跡](昭和45年3月21日指定)
・由来不詳。
・方7m余りの墳丘で、丘上に異形の石塔1基がある。
・築造年代は室町初期と推定される。

龍神社の金幣【重信町見奈良 歴史民俗資料館内】
・町指定有形文化財(平成16年4月1日指定)
・近年では、金幣を見ることは少なく、当時の神祭を知る上で貴重な資料。

上市地蔵尊・下市地蔵尊【重信町志津川】
・町指定史跡記念物(平成16年4月1日指定)
■残されている屋号など
伊勢屋、中野屋、唐津屋、岡田屋、茶屋、紺屋(2)、木屋、お江戸、米田屋、増屋、上酒屋、下酒屋、雑貨屋(2)、診療所(野村良哲)と至建堂、寺子屋(竹村周造)、札場、殿倉

上林の六十六部回国供養塔群【重信町上林 高智】
2002/6/1
・町指定有形文化財[史跡](平成9年4月1日)
高智橋やや下手の県道沿い。

上林の六十六部回国供養塔群【重信町上林 谷】
2002/6/1
・町指定有形文化財[史跡](平成9年4月1日)
・天明5年(1785)〜文政5年(1822)まで、ほぼ40年間にわたり建立された上林地区の7基。すべて自然石。
「町内には、現在15基の回国塔があり、内7基が上林地区の道沿いにあります。 
釈迦滅後56億7千万年後に弥勒菩薩が人々を救う。それまで経典を守り伝える目的で、66部の経を写し全国66か国の代表的な社寺・霊場に一部ずつ奉納して巡る人を「六十六部」略して「六部」「回国聖」「行者」などと呼びました。(明治3年廃止令) 
その納経満願のしるしが「回国塔」です。 
上林の回国塔の特質は、巨大で建立に相当の財力や人力の合力があったこと、回国者や建立者が、村人にとっては、■の人が多い事。刻文に「天下和順・日月清明」といった大らかさや、上浮穴郡との交流に想いを馳せてくれることなどでしょうか。

上林の六十六部回国供養塔群【重信町上林 花山】
2002/6/1
・町指定有形文化財(平成9年4月1日)

ねり行事【重信町牛渕 浮嶋神社】
・町指定無形文化財[民俗](平成9年4月1日指定)
・浮嶋神社の秋祭り行事。
・松山地方では他に例のない珍しい伝統行事。
・起源については不詳ですが、100〜150年前には行われていたとのこと。
・色とりどりの装束の獅子や振り奴・御輿など170余人の行列が練り歩く。なかでも、化粧まわしを着けた4人の力士によって行われる土俵入りが見物。

里神楽【重信町下林、牛渕、上林】
・市指定無形民俗文化財(平成16年4月1日指定)
・現在3団体の神楽保存会があるものの、これらは全て渡部禎之氏の指導であり、保持者渡部禎之氏を指定しておくべきと考えられる。

三奈良神社のクヌギ【重信町見奈良 三奈良神社】
・町指定天然記念物(平成9年4月1日指定)
・目通り周囲301cm・樹高19m、枝張り20m、南北19mの大木。
枝が南東へ水平に伸び、クヌギの枝張りとしては非常に珍しい。
県下最大の可能性がある。

烏ヶ嶽城跡叢林【重信町山之内】
2003/9/7
・町指定天然記念物(平成9年4月1日指定)
・照葉樹林の残存林として中予地区では特筆すべき希少な群落。
・中腹より少し上に立っている目通り243cmのコナラ、307cmのウラジロガシ樹容は見事。
町、記念物(天然記念物) 烏ヶ嶽跡叢林

指定年月日 平成9年(1997)4月1日
所在地 大字山之内字藤之内437-1〜439-1
所有者 同字柚ノ木2151 稲荷五社神社
群落組織
 登口 スダジイ、ツブラジイ、ケヤキ、コナラ、イロハモミジ、アラカシ
 登口下部 ヤブツバキ、ツクバネウツギ、ヤブコウジ
 登口上部 サカキ、ソヨゴ、リョウブ、コナラ、ウラジロガシ、エンコウカエデ
総面積 26,762u
説明
 稲荷五社神社社叢とともに平成元年、松山東雲短大森川国安氏松井宏光氏の調査で、照葉樹林の残存林として中予地区では特筆される希少な群落であり、郷土の自然遺産として厳重に保存すべき叢林と評価されました。
 標高370mの山頂付近には、小規模の中世山城と推定される堀切跡と郭跡を残す烏ヶ嶽城跡がありますが、林そのものは、自然林の姿を残し、中腹より少し上の目通り243cmのコナラ、307cmのウラジロガシの樹容は見事です。
 道路に面した部分は、平成9年の台風で傷んだ部分もありますが、山容そのものはしっかりとしており、これより先の奥重信と呼ばれる自然景観への関門とも言える景勝地です。

重信町教育委員会

稲荷五社神社社叢【重信町山之内柚ノ木2151】
2003/9/7
・町指定天然記念物(平成9年4月1日指定)
・スダジイ優占のウラジロガシが混成する林で、暖温帯株の原生林であるシイ林の代表的な残存林。
名称 スダジイとアカガシ

樹容
 スダジイ   樹高推定 9m 目通り周囲 4.05m
 アカガシ   樹高推定 17m 目通り周囲 4.5m
考察・由来
 稲荷五社神社の周辺には自然のスダジイの大木が群生しており、秋には足の踏み場もないほど石段に実が転がり落ちる。中予地方のシイ林はコジイがほとんどでスダジイは希であるばかりか、この群落はシイ林の代表的残存林として大変貴重である。この群落を代表する大木が境内の右手奥にある。
 アカガシは、境内の左手にあり、県下第5位の大きさを誇っている。このアカガシは根元に空洞があり、この神社の御神木として祭られている。

 平成4年3月 重信町

スダジイ
アカガシ

漣痕化石【重信町山之内】
・町指定天然記念物(昭和56年7月1日指定)
・7,500〜6,500万年前の波の化石、地質学上極めて貴重なもの。
・縦約50m、横約20mの一枚岩の表面に波の跡を残し、わが国の漣痕化石の中でも特筆の値するものである。また、太古この地帯が海辺であったことを物語っている。

大ツツジ【重信町見奈良】
・町指定天然記念物(昭和56年7月1日指定)
・ヒラドツツジ系の1品種。
・樹齢約125年、高さ2.8m、周囲20m・
・花の色は紫紅。

ヤブツバキ【重信町山之内】
・町指定天然記念物(平成9年4月1日指定)
・目通り周囲190cm、地上1mで2分枝左164cm、樹高5.5m、樹齢200年以上(推定)。

シラカシと龍神社社叢【重信町山之内】
・町指定天然記念物(平成16年4月1日指定)
・平成元年8月、松山東雲短大の森川国康氏、松井宏光氏の調査で町指定天然記念物に推薦されている。)

宇氣州神社社叢【重信町田窪】
・町指定天然記念物(平成16年4月1日指定)
・平成元年8月、松山東雲短大の森川国康氏、松井宏光氏の調査で町指定天然記念物に推薦されている。)
・明治28年古社寺取調帳(南吉井村役場)の宇氣州神社境内の絵図に描かれた樹木(大木)が現在も9本見られる。



城址

花山城跡【重信町】
2003/8/16
花山城趾
現在地 温泉郡重信町大字上林字城山
 本城は、「予陽河野家譜」によると、荏原城(松山市恵原町)城主平岡氏が築き、家臣相原土佐守に守らせていた。
 天文22年(1553)8月、久万大除城主大野紀伊守利直がこれを襲って落城させ、家臣森伊豆守を城代とした。
 この城は、三方断崖絶壁、地の利を最大限に活用し、東西にのびる尾根上に三段にわたって郭が設けられている。Uの郭から尾根伝いに花山地区に通ずる小道には、三本の堀切が設けられて、背後の守りを固めている。またVの郭から北方にむかって急峻な崖を下ると約50メートルで小規模な削平地に至る。おそらく出丸様の郭が設けられていたものであろう。出丸様の郭から本丸に至る通路も三本の堀切によって防御が固められている。また、TUの郭には建造物の礎石らしきものも散見され、石垣の残塁もみられ、古城趾を語るにふさわしい面影を残している。

 花山城遺構図(縄張図) (昭和61年8月調査)

重信町観光協会 重信町教育委員会

岩伽羅山城跡【重信町樋口】
・「樋口村の北方、岩伽羅山の頂に在り、河野の一族和田通俊より代々これに居る、其の孫三河守通興武威に募り河野家に叛く、天文二十三年九月岡大和守房寶・河野屋形の命を受てこれを攻む、通興敗走し、山之内村に至って自殺す、其の墓同村字御所に在り、後其一族和田山城守通勝を嗣とし城主たらしむ、其子右衛門尉通繁に至て天正中湯月城と同時に亡ふ、河野譜代臣録に載するもの左の如し
御侍大将十八将之内
久米郡岩伽羅衣掛城主 和田山城守通勝 手勢十一騎御旗下組十三騎合二十四騎
御旗下組衆
渡部丹後守 大西杢之丞 日吉六郎右衛門 有岡右京進
堀池右馬太夫 木原源右衛門 中太郎次郎 和田兵庫介
中邑兵衛次郎 堀池九郎三郎 久保    貮人不分
(伊豫温故録)
岩高(かう)城 同所(志津川) 和田氏(予陽郡郷俚諺集)

衣掛城【重信町樋口】
・「樋口村の北方山字衣懸に在り、岩伽羅山の南半腹なり、和田氏の属城にして、天正中日吉六郎右衛門尉これを守る」(伊豫温故録)
絹掛城 同所(志津川) 三河守(予陽郡郷俚諺集)

吉山城(城山)【重信町】
2001/5/1
・標高263m。
・「志津川村の北方山字城ヶ谷に在り、岩伽羅山の属城なり、天文二十三年より荏原町棚居城平岡氏の持なりしが後再び和田氏の属城となる」(伊豫温故録)
吉山城 志津川 和田伊予守居城と云」(予陽郡郷俚諺集)

★2001/5/1
・志津川霊園のところから車一台は通行可能な道路が山頂付近まで続いている。
・山頂北側でぐるっと折り返すと小学校の遠足にちょうどいいような広場があり、その先に頂上へと急坂(とはいっても10mにも満たない)がある。その坂を一気に登ると、なるほど、昔お城があったというのも納得できるような広い空間がある。
・その中央部には小さな祠と、昭和55年1月に志津川区により建立された碑が建っている。
・弁当を広げるには最適な雰囲気である。

烏嶽城(鳥ヶ瀧城)趾【重信町 山之内藤内】
2003/9/7
・中世の山城。元亀年間(1570-1572)、渡部丹波守渡部隼人がここを守っていたといわれる。
・標高 380m、比高 70m
・昔、桜三里が開通していなかった頃には、この道が唯一東予へ通じる道であった。
・「山之内村の東北藤の内に在り、天正以前渡部丹波守同隼人これに居る」(伊豫温故録)
烏ヶ嶽城址
所在地:重信町大字山之内字藤之内
 烏ヶ嶽城は、重信川の上流、山之内字藤之内にあった中世の山城である。元亀年間(1570〜1572)渡部丹波守渡部隼人らがここを守っていたといわれ、岩伽羅城主であった、和田氏につかえ、岩伽羅の後方を守る砦としてのはたらきをしていた烏ヶ嶽城が築かれた山は、標高380m、比高約70mで、重信の川や谷を見下ろすようにして、けわしくそそり立っており、敵の侵入を防ぐのにふさわしい地形をなしている。
 桜三里が開通するまではこの山から見下ろす重信川に沿った谷間の小径は、東予地方へ通じる唯一の駅路であったといわれ、馬木という地名はその名残りである。このことから、烏ヶ嶽城の付近は重要な交通路になっていたことがうかがえる。烏ヶ嶽城はその位置や遺構の大きさから考えると、敵の動きを見張りいちはやく戦いにそなえる重要な役割(監視哨的)を果たしていたと思われる。
(注)駅路=郡に通じる幹線道路で、途中、駅が設けられ旅をする役人は、ここで馬を乗り替えたり食事や宿泊をした。

 烏ヶ嶽城遺構図(縄張り図) 昭和61年8月調査

重信町教育委員会/重信町観光協会

烏嶽神社

御所城【重信町山之内麓】
・「山之内村字麓に在り、山内某これに居る」(伊豫温故録)
→c.f.山内御所
御所城 山ノ内(予陽郡郷俚諺集)

麓城(重門城、十門城)【重信町山之内麓】
2000/10/22
・城主は加藤遠江守であった。
・「山之内村字麓に在り、得居某これに居る」(伊豫温故録)



遺跡


古墳

志津川古墳群【重信町】
志津川古墳群出土遺物



跡地

千人塚【重信町】

長慶天皇行在之地碑【重信町山之内 麓】
1994/10/2, 2001/5/1, 2003/9/7
・麓への集落の入口、麓橋の袂に建っている。
・碑には「南朝最後之帝 長慶天皇行在之地  有縁建之石手寺」と刻まれている。
・平成三年建立。
・その横には「奈良原牛神神社 脇義助」なる小石碑が挟むように2ケ並んでいる。

山内御所【重信町 山之内】
・「山内村に在り、一に御所の城ともいふ、芳闕嵐史に曰、足利尊氏が反逆によりて、聖上には山門に行幸して叡慮を悩まし奉り専ら逆臣追討の聖旨を廻らしたまへ、共関の東西大方足利尊氏に属して勤王の士は僅か指を折るに過ぎさるなり、先つ河内には楠あり、四国には河野土居得能、筑紫には菊池、阿蘇の狐■あるも皆敵の為に陥らんとするにのぞみて、... 」(伊豫温故録)
→c.f.御所城


香積寺=隻手薬師(かたでやくし)【重信町田窪1504】→東温市田窪1504
1995/12/9、1996/10/24、2004/2/11
・宗派:高野山真言宗
・伊予十三仏霊場 7番:薬師如来
・新四国曼荼羅霊場 第46番札所
・伊予十二薬師霊場 第6番
・電話:089-964-2264
・交通:伊予鉄横河原線田窪駅徒歩3分
・春の大祭:4月
・毎月12日が縁日。
片手薬師の由来譚
當山大講堂建立記念之碑
建洞の句碑
「石槌の 今日も晴れゐる 二月かな」
  ・昭和33年2月松山渋柿同人建立
六地蔵
★野良猫の宝庫だ...。

護国院【重信町上村】→東温市上村159

西光寺【重信町北野田】→東温市北野田315
「明照山西光寺大持院 野田、 真言宗正観音、作知らず」(予陽郡郷俚諺集)

西林寺【重信町大字西岡1002番地】→東温市西岡1002
1993/4
・宗派:真宗大谷派
・山号:紫雲山
六道絵展(1993年4月)
・約千年前に天台宗の恵心僧都(えしんそうず)が、六道輪廻の考えに基づき巨勢金岡(かねおか)に描かせたという国宝模写絵の展示会。
★500円払って、娘と二人で入館(?)する。(1993/4)

慈光寺【重信町志津川】東温市志津川1470

浄土寺【重信町下林甲1671】→東温市下林甲1671
1997/12/26
・宗派:真言宗
・四国三十六不動霊場 第18番札所
・伊予七福神霊場:福禄寿神
中国生まれの仙人。福禄寿とは幸福・富貴・長寿の意味。  幸運・生活の安定・長寿そして大願成就の功徳がある。福は幸福、禄は天からの恵み・幸運、寿は長寿を表す。人々に幸福をもたらし、大願成就への道を授ける。
・山号:護皇山
・電話番号:089-964-3546
・真言:おんまかしりそわか
・文永11年、承久の乱に弊れた将兵達の慰霊供養の為、伊予国主越智通秀公が寄進、一遍上人が開山した。天正3年に至り、時宗を改宗して真言宗となる。四国三十六不動霊場として賑わい、全国唯一のほっこり老楽観音が祀られている。

大安寺【重信町下林】→東温市下林1216

大蓮寺(だいれんじ)【重信町樋口】→東温市樋口1025
2001/5/1
・宗派:真言宗
・山号:弧岸山
イブキビャクシン

長福寺【重信町田窪】

長林寺【重信町上林 花山】
上林の六十六部回国供養塔群
・町指定有形文化財(平成9年4月1日)
狩猟鳥獣供養塔

道音寺【重信町牛淵】→東温市牛渕457
・伊予十三仏霊場 9番:勢至菩薩

福見寺【重信町山之内/松山市】→東温市山之内1422
2000/4/16、2000/10/28
・山号:俵飛山(ひょうとびざん)
・奈良時代の養老2年(718)の開基と伝えられる。
・神亀年間(724〜729)、鎮守として蔵王権現が祭祀された。
・平安〜鎌倉時代は修験の霊場とされた。
・「山之内村の北方二里十四町福見山に在り、創建年月詳ならず、俚諺集に云、法道仙人は天竺人也、或夜紫雲に乗して我朝に来る、播磨国法華山に住し、常に法華経を誦し秘法を修したり、天竺より持来る物は千手観音銅像舎利寶鉢等也、大化元年八月船頭藤井に就て鉢を乞ふ、藤井公米なるをもて施さず、其の時鉢空しく飛去しが数多の米俵鉢を追ふて飛去る、藤井大ひに驚き、科を謝せしかば米俵飛帰るを本の如し唯其内の一俵南の河上に落つ、是より此地福人多し、此故事に由りて此寺を俵飛山福見寺と號す」(伊豫温故録)
・「山之内村 真言宗 本尊観音 法道仙人草創也。古へ開基の地は、今本堂より十八町山上に有、仁王門力士河野某作 之、元亨釈書に曰、法道仙人は天竺の人也、或夜、紫雲に乗り我朝へ来り、播州法花山に住し、常に法花を読誦し秘法を修す、天竺より持来物には千手の銅像、仏舎利宝躰也、孝徳天皇の御宇 大化元年八月、藤井と云船頭、大船に官貢を積南海を過ぐ、彼鉢虚空より飛下る、藤井が云是公米也、私に法施する事あたはず、鉢高く飛去ば、数千の米穀鉢を逐て飛行く、藤井驚き科を謝すれば、法道免 之、則米穀飛帰って本の如し、此故事に因て俵飛山と云、法道開基諸国に多し、蓋し当山も其一也」(予陽郡郷俚諺集)
本堂
鎮守堂
参篭堂
水月観音菩薩
・本尊である水月観音菩薩は、インドの僧・善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)作と伝えられる。
木造聖観音菩薩立像
・県指定文化財(昭和51年4月6日)
・総高161cm。
・桧材による一木彫り
・平安時代後期の聖観音。
俵飛伝説

福見岡寺【重信町山之内】

法蓮寺【重信町上林】→東温市上林3520
2000/9/3
・山号:吉祥山
玄海句碑
花山城主の墓
森伊豆守家継公 天文22年8月久万大除城主大....紀伊守利直と花山城を攻略。花山城主となる。....道後湯築城主河野家の幕下となり、天正13年9月...家と共に開城。ここに郷人 その威徳を景■し、昭和38年9月 墓石保存会を組織し、これを建つ。」

法寿院【重信町西岡】→東温市西岡1402-1
2001/8/15
・山号:養命山
・宗派:真言宗豊山派
・本尊:延命地蔵菩薩
・安産・子育ての乳地蔵さん(乳地蔵尊)がある。

妙宣寺【重信町牛渕】→東温市牛渕780


神社

稲荷五社神社【重信町山之内柚ノ木2151】
2003/9/7
稲荷五社神社社叢
「表彰状」の碑

浮嶋神社【重信町牛渕】
御面渡御
・12月20日に行われる。→c.f.徳威三嶋宮
ねり行事
・県内でも珍しい力士の土俵入りが行われる。
秋祭り
10月8日。
・お練り行事と呼ばれる、総勢100名の供奉行列が、浮島神社から堀池の霊社まで行われる。

岡八幡神社【重信町西岡】
・「西岡村に在り、誉田別尊を祀る、口碑に云、古久米川暴漲の後、里人此神像を発見したり、これを■するに此神像は山之内村字岡に祭る所の神なり、因て此地に一社を創建して岡八幡宮と称せりと云ふ」(伊豫温故録)

片山神社【重信町下林】
2002/6/1
・牛頭天王系の神社だろうか、拝殿内には「片山祇園宮」の額がかかっている。
・拝殿に向かって左側の奥に末社群が立ち並んでいる。勧請しているのは五穀神、天満宮など。

烏嶽神社【重信町山之内 烏ヶ嶽城登山道の途中】
2003/9/7

黒滝神社【重信町山之内】

五十八社大明神【重信町山之内麓】
2000/10/22
 
楽頭
・県指定無形民俗文化財
・五十八社大明神の神体は「ダイバ面」と呼ばれ、麓城主加藤遠江守に縁があるといわれている。ダイバ面は、御面様雨乞面とも呼ばれる。

水天宮【重信町大字横河原(樋口770-1)】
1995/12/9, 2003/9/7
・電話番号:089-964-9981
・交通:伊予鉄横河原線横河原駅下車10分、伊予鉄バス横河原下車徒歩7分
・祭神:天之御中主大神、安徳天皇、平皇后、平準后、堪山姫神、水分神、酒造司神、加藤嘉明命、足立重信
・祖霊社:氏子、崇敬者の先賢諸子を祭祀する。
・由緒:慶長7年1月5日、当時松前城主加藤嘉明公松山城を築くに当たり、足立重信公を普請奉行に任じて伊予川、石手川の付替工事に着手し、其の起工式を当宮社地に於いて行う為、九州久留米より(水難を除き、大改修の完成成就を祈願した)水天宮を奉斎して祭祀したるに始まる爾来数年を経て大改修の伊予川を重信川(足立重信を称へて重信川と名付けた)と改称して毎年の水害を免れ得ると同時に八千町歩の水田に潅漑して毎年20万石の良米を産出するに至って近郷近在の人々の歓びは譬様なく社殿を造営して五穀豊穣、商売繁昌、子供の育成、安産の神、水難火難の神、酒造司の神として部民の崇敬駕し。
 
秋祭り
10月7日。
・渡御にわたっての前夜祭である「宵宮祭」が20:00頃から盛大に催される。
・神輿渡御は 10月8日。 
護国神社
佐伯自得翁頌徳碑
大阪押尾川内 行司 初代 岩井政市碑

総東風神社【重信町山之内】
2003/9/7
・祭神:倉稲魂命(=宇迦之御魂命)、大市比売命、猿田比古命、健速須佐之男命、大気津比売命
・合祀:松島玉命

素鵞神社【重信町南野田】
2003/4/20
 
戸川神社

築島神社【重信町下林】
2003/4/20
 
戸川神社
・築島神社より、林道内山線をやや進んだところの道路脇に鎮座する。
つつじ山
・築島神社の裏の小高い山は、初夏には山肌一面につつじの花が咲き誇り、県道・伊予川内線を走っていると思わず目を奪われそうになる。
渡部吉隆殿生誕之地碑
・つつじ山の下の道端にある。
・正三位勲二等
「林道内山線開設(平成4年度)」の碑
内山林道改修記念碑
・重信町長 和田滋樹書
拝殿
・拝殿内部に掲げられている神名額は、陸軍大将秋山好古の書。
・拝殿内部には絵馬が多い。特に赤穂浪士シリーズが多い。大石蔵之助などが確認できる。
境内末社:生目神社
境内末社:惟神、五穀神
・末社と記したが、祠は存在しない。神名石が建っているのみである。

徳威三嶋宮【重信町北野田】
・電話番号:089-964-3417
・御面渡御:12月20日
・大阪住吉神社から持ち帰った河野氏の面を浮島神社と徳威三嶋宮が1年毎に持ち帰り祭っている。面は雨乞いの御利益があると伝えられ、鎌倉時代・南北朝・室町初期のもの3体。

天満神社
2003/9/7
 
菅公腰掛石
境内社:素鵞神社
・昭和48年、愛媛大学医学部敷地より移転。
境内社:中木原神社
・合祀:金刀比羅宮、白砂霊社、和霊社、荒馬霊社、大森霊社

樋口神社【重信町樋口】
2003/9/7

三島神社【重信町樋口】
2001/5/1
・「三島神社は神亀5年辰8月23日(皇紀1388年)、伊豫国守越智宿禰玉純公によって大三島より岩伽羅山上に勧請し、文治元年(1845年)岩伽羅城築城によりこの地に遷宮せらる。当時吉井郷一の宮であると伝えられる。 東方に鎮座せらる客八幡神社は、文中年間(2032年)、河野通定公によりて筑紫の宇佐八幡宮より勧請し、正八幡宮と称した。
慶長年間、天満宮を合祀、正八幡宮客天満宮と称せしが安政の頃、客八幡神社と改称。現在に至る。......」
と「縁起修復の碑」に刻まれている。

三奈良神社【重信町見奈良】
2002/7/22
 
境内社:和霊神社
彫刻 鼻高面
・町指定文化財(昭和56年7月1日指定)
工芸品 銭壷及び古銭
・町指定文化財(昭和56年7月1日指定)
工芸品 鉄鉾
・町指定文化財(昭和56年7月1日指定)
三奈良神社のクヌギ
・町指定天然記念物(平成9年4月1日指定)
伊予と私
伊豫と私 柳田國男
私と伊予との関係は具体的には明治41年から始まりましたが、菅菊太郎といふ人が十年前からの知人で、その紹介で西園寺翁を始め多くの伊豫史談の学者を知って何度となく県下をあるいて見たのです。但しこの時は松山にも永く滞在せず、久万に一泊しただけで土佐へ越えました。それは九州の南半を百日あるいて疲れて、弱って、しかも興奮してゐた際でありました。
 さまざまの 人のこころの くまも見つ うかとは旅を 思はさらまし
といふ歌を詠んだことを覚えてゐます。
古書が幾つとなく出てゐることと、山間毎の生活事情が著しくろがってゐるのがこの県の特色で、それを味ひに今度の大戦の初期までに七八回も通り抜けて見ました。今一番に書いて残したいのは永い年月をかけて調べてゐる「島々の鼡の話」です。伊予には最新の実例があるのみか「著聞集」に最古の記録さへあります。
 昭和33年9月9日 森 正史 穴書簡より
力石
宮送り
・10月10日
・川の上流から猿田彦命の像が流れ着いたのを拾い上げて祀ったのが起こりとされる。近年では、少年式を迎える中学2年生が儀式を執り行う。

拝志神社【重信町上林】
2002/6/1、2003/7/6
・鳥居の横には「正八幡大神/稲荷神社」の神名石が、また拝殿内部には「正八幡宮/稲荷神社」と記された社号額が掲げられている。
 
御由緒
御祭神
 正八幡神社:品陀和気命、應神天皇
 稲荷神社:宇迦之御魂神、保食神 他
 木花開耶姫命、高おかみ神
鎮座地 重信町大字下林甲173/174番地
氏子地 大字上林一円
御神徳
 八幡大神ハ政治経済文武ノ神、稲荷大神ハ産業発展、五穀豊饒ヲ司リ、木花咲耶姫神ハ山林ヲ治メ安産ノ神トシ、高■(おかみ)神ハ雨乞ノ神トシテ古来ヨリ尊崇サレテオリマス。
由緒沿革
 八幡宮ハ今ヨリ千百拾三年前清和天皇貞観九年豊前国(大分県)宇佐八幡宮ノ御分霊、山城国(京都府)岩清水八幡宮ヘ御遷座ノ途中、当村別府館河野氏ノ信仰ニ依リ当地ヘ御勧請申シ上ゲ尊崇シ奉ル。弘安四年七月蒙古ノ大軍筑前...河野通有等主従
御旅所松
在りし日の姿を収めた写真が拝殿内部に掲げられている。その写真額には、「御旅所松樹齢壹百拾五年(115年) 松食虫に侵され伐採 昭和五拾七年拾月拾三日」と記されている。

船川神社【重信町上村甲275】
1997/12/26
・祭神:大山積命(と思われる。本殿に紋有り。)→愛媛県神社誌によれば、祭神は大国主命、少彦名命。配神は事代主命。
・旧村社
・神社の前に流れる船川には赤い欄干の船川橋がかかっている。
船川は土石流危険渓流に指定されている。
・例祭:10月6日
「往古、大己貴命、少彦名命が伊予二名州に渉り、拝志の郷で民福の道を開き、御坂を越えて熊野山に移った。里人は真意を畏みて拝志浮名川の社に神籬を建てて崇め、村名を神山と称えた。(後に上村に改めた。)仁徳天皇のとき、浮穴千継、事代主命を合祀し、浮名川神と称えたという。」(愛媛県神社誌)
※ここで言う「御坂」は「三坂」のことで、「熊野山」は「久万山」であろう。
 
本殿
・春日造桧皮葺
拝殿
鳥居
・明神形
境内末社:荒魂神社
・祭神:火産霊神
※愛媛県神社誌には「竈神社(祭神:奥津彦神、奥津姫神)」は載っているが、荒魂神社は載っていない。
境内末社:素鵞神社
・祭神:素戔男命
境内末社:天満神社
・祭神:菅原道真公
境内末社:奈良原神社
・祭神:保食神
※愛媛県神社誌には載っていない。(新しく祀られたものであろう。)


お堂

二ツ石大師堂【重信町南野田】
2003/4/20
 
「弘法大師の伝説 二つ石の地」の碑
碑文
平安時代の初期 弘法大師がこの地を訪れ豪族横張九右衛門に托鉢を乞うた
九右衛門はこれをすげなく断った
大師が立ち去った泉のそばに二個の石が現れ 泉の水はしだいにかれていった
その後九右衛門の家族と泉のまわりの人々に災難が相次いだ そこで人々は
心をこめてこの地に二つ石大師堂を建てた 以後改築を重ねて今日に
およんでいる この堂の弘法大師像に祈願すれば霊顕あらたかという
昭和62年3月21日 二つ石大師堂改築寄進者一同
三霊地庭園
・四国にある弘法大師縁の三大霊地「石鎚山」「室戸岬」「大滝寺」をなぞらえたミニ庭園。


経塚(猿塚)【重信町下林 八幡】
・経典を埋納した墳丘上に石塔がある。


地蔵



東三方ヶ森【重信町/玉川町/丹原町】
・標高:1232.7m

西三方ヶ森【重信町/玉川町】

白潰【重信町/松山市】
・標高:1156m(三角点は1150.91m)

明神ヶ森【重信町/松山市】

・標高:1216.9m

福見山【重信町/松山市】

・標高:1050m(三角点は1001.3m)

ヨソ山【重信町/川内町】
2000/10/22
・標高:927.9m

岩伽羅山【重信町/松山市】

皿ヶ嶺【重信町上林】

 1999/10/23:
 2000/8/12:風穴〜龍神平一周〜山頂〜十字峠〜風穴直上〜風穴
 2000/11/19:上林トンネル〜陣ヶ森〜尾根縦走〜旧上林峠〜龍神平〜山頂〜十字峠〜旧上林峠〜上林トンネル
 2001/5/13:風穴〜龍神平一周〜山頂〜十字峠〜龍神平〜風穴
 2001/12/24:水の元〜〜旧上林峠〜龍神平〜山頂〜十字峠〜龍神平〜風穴〜水の元
 2002/6/1:
 2003/7/6:久万町畑野川登山口〜龍神平〜山頂〜龍神平〜風穴
 2003/8/16:久万町畑野川登山口〜龍神平〜畑野川登山口
・えひめ自然100選
・伊予鉄見奈良駅より南へ
・市駅より自動車で50分
・国道33号線三坂峠(六部堂)より東へ
「頂上の平地に滾々たる清水も湧く。テント夜営地にもって来いの所である。昔はこれを『亀ヶ城山』と云ってゐた。実際、城の跡が現にある。田窪あたりではこの山を『上林峠の山』と呼んでゐる。」(愛媛の山岳、北川淳一郎、PP.36)
※滾々=こんこん
 
皿ヶ嶺キャンプ場
水の元ロッジ

皿ヶ嶺山頂に近い竜神平のキャンプ場の登山口に位置する。
・丸太で組まれた素朴な山小屋で、自由に利用できる。
・道後平野を一望できる。
竜神平(隆起準平原)
2002/6/1、7/6、8/16
山地を流れる河川が地表を侵食し続けると、最終的には起伏の殆どない平原状の地形になると考えられる。この地形を準平原という。
このままの状態ならば地球上の山地はすべて侵食されつくすことになるが、準平原は隆起して高い山地を造る。隆起した山地は再び侵食を受けることになる。
愛媛県下では、瓶ヶ森の氷見二千石原、四国カルスト、大川嶺、皿ヶ嶺などに隆起準平原が侵食され、もとの平坦面が僅かに残っている部分が認められる。
風穴
1995/8/19,2000/8/12、2001/4/15、2002/6/1
・岩穴から四季を通じてほぼ一定の風が吹き出し、夏になると外気との温度差により神秘的な霧が発生する。

●風穴
・風穴(かざあな)は、山腹などにあって風を吹き出している穴で、これには人間の入ることの出来るものとそうでないものとがある。
・風穴(ふうけつ)は、富士山麓や阿蘇山などにある火山から流出した溶岩が地表を流れた時に形成された穴で、人間の入ることの出来るものに限定されているようである。
・愛媛県下では、人間が入ることができる風穴として風透の穴(西条市)、石ヶ内風穴(松野町)があり、また人間が入れない風穴として、大成風穴(面河村)、見の越風穴(肱川町)、皿ヶ嶺風穴(重信町)がある。

瞽女石
1995/8/19
ベニモンカラスシジミ
ミヤマカラスシジミ
カラスシジミ
・皿ヶ嶺連峰一帯には、上記の珍しい蝶が生息している。

陣ヶ森【重信町/久万町】
2000/11/19

善神山(善神ヶ森)【重信町/川内町/久万町】
2001/8/15


鉱山

川・渓谷

重信川【重信町】

陰地谷川

黒滝谷川

東河原樋谷川

大野谷川

美々谷川

麓谷川

日吉谷

表川【重信町】

大口谷川

花山川

西之谷川

佐川川

内川

阿歌古渓谷【重信町山之内】

・原生林と奇岩碧流に恵まれた紅葉が美しい渓谷。


池・沼・湖

ヌタの元池【重信町上林】
2003/8/16
 
ヌタの元池改修記念碑
・重信町長 束村旭書
・副碑には以下の通り記されている。
 
事業概要
事業名 団体営灌漑配水事業
事業実施年度 昭和60年度〜平成元年度
事業費 153,200,000円
地元負担金 7,660,000円
貯水量 27,000m3
堤長 84m
堤高 11.75m
事業主体 重信町
管理主体 上林土地改良区
施工業者 有限会社 野中組

工事の竣工を記念すると共に関係各位のご努力とご厚志を感謝し建立する
 平成二年九月吉日
 重信町長 束村 旭
 上林土地改良区
 施工 野中組社長 野中勝
 石工 横河原石材店


水辺

柳原泉【重信町】
1994/10/2、2002/7/22
・「この泉は明和7年(1778)、田窪、牛渕両村の潅漑水源として代官普請で試掘したが予想に反し湧水少量のため中止のやむなきに至った。 しかし旱害に苦しむ両村は難関にも屈せず、水源の探索に努め、16年後の寛政6年(1794)に現在地を再掘したところ、待望の湧水を得、村民歓びのうちに同9年完成した。このときの代官は舛柳忠次であった。 その後、文久2年(1862)の重信川大洪水の際、この泉も埋没の惨事に遭い、村民協力してその復旧に努め、現在に至る。なおこの泉は付近一帯に群在する地下水源のさきがけとなるものである。  昭和53年9月 柳原泉美化推進会」と説明書きされている。

森ノ木泉(もりのきいずみ)【重信町森ノ木】
2002/7/22
★「小中学性もいよいよ夏休みに突入」ということで、理科の自由研究のため水を汲みに来た親子がいた。さほど景観に富む泉ではないのだが、本日は何故かワシを含めて4人が泉に群がっている。(2002/7/22)

龍沢泉(たつさわいずみ)(錦水泉(きんすいいずみ))【重信町下野】
2002/7/22
・重信川の氾濫により1816年、1912年の2回埋没したことがあるという。

三ヶ村泉(さんかそんいずみ)【重信町見奈良】
2002/7/22
・重信川・表川の出合う右岸沿いにある。三ヶ村泉という名は、牛渕・南野田・北野田の3村の灌漑水源であることに由来する。

拝志水源地【重信町】
2002/7/22
★地図で泉の印を見つけたので立ち寄ってみるが、水源の姿はコンクリートで覆われている。


白糸の滝【重信町上林】
1995/8/19,1999/12/4
・皿ヶ嶺連峰県立自然公園に属し、流れ落ちる水が白い絹糸のように優雅である。
・冬は凍結し、新緑や紅葉もまた美しい。


ダム



風景

洞窟・鍾乳洞

樹木

吉井のイブキビャクシン【重信町北吉井 大蓮寺】
※所在地は、正確には「重信町大字樋口字片山甲1045」
2001/5/1
・国指定天然記念物(昭和23年12月18日指定)
・所有者:大蓮寺

・根周り7m、樹高20m、枝張りは径12mにおよぶ我国の代表的巨樹のひとつである。
・地上2mぐらいのところで東西の二つの幹に分かれている。東幹は周囲3m、西幹は周囲3.9m。
・樹齢:推定800年以上
・全国で8本が天然記念物に指定されており、うち3本が県内に存在。その3本目の巨木。
・この樹の場所は、もともと後ろにあった(明治初年に廃寺となった)岩峰山円通寺の境内であった。
・住職だった和田氏は、石鎚山の大先達で、その昔先祖がお山から持ち帰って植えたものとの言い伝えが残っている。

一目五千本桜【重信町/丹原町】
・えひめ酒だる村を越え、車で約15分のところの山腹に群生する山桜。

三奈良神社のクヌギ【重信町見奈良 三奈良神社】
・町指定天然記念物(平成9年4月1日指定)




林道・上林−河之内線

・総延長8.466km、幅員 4.0m。林道ながら完全舗装されている。
・12/1〜3/31の間は通行止め。
 
上林トンネル



上林峠【重信町/久万町】
2000/11/19

十字峠【重信町/久万町】
2000/11/19


松根東洋城句碑【重信町上林】
「伊予土佐や 山をたたみて 夏霞」
・皿ヶ嶺へと向かう、県道209号線沿いにある。
・昭和25年、東洋城がこの地に長期滞在したときに詠んだ句。
・昭和51年、重信町制20周年を記念して建立された。

愛媛いしずえの碑【重信町】
2001/8/15
・アクロス重信の東側の林道沿いにある。
・1996年6月建立。
・「1935年、東京青山墓地に「無名戦士墓」が建立され、戦後毎年3月に解放運動の中で亡くなった人々が合葬されている。そこに収められる愛媛ゆかりの人々を顕彰し、運動の継続発展を誓い、碑を建立する。」と副碑に刻まれている。

「ささゆり夢未来」の碑・副碑「上林ささゆり緑の少年隊」【重信町上林】
2002/6/1

昭和53年 上林小学校の児童を隊員として結成
昭和57年 国土緑化愛媛県推進委員会委員長感謝状
昭和59年 愛媛県教育委員会教育長表彰
昭和62年 国土緑化愛媛県推進委員会委員長表彰
平成5年 国土緑化愛媛県推進委員会委員長表彰
平成6年 緑化推進運動建設大臣感謝状
平成7年 日本鳥類保護連盟会長褒賞
平成11年 緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰

私たちは、碑文を深く心に刻むとともに緑化推進と豊かなふるさとづくり活動継承の証として、この碑を建立するものである。

平成13年2月25日 上林小学校創立125周年記念事業実行委員会 」

造林記念碑【重信町上林 上林保育園】
2002/6/1
「拝志村造林成在■明治三十四五年間先是村人天埜知規首唱之官賜資金若干知規乃今日村民宣救力不可出銭衆悦従其指揮協心戮力把■■斫榛奔遂植檜杉松櫪五十餘萬本於合二十年既在蔚乎成在者矣自今更経二十年則百八十三戸之■利可達数十萬圓云豈不盛乎由是観之衆心不一致指揮無其人焉百事不可成亦可推知也記以告後人大正九年三月下澣
         松山 村井俊明撰並書 」

寄合池改修記念碑【重信町上村】
2003/4/20
「ため池等整備事業概要
・池名:寄合池
・ため池面積:3.1ha
・堤高:6.5m
・工期:平成12年度〜平成14年度
・堤長:498.0m
・総事業費:182,700千円
・貯水量:82.0千m3
・事業主体:愛媛県
・かんがい面積:10.0ha
・管理主体:松山市荏原地区土地改良区、重信町上村土地改良区」

砂防堰堤築造記念碑【重信町】
・昭和10年、除ケの堰堤工事完成を記念して建立された碑。

権衛社頌徳碑【重信町上林 上林保育園】
2002/6/1
「 藩政中期、上林村五本松に権右衛門五郎助という兄弟がいた。史料が残っておらないので明確なことは不明であるけれども、上林村に対する上納米の取り立てが厳しく、そのため村人は過重な負担に苦しんだ。そこで、二人は投獄を覚悟のうえ藩主に直訴した、二人は直訴の罪を免れず投獄され、五郎助は宝暦9年(1759)7月、権右衛門は同12年(1762)10月獄死した。
 明治維新後、村民はこの二人を義人としてたたえ、殿倉跡に権右衛門社を建て、また菩提寺法蓮寺に地蔵尊を建立して二人を顕彰した。
    上林区長 山内 勝        昭和51年9月」


公園

足立の庄【重信町下林】→愛媛わんわん王国→閉鎖

[足立の庄]
・営業時間:9:30〜17:00
・バス50台、乗用車1,000台の大型駐車場有り。
・松山城主・加藤嘉明の重臣で、普請奉行の足立重信の名前に因んだレジャー施設。
・回遊式庭園や、新居浜市の太鼓台、西条市のだんじり、宇和島市の牛鬼など、愛媛の祭りの資料展示館、高畠華宵大正ロマン館などがある。
 
高畠華宵大正ロマン館
2001/4/15
・平成2年10月開館。
・大正・昭和初期に活躍した挿絵画家・高畠華宵(たかばたけかしょう)を紹介する美術館。
・高畠華宵は宇和島市出身。
資料館 →現存せず
物産館 →現存せず
イベント広場→現存せず
・観光闘牛が行われる。
うさぎ広場 →現存せず
子供広場 →現存せず

重信川緑地公園【重信町】

かすみの森公園【重信町】
1998/3/29,2002/7/22
・重信川南岸の河川敷に設けられた公園。
・橋桁には、東温高校の生徒によるアートが施されている。

上林森林公園【重信町上林】

菖蒲堰遊園地【重信町山之内


祭り・イベント

隻手薬師の春の大祭(4月)

麓の楽頭(雨乞い踊り、楽頭=がくとう、ごめんさん)【重信町山之内麓】(8月14日)
・県指定無形民俗文化財
・町指定無形文化財。
・8月14日の夜に薬師堂前の広場で盆行事として行われる念仏踊り。
・神仏習合の名残を止める。
・念仏にあわせて踊り手3人が乱舞する。
・踊りの途中で神主が数珠をしごいて、現われた数珠の数が丁であれば終了し、半であれば踊り続けるという「オクジおろし」がある。

観月祭り(8月最終土曜日)
・重信川の河原(横河原)で行われる祭。
・花火を打ち上げ、「しげのぶ音頭」を踊りながら観月を楽しむ。

どてかぼちゃカーニバル(9月中旬)
・重信川緑地公園グランドで開催される。
・重信町の農業後継者が遊び心で始めた牧歌的な祭り。
・県内外から数十キロにも成長した飼料用のかぼちゃを集め、その大きさ、色、形などを競いあう。

浮嶋神社のねり行事(10月)
・県内でも珍しい、力士の土俵入りが執り行われる。

重信町獅子舞大会(10月)
・古くから伝わる獅子舞の競演


施設

愛媛県緑化センター【重信町大字田窪門田743】
↓改名
 愛媛県森の交流センター
1996/10/24,1997/5/1,1998/3/15,3/29
・開館時間:09:00〜17:00
・庭園見本、茶庭、緑の迷路、生け垣、香木園、花木園、竹林、郷土樹、芝生園など各種の施設があり、いろいろな木や花や実などを楽しむことができる。
 
亜熱帯植物展示館
・開館時間:09:30〜16:00
・観葉植物200種類以上を展示し、インドア植物の普及指導を行っている。

愛媛県花き総合指導センター【重信町下林】
↓改名
農林水産研究所農業研究部花き研究指導室
1997/5/1,1998/3/15
・開館時間:09:00〜17:00
・敷地面積:2.4ha
・平成4年4月にオープン。
・花きの生産から消費にわたる幅広い総合指導機関として、一般に開放し、愛媛県の花き農業の振興と、花と緑に包まれた生活環境づくりを水深することを目的につくられた。
・西洋風の建物はどことなく異国情緒を感じさせる。
・センター近くの重信川河原には5月下旬から6月上旬にかけて金鶏草が咲き乱れる。
 
花時計
・敷地内の催し広場にある花時計は四季それぞれの花で盤面を彩る。

ハタダお菓子館【重信町】 

・開館時間:08:00〜21:00
・駐車場:バス 30台、乗用車 100台
・タルトの歴史から製造ラインまで、銘菓ものがたりを観覧できる。

アクロス重信【重信町西岡】
・久万総合開発が建設した屋内スノーボード場。
・1999年11月1日にオープン。
・2つのコースを持ち、一般ゲレンデは全長90m、幅45m、斜度15〜10度。ハーフパイプコースは全長100m、幅13m、斜度15度。
・年中無休、営業時間は10:00〜24:00。
・利用料金:大人2000円、中高校生1800円、子供1500円。17:00以降は各々500円加算される。

ツインドーム重信【重信町西岡】
・重信町民体育館・重信町民アスレチックジム。
・平成11年(1999)3月14日に落成した。
・バレーボール、バスケットボール、バドミントン等の公式競技ができる体育館、ジャズダンスや会議にも利用できる他目的ルーム、体力強化用のトレーニング機器を備えたアスレチックジムなどがある。

重信川砂防資料館【重信町横河原】
・2002/12/11にオープン。
・入館料:無料
・開館時間:月曜日〜金曜日 9:00〜16:00
・休館日:土・日・祝日・年末年始
・問い合わせ先:四国山地砂防工事事務所(重信川砂防出張所)
 〒791-0203 愛媛県温泉郡重信町大字横河原
 
重信町立歴史民俗資料館【重信町見奈良509-3】

・伊予鉄横河原線見奈良駅北西。駅より徒歩5分。
・入館料:無料
・休館日:月曜日(月曜日が祝日のときは火曜日も)、祝日、第3日曜日、年末年始
・開館時間:9:00〜17:30
・重信町埋蔵文化財調査事務局、重信町文化財保護審議会事務局、重信史談会事務局を兼務している。
※展示資料の写真撮影が可能なのが、何とも嬉しい。

レスパスシティー【重信町】 


学校

温泉

見奈良天然温泉「利楽」【重信町見奈良1110】
・2000年7月オープン。


伝説

俵飛伝説【重信町山之内福見 福見寺】
・天竺の法道仙人が、寺を建立する場所を探すため日本の国に訪れた。瀬戸内海を通りかかったとき、東方に五色の雲が立ち上がり、神々しく光る山が目に留まった。そこで和気浦に船を着け、この光を目当てに山を分け入って行った。そうして現在の福見観音のところまで辿り着いた。
※『「孫悟空」の物語で有名な三蔵法師が仏教を広めるために日本に訪れた。瀬戸内海を通りかかったとき、東の山の上にかかる紫の雲の中に何やら神々しく光るものが目に入った。そこで法師は和気浜に船をつけて東の方を向いて錫を振った。すると法師の身体は宙に浮き、先程の光を放つ山へと飛んでいった。飛んでいった先には十一面観音が立っていた。法師はすぐに仮の御堂を建てて観音を祀った。』という亜種の話も伝えられる。
・ある年、日照りで山之内村が飢饉に見舞われた。法道仙人は、村人の救済のため、托鉢をして回っていた。仙人が風早の浜を通り掛かったとき、船床いっぱいに米俵を積んだ船が停泊しているのが目に止まった。そこで、仙人は「一俵で良いから分けてはくれぬか」と懇願したが、「これは都に納める大事な年貢だから、分けてやることはできぬ」と断られた。
・その後、船は出港していったが、間もなく突風が吹き、船上の米俵は空へと舞い上がり、そして南方の山にめがけて飛んでいった。
・船頭や役人が米俵を追い掛けていくと、辿り着いたのは福見山寺のところであった。米俵は本堂の前に積み重なり、その前で仙人が読経していた。
・船頭らは断りを入れ、米を戻すことを懇願し、そして仙人は1俵だけ貰うと、すぐさま残りの米俵をもとの船まで再び吹き飛ばしたという。
(重信のむかし話)

吉山城の首無し馬【重信町志津川】
志津川に吉山城があった。城主は和田河内守で、通称「吉山さん」といった。
・「吉山さん」は道後湯月城主の家来であったが、ある日殿に背いて戦いを起こした。「吉山さん」は手強く、敵兵(津吉城主など)は見奈良から田窪にかけて、雑木林の中に潜み待ち伏せてしていた。
・「吉山さん」はその頃腹痛を起こし、家来も病人が多数出ており、敵兵は逃げ出したを思い込み城から出て、田窪のほうまで出ていった。そこを一斉に襲われ、ついに討死してしまった。(この場所はドダンサンといい、大きなハゼの木の下に塚堂があるという。)
・それからというものの、吉山城からドダンサン、そして津吉城に向けて夜中首無し馬が走るようになった。そしていつしか、この道を「殿さん道」と呼ぶようになった。

片手薬師の由来譚
・仁寿元年、村人の井門某が柳の木を伐って薬師像を彫った。それを持ち帰って家に収蔵していた。
・ある日一人の僧が家を訪ねて来て宿を求めた。僧を泊めたその日、夜が深けると屋内から光を発しているのに気付いた。主人がこのことを僧に告げると、僧は「私の懐に入れている薬師が光を発しているのだ」と言った。
・主人が「実は私も薬師像を収蔵しているのですよ」と告げて差し出すと、僧は自分の持っていた像と主人が差し出した像とを刀で刺して一体とした。
・それからしばらくして主人が病気に罹ったとき、左手を挙げてこの薬師に祈願したところ忽ちにして平癒したことから、主人は傾信し、遂には精舎を営むようになった。このことから片手薬師というようになった。(古蹟誌→伊予温故録)

行き合い裁面【重信町山之内 関屋】

杉原家のお飾りさん【重信町山之内 木地】

七色樹(なないろのき)【重信町山之内 黒滝】

みこが淵【重信町山之内 神子野】

からびの河原【重信町山之内 神子野】

かくされた宝物【重信町山之内】

爺の石・婆の石【重信町山之内 コブ谷】

蛇塚さん【重信町山之内 大畑】

水の中にいた神様【重信町樋口 向井】

観音さん【重信町樋口】

大杉さん【重信町樋口 片山】

身代わり狸【重信町横河原 桟敷】

追い出し地蔵【重信町志津川】

あらうまさん【重信町志津川】

どだんさんとお和田さん【重信町志津川 八反地・庵の下】

首なし馬【重信町志津川】

強力大明神のお狸さん【重信町志津川 払川】

金網を破った絵馬【重信町志津川 出口(いでぐち)】

菅公の腰掛石【重信町志津川出口】

ごうりんさん【重信町志津川】

西岡にきた八幡さん【重信町西岡 河ノ内】

七社権現と七人みさき【重信町西岡】

四角なむくの木とむく宮さん【重信町見奈良 柚寿之木】

立石狸【重信町見奈良 柚寿之木】

牛鬼塚【重信町田窪 水木】

牛淵の村移りと経塚【重信町牛淵 経塚】

お鷹殺しと七人みさき【重信町牛淵 五月田】

六十歩松(ろくじゅうぶまつ)【重信町牛淵 牛頭守(ごずもり)】

ほごつり【重信町牛淵 牛頭守】

長塚の石地蔵【重信町牛淵 岸ノ上】

雨乞い面の由来【重信町牛淵 北野田】

三高松(さんたかまつ)【重信町北野田 北野】

どじょ亀さん【重信町北野田 深井】

蛇のたたり【重信町北野田 深井】

茶縞狸【重信町北野田 深井】

菅公の腰掛石【重信町北野田 深井】

橋の下の泣き声【重信町北野田 新村】

おさえさん【重信町北野田 新村】

高坊主【重信町北野田 新村】

一升五合(いっしょうごんごう)シャリシャリ【重信町北野田 新村】

弘法大師の二つ石【重信町南野田 若宮】

お産狸【重信町南野田】

山爺(やまんじい)・山婆(やまんばあ)【重信町上林】

不入山と吉岡一味斎【重信町上林 上ヶ成(うわがなる)】

矢取地蔵【重信町上林 死出ヶ成(しでがなる)】

千人塚【重信町上林 上駄馬】

ごぜ石【重信町上林】
「瞽女石 上林にあり」(予陽郡郷俚諺集)

ほろせ石【重信町上林】

えじろ狸【重信町上林 於検校(おけんぎょう)】

お京ヶ淵【重信町上林 札場(ふだば)】
2002/6/1

お定力さん【重信町下林 定力】

刀をさがす怪火【重信町下林】

おさんが淵【重信町下林】

芋根八軒【重信町下林 芋根】

お宮の大松【重信町下林 宮ノ段】

将軍地蔵さん【重信町上村 上ノ段】

彦八池【重信町上村 上ノ段】

お幸(こう)がえる【重信町上村 宮ノ元】

高市家のお大師さん【重信町上村 竹ノ下】


キャンプ

山之内キャンプ場【重信町山之内神子野】
2003/9/7
・小学校跡を利用したキャンプ場で、家族で手軽に利用でき、新緑や紅葉が美しく、また春には桜花が咲き乱れ美しい。
山之内開発功績者顕彰之碑

烏ヶ嶽キャンプ場【重信町】
2003/9/7

えひめ酒だる村【重信町】→閉鎖
1994/10/2,1997/5/18
・営業時間:09:00〜21:00 →閉鎖している。

[1994/10/2]
★うさぎの看板を頼りに重信川をずんずん上っていくと、東三方ヶ森の下辺りにユースホステル、キャンプ場からなる酒だる村があった。
駐車場に車を停めると「空中飛行売店」の看板が目につく。なんじゃそりゃ? 其の横に何やらロープウェイらしきものがあり、チャイムの押釦が取り付けられている。「うさっこ団子 \500」とある。どうやら押釦を押すと上側から樽が下降してきて、欲しい包分のお金を樽に入れると上昇し、団子が再び下降してくるという仕組みになっているようだ。  わが家族はその「空中飛行売店」の前でおもむろに弁当を取り出し、他の観光客などお構い無しにむしゃむしゃとむさぼるのであった。
★川の水がとても澄んでいる。結構な数のファミリーキャンパーが訪れてアウトドアを楽しんでいた。
★10月だというのにクワガタがなお生息している。(4匹のコクワガタを持って帰ったが車中の暑さゆえか死んでしまっていた。楓の木の下に埋める。)
★烏ヶ嶽城の下部では、なんと野生の猿が道路まで降りてきていた。渇水のせいで水を飲みに来たものと思われる。


海水浴

人物

その他


《References》
・「重信のむかし話」、重信のむかし話編集委員会、昭和58年
・「伊豫温故録」、宮脇通赫


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