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(旧・北条市)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要


キャッチフレーズ
(1).「自然と文化に溢れる人間都市」


 
市の花 市の木 市の花木 市の鳥
エヒメアヤメ クスノキ


特産物

沿革

地名
 
大字
北条 新町、上町(かみまち)、胡子町(えびすまち)、北本町、浜町、新立、日之出町、
本町、栄町、袋町
上辻、米沢、中辻、権現堂、朝日町、養開(ようがい)、辻町、新玉(あらたま)、
港通、片町、駅前、鹿島町、新開(しんがい)
土手内(どてうち) 大町、春日町、三穂町(みほまち)、三穂町児玉、住吉町、美住町
八反地 椋之原、善源(ぜんげ)、門前(もんじょ)、突分(つくわけ)、南中井手、清水、
中井手、南中、北中、西中、四反地(したんじ)、下馬場、西馬場、馬場、
上馬場、北馬場
中西内
中西外 松尾、池之内、久保、中ノ郷
高田
院内 日浦、土居
神田 門前(もんじょ)
堂ノ元、小坂、井手上、谷、老僧(ろうそう)
上難波 寺ノ谷、大阪、島田、中筋、西町、要開(ようがい)、高土手
中通 宝福(ほうふく)、足谷、三島、西浦、河原、宝地(ほうじ)
下難波 中ノ谷、西鼻、大西、大崎、池尻、坂、大師、新城、法橋(ほっきょう)、
石風呂、大浦(おうら)
河野 柳原、宮内、閏谷、高山(こやま)、片山、中組、善応寺、九川、佐古、
中須賀、別府、横谷、牛谷、常保免、夏目、大河内(おうかち)
粟井
小川
磯河内 払川、宮ノ下、入江
鴨之池
和田
河原
安岡
鹿峰(かのみね)
苞木(すぼき)
常竹(つねたけ)
本谷
西谷
久保 崩口(くえくち)
大西谷 笹ヶ峠(ささがとう)
矢田、長井方(なんかた)
平林
小川谷
浅海
浅海原 原、味栗(みくり)、京ヶ森、原浜、子持、大久保、山本、上通、下通
浅海本谷 本谷、小竹、真沖、浜田、新開、通谷(とりたに)、高山(たかやま)、名石(めいし)
萩原
立石
才之原上
才之原下
猪木
滝本
尾儀原
小山田上
小山田下
坊田
猿川原
湯裾(ゆうそ)
猿川上
猿川下
大遊寺(だいゆうじ)
中村
儀式
米之野
庄府(しょうぶ)


文化財
木心幹漆菩薩立像(もくしんかんしつぼさつりつぞう)(1躯)【北条市庄 薬師堂】
・国指定重要文化財[彫刻](昭和40年5月29日指定)

木造菩薩立像(1躯)【北条市庄 薬師堂】
・国指定重要文化財[彫刻](昭和40年5月29日指定)

エヒメアヤメ自生南限地【北条市下難波 腰折山】
・国指定天然記念物(大正14年10月8日指定)

奥の谷古墳(難波奥谷古墳)【北条市庄 奥谷】
・県指定文化財[史跡](昭和25年10月10日指定)

横山城跡【北条市麓】
・県指定文化財[史跡](昭和28年2月12日指定)

恵良城跡【北条市 恵良神社】
・県指定文化財[史跡](昭和52年4月7日指定)

木造十一面千手観音菩薩立像(1躯)【北条市米之野 高縄寺】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和55年3月21日指定)

木造聖観世音菩薩立像(1躯)【北条市高田 光徳院】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和38年5月31日指定)

木造阿弥陀如来立像(1躯)【北条市高田 光徳院】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和38年5月31日指定)

木造毘沙門天像(1躯)【北条市庄 薬師堂】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和37年11月1日指定)

大蟲和尚の石造宝篋印塔(1基)【北条市八反地 宗昌寺】
・県指定有形文化財[石造美術](昭和51年4月6日指定)

木造大蟲禅師倚像(1躯)【北条市八反地 宗昌寺】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和51年4月6日指定)

木造文殊菩薩坐像(1躯)【北条市八反地 宗昌寺】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和51年4月6日指定)

宝冠釈迦如来坐像
・県指定文化財(昭和50年4月10日指定)

木造大暁禅師倚像(1躯)【北条市下難波 大通寺】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和52年4月7日)

絹本著色月庵(げったん)宗光の画像(1幅)【北条市上難波 最明寺】
・県指定有形文化財[絵画](昭和40年4月2日指定)

木造兜跋毘沙門天立像(1躯)【北条市庄 毘沙門堂】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和37年11月1日指定)

善応寺古文書(5巻)【北条市善応寺 善応寺】
・県指定有形文化財[書跡・典籍・古文書](昭和30年11月4日指定)

金銅誕生仏立像(1躯)【北条市善応寺 善応寺】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和55年3月21日指定)

木造釈迦如来及び両脇侍坐像(3躯)【北条市善応寺 善応寺】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和58年3月11日指定)

善応寺の石経28個【北条市善応寺】
1999/4/25,2004/1/1
・県指定有形文化財[考古資料](昭和39年3月27日指定)
・石丸浅太郎氏邸の庭に保存されている。
・この石経は、凝灰岩、緑泥片岩、砂岩、安山岩等の比較的柔らかい自然石に妙法蓮華経の経文を表裏にわたって刻んだものである。
・石経を造った意趣は判然としないが、末法思想による現在安穏、追善供養のために築かれた経塚への納石と考えられる。
・筆跡より見て、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて作られたものと推定されるが確証はない。だが当時の仏教思想、金石文等に関する貴重な資料である。
・指定された28個は石丸浅太郎氏の裏の山肌から発掘されたもので、たくさんの南無大日如来の名号石の中に混入していたものを選び出したものである。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.19
★経文が刻まれた28個の石経は、庭の隅の鍵のかかった祠の中に収められている。一方、名号石のほうは数が多いせいか、無造作に別の祠の中に積み上げられている。
★丁度、訪れたときに、石丸氏が庭の草むしりをされていたので、「見せてください」と打診すると、親切に色々なことを教えて下さった。石経のこと、河野郷のこと、辺りの山々にあった河野氏の居城のこと、善応寺古墳(「お塚さん」と呼ばれていた)のこと、善応寺の社地がこの辺り一帯に及んでいたこと...など、盛り沢山の内容を教えてくださった。

雲門寺厨子(附神像)(1基)【北条市本谷 雲門寺】
・県指定有形文化財[建造物](昭和40年12月21日指定)

八脚門[国津比古命神社楼門](1棟)【北条市八反地 国津比古命神社】
・県指定有形文化財[建造物](昭和28年12月25日指定)
・元禄年間(1688〜1703)、松山市阿沼美神社の八脚門をここに移したと伝えられる。
・桃山時代の技法を取り入れた豪華な建造物。単層の入母屋造、本瓦葺。柱は円柱仕上げ。一部分唐様を取り入れた和様建築となっている。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.5

鹿島の櫂練【北条市 鹿島】
・県指定無形民俗文化財(昭和41年4月5日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.26

鹿島の野生の鹿【北条市 鹿島】
・県指定天然記念物(昭和23年10月28日指定)

南柿(みなみがき)【北条市本谷 雲門寺】
・県指定天然記念物(昭和34年3月31日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.24

大師松【北条市下難波 鎌大師】
・県指定天然記念物(昭和26年11月27日指定)→枯死により指定解除

六地蔵の板碑(板碑の大地蔵)【北条市磯河内(いそこうち)】
2005/2/26
・市指定有形文化財(昭和38年8月23日)
県内唯一のものである。
「六地蔵の板碑(いたひ)
所有者 磯河内部落
室町後賜の永正(えいしょう)16年(1519年)に作られたもので、地蔵が2体ずつ3段に合計6体がゆるやかに彫り込んだ浮かし彫りで刻まれている。板碑は板石塔婆(ばんせきとうば)を本名とし、鎌倉時代の中朋から桃山時代のころまでに一般的に作られたもので最大のものは地上52mから最小のものは40cmまでで、最盛期のものは地上1m内外のものが多いことから大きさとしては普通といえるが、県下ではただ1つの珍しい逆修塔(ぎゃくしゅうとう)である。なお、この六地蔵は1519年の作であるのに対し、在銘の六地蔵の最も古いものは明応4年(1495年)であるから六地蔵形式の在銘のものとしては古いものに属ずるといえるであろう。逆修塔はあわただしい世の中において、生存中に自己の死後を供養するためにつくられたものであるといわれている。
北条市教育委員会」(立て看板)

c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.28

池之内古文書【北条市池内】
・市指定有形文化財(昭和38年2月16日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.39
※「夏目の古文書」(北条市夏目)と同一?

得居氏墓碑群【北条市柳原】
・市指定有形文化財(昭和54年10月8日指定)
・恵良城主・得居通久ほか、一族の墓地。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.53

沼田氏五輪塔【北条市柳原】
・市指定有形文化財(昭和54年10月8日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.51

白石兎遊句歌碑【北条市柳原】
・市指定有形文化財(昭和54年10月8日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.52

礎石(茶臼権現)【北条市別府】
・市指定有形文化財(昭和49年6月10日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.48

下難波田畑地坪(じならし)帳【北条市別府 北条市立ふるさと館】
・市指定有形文化財(平成7年12月5日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.40

石造大通智勝仏座像【北条市善応寺】
・市指定有形文化財(昭和53年5月10日指定)
※「北条市の文化財」によれば「阿弥陀如来」となっている。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.30

善応寺古墳(河野塚)【北条市善応寺】
・市指定有形文化財(昭和49年6月10日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.49

木造釈迦三尊【北条市善応寺 善応寺】
・市指定有形文化財(昭和55年6月10日指定)

木造達磨大師座像・木造百丈禅師倚像、三牌【北条市善応寺 善応寺】
・市指定有形文化財(昭和55年6月10日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.36

木造宝冠釈迦如来座像【北条市下難波 大通寺】
・市指定有形文化財(昭和51年4月10日指定)
・鎌倉末期の作風である。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.35

大暁禅師倚像【北条市下難波 大通寺】
・市指定有形文化財(昭和52年4月7日指定)

釈迦三尊(3躯)菩提達磨大師(1躯)大権修理菩薩(1躯)【北条市本谷 雲門寺】
・市指定有形文化財(昭和60年8月8日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.37

金剛界曼荼羅胎蔵界曼荼羅【北条市高田 光徳院】
・市指定有形文化財(昭和61年7月31日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.31

写本大般若経【北条市猿川原 蓮生寺】
・市指定有形文化財(昭和53年5月10日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.43

地蔵菩薩像(木食仏海作)(1躯)【北条市猿川原 蓮生寺】
市指定有形文化財(平成13年4月23日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.38

中村三十三墓【北条市中村】
・市指定有形文化財(昭和49年5月10日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.47

金毘羅宮御神像一座・本殿拝殿各一棟【北条市庄】
・市指定有形文化財(昭和50年12月11日指定)
・十輪寺境内に隣接し、本殿の扇垂木、拝殿周りの十二支彫刻、宝剣を持つ神像など、いずれも一級品の美術品である。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.27

木造薬師如来座像(1躯)【北条市庄 薬師堂】
・市指定有形文化財(昭和39年7月25日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.32

仏像群(43躯)【北条市庄 薬師堂】
・市指定有形文化財(昭和39年7月25日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.33

層塔・五輪塔(4基)【北条市苞木】
・市指定有形文化財(昭和51年9月8日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.29

河野通清供養塔【北条市小川 粟井坂2】
・市指定有形文化財(昭和41年4月10日指定)
・治承5年(1181)、河野通清は平家に叛き当国を押領した。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.45

木造地蔵菩薩座像(1躯)【北条市小川 粟井坂大師堂】
・市指定有形文化財(昭和41年4月10日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.34

山の神古戦場【北条市小川甲28】
・市指定有形文化財(昭和41年4月10日指定)
河野通清奴可入道に攻められて粟井坂にて戦死した際の古戦場。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.44

大般若波羅蜜多経[1巻]【北条市院内】
・市指定有形文化財(昭和44年6月10日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.41

法蓮華経[8軸](8巻)【北条市】
・市指定有形文化財(昭和44年6月10日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.42

南宮の戸貝塚【北条市八反地】
・市指定有形文化財(昭和53年7月10日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.50

郡境石【北条市浅海本谷】
・市指定有形文化財(平成15年8月28日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.64

伊予万才[下難波アヤメ会]
・市指定無形文化財(昭和40年4月7日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.60

伊予万才[別府双葉会]
・市指定無形文化財(昭和45年9月10日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.60

萩原の盆踊り【北条市萩原】
・市指定無形文化財(昭和51年9月8日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.61

安居島の盆踊り【北条市安居島】
・市指定無形文化財(昭和51年9月8日指定)→平成16年11月25日指定解除
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.62

イブキビャクシン【北条市宮内】
・県指定天然記念物(昭和36年3月31日指定)

荒神社のクスノキ【北条市尾儀原 荒神社】
・市指定天然記念物(昭和53年5月10日指定)

荒神社のカゴノキ【北条市尾儀原 荒神社】
・市指定天然記念物(昭和53年5月10日指定)

とうつばき【北条市米之野】
・市指定天然記念物(昭和53年7月10日指定)→平成16年指定解除
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.58

イヨスミレ【北条市下難波 腰折山】
2001/2/18
・市指定天然記念物(昭和57年8月11日指定)
・松山市の梅村甚太郎氏が明治31年4月17日発見。牧野富太郎がイヨスミレと命名し発表したものである。ところが、山の樹木繁茂とともにその姿を消し、幻の花と言われてきた。しかし、昭和56年山火事にあい、焼け跡から翌年再びこのイヨスミレを湯山勇氏夫婦が再発見されたのである。
・イヨスミレは中国東北地区から朝鮮半島にわたる北方大陸産のフィリゲンジスミレに最も近遠の植物である。前川先生の言をかりれば、日本のゲンジスミレは二つの系統がある。一つは長野県に産する満州など大陸系のものと、もう一つは朝鮮半島系のものがあり、イヨスミレは朝鮮半島系と言われる。満州・朝鮮を南下して氷河時代に日本に分布していたゲンジスミレのうち腰折山に生き残ったイヨスミレ、同じくエヒメアヤメと人家近いこの山に二つも残留植物の存在していることは興味深いことである。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.59

明見神社・海蔵寺境内の自然林【北条市中村】
・市指定天然記念物(昭和49年5月10日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.56

鎌大師境内【北条市下難波 鎌大師】
・市指定史跡(昭和48年4月9日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.46

積善寺の蘇鉄【北条市鹿峰 積善寺】
・市指定天然記念物(昭和47年11月15日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.55

イブキビャクシンの自然林【北条市 恵良神社】
・市指定天然記念物(昭和38年2月16日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.54

二神信濃守の墓【北条市磯河内】
・「二神信濃守」は、近くの山城の城主であった。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.84

常夜燈【北条市善応寺 善応寺集会所】
2004/1/1
文化14年丑歳
奉燈
石鉄山大権現
天照皇大神宮
金毘羅山大権現
12月吉祥日

善応寺集会所は、愛媛県コミュニティ施設整備事業補助施設。

苞木五輪塔群【北条市苞木】
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.85
 



城址
恵良城跡【北条市 恵良神社】
・県指定文化財[史跡](昭和52年4月7日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.22
2001/2/18
・中世の豪族・河野氏による高縄城の支城。
・県指定文化財(昭和52年4月7日指定)
・昔、難波次郎長浦が築城し、元弘中は赤橋重時、後に望月六郎、更に得居通之らが居城したと言われる。

浅海原村難波村との界、恵良山の頂にあり、俚諺集に云、元弘年中赤橋駿河守の息、駿河太郎重時住之、貞治中望月六郎衛門これに居り、足利の将仁木義尹を防ぐ、二名集に云ふ、高田修理亮居之、観應四年二月三日頼之率大軍打越、道後河野通尭捨大空(おおうつろ)攻口令引籠高縄城一族河野十郎・同次郎土居新左門以下属細川家國人等多以依生異心不能相支、四月十日令入當城給、當城山巌高聳潤谷深幽要害堅固廓内狭迫、更難大軍間、以陣僧被仰事由於能島城古蹟志曰、上難波村在故城曰、烏帽子山或曰冠山望月六郎衛門徳井通久赤橋重時所居也、又曰、山上有神祠曰、恵良宮祭白山金峯赤山神山形如戴黒帽故名焉 半井云ふ、當城は赤橋武蔵守守時の長子重時といふ人の城址なり、南北太平記に云ふ伊豫国立烏帽子城北条重時土居得能が兵を支へ居たりけるに、筑紫河内の朝敵己に亡びぬと聞へければ今まで親しかりける者も忽ち約を變して敵となりける程におのづから城に兵少くなりければ土居得能時を得たりと一万餘騎にて押寄せしかは三日も経さるに初めより頼みきったる金子五郎右衛門敵に與みして土居が兵を城中へ引入ければ重時郎従十八人自害して失せにける 按ずるに赤橋重時は北條の一族にして當國の守護に置たるものなり、初は當城に居たるが土居得能のために攻め破られて城を守る能はす偽りて自殺と称し、潜に城を逃げ出つ、其の後周布郡鞍瀬山の険に據り、砦を構へて立烏帽子と称し、再び兵を挙げしが、得能今岡等に攻められ、遂に虜となり、誅に伏せり、南北太平記に當城にて自害すとは後来周布郡にて再挙のことを洩らせしなるべし」(伊豫温故録)

烏帽子山冠山ともいふ、 下難波村に有、元弘年中赤橋駿河守駿河太郎住之、一説、得居住之ともいふ」(予陽郡郷俚諺集)

恵良山 同所、望月六郎左衛門居之」(予陽郡郷俚諺集)

雄甲(おんご)山城跡【北条市 雄甲山】

雌甲(めんご)山城跡【北条市 雌甲山】

鹿島城跡【北条市辻】
鹿島城は建武年間、今岡通任が築いた階段式連郭孝三の河野氏海城で、今も2段郭と石垣が現存する。
・中世における伊予の国の覇者、河野氏の海城の古城跡であるが、最後の城主来島通総豊臣秀吉の四国征伐に先鋒水軍として活躍した功により、鹿島城主に任ぜられたが、関ヶ原の戦いの際、西軍に加わった関係から、豊後国守に転封され廃城となった。
・島の頂上、南角等に築城、当時のものらしい石積の崩れた姿が残っている。

加島城 北条沖に有、徳居半右衛門住之(一書、鹿島城久留島出雲居、又二神豊前)」(予陽郡郷俚諺集)

高手山城【北条市庄府】
「高手山城 庄府村」(予陽郡郷俚諺集)

十九路山城【北条市米野々】
十九路山城 米野々、白石三郎太夫麓に墓所あり」(予陽郡郷俚諺集)

神途城跡【北条市猿川上】
神途城 河野兵部通生城跡」(予陽郡郷俚諺集)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp69

善応寺砦【北条市善応寺】
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.78

高縄城跡【北条市】

宅並城跡【北条市小川】
宅並城 小川、二神信濃守住之」(予陽郡郷俚諺集)

高穴城跡(たこなじょうあと)【北条市横谷】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.145)
高穴城 横谷村」(予陽郡郷俚諺集)

日高城跡【北条市】
・中世の豪族・河野氏による高縄城の支城。
日高山の城 中村、重見孫四郎住之」(予陽郡郷俚諺集)
※下の記述から見ると「重見孫四郎」ではなく、「重見の孫、四郎」か?
干瀉海城 中村、徳居枝城、一説に来島枝城のよし(一書日高城)」(予陽郡郷俚諺集)
古日高城 中村、城主重見四郎昌氏(予陽郡郷俚諺集)
新日高城 中村、城主同因幡守通種(予陽郡郷俚諺集)

名石山城跡(めいしやまじょうあと)【北条市浅海原】
・整った三角錐形の山で、航海の目印とされた。
・昔は河野備中守通安の居城であった。
・古墳時代の箱式石棺も出土している。

横山城跡【北条市麓】
・県指定文化財[史跡](昭和28年2月12日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.21
・中世の豪族・河野氏による高縄城の支城。

横山城 麓村、南美作守居之」(予陽郡郷俚諺集)



遺跡
南宮の戸貝塚【北条市】

安養寺遺跡【北条市】

椋ノ原遺跡群【北条市】

柳が内遺跡【北条市】

女夫池遺跡【北条市】

大相院(だいそういん)遺跡【北条市善応寺】
・弥生時代前期末〜中世
[まいぶんえひめ No.29、平成14年(2002)]

中尾山遺跡【北条市上難波 中尾山】
・1次調査:弥生時代中期末〜古代
・2次調査:弥生時代中期末〜古墳時代
[まいぶんえひめ No.29、平成14年(2002)]

夏狩遺跡【北条市】

稗佐古遺跡【北条市】

萩原遺跡【北条市】

別府遺跡【北条市常保免・別府】
・古代〜中世
[まいぶんえひめ No.29、平成14年(2002)]

前田池
2005/2/26
縄文土器出土地
・池堤の法面に文化財標石が建てられている。
・池堤からは宅並山が見渡せる。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.86



古墳
奥の谷古墳(難波奥谷古墳)【北条市庄 奥谷】

天狗谷古墳群【北条市】

小竹8号墳(名石古墳)【北条市→松山市北条 浅海本谷 名石】
・直径約30mの円墳。
・北条ふるさと館に
c.f. (財)愛媛県埋蔵文化財調査センター研究紀要「紀要愛媛」第6号

小竹8号上古墳【北条市】

小竹8号古墳群【北条市】

高山古墳【北条市】

丸山古墳【北条市】

新城古墳群(しんじょうこふんぐん)【北条市下難波】
古墳時代後期(6〜7世紀)のものが殆どで、横穴式の両袖、片袖或いは奥壁に板状の棚を備えたものなどがあり、出土品も鉄鏃、馬具、人物・馬の埴輪などがある。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.73

才の谷古墳(さいのたにこふん)【北条市萩原】
玄室内の床が割石で3区分され、奥を祭壇状に10cmほど盛り上げている。

難波奥古墳群【北条市】

難波奥の谷古墳(なんばおくのたにこふん)【北条市庄 奥の谷】
1999/4/25
・県指定文化財[史跡](昭和25年10月10日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.20
・横穴式古墳
・古墳時代後期のもの。
・明治25年盗掘に遭い、副葬品などは一切不明となっている。
・この古墳は丘陵の斜面を利用し、入口が南に面した両袖式の横穴式石室もつ円墳である。内部は羨道と玄室に区分せられ、その奥行きは12m、入口の高さ1.25m、玄室の高さは3mである。
・すべて巨大な花崗岩を使用しており、羨道、玄室ともに天井は各3枚の巨石の持ち送り方式によって構築している。奥壁は幅1.8m、高さ3mにおよぶ巨大な一枚石を使った豪壮なものである。
・使用されている石の大きさや構造などから見て、古墳時代後期である6〜7世紀の内、比較的遅い時代に造られたものと考えられるが、横穴式のものとしては県下で最も大きな古墳の一つと言えるであろう。
★玄室内部に入ることができる。

小原古墳群【北条市】

波田神田古墳群【北条市】

櫛玉比賣神社古墳【北条市八反地】
櫛玉比賣命神社参道左手にある。
・竪穴式石室を有する前方後円墳。
・古墳中期以前の形式と見られる。

萩尾古墳群【北条市】

地蔵堂古墳群【北条市】

龍徳寺古墳群【北条市】

善応寺古墳(河野塚)【北条市善応寺辻の内上土居】
1999/4/25、2004/1/1
・市指定史跡(昭和49年6月10日指定)
「横穴式古墳として丘陵斜面の南西に口を開き、内部は玄室と羨道に区分されている。玄室の奥行4.8m、幅2.4m、高さ2.8mで、天井は4枚の巨石で構成されている。
 安政2年4月娑婆池の修築また後世当河野神社建築の際、羨道などの石は多数使用され、現在奥行4.1m、幅1m、高さ1.9mを残している。
 発掘の際、人骨、渦紋土器、鏡、刀剣などが発見たが、散逸して全く残在されていないのは遺憾である。 北条市教育委員会」(説明書き)
★「河野神社」として祀られている。御神体が横穴式古墳というのも珍しい。



跡地

柳原館址【北条市柳原 猪野蛍光堂前】
1998/1/18、2005/2/26
・「大職冠藤原鎌足を祖とする権納言正二位柳原資衡の後裔権中納言尚光公は伊予水軍村上氏との縁故あるを以て全国掌握の陰謀ありとの讒にあい、1489年3月勅勘を蒙りこの地に来る。世人ためにこの館を柳原殿と呼びこの地を柳原と称す。当所は即ちその館跡と伝う。のち尚光公勅免を得て京へ帰るべきを1513年5月3日当館に病没すという。今ここに碑文を乞はるるままに筆をとりこれを記す   昭和61年4月吉日 原田改三書」(説明書き)
※柳原館址の碑は「INO KEIKODO」という名のお店の前にある。最初は「猪野圭子」という人の名前に因んだ店名かと思ったのだが、よくよく調べてみると「猪野蛍光堂」が正解のようだ。(2005/2/26)

中江藤樹立志之地【北条市柳原】
1998/1/18、2005/2/26
・「中江藤樹先生立志之地」(昭和30年3月河野村との銘有り)という石標が柳原館址から2〜3m西に入ったところにある。

浅海氏館跡【北条市浅海本谷】
・「浅海本谷村にあり、古蹟志に云ふ、浅海藤四郎能貞の居館する處なりと」(伊豫温故録)

番所跡・名石庵跡【北条市浅海原】
・庄屋渡部氏を長として番卒2人の簡易見張所であった。
・最近まで道の左右に「番所松」と呼ばれる大樹があったという。また、その側に、俳人温長の「名石庵」(めいしあん)があったという。

風早高等小学校之跡【北条市】
1998/2/19
・旧国道196号線の脇にある。

北温中学校跡【北条市】
1998/2/19


雲門寺【北条市本谷412】

・山号:如意山
・宗派:黄檗宗
・本尊:釈迦牟尼如来
・日本達磨会15名刹
雲門寺厨子(附神像)(1基)
・県指定有形文化財[建造物](昭和40年12月21日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.6
南柿
・県指定天然記念物(昭和34年3月31日指定)

円城坊【北条市九川】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.146)
 

鎌大師自素庵【北条市下難波甲1062】−下難波1063
2001/2/18
・平安の昔、弘法大師四国巡行のみぎり、草を刈りつつ泣く童子を見てわけを聞くと「疫病が流行し姉が死に弟も患っており、一家死滅するのではないかと心配で」と言う。大師はこれを憐み童子の持っていた鎌で木片に自分の像を刻み、これに祈願するようにと言い残して立ち去った。童子がその言葉どおりにすると、病人は快癒し、地方の悪病も消滅した。その仏像を本尊として堂を建て、「御自作鎌大師」と称したというのがその伝説であり、由来である。
 
藤花塚(芭蕉塚)
・寛政5年(1793)、芭蕉100回忌に建てられた芭蕉塚。翁の遺徳をしのぶ人々によって建てられた碑には句が刻まれていないが、藤花塚(とうかづか)と言われ、翁の句「草臥れて宿かるころや藤の花」に因んだ筆蹟を埋めたものではないかといわれている。県下でも古い芭蕉塚の一つで、風早地方の俳諧の盛んなころがしのばれる。
十八人塚
・恵良城主赤橋重時の主従18人の墓と伝えられる。
・建武2年(1335)、赤橋武蔵守重時(あかばしむさしのかみしげとき)が烏帽子城(現在の恵良山)に拠っていたが、土居・得能連合軍10,000に攻められ、戦い利あらず重時ら主従18人が自刃した。彼らを葬ったと伝えられるのが十八人塚と称され、境内南西面に祀られている。
大師松
・県指定天然記念物(昭和26年11月27日指定)
・根周り6m、樹高25m
霊木大師松之碑
・平成7年7月吉日建立
・腰折山のふもと、鎌大師堂の境内にひときわ高く枝を広げたクロマツの巨木が遠望された。これが愛媛県指定天然記念物の大師松である。
・この松は根回り6m、目通し4.7m。樹高25mという巨木で、枝張りは東西に21m、南北に18mあり、多年風雪に耐え風格をそなえた樹齢450年の大松であった。
・かつて、愛媛県下には国・県指定の多くの老松があったが、次々と枯れ、最後に残った大松として、貴重な存在であった。昭和58年には、「日本の松の緑を守る会」の名松100選にも選ばれている。大師松の名前の由来は、弘法大師の四国巡錫にちなむ伝説から生まれ、その後、鎌大師堂の境内にあることから大師松の愛称で呼ばれた。
・古来旧街道の要所にあって、上り下りの旅人の目標となり地域の人々だけでなく多くの人々に親しまれていた。しかし、松喰い虫の被害により急激に樹勢が衰え、平成6年9月、遂に枯れた。名松を誇った大師松のありし日の姿を惜しみながら、多くの人々に見守られつつ倒木された。
松守延命地蔵
鎌大師境内
・市指定天然記念物(昭和48年4月9日指定)
弁護士渡辺喜十郎翁頌徳碑
「愛のみちしるべ」の石像
修行大師像
篠原家の墓
「枯れし根に 萩は帰るぞ 冬の山」 篠原藤交
藤交は厩口広右衛門の俳号で鎌大師の庵主で門田兎文(北条市八反地)等と親交があった。
「一茶の道」碑
寛政七年正月十三日の■■
小林一茶茶来をたずねて
この道を最明寺之

願成寺【北条市院内】

光徳院【北条市高田797(寺谷)】
 
木造聖観世音菩薩立像(1躯)
・県指定有形文化財[彫刻](昭和38年5月31日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.10
木造阿弥陀如来立像(1躯)
・県指定有形文化財[彫刻](昭和38年5月31日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.11

金蓮寺【北条市儀式83-3
1998/2/19
・宗派:真言宗醍醐派
・山号:如意山
・県道17号線道端にある。
・平成6年5月9日に本堂を改装しており、真新しさを感じる。

西福寺【北条市辻1333-1(片町)】

最明寺(さいみょうじ)【北条市上難波甲903】
1998/1/18、2001/2/18
・宗派:禅臨済宗 妙心寺派
・寛政7年、小林一茶の辿った道を「一茶の道」と称し、4基の句碑が、その170周年を記念して建立されている。
 
絹本著色月庵(げったん)宗光の画像(1幅)
・県指定有形文化財[絵画](昭和40年4月2日指定)
・月庵和尚は京都に生まれ、大江宗光(そうこう)といわれた。
・正平16年(1361)、北条市八反地宗昌寺の大蟲和尚の教えを受け、のちに上難波に最明寺を建立した。
・但馬に大明寺を開き、慶應元年・元中6年(1389)3月、大明寺にて死没。朝廷から大祖禅師の号を受けた。
・画像は、死去7年前(永徳2年=1382年)に描かれ、自筆の漢詩の讃が入っている。
・横幅38cm、縦92cm。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.8
小林一茶の句碑
小林一茶像とともに、
「雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る」
「やれ打つな 蝿が手をすり 足をする」
「痩がへる まけるな一茶 是に有り」
の三句が刻まれている。
・平成6年11月、一茶来遊200年を記念して建立された。
小林一茶の句碑

宗昌寺(しゅうしょうじ)【北条市八反地甲256】
1998/1/18
・元弘元年、越智経孝正岡信濃守経孝)の室 宗昌禅尼が創建し、大蟲和尚が開基したと伝えられる。
・寛文12年(1672)松山藩主松平定長が現在地に移転し、黄蘗山万福寺末となり今日に至る。
★山門前に昭和15年12月建立の「宗昌寺碑」が有り、寺の縁起が記されている。

宗昌寺 八反地、集福山 河野親経北条六郎康孝正岡信濃守経孝建立、開祖大虫禅師と云、此郷にて十六ヶ村所領のよし旧記なり、今は黄檗山の流となれり」(予陽郡郷俚諺集)
大蟲和尚の石造宝篋印塔(1基)
・県指定有形文化財[石造美術](昭和51年4月6日指定)
・貞治3年(1364) 大蟲禅師三回忌の折、宗昌禅尼により建立された。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.7
木造大蟲禅師倚像(1躯)
・県指定有形文化財[彫刻](昭和51年4月6日指定)
・貞治3年(1364) 大蟲禅師三回忌の折、宗昌禅尼により建立された。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.13
木造文殊菩薩坐像(1躯)
・県指定有形文化財[彫刻](昭和51年4月6日指定)
・康安24年寅年(1362)の刻銘有り。
・座高78.5cm、桧材による木造寄木造り。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.12

信行寺【北条市別府999-3】

聖寿寺【北条市神田】
聖寿寺 神田村、右三ヶ寺何れも造立分明ならす、一紙に定条の書付あり、同時とは推して知れす」(予陽郡郷俚諺集)
※ここで「右三ヶ寺」は、善応寺・宗昌寺・大通寺。一瞬、読み方からして宗昌寺のことかと思ったが、どうやらそうではなさそうだ。

十輪寺【北条市庄甲810】
1999/4/25
・山号:弘法山
・院号:丹生院
・宗派:真言宗醍醐派
・風早四国八十八ヶ所 第65番霊場
・風早西国三十三ヶ所 第23番霊場
・知恵の文殊菩薩
知恵の環
「知恵の環を くぐらばいつか 我も亦 頭の下がる 人となるかも」

常楽院(常楽寺)【北条市久保313】
2005/2/26
・新熊野山 修験道別格寺
※「最尊位稲荷大明神」と染め抜かれた赤い幟が賑やかに立ち並んでいる。(2005/2/26)
常楽稲荷大明神
常楽稲荷祭
・平成17年度は3月6日(日)。
※「常楽稲荷祭 開運招福 おいなりさん」と記された紙が張られている。(2005/2/26)

積善寺【北条市鹿峰203】
・市指定天然記念物(昭和47年11月15日指定)
積善寺の蘇鉄

善応寺(ぜんのうじ)【北条市善応寺甲428】
1999/4/25、2004/1/1
・山号:好成山(こうじょうざん)
・風早四国八十八ヶ所霊場 第25番霊場 地蔵堂
・風早西国三十三ヶ所霊場 観音堂

「開基河野通盛(みちもり)(1364没)は、通有(みちあり)の末子に生まれ、河野総領家を継いだが、元弘の乱(1331)に失脚し、鎌倉建長寺南山士雲(なんさんしうん)をたより、旧勢を保つことができた。この時、南山士雲の恩に報いるため、越智玉澄以後800年に亘る居館であった河野郷土居館を京都東福寺に擬して寺院に改築し、建武2年(1335)に河野一族の氏寺として好成山善応寺を創営した。
 通盛(法名善恵=ぜんね)は、南山士雲の法嗣(ほっす)正堂士顕(しょうどうしけん)を東予市長福寺(ちょうふくじ)から迎え開祖としたが、正堂法嗣の寺として永代住持(住職)を定めた。この後、貞治3年(1364)には諸山の列(宮寺)に加えられた。
 古文書によれば、寺域を「東限鳩谷(はとだに)之透、南限揚岐庵山(ようぎあんざん)過山峰之透、西限娑婆山(しゃばやま)之透、北限土居山(どいやま)尾新宮山」とし、現在の善応寺部落全域にわたり、その面積は60町歩(ちょうぶ)に及ぶ広大なものであった。
 七堂(仏殿、法堂=はっとう、僧堂、方丈、庫司=くす、東司=とうす、浴室)、十三塔頭(たっちゅう)(通玄庵、萬松庵、千手院、養寿院、大崇院、宗玄院、林少院、萬年院、一心庵、見寿院、明智庵、霊雲庵)を有する大禅刹であった。
 その後、善応寺は代々河野氏の帰依を受け盛観を呈したが、天正13年(1585)7月、河野氏没落と共に戦火に焼失荒廃した。
 江戸時代中期、善応寺十一世の黙翁士徹(もくおうしてつ)によって将軍徳川吉宗(よしむね)の厚遇を受け、明智庵(みょうちあん)のあとに現在の善応寺を再建した。」(説明書き)

好成山善応寺 通玄院高縄の下、河野郷 元弘、建武の此勇剛の名を顕しける河野九郎左衛門尉通治、中比浪牢の身と成数代の旧領を放されけるに、建長寺南山和尚を頼み、将軍高氏尊氏)に申て本領を安堵しぬ、依之通治入道後号善恵南山を深く尊み申に依して、高縄山下に一宇を経営して好成山善応寺と名付、久万阿弥を使として、北条長福寺顕正堂和尚を招請して開山とす、予章記に詳也」(予陽郡郷俚諺集)
※「浪牢」は「浪浪」(]さまよい歩くこと。また、仕える主人のないこと。浪人であること)と同意であろう。
※「北条」という地名は、元々東予市の「北条」が起こりではなかろうか。正堂和尚善応寺へと招聘されたのが縁で、この地を「北条」と呼ぶようになったとも考えられる。

★寺の後方には雌甲山が聳える。
★山前に建てられているライオンズクラブによる寺域マップによれば、雄甲山には柱石・河野城跡、雌甲山には甲石があるようだ。
★新年であるため本尊を御開帳中であり、とても得した気分である。(2004/1/1)
 
二神通範追善供養絵図
金銅誕生仏立像(1躯)
・県指定有形文化財[彫刻](昭和55年3月21日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.16
善応寺古文書(5巻)
・県指定有形文化財[書跡・典籍・古文書](昭和30年11月4日指定)
・鎌倉時代から安土桃山時代にかけて、善応寺に送られた69通が巻き物5巻に収められており、同寺を菩提寺とした河野氏が田畑などを贈った寄進状が最も多い。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.18
木造釈迦如来及び両脇侍坐像(3躯)【北条市善応寺 善応寺】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和58年3月11日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.17
木造釈迦三尊
・市指定有形文化財(昭和55年6月10日指定)
木造達磨大師座像・木造百丈禅師倚像、三牌
・市指定有形文化財(昭和55年6月10日指定)
吉田蔵沢大幹竹屏風
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.82
「河野氏発祥之地」の碑
碑誌
河野氏は、伊予国第一の大族で、風早郡(現北条市)河野郷土居(現善応寺)この地より起こる。
中世伊予を代表する武士であった河野氏は、河野郷を中心として発展するが、確かな記録では、平安時代の末期から地方豪族として、広く世に知られるようになった。特に源平合戦で活躍した河野通信が、確固不動の地位を獲得し、瀬戸内海に面する伊予の実権を掌握した。
瀬戸内海に突出する高縄半島にある河野氏の本拠である河野郷土居は、中世伊予の軍事・経済・文化の中心地で、日本の政治と深く係わり合って、波瀾にみちた歴史を生んだところである。
善応寺のほのぎ(地名)
古文書によると、善応寺の境内を、東は鳩谷を透す限り、南は楊岐庵山を過ぎ山の峯を透す限り、西は娑婆山を透す限り、北は土居山の尾新宮を透す限りと定められ、実に五十町歩に余る広域なものであった。
三良丸、福楽寺、明智庵、塚穴田、万年寺、福堂、木染、松林庵、東深田、城木、竹ノ下、大通院、通玄庵、中田、馬場、硫黄丸、龍王、大石田、二反地、湯の久保、政所、宮ノ下、宮ノ鼻、東角、二十腹、後宮、御城堂、家敷、鳩の谷、観音堂、小尾ノ谷、畦地、能楽、地蔵堂、森本、稗佐古、藁畑、菅ノ谷、清水、大庭、南川、片山、久保、大庭西、大庭北、堂ノ上、助近、宵ノ上、桜堂、宗源寺、小松窪、高山界、柳本、後河原、北馬場、城ノ守、小木窪、楠、岡、道免、阿弥陀堂、森本、国峯、明楽、日浦、一ノ宇、長生寺、若枩、城の窪、土居越、爪窪、池谷、毘輪首(昆と記しているが毘が正解であろう)、平原、西佐古、馬口、蔵谷、大角豆田、小室庵、斎御堂、小松、千寿院、風呂元、柿田、福楽寺、温田、万松寺、尾鼻、天王、才ノ原、平利、松ノ木、鳩谷、畦地、上河原、池田、明神、小山(辻ノ四墓地)、辻ノ内、毘沙門(昆沙門と記しているが毘が正解であろう)、類泉、宮ノ波座、木染、七漬、月輪田、東深田、高木 
河野対馬守通盛公の墓所
風早西国三十三ヶ所 第14番
観音堂風早四国八十八ヶ所 第25番 地蔵堂
★本堂同様、いずれも新年で御開帳中。(2004/1/1)

大通寺(だいつうじ)【北条市下難波813】
1998/1/18、2001/2/18
・山号:安楽山
・宗派:曹洞宗
・風早四国第68番札所
・風早西国第20番札所
・貞和年間(1345〜1349)、善応寺開創の河野通盛の子、河野遠江守通朝が下難波の谷に創営した。
・太宰府崇福寺開山大応国師の門下、崇福三世の大暁禅師を招いて大通寺始祖とした。

大通寺 下難波、安楽山と云 河野遠江守通朝の菩提所と見えて、位牌今に残れり、此通朝通治の弟たりしか遺跡を継けり、細川頼春と戦て討死す(通朝通治の弟にあらす、子なり)」(予陽郡郷俚諺集)
木造大暁禅師倚像(1躯)
・県指定有形文化財[彫刻](昭和52年4月7日)
・像高80cm、重さ7kg。桧材3枚から成る。
・寺伝によれば、延文2年(1357)、南北朝時代の作と伝えられる。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.14
宝冠釈迦如来坐像
大師松
河野通之の墓
村上水軍の墓所
来島通総等、村上水軍の墓所がある。
来島通総(くるしまみちふさ)の宝篋印塔
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.72
坂村真民詩碑「念ずれば花ひらく」

高縄寺(たかなわじ)【北条市米之野459】
1994/9/15、2002/7/20、2003/6/15
 ★1994/9/15当日は NHK神奈川の取材陣がなにやら収録に訪れとったわい。
・本尊:木像十一面千手観音菩薩
伊予十観音霊場
風早八十八ヶ所12番札所
・宗派:真言宗醍醐派
・旧記では、天智天皇の御代に当時の国造小千守興が山腹の横谷に創営したと伝えている。焼失したため、元文元年に河野通宣がこの地に移した。
・この地方を治めていた河野氏の戦勝祈願所となっていたところである。(河野家の菩提寺)
・高縄山山頂付近、標高 900mのところにある。
・現在の本堂は 1676年(明和4年)に再建したものである。
木造十一面千手観音菩薩立像(1躯)
・県指定有形文化財[彫刻](昭和55年3月21日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.15
法印無生義天(ぎてん)の墓
・元高縄寺住職で、香川県三野郡出身の僧。
・現在の本堂再建に貢献した。
・安永3年(1774)に永眠する。
山号額
・雪广(せつげん)の書。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.67
高縄寺奉納俳額
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.68
花へんろ第3番札所
「修行大師」像
俊康晋山記念 昭和61年7月吉日
法蓮華経(4巻)
・北条市指定有形文化財(昭和44年6月10日指定)
孫八が奉納した手水鉢
・「孫八は、鉄砲撃ちの名人で九川に住んでいた。『えひめ昔ばなし』に孫八の名人ぶりが記録されている。手水鉢には、『文化九(1812)甲三月、施主 九之川村 孫八』と刻まれている。」(立て看板より)
七本杉(ひちほんすぎ)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.66
大師名残りの杉
子持ち杉
千手杉
・本堂脇
仙人杉
・山門前

杖大師【北条市】
1998/2/19
・クラボウ北条工場南東
・真言宗醍醐派青面山養護院四国霊場番外札所
・風早四国88ヶ所49番釈迦如来、52番お杖弘法大師
・花へんろ 第4番札所 修行大師

福生寺(廃寺)【北条市夏目】
福生寺跡五輪塔
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.81

法源寺(ほうげんじ)【北条市土手内246(三穂町)】

法正寺(ほうしょうじ)【北条市萩原】
・風早四国88ヶ所76番
萩原の庵寺ともいわれる。
・庵の壇奥に入定伝説の乗蓮行者の供養墓がある。
・弘化3年、今治から三津、松山、内子にわたる俳人52句を並べた俳額がある。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.63

法善寺(ほうぜんじ)(法善坊)【北条市尾儀原169】

法善寺(ほうぜんじ)【北条市辻1358(朝養)】

法然寺(ほうねんじ)【北条市北条1121(栄町)】
俳額
・栗舎が書き直した、文化13年揮毫のもの。
芭蕉句碑

法蓮寺【北条市大西谷甲26】

青面山養護院【北条市北条 浜町】

蓮生寺(れんせいじ)【北条市猿川原289】
1998/2/19、2004/2/22
・新四国曼荼羅霊場43番札所
・本尊:十一面観世音菩薩
・山号:青龍山
・ぼて茶寺
地蔵菩薩像(木食仏海(もくじきぶつかい)作) 
北条市指定文化財 
所在地・北条市猿川原 蓮生寺
指定・平成13年4月26日 
当山には、木食仏海上人が刻んだ仏像の代表作地蔵菩薩が安置されている。尊像は全長60cm(台座20cm)、檜造りで左手に宝珠(ほうしゅ)、右手に錫杖(しゃくじょう)を持っていたらしく円形の光背があり、白木に墨を塗り背に地蔵菩薩の種字(しゅじ)が刻まれている。また、墨書(ぼくしょ)で「佛海沙門(ぶっかいしゃもん)1275躯目31歳にて作す、元文5年(1740)申年黄鐘(さるのとしこうしょう)(11月)上旬」と記されている。 
猿川村が仏海の郷里であるにもかかわらず、市内には仏海彫像がきわめて少ない。
北条市教育委員会
写本大般若経
・北条市指定有形文化財(昭和53年5月10日指定)
蓮生寺は数次の兵火にかかりつつも、この大般若経の写本は、経壇に残り今日まで保存されている。この般若経の奥書に「防州大島郡屋代庄南方観音寺沙門◆観生◆三十五」と記され、慈観が貞和5年(1349)から文和2年(1353)までの5年を費やして書き上げたもので、一人が書き写したのは珍しい。室町初期における仏教徒の信仰の様子を知る上に貴重な文献である。

写本大般若経(しゃほんだいはんにゃきょう)
北条市指定文化財 
所在地・北条市猿川原 蓮生寺 
指定・昭和53年5月10日
ここ蓮生寺に、大般若経の写本(600巻)がほとんど全巻に近い状態で経櫃(きょうひつ)に納め保存されており、その奥書きには「於防州大嶋郡屋代庄南方(ぼうしゅうおおしまぐんやしろのしょうみなみかた)、観音寺沙門(しゃもん)の慈観生寿(じかんしょうじゅ)三十八、一筆書写之 畢(おわんぬ)」(巻第六百より抜粋)と記され、慈観が貞和4年(1348)から文和3年(1354)までの6年を費やしたもので、一人が大部分を書き写したのは実に珍しい。室町初期における仏教徒の信仰の様子を知る上での貴重な文献である。なお、天正13年(1585)兵火により一部消失したが、智海(ちかい)上人の代(延享年間 1744〜1747)になって補足されている。 
また平成14年(2002)には補修を行った。 
北条市教育委員会

花まつり
・釈迦の誕生を祝う祭りで、5月5日〜7日に行われる。
・藩政時代から松山地方に伝わる質素な茶漬け料理「ぼて茶」をふるまう。

蓮福寺【北条市河原325】


神社
網代神社【北条市大浦】

荒魂神社(北条市高山)
2004/5/23
・「あらみたまじんじゃ」と読む。
※祭礼日なのだろうか、拝殿内では近所の人が寄り合って酒を飲み交わしている。よって境内地へは入りにくい雰囲気。(2004/5/23)

石鎚神社【北条市和田】

石鎚神宮【北条市米之野】
1998/2/19
・所々に道標が立っている田の畦のような細い道を息をきらしながら歩いていく。
・なかなか目的地に到着しない。やがて 「風早四国88ヶ所7〜9番 庵 千手観音」 に到着する。
・そこから林の中に入っていき、山道を登っていく。やはり山岳信仰の石鎚、奥深い山の中に社殿を構える。 ようやく辿り着いたところにはとても小さい祠がぽつりと建っているだけだった。少々期待外れであった。

厳島神社【北条市八反地】

宇佐八幡神社【北条市磯河内乙226-4/小川】
2003/3/23
招霊の木
「昔はおがたまの木に神様をお招きし祭事を行ったり神様にお供えしてまいりました。又天照皇大神岩戸がくれの際天鈿女命此の木の枝を持ち舞を奏すると皇大神様岩戸よりお出ましになり再び明るい平和な時代となりました 神楽鈴はこの木の実が起源と伝え招霊は神を招く意で繁栄・幸福を招くと伝へます。
 昭和62年9月吉日植樹」
横田青水句碑
「誓立つ かしわでの音や 初明り」
・横田青水は清忠氏の俳号で市内磯河内の出身。
・大正10年愛媛師範学校卒業、当社の神官のかたわら教職に一生を終えた人である。

恵良神社(赤坂神社)【北条市上難波】
1998/1/18
・県道339線沿いの小高い山の上にある。

恵良神社【北条市上難波】
恵良城跡
・市指定文化財(昭和52年4月7日指定)
イブキビャクシンの自然林
・市指定天然記念物(昭和38年2月16日指定)

恵美須神社【北条市浅海本谷 真沖】

大氏神社【北条市八反地甲107】

御先神社【北条市別府】
2004/5/23
・通称「オンザキさん」。
地鎮神

葛城神社【北条市浅海谷】
1999/4/25
・祭神:味■高比古根命、八重事代主命
・境内神社:荒神社(祭神:大己貴神)
・例祭:10月2日
・当社は文武天皇の御宇、創祀されたといわれる。
・その後、元久年中、浅海太郎頼■の厚い崇敬があり、社殿を造立した。 

篭御前神社【北条市米之野】

風早大神宮【北条市別府】
2004/5/23
・「いせみやさん」の愛称で呼ばれる。
・拝殿には、「風早大神宮」の額が掛かっている。
境内社:新田社
地蔵
・境内地前の道端。慶應元年の銘有り。
地蔵
・境内地前の道端。慶應元年の銘有り。

鹿島神社【北条市北条 辻】

鹿島神社【北条市辻1603-15 鹿島】
1998/2/19
・主祭神:武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)
・電話番号:089-992-0896
・ご利益:交通安全、海上安全、家内安全、商売繁盛、合格、安産、厄除開運
 
境内社:厳島神社
・祭神:市杵島姫命
飛地境内社:龍神社
・寒戸に鎮座する。
・祭神:高おかみ神、闇おかみ神
特殊神事:櫂練り
要石(Kaname for legend)
・この地方では、昔から地底に大鯰がいて、常には静まっているが目覚めてあばれだすと地震となって大地が震動すると考えられていた。
・この地震を起こす大鯰の頭を、鹿島の神様が「要石」で押さえているので、この風早地方には地震が少ないと言い伝えられてきた。
・地震除けの神として尊崇されている。
・傍らの石に次の歌が刻まれている。
「ゆるぐとも よもやぬけじな 要石 鹿島の神の おわすかぎりは」
[要石の由来]
常陸国鹿島神宮より勧請の折、霊石たる要石も併せ遷したと伝えられる。
本宮においては古来、山の宮御座石の別名があり、鹿島神の天降りの時、この石に座しもうたといわれ、地震を起こす大鯰の頭を祭神が押さえられた石ともいう。

春日社【北条市庄】
1999/4/25
★春日社と金毘羅大権現の間に、合掌する石仏有り。

春日神社【北条市】
2005/6/18
●2005/6/18
 先日新居浜に行った帰りがけ、列車の窓越しの景色を楽しんでいたら、JR柳原駅を過ぎたあたりだっただろうか、田の中に古墳らしき土塁の姿が見えた。何だろうかと気になっていたので、大西町散策へ行く途中に現地踏査へと繰り出した。
 社は有れども社名額など一切無し。大きな蘇鉄が植わっている。
 近所で農作業をしていたオバちゃんに確認したところ、春日神社というらしい。

葛城神社(かつらぎじんじゃ)【北条市浅海本谷】
・文化7年の俳額があり、桜井、朝倉、今治、野間、三津、松山、拝志など38人の俳人が名を連ねている。

加茂神社【北条市和田】

加茂神社【北条市庄府】

祇園神社【北条市小山田】
2004/2/22

紀貫之神社【北条市猿川原】
1998/2/19、2004/2/22
・このような万葉歌人を祭る神社は県内では珍しいのではないだろうか?
・社殿内には和歌額が多数奉納されている。

紀貫之墓 猿川村の内しんとうの原にあり、伝へて曰、又、宇和郡土居村甲森城主紀実平貫之末流都より下向の時猿川にて病死す、遺骨をは土居村に送り、下谷と云所にて一社に祭けるよし彼村に申伝へたり、此所にて貫之といへるは、実平の事を聞惑ひて伝けるにや、一説に、貫之は土佐国に配流とも、又土州知行ともいふ、分明ならす、貫之の墓の近所に花垣の里といふあり、貫之の歌に、
 今日祭る 神の心や なひくらん 卯月に匂ふ 花垣の里
柿の本といふ所あり、貫之宿をかり給ふに、心よくもあらさりけれは
 柿本に 渋々宿を かりけれは 亭主のこころ 熟せさりけり」(予陽郡郷俚諺集)

紀貫之(きのつらゆき)(貞観14年(872年)頃? - 天慶9年(945年))は、平安時代前期の歌人・随筆家。
歌人として著名であり、三十六歌仙の一人に数えられる。905年には醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集『古今和歌集』を紀友則壬生忠岑凡河内躬恒と共に編纂した。古今和歌集の序文には漢文による「真名序」と平仮名による「仮名序」の二つがあるが、仮名序を書いたのも紀貫之である。また、『小倉百人一首』にも和歌が収録されている。
随筆家としては『土佐日記』の著者として有名である。男は漢文を書くのが常識とされていた時代に、女の作者を装って土佐から京都までの紀行を平仮名で綴った。そのため本文中の語り手も女性である。日本文学史上、おそらく初めての平仮名による優れた散文であり、その後の日記文学や随筆、女流文学の発達に大きな影響を与えた。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

貴布祢神社【北条市下難波 石風呂】
 
貴船神社俳額

c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.74

櫛玉比賣命神社【北条市高田甲704-1】
1998/1/18
・延喜式内社。旧郷社。
・祭神:天道姫命
・配祀:御炊屋姫命
・別称:抜入桝大明神(享保年中、現社名に復帰)
・狛犬は1990年10月に奉納されたもの。
・本殿上がり口のところには「延喜式内社櫛玉比賣命神社」と刻まれた碑が建っている。
「櫛玉比売命神社 同村(八反地) 天道日女命を祭奉る、饒速日命の妃也、
 十寸鏡 むへ懸ぬらし 白ゆふの くしたまひめの 神の御まへに」(予陽郡郷俚諺集)

 櫛玉比賣命神社
國津比古命神社の主祭神である櫛玉饒速日尊の妃神をお祭りしているのが、向かい側の櫛玉比賣命神社です。社号は『祓座大明神』ともいわれました。寛永年間(約360年前) 官命により、南方の小山の頂より現在の地に移されました。古来、地方豪族の氏神として崇敬され、明治29年に社格が『郷社』になりました。
 昭和43年 中殿 改築。 昭和60年 社殿改築・境内地拡張補強。ご両社はご夫婦なかよく向かいあってお祭りされ,私どもをやさしく見守っていただいております。これが家族円満,夫婦円満(一願成就)の神社であるといわれる所以です。
櫛玉社旧本殿
・現在の本殿に向かって左側の茂みの中にある。
境内末社:和霊神社
・櫛玉比賣神社参道を上ると途中左側にある。
境内末社:素鵞神社
・現在の本殿の右側に位置する。
・祭神は素戔鳴命。疫病の守護神である。
改築記念碑
櫛玉比賣神社古墳
・前方後円墳
・社殿後方。
・風早国造の墳墓という説もあり。

国津比古命神社(くにつひこのみことじんじゃ)【北条市八反地甲185】
1998/1/18
・本殿の奉納絵馬には虎との相撲であろうか、格闘する様が描かれている。(文久2年6月奉納)
・延喜式内社。旧県社。
・主祭神は物部氏の祖、饒速日尊(にぎはやひのみこと)。その他、数神を祀る。
・配祀:宇麻志麻治命、物部阿佐利命(風早国造)、誉田別命
・別称:櫛玉饒速日命神社、國津比古命神社、頭日神社(かぐひじんじゃ)、頭日八幡宮

「神名帳曰、風早郡二座小、国津比古命神社、日本武尊也と称し奉る、神武天皇の御宇、道ノ臣の命とて将軍の始也、今武士をもののふといふ事も、此御神の預り給ふ兵を物部といふより始れり、万葉祭記に風早明神と有も是也、社は八反地にあり、神饒速命を祭奉る、本朝武家の祖神也、
 動きなき 国つひこてふ 宮はしら ふとしく立て いはふよろつよ」(予陽郡郷俚諺集)
 
八脚門(はっきゃくもん)[国津比古命神社楼門](1棟)
・元禄年間に松山味酒郷の阿沼美神社から移された。
【北条市八反地 国津比古命神社】
・県指定有形文化財[建造物](昭和28年12月25日指定)
・元禄年間(1688〜1703)、松山市阿沼美神社の八脚門をここに移したと伝えられる。
・桃山時代の技法を取り入れた豪華な建造物。単層の入母屋造、本瓦葺。柱は円柱仕上げ。一部分唐様を取り入れた和様建築となっている。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.5
石額
・八脚門右側裏に奉納されている。
砲弾
・八脚門左側裏に奉納されている。
金刀比羅宮
真名井の井戸
・深さ14m、八脚門をくぐってすぐ右にある。
神楽殿
お田植の額
・寛政2年、柴田政晴が書いた雨乞いの霊験を彫り付けた額。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.76
稲荷社
春甫句碑
秋祭り
・11月10〜12日に行われる。
・半鐘と太鼓が激しく打ち鳴らされることから、「風早の火事祭り」とも呼ばれる。
宵の明星と宮入行事
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.77
みこし落とし
・祭りの締めくくりに行われる。
・石段の上から神輿を投げて壊し、新しく作ることで作物の再生産を願う。このような荒々しい神輿行事は「暴れ神輿」「神輿振り」「神輿荒れ」と呼ばれる。神輿に宿った神が飛び出してくることを祈願する表れという。
お共獅子
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.75

熊野神社【北条市滝本】

熊野三所権現【北条市夏目】
熊野谷(いやだに)権現
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.80

河内神社【北条市猪木】

河内神社【北条市九川】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.146)

河野神社【北条市善応寺】

金毘羅大権現【北条市庄】
1999/4/25
河野伊豫守通信河野通俊父子によって文治3年(1187)10月に創建されたと伝えられている。
本殿は扇量木を使用し、彫刻物は竹田番遙飛田円道の作品があり、拝殿かえる股には十二支の彫刻があって、好道の刻名がある。
御神像は三宝剣を■し威厳があり、明治以前の両部神道、神仏一致の行装を示している。社殿はしばしば修理を施されているが、扇量木をはじめかえる股等の彫刻、組木などは原形が保存されていて貴重である。
本尊像 一躯
奥殿 一棟
拝殿 一棟
・市指定有形文化財(北文第32号、昭和50年12月12日指定)

金比羅神社【北条市猿川 大遊寺】

金刀比羅神社【北条市小山田 坊田】
2004/2/22

荒神社【北条市才之原】

荒神社【北条市尾儀原】

・参道上がり口のところに、風早88ヶ所の80,81番の看板が倒れている。スタンプは無い。
荒神社のクスノキ
荒神社のカゴノキ

古和気神社【北条市和田】

佐倉神社【北条市中通 河原】

水天宮【北条市神田】

正八幡宮神社【北条市小川】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.142)

素鵞社【北条市横谷】
2004/1/1

 年始参拝に訪れていた木戸さんに話を伺った。
・徳川の時代(約200年前)に疫病鎮護のため京都の祇園神社より勧請・建立されたものか。
・元は村社であったという。
・社号碑は昭和54年建立、拝殿は昭和52年10月ににより建てられた。(棟梁:木戸傳=木戸さんの御兄弟らしい)
・拝殿に向かって左側の山の斜面には杉の若木が林立しているが、この場所は元々は蜜柑山であった。ここが土砂崩れを起こし、拝殿を押し流したため昭和52年に建て替えたという。昔の素鵞神社に残っていたものは神名額ぐらいなものである。作成日が銘記されていないので何時のものかはわからない。
・境内地は自動車1〜2台ぐらいのスペースしかないが、昔(昭和初期)は9月5日の祭礼日にここで宮相撲が行われていたらしい。「横谷の集落に男の子だけでも20人ほど居て、宮相撲も賑わったものだった」と木戸さんは懐かしそうに語っていた。
・木戸さんと話していると、家族3人連れが初詣に訪れた。御主人は「下の天満神社の狛犬は古いモンぜ。ワシが知っとることはこんぐらいよ」と教えてくれた。 (2004/1/1)

高田神社【北条市高田】
1999/4/25
・当神社はそれぞれ別の場所に三ヶ所あり、柳神社(神田)は天忍穂耳命、■幡千々姫命が鎮座して、河野氏・柳原氏等の崇敬深い社であった。新宮神社(波田)は遠玉男命・産霊神・天香語山命を奉り、刑部大輔より水田寄進の■状あり。素鵞神社(寺谷)は素戔鳴命・稲田姫命・少彦名命が鎮座し、和邇氏、河野氏の崇敬するところであったが、明治45年維持の方法を確定し、その設備を整え、官の免許を得て現在地に合祀奉遷し、高田神社と称して氏子の崇敬を集めた。
・その他に和霊神社(境外神社)、熊野神社(境内神社)があり、地域崇敬者に手厚く祀られている。
・昭和7年に不審火により本殿を除くことごとくを焼失したが、氏子らにより再建した。

高縄神社【北条市宮内】
1999/4/25
・祭神:大山積神、高おかみ神、鳴雷神
・高縄山は古来、神霊天降る峯として、山麓はもとより広く斎灘一帯の海上から仰がれた神山であり、かつて三島大明神を奉じ、瀬戸内水軍を率いて天下に雄飛した小千(越智)河野一族は、当地風早郡河野郷に発祥した。
・社伝によれば、河野氏の遠祖小千命九世の孫、小千躬尺は、別名を小千高縄とも称し、三島大明神の神託により高縄山に居城したと言われ、後六世を経て、第15代小千益躬は推古天皇7年(599)、山頂天神ヶ森(てんじがもり)に社殿を新設、三島大明神を主座に天神地祇を奉斎して高縄神と尊称した。
・「類聚国史」には、当神社を推古天皇勅願社の一つに数えており、「三代実録」貞観5年の項には神階授与のことが見え、当時より神威赫然たりしことが偲ばれる。
・越智氏第27代の家督を継いで高縄城主となった河野親清は、天神ヶ森の高縄神を奉遷すべく御神意を伺い、当地を卜定(ぼくじょう)して、保延2年(1136)3月23日に現在地に鎮座した。河野新宮とも河野三島宮とも尊称され、社殿は大山祇神社に擬して造営された。
・以来当神社は河野氏の産土神として崇敬され、親清の子通清から末孫通直まで神領安堵神田寄進累代に亘り、荘厳を極めた。
・戦国時代河野氏は滅亡して、当神社の神領神田は悉く没収され、更に慶長5年(1600)9月20日の夜、兵火に罹って社殿・神宝・古文書等をすべて焼失した。
・徳川時代半ばになって当神社はようやく復興の緒につき、文化3年拝殿を再建、文化9年に本殿を再建。明治3年に社号を復古して高縄神社と改め、同4年河野一郷の鎮守として郷社に列格、同28年には県社に昇格した。
・現在は神社本庁傘下の宗教法人となり、神縁深き河野地区の氏子によって護持されている。

★絵馬堂で奉納額をしばし眺めていると、一台の車が駐車場まで上ってきた。車を停めると、助手席に息子を置いたまま、一人の男が近寄ってきた。「近所の人じゃろか?」と思いながら、奉納額を再び眺めていると、「もう絵具がだいぶ落ちてきて見えにくくなってるでしょ?」と話しかけてきた。しばらく、色々と奉納額の古さや絵柄などについて話していたのだが、ふと、「この辺りに住んでおられるのですか?」と訪ねると、「私は宮司なんですよ」と答えられた。「ありゃ、そりゃ失礼いたしました。」(1999/4/25)

鎮守神社【北条市中西内】

天神社【北条市安居島】

天満宮【北条市牛谷】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.140)

天満宮【北条市浅海本谷】
・浅海小学校北。線路沿い。

天満神社【北条市高山】
2004/5/23

「天保二年創建の前社殿が一七〇年余を経過しその間第二次世界大戦中、昭和二十年八月米軍機の空襲をうけ神社・烏居など大破し、其の後大改修がなされたが老朽化が進み、この度平成十四年十二月二十五日の総会で氏子全員の総意により社殿並びに石段を改修ずる運びとなる。
天満神社建築委員」
常夜灯
・高山谷に架かる橋の袂に有り。
高山谷
・高山川水系

天満神社【北条市横谷】
2004/1/1
国土調査実施記念碑
・昭和54年6月建立
鳥居
・元治元年
句碑
「水売の桶に隨き来し山の蝶」白歩
「川音へ落ちゆく蛍火のひとつ」真喜子
やよい句会20周年記念 平成11年7月吉日
★2004/1/1
何と偶然にも、先ほど素鵞社で出会った3人連れの奥さんがこの碑の作者であった。
白歩氏は鎌倉在住の俳人とのこと。北条市観光協会発行の「句の街、歴史の街 北条 風早文学碑の解説」によれば、「白歩は佐野欽一氏、元清和病院長、ホトトギス系「雪解」同人、鎌倉在住、医学博士」とある。なるほど、間違いじゃない。
高縄林道竣工記念碑
・昭和50年5月建立
道路改修記念碑
・昭和2年6月15日 横谷村民建之
支那事変・境内拡張記念碑
・井手勉 書
・建立年は不明だが、「皇紀2600年」と謳っているので昭和15年(1940)に間違いなかろう。皇紀は日本書紀の紀年に基づくもので、皇紀元年は西暦でいうBC660年。この年は国威高揚のため全国各地で式典が執り行われたようである。「支那事変」とは、昭和12年(1937)に始まった日中戦争であるが、「支那」の呼称は中国側が「蔑称」と指摘しているため、現代では使ってはならない言葉である。
狛犬
・明治27年3月
・石工 荻山逓吉 (逓の文字は摩滅気味で判読し難いので読み誤っているかもしれない)
常夜燈
・明治27年3月
・石工 荻山寅市 (文字は摩滅気味で判読し難いので読み誤っているかもしれない)
石柱
・参道階段再上部にある石柱には「元治元年12月吉日」と記している。鳥居の建立年と合致しており、おそらくこれが建立年なのだろう。
・その脇には杉の木がある。樹齢は100年ぐらいか。さほど老木でもなさそうだ。
拝殿
・拝殿内部には鹿を描いた絵馬(明治28年4月奉納)が掲げられている。
・拝殿(に向かって)右横の巨木の根元の空洞に恵比寿の面を祀っている。
御大典紀念拝殿建設碑
・大正4年11月 大工 平野典市

東頭神社【北条市院内】

二条権現【北条市大浦】

新田神社【北条市庄府】
1998/2/19
・社号額には「米山書」とある。おそらく三輪田米山を指すのだろう。(正解)
・高縄山へ10kmと立て札がある。

八幡若宮社【北条市別府】
2004/1/1

姫坂神社【北条市安居島】

松尾神社【北条市中西外】

松尾神社【北条市片山】

目魯止神社【北条市西谷】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.143)
2003/3/23
・参道脇に青面金剛が祀られている。

目魯止神社【北条市横谷】
2004/1/1
・素鵞神社よりやや下手に小さな祠がある。
・「目を守る神の威力の尊しや」 平成15年12月 坂本卓美建立
・目魯止神社(北条市西谷)から勧請したのだろう。

三島神社【北条市中通】

三島神社【北条市猿川下】

三島神社【北条市本谷甲199】

三嶋神社【北条市儀式】
1998/2/19

三島神社【北条市小山田 寺谷】
1999/7/20
地蔵堂
・本尊:聖観世音菩薩
・風早四国88ヶ所霊場 第85番霊場
・県道197号線沿いに建つ。
地蔵堂
・風早四国88ヶ所霊場 番外第20番
三島神社
★鳥居には「天保十五申辰」の銘有り。

★県道197号線は結構綺麗な道だ...などと思いながら菊間町に入った瞬間、がらっと道路状態は酷いものとなる。車1台通行するのが精一杯のワインディングロードだ。久々に警笛を鳴らしながら運転する。(1999/7/20)

三穂神社【北条市柳原】
1998/1/18、2005/2/26
・「太宰府天満宮分祠」ともいう。
・昭和52年12月に再建された。(牧野種三郎らの尽力による。)
※大宰府天満宮のお守り、絵馬は猪野蛍光堂にある。(2005/2/26)
 
鳥居
・嘉永七甲寅年
社号碑
・大正7年8月
・「愛媛縣県知事 勲二等 若林賁蔵閣下書之」と刻まれている。
※「賁」の文字は不鮮明につき書き誤っているかもしれない。→愛媛県史にて調べておくこと。
注連石
・昭和12年10月
柳原地名誕生の碑
・昭和53年12月建立。
・碑文は以下の通り記されている。
「柳原という地名は歴史の上でも古く古文書二名集に『観応4年(1350)今岡通任河野屋形より柳原村を賜い之に居る』とあり、この頃より既に存在していたにも拘らず、昭和の今日までただの通称に過ぎなかった。昭和50年全国一斉に実施された国土調査を機に住民の宿願であった柳原が昭和52年2月4日戸籍上正式に誕生した。之を記念してこの碑を建立する   1978年12月」
大洲藩主加藤家/大洲藩士中江家の小祠
小祠
絵馬堂
亀の甲羅の奉納
・縦100cm×横80cmほどの亀の甲羅が奉納されている。(昭和9年9月奉納)
・「明治三十年旧九月十六日祭禮之翌朝末廣浜仁浮喜上里多留亀乎西岡浅蔵捕獲志其甲手奉納須
昭和九年舊八月十九日」(明治30年旧暦の9月16日、祭礼の翌朝、末廣浜に浮き上りたる亀を西岡浅蔵が捕獲して、その甲手を奉納す)
・「明治30年9月16日、末廣浜に浮かんでいたのを西岡氏が捕獲した」旨が奉納額に記載されている。
※末広浜の所在地は?
牧野種三郎先生頌徳碑
・碑文は前北条市長秋山正親謹書
牧野種三郎は大正14年愛媛師範学校卒業後、以来38年間教育一筋に身を捧げた。
「先生は大正十四年愛媛師範学校を卆業し定年退職まで三十八年間に亘り教育界一筋に身を捧げました。立岩・河野・北条各小学校長を歴任し北条市内は勿論、愛媛県中小学校長会長として県内に、勤務評定問題では愛媛県教育研究協議会初代会長として全国にその名を知られました。退職後の余生は柳原地区の総ての役職に選任され、三穂神社並一心庵の再建、老人クラブの育成等、柳原の為に身を粉にして尽されました。
昭和五十六年八月建之」
※「種三郎」?「禮三郎?」碑文の文字が崩れているので、判断がし難いが、おそらく「種三郎」に間違いなかろう。牧野種三郎氏は初代の愛媛県教育研究協議会の会長。
念仏行事
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.83

明見神社【北条市浅海原 原】

明見神社【北条市庄府】
1998/2/19
・山の斜面、庄府の里を一望に見下ろす小高い場所に鎮座している。
・参道を上り切ったところに大木の根が残されている。以前はかなり立派な神木が聳え立っていたことだろう。その面影は社殿の中に奉納されたモノクロームの写真額に見ることができる。
 
末社:木野山神社
風早四国88ヶ所6番庵

明見神社【北条市中村】

妙見神社【北条市西谷】
2003/3/23

柳神社【北条市辻】
・聖カタリナ大学南

山神社(山神神社)【北条市萩原】
1999/4/25

山ノ神神社【北条市佐古】

龍神社【北条市辻1603-15 鹿島】
1998/2/19
龍神社の雨乞伝説(Ryu shrine and Amagoi legend)

龍王神社分院【北条市久保419-27】

龍宮神社【北条市柳原】
2005/2/26
柳原港竣功紀念碑
柳原漁業組合創立五十周年記念碑
・平成元年七月吉日建立
常夜灯
・文化五 仲秋
※仲秋(ちゅうしゅう):古くは「ちゅうじゅう」とも。秋三か月のまんなかの意。陰暦八月の異称。
焼玉エンジン
・寄贈 渡部マリン鉄工 渡部俊春 昭和56年6月
※焼玉エンジンとは、燃焼室にある焼玉と呼ばれる部分を加熱して、燃料に着火させるエンジンのことです。日本では明治時代末期に登場し、第二次世界大戦前までは、大型漁船のエンジンの主流を占めていました。浦安では、大正時代末期から焼玉エンジンのついた船が確認されています。大量に生産された焼玉エンジンも、現在ではほとんど姿を消し、国内では数例しか現存していません。(http://kyoiku.city.urayasu.chiba.jp/hakubutukan/yakidama.htm)


お堂

粟井坂大師堂(あわいざかだいしどう)【北条市小川 粟井坂2】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.141)
1998/1/18,1999/2/19,2004/1/1
・木造の地蔵尊を祀る。
 
河野通清公墓所
・風早88ヶ所番外7番
・お石塔参道
河野通清供養塔
・市指定有形文化財(昭和41年4月10日指定)
・治承5年(1181)、河野通清は平家に叛き当国を押領した。
粟井坂新道碑
「昔、風早郡と和気郡の境にある粟井坂は、交通の難所であった。大森盛籌(おおもりもりかず)(1829〜1903・小川村里正(りせい)・郡副長)は、人馬の通行を便利にするため岩山を切り開き道路の建設を思い立ち上司に相談したが受け入れられなかった。そこで貯金の策を設けて数年かかって金額が殖(ふ)えたので、念願の新道工事を当時の郡長長屋忠明を通して県令(知事)岩村高俊に願い出たところ県税890余円の補助で盛籌の意思に賛同した。明治13年(1880)4月6日に着工し工事人は延べ5079人、工費2070余円を費やし、7月27日遂に完成した。
瀬戸内海の風光明媚な海岸に完成した道は、山を越える坂道がなくなり多くの車や人の通行が大変便利になった。この恩恵を受ける私たちは大森盛籌の功績を顕彰し感謝の気持ちを後世に語り継ぎたい。(小川部落)」
1等水準点
(国土交通省国土地理院)
No.3478
・標高6.0997m 行政名愛媛県北条市 所在地大字小川甲517番地先
花へんろ第2番札所:修行大師
木造地蔵菩薩座像
・北条市指定文化財(昭和41年4月10日指定)
粟井坂大師堂はもと茶堂であった。この茶堂に文化6年(1809)11月弘法大師の尊像を祀り橘村大音寺法印秀清が開眼供養して以来、大師堂と呼ばれるようになった。この大師堂に木造地蔵菩薩座像があわせて安置されている応永2年(1395)室町時代の作で寄木造り、高さ56cmの蓮華座の高さ25cm輪光の光背をつけ、玉眼で左手に宝珠、右手に宝瓶を持って蓮華座上に結◆跌座の姿をとっている。
正岡子規/夏目漱石合句碑
大森春恕句碑
正岡子規句碑

大日堂【北条市善応寺】
2004/1/1
・石経出土地の東側
・五輪塔有り
娑婆山(しゃばやま、さばやま)南麓、河野川沿い
★御開帳中であった。(2004/1/1)

薬師堂【北条市庄】
 
木心幹漆菩薩立像(もくしんかんしつぼさつりつぞう)(1躯)
・国指定重要文化財[彫刻](昭和40年5月29日指定)
・平安初期の作。
・ハルニレ一木彫の木層(こくそ)法・奈良風の優れた像である。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.1
木造菩薩立像(1躯)
・国指定重要文化財[彫刻](昭和40年5月29日指定)
四国最古の仏像と言われる。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.2
木造毘沙門天像(1躯)【北条市庄 薬師堂】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和37年11月1日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.9

赤大師【北条市辻 新開】

御大師【北条市浅海原 原】

原地蔵堂【北条市浅海原 原浜】

薬師堂(やくしどう)【北条市庄】
1999/4/25
・風早四国八十八ヶ所 第64番霊場
 
仏像群
・市指定有形文化財(昭和39年7月25日指定)
・薬師堂に安置されている仏像約30体の中で、比較的保存のよい大小の像である。製作年代の幅は広く10〜12世紀のものと推定される。武装した形の二体は帝釈天像、天衣をまとった形の軟顔の三体は吉祥天像と思われる。薬師如来を中心として十二神将の一部と吉祥天、帝釈天がこの仏堂に集められていることは、この地にかなりの規模の伽藍のあったことを証明づけるものである。昔時兵火にかかり享保7年と明治19年の大洪水にあいながら、今日までこれだけの諸像が損傷しながらも保存されていることはまことに幸いである。
木造薬師如来座像
・市指定有形文化財(昭和39年7月25日指定)
・薬師如来像は薬師堂の本尊で、堂内にある菩薩像2体よりずっと後の室町時代(1339〜1573)後期の作といわれ、作者は明らかにされていない。愛媛県下で最も大きい地方作風顕著な木像である。座高2.5m、腰幅1.85m、総桧材の寄木造りの座像で、昔から諸病平癒に霊験あらたかなお薬師様として、地方民の信仰厚く、毎年8月17日の縁日には参拝者が多い。しかし、薬師如来を盛りたてる日光菩薩、月光菩薩、十二神将など脇仏のそろわないのはまことに惜しい。
木心乾漆菩薩立像
・国指定重要文化財(昭和40年5月29日指定)
・木心乾漆菩薩立像はセンダンの木の一木造りで、損傷が目立つが、殆ど乾漆をつかって仕上げたものである。面持ちは童顔に近く美しい。
肩張り、胸の厚み、腰から脚へ流れるような衣紋など、奈良期の作風がよく示され、平安初期の製作で、県下では最も古い彫像として注目されている。
木造菩薩立像
・国指定重要文化財(昭和年月日指定)
・木造菩薩立像はカツラの木の一木造りで、髪は頭上に束ね、天衣をかけ、胸飾り、腕輪をつけ、■の膝をゆるめて立つ。ひるがえる波のような膝下の■など平安期の特色をあらわしている。
木心乾漆菩薩立像・木造菩薩立像は、ともに古風を保ちながら地方作風の粗豪さが出ており、伊予造像の貴重な作例といわれている。

毘沙門堂(びしゃもんどう)【北条市庄】
1999/4/25
 
兜跋(とばつ)毘沙門天立像(多聞天)(1躯)
・県指定有形文化財(昭和37年11月1日指定)
・毘沙門天は護法神の一つで十二天のうち北方の守護神であり、仏法守護の役割を表わすために武装念怒の形をとっている。
本木造は毘沙天の一異形である兜跋毘社門天であることは、地天の上に直立していること、胴の部分にからだに密着した鎧を着用し三面立の宝冠のあとなどで知ることができる。
この毘沙門天は両手に鼻頭その他欠損が見られるが一木彫成法による彫刻であり、身体全体が量成と力の充満した堂々たるものであり、突出した山形の眉、小さな顎などは明らかに貞観時代(810〜823年)、平安初期の彫刻の特性を備えているといえよう。
木造の相貌で見ると送八の字に上つき眉、見開いた両眼、角張った頬骨を突き出した口などの全体から受ける念怒表現、堂々たる体躯は1.82mの大きさとは思えない強大な迫力を感じ、護法神の名を高くしている創造沿革を知る文献資料はないが、古来から部落民信仰の的となっており、庄府寺の境内に建てられたものといわれ今もその地を庄府屋と呼んでいる。

滝本彌勒堂【北条市滝本】
1999/7/20
・山号:田中山
・寺号:立江寺
・本尊:彌勒菩薩/地蔵菩薩
・風早四国88ヶ所霊場 第19番霊場

★国道196号線、堀江から新バイパスに入り、一直線で北条を突き抜け、突き当たりを右に折れ県道17号線(北条玉川線)へ。才の原の県道17号線と県道197号線の合流点のところで「十二ヶ滝 滝本の滝/猪木の弓祈祷」の看板を発見。右手に折れて細い道を上っていく。1km強 車を走らせたところに、御堂が建っている。(1999/7/20)
★更に200mぐらい進むと、滝本の滝の看板が立っており、左手には鳥居が見える。(1999/7/20)

一心庵【北条市柳原】
2005/2/26
・風早八十八ヶ所第46番
風早四国道標
「是ヨリ四丁河野橋ヘ」
沼田氏五輪塔
・北条市指定文化財(昭和54年10月8日指定)
「五輪塔3基のうち1基は、河野通信(みちのぶ)の母の兄・沼田次郎(12世紀活躍)の墓と言われ、河野18将の1人としてここ柳原に住した。本拠は、安芸国(広島県)豊田郡沼田である。」(北条市教育委員会説明書き)
先祖墓處轉集の記
「先祖墓處轉集の記
沼田氏はもと安芸国沼田荘城主たり、河野通信母の生家なれば、養和二年源、平合戦の時、通信一時この城に身を寄せる故に、能登守平教経之れを攻む
沼田次郎 通信と共に遁れて伊予に来り住む
久遠八百年累代の墓碑一心庵西広域の此処彼処に散在するも、年月を経て、いつの日にか散逸埋没するを愁い、村の有志と図って末孫暢ニ、昭和五十三年十二月この地に轉集安座す
善応現住 泰道撰文
白石兎遊(とゆう)句歌碑
・北条市指定文化財(昭和54年10月8日指定)
「白石兎遊は、三宅棲霞(みやけせいか)と共に幕末から明治初年にかけて活躍した郷土の俳人である。」(北条市教育委員会説明書き)

一.我が願ひ届く知るしや百(もも)の花
一.遍照乃徳ありがたや老松(ろうしょう)乃よわひと友尓(に)家も栄える
一.長き夜の月まだ松に残りけり
白石家の墓地内前面玉垣の内側に沿って柱石三基が建っている。その碑の碑陰又は側面にそれぞれ俳句和歌が刻まれている。
得居家墓碑群
・北条市指定文化財(昭和54年10月8日指定)
・「墓碑群最古の墓は、恵良城主であり河野家侍大将18人に列し、さらに御船大将にも任ぜられていた得居半右衛門尉通久(15世紀活躍)とその妻のものである。」(北条市教育委員会説明書き)
松尾芭蕉句碑
「枯枝に 鴉のとまりけり 秋の暮」
・碑陰「天保七星仲秋良日営之 花衣・禹蓉・呑松・普格」
※鴉=からす
一字一石塔
六地蔵

西の下大師堂(にしのげだいしどう)
2005/2/26
虚子の松
※物損事故で標柱は折損し、地蔵は横倒しになっていた。(2005/2/26)
高浜虚子之像
高浜虚子の句碑
「この松の下にたたずめば露のわれ
道の辺に阿波へんろの墓あわれ」
「今は枯れたが県指定文化財となっていた老樹「遍路松」の下で詠んだ句で昭和三年十月建立。高浜虚子はここに八才まで住んでいた。全国に数ある虚子の句日のうちこれが最初に建てられた碑である。後このほとりにある「阿波の遍路の墓」のあわれを詠い大正六年この句に併訓する」
阿波の遍路の墓
西の下大師堂
※星堂内には2体の仏像が安置されている。右側は首無し。
備中国からきた遍路(?)の墓
・文政十一年

風早四国霊場【北条市】
・弘仁2年(815)、弘法大師42歳の頃、四国88ヶ所霊場が開かれ、遍路達が巡拝する途中、大自然と対決し、それを克服することにより難病を癒したり心の悩みを解消するようになった。
・しかし信仰心はあっても参拝できない人々のために、明治初年頃猿川村の長老達が発起し、20数年の歳月をかけて風早全域の薬師堂あるいは地蔵堂、阿弥陀堂などを結んで地四国を造った。
・各番とも本四国と同本尊になっているのが特色である。
 
風早四国88ヶ所 5番 地蔵堂【北条市庄府】
1998/2/19
風早四国88ヶ所 36番 薬師堂:大殿様【北条市磯河内】
2005/2/26
・土佐 青龍寺 波切不動
※大殿様への小道の入り口には「二神家」と刻まれた案内板が置かれている。(2005/2/26)
■大改修改築記念碑
■大殿様
「大殿様
一 宝篋印塔 二基
宅並城主二神信濃守の墓と伝えられる」
風早四国88ヶ所55番 大通智勝仏
1998/2/19
・国津比古命神社参道脇にある。
風早四国88ヶ所77番 馬頭堂【北条市萩原】
2005/6/18
風早四国88ヶ所86番 地蔵堂【北条市猿川原】
1998/2/19
風早四国88ヶ所番外2番 神途地蔵【北条市】
1998/2/19
・風早橋袂、特別養護老人ホーム高縄荘上がり口のところにある。
・風早橋は昭和34年1月に架けられたもの。
風早四国88ヶ所霊場番外18番 小竹地蔵堂【北条市浅海本谷】
1999/4/25



甲森塚(こうもりづか)【北条市閏谷】
2004/1/1
・柳原からの高縄山登山道(車道)沿いに、
「ここから約300m旧登山道を登ると左側の少し高いところに備後の国(広島県)の奴可入道西寂(ぬかのにゅうどうせいじゃく)の首塚がある。
後に供養のため地蔵様を祀っている。」
と記された立て看板が立っている。
西寂像の台座には、「明治20年9月」と刻まれている。
奴可入道西寂は備後国の武士。高縄城に籠城した河野通清を、平氏の命により攻め討った。(吾妻鏡、平家物語、源平盛衰記)
河野通清の首塚[首塚さま](松山市東大栗町)
「平安末期に西寂が高縄城を攻めた際、河野通清湯築館から出陣したが、粟井坂で待ち伏せに遭って> 討死し、家臣がここに首を埋めた」(説明書き)
西寂は、波方村で祝宴を張っているところで河野通信により捕らえられ、仇討ちされた。
河野通信が平家方の尾道の僧・額の西寂(ぬかのせいじゃく)入道軍 を掃討しつつ、朝倉郷辻堂付近まで追いつめた。河野方は西寂方の武 士48人を討ち取り、血洗池で死体を洗い、首を現下朝小学校の首塚に埋めた。」(こたろう博物学研究所 伊予の隅々:朝倉村)

c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.79


地蔵




恵良山(えりょうさん)【北条市】
2001/2/18
・標高302m
・頂上1haに亘って約150株のイブキビャクシン自然林となっている。この自然林は、市指定天然記念物となっている。
恵良城跡
恵良神社

大月山【松山市/北条市】

・標高953.14m、三等三角点、点名:大月
c.f.「道後平野から望む山の楽しみ方30章」、いせきこたろう、アトラス出版、平成17年(2005)8月

雄甲山
 
柱石
河野城跡(雄甲山城)

観音嶽【北条市下難波 石風呂】
2005/2/26
・標高79.2m
・北条青少年スポーツセンター競技場裏山。

北三方ヶ森【北条市/松山市/玉川町】
2004/1/1
・標高977.56m、三等三角点、点名:北三方
c.f.「道後平野から望む山の楽しみ方30章」、いせきこたろう、アトラス出版、平成17年(2005)8月

腰折山【北条市下難波】
2001/2/18
・標高214m。
エヒメアヤメ自生南限地
2001/2/18
・国指定天然記念物(大正14年10月8日指定)
・えひめ自然100選

こかきつばたの名でこのように歌われた腰折山のかれんな花は、「こかきつばた」とは別種の牧野博士が命名したエヒメアヤメである。
・エヒメアヤメは、アヤメ科の植物であって、根茎はやや偏平で細くやせ形、葉は線形で薄く、葉長は10〜15cmが普通である。
・陽春4月上旬を開花期とし、数cmの高さの花軸に普通1花を、時に2〜3花を咲かせる。花色はうすい紫色で外花蓋には黄白色の斑点を持っている。
・元来大陸北部に分布する植物で、我国では中国・吸収・四国の瀬戸内海に沿う各地に生育し、古書に「たれゆえそう」と名づけられたと記録されている。(「誰がこの花になったのだろうか」の意で)

・腰折山はその南限地として世に知られ、古くからこの花にまつわる哀れな民話とともに、「こかきつばた」の名で親しまれてきたのである。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.3

「えひめあやめは鳶尾科に属する植物で、根茎はやや扁平で細く瘠形、葉は線形鋭尖頭で薄く、葉長は十糎乃至十五糎が普通である。陽春4月上旬を開花期とし、数糎の高さの花軸に普通一花を、時に二、三花を咲かせる。花色は淡藍紫色で外花蓋には黄白色の斑点を持つ、誠に可憐な花である。花後低く殆ど球形の果実を生ずるこの植物は地元では古くから、こかきつばたの名で呼ばれており、大陸植物の一つとして有名なものであって、腰折山は日本における自生の南限地帯である」(愛媛の文化財第V集、昭和39年5月31日、愛媛県教育委員会)

「腰折山
 冠山の麓にや、誰かよみけん 伊予の湯の甲斐こそなけれ風早の こしをれ山を見るにつけても
此歌小式部の読けるよし俗説にいひ伝ふゆへ書付侍る、慥成来歴なし、腰折山名所にもあらす、いと不審也、又一説に貫之読とも云へり、分明ならす(一書、伊予の湯のあるにかひなし云々、又小野小町作とも云ふ)」(予陽郡郷俚諺集)

イヨスミレ
・市指定天然記念物(昭和57年8月11日指定)

城山【北条市大浦】
・標高57.2m
・北条青少年スポーツセンター裏山

娑婆山【北条市善応寺】
→大日堂参照

陣ヶ森【北条市/玉川町】
2001/2/18
[往路]笹ヶ峠−(40分)−林道終点−(5分)−山頂
[復路]山頂−(5分)−旧林道終点−(25分)−笹ヶ峠

高縄山(たかなわざん)【北条市】
1994/9/15、2003/6/15、2004/1/1
・奥道後玉川県立自然公園
・えひめ自然100選
・標高 986m(国土地理院の地図には、標高985.99m以外に993.29mの三角点が記してある。これは鉄塔の上に存在するのだろうか?)
・一等三角点
・東経132度51分、北緯33度56分
・『源平盛衰記』の「治承5年(1181)2月」の項に、「河野通清去年の冬より謀反をおこし、道前道後の境高縄城に引き篭もる」とある。
c.f.「道後平野から望む山の楽しみ方30章」、いせきこたろう、アトラス出版、平成17年(2005)8月
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.66
 
天神ヶ森(てんじがもり)
・山頂付近一帯に位置し、神が天から降りてきて鎮座する峰といわれる。
・県内屈指のブナ原生林が存在する。
・河野氏が砦を築き、道前道後に号令した遺跡とも云われる。
高縄寺
高縄神社
・山頂部に鎮座する。高縄大権現。神名石の裏側には、「伊豫国守護河野家先祖 河野通清公 河野通信公 粟井坂にて討死の一族十六将を御祭神とする」と刻まれている。
河野水天宮
・願主:閏谷邨、横谷邨、善応寺邨、宮内邨、別府邨、柳原邨
・明治六癸酉年六月吉日
※邨=むら、そん
河野川源流碑
・平成8年8月吉日建立
・「この水がすべてを育む源である」
・発起人
  横谷 河邊通、岡山年邦、清川泰
  善応寺 野村宣昭、石田牧男、木戸博、岡本昌武

宅並山【北条市】

・粟井小学校の裏手に聳える。
・山頂には宅並城があった。

貫之山【北条市猿河原】

・春先には、県道北条玉川線沿いにある貫之山(紀貫之神社がある)の西側斜面を多くの躑躅が色鮮やかに染める。広さ約55haの斜面には、約3800本の躑躅が植えられている。

雌甲山
 
甲石
雌甲山城

八竹山【北条市八反地】
2005/2/26


鉱山

川・渓谷
河野川【北条市】

滝本川【北条市】

横谷谷【北条市横谷】
2004/1/1
・河野川水系

立岩川沿い【北条市】
1998/2/19
・県道17号線を立岩川沿に上っていくと、やがて右手に「ようこそ立岩へ」というふるさとマップを記した看板が見える。
 
「ようこそ立岩へ/好きです立岩 笑顔いっぱい花いっぱい」
・平成8年度立岩子ども会議製作(立岩亥の子募金)のイラストマップである。
・弁慶の切石、神途城跡、中村三十三墓、唐椿、金蓮寺、儀式公園、明見神社、風早八十八ヶ所第1番、蓮生寺、しゅんだか地蔵、三度栗、千人斬り墓地、荒神社のカゴノキ、十二ヶ滝、弓祈祷、嫁ヶ石、洪水記念碑など、興味深いポイントが克明に記されている。
出征記念碑
・陸軍中将仙波太郎謹書
・立岩村在郷軍人分会/立岩村兵事支会建立
・大正4年建立
嫁ヶ石
・傍らには圃場整備記念碑が建つ。
百一人様【庄府】



十二ヶ滝 滝本の滝【北条市滝本】
1999/7/20
・鳥居前の社号碑の裏面には「伊與旧紀曰風早郡神途郷滝本邑有國社號熊野滝宮」と書かれている。
滝本川沿いに続く小径を上っていくと、やがて鬱蒼とした鎮守の森が見えてくる。

c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.65
熊野神社
延命地蔵堂
滝本観音堂
・本尊:聖観音/地蔵菩薩
・風早四国88ヶ所霊場 第20番霊場
滝本の滝
★上ってきた道を引き返し、県道17号線に下りた後、今度は県道197号線(菊間才の原線)を通り菊間へと向かう。(1999/7/20)


池・湖・沼
俵原池【北条市】
1999/4/25
 
俵源池の碑
・「豊穣の源 俵源池」と刻んでいる。
・昭和28年5月建立
・池の周りには、至る所に野藤が薄紫の花をつけている。
サンセットヒルズCC内の遺跡
・ゴルフ場建設に先立って、(財)愛媛県埋蔵文化財調査センターによる遺跡発掘調査を実施した結果、弥生時代中期の遺跡や、箱式石棺一基(5世紀頃)、古墳7基(6世紀後半〜7世紀初頭)、土坑墓(6世紀末〜7世紀初頭)などが見つかった。そして、弥生時代中期の人々の生活痕跡(遺構)からは、土器や石包丁、鉄製のやりがんな等が出土した。
・この遺跡から出土した古石で円墳が築かれている。

柳池【北条市光洋台】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.143)
庄ヶ谷池【北条市西谷】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.143)
神田池【北条市大西谷】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.143)
廟上池【北条市大西谷】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.143)
廟下池【北条市大西谷】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.143)
墨穴池【北条市大西谷】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.143)
大和奥池【北条市大西谷】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.143)
モシロ池【北条市長井方】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.144)
木原奥池【北条市客】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.144)
新池【北条市客】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.144)
シラダカ池【北条市客】
(ゼンリン住宅地図'93、pp.144)
 


ダム
立岩ダム【北条市米之野】

◆計画の概要
本地区は愛媛県のほぼ中央に位置し、瀬戸内海を望む高縄半島山間に開けた550haの樹園地で一大みかん生産地を形成している。地形は全般的に起伏が多く、標高25m〜260mの急傾斜地である。真砂土帯であるため土壌は保水性に乏しく、年毎に干ばつの被害を受けている。
本事業は二級河川立岩水系の水を有効活用し、本地区を灌漑するもので、大遊谷川に有効貯水量780,000m2のフィルダムを築堤するとともに明神谷川、宝坂川に取水堰を設け、....

◆諸元
位置:愛媛県北条市米之野字大遊谷
河川名:立岩川水系大遊谷川
基礎岩質:花崗岩閃緑岩
流域面積:直接1.8km2、間接5.0km2 計6.8km2
型式:中心コア型フィルダム
堤長:48.2m
堤頂長:175.0m



神途橋(じんどばし)【北条市尾儀原】
1998/2/19
・平成8年9月竣工。
・県道17号線と県道197号線(才之原−菊間線)の合流点に架かる。
・欄干にはエヒメアヤメがかたどってある。


風景
欅平【北条市】
2004/1/1
北三方が森 5.2km、高縄寺 0.8km
「この地は旧立岩村米之野久保野乙620番地で明治44年(1911)国有林の払下げを受け高縄寺山林として登記された
当時は無番地のため長く幽霊山と俗称されたが昭和62年(1987)北条市制30周年記念事業で欅700本を植栽した 今ここに欅平と命名しその由来を略記しその名を永く傳えんと願う
平成7年8月吉日 施工鍋屋正一
高縄寺奉賛会」

鹿島(かしま)【北条市辻】
1998/2/19
・瀬戸内海国立公園
行ってみよう!えひめ感動の地20選(平成元年11月11日選定)
・渡船は、4月〜10月は15分毎、11月〜3月は20分毎に発着する。
・料金は往復で大人300円、小人160円。
・鹿島−陸側渡船場間は0.4km。
・鹿島−波妻不定期航路(2.5km)も運行しているようである。
・交通:伊予鉄バス辻町下車徒歩10分
 
鹿島神社(島側)
鹿島神社(陸側)
龍神社
鹿島の野生の鹿
・県指定天然記念物(昭和23年10月28日指定)
・九州の屋久島鹿に属する。
・「この島の鹿は、キュウシュウジカと推定され、体が一般に小さく、臆病で警戒心が強く、人に馴れにくいのです。 鹿は春から夏にかけて袋角になっていてやわらかいが、飽きになると袋はは◆◆ち、かたい角に変わります。この時期になりますと鹿は、角で木の皮をよくいためます。山の中へ入ると、そのような木をよく見掛けます。 鹿が成長しますと雄は、時々荒々しくなり、雄同志で付き合うこともあります。」との説明書きがあるが、だいぶん文字も薄れかかっている。
・「角の発育と年令の関係」という図解説明もあり。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.23
噴きだした岩(Spouted Rock)
・この島は、花崗岩と安山岩からできている。この二つの触れあったところが島の北側(現在地)と南側に見られる。この付近の岩石の特徴として、黒っぽい安山岩の中に花崗岩のかけらや、さらに花崗岩がばらばらになって石英、長石などの白い粒がたくさんとりこまれている。このような岩石を捕獲岩(ほかくがん)といい、どろどろにとけた熱い火山岩が噴き出しているとき、まわりの岩石をとりこんでできたものである。それは、今から約一千万年以上もの昔(新第三紀中新世)と推定される。
髪洗磯(kamiarai Shore)
・その昔、神功皇后が三韓征伐の軍を進められたとき、満ちてくる潮で身を清め、髪を洗われて神々に戦勝の祈願をされたと伝えられている。
・鹿島山頂の「御野立の巌」とともに古くから鹿島の名所の一つに数えられている。
川獺谷(Kawauso Balley)
・ここは島の北に面し、名のように、その昔「かわうそ」(肉食動物・いたち科)が生息していたと伝えられている。
・左に見える岬が波妻岬で、その右の腰の折れた山が「エヒメアヤメ」の自生地として有名な腰折山である。
・この付近一帯は、磯釣りの名所でもあり、鹿島第一の涼しいところである。
石門(いしもん)の海神の笛伝説(for flute legend)
水晶ヶ浜
伊予の二見、石門(いしもん)(Futami for Iyo and Ishimon)
・ここは沖に点在する忽那(くつな)七島を臨み、右手に二つの島、安居島(あいじま)、小安居島(こあいじま)が遠望できる。
・右手の岩は、波がつくった石門。海上には千霧(ちぎり)、高小鹿島(たかこがしま)、玉理(ぎょくり)、寒戸(かんど)の浮島があり、寒戸岩には龍神像が祭られ、玉理・寒戸岩には大注連縄が張られている。特に玉理・寒戸に沈む夕日は「伊予の二見」として知られている。
★双海、二見と夕陽の美しいところは「futami」の読みをするところに、何か曰くがありそうな気がして止まない。
大注連縄願い文(Oh Shimenawa make an application)
・昔、高縄城主・河野通信(こうのみちのぶ)が海上安全・五穀豊穣の守護神として、玉理・寒戸島に龍神様を祀ったとの伝説がある。
・今はこの島に長さ40m、直径30cmの大注連縄を張り「伊予の二見」として知られている。
・毎年4月29日、観光協会、消防団の手で注連縄の張り替えが行われている。
・この注連縄に願い文を包み込み、奉納すると縁談・学問・商売・交通安全など、よろずの願い事が叶えられるといわれている。この願い文は鹿島神社本殿と無料休憩所に設置している「願い文入れ」に投函しておけばよい。
淡紅洞/犬戻り
犬戻りは昔から鹿島第一の難所であり、犬でさえここで引き返したところと言われる。岸壁内にある洞窟は今でも深さを知るものはいない。
・俳人三由淡紅がこの難所に橋を架けたのが周遊道の始まりで、この洞窟を淡紅洞と呼ぶ。
・白石橋は今はコンクリート製の情緒に欠けた橋になっている。
春の鹿島まつり
鹿島の櫂練(かいねり)
・県指定無形民俗文化財(昭和41年4月5日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.26

・河野水軍の出陣凱旋を祝う船踊り。
・4月15日、10月12日に行われる。
・現在は鹿島神社の神輿の供奉として伝承されている。

鹿島城趾
鹿島博物館→かしまーる
御野立の巌〜神功皇后の伝説(Jingu empress legend)
・仲哀天皇の后、神功皇后は西征の途中、軍船を風早郷の鹿島に止め、軍備・旅装を整えられるとこの巌に立って、弓に矢をつがえ、沖に放たれて戦勝を祈願し、勇躍大津地の湊を出発されたと伝えられている。
村上霽月句碑
仙波花叟句碑
吉井勇歌碑 
松根東洋城句碑
尾崎鳴堂句碑
瀬戸丸毛人句碑
山口草堂句碑
村上壷天子句碑
富安風生句碑
三由淡紅句碑
松岡凡草句碑
柳原極堂句碑
近松文左衛門碑
鹿の俳句ポスト
「伊予十二景第一等當選鹿嶋」の碑
・本殿に向かって鳥居の右側に建つ。
戦没記念碑
・本殿に向かって鳥居の左側に建つ。
国民宿舎 鹿島
・電話番号:089-993-0750
・宿泊料: 一般 6,600円、小学生児童 6,100円(一泊二食付き)


洞窟・鍾乳洞

樹木

イブキビャクシン【北条市宮内】
・県指定天然記念物(昭和36年3月31日指定)
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.25

荒神社のクスノキ【北条市尾儀原 荒神社】
・市指定天然記念物(昭和53年5月10日指定)
・目通り6m、根周り8.5m、高さ30m

荒神社のカゴノキ【北条市尾儀原 荒神社】
・市指定天然記念物(昭和53年5月10日指定)
・根周り4m、目通り3.8m、高さ20m
・幹は高さ3〜4mのところで2つに分かれ、1つは切断されているように見えるが、その幹の中から青々としたモウソウチクが顔を出している。




林道雄鹿2号線【北条市】
・幅員3.0m、延長1.4km
・県道湯山高縄北条線の途中に起点がある。



石ヶ峠【北条市】
2000/3/20、2004/1/1
車道の石ヶ峠から大月山へと向かう登山路は非常に歩きやすい道で、ハイキングには最適だ。5分も経たぬうちに西から北にかけての風景が広がってきた。西の彼方には北条鹿島が薄青い海の中にぽっかりと浮かんでいるのが見える。北方向には高縄山の全容も確認できる。眺めを楽しんだ後、しばらく歩いていくと道は下りへと変わり、昔の峠跡と思われる場所へと辿り着く。ここにも道標が建てられており、「石ヶ峠0.3km、幸次ヶ峠4.3km」と記されている。ここまで丁度300m歩いてきたことになる。この塔下には塞の神(さいのかみ)と思われる石像(地蔵か?)が祀られており、また、文字が風化して判別しにくい状態になっているが、「右高縄山、.....、左五明....」と刻まれた標柱が建っている。この場所は、きっと古くより松山市東部と北条市を繋ぐ往還道の中継点として、多くの人が行き交った場所に違いない。 (2000/3/20)
c.f.「道後平野から望む山の楽しみ方30章」、いせきこたろう、アトラス出版、平成17年(2005)8月
丁目地蔵
・石仏には「八反地村」と刻んである。
・丁目地蔵と呼ぶのだろうか?高縄山まで10丁の距離、即ち約1kmということだ。

窓坂峠(まどさかとうげ)【北条市小竹】
・安山岩(柱石)の三面に「郡境・これより北乃間郡・これより南風早郡」と刻んだ2.6mの郡境石がある。
・昔の重要な交通路であった。


小林一茶句碑【北条市八反地 門田邸】
「門前や 何万石の 遠がすみ」
・高橋邸、最明寺の句碑と同時に建立された。

小林一茶句碑【北条市上難波 高橋邸】
「月朧 よき門さぐり あてたるぞ」
・高橋邸は、小林一茶が寛政7年にこ地を訪れた際、一夜の宿を得たところである。

小林一茶句碑【北条市上難波 最明寺】
「雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る」
「やれ打つな 蝿が手をすり 足をする」
「痩がへる まけるな一茶 是に有」
・寛政7年1月13日、三十三歳の一茶はこの地をめぐり、師二六庵竹阿の友、月下庵茶来(西明寺と呼ばれていた頃の住職、竹苑丈淇和尚)を訪ねたが、残念ながら茶来は死去しており、あいまみえることはできなかった。
・この碑は、一茶来遊200年記念に、平成6年11月に建立した。

小林一茶句碑【北条市上難波 最明寺】
「朧〜 ふめば水なり まよいなり」

松尾芭蕉句碑【北条市 法然寺】
「春もやや 景色ととのう 月と梅」
・明治4年に虎柳、喜朝(きちょう)等が建立した。

村上霽月句碑【北条市辻 鹿島】
「神威かって 斧入らしめず 島茂る」

村上霽月句碑【北条市辻 鹿島】
「御野立の 岩や薫風 二千年」

仙波花叟句碑【北条市辻 鹿島】
「腰折れと いう名もおかし 春の山」
・「仙波花叟(1874〜1940)は本市常保免の生まれ。正岡子規に師事し風早吟社を創設(1915)し、多くの後輩を育成した。1940年に建立のこの句碑が台風19号により破損したが池本享啓氏のご尽力を得て北条俳句協会により修復された。1994年吉日 北条俳句協会」
・花叟句碑の向こうに恵良山(Eryou mount)、腰折山(Koshiore mount)、波妻岬(Hazuma cape)が霞んで見える。

句碑【北条市辻 鹿島】
「枯国や 昔行幸や 水の音」
・作者未詳。
・平成2年11月吉日北条市渋柿会が建立。
・傍らには、登山口の案内板が建っている。「山高115m、徒歩20分」とある。

吉井勇歌碑【北条市辻 鹿島】
「岩ありて 天つ日ありて 海ありて 伊予の二見は かしこかりけり」
・昭和47年5月、鹿島老人クラブが建立した。

三由淡紅句碑【北条市辻 鹿島】
「裏山に ひびく太鼓や 青嵐」
・淡紅は北条生まれ。15歳にして村上霽月に師事する。常に鹿島を愛し、資材を投じて周遊道の整備・架橋等を行い、また月斗、東洋城、爲山等文人墨客を招聘して鹿島の顕彰に勉めた。
・大正6年虚子鹿島に来遊の際、洞を淡紅洞、石橋を白石橋と名付けた。

松根東洋城句碑【北条市辻 鹿島】
「」
・昭和9年中秋ヒラミン吟社が建立。

尾崎鳴堂句碑【北条市辻 鹿島】
「春たつや 神うつそみの わたの潮」
・昭和33年4月11日「ぬなは」同人が建立。
・鳴堂翁は神奈川県大磯高麗寺住職で「ぬなは」誌の選者。

瀬戸丸毛人句碑【北条市辻 鹿島】
「波風に 痩せゆく巌や 石菠の花」
・隣には「鹿塚」が造られている。

山口草堂句碑【北条市辻 鹿島】
「しつかなる 昴(たか)ふり月の 鯔(ぼら)跳ねし
・昭和53年3月、南風本部有志一同が建立した。
・渡船場からやや北に位置する民宿「太田屋」の向かいにある。

村上壷天子句碑【北条市辻 鹿島】
「」
・昭和44年11月、吟社創立55周年を記念して、風早吟社が建立した。

富安風生句碑【北条市辻 鹿島】
「きりぎしに すがれる萩の 命はも」
・森薫花壇氏等が若葉500号記念に昭和46年10月16日建立した。

松岡凡草句碑
【北条市辻 鹿島】

近松文左衛門碑【北条市辻 鹿島】
「」
・近松門左衛門250年祭 北条浄曲古今天狗連名 波頭鹿島◆祝記念
・昭和48年5月に建立。

柳原極堂句碑【北条市辻 鹿島】
「舟涼し 朝飯前の 島めぐり」
・昭和9年6月、若葉吟社主催の極堂歓迎風早俳句大会に招かれ、当夜一泊、翌朝島めぐりの時の句。
・翁生誕100年を記念し、昭和41年5月4日若葉吟社が建立した。

高浜虚子の句碑【北条市辻(西ノ下)】
「この松の 下にたたずめば 露のわれ」
副:「道の辺に 阿波のへんろの 墓あはれ」
1998/1/18
・県指定文化財であった「遍路松」(今は枯死している)の下で詠んだ句。
・昭和3年10月建立。
・虚子は8歳迄、この辺りに住んでいた。
・全国に数多く点在する虚子の句碑のうち、この句碑が一番最初(最古)のものである。
・後にこのほとりにある「阿波の遍路の墓」の哀れを詠い、大正6年10月15日帰省時「道の辺〜」の句を併刻した。
・碑にはなってないが、立て看板には
「ふるさとの 防風摘みにと 来し我ぞ」
「防風摘む 波のささやき 聞きながら」
の句も紹介されている。
高浜虚子の像
・昭和62年3月建立。
・題字は北条市長原田政三。彫刻は馬越正八。
西ノ下大師堂
・風早四国88ヶ所第47番
・平成4年8月に改築・寄進される。
・敷地内には幾つかの無縁仏らしき墓標が見られる。その中に、虚子の句にも見られる「阿波のへんろの墓」というものも見られる。
虚子の松
・「昭和天皇御手蒔」とある。

春甫句碑【北条市八反地国津比古命神社】
「元朝や 撥(ばち)いま到る 第一鼓(だいいっき)」
・西側から神社境内へ上がる石段の左側に建っている。
・昭和32年4月1日、「ぬのはな」同人が建立した。
・春甫は、国津比古命神社神官、井上貞弥氏の俳号。
・春甫は、風早(現在の北条界隈の古名)地方の各派を統合し、俳誌「ぬのはな」を主宰した。

正岡子規句碑【北条市粟井坂】
「涼しさや 馬も海向く 粟井坂」
・昭和34年小川部落によりたてられ寒山落木(かんざんらくぼく)25年の部に「淡井坂」とかかれているので、後日別碑が建てられた。

正岡子規/夏目漱石合句碑【北条市粟井坂】
「志保ひ加多(しほひかた) 隣の国へ つづ支介里(つづきけり)」子規
「釣鐘の うなる許に....」漱石

大森春恕句碑【北条市粟井坂】
「淋しさや 鴫(しぎ)さえ逃げて うらの秋」
・この碑はもと大森芦邦伍長が天明4年9月(1784)小川の基地に建てたものである。
・後、昭和34年子規碑建立の際、併せてここに移された。

仙波花叟(せんばかそう)句碑
「馬方に 山の名をとう 霞かな」
・常保元橋の袂に建つ。
・昭和28年12月、薫風吟社が建立した。
・仙波花叟は、名を衡輔といい、早くから鳴雪、子規、虚子等に教えを受け、霽月、極堂と親交があり、風早吟社をつくった功績は大きい。父は仙波縄。代々大庄屋で、多くの偉人を出した家柄である。

白歩句碑【北条市横谷】
2004/1/1
「木の芽山めぐらす底の四五十戸」
句碑の建っている辺りには、
・風早四国八十八ヶ所 第24番 虚空蔵
・常夜燈(文化14年)
・石仏「24番 當所ヨリ善応寺...」
・石仏「十五丁...天明...」
・祠
などがある。

造林記念碑【北条市猿川】
1998/2/19
・いよてつバス「立岩農協前」停留所横に建つ。
・『立岩は酒米(山田錦)の産地』とある。

造林記念碑【北条市 河野小学校前】
・昭和3年10月建立。景浦松東書。

立岩地区農村集団電話開通記念碑【北条市猿川原】
2001/2/18
・警察の駐在所前には、「徒歩専用高縄登山道」と記されたボードが掲げられている。そのやや西側にこの碑が建っている。 この碑は、昭和44年6月11日開通を記念して、渡部伊勢松、菊原要、外区長会一同により建立された。・碑文には「山に木を 心に魂を 植えて育てた先人の遺産実り茂りて平和と絶愛に充つ理想郷立岩に全戸加入の農集電話開設の花と咲く農業経済文化発展の源泉として永遠之鳴り続ける 快なる哉 壮なる哉」と記されている。

国土調査実施記念碑【北条市善応寺 善応寺集会所】
2004/1/1

府中誕生之碑【北条市柳原 西ノ下公園】

柳原地名誕生の碑【北条市柳原 三穂神社】

柳原港改修記念碑【北条市柳原 柳原港】
2005/2/28
「正五位勲三等砂田重政謹書」
「昭和七年十月八日起工
昭和八年十一月三日竣工
工費七万八千五百圓
昭和十年十一月建設」

小田幸重頌徳碑【北条市】
1998/2/19
・大町区会堂前にある。
・『「春風や 会堂成りて 町うらら」壁堂 代表 大町区町 山内孝平』


公園

文化の森公園【北条市別府】
北条市立ふるさと館→市町村合併後、「北条ふるさと館」に改名。
・延床面積:2,766u
・地域文化創造の拠点
・平成6年秋に完成、7年4月展示資料を公開した。
・住所:799-24 北条市別府995番地
・電話番号:089-993-3266
・開館時間:09:00〜22:00
・休館日:毎週月曜日、祝日の翌日、年末年始

■歴史民俗資料展示室(1FL)
・市内から出土した土器や石器類を中心に約200点を常設展示している。
・小竹8号墳から採集したとされる盾形埴輪片が所蔵されている。
・開館時間:09:00〜17:00
・観覧料:大人200円、高校・大学生100円、小学・中学生50円、高齢者100円
■収蔵庫(1FL)
■工作室(1FL)
■研修室(1FL)
■展示室(1FL)
・昔の民具など民俗資料を年間3回程度企画展示している。
■美術展示室(2FL)
・開館時間:09:00〜17:00
・観覧料:大人200円、高校・大学生100円、小学・中学生50円、高齢者100円
・北条市出身の安藤義茂画伯の油彩画や水彩画(刀画)など約80点を常設展示している。
■収蔵庫(2FL)
■円形展望室(3FL)
・周囲が総ガラス張りで、瀬戸内海の島々や高縄山系が眺望できる。
 

北条市立図書館
保健センター
社会福祉センター
テニスコート

北条公園【北条市】
・俵原池畔。

八竹山国津公園【北条市】

儀式公園【北条市儀式】

立岩川水辺公園【北条市】


祭り

イベント

春の鹿島まつり【北条市辻 鹿島】
・4/15〜16
 
かい練り踊り
・櫂練りの船2隻が、神輿を乗せた船を先導して海を渡る。
・旗や提灯で派手に飾り付けた船の上では、地元の子供や青年達が「ホーランエー、ヨイトマカセー」とかけ声も高らかに櫂を操り、踊りを披露する。
・提灯・幟・大漁旗で飾り立てた小船(伝馬船)に祭り衣装・鉢巻きを締めた少年が乗り込み、鉦・太鼓の勇壮なリズムと漕ぎ手の囃子に合わせて、剣櫂と梵天を振り立てて華麗に舞う海上巡幸儀式。競争儀礼として櫂伝馬もある。氏子中の若者達による舟漕ぎ競争で、勝負によって神意を伺う年占の意味が込められている。ともにあわや転覆かと思わせるほど船体を大揺れさせるのは、海の力を呼び招く意とされている。
神輿渡御/神輿還御
お供船
伊予万歳、獅子舞
道踊り
大注連縄張り替え(注連縄作り、注連縄神事)
・鹿島沖の小さな3つの島「玉理(ぎょくり)・寒戸(かんど)」に渡した太い注連縄を、1年に1回張り替える珍しい行事。注連縄は直径20cm、長さ45mの大きなもの。縄には鹿島神社に参拝した人々の願い文を編み込み、祈願して張り替える。

高縄山ブナ林もみじ祭り【北条市】

盆の火祭り「火やろ」【北条市難波】
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.71

弓祈祷【北条市猪木】
・350年前から受け継がれる新春の恒例行事。
・1月6日、猪木地区地蔵堂前で実施される。
・弓の射手「お役所さん」に選ばれた地元の代表者2人は黒装束と袴に身を包み、早朝御神酒と餅6個が入った雑煮を平らげた後、地蔵堂前で約30m離れた的をめがけて108本の矢を放つ。
・見物客らは直径約2mの大的を破り、輪を三度くぐって無病息災を祈願する。
・その後、お役所さんは集会所に移動し、二合半の飯を平らげる「かけ飯」を行う。残せば不作になると伝えられる。
c.f.北条市の文化財、北条市教育委員会、平成15年3月31日 pp.70


施設
 

北条青少年スポーツセンター【北条市大浦】


学校

河野小学校前【北条市宮内/常保免】
造林記念碑
仙波花叟(せんばかそう)句碑


温泉

コイン式温泉スタンド【北条市下難波】
・泉質:カルシウムナトリウム塩化物
・湯温:31.4℃
・湧出量:400g/分
・1990年、北条市などがリゾート開発用」に掘削したが活用されぬままとなっていた。2005年度予算案へ盛り込まれたようだが、さてどうなることやら。


伝説

石門(いしもん)の海神の笛伝説(for flute legend)
・この海辺(水晶ヶ浜)の白砂の中に、潮にもまれて丸くなった安山岩の小石があった。その中から直径一センチほどの穴が開いている小石を見つけ、唇を当てて吹くとよい音色の笛となるため、「鹿島の石笛」といって、龍神のなぐさみの石笛だと言い伝えられてきた。
・今では拾い尽くされて、めったに見られなくなったが、これは石に穴を穿って住む穿孔◆のしわざである。
(鹿島に建てられた説明表示板より)

御野立の巌〜神功皇后の伝説(Jingu empress legend)
・仲哀天皇の后、神功皇后は西征の途中、軍船を風早郷の鹿島に止められ、軍備を整えられた。このとき、島の東部中腹二の平に仮宮を設けられたといわれ、この所を今も皇后の局と呼んでいる。
・島の東北海岸一帯は大津地と呼ばれ、昔港のあったところといわれている。神功皇后は髪洗磯に立たれ、御姿を整え、旅装をなされると鹿島山頂の御野立の巌に立たれ、弓に矢をつかえ、沖へ放たれて戦勝を祈願し、大津地の港を出発したと伝えられている。
(鹿島に建てられた説明表示板より)

龍神社の雨乞伝説(Ryu shrine and Amagoi legend)
・昔、高縄城主・河野通信が海上安全、五穀豊穣の守護神として玉理・寒戸島に竜神様を祀ったとの伝説がある。昭和30年頃現在地に遷宮した。
・以前は、龍神様への雨乞いは盛んに行われ、鹿島山頂はその雨乞いの斎場であったという。この雨乞いは、全裸の若者たちが男根を藁で縛り、首にかけ、火のまわりを駆け回ると必ず雨を得るという奇習のため禁止されたと言われ、今では単なる伝説となっている。
(鹿島に建てられた説明表示板より)


キャンプ

海水浴

人物

その他

高橋五井(ごせい)邸 【北条市上難波】
2001/2/18
・一茶の道
・江戸時代の著名な俳人小林一茶は寛政7年(1795)伊予路に来遊し、1月12日行きくれて、さまよい歩くうち、高橋五井に温かく迎えられて一夜を過ごした。その時に詠んだ句  「月朧 よき門さぐり 当てたるぞ」 
・五井は高橋伝右衛門の号で俳諧を好み温情豊かな人であった。

恵良山を借景した造りになっているのがニクイ技である。門前から北方を望めば、邸越しに烏帽子形の山容が美しく広がっている。

花へんろ通り【北条市】
1998/2/19
・北条港北側を流れる小川の両岸に並ぶ町並みは、「花へんろ」通りと呼ばれる。北条市出身の作家早坂暁氏が書いたNHKテレビ小説「花へんろ」に因んでいる。
・旧国道196号線を行くと、通りの入口には女遍路の絵が描かれたでっかい看板が立っている。その裏側には吉井勇の歌「伊予の二見:光ありて天つ日ありて海ありて伊予の二見はかしこかりけり」を添えて鹿島沖の小島、「伊予の二見」に沈む夕焼けの絵が描かれている。
・東南アジアを彷彿させるかの如く、川の上にちょっとした木造の休み場が設けられている。

柳原港【北条市柳原】
柳原港改修記念碑

巌山【北条市浅海原】
「浅海原の西方海岸にあり、岸を離るるを僅かに六尺ばかり跳て海中に出るものの如し、浪のために打たれて肉落ち骨出て頂上に少しばかりの土を戴き、小社一座あり、龍神を祭れり、汐干るときは歩して至るべし、満潮には咫尺猶別境をなし、景色甚だ佳なり」(伊豫温故録)

坊主池【北条市儀式】

臼池【北条市浅海本谷】
・「浅海本谷村字濱田にあり、往古より旱魃にも涸れず常に清水湧き出てこれを掬して飲むに胸宇清快を覚ふ、世人其の霊泉を称せり」(伊豫温故録)
 



《References》



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