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伊予の隅々
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市町村別情報庫
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(旧・吉海町)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要


キャッチフレーズ
(1).「海と島に 来島大橋映えるまち よしうみ」
(2).「豊かな自然、急潮と信仰の里」
(3).「架橋と観光リゾートで大きく飛躍する町」

町の花 町の木 町の花木 町の鳥
ツツジ


特産物

名駒みかん(小みかん)

鯛めし・タコめし
鯛やタコを一匹丸ごと米と一緒に炊きあげたもの。

おもぶり
 一種のかやく御飯。

イギス豆腐
大豆と 「イギス」(海藻)を主原料とする豆腐。生姜醤油や酢味噌につけて食す。

法楽焼
 石をのせた器に一匹丸ごとの大鯛中心に、その時期の旬の魚介類を盛りつけ、蒸し焼きにしたもの。


沿革

地名
大字
田ノ浦(たのうら)
→今治市吉海町田浦
泊(とまり)
→今治市吉海町泊
福田(ふくだ)
→今治市吉海町福田
八幡(やわた)
→今治市吉海町八幡
幸新田(さいわいしんでん)
→今治市吉海町幸新田
名(みょう)
→今治市吉海町名
下田水(しただみ)、水場(みずば)、 
仁江(にえ)
→今治市吉海町仁江
正味(しょうみ)
→今治市吉海町正味
本庄(ほんじょう)
→今治市吉海町本庄
津島(つしま)
→今治市吉海町津島
名駒(なごま)
→今治市吉海町名駒
臥間(ふすま)
→今治市吉海町臥間
南浦(みなみうら)
→今治市吉海町南浦
椋名(むくな)
→今治市吉海町椋名


文化財

八幡山(やはたやま)【吉海町八幡 名】
・国指定名勝(昭和19年11月7日)
 →指定の事由:著名なる風景を眺め得る特殊の地なり
吉海町ふるさとこみち
・海抜214m山頂からは吉海町の中心街や吉海湾はもちろん燧灘、斉灘、 伊予灘に散在する島々を一望に納め、晴れた日には霊峰石鎚山や対岸の中国路も望見できる素晴らしい展望の場所。
・国道317号からは、富士山のような均整のとれた美しい形が望める。

名駒(なごま)の小みかん【吉海町名駒】
・県指定天然記念物(昭和23年10月28日)
 →指定の事由:植物学上芸香科の蜜柑属の小蜜柑
・所有者:矢野久子(吉海町大字名駒175)
・[由来伝説]往古より大島の名物「名駒みかん」として知られる。その由来詳らかならざるも口碑の伝うる所によれば、能島、来島等の水軍が倭寇時代に中国より種を持ち帰りたるものなりと言う。300年以来は今治藩主久松家へこの小蜜柑及びひじき(海藻)を名駒の特産物として献上するを佳例とする。

水軍村上古城跡【吉海町本庄922】
・町指定史跡

城山(じょやま)の宝篋印塔【吉海町福田1788】
・町指定史跡(昭和50年2月27日指定)
・所有者:福田部落
・入定伝説のある宝篋印塔。
・材石の花崗岩は相当風化して文字は見当らないが、基盤に彫られた反り花が一辺一花弁であることから室町時代のものと思われる。

藤崎古墳【吉海町八幡361】
・町指定史跡(昭和50年2月27日指定)
・吉海町ふるさとこみち
・所在者:八幡部落
・この地で発見された中で最も整った最大規模の横穴式石室を有する円墳。
・八幡山麓の標高60mで湾内を見下す丘陵の上に版築されたもので、北側に前方部と後円部のくびれが築造当時のままの姿で残されている。
・中央部に石室があり、奥行330cm、高さ140cm、内部幅110cmで羨道がありその入口は縦60cm、横55cmで入口付近には、 これを造営した際に使用された石尺も残っている。

金比羅山古墳【吉海町名3486】
・町指定史跡(昭和50年2月27日指定)
・所有者:池田敏雄
・金比羅信仰の標石の台石、4m四方の蓋石。金比羅山の山頂。

矢矧古墳【吉海町名駒533】
・町指定史跡
・町指定史跡(昭和50年2月27日指定)
・所有者:矢野嘉寿
・昭和31年砂防植樹工事中発見。
・愛媛大学西田栄教授の調査を経て県教委に登録済。
・石棺の中には完全な人骨体発掘、医師 故・重松恵祐氏の鑑定により強健な壮年期の男子という。
・頭蓋骨は長崎大学人類学教室に保存。

三国岩【吉海町】
・町指定有形文化財(昭和50年2月27日指定)
・所有者:藤田秀太郎
・姫政山頂から時代とともに次第に下部に下ってきた巨石祭祀の跡、大正末期頃までは伯方島からも参拝者があった。
・本庄の田中神社の祭祀の淵源といい交霊の伝承もいい伝えられている。
・現在も三国磐神社として、下段に「遙拝所」と称する社殿があり、毎年旧暦9月9日を例祭日として奉祀されている。

大頭八幡神社社叢【吉海町福田】
・町指定天然記念物(昭和50年2月27日指定)
・所有者:馬越政應
・常緑広葉樹の原生林として最大の規模を存し、樹種も豊富である。民俗学で「照葉樹林文化」という。 この地方の原初の姿を残すものである。

おんがみの宝篋印塔【吉海町椋名5134 吉海町名(水場)】
・町指定史跡(昭和50年2月27日指定)
・所有者:村上三郎
・この塔は室町時代の様式を残した立派な塔で大きくはないが姿は美しい。塔身に「北畠卿源顯成御神廟」の九字が刻まれている。
・顯成は北畠顯家の子、南朝の重臣で神皇正統記を著した有名な北畠親房の孫に当たる。
・塔はもと武志島の長顯寺の境内にあったものを対岸の水場に移し、更に現在の所に祀った。(基壇90cm2四方、高さ180m) 傍らに地蔵形の後背部に「蟲中途七人御墓」と刻した山碑もある。

水場のヤマモモ【吉海町名】
・町指定天然記念物(昭和50年2月27日指定)
・所有者:村上好秀
・ヤマモモの珍しい巨木。樹形もよく整っている。
・幹廻り2.4m、高さ10.5m。
・島四国40番札所の傍にそびえよく目立つ。
将兵の五輪塔の側に記念樹として植栽されたもの。二基の五輪塔は樹木内に抱えこまれて見えなくなってしまっている。
 墓地の中程にある自然石の塔墓は、最後の城主の墓。



城址

甘崎城

名駒城

姫内城(ひめないじょう)跡【吉海町椋名】
・吉海町ふるさとこみち
・城の北側に小島があり、これに弁財天女が祀られてあったことから、この辺一帯を姫内さんと呼んだ。城の北側にトトラと呼ばれるところはタタラ即ち製鉄所の跡と思われる。

武志城(たけしじょう)跡【吉海町椋名】
・吉海町ふるさとこみち
・「務司城」とも記される。これから考えると、「むしじょう」が本来の読み方か。
・この城の築城は古く、1300年程前に天智天皇の命によって来島海峡を守るために築かれたもので、後に水軍城として拡大使用されたものである。特に珍しいのは、ます形と呼ばれる防御施設が残っている事である。
・矢竹が群生し、ウバメガシが多いのは籠城のための食糧という説もある。

中途城(なかとじょう)跡【吉海町椋名】
・吉海町ふるさとこみち
・室町時代、来島海峡防衛の要として君臨した村上水軍の要害で、原形をよくとどめている。天正13年(1585)の秀吉による四国攻めの後、隣の武志城とともに廃城となった。大潮時には、直径10メートルもある「八幡渦」が見られる。

大突間城(ヤブカメ城)

棚橋城



遺跡

永池遺跡【吉海町名】
・縄文時代後期〜中世
[まいぶんえひめ No.29、平成14年(2002)]



古墳

藤崎古墳【吉海町 八幡】

金比羅山古墳【吉海町名3486】

矢矧古墳【吉海町名駒533】

津倉古墳【吉海町】
・吉海町ふるさとこみち

名駒14号墳【吉海町名駒】
・古墳時代
[まいぶんえひめ No.29、平成14年(2002)]


跡地

村上義弘の墓【吉海町】
2004/5/1
・鎌倉時代末期の伊予水軍を代表する武将・村上義弘の墓と伝えられる宝筐印塔。
村上義弘は南朝の忠臣で正五位を与えられた。

環状列石



賢如院【吉海町本庄2449】
・修験道金剛宗總本山。

高龍寺(こうりゅうじ)【吉海町名2916-2(田居)】
2004/5/1
・宗派:真言宗御室派
・山号:亀老山
・本尊:千手観世音菩薩
・島四国 33番札所
・吉海町ふるさとこみち
・亀老山北側麓にある。
村上水軍義弘公の菩提寺である。
・推古四年(596)、聖徳太子の名により創建されたと伝えられる。聖徳太子が道後温泉からの帰途、来島海峡で時化に遭ったが、千手観音が現れ太子の船を入り江に導いたため難を逃れることができた。太子はその千手観音を奉る為、大亀山船守院龍慶寺(高龍寺)を建立したと伝えられる。
・天正年間までは亀老山中腹に伽藍を配し末寺72ヶ寺を有したとされるが、天正元年に放火により全焼し、その後現在の場所に再建された。 

福蔵寺【吉海町福田2070(南)】
・本尊:阿弥陀如来
・宗派:真言宗御室派
・山号:嵯峨山
・島四国 79番札所

法南寺(ほうなんじ)【吉海町椋名285(中組)】
2004/5/1
・宗派:真言宗御室派
・山号:明鏡山
・本尊:阿弥陀如来
・島四国 47番札所
・熊野山 八坂寺札所
寺号碑
「大島四国第47番 霊場法南寺」
薬師堂
賓頭盧(びんずる)さん
「賓頭盧(びんずる)さん
ビンズルさんは、お釈迦さまの弟子で大変すばらしい神通力の持主でした。しかし、その神通力をいたずらに使った事でお釈迦さまにいましめられました。ビンズルさんは、大いに反省しそのつぐないにお堂の外で人々を導くように決心しました。一般に「なでぼとけ」と言われ、病気の人がビンズルさんをなでた手で自分の悪いところをさすると治ると信じられ信仰されてきました。法南寺のビンズルさんは大変古く350年程前に作られ、多くの人々の信仰を受けてまいりました。」
六地蔵
厄除大師
祇園大明神

法念寺【吉海町津島112】


神社

渦浦八幡神社【吉海町椋名】
2004/5/1
・8月15日に大祭が行われる。

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)
櫂伝馬
8月15日の大祭のときに行われる行事。毎年、10月10日、渦浦八幡神社の例祭に『櫂伝馬』の行事が古くから行われている。
 純白のゆかたに向こう鉢巻きをした漕ぎ手が10人、伝馬船の左右2列に並んで、舳先には采配張りの少年(小学生)、艫には酒樽の上に立って剣櫂を振る少年(中学生)、中央に太鼓係りの少年(小学生)、これに船頭を加えて一行14名が乗っている。
 船尾に立った船頭の音頭に合わせて太鼓が鳴り、漕ぎ手の櫂が踊り、采配と剣櫂が船首と船尾で独特のリズムの踊りをくり返し、勇壮華麗な海上の一大絵巻きを展開する。
 宮出しの朝、八幡神社鳥居下から椋名部落の南端まで御座船を誘導するならわしになっており、村上水軍華かなりし頃の故事にならったものと云われている。

浦戸神社【吉海町名 下田海】
2004/5/1

恵美須神社【吉海町椋名】
2004/5/1
鳥居
「明治十三辰 願主 旅賣子中」
※普通、鳥居を奉納するのは「氏子」であるのだが、ここの神社は「旅売子」が奉納している。珍しいではないか。
注連石
「文久二年戌正月吉日」
日露戦没紀念碑

江良神社【吉海町仁江】
・明治43年に原八幡神社に合祀された。

大頭八幡(おおがしらはちまん)神社【吉海町福田】
大頭八幡の森
・吉海町ふるさとこみち

大亀(おおのき)八幡神社【吉海町八幡】
2004/5/1

大亀八幡(おおのき)神社【吉海町名】

大山祇神社【吉海町 大山】

田居天神社【吉海町名 田居】
・祭神:菅原道真
延喜元年(901年)に菅原道真が九州に配流される途中、強風に襲われ、風を避けるために田居に上陸した。
・菅原道真の一行は、土地の人々の手厚い歓待の礼に、金のうぐいすを置いて行った。土地の人々はこれを御魂として天神社を祀った。
・それ以後、毎年大晦日の夜になるとうぐいすが鳴いたらしく、いつしかこの天神社をうぐいす天神と呼ぶようになった。
・菅原道真が田居の仮御殿に宿泊したのは僅かに一夜だけだったので、一夜天神とも呼ぶ。
御門(地名)
・菅原道真をお迎えして、仮御殿を建てた時の門があったところとされる。天神社より東北に50m離れた所。
コムロ(地名)
・道真の従者が泊まった所。

橘八幡神社【吉海町泊】

田中神社【吉海町本庄】

津倉海神社【吉海町本庄】

林八幡大神社【吉海町田浦】
2004/5/1
社号碑
「大正八年三月吉日」

原八幡神社【吉海町仁江】
2004/5/1
・天福元年(1233)8月15日、務司城主村上頼員(幼名亀千代丸)が豊前の宇佐八幡宮を遷し祀ったといわれる。
奉納絵馬:鍾馗図
[「平成15年度企画展 図録 愛媛・絵馬堂へようこそ!」、愛媛県歴史文化博物館、平成15年7月]

三国磐神社【吉海町】

美保神社【吉海町椋名】
・祭神:事代主神(ことしろぬしのかみ)
・通称エベスサン

海神社(わだつみじんじゃ)【吉海町名駒】
2004/5/1
・一般にリュウゴンサンといい、漁民の神、海の神といわれている。(吉海町椋名の海神社...名駒の海神社と同じところを指しているのかなぁ?)
石灯籠
・「廻船、矢野若連中」と刻してある。(廻船=江海運)
オンチョウ石、メンチョウ石
・九州から持ち帰ったものといわれる。男性、女性のシンボルを表す。
→c.f. 菊間町 比留女地蔵、 宇和島市 多賀神社

安産石(誕生石)【吉海町泊】
2004/5/1
・吉海町ふるさとこみち
※コンテナに水をやっていたオバちゃんに安産石の所在を尋ねる。
「安産石ってどこにあります?」
「安産石?さぁ聞いたことないねぇ」
「ここ、『泊』ですよね?ここにあるって聞いたんですけど、誕生石(たんじょういし)って名前はご存知ないです?」
「誕生石?うーん」
「あのぅ、宝石じゃないっすよ」
「ワハハ」
「ほら、神様が生まれたとか言う伝説、ご存知ないです?」
「はいはい、何か向こうの島の神様が立ったとかいう話ね」
「そうです、そうです。大山積さんの誕生に纏わる伝説が残る石です」
「駐在所(伯方警察署の駐在所)の辺りにあるんじゃない?聞いたことはあるけどねぇ、私は知らないわ。あの辺りで誰かに聞いてみたらええと思うよ」(2004/5/1)


お堂

山の鼻のお堂
・島四国 28番札所

海照庵(かいしょうあん)【吉海町名 水場】
・島四国 41番札所
・本尊:十一面観世音菩薩

示現庵(じげんあん)【吉海町名駒】
2004/5/1
・島四国 39番札所
・本尊:阿弥陀如来、観世音菩薩、不動明王、薬師如来、地蔵菩薩

浄花庵(じょうげあん)【吉海町名 水場】
・島四国 40番札所
・本尊:薬師如来

証林庵(しょうりんあん)【吉海町名 下田水】
・島四国 42番札所
・本尊:大日如来

佛浄庵(ぶつじょうあん)【吉海町名駒】
2004/5/1
・島四国 38番札所
・本尊:千手観音菩薩

宥信庵(ゆうしんあん)【吉海町正味】
2004/5/1
・島四国 39番札所
・本尊:薬師如来

正覚庵(吉海町田浦 下組)
2004/5/1
・島四国 1番札所
・竺和山 霊山寺札所
・本尊:釈迦如来
島四国へんろ道道標
・第1番 正覚庵より、第2番 海岸堂(宮窪町早川)への道標
・「舟着けば秋の風あり正覚庵」

善女庵(ぜんにょあん)【吉海町椋名 北側】
2004/5/1
・清滝山 西林寺札所
寺号碑
「大島四国第四十八番霊場西林寺」

観音堂【吉海町椋名 中組】
2004/5/1
・島四国 第46番
・医王山 浄瑠璃寺札所
・本尊:薬師如来

大師堂【吉海町椋名 中小路(なかしょうじ)】
2004/5/1
・島四国第45番の前札所
(2004/5/1)
※45番 岩屋寺(椋名 長浜)には、片手でゆらぐ大岩「ゆるぎ岩」がある。時間が有れば寄りたかったものだ。(後悔先に立たず。事前情報調査不足)


水場井戸と北畠顕成・水軍大将の墓【吉海町名 水場】
 


地蔵

西向(にしむき)地蔵【吉海町椋名 新谷(しんや)海岸】
・いぼとり地蔵

波切不動明王【吉海町名駒】
・島四国38番・佛浄庵の下部。

日切地蔵【吉海町泊】
2004/5/1
・島四国 番外札所
・本尊:日切地蔵菩薩
・地蔵堂の脇に建てられた碑には、
「當本尊地蔵菩薩は天保十年頃碇により海中より出現せし霊佛にして其乃霊験誠に顕なり記して世に傳ふ」
と銘記されている。




八幡山【吉海町八幡】
・国指定名勝
・標高215m

大頭山【吉海町】
・標高264m

館山【吉海町】
・標高230.9m

金比羅山【吉海町名】
金比羅山古墳

姫政山【吉海町】
・標高277.4m

亀老山(きろうさん)【吉海町】
2004/5/1
・瀬戸内海国立公園
・標高307.8m。
亀老山展望公園

鷹取山【吉海町/宮窪町】
・標高234.4m

念仏山【吉海町/宮窪町】
2004/5/1
・標高381.9m
・山名は、津波に襲われた島民が、山頂の松に鐘をかけて海神の怒りを鎮めるために念仏を唱えたことに由来する。
七福大権現
大山の池
・吉海町の水がめ。

城山・大野山


鉱山

川・渓谷



ダム


風景

来島海峡大橋【吉海町】

平山郁夫スケッチポイント「しまなみ海道五十三次」
(40).大島 吉海町 南浦海岸(南浦地区の県道名駒・友浦線沿い)
(41).大島亀老山から来島三連橋を望む(亀老山展望台、駐車場から50m(徒歩1分))

大島自然研究路【吉海町正和〜名駒】
2004/5/1
・愛媛自然百選に選定されている。
・島の南端の海岸線に沿って延びる総長1.8kmのハイキングコース。
・展望所が三ヶ所に設置されている。

津島

波島


洞窟・鍾乳洞

樹木

名駒みかん【吉海町名駒】
・大島亀老山北側麓
・県指定天然記念物
・小みかん、葉つきみかんともいわれる。

椋名のムクノキ【吉海町椋名】
2004/5/1
「椋名のムクノキ
椋名部落の中央部の元椋名尋常高等小学校、続いて部落公会堂、戦後は椋名保育園、現在は町営住宅となっている庭にそびえている。樹齢は400〜500年、久しい間椋名部落の変遷を見守って来たであろう。高さは23m、目通り幹周り2.6m、株は地上1.4mの根上りとなる。かってはこのムクの実が子供にとり貴重な食べ物であった。大風の吹いた翌朝、子供達は競って実を拾ったとのことである。」[説明書き]

椋名のエノキ【吉海町椋名】
2004/5/1
「椋名のエノキ
このエノキは、高さ22m、目通り幹周り3m、樹齢400〜500年位とみられ隣のムクノキと同じ年代の木と推定される。エノキは、ムクノキと同じくニレ科の落葉高木で、松材と比べて樹脂が少なく、船中における薪炭材料に適していいるので村上水軍の勢威盛んな時代から非常に重宝がられたという説もある。
また、江戸時代には諸街道の一里塚にこの木を植えたもので、行政用樹木として特別扱いを受けたものである。」[説明書き]
(2004/5/1)
※エノキに狸伝説が多いのは、まさにこのことが理由ではなかろうか。行政用樹木として保護を要するため、「ここには人を化かす狸が住んでいる。決して木に登って悪さをせぬように」と子供達を諭すために様々な狸話が創作されたとも考えられるのだ。話の発生時期も江戸時代ということで合致するのではなかろうか。









「能島録」の碑【吉海町下田水 下田水港】
2004/5/1
「能島録
伊予国橘之志万乃郷予添国大島名能島と号す
能島志万郷隈嶽大亀山は古は王来山と書く 本城は四方に出張城を築き中門島を水軍の本陣所とす 能島は外面八方の小島に出張を構え、四頭八尾に陣を張り備え之に居住す 鎮西と鎮守する無双の要害なり 守衛を為すに於いては 船軍家の随一にして、高名を万矢に揚ぐべき所なり


公園

吉海バラ公園【吉海町福田1292番地 (大島)】
2004/5/1
・年中無休
・入場無料
・約200種、5000本の世界の薔薇が咲き誇る。
・ゲートそばの直径15mの花時計はバラ公園のシンボルとなっている。
・電話番号:0897-84-2111(吉海町観光協会)
・開園年月日:平成5年6月6日
・総面積:8,200u
◆主要施設
・花時計(直径15m)
・トイレ(1棟)
・休憩所(5棟)
・バラ 4,200本、120種
・メインテーマ「水と緑に包まれ、安らぎと潤いの空間づくり」
たまご広場
わんぱく広場
世界一小さいバラの花 ショウノスケ植樹
・春の一期咲き
ジョゼフィーヌ・コレクション花壇
・春の一期咲き
イングリッシュローズ花壇
・四季咲き
よしうみローズ館
・1F 物産販売・2F レストラン
ローズ村
バラ苗販売所
郷土文化センター
・郷土出身画伯の野間仁根の絵画や水軍資料など展示。
大島諸島開発総合センター(公民館)
B&G体育館
B&Gプール
テニスコート
ゲートボールコート
ふれあい広場〜オールドローズ・ストリート
花時計(直径15m)
・ミニバラを植栽。

亀老山展望公園(きろうさんてんぼうこうえん)【吉海町名駒】
2004/5/1
・'94 サインデザイン激励賞受賞
・'95 JCD賞文化公共施設部門最優秀賞受賞
・'95 日本建築楽界コンテスト四国地区代表建築物
・展望デッキには、望遠鏡の代わりに3対の御影石のベンチが置かれている。
・展望公園は標高307.8mの亀老山山頂に位置する。来島海峡大橋を一望できる。
・瀬戸内海国立公園第2種地域
ANDOポイント
・松山市の写真家・安藤喜多夫氏の提案で設けられた来島海峡大橋写真撮影ポイント。
亀老山の由来
「亀老山の由来
今から約1300年ほど前、光輝く黄金色の観音像を背負った大亀を、旅の風来僧がとある大島の海岸の洞窟で見つけたそうじゃ。
早速その観音像を持って、とある山に七堂伽藍を建立して崇拝し、それ以後この山は亀老山と名付けられたそうじゃ。」
亀老山展望台
・環境に配慮した地中埋設式。パノ ラマ展望ブリッジからは、瀬戸内海周辺の小島と日本三大急潮の一つ来島海峡の雄大な渦潮、世界初の三連吊橋「来島海峡大橋」、 晴れた日には「霊峰石鎚」の山脈を望むことができ、その景観は夜景とともにすばらしい。
「亀老山展望台 標高307.8m
この展望台は南北2つのデッキ以外はほとんどか地中に埋設された世界にもまれな展望台です。唯一地上に顔を出したA・Bデッキがらは日本3大潮流のうちの一つの来島海峡や西日本最高峰の石鎚山など、雄大な風景をのぞむことができます。また展望デッキBには『見る』ことの謎を解きあかすための3対の装置が配置され、単に風景を楽しむだけでなく、『見る』という行為そのものを考え直すことが可能です。」

浜の宮公園【吉海町幸】
2004/5/1
浜ノ宮公園の造成について
「浜ノ宮公園の造成について
この「城山」地区の海に面した西側は部落公有地で古来氏神様のお旅所であり、また厳島神社等が祀られていたこともあり、その故か「浜ノ宮」と呼ばれている。
昭和27年地先「福田干拓地」の造成開始以来、部落では山土を提供してきたが、その跡地の流用につき同52年公園化することに決定し、名称を「浜ノ宮公園」とすることになり、以降町や県の助成を得、更に部落内外各位のご寄附を仰ぎ■碑を建立した次第である。
尚 ご寄附を賜った各位のご芳名(一定額以上)をここに刻み 永く記念するものである。
昭和63年10月吉日
福田部落」
歌碑
・副碑に刻まれた文は以下の通り。
「歌の由来
古事記に拠れば十九代允恭天皇の皇太子木梨軽皇子と弟の穴穂皇子が争い軽皇子は伊予の国扇浜へ流された。当時近くの幸島北端があひねの浜であり流人軽皇子がこの浜を訪れた時詠んだ歌である あひねの浜は現在根浜と言われている。
昭和62年3月吉日
撰 藤田喜義
寄贈 重松勝征」
みやしたはし
・昭和14年3月架設

みどりと健康のひろば
・吉海町バラ公園に隣接した他目的広場。町民の健康と心豊かな人づくりをテーマとした社会教育施設の一環として、昭和59年に整備された。テニスコートも併設し、各種スポーツに利用されている。


祭り

イベント

島四国八十八ヶ所【吉海町、宮窪町】
・文化4年(1807)、医師の毛利元得が修験者・金剛院玄空、庄屋・池田重太と協力して開創した。
・四国霊場会から准四国八十八ヶ所として認定されている。
・へんろ道は総長63km、これを2泊3日の行程で巡礼する。
・縁日は毎年旧暦の3月19日〜21日(新暦の4月中旬)で、縁日中は島外から訪れた遍路を「善根宿」が厚くもてなす。
・縁日の最終日は弘法大師の命日でもある。

秋まつり(10月10日、11日)
本庄やっこ行列
椋名櫂伝馬

観光地引き網【吉海町各所】(5〜10月)
 「引いて、見て、食べて、遊ぶ」をテーマに、地引き網で取れたての鮮魚をその場で味わう。

町民盆踊り大会【吉海町八幡】(8月中旬)

ザ・島市【吉海町八幡】
 町おこし事業の一環として昭和60年度から実施。

本庄の祭行列【吉海町本庄】
・本庄地区に古くから伝わる伝統行事の一つ。地区の南北端約1500メートルを進む。江戸時代の大名行列を象ったもの。先頭を”くさむし”と呼ばれる露払いが進み、その後をはさみ箱、白の毛槍、黒の毛槍と続き、最後尾もくさむしが行く。

櫂伝馬【吉海町椋名・津倉】(10/10〜11)
 渦浦八幡神社の例祭として古くから行われている行事。純白のゆかたに身を包んだ一行14名が伝馬船に乗り込み船頭の音頭に合わせて太鼓が鳴り、漕ぎ手の櫂が踊る勇壮華麗な海上の一大絵巻。村上水軍盛期の故事にならったものといわれている。


施設

いきいき館【吉海町】

郷土文化センター【吉海町 大島】
・電話番号:0897-84-2566
・吉海町出身の画家野間仁根画伯(一陽会結成)の作品や遺品、水軍に因んだ出土品、宝物等が展示されている。
・また、島四国八十八ヶ所の由来や札所、善根宿の資料等が展示されている。
・入場料:一般200円、小中学生100円
・開館時間:09:00〜16:00
・休館日:月曜日、祝日
愛媛県 吉海町  吉海町立郷土文化センター
 吉海町の歴史と文化・将来発展の姿を描いて、平成元年に開館した。外壁は当地産出の大島石(高給御影石)で覆われ、石素材の持つ硬・鋭・朴・柔の調和的表現が図られている。 内部には、大小5展示室が設けられ、常設展として郷土出身の野間仁根画伯の絵画かざられている*
村上水軍の軍船をデザインした石造物
正岡子規銅像「俳句 野球の先駆者 正岡子規之像」

吉海町B&G海洋センター
 昭和57年4月開設のマリンレジャー・教育拠点施設。体育館・プールのほか、カヌー・ヨットを収納する艇庫が備えられている。    吉海町福田下田水港から車で10分


学校

泊小学校跡【吉海町泊】
2004/5/1
「泊小学校跡」碑
「開校 明治11年
閉校 昭和56年3月31日
卒業者数 2819名
閉校年度児童数 59名」[副碑の銘文]
※碑文は村上壷天子の書。
創立六十周年記念碑


温泉

吉海温泉
・製塩業者で郷土史家でもあった渡邊市衛翁が昭和43年に開発。
・その後吉海町老人センター建設にあたり、昭和51年権利を町に寄贈。
・現在も老人福祉センター内で使用している。湯量がやや少ないので町内の老人が利用する程度。
・ ラドン放射能泉 (ラジウム泉)
・効能:神経痛・筋肉痛・五十肩等


伝説

「福田の高坊主」ほか数十編
 ふるさとに伝承されてきた民話や地名は、長い歴史の中で今日の文化を形成した源流であり、また先人の残した偉大な文化遺産である。そこで大島郷土史会員を中心に、散逸埋没しようとしているものを蒐集分類し「ふる里の民話」として一冊にまとめ、昭和48年に発刊した。    「ふる里の民話」大島郷土史研究会

福田の高坊主【吉海町福田】
 夜な夜な、高坊主が出るというので、福田の宮の下では大評判になっていた。夜になるとみんな恐れて、誰も通らない。幸新田の嘉吉さんと忠太郎さんの二人は、きもっ玉のすわった人だと、噂に高い人であった。
 その頃、宮山の登り口に、枯れた松の木が、まばらな林をなして立っていた。枯れたまま、誰もどうしようともしない。いたずらに風雨にさらされているだけであった。
 嘉吉さんと忠太郎さんとは、この枯木に目をつけて、「あのまま置いとくのはもったいない。伐り倒して、材木にするか、薪にでもするかどちらかだ。」「いや、あれは材木にはなるまい。夜中にこっそりと薪にしに行こうではないか。それに、ちょうど高坊主が出て人をこわがらす頃じゃ。ついでに見届けるのも面白かろう。」
 そんな話をして、とうとう二人は枯木を盗みに出かけた。
 星明りもない暗い晩であった。「出るという高坊主が出んじゃないか。」嘉吉さんが、もの足りなさそうに、忠太郎さんへ話しかけた。「わしらのきもっ玉に恐れたに違いない。案外おく病な高坊主じゃのう。」二人はこんなことを云いながら、てくてくと枯木のある林へ進んで行った。早速のこぎりを出して伐り始めた。伐りながらも、二人は高坊主の出ないことを残念がった。2、3本伐って、荷をこしらえかけた頃、宮山の段から小砂がばらばらと落ちてきはじめた。ついには雨が降るように、さかんに落ちてきた。「妙なものが降るじゃないか。」嘉吉さんが暗い空を見上げてこう云った。「ほんとに、お天とうさんもどうかしてるんじゃないか、砂を降らしたりして。」忠太郎さんが答えて云うのと同時に、人の声ではないなんの声ともつかぬ声が、突然身近いところから起こった。「ラアレーロー。」しかも二声叫んだのである。「ラアレーロー。」気味の悪い声、二人はゾッと水を浴びたような寒気がした。「そら!出た!」さすがに自慢のきもっ玉はどこかへ消えとんでしまって、二人は足を宙にして逃げ帰った。
 「ラアレーロー。」と聞えた時、二人は大入道より大きい高坊主を見たように思ったのである。これは無論、近くに住む高坊主のしわざなのである。
 明治のはじめ頃の出来事であった。
(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

伊予の三階松【吉海町名 水場】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

狸の親子【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

米つき狸【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

福田のコイと本庄のノボリ【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

背負い狸【吉海町】
 

かど松の代りにしいの木を【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

花崎の三本ざし【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

久米のお姫狸【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

じょうやまの生き仏さん【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

牛追狸【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

黒船ものがたり【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

鐘かけ松【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

田居の天神さん【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

弘法大師の御足跡【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

もと山さんの由来【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

安産石【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

海賊襲来と馬越神太夫【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

村上義弘の愛馬と馬頭明神【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

鯨と地蔵様【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

にわとり小島【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

うどん売り【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

白なんてんの秘密【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

かっぱ【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

貝がら地蔵【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

猪之塚【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

別れ道とお地蔵さん【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

埋蔵金伝聞記(若宮様由来)【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

小敷の怪奇【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

永地部落の謎【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

幸坊(さいわいぼう)さん【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

酒のみ坊さん【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)

呼子の奇談【吉海町】

(ふる里の民話、大島郷土史研究会、昭和48年5月3日)


キャンプ

名駒キャンプ場【吉海町名駒】

南浦キャンプ場【吉海町南浦】

千年松オートキャンプ場 南浦キャンプ場
 毎年夏のシーズンには多くの海水浴客で賑わう。また近くに民宿があるため、併用する観光客が多い。
・吉海町福田下田水港から車で5分


海水浴

名駒千年松海水浴場【吉海町】
2004/5/1

長浜海岸【吉海町名駒】


人物

野間仁根
 洋画家。吉海町立郷土文化センターに、作品のほか画伯の愛用品、作画材料等が展示されている


その他

中渡島潮流信号所【吉海町 中渡島】
腕木式信号機



《References》



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