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(旧・玉川町)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要


キャッチフレーズ
(1).「自然が美味しい町 玉川」
(2).「躍動の町 田万川 輝く人・水・緑」

町の花 町の木 町の花木 町の鳥
ヒノキ


特産物

沿革

地名
大字
大野 (おおの)
→今治市玉川町大野
鬼原 (おにばら) 
→今治市玉川町鬼原
葛谷 (かずらたに)
→今治市玉川町葛谷
桂 (かつら)
→今治市玉川町桂
木地 (きじ)
→今治市玉川町木地
高野 (こうや)
→今治市玉川町高野
小鴨部 (こかんべ)
→今治市玉川町小鴨部
三反地 (さんだんじ)
→今治市玉川町三反地
摺木 (するぎ)
→今治市玉川町摺木
中村 (なかむら)
→今治市玉川町中村
長谷 (ながたに)
→今治市玉川町長谷
鍋地 (なべじ)
→今治市玉川町鍋地
鈍川 (にぶかわ)
→今治市玉川町鈍川
畑寺 (はたでら)
→今治市玉川町畑寺
別所 (べっしょ)
→今治市玉川町別所
法界寺 (ほうかいじ)
→今治市玉川町法界寺
御厩 (みまや)
→今治市玉川町御厩
八幡 (やわた)
→今治市玉川町八幡
與和木 (よわぎ)
→今治市玉川町與和木
龍岡上 (りゅうおかかみ)
→今治市玉川町龍岡上
龍岡下 (りゅうおかしも)
→今治市玉川町龍岡下


文化財

国宝銅宝塔【玉川町大野 玉川近代美術館】
・国指定重要文化財

伊予国奈良原山経塚出土品【玉川町大野】
・国宝

木造釈迦如来立像(1躯)【玉川町桂 宝蔵寺】
・国指定重要文化財[彫刻]

旧鈍川小学校二宮金次郎像台座【玉川町】
・国登録有形文化財(平成14年)
・昭和11年(1936)に、教師・児童が河原の石を積み上げて建築したもの。

千疋峠のサクラ【玉川町鈍川】
・国指定名勝(昭和16年指定)
・桜の名所

吉井勇歌碑

宝筐印塔【玉川町畑寺 光林寺】
・県指定有形文化財(昭和32年12月14日指定)

絹本著色稚児大師像(1幅)【玉川町畑寺 光林寺】
・県指定有形文化財[絵画]

石造宝篋印塔(1基)【玉川町畑寺 光林寺】
・県指定有形文化財[石造美術]

木造貼付彩色前机 (1基)【玉川町桂 宝蔵寺】
・県指定有形文化財[工芸品]

石造宝篋印塔(1基)【玉川町桂 宝蔵寺】
・県指定有形文化財[石造美術]

木造御神像(3躯)【玉川町八幡 石清水八幡神社】
・県指定有形文化財[彫刻]

子持ち杉【玉川町木地】
・県指定天然記念物

宝筐印塔【玉川町畑寺 光林寺】
・町指定有形文化財(昭和39年3月1日指定)

光林寺並びに蓮華寺縁起【玉川町畑寺 光林寺】

光林寺及び奈良原山絵巻物並びに寄進状【玉川町畑寺 光林寺】

奈良原山経塚跡【玉川町木地 奈良原神社】
・町指定史跡

奈良原山経塚多宝塔【玉川町木地 奈良原神社】

釈迦堂本堂【玉川町桂】

釈迦堂厨子及び棟札【玉川町桂 宝蔵寺】

法積寺大般若経【玉川町法界寺 法積寺】

龍岡寺大般若経【玉川町龍岡上 龍岡寺】

宮の台天神社の森(龍岡天満神社)【玉川町龍岡下 天神社】
・町指定史跡

蓮明寺【玉川町高野】
・町指定史跡

津倉の古墳【玉川町小鴨部】
・町指定史跡

重茂城跡【玉川町与和木/大西町山之内、宮脇】
・町指定史跡

丸山城跡【玉川町法界寺】
・町指定史跡

幸門城跡【玉川町妙見前】
・町指定史跡

鷹の森城跡【玉川町鈍川】
・町指定史跡

鈍川渓谷【玉川町鈍川】
・町指定名勝

犬塚池【玉川町八幡】

八幡山【玉川町八幡】

佐礼山【玉川町別所】

菩提樹【玉川町桂】

ナギの木【玉川町鍋地/桂 蓬来山(釈迦山) 桂木神社境内】
・町指定天然記念物(昭和38年4月指定)
・ナギノキはマキ科の植物。

シメ杉(2本)【玉川町中野 豫中神社】

チシャの木【玉川町高野 天満神社】



城址

幸門城(さいかどじょう)跡【玉川町妙見前 岩平(いわなる)】
・町指定史跡
正岡右近大夫経政(まさおかうこんだゆうつねまさ)居城。

「幸門城の落城」、越智郡むかしむかし、越智郡公民館連絡協議会、昭和51年7月1日

嵯峨子城址【玉川町】

重茂城(じゅうもじょう)跡【玉川町与和木(よわぎ)/大西町山之内、宮脇】

・町指定史跡
高田左衛門道成(たかださえもんみちなり)居城。

鷹の森城跡【玉川町鈍川】
2002/2/24
・町指定史跡
・山頂部にはNTT DoCoMoの玉川鈍川無線中継所、J-フォン四国のJPS玉川局、NHK伊予玉川テレビ中継放送局などが建っている。
鷹の森城跡碑
・1998年3月、城主末裔の越智鬼止太郎氏が建立した巨大な碑
この城は遠く国造乎致命の流れをくむ越智大和守春友が白河天皇の頃旧鈍川村鬼原村畑寺村を領地として築城し本丸・二の丸・三の丸の他鬼原城大西城の出城を構え五百余年に亘り繁栄せるも十三代越智駿河守頼能の天正十三年小早川隆景の進攻をうけ将兵共々自刃し落城した。自害に先立ち弟に妻子を託し落ち延びさせたと傳えらる。 

鷹ヶ森城址定碑 
     訪舊登来荒廃■ 
     往時■業巳無痕 
     茲有封侯余裔在 
     鬼魂欲弔建碑■ 
     玉水 詩  翠城 書 
     この山林はつぎの方々の所有地ですが 
     建碑に賛同下さりご協力いただいたものです 

     越智武男 大下 
     青野義満 今治 
     青野芳久 鬼原 
     越智鹿夫 鬼原

丸山城跡【玉川町法界寺】
・町指定史跡



遺跡


古墳

津倉の古墳【玉川町小鴨部】
・町指定史跡



跡地

栄福寺(えいふくじ)【玉川町八幡甲200】
1996/3/10
・四国八十八ヶ所霊場 第57番札所
・電話番号:
・山号:府頭山
・院号:
・宗派:真言宗高野派
・本尊:
・開基:
・蒼社川の右岸にある府頭山の中腹にある。
・平安初期、弘仁年間に嵯峨天皇の勅願により、弘法大師(空海)が開基した。
★団体さんの納経と重なり、えらい順番待ちとなる。(1996/3/10)
★駐車場は有料。(1996/3/10)
本堂
大師堂
御願い大師
修行大師

仙遊寺(せんゆうじ)【玉川町別所甲483】
1996/3/10
・四国八十八ヶ所霊場 第58番札所・電話番号:
・山号  :作礼山(されいざん)
・院号  :千手院(せんじゅいん)
・宗派  :真言宗高野派
・本尊  :千手観音
・開基  :
・海抜2〜300mの佐礼山山頂に建っている。
・境内、バス迂回所からは今治平野が一望できる。
・天智天皇の勅願により創建された。
阿坊仙人という僧が養老2年までの40年間この寺で修行し、諸堂を揃えたが、ある日忽然と姿を消した。まるで遊びに出掛けたように。このことから「仙遊寺」という名前がつけられたという。
本堂
大師堂
岩戸観音
瑠璃観音
円光観音
持経観音
千体仏(厄除地蔵)
藤棚
天智天皇五輪塔
宵蓮上人五輪塔
・生きながら土中に埋まって入定したと伝えられる宵蓮上人の供養塔。
竜神窟
龍燈桜の碑
→参照「竜登川と観音様」の伝説
弘法大師のご加持水
・参道途中にある。多くの村人の諸病を救ったとされる。

医王寺【玉川町中村甲314】

光林寺(こうりんじ)【玉川町畑寺甲530】
1998/8/21
・宗派:高野山真言宗
・山号:摩陀山
・院号:寳塔院
・伊予府中十三石仏霊場 結願寺
・四国三十六不動霊場 第20番札所
・新四国曼荼羅霊場 第41番札所
・県道163号線(鈍川・伊予・大井停車場線)沿いにある。
・大宝元年(701)、文武天皇の勅を受けた渡来人の徳蔵上人によって、法相宗・三論宗二宗兼学の寺として開創された。
・大同元年(806)、唐より帰朝途中の弘法大師が真言密教を伝授したという。
石造宝篋印塔(1基)
・県指定有形文化財[石造美術](昭和32年12月14日指定)
宝筐印塔
・町指定有形文化財(昭和39年3月1日指定)
絹本著色稚児大師像(1幅)
・県指定有形文化財[絵画]
弘法大師幼少の頃の画像。
弘法大師の著書「二十五箇条御遺告」の中に、「大師は5、6歳の頃、夢の中で常に八葉の蓮華に座り、諸仏と共に語り合っていた」と記されており、それを絵画化したもの。
・鎌倉時代に描かれたものという。
松平定基公書状
・奈良原大権現を守護神として光林寺住職が雨乞いの祈祷をし、その時の降雨に対し今治藩主から送られた感謝状である。
光林寺並びに蓮華寺縁起
光林寺及び奈良原山絵巻物並びに寄進状
奈良原大権現
・楢原山山頂に祭られていた神で、農耕の神、豊饒の神として崇敬が厚かった。
藤堂高吉公供養塔
・2003年10月25日建立。


藤堂高吉
・今治藩第2代藩主
・天正7年(1579)、織田信長の重臣・丹羽長秀の三男として生まれた。
・幼名は仙丸。
・4歳の時、豊臣秀吉に請われて、羽柴秀長(秀吉の弟)の養子となった。
・その後、臣籍に下り、藤堂高虎の嗣子となった。
・慶長13年(1608)、藤堂高虎が伊勢・伊賀へ国替えした後、今治二万石の領主となった。
・寛永12年(1635)、伊賀国名張へ転封。
・享年92歳。高吉の墓は名張川沿いの徳蓮院にある。

浄土寺(じょうどじ)【玉川町鈍川丙91】
2002/2/24
・宗派:高野山真言宗
・山号:妙高山
・府中四国 54番霊場

宝積寺(ほうしゃくじ)【玉川町法界寺甲272】
・宗派:高野山真言宗
・本尊:不動明王
・村中四国第61番霊場
書写大般若経600巻
・有形文化財

宝泉寺(ほうせんじ)【玉川町葛谷】
1997/10/30
・宗派:曹洞宗

宝蔵寺(ほうぞうじ)【玉川町桂甲21】
・宗派:
・山号:杉生山
・伊予府中十三石仏霊場 第9番札所
木造釈迦如来立像(1躯)
・国指定重要文化財[彫刻]
石造宝篋印塔(1基)
・県指定有形文化財[石造美術]
木造貼付彩色前机 (1基)
・県指定有形文化財[工芸品]
釈迦堂厨子及び棟札

釈迦堂【玉川町鍋地/桂】
2002/2/24
・国・重要文化財の木造釈迦如来立像が安置されている。地元では「お釈迦さん」と呼ばれて親しまれている。
・堂内正面には「大覚尊」の額が、そしてその右脇には「釈迦堂」の額が掲げられている。
・参道には赤の布地に「奉納 南無釈迦如来」の文字を白で染め抜いた幟が、まるでお稲荷の鳥居のように延々と立ち並ぶ。
木造釈迦如来立像(1躯)
・国指定重要文化財[彫刻]
・文永5年(1268)、仏師興慶の作。
木造貼付彩色前机 (1基)
・県指定有形文化財[工芸品]
石造宝篋印塔(1基)
・県指定有形文化財[石造美術]

寶林寺【玉川町鍋地】
2002/2/24
・本尊:延命地蔵
★境内からは鍋地の集落の長閑な田園風景が広がる。(2002/2/24)
徳生翁頌徳碑

龍岡寺(りゅうこうじ)【玉川町竜岡上甲407】
1997/10/30
・山号:理観山
・宗派:高野山真言宗
・伊予府中十三石仏霊場 第13番札所
・本尊:薬師如来
弘法大師空海上人が開創した、高野山真言宗の末寺。900〜920年頃に創建された。
・昭和36年の火災で全焼した。
龍岡寺大般若経
坂村真民「念ずれば花ひらく」の碑
・22番目の碑。
首無し地蔵
・昭和51年9月の台風の際、森イソさんが山間より大水と共に流れ出た土砂の中から発見したものを安置している。
四国八十八ヶ所御砂踏霊場
別格二十霊場御砂踏霊場


神社

石清水八幡神社【玉川町八幡】→玉川町大字八幡甲29
木造御神像(3躯)
・県指定有形文化財[彫刻]

石柝神社【玉川町鈍川】
・主祭神:石柝神、根柝神、石筒男神
・配神:大己貴神、天御中主神、天満尊神、大山積神、猿田彦神、菅原道真神など
・境内神社:客人神社
・由緒沿革:当社は持統4年3月に国司小千宿祢玉興が、大和国葛城山より役小角が優婆塞を迎えてこの地を開いたとき、石柝神、根柝神、石筒男神や、天満尊神を奉斎して祀ったものである。明治4年10月に村社となり、明治42年に大己貴神社、山神社、三島神社等の各末社を合祀した。

王子神社【玉川町鈍川 松ノ本692】
・祭神:天照皇大神、大新川神
・配神:饒速日神、観子姫命、尊聖王子命
・持統4年(689)の春、国司小千宿禰玉興が当地を開いたとき、天照皇大神、饒速日神、大新川命をこの地に奉斎したものという。
・後に南北朝の末、長慶天皇、同妃、皇子とともにこの地に御潜匿になられた由縁によって、同妃ならびに王子の霊を合祀したという。

大野神社【玉川町大野森ノ内】
・祭神:大山積命、上津姫命、下津姫命
・配神:大穴牟遅命、少毘古那命
・式内社 伊豫國越智郡 大野神社
・旧村社
・三島若宮・鴨部明神・田中大明神とも称していた。
・ご利益:悪虫除け・悪病除け・諸病平癒
 
境内社:若宮社
境内社:田中社
境内社:天満社
境内社:幸ノ宮
境内社:日吉神社
境内社:大己貴神社

大山積神社【玉川町別所】

桂木神社【玉川町鍋地/桂 蓬来山(釈迦山)】
2002/2/24
ナギノキ
・町指定天然記念物(昭和38年4月指定)

熊野神社【玉川町小鴨部(こかんべ)】

事代主神社【玉川町摺木(するぎ)】

嶋御門神社【玉川町中村】

須賀神社【玉川町鈍川 和佐田乙9番地】
・祭神:須佐之男命
・配神:大市比売神、天満尊神、石柝神、饒速日神、神皇彦神、御食津神、大年神、御年神、若年神
・持統4年(689)3月、国司が役小角を迎えて当地を開いたとき、速素盞鳴神と大市比売神を祭祀したものという。

天神社【玉川町竜岡下】
1997/10/30、2002/2/24
宮の台石造宝篋印塔
・町指定有形文化財(昭和39年3月1日指定)
・歴代幸門城主と一族の霊を祭るという。
・幸門城は、正岡右近太夫経政の代、天正13年8月豊臣秀吉四国征伐により落城した。
・大小15ケの五輪塔、宝篋印塔が並ぶ。
※「幸門城の落城」(越智郡むかしむかし、越智郡公民館連絡協議会、昭和51年7月1日)に、「竜岡下カジヤ部落の早の崎に、幸門城にこもっていて戦死した人の墓だといわれるお塚さんが、八つあります」との記載がある。これは多分、天神社社殿裏にある五輪塔群のことであろう。
宮の台天神社の森(龍岡天満神社)
・町指定史跡

天満神社【玉川町】
2002/2/24

天満神社【玉川町葛谷(かずらたに)】
1997/10/30
・県道玉川−菊間線沿い、せとうちバス終点「葛谷」停留所前にある。
・樹勢の良い杉等の大木が数本ある。

天満神社【玉川町桂】
2002/2/24

天満神社【玉川町高野】
チシャの木

奈良原神社【玉川町木地】→玉川町大字大野甲17-1

・祭神:伊弉諾命、宇気母知命
・配神:大山積命、…事解男命、須佐之男命、大己貴命、寛成…
・奈良原山の頂上にある。
・もとは水の神様として祀られ、日照りの年には村人が山頂に集まり雨乞いの祈祷を行っていた。
長慶天皇来訪後は牛馬を守る神として遠方からも多くの人が参拝に訪れるという。
伊予国奈良原山経塚出土品
・ 国指定文化財[考古資料]
奈良原山経塚跡
・町指定史跡
奈良原山経塚多宝塔

豫中神社【玉川町中野】
シメ杉(2本)

白山神社【玉川町畑寺】

神子(みこ)神社【玉川町鈍川 柱ヶ谷320】
・祭神:宇須女命、乎知命
・配神:来名戸祖命、観子姫命、尊聖王子
・持統4年(689)の春、国司小千宿禰玉興が当地を開いたときに祭祀したものであるという。
・後に南北朝の末、長慶天皇、同妃、皇子とともにこの地に御潜匿になられた由縁によって、同妃ならびに王子の霊を合祀したという。

三島神社【玉川町鈍川】
2002/2/24
田野々121番地
・祭神:大山積命
・配神:上津姫命、下津姫命、大己貴命
・聖武天皇の神亀5年(728)8月、国司小千玉純が、当地開発の際、大山積神、上津姫命、下津姫命を奉斎したものという。
鳥居
・弘化四丁未五月に建てられたもの。

三島神社【玉川町法界寺】

三島神社【玉川町長谷】
2003/11/30
・蒼社川と長谷川(?)の合流点の中洲に鎮座する。
・境内の東側には石垣が取り囲んでいる。その中央辺りに人が行き来できるトンネルが設けられている。一体これは何なのだろうか?川の氾濫から神社を守るために築かれたもの(所謂堤防)とも考えられる。
狛犬
・明治41年のもの
寄神殿
寄神殿に祀られている境内神は、
・事代主神社(恵美須神)
・日吉(ひえ)神社(大山咋神)
・幸神社(猿田彦神)
・山之神社(大山積神)
・仲当神社(仲哀天皇)
・大那牟■神社(大黒神)
・稲荷神社(宇賀魂命)
・市杵島神社(市杵島姫神)
・須賀神社(須佐之男尊)
明治41年(1908)10月10日合社
昭和56年(1981)9月吉日改築

三嶋神社【玉川町鍋地】
2002/2/24
★鳥居前には「四良神社」の社号碑が立っている。地図上では三嶋神社と記されている。鳥居は天保3年に作られたもの。左側の柱に「天保三壬辰歳九月吉祥日」と刻まれている。

御鉾神社【玉川町木地】
2002/2/24

豫中神社【玉川町中村】

和霊神社【玉川町法界寺】


お堂

木地観音堂【玉川町竜岡 木地】
2002/3/3
・本尊:秘仏十一面観世音菩薩
・「抑々当龍岡木地観音堂に安置し奉る十一面観世音菩薩は往古文中年間覚理法皇幸門に遷幸ありしとき祈願所として一宇の堂を建立し遠く奈良の都南円堂より勧請し給う所の霊像にましまして住吉の作と云い伝う。爾来霊験著しく諸人の来詣年を経て増々多く利益を蒙る者今に至って数うるに遑あらず......
明治41年現住石丸徳応識より」の説明書きが建っている。

観音堂【玉川町長谷 横山】

大師堂【玉川町長谷】

七曲り薬師(薬師堂)【玉川町長谷】
2002/2/24

★国道317号線沿いに寺号碑が建っているのが見える。そこから右手に続く車幅1台がやっとの小道を更に進んでいく。普通車では脱輪してしまいそうなほど窮屈な道である。坂を上り詰めたところに、ちょっとした駐車場がある。周りには桜の木が数本植わっている。もうすぐ花見の季節。なかなかの好ポイント・穴場かもしれない。
★境内地からは鬼原方面の見通しが良い。なんとも長閑な風景が広がる。国道317号線と県道154号線(東予玉川線)の合流する三叉路の丘の上には何やら御堂らしきものも見える。
「七曲り薬師」寺号碑
昭和58年、正岡克己氏によって建立された。
・側面には「ありがたや薬師乃里に花ひとえ」という句が記されている。そして、その石碑の横に立つ標柱には、「府中四国霊場第56番 薬師堂」と記されている。
醫王殿
・薬師堂の上部には「醫王殿」と記された額が掲げられている。その横には「おんころころ せんだり まとうぎそわか」という薬師如来真言が掲げられている。
頭痛仏
・「頭痛佛」の文字が書かれた額が中央に掲げられ、その下側に、これまた「頭痛佛」と記された二つの提灯が釣り下げられている。
★頭痛を治す仏様というのは愛媛県内でもなかなか珍しい部類のように思う。最近ストレスのせいか、時折来る頭痛に悩んでいたが、何となくスッキリしたような気分がするのは根が単純な証拠だろうか。パブロンやナロンエースよりもひょっとしたら効くのかもしれない。(薬品会社の皆様、こげなこと言うてすんません)

地蔵堂【玉川町竜岡】
2002/2/24
★コンクリートブロックで築かれた路壁に囲まれるようにして、その小さな地蔵堂は佇んでいる。堂の中には意外にも2体の石仏が祀られている。「このくらいのサイズの堂ならば1体のみが収められているのが愛媛標準なのになぁ」と自分の標準に照らし合わせながら妙に感心してしまう。
★両方とも摩滅が進行しており、顔面ものっぺらぼうの状態になっている。かなり昔から存在するものであろう。真新しい赤い前掛けがかけられており、足元には柔らかそうな白餅が2ケづつ供えられており、地元の人の信仰の厚さが伺える。(以上、2002/2/24記)

五人衆聖霊堂【玉川町鬼原】
2002/2/24
★鬼原集会所から少し北に向いて歩くと、「五人衆聖霊堂 屋根及び参道改修 平成四年十二月吉日」と記された碑が目に入る。右手を見上げると、小高い丘の上に御堂が建っているのが見える。その御堂へと細い道が続いている。標高は10〜20mといったところか。
★上り詰めたところに建てられている御堂の中には五輪塔や石仏が収められている。五人衆がどの時代のどんな五人組を指すのかについては今後調査しなければならない。

延命堂【玉川町桂 蓬来山登り口】
2002/2/24
・延命堂の横には忠魂碑や「国指定重要文化財 釈迦如来奉祀 釈迦堂参道入口 標高四百米 約二千米」、「釋迦如来へ十四丁」などの道標が並ぶ。
堂の前には五輪塔の残骸が数基置かれている。




地蔵

イボ地蔵さん【玉川町】
2002/2/24
★長谷方面からの道との合流点の三叉路に地蔵が座っている。「いぼ地蔵さん」と記された看板が立っている。青々としたシキミが供えられている。一般的にイボ地蔵は、花挿し(正式名称は何というのかはよくわからないが)の水を患部につけることで御利益を与えられるといった謂れを持つ。ここの地蔵もきっとそうなのだろう。本来は辻を守るために建てられた地蔵であろうが、時の変遷の中でいつしかいぼ治癒の能力を獲得したことには敬意を表する。ふと見上げると、地蔵は赤い涎掛けと毛糸の帽子を被せてもらい、誇らしげな笑みを浮かべて座っていた。
農道竣工記念碑
・昭和31年12月起工、昭和37年12月竣工と記されている。




楢原山(奈良原山)【玉川町木地】
2000/7/9
・標高1042m
・奥道後・玉川県立自然公園
子持杉
水分(みくまり)神社:牛神を祀る。
子守神社:明神を祀る。(現存するかどうかは未確認)
山口神社:勝手明神を祀る。(現存するかどうかは未確認)

五葉ヶ森【玉川町】
2000/7/9

作礼山【玉川町】
仙遊寺

蓬来山(釈迦山)【玉川町鍋地/桂】
2002/2/24
 
桂木神社
ナギの木
・町指定天然記念物(昭和38年4月指定)
釈迦堂
菩提樹
★菩提樹の横には「国指定重要文化財釋迦如来像 仏師興慶の作 1268年 標高399.30m 1995年度 玉川中学校制作」と記された看板が立てられている。
蓬来様(蓬来権現)=宝篋印塔
★「蓬来様へ→」の案内標識に従い、釈迦堂の左側から続く遊歩道を上がって行く。遊歩道といっても、整備された道ではなく、踏み跡がどうにか確認できる程度の道である。辿り着いた先には石塔が1基建っていた。「健康長寿 蓬来権現 施主 与和木 山本優子」と記している。その東側には瓦製の小祠が佇んでいる。
展望所
・展望台敷地は元九和村長 大野稔氏の寄贈による。
★「お不動さんへ→」「↑石造宝塔 頂上」の案内板が立てられている。
お不動さん
「健康長寿 不動明王 施主 桂 井出清隆」
★どこに不動が奉られているのだろうかと上下左右を見回すと、露頭の中腹部にちょこんと一体の不動が奉られている。
奉詠碑
奉詠
仰拝す 赤栴檀の 釈迦如来 慈悲の佛の 光輝く
昭和55年4月8日 桂 羽藤フジノ詠讃 年寿九十三歳 宝厳寺住職 里野哲眼建之
鐘撞堂
鐘楼再建記
梵鐘は佛声にして永久大平の道を開く(佛説)
当山鐘楼は明治廿八年梵鐘奉納と共に建立されましたが梵鐘は先の太平洋戦争中に供出を命ぜられ戦後再鋳されたものであります。
建立以来鐘楼は百年を経て参りましたが不幸にして平成三年九月の台風十九号により倒潰しました。併し梵鐘には何の被害もなく茲に山下の桂 鍋地 与和木 御厩部落の檀信徒をはじめ有志相計り再建を念願数多の寄進を得て平成五年三月二十八日再建落慶したものであります。
釈迦堂管理者宝蔵寺住職 里野哲眼
釈迦堂鐘撞堂建設委員会 役員一同


鉱山

川・渓谷

蒼社川【玉川町】

木地川【玉川町】

竜登川【玉川町】
竜登川と観音様

鈍川渓谷【玉川町鈍川】
1998/8/21
・町指定名勝
・林野庁水源の森百選
・えひめ自然百選
遊歩道
・春になると12,000本のシャクナゲが咲き乱れる。
ふれあい橋
・幅員:10m
・橋長:22.0m
・生活環境保全林整備事業により造られた。
水源の森
水源の森橋
ふれあいの森
森林館

蒼社峡【玉川町】


五丈ヶ滝【玉川町】


ダム

玉川ダム【玉川町龍岡下】
1997/10/30
・今治−北条間の県道を進むと、玉川ダムが有る。
・ダム湖畔にはオートキャンプ場有り。
・オートキャンプ場の対岸には玉川公園有り。
・ダム湖は映画「がんばっていきまっしょい」(原作:敷村良子)のロケ地になった。
・春には1,500本の桜が咲き乱れる。
竜岡キャンプ場
竜岡運動公園
玉川ダム湖畔公園
阿部久一翁頌徳碑
ビューパーク玉川
2001/9/28
・玉川ダム湖畔に立地する西日本有数の花木公園。
・春には100,000uの敷地に菜の花が咲き揃う。周囲に桜の花も立ち並ぶ。
★コスモスが満開状態。多くの人が見物に訪れていた。しかし、コスモス観るのに入園料大人400円は高いんやないの?(2001/9/28)
★いつだったろう。コスモス園が寂れ果ててなくなってしまったのは・・・。
玉川湖畔桜祭り
・4月上旬(第2日曜日)に開催


牛追橋【玉川町】
2002/2/24
・木地川にかかる。
・昭和53年3月竣工。
牛追の地名由来


風景

洞窟・鍾乳洞

樹木

子持杉【玉川町木地 楢原山】
・県指定天然記念物
・初代(枯死):胸高幹周 800cm、樹齢 600年以上
・二代目:胸高幹周 665cm

シメ杉(2本)【玉川町中野 豫中神社】

千疋桜【玉川町上木地 千疋峠】
・国指定名勝(昭和16年指定)
・桜の名所

傘桜【玉川町上木地】

ナギの木【玉川町鍋地/桂 蓬来山(釈迦山) 桂木神社境内】
・町指定天然記念物(昭和38年4月指定)
・マキ科の植物

菩提樹【玉川町鍋地/桂 蓬来山(釈迦山) 釈迦堂境内】

カヤ【玉川町畑寺 光林寺】

ブナ【玉川町 楢原山】

ムクロジ【玉川町高野 天満神社】

クロガネモチ【玉川町法界寺】

カキノキ【玉川町葛谷 服部邸】

チシャノキ【玉川町高野 天満神社】




林道小鴨部古谷線
2002/2/24
・幅員3.0m、延長560m

林道窓の峠線
2002/2/24
・幅員3.0m、総延長1572m



千疋峠【玉川町】

仏ヶ峠【玉川町上木地】

窓の峠【玉川町小鴨部】
2002/2/24
林道窓の峠線起点標識
蒼社川水源の森
蒼社川水源の森 
社団法人 国土緑化推進機構の「緑の募金を活用し、今治地方水と緑の懇話会員と、玉川町の小学生・教師全員の参加を得て、今治地方の未来を考えた、清浄で豊かな水資源を涵養するため「蒼社川水源の森」づくりの植林を行った。 
この事業で使用した「緑の募金」は、全国47都道府県の、株式会社ローソン各店舗を通じて、多くの方々からお寄せいただいた寄付金から成り立っています。 
     平成11年11月4日      今治地方水と緑の懇話会

サヤの峠【玉川町/朝倉村】
2002/3/3
・標高270.5m。


吉井勇歌碑【玉川町 千疋峠】
「 大君の 櫻咲きけり かしこみて 千疋峠の 花をおろかむ 」

災害復旧記念碑【玉川町高野 船戸】
2002/2/24
・玉川中学校の南にある。
碑文
昭和四十七年九月八日当地方を襲った集中豪雨は我々の想像を絶する河川の氾濫土石流によって流域の人家をなめ四柱の尊い人命を奪い堤防道路橋梁の決壊流失その惨状は筆舌に尽くせず玉川町有史以来の大被害をもたらした
町並びに町民はこの大自然の猛威にも屈せず直ちに一致協力復旧工事に着手し一方国においては被害の甚大さに処し激甚災害として指定し高率補助のもと早期復旧を促進した国県並びに地方関係各位の尽力により三年有余の歳月と総工費三十三億一百万円を投じ実に九百四箇所に及ぶ災害復旧工事は完成をみた
今ここにこれを記念して長く後世に伝える為経過の概要を述べ復旧工事施行建設業者の芳志によって本碑を建立する
昭和五十年十一月吉日 玉川町長 越智岩太郎撰

ふるさとタイムカプセルの碑【玉川町 玉川総合公園】
2002/2/24
ふる里タイムカプセル
開封日 平成二十一年四月吉日
ふる里を見つめ ふる里に学び ふるさとを愛する
そんな心のよりどころとしてここにタイムカプセルを埋設する
平成元年四月二十三日 玉川町長 渡辺 修

「むらの心」の碑【玉川町】
2002/2/24
事業の概要
工種 年度 事業名 事業量
道路改良 平成元年〜
平成2年
地域改善対策事業鍋地線道路改良事業 1,232m
平成4年〜
平成10年
市町村道路整備事業 725m
圃場整備 昭和63年 農林業地域改善事業 4.9ha
平成元年 農林業地域改善事業 5.0ha
平成4年〜
平成5年
土地改良総合整備事業 3.1ha
溜池 昭和61年〜
昭和63年
農林業地域改善事業 貯水量
7,500m3
総事業費 630,802千円

釈迦参道拡張記念碑【玉川町鍋地 釈迦参道】
2002/2/24
・平成4年3月建立。

越智重太郎翁之碑【玉川町鬼原 鬼原バス停脇
2002/2/24
・鈍川方面へと続く県道154号線沿い、せとうちバス鬼原停留所前にある。
木地川林道創造者 越智重太郎翁之碑

木地川沿岸二千町歩余ノ林産物搬出ハ古来千疋峠ニ還ス坂路只一ツノミ■ニシテ不便言語ニ絶スル状態ナリキ越智重太郎翁■ニ之ガ対■ニ考■木地川線林道開設ノ可能ヲ確メ大正十二年木地川土工施業森林組合ヲ組織大小ヨリ上木地ニ至ル車道本線一万二千米余及ビ分岐支線道三万八千余米ノ林道開設ノ工ヲ起シ二年ニシテ完成爾来林産物ハ車馬搬出トナリ地方振興ニ■興シタル業績偉大ナリ後同路線ハ更ニ巾■松■ノ要ヲ生シ余ハ父ノ志ヲ継キ四ヶ年計画ヲ以テ完成スルヲ得タリ茲ニ竣工ヲ記念シ本碑ヲ建立ス

  昭和二十六年晩春 鈍川村森林組合長 越智岩太郎誌

越智岩太郎君之碑【玉川町高野 船戸】
2002/2/24
・玉川中学校の南にある。
越智岩太郎之碑

鈍川村越智岩太郎氏ハ地方開発事業トシテ山本補助堰及下流水路六千七百米ノ改修計畫ヲ樹テ昭和二十六年一月土地改良區ヲ設立シ縣営事業トシテ同年二月着工翌二十七年三月竣工セシム爾来水利ノ便大ニ富ミ地方振興に寄與シタル業績洵ニ偉大ナリ茲ニ本碑ヲ建立ス
昭和二十七年六月吉日
蒼社川沿岸土地改良區
理事長 越智 桝蔵
常務理事 湯山 武
理事 青野 昇、越智 兼一、..

阿部久一翁頌徳碑【玉川町龍岡下 玉川ダム湖畔公園】

・越智伊平書
・昭和38年3月、森林組合合併記念に建立した。

徳生ひろばの碑【玉川町 玉川総合公園】
2002/2/24
商イハオ客サント共ニ榮エ 利運ノ財ハ元ノ社会ニ還元スル
この言葉は玉川町大字鍋地出身で市川市在住の名誉町民徳生忠常翁の日頃の信条である
 翁は明治三十四年萬翁の長男に生まれる。生来の虚弱体質にも拘らず幼少より苦学力行し小学校教員免許取得後更に師範学校に学ぶが許されず昭和三年金拾圓を懐に上京し月賦販売業界に身を投じたその後■励■勤遂に昭和二十五年株式会社九興を創立するに至った
翁はふる里を愛する心篤く常に玉川町の発展を願い野に在って町政各般に亘る支援協力を惜しまず特に町民の健康と融和を図るため計画したこの多目的広場の件説に賛同し巨額の浄財を寄附された
 この功績を記念して翁を永久に讃えるため当所を「徳生ひろば」と命名し之を建立した

徳生忠常翁頌徳碑【玉川町】
2002/2/24
・御厩・桂方面と鍋地方面の分岐のところにある。
・昭和47年に建立されたもの。
・碑文は非常に読み辛い。

徳生翁頌徳碑【玉川町鍋地 寶林寺】
2002/2/24
寶林寺再建を記念して
當寺の造営は久しく地域住民の念願でありました
徳生忠常翁においてはこの由を聞くに及んで進んで多額の浄財を寄贈していただき斯くも立派な佛閣が再建でき檀家中の多年の念願が成就しました。
ここに檀徒ひとしく翁に対し深甚なる感謝の意を表わしこの碑を建立してその篤志を顕彰し代々永久に傳えることといたします
昭和五十四年二月吉日 寶林寺檀家中

寺尾熊一翁頌徳碑【玉川町竜岡】
2002/2/24
明治四十二年当部落ニ於テ部分林ヲ持ツテヨリ次ニ掲ル方々ワ長年ニ亘リ奉仕ニヨリ植林育成に努力サレルト共ニ育成シタ立木ノ収益ニヨリ部落内幹線道路ノ新設等々部落ノ発展強化ニ■サレタ功績ヲ称エ茲ニ之ヲ建立ス
功労者
井門.....平成五年五月吉日 中通部落


公園

玉川総合公園【玉川町】
1998/5/3、2002/2/24
徳生ひろばの碑
ふるさとタイムカプセルの碑


祭り

イベント

施設

森林館【玉川町鈍川 鈍川渓谷】
1998/8/21
・1994年11月建設に着手。1995年3月完成予定。
・木地川沿いにある「水源の森」の一角に建設
・延べ 135uのあずまや風。
・鈍川渓谷の渓流(木地川)沿いの道を上っていくと、やがて緑色の三角屋根の建物と公園が見えてくる。
・ここ森林館の館内には、森に棲む動物の剥製や、昔森で働いていた人達が使っていた機材を展示している。また、自然関連の書籍が収蔵されている。
・開館時間:8:30〜17:00
・休館日:水曜日(水曜日が祝日のときは翌日)、12月29日〜1月3日

玉川近代美術館(徳正記念館)【玉川町大野 甲86-4】
・玉川町出身の名誉町民・徳正忠常(とくせいただつね)翁が私財を提供し「美しい町の小さな美術館」として創立した。
黒田清輝松本竣介野田英夫などの作品を展示している。ピカソ、シャガール、ダリ、ユトリロなど海外著名画家のものも小作品ながら収蔵されている。
・開館時間:09:00〜17:00
・休館日:月曜日、12月27日〜1月1日
国宝銅宝塔
・国指定重要文化財

鈍川せせらぎ交流館【玉川町鈍川 甲218番地1】
2000/7/9
・鈍川温泉郷に入るちょっと手前のところに造られた温泉リゾート施設。
・渓流は公園として整備されていて、川遊びが出来る。
・1997年に鈍川ふれあいの里整備事業の一環として建設・オープンした。
・泉質はアルカリ単純泉。
・露天風呂、音波風呂、薬湯など7種類の浴槽・サウナを設けている。
・開館時間:10:30〜21:00(20:30札止め)
・休館日:第2,4月曜日、1月1日、12月31日

玉川湖畔の里【玉川町龍岡】
2002/2/24


学校

鈍川小学校【玉川町】
旧鈍川小学校二宮金次郎像台座
・国登録有形文化財(平成14年)
・昭和11年(1936)に、教師・児童が河原の石を積み上げて建築したもの。

「龍岡小学校跡」の碑【玉川町龍岡】
2002/2/24
天神社の南側。ダム湖畔にある。
・碑文には、
(表面)
龍岡小学校跡
・平成3年2月吉日建立
(裏面)
沿革
・明治20年4月 龍岡尋常小学校五反地に創立
・大正2年1月 校舎新築落成 この地に移転
・大正3年4月 龍岡尋常高等小学校に改称
・昭和16年4月 龍岡国民学校に改称
・昭和22年4月 龍岡小学校に改称
・昭和27年4月 木地分校を設置
・昭和44年3月 玉川ダム建設により木地分校共に九和小学校に統合 八十有余年に及ぶ輝かしい伝統の校.....
と記されている。

龍岡小学校木地分校跡【玉川町竜岡】
2002/3/3
・昭和27年4月1日設置、昭和44年3月31日閉校。


温泉
 

鈍川温泉【玉川町鈍川】

・国道317号線から約2.5km入った渓谷にある。
伊予三湯に称される。
・この温泉は、奈良時代から湧出していたと伝えられている。本格的に開発されたのは、今治藩主が湯治場を建設したのが始まりで、歴史的にも由緒ある温泉郷である。
・「伊予の仙境」と呼ばれる温泉郷。
・泉質はフッ素及び硫化水素を含むアルカリ性単純泉で、極めて肌触りが良く、慢性胃腸病などの疾病症に特効があるといわれている。美肌効果もあり、「美人湯」として有名である。
・「山部ながらも鈍川名所道後まがいのお湯が出る」と俗謡にも歌われる。
・桜と紅葉の名所として知られる。
・古くから「湯野谷」、「楠窪湯」と呼ばれ付近の住民に利用されていた。
 
源泉名:玉川鉱泉
泉質:低張性アルカリ性冷鉱泉
泉温:源泉22.0℃、使用位置42℃
温泉の成分:
@pH値:9.9
Aラドン含有量 3.4×10^-10 Ci/kg
禁忌症:急性疾患(特に熱のある場合)、活動性の結核、悪性腫瘍、重い心臓病、呼吸不全、腎不全、出血性疾患、高度の貧血、その他一般に病勢進行中の疾患、妊娠中(特に初期と末期)
適応症:神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、打ち身、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進
句碑(別館美賀登前)
・昭和50年2月、村上義玉により建立された。


伝説

牛に乗った神様【玉川町】
 
 
たごりの神様
・今から600年ほど前、長慶天皇は敵軍に都を追われて桜井国分寺から奈良原山へ逃げて来られた。途中八幡の栄福寺の裏山まで来られたとき病気に罹り、高熱で一歩も動けなくなった。
・その夜、天皇は夢の中で「お宮をつくっておまつりをしたら何もかもうまくいくであろう」との御告げを受け、早速お社を立てて一生懸命祈りを捧げた。すると忽ち平癒した。この社が八幡のたごりの神様である。
牛の爪の地名由来
・やがて天皇を追いかけて大勢の敵軍が攻め寄せてきた。天皇は「こんなに攻め込まれると人間の足では逃げきることができぬ。」と考え、牛に飛び乗り大急ぎで逃げた。このときに牛の爪痕が石に残ったのでこの辺りを「牛の爪」と呼ぶようになった。
・牛に乗った天皇は、高野の愛宕山まで逃げ延びることができた。畑寺にある白山神社裏の大石にも牛のひづめの跡が残っている。
血を吸わないヒルの話
天皇を乗せていた牛が谷川の水を飲んでいるとヒルが牛の足にくっついて血を吸った。哀れんだ天皇は牛のためにヒルが血を吸わぬようにまじないをした。それから畑寺のヒルは血を吸わないようになった。
馬切の地名由来
しばらくするとまた敵軍が攻めてきたので、今度は馬に乗って逃げることにしたが、長谷の余中のところで馬が倒れてしまったので、馬を切り倒して徒歩で山奥へ逃れていった。この場所を馬切と呼ぶ。
牛追の地名由来
徒歩で逃げる天皇を見て一人の村人が赤い牛を差し出した。天皇は爪痕が逃げる方向とは逆の方向につくようにと、牛を後ろ向きに歩かせた。
千匹峠
こうして天皇はようやく奈良原山に辿り着いたが、とうとうここで亡くなられた。そこで人々は天皇の魂を慰めるために千本の桜を植えて弔った。千馬に乗って戦った場所であるためこのような名前が付けられたという。

犬塚池【玉川町別所】
・昔、栄福寺と仙遊寺に黒毛のお使い犬がいた。山の上の仙遊寺で鐘が鳴ると山へと駆け上り、栄福寺の鐘が鳴ると山を駆け下りるという大変利口な犬であった。
・ある日、栄福寺と仙遊寺の鐘が同時に成ったため、犬はどちらに行っていいのか分からなくなり、これではお寺の御用が勤まらないと悲観し、池に身投げをしてしまった。
・村人は哀れに思い犬塚を設け、この池を犬塚池と呼ぶようになった。
「八幡村別所村に跨る 東西六町南北四町回り二十四町二間十六ヶ村の養水となる 堤の下に犬塚あり 伝へいふ 昔し犬あり 仙遊寺と栄福寺と両寺に愛せられしか 仙遊寺に鐘鳴れば佐礼山に来り 栄福寺の鐘鳴るときは八幡山に登る 或時両寺の鐘一時に鳴りければ南北に狂ひ走り遂に此堤下に斃て死しけり仍て此所に塚を築く 犬塚是れなりといふ 」(伊豫温古録)

竜登川(りゅうとがわ)と観音様【玉川町】
・昔、竜女が海から竜登川を伝わって佐礼山へ上り、立派な観音像を作った。竜女は一刀刻むごとに三度礼拝し、何日もかけて観音像をこしらえた、
・観音像が出来上がると、竜女は再び竜登川を下って海へと帰った。
・その後、旧暦7月9日になると決まったように龍燈が竜登川を伝わって佐礼山へと上り、仙遊寺にある桜の木にかかったといわれている。
・この桜の木は現存しないが、明治初年頃までは見ることができたという。


キャンプ

龍岡キャンプ場【玉川町龍岡】
2002/2/24
・天神社南側の玉川ダム湖畔・龍岡小学校跡地に設けられている。
・炊事場が設けられており、公衆トイレも設置されていて、まぁキャンプ場らしいといえばらしい。オートキャンプが出来るのなら、活用するのも悪くないように思う。
・ちなみにこのキャンプ場は、「ダム周辺環境整備事業」と称して整備・造成されたもののようである。キャンプ場脇の説明板には、
ダム周辺環境整備事業概要
 この公園はダム貯水池および周辺の自然を好ましい環境として一般利用者に提供するものであり、自然美を味わいながらのレクレーションに又スポーツ広場として行楽と健康増進に役立たせるために造成されたものです。又この貯水池は総貯水量9,900,000m3、標高155.80m(常時満水位)で河口より約15kmの地点にあり、洪水調節と都市用水(上水、工業用水)および農業用水の補給を行っており、大切な水を守るためみなさんのご協力をお願いします。
と記している。


海水浴
※玉川町には海はない!

人物

その他


《References》



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