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伊予の隅々
こたろう博物学研究所
市町村別情報庫
今治市
(旧・大西町)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要


キャッチフレーズ
(1).「活力とゆとりをそなえた海と緑の田園都市」
(2).「みかんと造船のまち」

町の花 町の木 町の花木 町の鳥
ツツジ ヒノキ


特産物

沿革
・大和時代、怒麻(ぬま)国の中心地として栄え、奈良時代からは野間郡、藩政時代は松山藩に属した。
・昭和30年3月、大井村と小西村が合併して大西町となった。
明治23年町村制
大井村 宮脇村 宮脇
大井浜村 大井浜
新町村 新町
紺原村 紺原
九王村 九王
小西村 別府村 別府
星浦村 星浦
脇村
山之内村 山之内


地名
大字
宮脇 (みやわき)
→今治市大西町宮脇
大井浜 (おおいはま)
→今治市大西町大井浜
新町 (しんまち)
→今治市大西町新町
紺原 (こんばら)
→今治市大西町紺原
九王 (くおう)
→今治市大西町九王
別府 (べふ)
→今治市大西町別府
星浦 (ほしのうら)
→今治市大西町星浦
脇 (わき)
→今治市大西町脇
山之内 (やまのうち)
→今治市大西町山之内


文化財

今治及び越智地方の獅子舞
・県指定無形文化財(平成12年4月18日指定)
 
脇獅子連:大西町脇
別府獅子連:大西町別府
九王獅子連:大西町九王
多伎獅子舞保存会:朝倉村古谷
鳥生獅子連中:今治市祇園町
高部獅子舞保存会:今治市高部
神宮獅子舞保存会:今治市神宮
矢田獅子舞保存会:今治市矢田
野間獅子連中:今治市野間
延喜獅子舞保存会:今治市延喜
宅間部落獅子連合会:今治市宅間
阿方獅子舞保存会:今治市阿方
杣田獅子舞保存会:今治市杣田
小部獅子保存会:波方町小部
養老獅子保存会:波方町養老
波方青年獅子連中:波方町波方
樋口獅子舞保存会:波方町樋口

妙見山古墳【大西町宮脇】
・町指定民俗文化財[古墳](昭和47年5月22日指定)

藤山古墳【大西町宮脇】
・町指定民俗文化財[古墳](昭和47年5月22日指定)

重茂山城跡【大西町山之内、宮脇/玉川町与和木】
・町指定民俗文化財[城跡](昭和47年5月22日指定)

怪島城跡【大西町別府】
・町指定民俗文化財[城跡](昭和52年1月17日指定)

弓杖城跡【大西町新町】
・町指定民俗文化財[城跡](昭和52年1月17日指定)

尊真親王陵墓参考地【大西町宮脇】

一里塚【大西町宮脇】
・町指定民俗文化財[遺跡](昭和47年5月22日指定)
・札の辻より9里(約36km)を示す。(菊間町佐方が8里、今治市阿方が10里)
「一里塚は道を行く人に距離がわかるように立てた道しるべである。松山の札の辻(現在の松山城西堀端の北端地点で、もとここに松山藩の札場=制札を掲示する場所があった)を原点として、一里(約4km)ごとに立てられたものである。
 この付近の一里塚は
 菊間町佐方に 八里
 今治市(乃万農協の所の四っ辻に 十里
 波方町の樋口(沢の大池の所)に 十里
 波方小学校の所に 十一里
の一里塚の石標が立っていたが、今では紛失して見られない所もある。この一里塚は当初は木の柱であったが、寛保元年(1741)祐筆水谷半蔵が達筆をふるい、石柱になったという記録が残っている。
 大西町教育委員会」

衣笠の弁天【大西町山之内】
・町指定民俗文化財[遺跡](昭和52年1月17日指定)

九王地蔵堂【大西町九王】
・町指定有形文化財[建造物](昭和47年5月22日指定)

井手家文書(1巻)【大西町紺原】
・町指定有形文化財[古文書](昭和47年5月22日指定)

越智家文書(1巻)【大西町星浦】
・町指定有形文化財[古文書](昭和56年3月16日指定)

山本雲渓絵馬【大西町 大井八幡神社】
・町指定有形文化財[絵画](昭和53年4月10日指定)

山本雲渓絵馬【大西町 諏訪神社】
・町指定有形文化財[絵画](昭和53年4月10日指定)

祭行列(1幅)【大西町 諏訪神社】
・町指定有形文化財[絵画](昭和53年4月10日指定)

右馬允の五輪塔群(8基)【大西町山之内】
・町指定有形文化財[石造美術](昭和60年6月24日指定)

奴踊用具【大西町宮脇】
・町指定有形文化財[歴史資料](昭和54年30月15日指定)

おひつ岩【大西町山之内乙99】
・町指定民俗文化財[遺跡](昭和60年6月24日指定)

大岩さん【大西町紺原甲691】
・町指定有民俗文化財[遺跡](昭和61年4月15日指定)
・西之谷の山中にある三つの大岩で、一番上のものを「月読命」、一番下のものを「大岩大明神」という。
・ある日、某かの夢に枕神が現われ、岩を祀ると良いことがあると告げた。その通りにすると本当に良いことが起きたので、霊験あらたかだと囁かれた。

クロガネモチ【大西町山之内 加茂神社】
・町指定天然記念物(昭和56年3月16日指定)

大樟【大西町新町】
・町指定天然記念物(昭和47年5月22日指定)

びゃくしん【大西町新町】
・町指定天然記念物(昭和47年5月22日指定)

山桃【大西町 大井寺】
・町指定民俗文化財[天然記念物](昭和60年6月24日指定)

鳶烏山【大西町九王】
・町指定民俗文化財[名勝](昭和52年1月17日指定)



城址

重茂城跡【大西町】

・天正13年(1585)、中国地方を征服した豊臣秀吉は、小早川隆景を総大将として土佐の長曽我部元親が統一する四国の征伐を始め、伊予に攻め込んだ。30,000余の軍勢を率いた隆景は、越智郡の諸城を攻撃し、西へ侵攻して、ついに伊予国守護職河野氏の本拠地湯築城を攻め落とした。
・この戦いのとき、河野氏の武将岡部十郎(国道(くにみち))は重茂城に立て篭もり奮戦したが、ついに落城・降参した。
・一説に戦死したとも伝えられるが、この重茂城の落城については色々な伝説が残されている。
・「重茂城 宮脇村の南方重茂山の頂に在り 一に重門とも書す 或いは十文字城ともいふ 高田左エ門通成(みちなり) 又徳井左馬介通平居る」(伊豫温故録)

・町指定史跡(昭和47年5月22日指定)
「重茂山/重門山城(十文字山城)跡
(大西町教育委員会指定)
この城は中世の山城で戦国時代、東側の重門山城は高田左衛門尉通成の城で、西側の重茂山城は同じく岡部十郎国道の城で、二将が仲好く守っていた居城であったといわれている。天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の命を受け、伊予に侵攻して来た小早川隆景軍に両武将共降伏した。後、両武将共旧野間村日吉神社に祭られている。
その近くの巨大な二基の五輪塔(国指定重要文化財)は岡部十郎夫妻の墓と伝えられており、同じ旧野間村厳島神社の裏山には、高田左衛門尉通成夫妻の五輪供養塔がある。
(重茂山標高294m)」」

怪島【大西町】
・昔より怪しき者=海賊が住み着き、沖を通る船を脅かし続けたので、いつしか「怪島」という名前がついた。
・戦国時代には、伊予の豪族・河野氏の将・神野左馬允が怪島城を築城し、全島を要塞化した。
・豊臣秀吉の四国征伐のときには合戦場となった。
怪島城跡
「怪島城 別府村字長島山の海岸より西北海上四町の所にあり 東西一町二十四間 南北三十六間 廻り五町五十二間の島なり 神野左馬允これに居る 武士五騎 足軽二十人 湯月屋形より預る来島の枚城なり 半井云ふ 河野氏の将神野左馬允といふ人の城跡なり 天正年中小早川の為めに亡ひぬ 小松宇野某の家に小早川隆景よりの感状あり
  今度野間郡怪嶋城合戦之刻首五級討取之被太刀疵槍疵二ヶ所忠節神妙也 可励戦功者也 仍而状
  七月十三日  宇野右馬允殿    隆景花押」(伊豫温故録)

「怪島 種子村沖」(予陽郡郷俚諺集)

弓杖島城【大西町】
弓杖島城 新町村の西北海上十町余の所に大小四島あり 東北より南西に羅列す 当城の在りたる島は東西三十二間 南北一町廻二町四十一間 一に梢城ともいふ 野島左衛門太夫居る」(伊豫温故録)

「■(ゆつえ)の城 大井沖に有」(予陽郡郷俚諺集)
■=「弓肖」



遺跡


古墳

衣黒山古墳(いぐろやまこふん)【大西町】

妙見山古墳群【大西町宮脇】

・昭和42年5月、今治市の小学校教諭により古墳が確認された。
・全長50mを越える大型前方後円墳である。
妙見山古墳群1号墳
・2つの竪穴式石槨を持つ前方後円墳
・後円墳の長大な石槨が1号墳、前方部の石槨が2号墳と呼ばれている。
・1号石槨は、妙見山に登れば築造当時の本物の遺構を見る事ができる。

藤山古墳【大西町宮脇】
・町指定史跡


跡地

明堂さん【大西町】
明堂の桜

馬之丞の五輪塔群【大西町】

衣笠の弁天さん(隠れキリシタン遺跡)【大西町】
・重茂城に敵が攻め込み、あえなく城は落ちた。姫と乳母とは何とか逃げたものの、衣笠の地で隠れて休んでいるときに菅笠を敵に見つけられて囲まれてしまった。
 もはやこれまでと、姫は自害した。
 村人達は姫を哀れんで小さな宮を建立した。姫が相撲好きだったかどうかはさておき、供養のために相撲を奉納している。


安養寺【大西町紺原甲606】

大井寺【大西町山之内甲1328-1】
・「大井寺 山内村字井手に在り 由緒に云ふ 文徳天皇皇后染殿妊娠あり 安産を地蔵に祈り給ふて皇子を降誕ありたり 因に地蔵の木造六十六体を彫刻し六十六ヶ国の寺院に勅して永世供養せしむ 当寺本尊は其の一なり」(伊豫温故録)

國恩寺【大西町別府】
1999/7/20
・別府運動公園南側。小高い山の裾にある。
★庫裏があるのみ。特にみどころ無し。(1999/7/20)
★寺の直下にある別府集会所では中年(老年?)男女4人が卓球に白熱していた。(1999/7/20)

真光寺【大西町大西町新町甲320】

成道寺【大西町星之浦】
2005/6/18
・山号:僧都山
・野間郡八十八ヶ所第82番
・堂宇は真新しく、ごく最近になって改築されたもののようだ。堂の前に建つ修行大師像もピカピカの白である。無住の寺らしく、庫裏は現在星浦公民館として活用されている。
・玉垣に「鳥生賢哉」「大鳥産業(大阪)」の文字が並んでいるのが目に留まる。知っている人ではないのだが何となく気になる。
修行大師像
六地蔵

法隆寺【大西町大西町宮脇甲1419】

明専寺(みょうせんじ)【大西町脇1277】
富山八幡宮の入り口にある。
・裏に古墳があり、綺麗な貝殻の入ったすきやの箱が出土した。
・門燈が波方・波止浜など7ヶ所にある。

明堂院【大西町大西町山之内乙86-1】


神社

碇掛天満宮【大西町星之浦】
1999/7/20
・880〜901年にできたものと考えられる。
・境内の牛像を撫でた手で自分の頭をさすると頭が良くなると言われる。
→See.天神山
★鎮座している山の裾をぐるっとまわって南側の線路脇の参道登り口までは行ってみたのだが、足が疲れ気味なので登るのを挫折。(1999/7/20)
参道入口碑
・国道196号線の道端に建っている。
・「大宰府天満の御分霊を祭祀する 碇掛天満宮」
地蔵祠
・国道196号線の道端、参道入口。
・祠の中に2体の地蔵が置かれている。
交通安全祈願やく除け地蔵
・昭和51年3月
天神踏切
・アンパンマンのキャラクターが描かれた「特急しおかぜ」が走り抜ける。
社号碑
・畴谷孝書、大正3年8月
鳥居
・昭和11年10月
「不撓不屈」の碑
・"菅金助君碑……昭和25年4月 池田敬八題額並撰 埜本白雲書"と記されている。
大山祇神社?
・鳥居を潜ってすぐ、参道からそれて左に上がったところに小社がある。小さな立石1基と札が1枚かけられているだけである。札には"大山祇社一宇氏子祈久"と記されている。
注連石
・明治33年3月
鳥居
・享保6年8月
宝来荒神社(境内末社)
・平成11年5月
・国造の神
大山祇神社
・昭和61年(1986)5月
・山の守護神
狛犬
・「願主 檜垣重孝 家内一同」とある。檜垣重孝氏は、先ほどの星神社の説明に出て来た人物である。
・昭和7年9月
石灯篭
・昭和63年(1988)5月
石灯篭
・平成元年8月
若宮神社(境内末社)
・昭和62年(1987)10月
・地鎮の守護神
牛像
「天神様と牛
 天神様と牛にまつわる説話はいろいろありますが、一般的には菅公が自分の遺骸を車に乗せて人にひかせずその牛の行く所に止めよと自らご遺言されその牛は黙々と歩いて大宰府の四堂のほとりでにわかにうずくまり動かなくなりその地に埋葬した道真公がいかに深く牛を愛しておられたかがわかると思います。
 いつの頃からか自分の患部と同じ牛のところを交互に撫でると全快する、頭を撫でると知恵が付くなどの信仰があります。」
手水石
碇の奉納品
・平成3年5月
拝殿
・拝殿内部には歴代神主の写真が掲げられている。
・拝殿内右側に神輿が置かれている。
保志崎神社・御先神社(境内末社)
・昭和61年5月
・保志崎神社:海上の守護神
・御先神社:嚮導の神
碇の奉納品
・厄除祈願として越智敏行氏により奉納されたもの。
・昭和61年5月

大井八幡神社【大西町宮脇甲1437-1】
1999/7/20
・祭神:阿佐利命(あさりのみこと)、若弥尾命(わかみおのみこと)、品陀和気命(ほんだわけのみこと)、帯仲津日子命(たらしなかつひこのみこと)、息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)、三筒之男命(さんづつのおのみこと)、武内宿禰(たけうちのすくね)、玉依比賣命(たまよりひめのみこと)、尊真親王(たかざねしんのう)
・社伝によれば、文武天皇の詔勅によって大宝2年、乎智宿祢玉純(おちのすくねたまずみ)が奉行となって神殿を建営し、風速野間の国造であった阿佐利命、怒麻国造若弥尾命の2柱を崇祀して大井宮と称した。
・後に清和天皇の貞観元年に宇佐八幡大神を山城国男山に勧請の時、航路にあたる当郷の弓津恵島(ゆづえじま)に船泊した時。八幡神の神託があり、河野深躬が垂迹の智に八幡宮を勧請し仮神殿を建立奉斎した。
・寛平2年後醍醐天皇の皇子尊真親王がこの郷で崩御され、その霊を当社に合祀した。
※寛平2年は西暦890年であり、後醍醐天皇の御宇ではない。醍醐天皇の皇子か?
境内社:稲荷神社
大井八幡神社の奴行列
山本雲渓の絵馬

大河内神社【大西町山之内】
2005/6/18
鳥居
・大正15年
注連石
・昭和2年

加茂神社【大西町山之内】
1999/7/20
・明治35年に勧請された。
クロガネモチ
・大西町指定天然記念物(昭和56年3月16日指定)
・太さ(根回り)5.15m、樹高20m、
推定樹齢250年。
・社地は古墳だったと考えられ、この木も神社建立以前の古い樹木と考えられる。

貴布祢神社【大西町】

九王龍神社【大西町】
1999/7/20
・雨乞いの神として信仰が厚い。
★マリンスポーツに興じる若者達、海パン姿で海の家の廃墟の屋根から飛び降りる高校生を横目で見ながら立ち寄ってみたが、これといって特筆すべきことは無し。継ぎ獅子の時以外はみどころ無しか。(1999/7/20)
海上の鳥居
龍神社の船上継ぎ獅子
・春祭5月18日(19日? 今では5月の第3日曜日)に行われる。
・立ち芸としての継ぎ獅子は今治・越智郡一帯において今も受け継がれているが、ここの継ぎ獅子は船上で行われるのが興味深い。
・神社を出発した神輿は、海を渡り、各地区を巡幸する。それに供奉するために、船上で行われる。

正八幡神社【大西町大井浜】
2005/6/18
・一里塚より線路を挟んで北側に鎮座する。
・拝殿脇には亥の子石が2つ置かれている。(2005/6/18)
「主祭神 誉田別命(応神天皇)
 合祀祭神 大己貴命(大国主命=大黒神)
 事代主命(恵比須神)
 菊理姫命(白山姫命=白山神社祭神)
 御由緒
 清和(せいわ)天皇の代、貞観(じょうかん)元年(859)宇佐八幡宮を京都の男山に勧請する途上、弓杖湾(ゆづえわん)に船泊りした時、御神託により大井浜にも仮神殿を造って斎祀した。その後、宇多(うだ)天皇の代、寛平(かんびょう)2年(890)に大井宮に合祀して大井八幡宮と改号されたが、その後また御神託により旧神域にも斎祀し正八幡宮と称号した。故に大井八幡大神社との関係は御鎮座以来きわめて深く、現在に及んでいる。
 明治初年、官令により大井浜村の村社と定められ、村内にあった他の社を合祀した。明治42年に内務省令により、大井八幡大神社に合併され、その摂社となったが、第二次大戦後、御神霊をまた旧神域の現在地に遷座し斎祀することとなった。」
社号碑
・昭和58年10月

諏訪神社【大西町】
・「諏訪大明神社 宮脇村に在り 健御名方命 大己貴命 富止多良伊須々岐比女命を祭る 暦応三年五月これを創建せり」(伊豫温故録)
※諏訪ノ鼻(別府)に鎮座する諏訪大明神のことだろうか?
諏訪神社祭礼絵馬

素鵞神社【大西町紺原】
・旧村社
・祭神:大山積命、高おかみ神、雷神
・仲哀天王の御代(728年)、怒麻の国造・若弥尾命(わかみおのみこと)が大山積命を祭った。
・紺原の名は「神野原」に由来するものであろう。
・明治4年に滝之宮と牛頭天王宮を相殿に祀り、素鵞神社と名を改めた。
素鵞神社の船御輿

天神社【大西町山之内】
2005/6/18
鳥居
・明治30年
注連石
・大正14年
末社殿(三島神社、貴布祢神社、荒神社)
社号碑
・明治44年1月 本谷側氏子中

星神社【大西町星浦】
・隕石を祀ったもの。昔、星浦に星が落ちてきて、それを拾って子供達が遊んでいたところ、村全体に悪病が広がったため、村人達は神の怒りだと考え、怒りを鎮めるためにと祀った。
・昭和9年旧暦8月再建。
※隕石が放射能を含んでおり、これによる急性放射線障害が起こったとも考えられるのではなかろうか。
2005/6/18
 天神踏切のところで墓掃除に行く途中の老翁をつかまえて星神社の場所を教えてもらう。「あそこんとこがカズさんとこでな、そしてその横に越智さんとこがあって、そこの先を右に折れて少し上ったとこよ」と親切丁寧にお教えいただいた。固有名詞が混じったりの説明で、微笑ましくも思える。とにかく有り難いことだ。
 星神社の解説を記した説明板が立っているが、文字が薄れて写真に写りそうにない。仕方ないので書写する。
「星浦幟立に隕石をまつった星神社がある。昭和12年に創立600年祭を行っているので創建は南北朝時代ということになる。
 昭和9年8月の神社再建の棟札に、当時の神主小池通忠氏の名が記され、世話人として桧垣重孝井手正雄井手亀太郎越智喜平太山本忠則越智頼一井手弥市越智和吉越智繁信各氏の名が挙げられている。
 それより100年余り前の棟札も保存され、当時の様子がうかがえる。それによると、弘化3年(1846)野間郡星浦村星大明神拝殿社を再興し奉るとあり、神主小池備前正藤原篤忠、庄屋越智為之助、組頭五右衛門、同七左衛門の名が記され、なお裏には産子村中繁栄祷ると書かれ、建築にあたった宮脇村大工栄治の名もみえている。
   大西町 緑の少年団 」
 現在の拝殿は、昭和62年3月に建築されたもののようである。
 隕石を祭祀したというが、境内のどこにも隕石らしきものは見当たらない。
 道の上の墓のところから「おわかりになられたかな」と声をかけていただく。「はい、お蔭様でわかりましたよ。ありがとう」と丁重に御礼を述べる。

間所神社【大西町山之内】
2005/6/18
・村社
社号碑
鳥居
注連石
公園
手水石
金刀比羅神社・若宮神社(境内末社)
クスノキ
長本明一翁遺徳顕彰之碑
 平成7年11月 長本明一翁遺徳顕彰会
 年譜業績撰並書 近藤福太郎
「年譜 明治26年12月14日、広島県豊田郡大長村(現豊町大長)で父七之丞の二男として出生。明治41年大長尋常高等小学校卒業。成人すると共に、家業のみかん作りに取り組む。昭和5年大長みかん出荷組合の結成に尽力し、その役員となる。当時より大長に於ける園の拡大の限界を知悉していた翁は、小西村に適地が求められる事を知り、昭和7年6月、翁39歳、妻子五人と共に、小西村山之内に移住する。
 翁は山之内で大長以上のみかんを作り、そのよさを知ってもらうべく妻子と共にみかん作りに情熱を傾注する翁に刺激され、小西村のみかん栽培は年を追って盛んとなり、小西みかんの名声は、次第に高まっていった。然し翁も齢には勝てず、昭和54年1月惜しくも86歳で逝去される。

業績
 翁は青年時代より家業のみかん作りに精励、積極的に開墾を勧め園を拡大する。又接木の研究をし良種の増加に努める等、みかん栽培の先導的役割を果す。更に撰果場に勤務し阪神市場の開拓に努力。昭和5年出荷組合結成に尽力役員になって活躍。昭和7年小西村に来住後は大長に勝るみかん村を目指し決意を以て専心努力する。
 小西の人々も翁に刺激されみかん作りに興味と関心が高まりその有利性を認識。みかん栽培熱は急速に高まっていった。翁は開墾にも先鞭をつけ開墾助成金を受ける。これを契機に開墾組合が続々誕生。尚翁は農道整備にも努める。更に阪神市場へ直接箱詰め出荷販売を実施し共同撰果場の建設。手動式撰果機を導入し生産者による共同出荷の道を拓く。翁の活動により小西全域のみかん栽培に拍車がかかり(西)みかん王国出現の原動力となる。

幸木神社【大西町星之浦】
2005/6/18
・星之浦上側の道端に鎮座。
・現在の社殿は昭和63年12月に建立したもの。

牛神社・荒神社・犬神社【大西町星之浦】
2005/6/18


お堂

九王地蔵堂【大西町】
1999/7/20
・野間四国八十八ヶ所 第26番札所
・大西町指定文化財

・九王地蔵堂は、享保6年(1721)左甚五郎の流れをくむといわれる名工・阿波大工によって建てられたと伝えられている。
・反りのある屋根の勾配の美しさ、素晴らしい正面の唐獅子並びに龍の彫刻、更に格子天井など、それら全体がよく調和した美しさを見せている。堂の中に三体の地蔵尊が祀られており、堂の周囲には、庄屋であった村瀬家の立派な墓石や、他の家の墓石がたくさんある。
・また藩政時代のいつの頃か、地蔵尊の参詣者がたくさん増え、賽銭が多く集まったので、そのお金で御堂を建てることを松山藩の役人に願い出たが、農民に倹約を勧めていた時代で許可が出難かったので、葬式の焼香場として必要であることを理由に願い出て許可を得たとも伝えられている。
※三体の地蔵に祈ると金持ちになれるという。


あしかさん【大西町宮脇】
・古墳の上に祀られる。
・南北朝時代に南朝軍を追ってきた足利氏一族の墓ともいわれている。

脇塚(新田さん)【大西町脇】
新田義貞の弟・脇屋義助は、南朝の勢力を高めるために興国4年(1342)4月に今治の浦に上陸し、国分城に入城した。しかし、南朝方が意気あがろうとした矢先、義助は病死してしまった。
義助と親しかった大井寺の義泰法印(よしやすほういん)は、義助の遺体を夜中密かに脇の清水谷へと運び、御堂を建てて懇ろに葬ったという。


地蔵

古寺地蔵堂【大西町新町】
・もとは真光寺と称した。
・真光寺の移動に伴い、松山藩がここに処刑場を設けた。
・数百年にわたり罪人が処刑された。
・延喜村の庄屋・八木忠左衛門(やぎちゅうざえもん)は、村人が税金に苦しんでいるため松山藩主に減税を申し入れたが、上申は当時は重罪。忠左衛門とその子は斬首された。
・村人達は忠左衛門のために地蔵を建立した。
 

指切り九郎兵衛地蔵【大西町宮脇】
 
●山本九郎兵衛(やまもとくろべえ)

慶長9年(1604)、宮脇村(今の大西町宮脇)の庄屋・山本家に生まれる。

九郎兵衛は「山本九郎兵衛」という名前よりはむしろ「指切り九郎兵衛」という呼び方の方が馴染みが良いであろう。「指切り」というとえらく物騒な名前だが、その由来を辿れば責任感のある立派な人間像が浮かびあがってくる。

九郎兵衛が庄屋を務めた頃、松山藩の租税は「六公四民」、即ち出来高の60%は藩が税として取り上げ、残り40%が民衆の取り分であった。実際にはこれに附加税みたいなものが加わり、出来高の70%ぐらいを持っていかれ、農民達は苦労を強いられたのである。

見かねた九郎兵衛は、当時租税対象から外れていた綿の栽培を奨励した。田圃も少ない大西の地では綿の栽培は好都合であり、忽ち大きな収穫量を得るまでになった。

延宝年間(1673〜1680)、年貢徴収のために稲の収穫量を検査する「検見(けみ)」に訪れた役人は、その見事なまでの綿の出来映えを目にして、無税だった綿にも税をかけようと思い付いた。しかし、九郎兵衛は、民衆のことを思い
「今まで無税だったのに何故課税するのでしょうか」
と訴えた。ところが役人は、
「無税?それでは無税であったことの証拠があるのか?」
と切り返した。

あいにく、九郎兵衛は綿が無税であることを示すような書類など持ちあわせてはいなかった。しかし、このまま引き下がるわけにはいかない。思案した九郎兵衛は、
「少々お待ちくだされ。今すぐにお持ちしましょう」
と奥の部屋に退いた。

しばらくして九郎兵衛は再び役人の前に戻ってきて、白い布包みを役人に差し出した。
「これが証拠にてございます」
役人がその包みを開けてみると、その中には血に染り痛々しいばかりの切り落とされた指が入っていた。役人は仰天するとともに、九郎兵衛の潔さ・責任感の強さにいたく感銘し、九郎兵衛の訴え通り綿への課税を取り止めたという。

綿への租税を免れた民衆は、「指切り九郎兵衛」と呼び、その徳を頌えた。

九郎兵衛はその時の無理がたたったのかどうかは定かでないが、延宝8年(1680)74歳で逝去した。九郎兵衛の墓は丸山墓地の入口にあるという。

びっくりさん【大西町別府】
・女僧の墓というが、イボができたときに蛸の絵を奉納するとたちどころにとれるというので「びっくりさん」と呼ばれるようになった。
・昔は7月14日に盆踊りを奉納していた。

地蔵、六地蔵【大西町星之浦】
2005/6/18
・幸木神社より小道を南西に少し上がったところにある。




重茂山【大西町】
2005/6/18
・標高294m。
・「じゅうもんさん」とも呼ぶ。十文字城とも記す。
※2005/6/18
 15:42登山開始→15:54山頂。歩行距離約400m。登山道を取り巻く木々はクヌギ系統の落葉樹主体であり、歩いていてなかなか心地良い。
重茂城跡

鳶鴉山【大西町九王】
 
鳶鴉山展望台

天神山【大西町星浦】
・「天神山 星浦村字天満に在り 伝へいふ 昔し 延喜元年二月菅原道真筑紫に貶さるるや 舟安芸国御手洗沖を過ぐる頃風雨俄かに起る 因て碇を此山下に卸す時に歌を詠す
   風こそは 波のはらをは たてさせし とかなき舟を ゆりうつむとは
稽留数日に及びければ山上に於て板屋を営み 此に移る時に天猶ほ寒く風霰しきりに至る 即ち又歌を詠す
   はらはらと 霰ふる家の 板ひさし 苔むすかたは 音はしぬとも
 終に其の碇を留めて去る里民 公を慕ひ今に至り 其の碇石を敬すること神のごとし
 按ずるに菅相公風難にて越智郡桜井浜へ上陸す それより陸行にて温泉郡に至り 窪田村に滞留せらる 其の路次 桑村郡壬生川村にも相公の休憩所の跡といひ伝ふ所あり 然るに此旧跡あれば桜井より猶ほ又船にて温泉郡へ出られたるに似たり されど此歌の体を考ふるに相公の自詠とは認めがたく 恐らくは後世好事家の戯作ならん」(伊豫温故録)
→See.碇掛天満宮


鉱山

川・渓谷

天満川【大西町星之浦】
2005/6/18

岩なべ川
・天満川水系。土石流危険渓流。




ダム

ドンド橋【大西町星之浦】
2005/6/18
 天満川に架かる。平成14年1月竣工。
 ドンド橋とは何とも変わった名前である。
 「ドンド」という言葉ですぐに思いつくのは「ドンド焼き」(道祖土焼)である。きっとこれと無関係ではないはずだ。


風景

鴨池海岸【大西町】
鴨池海岸から眺める夕日は格別である。
・平成9年(1997)の夏、映画「がんばっていきまっしょい」(敷村良子原作、磯村一路監督)のロケ地。
鴨池海岸の夕映え(大西町)
夢海道50景(読売新聞社選定)

九王海岸【大西町】

別府海岸【大西町】

諏訪ノ鼻【大西町別府】
2005/6/18
 海水浴に絶好の場所である。砂浜が広がっている。
 北東には弓杖島が見える。
 沖合いに怪島(けしま)が見える。まるでプリンを逆様にして浮かべたような綺麗な台形をしている。
 貝掘りに訪れていた近所のおばちゃんに「あれ怪島ですよね」と念押し確認する。
 「あそこに渡る船、出てませんかね?」と尋ねると案の定「ないよ」との回答。
町民運動場
諏訪大明神
・扉は開きっぱなしで、神体らしきものは消え失せている。どこかに引越してしまったものだろうか。


洞窟・鍾乳洞

樹木

明堂の桜【大西町】

旧大庄屋井手家の楠【大西町新町】
2005/6/18
・井手家の庭にある。
・周囲5m、推定樹齢350年
・「クスノキ
根廻り 5.00m
樹高 25m
樹齢 350年以上
 この木のある旧大庄屋井手家は、天正13年(1585)に初代井手清右衛門が当地に居を構え、大屋根に置かれた天水瓶は、大阪の陣のとき徳川方に味方した功績により特別に認められたものだと言われています。当時は、瓦葺きはおろか天水瓶を置くことは固く禁止され、城や代官所にも珍しいほどで、この格式と権威の象徴は県内では他に例がありません。参勤交代のときには、本陣になっていました。
 このクスノキは、樹齢350年と言われ、根元には一字一石の経塚が祀られていました。現在の建物は、築後200年余と見られ、建物と共に町の指定文化財となっております。
 平成4年3月   大西町教育委員会 」









五右衛門新田開拓檜垣政廣之碑【大西町九王】
・寛永15年(1638)に広島藩士をやめて来住し、九王村の人々と共に困難欠乏に耐え、寛永17年、新田の開拓に成功した。村人たちは五右衛門新田と呼び、彼の記念碑を建立した。

越智岩太郎翁紀績碑【大西町星之浦】
2005/6/18
成道寺よりやや下手の道端に幟立石が並んでいる。その中に1基、頌徳碑らしきものが混じっている。「越智岩太郎翁紀績碑」と記している。背面の文字は摩滅していて殆ど判読できない状態。よって事績等ははっきりしない。
※鈍川村森林組合長の越智岩太郎氏と関係有りか?(越智岩太郎君之碑【玉川町高野 船戸】→2002/2/24探訪記録参照


公園

星の浦海浜公園【大西町星之浦】
1999/7/20、2005/6/18
・国道196号線沿い。名前もきれいじゃし、デートスポットにぴったりの場所じゃわい。
★大西町の観光案内図があったのでメモしに立ち寄る。(1999/7/20)
★海辺では水着姿もちらほら。皆海の日を満喫しているようだ。(1999/7/20)
環界のモニュメント
「環界 空から星が降ってきた 1993-94 橋本清孝
橋本清孝は庵治町在住の彫刻家

藤山健康文化公園【大西町宮脇】
1998/6/6
・妙見山古墳(みょうけんさんこふん)を主要なランドマークとした「海と緑の田園都市」大西町にふさわしい都市公園。
・1988年から総工費233億円を投じて整備した。
★妙見山古墳は藤山健康文化公園の標高80mの頂にある古墳で、石室内部も見学できるようになっとるわい。遊歩道も綺麗に整備されとるんで、散歩には絶好のところよ。
藤山歴史資料館
妙見山古墳

別府農村公園【大西町別府】
1999/7/20
★これと言って特徴もないただの公園。(1999/7/20)
★小便がしたくなったので立ち寄る。ラッキーなことに水洗であった。(1999/7/20)

ふれあいの森森林公園【大西町】


祭り

イベント

施設

藤山歴史資料館【大西町宮脇】

・藤山健康文化公園内にある。
・住所:越智郡大西町大字宮脇乙579-1
・http://www.netspace.or.jp/~fujiyama/→http://www.town.onishi.ehime.jp
・電話番号:0898-53-2313
・休館日:毎週月曜日
・開館時間:09:00〜17:00
・入室料:一般200円、小・中学生100円
・交通:JR大西駅より徒歩7分
・あんまり見るものは多くないんじゃが、古墳を基調にした小奇麗な造りになっとるわい。平成9年度グッドデザイン施設(通産省、10月1日)に選定されとる。
・館内には、1号竪穴式石槨、2号竪穴式石槨、伊予型特殊器台二重口縁壷型土器、1号/2号石槨粘土床横断面、碧玉製管玉、2号石槨鏡、2号石槨粘土床、弓杖島から運搬された石、衣黒山古墳関係出土品などが展示されている。

大庄屋館(大庄屋井手家の天水瓶)【大西町】
2005/6/18
・天水瓶(てんすいがめ)という瓶を屋根の上に2つばかし乗せとらい。
・江戸時代、野間郡37カ町村を統括する大庄屋じゃった井手家は、大坂冬の陣と 夏の陣のときに藩主に軍用金を差し出し、その見返りとして屋根に瓶を据える ことを認められたという言い伝えがあらい。
俗に言う、「権威の象徴」っちゅうやつじゃね。
・今の建物は200年ほど前の建築物で、昭和18年から30年あまりは大西町役場としても使われたということじゃわい。
・現在は大西町農業協同組合と大西町漁業協同組合が事務所として使用している。
旧大庄屋井手家の楠


学校

温泉

伝説

キャンプ

海水浴

人物

その他

おひつ岩【大西町】
2005/6/18
・重茂山登山口よりやや大西側に下ったところに登り口がある。おひつ岩まで200mとある。
・途中で残り70mの道標が立っていたのだが、それに従って上がった先にはおひつ岩らしき岩は見当たらない。露頭のように少し張り出した岩は見えるが、どうにも由来譚がありそうな岩には見えない。辺りをしばらく散策するが、この岩をおいて他にはなさそうだ。(2005/6/18

大西町役場【大西町宮脇】
1999/7/20
村瀬武男翁の像
越智茂翁の像
合併記念碑



《References》



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