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今治市
(旧・宮窪町)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要


キャッチフレーズ
(1).「能島水軍ロマンの里 宮窪」
(2).「石の町宮窪」

町の花 町の木 町の花木 町の鳥


特産物
大島石
・約400年の歴史を持つ。

沿革
・1952年に町制を施行。
・1954年3月、大山村の一部を編入。
・平成17年1月16日、今治圏内12市町村合併により今治市へ。

地名
大字 備考
友浦 (ともうら) 
→今治市宮窪町友浦
久米
早川 (はやかわ)
→今治市宮窪町早川
宮窪 (みやくぼ)
→今治市宮窪町宮窪
余所国 (よそくに)
→今治市宮窪町余所国
四阪島 (しさかじま) 
→今治市宮窪町四阪島

戸代(大字?)
向(大字?):土生、土居野、岡(字?)
芋口【宮窪町友浦 久米】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
松木戸【宮窪町戸代】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
舟倉谷【宮窪町戸代】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
矢蹕谷(矢櫃谷)【宮窪町戸代】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
岡【宮窪町向 岡】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
源右衛門鼻(げいごばな)【宮窪町鵜島】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)


文化財

宝篋印塔(1基)【宮窪町友浦 善福寺】
・国指定重要文化財[石造美術]
・鎌倉末期の建造。

能島城址【宮窪町宮窪】
・国指定史跡

宝篋印塔【宮窪町中村 海南寺裏墓地】
・町指定有形文化財(昭和53年7月1日指定)
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

大谷国造神社跡・五輪塔群【宮窪町友浦 善福寺前】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

友浦庄屋秦家の墓石【宮窪町友浦 嵯峨秦庄屋墓地】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

山本雲渓六曲屏風【宮窪町友浦 久米】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

石造鳥居【宮窪町向 土生】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

五輪塔群【宮窪町向 土居野】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

藤田家仏壇【宮窪町陸 山田】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

五輪塔群【宮窪町陸 山野】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

お甘藷(いも)田【宮窪町中村】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

半鐘台【宮窪町余所国 楠】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

早川庄屋旧宅【宮窪町早川 西側】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

共同井戸【宮窪町浜 波止】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

共同井戸【宮窪町浜 出口】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

ナウマン象の化石【宮窪町浜 村上好武氏宅】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

呼子(笛)【宮窪町浜 西原英雄氏宅】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

常滑焼(とこなめやき)の大甕【宮窪町浜 藤本幸四郎氏宅】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)



城址

甘崎城跡【宮窪町】
・県指定史跡
・西暦663年築城とされ、現存する水軍城跡では日本最古である。

能島城址【宮窪町宮窪】
・国指定史跡
・島周囲720m。
村上義弘が鎌倉時代末期に築城した。
・磯には、水軍城郭の柱穴の跡が残る。
・隣接する鯛崎島との間の岩礁の上に大掛かりな桟橋防材などの設備の跡が見られる。
鯛崎島との間の潮流は非常に荒々しく、見る者を圧巻させる。
・春にはソメイヨシノが美しい桜の名所。4月上旬の土・日曜日には能島桜まつりが開催される。
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

九十九島(くじゅうくしま)城跡【宮窪町友浦 大崎】
・友浦大崎の沖合い400mに浮かぶ無人島。
・能島城の番城として奥谷氏が拠った。(室町時代)
・天正13年4月、奥谷大和守通基のときに落城。
・東城氏、忽那氏が拠った時代もあったらしい。

・所有者:藤木光弘
・周囲は急崖であり、岩礁が東西に長く延びている。

(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

見近島(みちかじま)城跡【宮窪町中村 見近島】
・大島と伯方島の間に浮かぶ無人島。
・昭和55年から56年にかけて、発掘調査がなされた。能島城の駐屯地でなかったかと推定されている。
・昭和63年1月17日開通した伯方・大島大橋の橋脚の一部となっている。

(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)



遺跡


古墳

モンノ木さん【宮窪町余所国 仲側】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)


跡地

幸賀屋敷跡【宮窪町宮窪】

上国造神社跡【宮窪町友浦 上地下】
・明治43年頃、小野八幡宮へ合祀。
→荒神川(神社跡前)、堂山(神社跡背後)、堂の脇(神社跡北側の地名)
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

古波止(こはと)跡【宮窪町戸代 楠】
・能島村上水軍が活躍した頃潮待や風よけなどに使用された船溜跡。燧灘から宮窪瀬戸にむけて入る入口に相当する地点である。
・平成元年2月に専門のダイバーによって海底調査をした結果、長さ110メートル、幅約30メートルに及ぶ波止であったことがほぼ確認された。

(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
 

古井戸【宮窪町戸代】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

石風呂跡【宮窪町向 土生】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

的場跡【宮窪町向】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

証明寺(しょうめいじ)跡【宮窪町陸 大窪】
・所有者:村上章
・証明寺跡は現在の石段を登りつめた正面つきあたりの地あたりであったという。今は蜜柑畑である。
・能島村上水軍が栄えた頃は、村上氏の菩提寺であった。
・明治6年頃に寺の損傷がひどく、現在地に移築された。

(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

国造跡【宮窪町陸 大窪寺の鼻】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

幸賀屋敷跡【宮窪町陸 山野】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

丸山砦【宮窪町中村 カレイ】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

水場跡【宮窪町中村 水場】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

小浜源右衛門船奉行屋敷跡・古井戸【宮窪町鵜島】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

宮窪小学校分教場跡【宮窪町鵜島】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

造船所跡【宮窪町鵜島】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

国霊神社跡【宮窪町鵜島】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

大谷代官屋敷跡【宮窪町鵜島】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

中山繁雑右衛門兵粮奉行屋敷跡【宮窪町鵜島】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

「おおち」本家の屋敷跡【宮窪町早川】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

台のはな【宮窪町早川】
・海抜約40m。
・見張台跡・狼煙台跡とも言われている。(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)


海南寺【宮窪町宮窪5279(引地)】
2004/5/1
・島四国八十八ヶ所 第8番札所
・本尊:千手観音菩薩
・宗派:真言宗
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
 
山門
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
毘沙門天立像
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
涅槃像
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
駕籠
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
手水石
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
若宮地蔵尊
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
海南子句碑
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
壷天子句碑
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
お百合・角治の墓
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
酒呑み坊さん
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
宝篋印塔
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

証明寺【宮窪町宮窪】
・島四国八十八ヶ所 第10番札所
・村上一族の菩提寺であった旧証明寺跡地に隣接する。
・旧証明寺は明治4年に廃寺となり、今ではミカン畑などになっている。昔は宝篋印塔などもあった。
・現在の証明寺寺地は明治6年頃に建て替えられたときに設けられたもの。
 
切幡寺
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
宝篋印塔
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
神宮寺跡
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
鰐口
・貞治2年(1363)の銘がある非常に古いもので、愛媛最古とも言われるものあったが、盗難に遭い所在不明である。

焼山寺【宮窪町向 土居野】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

常楽寺【宮窪町向 土生】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

善福寺【宮窪町友浦 下地下】
・島四国 第19番札所
・山号:薬師山
・本尊:薬師三尊仏(25年周期で開帳)
・正応元年(1288)開基。
・当初は友浦立石の奥、薬師山に祀られていた。
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
 
宝篋印塔
・国指定重要文化財
・「嘉暦元年丙寅七月日願主養通」の銘有り。
薬師堂、薬師三尊仏:薬師如来(中央)、月光菩薩(右)、日光菩薩(左)
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
貝殻地蔵
・木造立像。像高 159cm。
・友浦の海岸に流れ着いた地蔵という伝説有り。
・当初は立石の入口大藪に祀られていた。文化4年(1807)、島四国開創時に善福寺に移されたという。
・海難予防の御利益有り。
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
[「ふる里の民話」、大島郷土史研究会、吉海町教育委員会、昭和48年5月]
大谷国造神社跡・五輪塔群
・大谷国造神社(祭神:大国主命)は、小野八幡神社に合祀された。
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

能島辧財天【宮窪町鯛崎島】
・村上水軍本拠地の能島に隣接する鯛崎島にある。
・平成10年9月に再建された。
・旧暦6月23、24日の両日は縁日で、辧天祭が行われていたが昭和30年代に自然消滅。その後、平成11年に再開された。

(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)


神社

宇佐八幡神社【宮窪町鵜島】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
 
境内社:国霊神社

小野八幡神社【宮窪町友浦 小野】
・祭神:仲哀天皇、神功皇后、応神天皇
・神路止明神(防火の神)、照崎明神、上国造神社、下国造神社を合祀する。
・保元元年(1156)、国司伊予守親清が山城の石清水八幡より勧請した26社中の一社と伝えられる。
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
 
境内社:松尾神社(酒造の神)
鳥居
・神路止明神を合祀した時に移転したもの。

尾形八幡神社【宮窪町中村 尾形】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
 
大鳥居
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
注連石
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

楠木明神社【宮窪町戸代】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

真宮明神社【宮窪町早川】
・祭神:大山積神、雷神、高おかみ神、....
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
 
一千二百年祭碑
・大正3年
・拝殿前
鳥居並びにその周辺の石造物
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
石鳥居
・文化13年
注連縄石
・明治25年
社号石
・大正3年
狛犬(1対)
・大正10年
手水石
・大正10年
石燈籠(1対)
・大正10年
石玉垣
・大正10年
日露記念碑
・明治40年
陶器製の狛犬
・天保九年奉納。
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
奉納絵馬「仁田四郎忠常の猪退治の図」山本雲渓筆
・横90cm×縦70cm
・天保10年(1839)9月、若連中による奉納。
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
[「平成15年度企画展 図録 愛媛・絵馬堂へようこそ!」、愛媛県歴史文化博物館、平成15年7月]
奉納絵馬:明治時代の帆船図
・明治33年、高橋嘉代治・高橋国太郎により奉納されたもの。
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
奉納絵馬「大鯛」八木彩霞筆
・横93cm×縦74cm
・昭和15年地区内有志による奉納。
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

美保神社【宮窪町浜】
2004/5/1
・祭神:事代主命
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

両社明神社【宮窪町余所国】 
2004/5/1

(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
 
歌碑
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
常夜灯
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
狛犬(2対)
●参道上側にある狛犬
・左側:吽形、右側:阿形
・文政五年
●鳥居の前にある狛犬
鳥居
・「慶應三年丁卯十一月吉祥日」
とんど祭り

若宮神社【宮窪町中村】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)


お堂

安楽寺(医王庵)【宮窪町中村 江口】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

法輪寺(不動、大聖庵)【宮窪町陸 瀬道】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

十楽寺(付属庵)【宮窪町中村 片山】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

地蔵寺(寿気庵)【宮窪町余所国】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

大日寺(無量寿庵)【宮窪町余所国】
・島四国 第4番札所
・本尊:大日如来
・平成11年1月に本堂が建て替えられた。

(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
 
釣鐘
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

金泉寺(白光庵)【宮窪町早川 宮側】
・島四国 第3番札所、亀光山
・「お大師さん」と呼ばれる。
・真宮明神社の境内斜面にある。
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
 
飛天奏楽図(ひてんそうがくず)
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
力石
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

御堂【宮窪町鵜島】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)




地蔵

貝殻地蔵【宮窪町友浦 下地下】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

木食さん【宮窪町余所国 西之谷 小田家墓地】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

鵜島三十三観音霊場【宮窪町鵜島】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

浜嵐関の墓【宮窪町浜 出口】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
→「浜嵐とかっぱの力較べ相撲」参照

若宮さん【宮窪町余所国】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

一畑山【宮窪町中村 波止】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)




カレイ山【宮窪町】
2004/5/1
・標高202m

念仏山【宮窪町/吉海町】
2004/5/1
・三角点あり。
・標高 381.9m。
・山名は、津波に襲われた島民が山頂の松に鉦を掛け、海神の怒りを鎮めるために念仏を唱えながら鉦を叩いたことに由来するという。(「愛媛ゆうゆう山歩き」、峯本典寛、愛媛新聞社、2002年6月)
 
展望台
※展望は良いのだが、写真を撮るには無線中継局が存在として邪魔臭い。
七福大明神
※小振りの信楽焼の狸が2体。
鐘かけ松
本州四国連絡橋公団念仏山無線中継所
NTT念仏山無線中継所

本城山(本庄山)【宮窪町戸代】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

薬師山【宮窪町友浦】
・友浦立石の奥。
・善福寺の元の鎮座地

堂山【宮窪町友浦 上地下】
・上国造神社跡の背後に聳える山。
・荒神堂があり、荒神を祀っていた。

岡の山【宮窪町向 岡】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

荒神山【宮窪町陸 大窪】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

城山【宮窪町余所国 城山】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)


鉱山

川・渓谷

甘藷堀川【宮窪町中村】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

荒神川【宮窪町友浦 上地下】
・上国造神社跡の前を流れる川。
・名前は、堂山に荒神が祀られていたことに由来するのであろう。




ダム



風景

平山郁夫スケッチポイント「しまなみ海道五十三次」
(38).カレイ山展望公園 伯方大島大橋 伯方島(カレイ山展望台、駐車場から300m(徒歩5分))
(39).友浦峠から能島 伯方大島大橋を展望(農免農道沿い峠付近、織昌石材敷地内)

能島【宮窪町宮窪】
・国指定史跡。
・宮窪港沖約1kmに浮かぶ。
・中世の瀬戸内海で活躍した「村上水軍」の本拠地であった。
・春には「能島桜まつり」が行われる。
 
能島城跡

見近島【宮窪町】
 
見近島と殿様

鯛崎島【宮窪町】


洞窟・鍾乳洞

樹木

蘇鉄【宮窪町友浦 上地下 → 石文化運動公園(予定)】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

蘇鉄【宮窪町向 土生】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

楠【宮窪町余所国 仲側】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

楠木の群生【宮窪町早川 真宮明神社】
・根周り2.6〜3mの楠、榎の大樹が多い。
・椿の大木も有る。
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)










壷天子句碑【宮窪町中村 波止】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

吉井勇歌碑【宮窪町中村 宮窪町役場】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

宮窪町閉町記念碑【宮窪町庁舎玄関前】
・平成17年(2005)1月16日に、今治圏内12市町村合併により新今治市へ移行。
・平成16年(2004)12月18日に、閉町記念式典及び閉町記念碑の除幕を行った。
・宮窪町出身の書家・森岡子葉氏による揮毫。
・大島石を使用。

笛之戸庄左衛門頌徳碑【宮窪町中村 江口】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)



公園

カレイ山展望公園【宮窪町】
2004/5/1
えひめ森林浴八十八ヶ所 66番
・標高202mのカレイ山山頂につくられた展望台、キャンプ場、遊歩道などのある公園。
展望台
・展望台からは、伯方・大島大橋、能島城跡、船折瀬戸、鶏小島等が広がり、瀬戸内海の急潮を見下ろすことができる。

宮窪町石文化運動公園【宮窪町宮窪3546】
2004/5/1
・電話番号:0897-86-2456
・入園無料
・開園時間:08:30〜17:00
・年中無休
・高級御影石・大島石の産地をアピールする。
・園内には数多の石のモニュメントが点在する。
・石を使用したスタジアムや、世界の石を展示した石文化伝承館がある。
 
石文化伝承館
石工房 みやくぼ
美肌の湯


祭り

イベント

大島一周駅伝大会
・1月

宮窪町果実品評会
1月

とんど祭り【宮窪町余所国】
・2月の第一日曜日に行うのだろうか?(1999年は2月7日に実施)
・地区住民が「神明さん」と呼ばれる高さ3mほどの円錐形の山車の鉢合わせを行い、無病息災を祈る。
・一時途絶えていたが、昭和61年(1986)に復活した。
・両社明神社前の広場で神事を行い、白装束に襷掛けのかき手が伊勢音頭を歌いながら地区内を練り歩く。そしてその後、再び神社前の広場に戻り鉢合わせを行う。
・餅撒きをした後、海岸で山車を焼き、餅をあぶって食べる。

(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

能島桜まつり【宮窪町能島】
・能島は古くから幻想的な桜の名所として知られている。
・無人島だが、桜の時期になると臨時の渡船が運行される。
・4月の第2土日曜に「能島桜まつり」が行われ、宮窪小学校児童が演奏する能島水軍太鼓が花見客を歓迎する。

島四国霊場八十八ヶ所巡り
・四国霊場巡りの「ミニ版」(地四国)。全行程63km。
・5月6日〜8日(旧暦3月19日からの2泊3日)の日程で行われる。
・島には白装束の遍路の列が続き、「南無大師遍照金剛」の読経と鈴の音が響き渡る。
・江戸時代の文化4年(1807)、島の医師毛利玄得らが、貧しくて本四国を巡ることができない島民のために開創した。
・この期間島民は、自宅を無料開放する「善根宿」で遍路をもてなす。
島四国へんろ市もあわせて開催される。

能島水軍フェスティバル(宮窪瀬戸船釣大会)
・7月

「厳島合戦への道」ツアー
・宮窪町観光協会が主催する企画。平成9年(1997)8月が第1回目。
・大山祗神社で安全祈願をした後、村上水軍が使用した手漕ぎの和船「小早船」2隻に乗り込み、交替で船を漕ぎながら一昼夜かけて広島県宮島町の厳島神社まで航海する。

能島水軍納涼祭
・8月

能島水軍弓道大会
・8月

コミュニティ盆踊り大会
・8月

福祉健康祭
・9月

宮窪剣道大会
・9月

秋祭り
・10月
 
秋祭り海上渡御【宮窪町浜】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

獅子舞【宮窪町早川 真宮明神社】
・所有者:早川獅子舞神楽保存会
・囃方楽器:大太鼓、小太鼓、鼓、鈴、横笛、チャンギリ
・演目:@先触れ(だいば)、Aしんぐるま 釜払い、Bいも掘り、Cぼたん食い、D龍の玉取り、E鯉の瀧のぼり、F蜂の巣取り、G千里原の虎退治、H猿まわし、Iお多福舞、J笹の舞
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)

産業文化祭
・11月

コミュニティ推進町民大会
・11月


施設

能島水軍資料館【宮窪町宮窪2669】
2004/5/1
・能島村上家の直系にあたる山口県屋代島の村上家に代々伝わる甲冑・陣羽織などが展示されている。
・入館料:大人200円、小人100円
・休館日:年中無休
・開館時間:8:30〜17:00
・電話番号:0897-86-2501
大般若経
・能島村上水軍資料館に収蔵している大般若経300巻は、応安4年(1361)〜永和2年(1376)に製作されたものと見られる。
・村上水軍菩提寺である旧の証明寺の蔵物であった。

村上水軍博物館【宮窪町宮窪1285番地】
・2004年秋開館。
・休館日:月曜日、年末年始
・開館時間:9:00〜17:00
・電話番号:0897-74-1065

宮窪町立郷土資料館【宮窪町中村 宮窪町役場】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
 
船旗
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)


学校

温泉

伝説

白なんてんの謎
(※財宝埋蔵伝説)(※埋蔵場所の目印が白南天の木であること)
 宮窪の沖に竹薮につつまれた能島が、強者どもの夢を物語るように浮かんでいる。この島は四百年くらい前までは村上水軍の根拠地であり、和寇時代には海外から相当な富を集めて繁盛していたそうである。それが、豊臣秀吉の四国征伐ののち没落して、空しくあとかただけとなった。その後いつだれが言いだしたのかわからないが、能島には白なんてんの木があって、その根元には宝物が埋められていると。船で釣りをしたり、通航する船からみると、ときたまその白なんてんの木を見つけることがあるそうだ。アッあそこだ、と思って急いで上陸してみると、どこにあったのかわからなくなってしまう。宮窪の人々が草刈りにいっていると、草にまじって白なんてんの木をみることがあるが、翌日行ってその株をさがしてもみつけることができなかったという。
 町民の胸の中にいつまでも秘めて、忘れることができない夢の伝説である。この白なんてんのことは、何百年も宮窪の人々の中に生きつづけている。(宮窪町誌)

クジラのお礼まいり(鯛崎地蔵)
(※地蔵と海の仲間達の救済により生き長らえたことの報恩として御礼参りに訪れるクジラの話)
 ずうっとむかしの話じゃ。宮窪の沖の鯛崎島というこんまい島があるんじゃが、その島の磯の上に石の地蔵さんがあったんじゃ。ある年の春のことじゃが、子クジラがようけと親クジラとが島の近くで遊んどったんじゃ。子クジラが仲ようにみんなで遊んどるんで、親クジラは安心して大けな岩の上で昼寝をはじめたんじゃ。ところがおおごとになったんじゃ。いつの間にか、潮がひいてしもて親クジラが目をさましたときは、浅くなって泳げんので、大けなからだをどうもでけんようになったんじゃ。そのうちにのう、子クジラたちも気がついて大さわぎになったんじゃ。親クジラはいっしょうけんめいばたばたしたんじゃが、どがいにしても大きなからだが岩からはなれんのじゃ。えらい苦労しとる親クジラとまわりでさわいどる子クジラをみてのう、地蔵さんはかわいそうになってきたんじゃろう。すくっと立ちあがって、衣のすそをからげて、磯のさきまで歩いてこられたんじゃ。そいでの。海をじっとながめておられたのじゃが、両手をむすんで、衣の下で動いておいでじゃったが、「ふうっ」と大けな息をふき出されたんじゃ。ほいたらの。タコ・イカ・ギザミ・ホゴやなんかの魚がようけ出てきての、親クジラのまわりに集まってきたんじゃ。ほいての、お地蔵さんが、かけ声をかけたんじゃ。「よいしょ、よいしょ」。それにあわして、集まったようけの魚たちも、よいしょ、よいしょとかけ声をかけ、力をあわして、親クジラを深い海へおろしてやったんじゃ。クジラはおおよろこびでのう、地蔵さんのまえを、何回も行ったり来たりしよったんじゃが、子クジラといっしょに、「ほんまおおけに、わたしらは、来年から、毎年なかまといっしょに、お礼まいりにこさしてもらいます」とあいさつをして、泳いでいったそうじゃ。それからはのう、毎年お礼まいりにきよるんじゃ。多い年は三十頭にもあまるが、少ない年でも三、四頭はきまってお礼まいりにやってくるんじゃ。土地の人はのう。クジラの群れが、おおけなからだを半分ほど海の上にだして、泳いどるのを見るとのう、「ああ、ことしもクジラがお礼まいりにきとるぞ」というて、お地蔵さんの方を向いて、手をあわせたということじゃ。いまはお地蔵さんはないが、台石だけ残っとる。このクジラは、イワシをえさにしよる「イルカクジラ」じゃそうな。からだは2〜3間(約4〜6m)ぐらいもあるそうじゃ。(宮窪町誌)

酒のみ坊さん(海南寺裏墓地)
(※所願成就の御利益譚)
 宮窪町海南寺裏の墓地には、町民からたいへん信仰されている坊さんの墓がある。年中線香の煙の絶える間のないほどおまいりの人が多く、お墓の首から肩・座のまわりまで、かん徳利・サイダーびん・竹の筒など、およそ酒を入れることのできる容器が、ところせましと結びつけられている。これはこの坊さんが生きていたころ、酒好きであったため、酒を持っていってお願いすれば、なんでもかなえてくれるというのである。病気がなおったというお礼のしるしのものもある。いつのまにかお墓にはりっぱな屋根までできている。
(※正宗という酒の名の由来)
 このお坊さんは、今から二百年ほど前海南寺の住職であった円乗といわれる方で、修業のために高野山に登った。その後伊丹で住職をされていたことがあり、当時、伊丹の小西酒造場である年にたまたま上澄みの透明な酒ができた。そのころの酒はみなにごり酒であったので、不思議に思って飲んでみると味もたいへんよかった。ところがこの酒はさっぱり売れなかった。こまった小西酒造では江戸に送ってみたところ、大変な人気で注文が多く来た。これに気を良くした小西酒造の隠居が、日ごろ仲良くしていた円乗師によい名前をつけていただき、売り出したいと相談にいった。円乗師は突然のことで思案にくれ、ちょうど持っていたお経の本をとじたところ、その表に「正しい宗教」と書いてあった。そこで正しい宗教「正宗」と名をつけたといわれている。
(※杜氏の祖であること)
 その後円乗師は高野山に帰り、高野山の人々にこの上澄みの酒の造り方を教えた。老年になってから海南寺に帰り、郷土の人にも酒造りの方法を教えたのが、宮窪杜氏越智郡杜氏のはじまりだといわれている。円乗師は権大僧都法印で文化8念(1811)6月2日入寂した。酒の坊さんといわれたものが、いつのまにか「酒のみ坊さん」といわれるようになった。(宮窪町誌)

石屋治衛門
(※今治からの脱出)
 今治城は慶長7年(1602)から同9年(1604)にかけて築城されたといわれる。工事に当った石工・左官の頭たちは城が完成すると、城の構えの極秘事項(抜け道)を知っているため口封じのために処刑されることとなり、十二名中十名は捕えられ処刑された。治衛門と他の一人は事前にこのことを知り、二人は蒼社川じりから竹のいかだに乗って、大島にたどり着き、余所国の念仏山に隠れ、処刑された十名の冥福を祈りながら余生を過ごしたそうである。
 余所国に鐘撞堂という地名があり、すばらしい築き方をした石垣がある。治衛門の手によって造られたといわれ、またその人の住居跡ではなかろうかともいわれている。
(※慰霊の祭り)
 また余所国には現在も、御新田踊りという踊りがある。治衛門が広めたかどうか分からないが、一説に十人の処刑者の霊を弔うためのものではないかといわれる。(宮窪町誌)

見近島と殿様
 宮窪町の対岸、伯方島にくっつくように小島がある。現在は、伯方・大島大橋の橋桁の島となっている、見近島である。大橋架設の折の発掘調査で発見された遺構・埋蔵物などから、村上水軍の砦住居跡であったことがわかった。
 昔むかしのことである。ある日、宮窪の漁船が友浦沖で釣りをしていた。近くに船がきて釣り始めたが、素人らしく魚がなかなか釣れなかった。見かねた漁師は、道具を作り、餌のさし方、釣り方など教えた。その後はよく釣れるようになり、喜んで楽しんでいた。帰りに「おい、それなる漁師。そちはどこの何者か、名を申せ」と言った。漁師はその言葉に驚き、すぐ答え、船は帰った。
 漁師は別に気にかけず、数日を過ごした。ところが、庄屋様を通じて、今治の殿様から呼び出された。驚いたことに、先日の釣人は殿様であった。「先日の釣り遊びの折は、御苦労であった。楽しい一日を過ごすことができた。お前の親切に対しほうびをとらせたいが、何か望みはないか」と仰せられた。漁師はとっさのこととて思い悩んだ。ちょうどその時、愛玩用のチン犬が殿様の側で鈴をならした。あまりのかわいらしさに、「そのチン犬が欲しゅうてございます」と言った。殿様はにっこりとされ「それでよいのか」と言われる。「他に望みがなければ、この犬に食扶持をつけて与えよ」と仰せられた。追って沙汰を受けてみれば、扶持は見近島であった。この時から、見近島は宮窪村に属するようになったという。浜には今も、犬の墓が祭られている。(宮窪町誌)

鶏小島
 見近島の南、伯方島に近いところに小島がある。これが鶏小島で、むかしからいろいろな話を伝えている。
 この辺一帯の海には、海でなくなった人の霊であろうか、亡者がよく出るという。ある夜のことである。ここを通りかかった船が動けなくなった。二人がかりで櫓を押したが、一向に進まない。しかたがないので少し休んでいた。すると「しゃく、くれ。しゃく、くれ」という声がする。いつまでも言うので、しゃくの底を抜いて渡した。姿はないのに、しゃくだけが動いて船に水を入れるのである。底がないので、いくらたっても水はたまらない。そのうちに、夜明け近くになり、一番鶏の声が聞こえてきた。その鶏の声とともに、ひしゃくの音がやんだ。櫓を押すと、船はぐんと動いた。
 一番鶏の声とともに、二つの小島がもとの一つの島にもどったり、上がらなくなった網が上がるようになったりした話がある。このことから、この島を「鶏小島v」と呼ぶようになったという。しかし、今は、亡者も出なくなったのか、こんな話は忘れられようとしている。(宮窪町誌)

天神がに
(宮窪町誌)

おつね山
(宮窪町誌)

角治とおゆり
(宮窪町誌)

猪之塚
(宮窪町誌)

貝がら地蔵
(宮窪町誌)

島四国五番札所
(宮窪町誌)

大尾明神
(宮窪町誌)

オカチ磯
(宮窪町誌)

あっぱ徳さん
(宮窪町誌)

大蛸の話
(宮窪町誌)

雪の降る夜もなんまいだぁー
(宮窪町誌)

狸の親子
(宮窪町誌)

お三狸と定さん
(宮窪町誌)

牛追狸【宮窪町友浦】
(「ふる里の民話」、大島郷土史研究会、吉海町教育委員会、昭和48年5月)
(宮窪町誌)

久米のお姫狸【宮窪町友浦 立石】
(「ふる里の民話」、大島郷土史研究会、吉海町教育委員会、昭和48年5月)
(宮窪町誌)

浜嵐とかっぱの力較べ相撲【宮窪町浜】
(文化財散歩、宮窪町教育委員会、平成5年3月)
(「ふる里の民話」、大島郷土史研究会、吉海町教育委員会、昭和48年5月)
(宮窪町誌)
→「浜嵐関の墓」参照

鐘かけ松(念仏山と鉦かけ松)【宮窪町/吉海町】
(「ふる里の民話」、大島郷土史研究会、吉海町教育委員会、昭和48年5月)
(宮窪町誌)


キャンプ

カレイ山展望公園キャンプ場【宮窪町】


海水浴

人物

その他

大島石【宮窪町余所国(よそくに)】
・花崗閃緑岩(青御影石)
・国会議事堂の建築材、石橋等に利用されてきた。
・今日は墓石、碑などに使用されている。

包丁鼻【宮窪町戸代(とだい)】



《References》
パンフレット:村上水軍博物館定期企画展(第1回)「海からあがった宝もの」12月21日(火)〜1月30日(日)


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