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(旧・菊間町)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要
☆1997年度毎日・地方自治大賞松山支局長賞受賞!

キャッチフレーズ
(1).「みどりと瓦とエネルギーの町」

町の花 町の木 町の花木 町の鳥


特産物

沿革

地名
大字
池原 (いけのはら) 
→今治市菊間町池原
川上 (かわかみ)
→今治市菊間町川上
河之内 (かわのうち)
→今治市菊間町河之内
高田 (こうだ) 
→今治市菊間町高田
佐方 (さがた) 
→今治市菊間町佐方
種 (たね)
→今治市菊間町種
田之尻 (たのしり) 
→今治市菊間町田之尻
中川 (なかのかわ) 
→今治市菊間町中川
長坂 (ながさか)
→今治市菊間町長坂
西山 (にしやま)
→今治市菊間町西山
浜 (はま)
→今治市菊間町浜 
松尾 (まつお) 
→今治市菊間町松尾


文化財

お供馬の走り込み【菊間町浜 加茂神社】
・県指定無形文化財

賀茂の大楠【菊間町 佐方賀茂別雷神社】
・県指定天然記念物

亀山八幡神社寄附板【菊間町佐方 亀山八幡神社】
・町指定有形文化財

歌仙の滝【菊間町松尾】
・町指定史跡

亀山八幡神社裏古墳【菊間町佐方 亀山八幡神社】
・町指定史跡

亀岡小学校跡【菊間町佐方】
・町指定史跡(昭和37年3月指定)
・JR亀岡駅のやや西手、現在の亀岡小学校の南にあるJAの亀岡支所があるところに小さな石標が建っている。
・亀岡小学校は明治23年6月に開校した。

歌仙の滝【菊間町松尾】
・町指定名勝

霧合の滝【菊間町松尾】
・町指定名勝



城址

無宗天城【菊間町佐方】
・「無宗天城 佐方村の東南二十五町山字無宗天に在り 村上備中守吉光これを領し 其の旗下波頭隼人正城代となりこれに居る」(伊豫温故録)
※波頭隼人正の名前は、伊豫温故録「高仙山城」の項の「御旗下組衆」の中に見える。

高仙(こうぜ)(山)城【菊間町種】
・「高仙山城 種村の南方二十町 大深山の支峯高仙山に在り 池原兵部居る 永禄中池原兵部亡ひ 其の後村上備中守吉光領となる …」(伊豫温故録)
→See.高仙山
・「高仙の城 種子村、池原近江守居城也」(予陽郡郷俚諺集)
池原兵部丞通成(いけはらひょうぶのじょうみちしげ)居城。
 (「高仙城をめぐる二つのこぼれ話−だまし討ちのこと−」、越智郡むかしむかし、越智郡公民館連絡協議会、昭和51年7月1日)

人遠城【菊間町浜】
・「人遠城 浜村にあり 二名集に云ふ 城主大野佐渡守直郷といふ 天正十三年落城す」(伊豫温故録)

菊間城【菊間町浜】
・「菊間城 浜村に在り 古跡集に云ふ 神野左馬之助居る」(伊豫温故録)
・「菊間城 神野左馬允(予陽郡郷俚諺集)

名石山城【菊間町】
・「名石山城 西山村にあり 河野備中守通安居る」(伊豫温故録)
・「名石山城 西山村 肥後守名字不知」(予陽郡郷俚諺集)

引地山城【菊間町】
・「引地山城 西山村にあり 岡野庄司これに居る」(伊豫温故録)
・「引地山城 西山 岡野庄司居之」(予陽郡郷俚諺集)

黒山城【菊間町松尾】
・「黒山城 松尾村河ノ内村界に在り 渡部内蔵進居る」(伊豫温故録)

池原館【菊間町池原】
・「池原館 池原村に在り 土居構なり 池原兵部丞通成 其子近江守通吉居る 天正九年鹿島城代二神豊前守遊興に事寄せ兵部丞を鹿嶋に招き討果して其の釆村を奪はんと計り 其の途中浅海原に伏兵を出し これを襲い撃しめたるに兵部丞従臣と共に伏兵を討敗り難なく池原館に帰りたり」(伊豫温故録)



遺跡


古墳

亀山八幡神社古墳【菊間町】
1999/7/20
・菊間町指定史跡(昭和58年3月指定)
・本殿裏側に横穴式石室が口を開いている。
・一番上部に天井石を置き、土を盛り、松を植えて周囲に根を張り巡らせている。


跡地

村上義光公墓所【菊間町佐方】
1999/7/20
★佐方川沿いに細い道を上っていくと道端に石標が建っているのが目に入ったので、民家の軒先に車を止めて山道を駆け上ってみたのだが、生憎発見できす。


円成寺(圓成寺)【菊間町種2555】
2005/6/18
・山号:高仙山
・宗派:曹洞宗
・野間郷新四国八十八ヶ所 第1番札所

円福寺【菊間町種3851】

常光寺【菊間町松尾842】

太郎坊【菊間町長坂】
2004/2/22
太郎坊四百年供養塔
・昭和六一丙寅年三月吉祥日
奉納 瓦版川柳会 蔵之谷組中
・「天正の 哀史を 社の 風にきく」
太郎坊供養
・菊間町指定無形文化財(昭和58年3月)

掌禅寺【菊間町菊間町池原1100】
2004/2/22
・宗派:曹洞宗
・山号:金毘羅山
 
掌禅寺手控 
開創 天正年間(豊臣秀吉全盛期頃 約400〜450年前)と推定 
本尊 延命地蔵大菩薩・鎮守 金毘羅大権現 
開山 枯渓本牛禅師(こけいほんぎゅうぜんし) 開基 掌禅寺殿日晴東光大居士(おたろうさん)
当山は「お太郎さん」の菩提所となっているが、この「お太郎さん」の事跡は河野由縁の得居太郎通光とか原通光(僧名 善勝)と云われているが、猶定かでない。今は唯このお太郎さんゆかりの人々のお寺と推定するのみである。 
宗旨 曹洞宗(禅宗) 
大本山 福井県 永平寺 
大本山 横浜市 総持寺 
我が国での法統の源は、1227年(鎌倉時代初期)道元禅師が宋から伝法帰国された時に遡る。 
宗門全体の御本尊は「おシャカさま」で、お唱名の際は「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」とお唱えします。 
又、私達の宗旨の生命は、人々一人一人が、本来自らにそなえている仏心にめざめ、仏の子としての行持、仏の御姿としての坐禅に励む所にあります。 
本尊 延命地蔵大菩薩 
もともとの木彫の尊像は老朽倒壊した。現尊像は昭和26年迎座・開眼の金銅仏である。(17世卓成代) 
本堂 弘化2年(1845)再建立 
江戸時代末、当山衰微、堂宇の老朽損壊甚だしく、遂に本寺松山龍穏寺より大鏡長老が派遣されて来た。同師は当山10世として住山10年、再興の業を果した。 
願主 長野半十郎 
村庄屋 河原田友三郎 
大工棟梁 常蔵、千蔵 
木挽 岩蔵 

平年分大行持 
正月9日 大般若会(金毘羅宝前) 
8月23日 大施餓鬼会(地蔵盆)

観音堂
薬師堂
脱腸神さん
・薬師堂の裏手にある。歴代住職の墓。

真福寺【菊間町中川(なかのがわ)】
2004/2/22
・宗派:真言宗
・本尊:地蔵菩薩

長本寺【菊間町菊間町佐方2305】

日輪寺【菊間町浜】
・「日輪寺 浜村字西新開にあり 由緒に云ふ 弘仁六年空海上人是れを創営す 昔は越智・野間・風早三郡百二十ヶ寺の本山なり 天正中兵火にかかり寺門衰微すれども 今尚野間郡に十五ヶ寺 越智郡に八ヶ寺 合て二十三ヶ寺の末寺あり 弘仁六年より天正中に至るまで字宮本池奥に在りしが罹災後小宇を平地に営み 後ち延宝八年今の地に再建す…」(伊豫温故録)

遍照院(厄除大師)【菊間町浜89】
1997/10/30、2004/2/22
・山号:■仏山
・寺号:日輪寺
・弘法大師巡錫伊予二十一霊場 第8番札所
・新四国曼荼羅霊場 第42番札所
・本尊:弘法大師(厄除大師):弘法大師42才のとき自らの尊像を刻んだという。
※山門の両脇には鬼瓦が祀られている。
※山門の左側には「四国霊場中札所 弘法大師やくよけ別願所」と書かれた碑が。そしてその碑の裏側にはなぜか「月の輪公園」と刻まれている。これはいったいどういうことか?
※境内では「厄除まんじゅう」と「厄除草履」が販売されている。
一畑薬師像
みかへりのそてつ
弘法大師千百五十年興教大師八百五十年御遠忌記念碑
・昭和63年10月建立。
・遍照院縁起が記されている。
蚊麿/三柳子川柳碑
節分会厄除大祭
・2月3日に行われる。

明浄寺【菊間町菊間町川上】

龍王院観音寺【菊間町松尾】
1997/10/30、2004/2/22
・霧合の滝の前、県道沿いにある。
・真言宗久谷派不動院石仙寺菊間別院。石仙寺は、四国三大厄除霊場という。
★知らない間に建物が取り壊されていた。(2004/2/22)


神社

恵比寿宮【菊間町佐方 里側】

蛭子宮【菊間町佐方】

大河内神社【菊間町】
2004/2/22
力士松尾崎の墓
・大阪押尾川の身内だったという。

加茂神社【菊間町浜 宮本】
1997/10/30、2004/2/22
・祭神:別雷命(わけいかづちのみこと)、建角見命(たけつぬみのみこと)、闇於迦美命(くらおかみのみこと)、大山咋命(おおやまくひのみこと)
・祭礼日:葵祭(5/5)、茅輪神事[夏越](7/30)、菊間祭[御供馬](10/10)
・当社は寛治4年、堀川天皇の勅願により、それまで宮中武徳殿で行われていた競馬の儀式を京都賀茂別雷神社(上賀茂神社)で行うこととなり、そのためには20頭の馬が必要であり、菊万荘園地他全国で19ヶ所の荘園地が定められ、その年貢が競馬の費用に充てられた。その荘園地となった社領の鎮護のために賀茂神社の分霊を奉斎したものと考えられる。豊臣秀吉が天下統一した後、社領制度改めにより、天正14年以後、菊間との関係は無くなった。
・江戸時代には、菊間郷十ヶ村の大氏神として、松山藩特別崇敬社となり、臨時祭には藩より奉幣と共に必ず代官が参列していた。
・10月10日の秋の大祭には町内各神社の神輿が集合し、馬場では御供馬行事が行われる。池原地区からは獅子舞、町地区からは県東部唯一の牛鬼が繰り出され、絢爛豪華な祭りとなる。
加茂神社本殿は平成5年に改築された。
・参道の階段登り口左側には、「由緒沿革」(平成5年4月)が建てられている。
・県道沿い、参道に至る橋の袂には「御供馬行事」の案内板が立てられている。
・拝殿・本殿裏の丘の上には大きな溜め池、加茂池がある。池の辺には「奥の御前社」という小さな祠が祀られている。
・「加茂神社 浜村字宮本にあり 古跡集に云ふ 此社の事中古より取失ひて今伝ふるものなし 毎年八月二十日に祭礼を執行へるに其の時童子をして神輿に従はしむ 是をチクコデンといへり ヂクとは二歳の男子に冠狩衣を着せ馬に乗す 何れも一七日精進して身を清めて出つ 此の時競馬の式あり所の者腕貫袖なし羽織に袴を着 太刀を持て勤るなり 右来歴は何の頃より初るといふことを知らず」(伊豫温故録)
祭神:別雷命(わけいかづちのみこと)、建角見命(たけつぬみのみこと)、闇於迦美命(くらおかみのみこと)、大山咋命(おおやまくひのみこと)
祭礼日:葵祭(5/5)、茅輪神事[夏越](7/31)、菊間祭[御供馬](10月第3日曜日) 
当社は 寛治4年、堀川天皇の勅願により、それまで宮中武徳殿で行われていた競馬の儀式を京都賀茂別雷神社(上賀茂神社)で行うこととなり、そのためには20頭の馬が必要であり、菊万荘園地他全国で19ヶ所の荘園地が定められ、その年貢が競馬の費用に充てられた。その荘園地となった社領の鎮護のために賀茂神社の御分霊を奉斎したものと考えられる。豊臣秀吉が天下統一した後、社領制度改めにより、天正14年以後、菊間との関係が無くなる。 
江戸時代には、菊間郷十ヶ村の大氏神として、松山藩特別崇敬社となり、臨時祭には藩より奉幣と共に必ず代官が参列している。 
10月の秋の大祭には町内各神社の神輿が集合し、馬場では(昭和42年県無形文化財指定)御供馬行事があり、飾られた馬が少年騎手によって270mの参道を駆け抜ける稚児競馬があり勇ましい掛け声が聞かれる。また池原地区よりは獅子舞、町地区に於いては県東部唯一の牛鬼が繰り出され、午前中境内は絢爛豪華な祭りとなる。 
平成5年4月吉日 加茂神社

 
御供馬行事資料館
お供馬の走り込み
中川凡洲句碑
神馬像
神馬の由来 
当神社の本社、京都賀茂別雷神社では、奈良時代より競馬の行事があり約千年以前の寛治4年、堀河天皇の勅願によって毎年奉納されることとなった。そこで、全国で20ヶ所の土地を選んで、神社の領地とし、その土地からの収入を競馬の費用とした。菊間町もその時神領地となった。約500年の間庄園地であったが徳川時代となって、その関係は絶たれたが本社5月の葵祭には、菊万の庄と名乗って召立に応じる儀式が今も残っている。本社の葵祭競馬の様式を模倣して昔から行われているのが、愛媛県指定、無形文化財、民俗資料、走り馬の行事である。
加茂池改修記念碑
・着工 昭和32年9月、竣工 昭和33年6月
・総工費 600万円
※傍らには、「奈良原山遊歩道 山頂展望台まで670m」の標識が無造作に置かれている。
第13回全国市町村ホースサミット開催記念碑
・「人と馬 新たな文化の創造  平成14年10月吉日 菊間町 菊間町長 白石隆彦書」
 
愛媛県指定無形民俗文化財 
五百年の伝統行事お供馬 
お供馬の祭りを唄う 
詩 サトウハチロー 
おやぢも乗ったぞ 
おぢいもやったぞ 
おいらも負けずにがっちりやるぞ 
手をふる母だぞ 
妹もいるぞ 
タノムといえば うなずく馬だぞ
加茂池
・拝殿・本殿裏の丘の上には大きな溜め池、加茂池がある。
奥之御前社
・池の辺には「奥之御前社」という小さな祠が祀られている。
・昭和57年6月吉日
・改築 岡田建設、寄進 清水産業
加茂神社御旅所
・県道沿い、参道に至る橋の袂には「御供馬行事」の案内板が立てられている。
 
お供馬の行事 OTOMOUMA 
昭和52年1月11日 県無形民俗文化財 

加茂神社境内において、はち巻き、たすきがけ姿の少年騎手が、色鮮やかな布団や金糸・銀糸の刺しゅうで飾られた化粧鞍の馬にまたがり、5頭程度の馬が一団となり馬場を一気に駆け抜ける勇ましい行事が行われます。 
「お供馬」は、菊間がむかし京都上賀茂神社の神領だったところから、同神社の「競い馬」の神事にちなんで伝えられたとされ、毎年10月10日の菊間秋祭りに豊年や子供の健康を祈願して行われている。 
そのほか当日境内では、継ぎ獅子・牛鬼や神輿(大小の神輿10数体)が繰り出し、にぎやかに祭り絵巻が繰り広げられます。

愛媛県無形民俗文化財 お供馬の行事 
昭和40年12月24日 県民俗資料指定 
昭和52年1月11日 県指定替 
毎年10月9日・10日の両日、加茂神社の例大祭に神社境内でおこなわれる。子供が騎手となって走り馬(競馬)の行事と、これらの馬が神輿の渡御に供奉する行事を総称してお供馬の行事という。 
寛治4年(1090)京都上賀茂神社の庄園となった菊間に分社を奉斎し本社葵祭の競べ馬を模倣したものであろう。明応4年(1495)の祭礼の条に「侍競馬」記事のある古文書が現存する。 
所有者 加茂神社

賀茂別雷神社【菊間町佐方】

亀山八幡神社【菊間町佐方】
1999/7/20
亀山八幡神社古墳
亀山八幡神社寄附板
・菊間町指定有形文化財(昭和58年3月指定)
境内社:厳島神社
境内社:祇園神社
★本殿裏の小径を下りていくと、山裾に洞門があり、奥から水が湧き出している。説明板も何も建っていない。誰が何時、何のために掘ったものか。(1999/7/20)

客金刀比羅神社【菊間町池原(いけのはら)】
2004/2/22
・祭神:伊弉那美命、猿田彦命、菊理比賣命、大物主命
・拝殿中央に昭和59年1月奉納の大絵馬、その周りを彩色鮮やかな三十六歌仙絵馬が並ぶ。
常夜灯
・天保十巳亥歳十月吉祥日

貴船神社【菊間町佐方】
1999/7/20
・鳥居には「天保十巳亥」との銘がある。

荒神社【菊間町】
・瓦業者の守護神
瓦の燈籠
・約160年前の天保2年に造られた。
・当事の瓦師の氏名が台座に刻み込まれている。

河野神社【菊間町田之尻】
2004/2/22

金毘羅宮【菊間町佐方】

厳島神社【菊間町】
菅船長の銅像
・日支連絡船長崎丸の船長、菅源三郎の銅像であり、厳島神社境内にある。
・長崎丸は昭和17年5月、長崎港外で味方機雷に触れて沈没した。
・この事故の責任を取り、事件後一週間残務整理を行った上で、5月20日自害した。

佐方賀茂別雷神社【菊間町】
1999/7/20
賀茂の大楠

天一神社【菊間町中川】
2004/2/22

砥鹿神社【菊間町田之尻】
2004/2/22
社号碑
・昭和39年3月吉日 田ノ尻氏子中
瓦製の狛犬
・昭和19年
子持ち・玉持ち狛犬
・大正3年1月

直国神社【菊間町田之尻】
2004/2/22
・地図上では「若宮神社」になっているのだが…?
・建立は平成3年10月吉日?
・寄進者の殆どが吉井姓。
・屋根瓦に”吉”の文字が見える。

西山客神社【菊間町西山】
・祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命
・弓祈祷

御崎宮【菊間町佐方】

三穂神社【菊間町田之尻】
2004/2/22


お堂

與楽地蔵堂【菊間町浜】
2004/2/22
・菊間中学校裏

田ノ五家供養堂【菊間町田之尻】
2004/2/22




地蔵

比留女地蔵(ひるめじぞう)【菊間町高田】
1997/10/30、2004/2/22、2005/6/18
・「ひるめ」とは高貴な女性の尊称である。
・豊臣秀吉の四国征伐で高仙城と命運を共にした黒岩城タカ姫が流浪の果てに生涯を終わった場所と言われる。
・女子の特殊信仰があり、心願成就すると男根を象ったものを奉納する慣習がある。
比留女地蔵の由来
・天正14年、豊臣秀吉の四国進攻のため、高仙城(菊間町亀岡)と黒岩城(菊間町松尾)は相次いで落城した。
・この黒岩城の城主、渡部内蔵進には、眉目秀麗、節操高潔で近隣に名高いタカ姫が居た。
・落城に伴い一家離散となり、タカ姫は高田村に身を寄せたが、ここでたまたま尿道の病に罹ってしまった。そこで田中地蔵尊に祈願したところ、病気は忽ち平癒した。
タカ姫は、この地に真経その他経籍等百巻を石函に収めて祈念した。
・それからというもの、霊験あらたかなることが衆知となり、老若男女が心願に訪れるようになった。そして心願成就の御礼参りには幟、鳥居石仏、男根(の形の石)を奉納するようになった。
・毎年8月21日、タカ姫の慰霊のため祭礼が盛大に行われる。

青木地蔵堂【菊間町】
・番外霊場
・弘法大師が杖で「水の湧く所」と示されたところから清流が湧き出た。これは御加持水と呼ばれている。




高仙山【菊間町】
2004/2/22
・三等三角点  三角点名:子瀬山 標高:248.3m
高仙神社
池原神社
高仙山城
・菊間町指定史跡(昭和58年3月)
高仙山城跡の説明碑
高仙山城跡
寛治4年(1090)、此の地に加茂別雷神社貴布祢神社が祀られてあったが、数度の遷座の末、加茂神社は菊間へ、貴布祢神社は岩谷へ移される。現在の高仙神社には加茂別雷神社と貴布祢神社が祀られ、池原神社には城主池原兵部通成以下将兵を祀る。正平年間(1346年頃)伊予の名門河野一族である池原近江守通去が山城を築き居城とする。永禄年間(1558年頃)池原兵部通吉が城主となる。天正13年7月(1586)豊臣秀吉が天下統一のため小早川隆景に命じて四国平定の軍を起す。隆景は数万の大軍を率い、来島通総を先兵として新居浜に上陸。連戦連勝破竹の勢いで東予の諸城を陥し入れ、重茂城無宗天城を降伏させて高仙城を攻める。時の城主池原兵部通成は、200余名の兵を率いて大門大松山(伊予亀岡駅付近)に迎えて防戦につとめたが多勢に無勢、大門大松山は破られ(今も此の地に当時の戦死者を祀る千人塚あり)長谷の山崎の砦も落されて残兵わずか19名と共に城に引揚げる。高仙城では決死の攻防が続けられたが、遂に刀折れ、矢は尽きはて、谷に充満する大軍を眺めながら若干19歳の勇将通成自刃し、高仙城と共に生涯を終える。 
時、天正13年7月13日、真っ赤な夕日が西の海に沈む頃であった。 
平成4年4月吉日 種部落

・菊万庄鎮守神社 賀茂別雷神社 貴布祢神社 鎮齊之所
・南朝正平23年北朝慶安元年9月6日府中陣佐波之木梨入道軍兵士山麓ニ移サル
・京都賀茂別雷神社神領伊与国菊万庄佐方保。

奈良原山遊歩道【菊間町浜】
2004/2/22
遍照院元所在地
・菊間町指定旧跡(昭和57年3月 菊間町教育委員会)
・延宝の頃、古寺の地より この地に建築・移転して天保4年現在地へ
子育て薬師
子育薬師御詠歌
北の山いくとせへぬらん日輪寺 子育祈願たゆることなき
知恵の文殊
文殊菩薩御詠歌
奈良原の山より衆生見廻して あまねく知恵をさづけたまえる
太鼓岩
瀬戸内海の島々の眺望
中島/小安居島/安居島/上蒲刈島/斎島/豊島/大崎下島/大崎上島/岡村/小大下島/大下島/大三島/怪島/小部島/大島
いこいの森公園


鉱山

川・渓谷

歌仙滝川

長坂川

坊瀬川
・土石流危険渓流
・新西山橋の袂で標識を確認。

高田池【菊間町高田】
2005/6/18
森松章吉氏頌徳碑
「高田池」の碑
小社


霧合の滝(きりあいのたき/むごうのたき)

歌仙の滝(かせんのたき)


ダム

新西山橋【菊間町西山】
2005/6/18
・平成4年9月
・長坂川に架かる。
※18:00のチャイムが鳴り響く。メモし損ねたのだが、確か「遠き山に陽はおちて」だったはず。(2005/6/18)


風景

ホタルの生息地:西山【菊間町西山】

ホタルの生息地:高田【菊間町高田】


洞窟・鍾乳洞

樹木

賀茂の大楠【菊間町 佐方賀茂別雷神社】
1999/7/20
・県指定天然記念物(昭和40年3月29日指定)
・樹齢約600年
・太さ(目通り)7m、根回り約4m、樹高25m、枝張り東20m、西37m、南20m、北11m。
・地上4mの所から二つに分岐し、更に多くに分かれて姿勢整然、樹木も頗る旺盛である。
・境内には老松も多く繁茂しており、森厳な社叢である。









蚊麿/三柳子川柳碑【菊間町 遍照院】
「ひたすらに 生き雨降れど 風ふけど」 蚊麿
◆梅小路蚊麿
・本名、林俊吉
・昭和22年、むつみ吟社創立に参加。
・以後、菊間瓦版川柳会顧問を務める。
・昭和57年3月12日没
「貸す力 ないが人情 ほっとけず」三柳子
◆三柳子
・本名、大内繁雄
・昭和39年より川柳を志し、昭和51年より菊間瓦版川柳会会長を務める。
 


公園

瓦のふるさと公園【菊間町】
かわら館

歌仙公園【菊間町松尾】
1997/10/30、2004/2/22
・えひめ森林浴八十八ヶ所 61番 「歌仙の滝公園」
・春は桜、秋は紅葉の名所として知られる。
・毎年3月の彼岸の中日(春分の日)にはお滝まつりが行われ、往古より多数の参拝者を集める。
新滝(観音滝)霧合の滝(古滝)の2つの趣の異なる滝がある。
 
歌仙の滝(かせんのたき)
・菊間町指定名勝(昭和58年3月)
・高さ67.7m(県内10位)、幅4.8m(県内第21位)
・二段に屈折し、中腹に滝壷がある。小さい屈折を数えれば36曲がりあるため三十六歌仙に因んで歌仙の滝と呼ぶようになった。
・上十八間、下十八間、合計三十六間を三十六歌仙に例えて、歌仙の滝と呼ぶようになったという説もある。
・「松尾滝 青壁の巌万尋なるに、松柏蔽いて幽渓斜に深く、石路羊腸として寒水咽ぶ、其高さ五六間、苔岩足を噛で、甘水小洞に順い、実に殊成清景也、昔より観音堂有、麓に真言宗別常光寺あり、此二十八、九年己前、大宗定直公みかげ石を以て滝見観音を御建立遊さるという(一書滝二つあり、上の滝十八間、下の滝又十八間あるとぞ、近世は歌仙の滝と称せり)、
「夕暮は月を松尾の山かせにこころ砕けるたきのしらたま」
(予陽郡郷俚諺集)
・松山藩祖松平定直公がこの付近に宿せられたとき、この滝を賞でて歌われたと伝えられる。
「夕暮は月を松尾の山かげにこころ砕くるたきのしらたま」
・松山藩祖松平定直公がこの付近に宿せられたとき、この滝を賞でて歌われたと伝えられる。
・「歌仙滝 松尾村の西南字瀧口に在り 一に松尾瀧ともいふ 長さ三十六間 幅二間 水四時絶へず 伝えいふ 瀑三十六曲をなす故に三十六歌仙に擬し歌仙瀧と称す 俚諺集に云ふ 青壁の巌に寒水倒に落つ 左右に松杉生ひ茂りて昼猶暗し 瀧の傍なる石上に観音の石像を安置せり 風景絶佳なり 松山城主久松定直の歌あり
  夕暮は 月をまつをの 山風に こころくだくる 瀧の白玉」(伊豫温故録)
※「山かげ」と「山風」の違いがあることに注意!
 
●四国八景 歌仙の滝 
歌仙の滝は、高さ67mで県下第10位、巾は4.8mで第21位となっている。2段に屈折し、中腹に滝壷があり、小屈折を数えれば36曲あるため、36歌仙にちなんで歌仙の滝という。 
岩上に石造観音像を安置しており、この観音像は滝見観音ともよばれ大正期の作で、松山藩4代藩主松平定直公の建立された滝見観音は、観音堂の正面石段の登りきった右側に安置されています。 
毎年三月彼岸の中日(春分の日)には、お滝祭が行われ、相当古くから多数の参拝者を集め盛んである。 
春は桜、秋は紅葉の名所として知られている。 
夕暮れは 月を松尾の 山風に 心くだくる 滝の白玉  定直公
別当常光寺(滝観音堂)
・滝の中段、岩上に有る御堂(石造観音堂=滝観音堂)で大正期の作。
滝見観音
・松山藩四代藩主松平定直公の建立した滝見観音は、観音堂の正面石段を上りきったところの右側に安置されている。
・地元では「お滝さん」の愛称で呼ばれる。
伊予十二景の碑
霧合の滝(きりあいのたき/むごうのたき)
えひめの自然百選
・菊間町指定史跡(昭和58年3月)
・歌仙の滝より約500mほど県道を上ったところにある。
・雄滝、雌滝の二つの滝から成る。
・樹間に観音石像が刻まれている。
古滝(ふるだき)とも云われる。
★1999/3/8、菊間出身のLNC-KAZさんから御意見メールを戴いた。菊間っ子は「むごうのたき」と呼んでいるとのこと。
 
●霧合の滝 
古滝とも言われ、歌仙の滝(現在地)から500m上がった県道沿いにあり、岩角によって雄滝(おだき)、雌滝(めだき)に分かれている。水量が多く、ごうごうと雷のように音を立て、しぶきが霧になって滝壷をおおっています。この滝にも樹間に観音石像がまつられ、古くから信仰されています。 
県道沿いに桜並木が広がり、ハイキングコースとして親しまれています。
歌仙ダム
・霧合の滝から更に県道を上っていったところにある。
歌仙滝川
テレビ塔
●テレビ塔 
昭和39年9月、上流7kmの山頂にUHF、NHKテレビ局に続き、南海放送、テレビ愛媛と3局が開局され電波の中継基地になっています。この地点、海抜450mからは、風光明媚な瀬戸内海並びに近郷町村が眼下に展望され、遠くは西条、新居浜方面が望め、森林ドライブコース、ハイキングコースとして利用されています。

池原小ヶ丸広場公園【菊間町池原】
2005/6/18
お供馬乗馬体験練習場
「子供の国ここに展く」の碑
・菊間町長 白石隆彦


祭り

イベント

厄除祭【菊間町 厄除大師遍照院】
・午前9時過ぎから厄払いの大護摩祈祷が行われる。
・午前10時と午後2時に、61歳男女による餅撒きや豆撒きが行われ、引き続き41歳の厄男に担がれた鬼瓦御輿が町へと繰り出す。

お供馬の走り込み【菊間町浜 加茂神社】
・10月10日に開催される。
・愛媛県指定無形文化財(昭和40年指定)
・正装した駿馬に鞍が置かれ、その上に友禅模様の装飾具が施され、少年が馬に乗り込む。少年は白いシャツに平袖の長襦袢を着用し、えび染めの襷を十文字に掛け、約300mの参道を一気に駆け抜ける。


施設

かわら館【菊間町】


学校

温泉

伝説

キャンプ

海水浴

人物

その他

隠れキリシタンの聖石【菊間町】
・徳川時代のキリスト禁制で隠れキリシタンがキリストの象徴として拝んでいたもの。
・町内各地にひっそりと点在しており、約60石が現存している。

菊間港【菊間町浜】
・「菊間港 浜村字宮本に在り 港口西北に向ひ 満潮深さ九尺 干汐には底を見る 定繋船六十七艘あり」(伊豫温故録)



《References》



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