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![]() ![]() こたろう博物学研究所 市町村別情報庫 今治市 (旧・伯方町) |
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町の花 | 町の木 | 町の花木 | 町の鳥 |
さつき | クスノキ |
大字 | 字 | 備考 |
有津(あろうづ)
→今治市伯方町有津 |
神功皇后が三韓征伐の帰途、この辺りで座礁した。
その時、神功皇后がこの激しい潮流を眺め、洗津と名付けた。 |
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木浦(きのうら)
→今治市伯方町木浦 |
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叶浦(かのうら)
→今治市伯方町叶浦 |
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伊方(いかた)
→今治市伯方町伊方 |
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北浦(きたうら)
→今治市伯方町北浦 |
十一面観音菩薩立像(1躯)【伯方町 観音寺】
・町指定有形文化財[工芸品](昭和62年3月6日指定)
八幡さんの和船、石船雛形(2隻)【伯方町 喜多浦八幡大神神社】
・町指定有形文化財[工芸品](平成6年7月29日指定)
喜多浦八幡大神神社(11本)【伯方町 喜多浦八幡大神神社】
・町指定有形文化財[古文書](平成11年1月11日指定)
三島神社棟札(12本)【伯方町 三島神社】
・町指定有形文化財[古文書](平成16年9月24日指定)
寛永十二年豫州木浦村年代記(1冊)【伯方町 三島神社】
・町指定有形文化財[古文書](平成16年9月24日指定)
地蔵院の什器・什物及び仏像(5点)【伯方町 地蔵院】
・町指定有形文化財[古文書](平成15年10月28日指定)
喜多浦八幡大神神社芝居小屋【伯方町 喜多浦八幡大神神社】
・町指定有形文化財[建造物](平成6年7月29日指定)
荒神山古墳【伯方町有津】
・町指定有形文化財[史跡](昭和57年2月9日指定)
岩ヶ峰古墳【伯方町木浦】
・町指定有形文化財[史跡](平成2年7月26日指定)
鉾山(宝股山)石神・盤座及び出土遺物【伯方町有津・叶浦】
・町指定有形文化財[史跡](平成16年2月2日指定)
弓放し(弓祈祷)【伯方町 喜多浦八幡大神神社】
・町指定民俗文化財(平成16年2月24日指定)
金ヶ崎城跡【伯方町金ヶ崎】
松ヶ鼻城/城ノ台見張台後【伯方町】
木浦城【伯方町木浦
岩ヶ峰】
宝股山(鉾山)【伯方町】
・伯方島の最高峰で、標高は304m。島のほぼ中央に位置する。
・古代高地性集落遺跡(弥生時代)として知られ、山頂にはメンヒルが存在する。
・古代の山城であったと言い伝えられ、弥生式土器などが出土している。
開山
・高地性集落遺跡(弥生時代) がある。
・標高149m。
・愛媛県最古の旧石器時代の遺跡。
叶浦(かのうら)遺跡【伯方町叶浦】
金ヶ崎(かんがさき)遺跡【伯方町】
・サヌカイト製、ハリ質安山岩製のナイフ形石器、舟底型石器、流文岩製細石核などが出土している。
・昭和58年に出土した、ナイフ型石器・削品など約200点は旧石器時代後期のものと認定され、その他に縄文・弥生・古墳時代の遺跡も発見されている。
熊口(くまごう)遺跡【伯方町】
岩ヶ峯古墳【伯方町木浦
岩ヶ峰】
・町指定有形文化財[史跡](平成2年7月26日指定)
荒神社古墳【伯方町】
枝越館【伯方町枝越】
・甘崎城主今岡通任が建てたと言われる館。
・通任は、村上義弘の姉婿で、鼻栗・船折二つの瀬戸の海上警固と海賊追捕の任にあたったと言われる。
今岡古館・屋敷井戸【伯方町伊方】
瀬山見張り台【伯方町伊方】
太夫殿狼煙台跡(太夫殿見張所・狼火台)【伯方町】
・因島村上家の武将北畠大膳太夫の居城が、伯方島北端トウビョウ鼻から南1kmのところにあった。
・この地から発せられた狼煙による信号は、岩城島見張台を経由して因島青影城に通報されていたという。
・桟橋跡などが現存する。
西明寺【伯方町有津1541】
・宗派:真言宗
禅興寺(ぜんこうじ)【伯方町木浦3645】
・宗派:曹洞宗
・能島城主村上氏により室町時代に開かれた。
・村上氏の菩提寺。
・寺のある大深山からの瀬戸内海の眺望は非常に美しい。
![]() ・村上山城守雅房公は村上水軍・能島家の祖である。 |
![]() ・禅興寺から東へ約200mのところにある。ここはかつて能島村上氏の館が置かれた場所である。 ・能島村上氏初代・村上雅房(まさふさ)公と奥方の五輪塔が静かにたたずんでいる。 |
善福寺【伯方町北浦1986-2】
・宗派:曹洞宗
![]() ・文政12年(1829)に奉納されたもの。 |
![]() ・春の例祭で、村芝居が上演される。 |
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塩竃神社(しおがまじんじゃ)【伯方町】
・塩田近代化臨時措置法成立(昭和46年)で塩田が廃止されるまでは、製塩業者の参拝で賑わった。
須賀神社【伯方町】
三島神社【伯方町木浦】
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地神さん/幸神さん【伯方町北浦】
北浦城薬師堂【伯方町北浦】
弥三地蔵(やさじぞう)【伯方町北浦】
・住民の身代わりになって打ち首になった弥三郎を村の鎮守として祀ったもの。
・むかし北浦八幡宮の前が海だったころのこと、ある日、薩摩藩の御用船一漕が八幡宮前の浅瀬に乗り上げ難破した。それを村人たちが手助けしたのだが、手伝っている最中に、ある村人が、積荷の中の塗り物の箱から砂糖がこぼれているのを見つけた。それが何だかわからず、舐めて確かめたところ初めての味わい。驚きの甘さに思わず声をあげた。この声に反応したほかの村人も集まり、我も我もとその砂糖をすべて舐め尽くした。ところがこの砂糖、薩摩から太閤へと献上するものであった。さむらいは「村人全員を処断する…」と怒った。弥三郎はその責任を全て被って自首した。弥三郎は「くじめ」という場所の「いばがわ」で首をはねられた。
村人は身代わりになって斬首された弥三郎を弔うために地蔵として祀った。
宝股山[鉾山](ほうこさん、ほこさん)【伯方町 伯方島】
・伯方島の最高峰で、島の中央に位置し、標高は304m。
・瀬戸内海国立公園
・新伯方八景
・大三島橋、伯方・大島大橋が眺められる。
・古代高地性集落遺跡としても知られ、山頂にはメンヒルがある。古代の山城であったとの伝承があり、石鏃や弥生式土器などが出土している。
開山(ひらきやま)【伯方町 伯方島】
・伯方島北西部に位置する標高149mの山。
・瀬戸内海国立公園
・新伯方八景
・大三島橋、伯方・大島大橋、多々羅大橋が眺められる。
・展望台からは、北に中国山脈、南に四国山脈を一望することができる。
・弥生時代の高地性集落遺跡がある。
・公園内には、270mの遊歩道や、フラワーパーク、36mの滑り台などの遊具がある。
![]() ・春は桜の名所として知られる。 |
大深山【伯方町】
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岩ヶ峰【伯方町】
・標高98.2m
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日の山(瀬山)【伯方町】
鼻栗瀬戸【伯方町】
・西瀬戸自動車道の大三島大橋(全長328m、昭和54年完成)が架かる。
・瀬戸内海国立公園
船折瀬戸(ふなおりせと)【伯方町有津(あろうづ)】
・瀬戸内海国立公園
・新伯方八景
・「有津瀬戸」「「有津の瀬戸」」とも呼ばれる。
・伯方町有津と宮窪町鵜島(うしま)に挟まれた急潮の瀬戸。
・見近島、能島、鵜島などの島がある。
・西瀬戸自動車道の伯方大橋(全長326.4m)・大島大橋(全長840m)が架かる。(昭和63年1月完成)
・先には赤い燈台が聳える。
・矢崎の老松の下には吉井勇の歌碑がある。
・潮流は最大9ノット(17km/h)に及ぶ。船の難所として古来より船乗りたちに恐れられてきた。船折の名は、航行中の船が激しい潮流で真っ二つに折れたことに由来する。
→鶏小島
![]() ・国道317号線沿いにある。平成14年(2003)末に完成。 |
大深山展望台【伯方町】
・禅興寺の建つ大深山にある。
平山郁夫スケッチポイント「しまなみ海道五十三次」
(36).伯方港 四阪島と四国山系を遠望(ふるさと歴史公園内駐車場)
(37).伯方島 伯方大島大橋(国道317号線沿い、駐車場から20m(徒歩1分))
伯方八景
・伯方町出身の俳人・阿部里雪が「伯方八景案内」(1956)を出版し、その中で紹介・普及に努めた。
@叶浦海岸 | A | B | C |
D | E | F | G |
新伯方八景
・伯方中学校3年「伯方エイトグループ」選定(平成17年)
・生徒・保護者約300人へのアンケート調査に基づき選定した。
@木浦港 | A沖浦ビーチ | B宝股山 | C有津港 |
D伯方ビーチ | E開山 | F船折瀬戸 | G鶏小島 |
叶浦海岸【伯方町叶浦(かのうら)】
・伯方八景
木浦港【伯方町木浦】
・新伯方八景
松ヶ鼻【伯方町】
トウビョウ鼻【伯方町】
金ヶ崎(かんがざき)【伯方町】
・愛媛県最古の旧石器時代遺跡がある。
鶏小島(にわとりこじま)【伯方町】
・船折瀬戸の西方海上には鶏小島が浮かぶ。
・この島には、神功皇后の三韓征伐に纏わる伝説がある。
神功皇后が三韓征伐の帰途、船がこの辺りで座礁した。そのとき、三韓から持ちかえった金鶏が島に住みついたのだという。島の名の由来は、「元旦の朝に島に住む金鶏が泣く」からとか。
・白く美しい燈台が建つ。
・村上水軍の出城があった場所とされる。海岸には桟橋跡が残されている。
禅興寺の大楠【伯方町木浦 禅興寺】
吉井勇の歌
「 人磨か むかしいゆきし 海をゆき うまし伯方の 島山を見む 」
・句碑が建立されているわけではないが、耽美派の歌人吉井勇は伯方島の風光をこよなく愛し、昭和初期に滞在し、多くの歌を残している。
・この歌は、有津矢崎明神鼻で歌ったもの。
ふるさと歴史公園【伯方町木浦甲546番地(伯方島)】
2015/5/10
・入園無料
・開園時間:09:30〜16:30
・休園日:月曜
・面積:13,000m2
・1994年5月に完成した。
・標高100mの岩ヶ峰の山頂につくられた、木造・瓦葺の中世前期城郭様の建物「木浦城(ふるさと歴史公園居館)」内部には、歴史資料(民俗資料、造船、海運、製塩、農業、教育の資料など)の展示室やビデオシアター、展望回廊などを完備している。
![]() ・標高98mの岩ヶ峰山頂に木浦城(居館)を復元している。 ・木浦城は、12〜13世紀に瀬戸内海の海上権を制圧していた紀氏(きのし)の本城であった。 |
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開山公園【伯方町】
叶浦水軍公園【伯方町】
伯方産業祭(1月中旬)
・カラオケ大会、喜多浦八幡太鼓、地場産品展示即売などが行われる。
伯方島一周駅伝大会(1月中旬)
アグリフェスタ[ふるさと品評会](1月中旬)
トンドまつり(1月15日)
弓放し(2月11日、喜多浦八幡神社)
・喜多浦八幡神社にて行われる豊作祈願、魔除の神事。
・祭りの由来は、自給自足で食料を確保してきた北浦地区が、天明の大飢饉(1782〜1787)で夥しい数の餓死者を出したことから、豊作を邪魔するあらゆる災いを射払うことを祈念して始めたという。
・現在は、北浦七地区の持ち回りで実施している。
・宮司、射手、氏子総代らが社殿で神事を終えた後、弓場に入り、矢を放つ順番を古式の作法に則り決める。
・白装束に黒い烏帽子を被り、赤の襷を掛けた射手は、約10m先の的をめがけて矢を放つ。境内の弓場はその年の鬼門に方角を合わせて的を置く。射手は「前の一番、後ろの一番」と声を上げて順番を決定する。
・引き続き、厄年を迎えた人達による試射を行う。
・そして、「ひょうけんじい」と呼ばれる世話役が、「家に福をもたらす」と伝えられる飾り矢を弓場の外に向けて放つ。
![]() 今治市伯方町北浦の喜多浦八幡神社(馬越祥穂宮司)で11日、禍事(まがごと)を射払う神事「弓放し」があった。地区内の男子中学生6人の射手が五穀豊穣(ほうじょう)や家内安全を願い、矢を放った。 白装束に身を包んだ6人は、射手と弓矢をお払いする神事の後、メーンイベントの的場神事を行った。赤いたすきを掛けた射手は、今年の恵方である北北西に設けた約15メートル先の的を狙い、真剣な表情で弓場から矢を放った。見事に的を射ると、見物客から「オーッ」と喝さいと拍手が起きていた。 (愛媛新聞、 2007/02/11) |
弓祈祷(2月11日、三島神社)
・木浦40地区の持ち回りで当屋組を務める。
・「鬼」の文字を逆さにした「逆鬼」などの的に宮司が矢を放ち、その後当屋組が的を射る。
春市[芝居祈祷](4月20日頃の土・日曜日)
・喜多浦八幡神社にて行われる神事。
・神社境内に芝居小屋が備えられており、寛政時代の年号の入った由緒ある衣装を纏い、芝居が繰り広げられる。
伯方町民大運動会(5月中旬)
はかた夏祭り(8月中旬)
くんちの子供相撲【伯方町有津】(9月9日)
・戦前から行われている。
伯方健康まつり(10月10日)
秋まつり(10月15日)
・枝越獅子舞は古い伝統を誇る郷土芸能である。
伯方産業文化祭(11月3日)
瀬戸内水軍マラソン(11月下旬)
道の駅
伯方SCパーク【伯方町叶浦1668-1】
・西瀬戸自動車道・伯方インターチェンジ近傍に位置し、伯方・大島大橋が眺望できる。
・伯方町民会館、体育館、テニスコートなどが完備されている。
![]() ・平成11年オープン。 ・みなとオアシス(国土交通省認定) ・伯方島の特産品販売所、レストラン、レンタサイクル貸出所などがある。 |
町民会館・勤労者体育センター【伯方町】
鶏小島の伝説
昔、神功皇后が、三韓征伐の帰り、伯方有津のビキの海岸に上陸され、しばらくご逗留したときのことである。
お庭番が、皇后様が三韓からお持ち帰りになった金鶏の世話をしていたところ、ちょっと目を離したすきに沖合いの小島へ逃げ込み、とうとうそこへ住みついてしまった。それ以来、この小島を鶏小島とか金鶏島と呼ぶようになった。
今でも、元旦の朝早く「トーテンコー」と鳴くといい、その声を聞いたものは幸運に恵まれると言われている。
沖浦ビーチキャンプ場【伯方町】
沖浦(おきうら)ビーチ【伯方町】
・新伯方八景
・伯方港より車で西へ約6分に位置する砂浜の海水浴場。
・沖浦ビーチ周辺には、原始時代や中世(水軍時代)の遺跡・史跡が数多く残っている。
伯方ビーチ【伯方町】
・新伯方八景