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こたろう博物学研究所 市町村別情報庫 西条市 (旧・小松町) |
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市の花 | 市の木 | 市の花木 | 市の鳥 |
大字 | 字 | |
明穂(あかお)→西条市小松町明穂 | ||
石鎚(いしづち)→西条市小松町石鎚 | ||
大郷(おおご)→西条市小松町大郷 | 「大江村 石井郷 古昔は大篭と書し由、中頃は大郷と書く」(小松邑志) | |
大頭(おおと)→西条市小松町大頭 | ||
北川(きたがわ)→西条市小松町北川 | ||
新屋敷(しんやしき)→西条市小松町新屋敷 | ||
南川(みなみがわ)→西条市小松町南川 | ||
妙口(みょうぐち)→西条市小松町妙口 | ||
安井(やすい)→西条市小松町安井 |
法安寺塔跡【小松町北川
法安寺】
・国指定史跡(昭和19年3月7日指定)
・県最古の古代寺院遺跡。
・飛鳥時代に建立された。推古4年(西暦596年)、周敷郡の豪族で天皇近侍(名代)の丹治比氏の建立ではないかと言われている。
・現在、塔の礎石12個と金堂跡の17個の礎石が残っている。中門・塔・金堂・講堂が南北一直線上に並んだ、四天王寺式伽藍配置をとっていたと見られる。
単弁八弁蓮華文軒丸瓦
→See.「夢のあと 県内国史跡紀行 法安寺跡(小松町)」、愛媛新聞、2003年11月11日 |
石土神社の高灯籠【小松町妙口
石土神社】
・国登録有形文化財
・昭和6年の建造物
孔雀文磬【小松町新屋敷
宝寿寺】
・県指定有形文化財[工芸品](昭和40年4月2日指定)
金銅蔵王権現御正体(1面)【小松町石鎚
横峰寺】
・県指定有形文化財[工芸品](昭和40年4月2日指定)
木造大日如来坐像(1躯)【小松町石鎚
横峰寺】
・県指定有形文化財[彫刻](昭和40年4月2日指定)
近藤篤山の旧邸【小松町新屋敷】
・県指定史跡(昭和24年9月17日指定)
舟山古墳群【小松町新屋敷】
・県指定史跡(昭和37年11月1日指定)
阿弥陀如来像【小松町旧藩
本善寺】
・町指定有形文化財[彫刻](平成3年7月19日指定)
一柳直卿の書「鵬溟・鯤海【小松町旧藩
仏心寺】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定)
一柳直卿扁額「仏心寺」【小松町旧藩
仏心寺】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定)
一柳直卿扁額「円覚山」【小松町旧藩
仏心寺】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定)
一柳直卿扁額「遺世軒」【小松町旧藩仏心寺】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定)
一柳直卿扁額「逍遥園」【小松町旧藩
仏心寺】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定)
一柳直卿扁額「聞名山」【小松町旧藩
仏心寺】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定)
一柳直卿扁額「観音院」【小松町新屋敷
温芳図書館】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定)
内行花文鏡【小松町新屋敷
温芳図書館】
・町指定有形文化財[工芸品](昭和37年4月2日指定)
乳文鏡【小松町新屋敷
温芳図書館】
・町指定有形文化財[工芸品](昭和49年9月4日指定)
篤山書【小松町新屋敷
温芳図書館】
・町指定有形文化財[筆跡(書跡)](平成3年7月19日指定)
小松藩会所日記【小松町新屋敷
温芳図書館】
・町指定有形文化財[古文書](昭和46年5月18日指定)
小松邑志【小松町新屋敷
温芳図書館】
・町指定有形文化財[古文書](昭和46年5月18日指定)
棍棒頭石器【小松町新屋敷
温芳図書館】
・町指定有形文化財[考古学資料](昭和49年4月20日指定)
土笛【小松町新屋敷
温芳図書館】
・町指定有形文化財[考古学資料](昭和49年4月20日指定)
須恵器柑【小松町新屋敷
温芳図書館】
・町指定有形文化財[考古学資料](昭和49年4月20日指定)
須恵器提瓶【小松町新屋敷
温芳図書館】
・町指定有形文化財[考古学資料](昭和49年4月20日指定)
和同開珎【小松町新宮】
・町指定有形文化財[考古学資料](昭和51年7月5日指定)
有舌尖頭器【小松町明穂】
・町指定有形文化財[考古学資料](平成3年7月19日指定)
高鴨神社神主目次記録【小松町南川
高鴨神社】
・町指定有形文化財[古文書](昭和49年4月20日指定)
妙口東庄屋文書【小松町妙口上】
・町指定有形文化財[古文書](平成3年7月19日指定)
脇差【小松町中町】
・町指定有形文化財[工芸品](平成3年7月19日指定)
一柳直卿扁額「寿徳殿」【小松町新宮
清楽寺】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定)
一柳直卿扁額「龍華院」【小松町一本松
龍華院】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定)
一柳直卿扁額「三島宮」【小松町藤木
三嶋神社】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定)
一柳直卿扁額「三島新宮」【小松町藤木
三嶋神社】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定)
一柳直卿扁額「獅吼山」【小松町西大頭
天福寺】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定)
一柳直卿扁額「蔵王宮」【小松町妙口上
妙雲寺】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定)
一柳直卿扁額「教王院」【小松町南川
香園寺】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定)
小松川藤木遺跡【小松町藤木】
・町指定有形文化財[史跡](平成3年7月19日)
愛媛近代女子教育発祥の地【小松町
小松公民館】
・町指定有形文化財[史跡](昭和62年12月26日)
石根第1〜5古墳【小松町西大頭】
・町指定文化財[史跡](昭和46年11月16日)
大日裏山1号古墳【小松町南川】
・町指定文化財[史跡](昭和40年10月3日)
大日裏山2号古墳【小松町南川
香園寺】
・町指定文化財[史跡](昭和40年12月15日)
旧小松藩主一柳公館跡
・町指定文化財[史跡](昭和47年5月20日)
幻城跡【小松町大日】
・町指定文化財[史跡](昭和46年11月16日)
剣山城跡【小松町大郷】
・町指定文化財[史跡](昭和46年11月16日)
松尾城跡【小松町安井】
・町指定文化財[史跡](昭和46年11月16日)
獅子ヶ鼻古塁【小松町西大頭】
・町指定文化財[史跡](昭和46年11月16日)
旧小松藩一柳氏館跡【小松町御殿】
・町指定文化財[史跡]
矢野玄道来訪の地【小松町南川
高鴨神社】
・町指定文化財[史跡](昭和47年5月20日)
一柳旧藩主墓所【小松町旧藩】
・町指定文化財[史跡](昭和47年6月20日)
小松藩お舟庫跡
2006/2/12
・「発祥地 参勤交代■ 会津戦争出兵」
・「池原利三郎翁 御舟奉行役
諱盛義・通称利三郎其松と号す、近藤篤山より儒学を修む 槍術に長じ沢郷生野に敗るるや田岡俊三郎と共に長州に送る 廃藩と同時に小松藩の財産を政府に奉還すべき七百町歩の山林が町民の手に遺されたのは全て池原翁の功績による 明治の初県会の議員となり又初代の戸長であった。大正七年九月二十二日歿 行年九十一歳」
・「昭和六十二年三吉日 発起人 小松町長 塩出晧治 …」
★小松町のどっかに池原利三郎の歌碑が建っているはずだが…。→一宮神社
広葉杉【小松町旧藩 仏心寺】
・町指定文化財[天然記念物](昭和45年12月15日指定)
ツバキ(有楽)【小松町妙口】
・町指定文化財[天然記念物](平成3年7月19日指定)
ツバキ(明石蓮)【小松町旧藩 仏心寺】
・町指定文化財[天然記念物](昭和45年12月15日指定)
菩提樹【小松町旧藩 仏心寺】
・町指定文化財[天然記念物](昭和 年 月
日指定)
常盤組碑
2006/2/12
・明治36年1月建立
幻城跡【小松町大日】
・町指定文化財[史跡](昭和46年11月16日)
・岡弾上、黒川元春居城。
上城
・標高480m |
下城【新屋敷
小松山の内】
・標高250m |
剣山(つるぎやま)城跡【小松町大郷】
・町指定文化財[史跡](昭和46年11月16日)
・標高240m。
・享禄年中(1528〜1531)、黒川肥前守元春が築き、居城した。黒川元春は土佐国長曽我部元秀の次男であり、長曽我部元国の弟・長曽我部元親の叔父である。元春は元国と不仲になり、享禄の初めに千足山村黒川に来て、黒川山城守通矩と兄弟の義を結んだ。そして通矩と共に諸城を攻め落とし、大業を興すことを謀って長曽我部の姓を棄てて黒川肥前守元春と称した。
(小松町誌には、黒川通尭[=河野十八家の一人]築城とある。)
・幸門城主・正岡右近太夫通純の次男が後継ぎとなり、黒川美濃守通博と呼んだ。黒川通博は河野屋形晴通の従弟であり、また晴通の女を娶ったことから、河野十八将の一人に列した。
・城名の由来は、狼が咥えてきた名剣からという。
・天文年中(1532〜1555)の城主通俊は、大除城主大野利直に味方して戦死。(小松町誌)
・妙之谷川上流の剣山にあった。
・「剱山城 妙口村 黒川左近居之」(予陽郡郷俚諺集)
上城【小松町大郷】
「剣山上城 黒河氏の古城なり。上城・下城有り。上城は大江分、下城は妙口分なり。」(小松邑志) |
下城【小松町妙口】 |
榎木城跡【小松町妙口
都谷】
・標高115m。
・剣山城の支城。
・黒川宗太郎通長の居城。
・武道館より望むことができる。
・天正2年(1574)、城主通広の嫡子惣太郎が、鷺森城主壬生川通国を殺したのち、その部下に追われ榎木城に逃げて自殺したと伝えている。 (小松町誌)
松尾城跡【小松町安井】
・町指定文化財[史跡](昭和46年11月16日)
・安井谷を約5km溯った標高800mの山上にある。
・松本豊後守居城。享禄年中に黒川通尭の攻略を受け、松本豊後守は丹原町来見へ敗走・自害。その後、黒川左近進通重が居城。(小松町誌)
・異伝として、松本豊後守は敗走せず、天正五年(1577)、長曽我部元親に攻められたときに、六本松付近へと敗走したともいう。(小松町誌)
・河野通直の子孫・戸田伊賀守通保が居住したとの説もある。(小松町誌)
「松尾城 安井村 越智式部住之(松本豊後守居、奥方の墓あり)」(予陽郡郷俚諺集)
釼来山城【小松町妙口】
鹿花城、獅花山城、獅子(ヶ)鼻城【小松町大頭】
・町指定文化財[史跡](昭和46年11月16日)
「鹿花(ししのはな)城 大頭村 今井三郎左衛門住」(予陽郡郷俚諺集)
「宇野氏が代々の居城」「宇野隼人正識居城」(小松町誌)
「獅花山城 田野村(大戸) 宇野隼人居」(予陽郡郷俚諺集)
※予陽郡郷俚諺集では、鹿花城と獅花山城を区別しているが、同一の城を指すのではなかろうか?(2005/1)
「文明11年(1479)細川義春の侵入時に城主宇野通平がいた」(小松町誌)
「元亀3年(1572)宇野民部少輔家綱同弟隼人正為綱らが三好氏に味方した石川氏の高尾城を攻略したという。」(小松町誌)
「天正13年(1585)小早川隆景侵入のとき宇野識弘は桑村郡の戦で軍忠状を提出し隆景から感状を与えられたが、その後一族と共に桑村郡衆に討たれたことになっている。この頃廃城になったと思われる。」(小松町誌)
中森城跡【小松町石鎚】
・標高720m。
・伊予温故録によれば「千足山村途中ノ川越前山」にあったという。
・能勢越前守居城。能勢越前守は北条村の飯尾館(娘婿の館)へ敗走・死去した。
※本松寺に能瀬塚がある。
小松川遺跡【小松町】
川原谷遺跡【小松町】
小松川藤木遺跡【小松町藤木】
2006/2/12
・町指定有形文化財[史跡](平成3年7月19日)
・小松橋の下手
仏心寺遺跡【小松町】
香園寺裏山遺跡【小松町】
獅子ヶ鼻遺跡【小松町】
松ノ元遺跡【小松町妙口原】
・奈良時代の8世紀中頃の道路遺溝が確認されている。官道の一部であり、道路遺溝が発見されたのは四国で初めてであった。南海道の存在を確認する手掛かりとして貴重な資料となりうる。(1994/10)
・道路の両側には幅0.5〜1mの側溝があり、側溝で区割りされた古代条里制の跡も伺える。
→See.「奈良時代の官道遺構確認 小松町松ノ元遺跡 南海道の分岐路か」、愛媛新聞、1994年11月1日
新屋敷(道場)遺跡【小松町新屋敷】
・弥生時代
藍刈遺跡【小松町】
・弥生時代
大日裏山遺跡【小松町南川】
・弥生時代
大谷池遺跡【小松町】
・弥生時代
妙口物見峠遺跡【小松町妙口】
・弥生時代
明穂遺跡【小松町】
・弥生時代
明穂中ノ岡遺跡【小松町】
・弥生時代
小松町丘陵上遺跡【小松町】
妙口古墳【小松町妙口】
鶴来元古墳【小松町妙口 鶴来元】
黒川さん【小松町妙口 鶴来元】
妙口裏の谷古墳【小松町妙口】
屋敷古墳【小松町妙口】
楠陵古墳【小松町新屋敷 楠陵】
明穂古墳【小松町明穂】
南屋敷1号墳【小松町明穂】
南屋敷2号墳【小松町明穂】
高入道古墳【小松町明穂】
辻古墳【小松町明穂】
犬吠塚(穴塚)【小松町明穂 柳が内】
石根第1〜5古墳【小松町西大頭】
・町指定史跡
・「石根古墳群 小松町文化財 昭和46年11月16日指定
石根古墳群は、中山川の右岸の段丘上、標高25〜30mの平坦な水田地部に位置している。この古墳は、古墳時代後期後半(6〜7世紀)に造られたものである。
この付近には、かつて約50基の古墳があったようであるが現在、石根第1号古墳から第5号古墳まで5基が現存している。
これらの古墳は、中山川右岸の西部地域を治めていた族長一族の墳墓であろう。低地の群集墳でこのように現存しているのは、珍しく貴重な古墳である。
●石根第1号古墳
夫婦塚とも呼ばれ、椀貸し伝説をもっている。墳丘は縦9.3m、横4m、高さ0.6mで横穴式石室がある。封土がなくなり、石室を形成する葺石が露出している。
●石根第2号古墳
墳丘は、縦11m、横3.4mで、封土の殆どを失っているが、玄室の原形は止めている。使用されている石は、比較的大きさが揃っており、一定の規格によって収集したようである。
●石根第3号古墳
水田の中に方形の跡を止めている。大きさは、東西8m、南北7m、高さ1.5mである。古墳群5基の中では比較的荒廃が少ない。往古の豪族の墳墓と思われる。
●石根第4号古墳
貝塚とも呼ばれ、東西約17.5m、南北約15m、高さ3.2mである。昭和40年代、土砂採取中に玄室が露出し、3個の遺体埋葬の痕跡があった。玄室内の構造が分かるのは、この1基だけである。
●石根第5号古墳
現在封土はなくなっている。墳丘の大きさは、東西9.5m、南北4.5mである。その内部は縦5.4m、横1.5mで、四方に大石を積み、その上を平たい石で覆っている。
平成八年三月 小松町教育委員会」
石根1号墳(夫婦塚、西大頭1号墳) |
石根2号墳(西大頭2号墳) |
石根3号墳(西大頭3号墳)
2006/2/12 |
石根4号墳(長塚古墳、西大頭4号墳)
2006/2/12 |
石根5号墳(西大頭5号墳)
2006/2/12 |
大日裏山古墳【小松町南川 大谷】
大日裏山1号墳【小松町南川 大谷】
大日裏山2号墳【小松町南川 香園寺】
・町指定史跡
大日裏山3号墳【小松町南川 大谷】
大日裏山4号墳【小松町南川 大谷】
大日裏山5号墳【小松町南川 大谷】
高鴨神社古墳【小松町南川】
・高鴨神社境内。
・竪穴式石室。
陣が尾山1号・2号墳【小松町南川
大谷】
・大谷池堤防西の山頂。
丸山古墳【小松町南川】
・横穴式石室。
・半壊。
都谷古墳【小松町都谷 祖父ヶ山】
格蔵山古墳【小松町新屋敷
藍刈】
・小松高校敷地拡張時に破壊。
新宮古墳【小松町新屋敷 藍刈】
柏木古墳【小松町新屋敷 柏木】
茨谷1号墓【小松町新屋敷 茨谷】
柿の木谷古墳【小松町新屋敷 大日】
舟山古墳群【小松町新屋敷】
2006/2/12
・県指定史跡
・6世紀後半の古墳。
・舟山1号墳〜20号墳。
「県指定文化財 史跡 舟山古墳(昭和37年11月指定)
町指定文化財 石碑と扁額(平成9年3月指定)
舟山は、小松町の中央部によこたわる東西に長い丘陵で、中央部がくびれた瓢箪形で横から見ると舟に似ているところからこの名があります。標高約15メートル、全山に松や桧が生え、春は桜が開花して小松町の風致地区を形成しています。丘陵の東部には三嶋神社が鎮座し、西部には古墳の霊を祀る花陵霊社が鎮座しています。古墳は丘陵西部に二十基が確認されていますが、國學院大學の大場盤雄博士はこの古墳群の築造年代を六〜七世紀頃と推定されています。
三嶋神社は古来井手郷の鎮守として、各藩主の尊崇を受けてきました。寛永十二年(1635)に焼失しましたが、すぐ新宮原に三代藩主直卿公奉納の「三島新宮」の社号石と「三島宮」の扁額が町指定文化財として現存しています。
平成十六年九月 小松町教育委員会」
●碑
「舟山古墳 愛媛県知事 久松定武書」
新屋敷古墳
(小松邑志)
嘉永七年寅年新宮大山積大明神遷座の舟山を開発中に一古塚を掘当てたという。
堀出出土品
一.青白玉 数多 但管丸糸空有之
一.大刀
一.薙刀
一.槍
一.甲冑
一.矢根
一.陶器 二十三点
[愛媛県郷村変遷史「文化財三宅メモから」、三宅千代二、愛媛出版協会、昭和52年1月1日]
菊塚【小松町北川
大開】
・法安寺跡より南約400m。
・横穴式石室と見られるが、ほとんど破壊。
旧小松藩主一柳公館跡(陣屋跡)【小松町新屋敷】
1999/11/23
・町指定文化財
愛媛近代女子教育発祥の地【小松町
小松公民館】
2006/2/12
・町指定有形文化財[史跡](昭和62年12月26日)
・安政5年(1858)に伊予の国で初めて開設された寺小屋。小松高校の前身となった。
・丹美園により開設された。
・「愛媛近代女子教育発祥之地
安政五年(1858)小松藩士丹信積の妻美園は伊予聖人近藤篤山の「四如の喩」を教育理念とし愛媛で初めて婦女子のための寺子屋をこの地に開く やがてその精神は明治四十年小松町立実用女学校(初代校長一柳春二)に受け継がれ 昭和二十四年には更に愛媛県立小松高等学校家政科として花開き今も文教の町小松に深く根づいている 小松高等学校創立八十周年にあたり女子教育ゆかりの地にこの碑を建立する
昭和六十二年十一月七日
愛媛県立小松高等学校 創立八十周年記念事業期成会」
近藤篤山邸【小松町新邸】
1999/11/23、2006/2/12
・県指定史跡
・1999年5月、一般公開された。
・開館時間:9:30〜16:00
・休館日:月・火曜日、国民の祝日の翌日
・電話番号:0898-72-6199
・入館料200円也(2006/2/12)
「篤山」
・尾藤二州先生の書 |
「慎獨」
・尾藤二州先生の書。篤山先生も「三戒の教え」の一つに入れられている。 |
小松藩校の三幅対
・藩校「養正館」に掲げられていた、教育理念を表したもので、篤山先生が書かれたもの。実物は小松町文化財に指定されている。 |
漢詩
・篤山先生61歳、文政九年(1826)の正月の作詩。 |
書斎
・清静書室(せいせいしょしつ)(正面の額)と名付けられた、篤山先生の書斎。この部屋で、読書、書き物、学生の指導などをされた。 |
篤山椿 |
近藤篤山
(1766〜1846):江戸時代の朱子学者。小松藩藩校「養正館」儒官(学長)として約40年間藩士の教育にあたった。また、私塾を開いて広く日常の心構えを説いた。篤山は「伊予聖人」と呼ばれる。江戸時代の最高学府といわれた幕府直轄の昌平坂学問所で学んだ。 ●三戒の教え:立志、究己、慎独 |
→See.「往時ほうふつ修復完了−小松・近藤篤山旧邸−座像や書展示 あすから一般公開」、愛媛新聞、1999年5月27日
→See.「四国みてあるき−124 小松・近藤篤山旧邸」、愛媛新聞、2000年8月16日
養正館跡【小松町】
1999/11/23、2006/2/12
・「養正館跡
養正館というのは、小松藩の学校(藩校)のことです。小松藩では、学問の振興に力を注いできました。
なかでも七代藩主一柳頼親(ひとつやなぎよりちか)公は、享和二年(1802)藩校である「培達校(ばいたつこう)」を開校し子弟の教育を始めました。
その翌年の享和三年、さらに小松藩の教育体制を整えようと、近藤篤山先生を賓師(ひんし)の礼によりお迎えしました。
篤山先生は、藩の参政であった竹鼻正脩(たけばなせいしゅう)と相談し、藩校の名称も「養正館」と改め、江戸の昌平黌の制度を取り入れ、施設の拡充と教育内容の充実に努めました。この養正館では、藩士の子弟などに主として漢学や習字などの指導がおこなわれました。
養正館の教授役は、篤山先生から長男の南海・次男の簣山(きざん)へと受け継がれていき、小松藩の学風興隆の気風が高まると共に、多くの有能な人材を輩出してきました。
先人が培ってきた養正館の教育精神は、文化の里小松の根幹として、今も小松の教育に生き続けています。
平成十一年十二月 小松町教育委員会」
※旧藩集会所前を通る。
杖■松
============= 一柳公館跡 見越松、太鼓櫓、櫓門、用心門、的、番所、南門、馬屋番、馬屋、松並木 板間、玄関、使者間、内玄関、後間、対面ノ間、袋庭、用人部屋、書院(上/下)、机ノ間、次ノ間、鳥掛間、中ノ口茶所、台所、物置、納戸、居間、化粧室、湯殿、厠、廊下、庭園、中ノ間、奥ノ間、次ノ間、台所 |
「旧小松藩主一柳公館址」碑
・直俊書 |
宣通上人入定の地【小松町上黒河】
・原生林の中にある。
・治承年間(1177〜1180)、宣通上人が入定し、以来入らずの森となっている。
横峰寺(よこみねじ)【小松町石鎚】→西条市小松町石鎚2253
1996/3/9
・四国八十八ヶ所霊場 第61番札所
・電話番号:
・山号:石鎚山(いしづちざん)
・院号:
・宗派:真言宗御室派
・本尊:大日如来(大師が石楠花の木に刻んだという。)
・開基:
・四国88ヶ所霊場には、4つの関所がある。
(1).19番 (2).27番 (3).60番 (4).66番
・横峰寺は標高700m。四国88ヶ所のうち、3番目の高さである。
本堂 |
方丈 |
鐘楼堂 |
大師堂 |
聖天堂 |
山門(仁王門) |
星ヶ森
・本堂から右手500m程登ったところに、大師が厄除けの星供養をしたという。 ・石鎚山の西の遥拝所となっている。 |
稲荷大明神(妻白大明神)
・横峰寺の守神。別名「御道」。豊作、商売繁盛、延命息災などの利益がある。 |
金銅蔵王権現御正体(1面)
・県指定有形文化財[工芸品] |
木造大日如来坐像(1躯)
・県指定有形文化財[彫刻] |
横峯寺別院【小松町石鎚159】 |
香園寺(こうおんじ)【小松町南川】→西条市小松町南川甲19
1996/3/9、2006/2/12
・四国八十八ヶ所霊場 第61番札所
・電話番号:0898-72-3861
・山号:栴檀山(せんだんざん)
・宗派:真言宗智山派
・本尊:大日如来、子安大師
・開基:聖徳太子
・人皇第31代用命天皇の御病気平癒を祈願して聖徳太子が建立された道場である。
・弘法大師が当山の麓で難産の夫人を御祈念になり、健康な男子を安産した。この勝縁により四国第61番目の霊場とされ、安産・子育て・御身代わり・女人成仏の四誓願と御祈祷の秘法を遺れ給うたので、子安大師という。
・「栴檀山(せんだんざん)香園寺(こうおんじ)
この寺は、用明天皇の病気平癒を祈って聖徳太子が開創したといわれています。弘法大師が四国巡錫のとき、この寺の麓にさしかかったところ、一人旅の女の人が道の傍らで、難産で苦しんでいるのを見かけ、さっそく祈祷したところ、男の子を安産したので、大師が「安産、子育て、身代わり、女人成仏」の4誓願と祈祷の秘法を寺に伝えたと伝えられています。
このため、本尊は大日如来ですが、脇仏の子安大師に信仰が集まっています。
子安大師(胸に赤ん坊を抱いた大師像)」(立て看板)
四国八十八ヶ所巡拝 全札八十八回満願 報恩謝徳の碑 |
森紫苑荘川柳碑
「えらい子はいぬがどの子も親思い」 ・森紫苑荘は明治41年5月3日生まれ。 ・平成元年陽春、松山むらさき川柳会が建立した。 |
顕彰慰霊塔
・「この顕彰塔は太平洋戦争中、遠く…」 ・昭和51年11月3日建立 |
子安弘法大師六十周年参拝記念
四国八十八ヶ所霊場 奉納 巡礼記念碑 西国坂東秩父百観音霊場
・昭和51年11月3日 |
種田山頭火句碑(2基)「南無観世音 おん手したたる 水の一すぢ」「枋の夜の 護摩のほのほの 燃えさかるなり」
・常楽記念、平成7年3月吉日 |
愛の道しるべ(坂村真民) |
念ずれば花ひらく(坂村真民)詩碑 |
灯篭
・昭和七年九月吉日 ・遍照殿前 |
遍照殿(本地蔵堂?←1996探訪時の見取り図と付き合わせ確認しておくこと) |
子安大師堂 |
境内社 |
手水石 |
多層塔 |
地蔵 |
手水石
・昭和4年 |
聖徳殿(聖徳大師堂)
・子安大師堂西側。ちょうど神社の境内末社のような様子。 |
大聖堂
・本尊は大日如来で、脇仏は不動明王、子安大師の三尊で、京都市の松田明琳、宗琳父子の作。又、北村西望氏の聖観音像も祀られ、右側は以前の本堂の三体(大日如来、地蔵菩薩、不動明王)左側は大師堂の弘法大師が祀られている。 |
一柳直卿扁額「教王院」
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定) |
子安会館
・昭和46年2月に完成。1、2階は8畳の間で宿泊に当てられ、3階は80畳の大広間。 |
遍照会館
・昭和62年2月に完成。1階は大食堂で350人収容可能。2、3階は宿泊室。 |
祈念堂
・子安弘法大師、如意輪観音、不動明王を祀る。子安大師の誓願を信じ、加持祈祷を受ける者は後を断たず、年間数千に及び御陰を頂く信者も多い。 |
子安橋
・昭和4年6月 |
香園寺 奥の院【小松町南川】→西条市小松町南川乙61-6 |
子安大師の肉付きの面 |
宝寿寺(ほうじゅじ)
【小松町新屋敷 東町】→西条市小松町新屋敷甲428
1996/3/9、2006/2/12
・四国八十八ヶ所霊場第62番札所
・山号:天養山
・院号:観音院
・宗派:真言宗高野派
・本尊:十一面観世音菩薩 立像
・脇仏:随求明王、千手観音、石鎚大権現銅像、六観音坐像(6躯)、十一面観音
・開基:
・天平年中、聖武天皇の勅願により、中山川下流の白坪に創建されたという。(寺伝)
・最初は金剛宝寺と称していた。弘法大師が長期間滞在し、十一面観音の秘法を修め、鎮護国家の道場としたときに現在の寺号に改めたという。
・延宝七己未年(1679)、現在の一ノ宮神社の地に、神社とともに移転した。(小松邑志)
本堂
・本堂には板張りの斜め階段が続いている。 |
方丈 |
庭園 |
大師堂
・宝形造りに、千鳥破風前拝をつけたもの。 |
観音堂
・享保二丁酉年(1717)に落成。 |
安産観音 |
通夜堂 |
隠居所 |
鐘楼 |
稲荷神社 |
水子地蔵堂 |
前仏奉納記念碑 |
孔雀文磬(くじゃくもんけい)(1面)
・県指定有形文化財[工芸品] |
山門
・門前に「一国一宮」の石柱有り。 |
庚申(青面金剛)石像
・稲荷堂南。 ・「青面金剛石像 延宝七年今の社地を開く時土中より掘り出す」(小松邑志) ・像高80cm、幅44cm |
へんろ道
道標
・仏心寺前60番から下り、61番・62番の分かれ道にあったもの。 ・高さ78cm ・花崗岩製 ・「右一の宮」「へんろみち願主真念」「南無大師遍照金剛」「為父母六親施主江戸本銀町小泉五右衛門」と刻まれている。 ※2006/2/12探訪時には 「吉祥寺、七丁」「香園寺 吉祥寺 左」「六十番 横峯寺 六十一番 香園寺」「右…七丁」 などを確認。 |
観音像 |
大師像 |
上人像 |
手水鉢 |
燈篭 |
チシャノキ
・町指定文化財(昭和51年7月5日指定) ・大正13年に信者の手により植えられたもの。 ・目通り3m。 |
直卿の書
・けやきの扁額「観音院」、その真筆(軸物) |
桜
・鐘楼の側 |
奥前神寺【小松町石鎚成就】→西条市小松町石鎚成就417
寒松寺
南明の墓
・貞享元年(1684)10月15日没。享年69歳。 |
興雲寺【小松町明穂】→西条市小松町明穂甲674
・山号:金龍山
・宗派:曹洞宗
・宗祖:道元(承陽大師)、瑩山(常済大師)
・本尊:釈迦如来 脇侍:薬師如来、聖観音菩薩
香積寺【小松町大郷】
「黒川通博が開基と言われるが、其れより以前に寺か墓は有ったものと思われる。黒川家第二代黒川信兼の墓(後に建てた物か?)がある。通博の法号は香積寺殿。」」(http://www.geocities.jp/fm030/syaji.htm)
「長福寺末。久く廃寺なりしを、文政二年己卯再興して小庵を造立す。門外に剣山城主黒川氏ノ古墳数多有り。苔蝕して半は摧残せり」(小松邑志)
「大郷村字山田原に在り、年月詳かならず黒川弾正通博これを創建す」(伊豫温故録)
黒川元春の墓 |
黒川信兼の墓 |
伝 黒川通博の墓 |
清楽寺(せいらくじ)【小松町新屋敷新宮】→西条市小松町新屋敷甲1876
2006/2/12
・四国八十八ヶ所霊場60番前札所
・新四国蔓茶羅霊場33番
・山号:佛生山
・宗派:高野山真言宗
・本尊:阿弥陀如来(真言:おんあみりたていせいからうん)
・御詠歌:昔より玉の泉の流れこそついに宝に入るなれ
本堂
・本堂前には「ごりやく錫杖」がある。「まわして下さい」と書いてあるが、何の御利益があるのだろうか。 |
香炉
・昭和十八年三月 ・本堂前 |
一柳直卿扁額「寿徳殿」
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定) ・「寿恵殿 享保■卯■ 因州刺■ 越智頼穏」」 |
大師堂 |
横峯遥拝石 |
舟形石
・明和三年七月十一日、佐伯庄五 |
御夢想観音(ひとこと観音)
「御夢想観音(ひとこと観音)−病気平癒の観音様 清楽寺に伝わる御夢想観音様は、病気平癒に御利益をもつ仏様だと言い伝えられています。 一つの願いであれば必ず叶えて下さる仏様だと言い伝えられていることから、「ひとこと観音」様と呼ばれています。 帰命頂礼観世音 浄く妙なるみ佛は 娑婆の衆生を憐れみて 南無大悲この苦しみを視そなわし 随縁真如の月の影 救わせ給え罪深くとも 如何なる障りも除くなり 南無有難や観世音 合掌三拝」 「石工 神野石材有限会社 第五十五世壮聰代 明順和尚菩提也 為清楽寺中興第五十四世 平成十七年春」 |
坂村真民詩碑「念ずれば花ひらく」 |
手洗石
・享和元年酉七月 |
山門 |
鐘撞堂 |
へんろ道道標
・円柱形 ・明治十年九月 |
★清楽寺の玉垣(寄付金者名)に見られる姓氏(2つ以上見られるもの)
桑原、河渕、塩崎、塩出、白石、戸田、檜垣、日野、堀江、越智 |
善光寺【小松町】
「千足山黒川村に有り。昭和の終わり頃倒壊。」(http://www.geocities.jp/fm030/syaji.htm)
大義寺(だいぎじ)【小松町】
「第十四代総領職黒川元春が大病を患い快気した時に建立されたとされるが、天正陣で焼失し今は六地蔵が残るのみとなる。元春の法号は大義寺殿。」(http://www.geocities.jp/fm030/syaji.htm)
智弘院
・JR伊予小松駅北、郷土靖国神社東。
天福寺【小松町大頭西大頭】→西条市小松町大頭甲493
・山号:獅吼山(ししくざん)
・宗派:曹洞宗
・宗祖:道元(承陽大師)、瑩山(常済大師)
・本尊:釈迦如来 脇侍:虚空蔵菩薩・地蔵菩薩
・「往古は獅子ヶ鼻城城主宇野氏の菩提寺として建立された寺であろうが…」(小松町誌)
一柳直卿扁額「獅吼山」
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定) ・小松藩主・一柳直卿が寄進した。 |
本堂 |
鐘楼堂 |
隠寮 |
観音堂 |
山門 |
庫裡 |
桃梨庵【小松町大郷】
「遺跡詳ならず。往古隠者姓名伝らず有り、此里の渓辺に遁世し、其閑居を桃梨庵と号せし由。其頃桃梨此地に多きを以て名くと云」(小松邑志)
仏心寺【小松町新屋敷旧藩】→西条市小松町新屋敷甲2452
2006/2/12
・山号:円覚山
・宗派:臨済宗妙心寺派
・慶安3年(1650)、二代目小松藩主・一柳山城守直治によって創設された。
・「円覚山(えんかくざん) 仏心寺(ぶっしんじ)
仏心寺は、小松藩の二代藩主一柳直治(ひとつやなぎなおはる)により、その父初代藩主直頼(なおより)の七回忌にあたる慶安三年(1650)に一柳家代々の菩提寺として、臨済宗妙心寺派の南明禅師を開山に迎え建立されました。
江戸時代を通じ境内の拡充が図られ、明治以降も小松藩ゆかりの建物が移築され現在に至っています。
山門(東向き)・御霊屋門(みたまやもん)(南向き)・桜門(境内西)・庫裡などが代表的なもので、珍しい遺構として鐘楼東側に供待(ともまち)(お供の家臣の待機場所)が残されており、藩主菩提寺の格式を示しています。
仏心寺は、藩主と小松藩にとって重要なお寺でしたから藩政時代の古記録や古文書、歴代藩主の書跡、住職の墨跡など貴重な資料も多く残され、小松文化の宝庫と云われています。なかでも大名屈指の書の達人と云われた、三代藩主直卿(なおあきら)の書(双幅)と扁額(四面)は小松町文化財に指定されています。
また天然記念物として、中国原産の広葉杉(こうようざん)(中庭、藩主寄進と伝わる)と、明石蓮(あかしれん)(北庭、紅色の椿)があり、つばき寺としても知られています。
平成十三年三月 小松町教育委員会」(立て看板)
一柳直卿扁額「円覚山」
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定) |
一柳直卿扁額「仏心寺」
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定) |
一柳直卿の書「鵬溟・鯤海【小松町旧藩
仏心寺】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定) |
一柳直卿扁額「遺世軒」【小松町旧藩
仏心寺】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定) |
一柳直卿扁額「逍遥園」【小松町旧藩
仏心寺】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定) |
一柳直卿扁額「聞名山」【小松町旧藩
仏心寺】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定) |
仏心寺橋
・昭和30年9月 |
仏心寺山
・円覚山墓地が広がる。 |
山門 |
御霊屋門(みたまやもん) |
桜門
・境内西 |
庫裡 |
鐘楼 |
供待
・鐘楼東側 |
山号碑
・「円覚山」 |
小団平の墓 |
明石蓮(あかしれん) |
広葉杉 |
菩提樹 |
法安寺【小松町北川】→西条市小松町北川157
1998/5/2、2006/2/12
・山号:主布山
・宗派:高野山真言宗
・宗祖:空海(弘法大師)
・本尊:薬師如来
・県最古の古代寺院遺跡「法安寺塔跡」は国指定文化財である。
・春は千本ボタンが有名
・電話:0898-72-2836
・「国指定史跡 法安寺跡
飛鳥時代に建立された全国46ヶ寺の一つであり、伊予における最古の寺院跡である。境内にきれいに並んでいる塔の礎石の外、金堂、講堂、中門の跡も確認されており典型的な四天王寺式の伽藍配置であった。付近から出土した百済式素弁蓮華文、法隆寺式複弁蓮華文の鐙瓦重孤文、唐草文の宇(のき)瓦、複弁蓮華文の?先(たるきさき)瓦がその古さを裏付けている。なお現在は"ぼたん"の名所としても有名である。
昭和52年11月 丹原高等学校」
・「国指定史跡 昭和29年指定
法安寺跡 四天王寺式大伽藍
飛鳥時代建立 推古四年(596)
塔礎石
花無心 佛のおわす 法安寺 ←40m」
・「県下第1号 国指定飛鳥時代法安寺推定図
昭和19年(1944) 法安寺
明日の北川を考える会」
・「国指定史跡 法安寺跡
国指定 昭和19年3月7日
由緒
法安寺遺跡は愛媛県小松町大字北川字長丁にある。
金堂跡・塔跡等の礎石は、いまなお歴然として存在し、境内の付近から飛鳥時代の代表的な瓦を始め、無数の布目瓦の破片が出土している。
法安寺の創立年代その他は、資料が無く正確な判明はできないが、推古四年(596)聖徳太子の伊予行啓の時、当時、伊予の散位越智益躬に造営させたと謂れ、四天王寺式伽藍配置であることから飛鳥時代建立の四十六ヶ寺の中に数えられている。
その後、天平十二年(740)11月、行基菩薩がこの地方に留錫(りゅうしゃく)して、本尊薬師如来の像を手刻し納めたと謂れているが、
南北朝以来の当地方の戦乱によって、戦災衰微しわずかに礎石をとどめるに至ったと伝承されている。
享保年中(1716〜1735)にいたって、医者徳永寿三は、金堂の跡に庵を建て、永寿庵と号してその跡をとどめた。明治十五年(1882)薬師堂を改築しこれが現在の本堂であり、お薬師さんとして親しまれている。
昭和十七年(1942)寺名を法安寺に変更し、飛鳥時代の礎石ならびに瓦が出土することから国指定史跡となる。
なお、法安寺は、千本牡丹の寺として名高い。
遺跡
法安寺の遺跡には、金堂跡・塔跡等の礎石が現存するので、ほぼその伽藍配置を推察することができる。中門・塔・金堂・講堂等は、南北の一直線上に並列して配置されており、摂津四天王寺・大和山田寺・朝鮮慶州皇龍寺等と全くその形式が同じである。
イ.中門跡は、塔石の南に位置した仁王門跡と言い伝えられている。大正四年(1915)頃まではここに巨大な礎石が八個存在していたが、現在はない。若宮の小祠付近から布目瓦の破片が多く散乱しているのが認められる。
ロ.塔跡は、現在、法安寺境内の南西隅に位置している。礎石は十六個残っておりあまり大きくない自然石を使い柱石の中心と思われるところに十文字の切り込みがある。その中、一個には法安寺と読める彫刻がしてある。
ハ.金堂跡は、塔跡の北にある。礎石は大きいものが多く、原位置を移動していないと確認できるものが、薬師堂の下に十余個、庭前に三個、後方土塀中に一個ある。これによりほぼ金堂の平面が推察できる。
ニ.講堂跡と思われるものは、金堂跡の北にあったと伝えられる。今は田地になっているが、その東西に通ずる小路および井手か(水路)には明治末期頃までは巨大な礎石が二個あった模様で、この礎石には、恐らく講堂南側の柱石であると思われる。この付近田地より布目瓦の破片が多くの出土して、北方の丸渕泉の土手に遺棄しているのが認められる。
ホ.鐘楼跡と思われるものは、講堂跡より西北の離れた地点にあったと謂われている。大正四年(1915)までは礎石七・八個があったが現存しない。
ヘ.鼓楼・経蔵・食堂・僧坊・庫裡等は所在があきらかでない。回廊跡の一部と思われるものは、法安寺の門前(東側)を流れる井手に礎石があったのを掘り出して石■に使用したという。その位置から推して回廊の一部ではないかと思われる。
平成五年十月吉日 小松町教育委員会
」
法安寺塔跡 |
千本ボタン
→See.「伊予弁:千本牡丹開白」、愛媛新聞、2006年4月11日 →See.「千本ボタン七分咲き 小松の法安寺」、愛媛新聞、1997年4月14日 →See.「早咲き"千本"今見ごろ 境内に漂う甘い香り 小松・法安寺の牡丹」、愛媛新聞、2002年4月3日 →See.「色鮮やかピンクの花 法安寺のボタン」、毎日新聞、2002年4月13日 |
牡丹供養(牡丹焚火)
・11月第1日曜日)に行われる。 ・護摩壇の炎の中に牡丹の枯木(ほだ)を投げ入れて供養する。 |
合掌狸
※剥製の狸で、どうやら伝説とは無関係のようだ。 |
本善寺【小松町新屋敷旧藩】→西条市小松町新屋敷甲3067
2006/2/12
・宗派:浄土宗
・本尊:阿弥陀如来
・近藤篤山邸の正面にあり、小松藩士の墓がある。
「」(小松邑誌)
※管理は、西条市朔日市の善導寺が行っているのだろうか。「常楽会(おねはん)」と書かれたポスターが貼られている。
阿弥陀如来像
・町指定有形文化財[彫刻](平成3年7月19日指定) ・「本尊阿弥陀如来 金色木坐像 恵心僧都作 勢州神戸より将来」(小松邑誌) |
唐宗祖光明善導大師
・「」(小松邑誌) |
円光東山漸大師
「」(小松邑誌) |
地蔵菩薩
「」(小松邑誌) |
御祠堂
「」(小松邑誌) |
付箋書
「」(小松邑誌) |
薬師堂
薬師如来 「」(小松邑誌) |
地蔵菩薩
「」(小松邑誌) |
普賢菩薩
「」(小松邑誌) |
「医王殿」額
「」(小松邑誌) |
イボの薬師さん |
小松藩士の墓 |
金毘羅社
「」(小松邑誌) |
天満宮
「」(小松邑誌) |
稲荷明神
「」(小松邑誌) |
薫炉
・安政(?)五戌午九月 |
トンカカさん
・小松の郷土伝承芸能。古くから本善寺境内で踊られてきた。 ・「浸鎧節(しんがいぶし)」、「新崖節」ともいう。 ・起源については二説ある。 一つは、天正十三年(1585)七月の天正の陣「野々市原の戦い」で散った金子備後守元宅をはじめとする一族郎党の慰霊のための弔舞であるという説。これについて小松邑志は「延寿院殿は生前盆踊りを好まれ、毎年7月17日に大木戸で庶民に踊らせた。逝去後、本善寺に葬られたが、遺言もあって毎年7月17日墓前で盆踊りを興行、今日に至っている」と説明している。「浸鎧節」は「鎧の袖を涙で濡らす」という意味で名付けられた。 ・もう一つは、干拓や開拓のときの亀の子による土固めの音頭であるとするもの。新崖節(俗称トンカカはん)。 |
妙雲寺【小松町妙口】→西条市小松町妙口甲716
2006/2/12
・本尊:大日如来(真言:おんあびらうんけんばさらだとばん)
・御詠歌:あなうれし諸人救うちかいにて蔵王権現ここに居ませり
・石土神社の南隣
・「天文年中、黒川氏が殿堂を建立し、伽藍を修理し、また通尭夫人病気平癒祈願のため懸仏三体奉納、これは密仏の寺宝である」(小松町誌)
一柳直卿扁額「蔵王宮」
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定) |
百丁石
・境内入口にある。 |
狛犬 |
常夜灯
・寛政四年三月 ・「石鉄山」の刻字あり。 |
灯篭
・本堂前。「常燈明」と刻んである。 |
明勝寺【小松町新屋敷】→西条市小松町新屋敷甲2597-2
龍華院【小松町新屋敷
一本松】
2006/2/12
・山号:医王山(醫王山)
・宗派:臨済宗(禅宗)妙心寺派
・本尊:薬師如来
・仏心寺の開山・南明禅師が母(黒川通博の女「桃女」)の菩提を弔うために建立した。
・南明の墓は寒松寺にある。
俳人桃夭の墓
・桃夭は、春秋舎桃葉。 |
龍華院殿供養碑 |
寺号碑
・「御開扉記念 醫王山 龍華院 平成四年十月 奉賛会建立」 |
山門 |
「醫王山」の額 |
本堂 |
一柳直卿扁額「龍華院」
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定) |
龍華院開創由緒碑
「龍華院開創由緒 本尊:薬師如来 秘佛 寛永弐拾年南明禅師龍華院開山の際 丹波守古城より本尊として迎え奉安 総丈四寸の座像 行基菩薩作 鮑観世音菩薩 秘仏 享保年間小松藩主一柳兵部少輔殿御愛妾延寿院殿より拝賜 総丈五寸二分の貝中現霊影佛 第拾六世 宗源謹誌 両佛御開扉記念 平成四年拾月吉日 奉賛会建立」 |
荒魂神社【小松町北川】
秋祭り
・10月17日 |
石土神社【小松町妙口】→西条市小松町妙口甲727
2006/2/12
・「享禄年間、黒川元春襲来して社司を滅し、元春が裔続して社職を奉る。天文年間、黒川美濃守通博が剣山城主となって、黒川家の産土神とした。」(小松町誌)
・「垂仁天皇の御宇三年(紀元634年)九月九日里老忌部宿彌八十彦に神託あり初めて社殿を建立し忌部家の氏神となす此の日を以って当社の鎮座紀元となす八十彦祭官となり日夜政の職を奉ず社前に霊泉あり郷名を石井郷と唱ふ今里人此の霊泉を妙の谷川と稱す仝社を以って当郷の総社とす其の後幾多の変遷を経て享禄年間一条家不和を生じ老臣長宗我部少輔秦元親の命を以って弟元春襲来す社殿兵火に罹り社司宮永氏滅す其の後元春の裔更て祭政の職を奉ず天文年間河野十八将の一人黒川美濃守通博妙口村釼来山城主となり黒川家の産土神となす天正元年五月ニ十一日正殿一宇を再建す其の孫黒川備前守五右衛門尉仝五年九月九日隋神門一宇を建立す天正十三年八月豊臣秀吉の為釼来山落城黒川氏滅亡す依社殿又大に頽敗す寛永年間小松藩主一柳兵部少輔直頼公当地を領し当社を管内の各社五社の一に列し崇敬深く一柳公の御参詣しばしばあり境外社地貮反一畝拾八歩を寄付今の境外社地是なり其の後数歳の星霜を経て大破に至りしを以って明治四年再建す今の神門則ち之なり
神主は長宗我部の宗我部を落とした長氏。剣山城の地主でもある。」(http://www.geocities.jp/fm030/syaji.htm)
境内社:三保神社 |
境内社:川崎神社 |
境内社:八幡神社 |
境内社:香殿神社 |
境内社:剣山城主神社/奈良原神社 |
鳥居
・昭和6年5月 |
注連石
・明治24年6月 |
忠魂碑
・陸軍中将蠣崎富三郎謹書 ・日清・日露戦没者慰霊のため、石根在郷軍人会が石根小学校校庭東隅に建立した。 ・昭和26年4月16日、石土神社に移転・再建。 |
鳥居
・延享四丁卯年九月 |
狛犬 |
随身門
・永禄八年(1565)9月、黒川備前守五右衛門尉が寄進。 |
碑 |
拝殿 |
本殿 |
瓦宮
・本殿真後ろに複数の瓦宮が祀られている。 |
高灯篭
・国登録有形文化財 ・昭和6年4月氏子中。 |
秋祭り
・10月15日 |
石鎚神社成就社【小松町石鎚】→西条市小松町石鎚417
一ノ宮神社【小松町新屋敷】
2006/2/12
・祭神:大国主命、脇神:大山祇命、事代主命
・祭日:10月17日
・聖武天皇の御宇、大己貴命の神託によって、井手郷白坪に奉斎した。
・後世、現在地へ奉遷した。
・寛永年中、小松藩主一柳直頼入封以来、歴代藩主の崇敬が厚く、高鴨神社、三嶋神社と共に三社と称し、産土神社としての崇敬を受けた。
・「一の宮 新屋敷村にあり、一宮の額は道風の筆なりとぞ、別当天養山観音院宝寿寺(四国霊場六十二番)」(予陽郡郷俚諺集)
一宮神社
・祭神:大山積命、大国主命、事代主命
狛犬
※長い参道。 |
常夜灯
・明治三年庚午十月 |
「一宮神社別当宝寿寺跡」碑
・「延宝七年藩主の命に依り白坪の里より当所に移す 明治元年の廃仏毀釈令に依り明治十二年三月当社南隣に移す 大正十二年五月鉄道開通の為現在地に新築移転す 当初裏東用水路より西へ五十米北道路より南へ十米当寺共同墓地あり 平成四年三月 社司 鴨威代 当社前生し 小松旭町 日野傳次記す 九十二才」 |
鳥居
・明治三十一年仲秋 |
池原利三郎歌碑 |
境内社:?? |
拝殿
絵馬:菊紋の神馬 絵馬:猛虎 |
燈篭
・嘉永四年辛亥正月 ・拝殿前 |
本殿 |
境内社:??
・本殿真後ろにある。 |
境内社:天神社
・拝殿向かって右側 |
境内社:厳島神社
・拝殿向かって左側 |
境内社:和霊神社
・拝殿向かって左側。厳島神社の左。 |
水準点
・「基本 一等水準点 建設省国土地理院」 |
記念碑
・「記念碑 玉垣建設 皇紀二千六百年 神苑設置 昭和十五年十月十七日」 |
手水石
・明治十三年 |
松尾芭蕉句碑
「しほらしき 名や小松吹く 萩すすき」 ・長谷部映門が芭蕉150年忌を記念して建立。 ・「芭蕉の句碑 しほらしき 名や こまつふく はぎすすき 右は、松尾芭蕉が「奥の細道」の行脚で、加賀の小松(現・石川県小松市)に於いて詠んだ句である。天保十四年(1843)芭蕉百五十年忌にあたり、長谷部映門(小松藩士で代官・1848年没)は、「小松」の名にちなむこの句碑を当時の宝寿寺境内(現在地)に建て、十月十二日の時雨忌には追善の句会を催した。 長谷部映門は「静佳発句帖」、その妻菊圃は「四季発句草稿」など多くの作をのこす、江戸時代の伊予を代表する俳人であった。 句碑の文字は菊圃の兄で松山藩の儒者、日下伯巌の揮毫による。 平成十六年三月 小松町教育委員会」(説明書き) |
靖国神社(郷土靖国神社) |
社号碑
・昭和26年4月21日建立 |
一宮神社歴代宮司墓所 |
白坪基助の墓
・宝寿寺住職から神職に転職した白坪基助の墓。 |
秋祭り
・10月17日 |
玉の井筒
・「玉之井」という字を彫っている。 ・花崗岩製 ※2006/2/12探訪時はこれの存在を見過ごしてしまった。どこにあったのだろう? |
社叢
・樹齢200年余りの楠、椋などの老木が多数繁茂する。 ・藤の老木もある。 |
稲荷神社【小松町宝来町】
稲荷大明神【小松町新屋敷】
※2006/2/12探訪時に、道端に掲げられていた町内地図に記されているのを確認。上の「宝来町」の稲荷神社のことを指すのか?
河内八幡(かわちはちまん)神社【小松町大郷】
2006/2/12
・祭神:市杵島姫命、誉田別天皇(応神天皇)、神功皇后、仲哀天皇、武内宿祢
・大祭:10月15日
「黒河の家老野村源左衛門、神体を土佐より移し奉り勧請すとも言。昔年、社人首藤の宅祝融の災に遇し時、社記残なく焼失せしと云。社宅に兵藤氏の系図有り。村内の兵藤氏より預る所と云。是も火災の時半焼けて今は甚続不分」(小松邑志)
鳥居
・明治三十年丙午五月 |
注連石
・昭和31年10月 |
狛犬
・昭和15年10月 |
常夜灯
・文政二己卯年三月 |
拝殿 |
中殿 |
本殿 |
境内社:?
・本殿左側 |
瓦宮
・中殿左側 |
月岡家御先社
・拝殿左側 ・昭和52年12月 |
瓦宮
・拝殿右側 |
境内社:黒河大納言神社など(複数) |
秋祭り
・10月14日 |
黒河神社【小松町明穂】
「黒河神社 くろかわじんじゃ 中川村大字明穂。祭神、黒川氏之神。
由緒
本社ハ黒河美濃守ノ租神ナリト伝フ黒川氏城跡トアリニモニテ、明治四十二年御本社地ニ移祀ス社殿一間ニ一間五合。本殿は構造流シ造ニシテ明治三十六年八月ノ建築。建坪、壱坪五合、幣殿は妻入造ニシテ建築年月不詳。建坪五坪。
丹原町明穂」
(http://www.geocities.jp/fm030/syaji.htm)
貴船神社【小松町大頭】
・「獅子鼻城主宇野隼人正は貴船神社の敬神厚かったが、天正の乱に宇野氏は滅亡した。貴船神社の三宝三個の柿が、今日の周桑特産愛宕柿となり名声を博している。」(小松町誌)
秋祭り
・10月15日 |
諏訪神社【小松町石鎚】
2002/2/10
「千足山中村に有り。」(http://www.geocities.jp/fm030/syaji.htm)
忠魂碑
・昭和4年11月29日、千足山小学校校庭に建立。 ・陸軍大将一戸兵衛書 ・昭和御大典紀念建設 帝国在郷軍人会千足山村分会 ・昭和25年10月、諏訪神社社殿西に移転・再建 |
秋祭り
・10月20日 |
高鴨神社【小松町南川
大日甲14】→西条市小松町南川甲17
・祭神:味■[金且]高日子根命
・三社(高鴨神社、三嶋神社、一ノ宮神社)
・周布郡の総鎮守として、大和国高鴨神社より勧請した。
「」(文化財読本 ふるさとめぐり、小松町教育委員会、昭和55年3月31日)
「南川村字入日に在り味■高日子根命を祭る天正五年八月の本社祭り式書あり日本郡妙口村剣山の城主黒川備後守通尭の産土神にして本郡六郷を六頭に分ち輪番を以って社頭役を務め祭祀の儀式甚厳重なり寛永十三年小松領主一柳直頼も亦此社を崇敬し産土神となす嘉永元年六月十八日正一位を贈らる」(伊豫温故録)
※■=金且
「世伝、天文年中剣山城主黒川氏土佐国高加茂大明神ヲ勧請、其氏神ナルヲ以ナリ。社司ノ説ニテハ、イツノ頃ニヤ大和国高加茂大明神ヲ勧請セシヲ、黒川氏当国蚕食ノ後、本国土佐ノ氏神御同体ナル故、殊ニ尊敬シテ氏神トセシトモ伝ヘリト」(小松邑志)
「伝黒川元春寄進の甲冑が有ったが。盗難に逢い。写真のみ残る。」(http://www.geocities.jp/fm030/syaji.htm)
・「今を去る千五百年前、雄略天皇のみ代、大和の国葛城山麓に鎮座の高鴨大御神の御分霊を此の地にお迎えして祭ったのが始まりである。霊峰石鎚山を開いた、役の行者の祖神、また土佐の国の一宮高賀茂大社と同神として、古来周布郡民の信仰厚く、平安時代伊予国の官社になり、高鴨寺を神宮寺として拾町余の免田を有した。室町時代、本郡領主黒川家、江戸時代には、小松藩主一柳家が累代篤く崇敬した。当社はまた、祈雨の霊験が高く、嘉永元年朝廷は特に正一位の神階を奉った。
当神社附近は、二千年前の弥生時代から、古墳時代、奈良時代まで、古代文化が栄えた地で、多くの石器、土器類が出土し、古墳が散在して学界に知られている。
当神社文化財
1.大日裏山古墳(現在地より望む山頂出土、5世紀、漢式青銅鏡一面)町指定 昭和40年12月15日
2.神社並びに宮司宅、幕末、明治の頃平田派国学の大家矢野玄道来訪の遺跡 町指定 昭和47年5月20日
3.宮司蔵 元禄時代より明治初年に至る累代の神主日記、71冊
愛媛県調査済 町指定 昭和49年4月20日
4.高葉杉 拝殿前に直立する異種大杉原産地中国南部、樹齢200年以上 町指定
昭和40年12月15日
」(立て看板)
高鴨神社資料館(郷土館)
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鳥居(東側)
・昭和8年8月 |
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鳥居(北側)
・昭和25年4月 |
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正一位高鴨神社社号碑
・鳥居(北側)をくぐって参道階段途中の左側にある。 ・嘉永元戌申 ※北側の参道階段を上ると左に社務所・香園寺へと続く道。目の前に池。右側に高鴨神社境内へと続く階段がある。 |
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鴨重忠翁頌徳碑 | |||||||
境内社:只井御前社
・参道階段入口 |
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注連石
・昭和5年9月 |
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狛犬
・嘉永二己酉年四月 |
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随身門 | |||||||
随身像
・昭和56年10月3日奉献 |
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高井幸太郎漢詩碑
「高鴨神社 高井幸太郎 古自大和遷座崇 黒河領内信■■ 森中潔鎮護村氏 巨木昔語高鴨宮 ■■敬書」 平成六年一月吉日 宮司 鴨重元 氏子総代一同 建立 |
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灯篭
・天保十三年 ※参道脇の灯篭には「高賀茂大明神」と刻まれている。 |
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百度石
・参道階段を上り詰めて右。 |
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篤山先生の碑
「高鴨宮 近藤篤山 高壇■里社古木■山清 子■■當■松風送鼓■」 |
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記念碑
・拝殿右
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境内社:千歳神社
・拝殿右 |
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手水石
・明治16年8月 |
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拝殿 | |||||||
本殿 | |||||||
末社?
・拝殿左側 |
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瓦宮
・拝殿左側 |
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境内社:素鵞神社
・本殿の左・右の両側にある。 |
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合祀社
・向かって左より、幸神社、山祇神社、金刀比羅神社、天満宮、厳島神社 |
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旧へんろ道
・本殿の裏山に旧へんろ道が続く。途中に「おくのいん」と刻まれた石標数個あり。 ・鬱蒼とした林の中を通り抜けると、行き着く先は墓場である。 |
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禅幸祭
10月16,17日 |
常盤神社【小松町新屋敷】
2006/2/12
・祭神:(主)事代主命、(配)大国玉命、大物主命、菅原大神、阿遇突知神、宇気持神、奥津彦神、奥津姫命など11柱
・祭日:5月11、12日
・「常盤神社
御祭神 事代主命、菅原大神、大国主命、大物主命、軻遇突智神、宇気持神、奥津彦神、奥津姫命
由緒 当社は小松藩内の官民力をあわせ、町の繁栄・商売繁昌の願いを込めて正徳年間(1711〜1716)に創祀された。元文五年(1740)に時の藩主一柳頼欽公が夷子・大国の神殿を再興し、天保十二年(1841)大國玉神社・恵美須社・愛宕神社を合祀した。
八代藩主頼紹公の藩命を受けた近藤篤山先生が、江戸聖堂を模して孔子廟を建立、三代藩主頼徳公が三嶋神社に奉納してあった孔子像を、篤山先生逝去の翌年、弘化四年(1847)に奉還し釈典の礼が毎年行われた。その後、聖廟の建物は当社に奉納され、現在の御本殿の元となった。
大正十三年国道開通に伴い、西向きの社殿を現在地に遷座し常盤神社と号した。
平成十二年に本殿改築・拝殿改築をして現在に至っている。
祭事
春祭 五月十一・十二日
秋季大祭 十一月九・十日」
注連石
・平成11年4月 |
鳥居
・安政三年丙辰六月 |
注連石
・慶應四年 |
手水石 |
常夜灯
・万延九年庚申六月 |
狛犬
・文政四年辛巳十月 |
小松聖堂
・小松藩七代藩主・一柳頼紹の造営計画の命を受けた近藤篤山の指揮のもと建築。弘化四年に上棟した。 |
桜
・大正13年の移築時に植えられたソメイヨシノ。 |
相撲
・戦前には祭日に素人相撲が興行された。 |
新田神社【小松町安井】
・祭神:新田義宗、義治
境内社:城主社
・松尾城主松本豊後守頼全の霊を祀る。 |
境内社:花園社
・松尾城主松本豊後守頼全の奥方の霊を祀る。 |
秋祭り
・10月14日 |
八幡神社【小松町石鎚】
秋祭り
・10月15日 |
藤之森神社【小松町新屋敷
一本松】
・祭神:舎人親王、素盞鳴尊、大己貴命
・祭日:10月18日
・寛永年間創始と伝えられる。
・一本松の鎮守。
・明治41年松ノ木社を合祀。
三島神社【小松町明穂】
秋祭り
・10月15日 |
三島神社【小松町新屋敷】→西条市小松町新屋敷甲2236
1999/11/23、2006/2/12
・香園寺すぐ側(西側)にある。
・三社(高鴨神社、三嶋神社、一ノ宮神社)
「新屋敷村字舟山に在り天平年中越智益男勸請する。住古は當村字新宮に在り井手郷の本社にて境内四方八丁永代赦免の状河野家の朱印あり後ち黒川氏領主たる時當社を崇敬し神殿幣殿拝殿等を建立す其の後福島正則社林を伐採し宮殿破壊せしか加藤嘉明これを修冶す寛永十二己亥年十一月廿七日の夜炎上し同十五年三月一柳蔵人再建産土神となす。安政七年甲寅年今の地に移せり。(伊豫温故録)
鳥居 |
へんろみち道標
・鳥居より道路を挟んで左。 ・明治13年10月 |
へんろみち道標
・鳥居前 ・文久四年甲子二月 |
常夜灯
・安永七年三月 |
末社: |
常夜灯
・参道階段上り口 ・安永二年九月 |
鳥居 |
手水舎 |
舟山漢詩碑
「舟山 登佇石階佳景開 舟山樹殖似蓬莱 弥生古墳文化迹 清浄神圍斯瑞台」 ・昭和50年2月 ・金婚式記念、西町 高井幸太郎、イソ ※この高井幸太郎氏は、どうやら地元の幾つかの箇所に漢詩碑などを奉納しているようだ。高鴨神社参道階段途中の碑にも、氏の名前を見たように記憶している。 |
拝殿 |
一柳直卿扁額「三島宮」【小松町藤木
三嶋神社】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定) |
一柳直卿扁額「三島新宮」【小松町藤木
三嶋神社】
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定) |
本殿 |
合祀社
・本殿裏 ・左より、興玉神社、倉玉神社、蛇之神社、美神社、八坂神社、荒神社 |
近藤忠行歌碑
・明治二十三年三月 |
花陵霊社
・改築工事は平成七年四月。 |
舟山古墳群 |
秋祭り
・10月16,17日 |
お富たぬき |
妙雲(みょううん)神社【小松町】
「妙口村字川崎に在り社傳に伝ふ垂仁天皇三年九月勸請す文明年中土佐国司一条京家これを崇敬あり享録年中兵乱に逢ひ祠廟衰微せしか後これを再建す本郡千足山村中森の城主野瀬越前守剣山城主黒川備後守皆産土神とす」(伊豫温故録)
柳神社【小松町北川】
2006/2/12
・祭神:大山積命、雷神、高おかみ神
本殿
・平成6年10月新築 |
|
境内社:天満宮
|
|
境内社:荒神社 | |
境内社:伊勢社 | |
境内社:美社(みのしゃ) | |
合祀殿
・左より、火産霊神、興津彦命、興津姫命、天照皇大神、豊受姫命、市杵島姫命、田紀理姫命、田紀津姫命、山神社 |
イボの薬師さん【小松町新屋敷
本善寺】
「また、旧藩の本善寺の薬師堂は『イボのお薬師さん』として戦前までイボに悩む人々の心をひきつけていた。」(小松町誌)
ふろのもとのお地蔵さん【小松町石根】
「更に、石根小学校体育館裏の『ふろのもとのお地蔵さん』では、そこの香炉の灰をしきみをさした花瓶の水で練ってつけるとイボがとれるとされ、今も信仰が続いている。」(小松町誌)
歯神さん【小松町安井】
「安井の柿畑の中に歯神さんと呼ばれる墳墓がある。興雲寺過去帳に『円通院殿普門良照大姉(天正一八年七月一八日没)、松本豊後守の奥方で、生前歯口病で甚だ難儀致され安井邑で病死されたが、その末後に、世の歯口を病む者を治すことを誓われた。この霊墓に詣る者忽ち癒ゆることを厳然たり』とあり、爾来、歯を病む人々の信仰を集めた。(民俗編第二章年中行事参照)」(小松町誌)
石鎚山【小松町・西条市】
・標高1,982m、西日本最高峰
・全国7霊山の一つ。
石鎚山のシコクシラベ
・県三大天然林 →大野ヶ原のブナ純林、篠山(西側斜面)のハリモミ純林 |
三ヶ森
・標高1378m
二の岳
・標高1156m
星ヶ森(横峰山)
・標高820m
綱付山
越前山
・谷を挟んで綱付山の向かいに聳える。
→乗木八郎の武勇
剣山
・妙之谷川上流。
・標高約250m。
・「昔は鶴来山とも書し由世間に大儀寺の城と云、上城は大郷村、下城は妙口村分なり」(小松邑志)
剣山城 |
天福寺山【小松町大頭】
城主を祀る祠…←山頂にある? |
七巻半と八巻(鉢巻)[大蛇撃退譚] |
馬場組と首切り馬 |
大日裏山
大谷山
藍刈山
安井川
・中山川支流
安井谷川【小松町石根】
・安井川支流
深谷川
・安井川支流
妙谷川
・安井川支流
湯浪層の植物化石
・黒色粘土が露出。 |
香積堰【小松町大郷
山田原】
・江戸時代に開発。 |
一番井堰【小松町妙口
山田原】
・江戸時代に開発。 |
三番堰【小松町妙口
桜ノ元】
・江戸時代に開発。 |
開谷
・河内八幡神社の脇。 ・中山川水系 ・土石流危険渓流 |
大谷川
・安井川支流
大日川
・安井川支流
小松川
・安井川支流
大井出川
花園の淵【小松町】
「花園の淵 安井村 龍神の社有、郡方雨乞所也、祈雨読経の節、大きなる■出れば忽ち降雨有之のよし」(予陽郡郷俚諺集)
■=[魚][壇のつちへん無]
高瀑渓谷(たかたるけいこく)【小松町】
高瀑(たかたる)
2002/2/10 ・愛媛自然百選 ・落差132m、幅100m ・関西随一の規模 ★伊豫温故録には「高瀧」の名で「千足山村に在り 一に冠瀧ともいふ 石槌山中冠岳の西にあり 高さ凡百三四間 幅二間餘あり 當國第一の大瀑なれども人家より三里餘距て通路極めて険悪なれば容易に其處に到り難し」と紹介されている。当国(伊予の国)ナンバーワンのフレコミは大袈裟ではない。高さ30m強、幅100mほどの岸壁が続き、その中央に氷のシャンデリアがそそり立っている。こんな勇壮な滝は、僕の知る限りでは愛媛県内には見当たらない。この岩壁、上部は天狗岳火砕流堆積物、下部は斑状花崗閃緑岩から構成されているという。岩肌はほとんど雪で覆われていたので、じっくり観察することはできなかったが、それは今度夏場にでも訪れたときの課題として残しておこう。('02/2/10) |
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御来光滝(ごらいこうのたき) | |
御来迎滝(ごらいげいのたき)
2002/2/10 ★御来迎橋の袂から20mほど上がったところに小振りの滝が姿を見せた。この可愛らしい滝は「わたしゃこの通り前菜的な滝ですけんど、まぁこの先にメインディッシュの高瀑がありますけんな」と語りかけているようにも見え、慎ましやかに白い水沫を落としていた。高瀑観瀑に来訪してきた人々を出迎えるような、その名の通りの健気な滝である。 |
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高瀑自然研究路
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赤のべら | |
白のべら | |
のぞき滝 | |
丸渕 | |
天狗の子育て岩 |
大谷池【小松町】
・大正9年に造られた県下有数の人造湖。
・春にはサクラが美しい。
白滝(香音寺奥の院)【小松町】
・大谷池からの参道は片道1kmで、紅葉を眺めながらのハイキングコースに最適。
・四国霊場第61番札所香園寺の奥の院がある。
小松橋【小松町新屋敷】
2006/2/12
・大正15年(1926)に造られた当時の姿のままに 1994年4月に復元された。
・長さ28m、高さ3.4m。
過行橋(すぎおばし)【小松町】
2006/2/12
・昭和二十七年竣工
えんこの話 |
石土神社橋
2006/2/12
・妙之谷川
千本ボタン【小松町北川 法安寺】
・法安寺は「千本牡丹」の名所として知られ、4月中旬〜下旬が見頃。1,000株余りの牡丹の花が一斉に咲く。
篤山椿
広葉杉【小松町 仏心寺】
菩提樹【小松町 仏心寺】
明石蓮(あかしれん)【小松町 仏心寺】
ケヤキ【黒川行者堂】
・樹齢約800年。
ヒノキ【前社ヶ森】
・樹齢約500年。
ブナ【研山の平】
・樹齢約250年。
マキ【黒川】
・樹齢約300年。
アララギ【成就】
・樹齢約400年。
サザンカ
2006/2/12
「根周り約165cm、樹高約5m、樹齢約150年以上
四国・九州・琉球の日当たりのよい山地にはえ、観賞用に庭園に栽植されることが多い。常緑小高木。
花は晩秋平開しのち花弁はばらばらに散る。野生では白色だが本樹は弁先に淡いピンク色を持つ。根元から2本に分かれ、さらに無数に分かれた枝の曲がり模様が珍しい。
平成3年3月 小松町教育委員会」
林道折掛石鎚線
・幅員4.0m、延長5.3km
石鎚林道
金毘羅峠
天ヶ峠
鳥屋の峠(牛だやの峠)
・弓術の達人でもあった乗木八郎が、松山道後の城から帰るときは、いつもこの峠から弓を放って合図した。
→c.f.乗木八郎の武勇
種田山頭火句碑【小松町
香園寺】
「南無観世音 おん手したたる 水の一すぢ」
「枋の夜の 護摩のほのほの 燃えさかるなり」
坂村真民詩碑【小松町
香園寺】
「念ずれば花ひらく」
森紫苑荘句碑【小松町
香園寺】
「偉い子は いぬがどの子も 親思い」
近藤忠行歌碑【小松町新屋敷
舟山 花陵霊社裏(三嶋神社)】
「船山乃寿そは能さく羅咲きにけ利おとなき波能よ留と見るま伝」
織田子青童謡碑【小松町大頭 石根小学校】
池原利三郎歌碑【小松町
一宮神社】
「日の本の 国をひらきし 神々の 教へのままに 国やひろめむ」
・池原利三郎は幕末の志士。
・大正六(丁巳)年三月
耕地整理記念碑【小松町妙口 コカコーラ向上内】
愛媛近代女子教育発祥之地碑【小松町新屋敷 旧藩】
水門記念碑【小松町妙口】
造林記念碑【小松町石鎚 石貝 学校跡前】
常盤組碑【小松町新屋敷】
養正館跡碑【小松町新屋敷旧藩】
十亀縫之進翁頌徳碑【小松町石鎚 石貝 学校跡前】
山岡瑞圓頌徳碑【小松町新屋敷
小松高校正門横】
・昭和25年11月3日建立。
池原利三郎墓誌名碑【小松町新屋敷旧藩 仏心寺山】
長谷部倉蔵墓誌名碑【小松町新屋敷旧藩 仏心寺山】
元山源太墓誌名碑【小松町新屋敷旧藩 仏心寺山】
大宮司従五位日向守鴨重忠翁頌徳碑【小松町南川
高鴨神社】
「大宮司 従五位 日向守 鴨重忠翁頌徳碑
竹葉秀雄書」
「珍ら敷けふこそはきけ世にもれて高起志ら遍の大和琴の音 玄道大人の歌に和して 重忠
重忠翁 敬神尊王の心篤く上京九回伊勢参宮六回に及ぶ夙に歌道に志し飛鳥井大納言の門に入り多くの名歌を残し豫州歌道會の會頭となる 弘化三年の旱魃に相傅の雨乞をするや瑞雨至 篤山 玄道両大人との交深し 社殿境内の荘厳なるは翁によるところ 勅許による正一位の神社と職位に其徳功明かなり 玄道大人曰く 温乎其性卓乎其材 と 春ッ生雲 秋水影楓 皎皎其気 悠悠厥風
昭和四十三年一月十三日 竹葉秀雄撰及書
高鴨神社宮司 鴨重文 氏子一同 建之」
※竹葉 秀雄
愛媛県教育委員長。戦前、自宅を三間塾として開放し郷土青年の教育に努力。大横綱双葉山との親交もあつく、双葉山は二度も三間村塾を訪れた。昭和19年三間村長就任したのを経て、昭和26年県社会教育委員、29年考案医院を歴任。昭和31年には県教育委員となり昭和44年まで12年余り県教育会の重鎮として活躍。
林田哲雄顕彰碑【小松町新屋敷 新宮】
陸軍中将従二位勲一等男爵黒川通軌墓誌銘碑【小松町新屋敷 藍刈】
近藤篤山墓誌銘碑【小松町新屋敷 藍刈】
近藤南海墓誌銘碑【小松町新屋敷 藍刈】
田岡俊三郎表忠碑【小松町新屋敷 藍刈】
頌徳碑(耕地整理大谷池築造記念頌徳碑)【小松町南川
大谷池】
・大谷池築造に尽力した森田恭平、今井巻太郎を顕彰する。
・昭和31年11月建立。
※中央公園上り口の三叉路に地蔵数体。三界萬霊の地蔵も見える。
おあしす市場
ハイウェイオアシス館 椿交流館(椿温泉こまつ) 子供広場SA エネルギーセンター 四季の森 自然形態園 イベント広場 石鎚山 花層の道 ツツジの園 市民の森 ショウブ園 休憩広場 野鳥の森 修景池 椿の園 太陽の園 多目的広場 |
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憩いの広場
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オアシスブリッジ スケートボード広場 オートキャンプ場 花木園
椿ロード 桜の園 チビッコ広場 学習の園 中央広場 老人広場 交通広場 テニスコート トリムコース グラウンドゴルフ |
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シンボルゾーン
・「シンボルゾーン(庭園)について 小松町は長い歴史と伝統のある由緒深い城下町であり、また関西第一の名峰石鎚山を中心とする非常に素晴らしい自然環境に恵まれており、この庭園はその面影を基調として旧三ヶ町村の融和発展と雄大な自然とをまとめてシンボルの庭としました。 一.城下町(旧小松) 石垣は、旧小松藩城跡を、背景の白い練塀・井戸・灯篭は当時の武家屋敷などをあらわし、白砂を燧灘に見立てその中心附近に園名石を配し、正真木は町名に因んで五葉松(ひめこまつ)とし、藩主一柳侯をしのんで「やなぎ」と「つばき」を配植しました。 一.中山川(旧石根) 上段の庭は二つの松の丘越しに石鎚山を望み、白砂を中山川の清流に見立て、当地名産の愛宕柿(原種)を配植しました。 一.石鎚山(旧石鎚) 上段の奥山は霊峰石鎚山をあらわす力強い石組とし、マメツゲ・サツキ等の大植込みで深山渓谷を表現しました。」 |
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遊水池 |
石根ふれあい公園【小松町】
フラワーステーション「石根ふれあいの里」【小松町明穂】
・国道11号線沿い、「りんりんパーク」に隣接する。
・JA周桑石根支所がコメの緊急生産調整対策として、石根地区の農業振興協議会、JA女性部が共同で平成10年9月に開設した。
・休耕田約80eを利用して、菜の花やコスモスなど季節の花を植え、花畑の中を散策できるように遊歩道や休憩所などを設けている。
香園寺縁日(4/10、10/20)
石鎚山お山開き(7/1〜10)
小松町ふるさとまつり(8/5〜7)
秋まつり(10/14〜17)
石鎚山ハイウェイオアシス【小松町新屋敷22-29】
・電話番号:0898-76-0898、(fax)0898-76-3113
・石鎚撮影の第一人者的な写真家・高橋毅氏の写真美術館がある。
・地元丹原高校出身の中日ドラゴンズ投手・野口茂樹選手に関する展示コーナーもある。
椿交流館 椿温泉こまつ |
石鎚展示館
・入館料:大人500円、小人300円。 |
町営スケートボード場
・四国で初めての公式競技可能なスケートボード場。 |
りんりんパーク【小松町明穂甲50】
・国道11号線沿いにある。
・「錦鯉とつつじの公園」
湯の里小町温泉
しこくや
【小松町明穂甲47】 |
錦鯉水族館
・入館料:300円 |
大うなぎの館
・入館料:300円 |
中央公民館【小松町新屋敷】
2006/2/12
小松実用女学校跡
・「明治40年開校 昭和33年小松高等学校全日制家政科 昭和52年本校に併合」 |
へんろみち道標
・「六十三番」 |
近藤篤山邸【小松町新屋敷】
西条市立小松温芳図書館【小松町新屋敷】
2006/2/12:小松町誌を購入。3,500円也。石丸敏信館長とお話させていただく。小松の歴史等については友澤明学芸員に伺えばよいとのこと。
唐草門
・「この門は、もと小松藩二代藩主一柳直治公の山荘「逍遥園」の正門であった。扉には極彩色の仁王の絵があり「仁王門」と呼ばれていたが今はその扉は失われている。 切妻造り、桟瓦葺、一重疎垂木の棟門で一間幅の袖を両側につけている。鴨居の上の彫刻は正面に波間に狂う大蛇退治の大立ち回り、裏面は松の大木に雲を浮かばせた静かな構図で「動と静」に彫り分けられた見事な作である。 明治の初め、明勝寺の山門としてここに移築されたが、平成七年に温芳図書館新築移転の際、痛んだ部分を修復し現在にいたっている。」 |
近藤篤山先生肖像 |
一柳直卿扁額「観音院」
・町指定有形文化財(平成9年3月14日指定) |
内行花文鏡
・町指定有形文化財[工芸品](昭和37年4月2日指定) |
乳文鏡
・町指定有形文化財[工芸品](昭和49年9月4日指定) |
篤山書
・町指定有形文化財[筆跡(書跡)](平成3年7月19日指定) |
小松藩会所日記
・町指定有形文化財[古文書](昭和46年5月18日指定) |
小松邑志
・町指定有形文化財[古文書](昭和46年5月18日指定) |
棍棒頭石器
・町指定有形文化財[考古学資料](昭和49年4月20日指定) |
土笛
・町指定有形文化財[考古学資料](昭和49年4月20日指定) |
須恵器柑
・町指定有形文化財[考古学資料](昭和49年4月20日指定) |
須恵器提瓶
・町指定有形文化財[考古学資料](昭和49年4月20日指定) |
小松町武道館【小松町】
2006/2/12
湯の里小町温泉 しこくや【小松町明穂甲47】
椿交流館
椿温泉こまつ【小松町新屋敷乙22-29 石鎚山ハイウェイオアシス】
・平成15年(2003)12月9日オープン。
・展望浴場、足湯、露天風呂(檜風呂、岩風呂)などがある。
・入浴料:大人400円、小人200円
・弱アルカリ性、重炭酸ソーダを豊富に含む。
・高速道路 松山自動車道から直接乗り入れできる。
・電話番号:0898-76-3511 (fax)0898-76-3512
・営業時間:10:00〜22:00(21:30札止め)
展望浴場 |
足湯
露天風呂(檜風呂、岩風呂) 椿ハウス |
小弾兵衛の話【小松町】
(小松町誌)
小弾兵衛のいわれ
・江戸時代、一柳公の家来・棚橋伝兵衛種政 ・小団平とも記される。 ・小弾兵衛はあだな。刀の腕前が弾丸のように早業であったことに因る。 |
鶯切り
はえ狩り 芝居小屋での据え切り 飛び出した雨蛙 |
山賊退治
・蛇越池の傍の茶店の老婆より、医王山峠に竜神為五郎という元海賊が潜伏し、旅人や近郷近在の村人に悪事を働いていることを耳にし、成敗する。 ・その後、松山で薩摩の大弾兵衛と試合をしての帰途、檜皮峠で竜神為五郎の子分であった者に襲撃されたが、殺すことなく、当身で気絶させた。 |
大弾兵衛との試合
殿様の袴のすそ |
幸福の鳥居【小松町】
・鳥居の上に石を投げ上げることの由来。
(小松町誌)
白へび物語【小松町】
・ある女が、辺りが暗くなった頃、山道で石の下でもがいている白蛇を助けた。
・それから約1年後、女の住む村で大雪崩があったが、その女だけが助かった。ふと辺りを見回すと、白へびが身代わりになって死んでいた。
(小松町誌)
へびの子を生んだ姫【小松町】
・夜毎に沼から通う男の正体は蛇であった。乳母が男の着物の裾に糸を縫いつけてるよう指示。乳母が翌朝その糸を辿って、男の正体を暴いた。姫はその後、10匹の子蛇を産んだ。
(小松町誌)
大石さん【小松町】
・清楽寺の近くの畑の中に大きい石が転がっていた。村人はそれら石を清楽寺前の地蔵の台石、「三島新宮」神名石の台石にし、残るもう一つをお宮に運んでいった。しかし、途中からいくら押しても引いても動かなくなった。村人はその日は動かすのを諦めた。翌朝不思議にも元の場所に戻っていた。
・このような不思議があって、石の上に社を設け、「石座神社」を命名した。
(小松町誌)
子安大師の肉付きの面【小松町】
・嫁いびりをしていた姑が、恐ろしい形相のお面を被って嫁を脅した。するとその面はどうしても外れなくなった。
・自分の今までの悪事を悟った姑は四国八十八ヶ所遍路の旅に出る。そして、香園寺の坊主の祈祷により、面が外れた。
・「肉付きの面」は今でも香園寺にあるという。 (小松町誌)
えんこの話【小松町】
・小松高井家の先祖が、近くの川で馬の体を洗っていると、河童が馬を水の中へ引き摺り込もうとした。その河童を捕らえ、石臼に括りつけた。助けを乞う河童は、喉に刺さった小骨を抜く秘法を教えることで解放され、過行橋付近で川に戻された。
(小松町誌)
おいのきさん【小松町】
・剣山城が落城寸前のとき、姫と乳母が脱出を図ったが、追手によって槍で一突きされて死んでしまった。
・亡くなる直前、「六月七日に祭りをすると都谷へは悪病を入れない」と言い遺した。遺言通り祭りを継続すると、不思議にも都谷では悪病は流行したことがない。 (小松町誌)
七巻半と八巻(鉢巻)【小松町】
・村の若者が頓智を働かせ、天福寺山に住む大蛇を逃散させる話。
・山を七巻半する (小松町誌)
妙口近くの神社の話【小松町】
・神社に参拝した若い男が美女と出会い恋に落ちる。男はその女の元へ通い出会いを重ねたのだが、女が段々とやせ細っていくのに気付いた。その理由を探ろうと、昼間に女の生活を覗いてみると、その女は魔性の蜘蛛に血を吸われていた。 (小松町誌)
馬場組と首切り馬【小松町】
・天福寺から西へ行った小川沿いの道の両側に「向(むかい)」「たるや」「西田屋」「下(した)」「門(かど)」「出張(でばり)」の六軒の家があり、「馬場組」とよんでいた。
・この組では五月の節供に武者絵の幟は立てないことになっている。これは、天福寺山に祀ってある城主(しろのつ)さんがその幟を見て敵軍が攻めて来たと思い、首切り馬に乗って出てくるという言い伝えがあるからである。 (小松町誌)
ふろもとのお地蔵さん【小松町】
・石根小学校の西側。
・イボ治しの地蔵。線香立ての灰と花立ての水を貰い、それを練ってイボに付けると治る。 (小松町誌)
はざまが通る【小松町】
・「はざま」とは狭い谷間の道のこと。
・首切り馬のような恐ろしい魔物が通ることを「はざまが通る」という。
・剣山城が小早川隆景によって攻められ落城したとき、首切れ馬・首切れ武者が「大郷の寺」〜「はざま」〜「馬返し」〜「大曲り」のルートで走った。
(小松町誌)
はいとさんとくらがえし【小松町】
・大井出川と深谷川下流との間にある、あげ砂の西の方に「はいとさん」という地名がある。
・獅子ヶ鼻城主・宇野隼人正(はやとのしょう)が討死した場所で、宇野隼人正の墓があった。その傍を馬に乗って通ると、落馬することが度々あったので、村人は「くらがえし」といって恐れた。
・その後、墓を大頭の墓山に移し、祠を建てて祀ったところ、「くらがえし」は起こらなくなった。 (小松町誌)
乗木八郎の武勇【小松町】
(小松町誌)
・馬術の達人・乗木八郎が、乗馬の奥義を極めようと、越前山から向かいの綱付山に綱を引き渡し、綱渡りをした。その綱渡りの途中で、句作をしていて、馬もろとも谷底へと落下した。
思案の松
・ところが、八郎は怪我一つせず、松の木に腰掛けたままなおも句を思案し続けていた。この松を「思案の松」という。 |
馬鞍淵
・馬が落ちた淵を「馬鞍淵」という。 |
鈴ヶ畝(すずがうね)
・八郎の死後、夜毎に馬の鈴の音が聞こえた場所。 |
子供の夜泣きの治療【小松町】
・旧千足村の神社で唱えられる夜泣き止めの呪文「夜泣きすとただもりたてよ末の世のため」 (小松町誌)
大師の野宿石【小松町】
・湯浪から横峰寺に登る遍路道にある。
・傍には、大師が洗顔時に錫杖を突き立てたという石の穴がある。
(小松町誌)
おそめたぬき【小松町】
・明治の初め、枇杷の木谷(湯浪と大郷の中間辺り)に住んでいた。 (小松町誌)
お富たぬき【小松町】
・高鴨神社の森のたたい坂というところに住んでいた。
・魚売りに化けて、人を化かした。 (小松町誌)
中山川のたぬき【小松町】
(小松町誌)
「子安大師」碑 |
「石鎚/高瀑登山口」碑 |
へんろみち道標 |
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