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伊予の隅々
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新居浜市
(旧・新居浜市)

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伊豫の隅々インデックス

カテゴリ別インデックス

市町村概要


キャッチフレーズ
(1).「潤いと活力にみちた産業・文化創造都市」
(2).「鉱山と遊学ランドと温泉の遊湯ランド マイントピア別子」
(3).「豪華絢爛新居浜太鼓祭り」



 
市の花 市の木 市の花木 市の鳥
ツツジ クス

特産物

沿革
・元禄4年(1691)、別子銅山の開坑により繁栄し、現在では住友系諸会社を中心とする企業の立地が進み、昭和39年には新産業都市の指定を受け、四国屈指の工業都市になった。

地名
大字


文化財
旧広瀬家住宅(広瀬邸)【新居浜市上原】
・国指定重要文化財(平成15年(2003)指定)

遠登志橋(おとしばし)【新居浜市立川】
・国指定重要文化財(平成17年(2005)指定)

住友化学愛媛工場歴史資料館【新居浜市惣開町】
・国登録有形文化財
・明治34年の建造物

一宮神社のクスノキ群【新居浜市一宮町1丁目 一宮神社】
・国指定天然記念物

大転輪蔵 【新居浜市山根町 瑞応寺】
・県指定有形文化財(昭和45年3月27日指定)
・京都の北野天満宮から移転されたもの。

木造薬師如来坐像(1躯)【新居浜市高木町 河内寺】
・県指定有形文化財[彫刻]

太刀(銘守次、革包太刀拵)(1口)【新居浜市庄内3丁目】
・国指定有形文化財[工芸品]

太刀(銘国継)(1口)【新居浜市庄内3丁目】
・県指定有形文化財[工芸品]

太刀(銘行秀)(1口)【新居浜市沢津1丁目】
・国指定有形文化財[工芸品]

剣(銘國永)(1口)【新居浜市沢津1丁目】
・国指定有形文化財[工芸品]

太刀(銘正恒)(1口)【新居浜市沢津1丁目】
・県指定有形文化財[工芸品]

太刀(銘備前国以下切)(1口)【新居浜市一宮町】
・県指定有形文化財[工芸品]

太刀(無銘)(1口)【新居浜市土橋1丁目】
・県指定有形文化財[工芸品]

銅銭承和昌宝(30枚)【新居浜市黒島 明正寺】
・県指定有形文化財[工芸品]

金銅密教法具(17種)【新居浜市黒島 明正寺】
・県指定有形文化財[工芸品]

瑞応寺の大銀杏【新居浜市山根町 瑞応寺】
・県指定天然記念物

ソテツ【新居浜市多喜浜】
・県指定天然記念物

赤石山の高山植物【新居浜市/土居町/別子山村】
・県指定天然記念物

大元神社【新居浜市大島 大元神社】
・市指定有形文化財

五輪塔群【新居浜市西の土居町 2-16】
1996/5/10
・市指定史跡(昭和40年6月3日指定)
・金子氏累代の墓石群と推定される。
・様々な種類の石材が用いられている。

つづら渕【新居浜市若水町2】
2005/4
・市指定史跡

大師泉【新居浜市萩生】
・市指定有形文化財

随神【新居浜市庄内 宗像神社】
・市指定有形文化財

牛王法師【新居浜市庄内 宗像神社】
・市指定有形文化財

太刀(三条宗近作)【新居浜市一宮町 一宮神社】
・市指定有形文化財

薬師如来像【新居浜市高木 河内寺】
・市指定有形文化財→県指定文化財

河内寺五重塔礎石【新居浜市高木町6 河内寺】
・市指定史跡

宝篋印塔【新居浜市神郷】
・市指定有形文化財

深尾権太輔光清の墓【新居浜市黒島136 明正寺】
・市指定史跡

星原市【新居浜市外山町7】
・市指定史跡

久貢屋敷【新居浜市多喜浜151】
・市指定史跡

天野喜四郎の墓 【新居浜市多喜浜151】
・市指定史跡

岡崎城跡【新居浜市上郷郷山】
・市指定史跡

金子城跡【新居浜市西之土居町】
・市指定史跡

土師器【新居浜市惣開】
・市指定有形文化財

金子山古墳【新居浜市西之土居町】
・市指定有形文化財

金子山古墳出土品【新居浜市西之土居町】
・市指定有形文化財

金子備後の墓【新居浜市西之土居町】
・市指定有形文化財

大師泉縄文式遺跡【新居浜市萩生801】
・市指定史跡

唐津山古墳 【新居浜市上原町3】
・市指定史跡

小山古墳【新居浜市垣生小山】
・市指定史跡

王塚【新居浜市大生院】
・市指定有形文化財

檜端住居跡【新居浜市舟木桧端】
 ・市指定史跡

弥生式竪穴住居跡【新居浜市船木】
・市指定有形文化財

古代窯跡【新居浜市船木】
・市指定有形文化財

横山古墳群【新居浜市中村横山】
・市指定史跡

生子山城跡製錬所跡【新居浜市角野町】
・市指定有形文化財

正光寺山古墳【新居浜市泉川】
・市指定有形文化財

正光寺山古墳出土品【新居浜市宮西町 新居浜西高等学校】
・市指定有形文化財

とうどうおくり【新居浜市大島】
・市指定無形文化財

大島旧庄屋跡【新居浜市大島】
・市指定無形文化財

大島水軍遺跡【新居浜市大島】
・市指定無形文化財

ばくちの木群落【新居浜市大島 八幡神社】
・市指定天然記念物

なぎの木【新居浜市神郷 田之上神社】
・市指定天然記念物

三島神社社叢【新居浜市船木 三島神社】
・市指定天然記念物

ひいらぎ【新居浜市萩生】
・市指定天然記念物

中央構造線【新居浜市大生院】
・市指定天然記念物

椋樹【新居浜市垣生 法泉寺】
・市指定天然記念物

瑞応寺寺叢【新居浜市角野 瑞応寺】
・市指定天然記念物

浮島ヶ原【新居浜市浮島 八幡神社】
・市指定天然記念物

銚子の滝【新居浜市大生院】
・市指定天然記念物

樽の滝【新居浜市船木】
・市指定天然記念物

衣笹山【新居浜市萩生】
・市指定天然記念物

一字一石塔【新居浜市萩生 岸之下】
2000/7/30
この一字一石塔の前には、旧へんろ道が通っており、歩き遍路も多く行き交うのであろう。私財を投じてこしらえたと思われる休み場が設けられており、ちょっとした図書館のように書籍類が一休みする人のために開放されている。(2000/7/30)



城址
宇高城
「」(史伝の人とその周辺 伊予の巻)

大浜城
(史伝の人とその周辺 伊予の巻)

岡崎城跡【新居浜市郷乙】
(史伝の人とその周辺 伊予の巻)
 

小河城
(史伝の人とその周辺 伊予の巻)
 

小野城
(史伝の人とその周辺 伊予の巻)

金子城跡【新居浜市】
・市指定文化財[史跡](昭和53年4月6日指定)
・金子城主は、武蔵国入間郡金子郷の地頭職からこの地の地頭職となったもので、天文〜永禄(1532〜1570)の頃、金子元成公が金子山に砦を築いた。
・天正13年(1585)金子元宅のとき、小早川隆景の攻めに破れて落城した。
(史伝の人とその周辺 伊予の巻)
 
展望台

生子山城跡【新居浜市】

新須賀城
(史伝の人とその周辺 伊予の巻)

高橋城
(史伝の人とその周辺 伊予の巻)

麓城
(史伝の人とその周辺 伊予の巻)

真鍋城
(史伝の人とその周辺 伊予の巻)



遺跡
大師泉遺跡【新居浜市】

星原市遺跡【新居浜市星原町】
・中世
[まいぶんえひめ No.29、平成14年(2002)]



古墳
正光寺山古墳【新居浜市】
2005/5/29
・JR新居浜駅より東へ少し進んだところ、正光寺山の丘陵地にある。
・古墳時代後期(550〜600)のものとされる。
・円墳で、横穴式石室を備えている。
・鹿の角が材質の柄に直線と弧線の組み合わせ文様を刻んだ刀子(とうす)が、同時代の古墳から県内で初めて出土した。

庫津山古墳【新居浜市上原町3】
・市指定史跡

小山古墳【新居浜市垣生小山】
・市指定史跡

横山古墳群【新居浜市中村横山】
・市指定史跡

金子山古墳【新居浜市西之土居町】


跡地
久貢屋敷【新居浜市多喜浜】
 
久貢記念館

旧別子銅山【新居浜市】
 
角石原
・標高約1,100mのところにある角石原には、牛車道の中宿、第一通洞北口、上部鉄道の発着停車場があり、輸送系統の要所であった。また、選鉱場、焼鉱場も設置されていた。
銅山山ヒュッテ
・角石原停車場跡に建てられた赤石山系登山者の休息場所。
峰地蔵
第一通洞跡(北口)
・旧別子側の南口(旧代々坑口)と新浜側の北口を結ぶ延長約1,021mの別子銅山初の本格的坑道であった。
・上部鉄道は、角石原と石ヶ山丈(835m)を結ぶ延長5,532mの山岳鉱山専用鉄道で、明治26年〜44年の間活躍した。
第三通洞跡
・東平(とうなる)に残る。
銅山越
大和間符
つがざくら、あかもの群生地
牛車道
歓喜坑
歓東坑
蘭塔場
日出度町鉱山街跡
大山積神社跡
展望台
第一通洞跡(南口)
東延斜坑
ダイヤモンド水
高橋製錬所跡
小足谷劇場跡
小足谷小学校跡
接待館跡
醸造所跡
小足谷部落跡
円通寺小足谷出張所跡

新居郡立農業学校跡地【新居浜市萩生】
2000/7/30



河内寺【新居浜市高木町6】
 
河内寺五重塔礎石
木造薬師如来坐像(1躯)
・県指定有形文化財(彫刻)

願行寺【新居浜市大島】
・宗派:浄土宗
・本尊:阿弥陀如来
・通称は上寺(うえでら)。
 
幽霊の片袖

吉祥寺【新居浜市大島143番地】
・山号:陽向山
・院号:多聞院
・宗派:真言宗善通寺派(〜昭和27年:古義真言宗)
・新居浜新四国霊場八十八番札所(結願寺)
・通称は下寺(したでら)。
・貞観元年(859)に開基。
・大島八幡神社の別当所として「神宮寺」と号した。
・寛文年間(1661〜1672)に神仏分離し、寺号を吉祥寺と改めた。
・延享5年(1748)に現在地に移った。本堂もその時のもの。
 
薬師堂
石槌島之助百回忌供養碑
・薬師堂横。

慈眼寺(慈眼禅寺=じげんぜんじ)【新居浜市】
1996/5/10
・本尊:聖観音菩薩
・曹洞宗
・広永13年(1406)に金子城が置かれたが、天正の陣(天正13年:1585年の秀吉による四国攻略)の際に小早川隆景の攻めに敗れ落城した。
・元和4年(1618)、金子城主歴代の菩提を弔うために創建した。
「慈眼寺の歴史
 慈眼寺の歴史は古く、源平合戦の時、源氏に味方して戦った関東武士で、金子十郎家忠が、その功績によって、伊豫の国の、新居郡と、兵庫の「いかるがの庄屋」の領地を与えられ、約百年後の、弘安六年(1283)頃に、金子頼広(よりひろ)(家忠より五代目)が、当地に来て、館を、現在の慈眼寺の地に構えて山上に砦を築きて、金子城(別名=橘江城(きっこうじょう))とします。また、城の北側の山麓に、菩提寺を建立します。その後、応永十三年(1406)に、立派な堂宇が再建されました。当時の宗派は、臨済宗(禅宗)で、鎌倉の寿福寺(じゅふくじ)派に、属していました。その後、 天正十三年(1585)に、秀吉の四国攻略が起こり、金子城も落城して、お寺も戦火に遭い、焼失します。当時、金子城を守備していた、備後守の弟の対馬守元春(つしまのかみもとはる)は、今治の大雄寺に逃れて行き、自害しようとした時、住職の宗虎(そうこ)和尚に止められ「お前は、生きて僧侶となり、この戦いで死んだ人達の、霊を弔え」と諭されます。そして、和尚の弟子となり、修行の後、和尚の紹介で、現在の福島県いわき市平(たいら)の、長源寺の、卓眼(たくげん)和尚を訪ねて行き師事し、修行の後に、故郷の地に帰り、戦いで生残りの者や、遺族達と力を合わせて、金子城の館跡へ寺院を建立します。時は、慶長18年(1613)です。・・これが現在の慈眼寺の始まりです。名称は「松樹林(しょうじゅりん)=正法山、慈眼寺」とし、宗派は、曹洞宗です。次に、初代=関奄本徹(かんえんほんてつ)和尚(対馬守元春)は、当時の、名僧でした。百九代=明正天皇より、御綸旨を賜り、また、三世=安禅恩長和尚も賜っています。故に、本堂の屋根の棟に、十六弁の菊の紋章を付ける事を、許可されます。尚、現在の慈眼寺は、「天正の陣」の四百年を記念し、平成四年に、総て新しく建替えました。慈眼寺には、金子山古墳、金子城の戦い別子銅山との関係、その他色々の歴史が有ます。
平成15年10月吉日」
「「慈眼寺(じげんじ)の歴史
 慈眼寺の歴史は古く、今より約五百八十年の昔、応永十三年(1406年=足利時代)に開かれております。
 当時は金子城のあった時代で、場所は山の北側でした。
 天正十三年(四百年前=1585年)の秀吉の四国攻略(天正の陣と呼ぶ)により金子城は落城し、その時戦火に遭ってお寺も焼失してしまいました。
 口碑によれば当時、金子備後守元宅は東予全軍の指揮をとるため高尾城(西条市氷見)に行き、兄に代わって金子城を守っていた弟の対馬守元春は、落城後戦で亡くなった人達の菩提を弔うため仏門に入り、奥州(福島県平市)の長源寺に行き、卓眼和尚の許で修行を積み、後に故郷の地に帰って生残りの者や戦死した子孫と力を合わせ、この戦で亡くなった将士の菩提を弔うため、金子城の館跡に一寺を建立し、松樹林正法山慈眼寺と呼びました。時は元和年間と伝えられており、また関庵本微和尚は対馬守元春の後身といわれております。当時のお寺は今のような規模ではなく、現在の庫裏は本堂兼住居であり屋根も茅葺きでした。徳川時代の後半になり現在の本堂、玄関、拝殿と次々に建立し、今の様な規模のお寺になりました。
 次に宗派は焼失以前は臨済宗でした。現在の慈眼寺は親寺長源寺と同じ曹洞宗です。本山は越前の永平寺と総持寺(横浜市)で、ご本尊は聖観世音菩薩をお祀りしております。
 本堂の奥のお位牌堂には、歴代住職および、城主、金子備後守ならびに共に討ち死にをした将士のお位牌がお祀りしてあります。
 また本堂の裏には「天正の陣」の戦で亡くなった金子備後守と真鍋六人衆の墓、岡崎城主藤田大隅守の墓等があります。また山の中腹には家老、伊藤嘉右衛門の子孫が建立した供養塔もあります。かくの如く当山慈眼寺は古い歴史と落城にまつわる哀話を秘めた由緒ある古刹であります。
昭和五十九年 記」」
 
金子備後守供養塔
金子元宅公の墓がある。慈眼寺本堂左手の石段を登ったところにある。
金子備後守元宅墓
(伊豫墳墓録)
新居郡金子村慈眼字境内現新居浜市。
(伊豫温故録)
新居郡荒川山村および同郡野々市村にも同様墓がある。
(西条誌)
近古石を建てて墓標とした。
[愛媛県郷村変遷史「文化財三宅メモから」、三宅千代二、愛媛出版協会、昭和52年1月1日]
菖蒲園
トンカカさん踊り
・天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国出兵で、小早川隆景の大軍に対し、郷土連合軍の総大将で金子城(新居浜)城主の金子備後守元宅が、死を覚悟で出撃し、野々市原(西条)の決戦で討ち死にした。隆景がその「弔いの舞」を踊ったのが由来とされる。
・最初は塚村(小松)で始まったとされるが、新居浜市金栄の慈眼寺は元宅の菩提寺であり、金子山が戦場だったといわれることから、1994年 4月に金栄小学校区で「トンカカさん踊り保存会」が設立された。
「南より
一.中村分家
  與三右衛門兼則(源兵尉)
   延宝四年九月十九日没
二.越智通治五男助右衛門尉子
  四郎左衛門兼之(宗兵衛尉)(善佐衛門)
   天和二年七月二十日没 下泉川村住
  松木殿 宝兼孝娘
「金子備後守元宅と真鍋六人衆の墓

 
 中央は金子備後守元宅の墓
 他の六墓は真鍋六人衆の墓
  真鍋佐渡守家綱
  真鍋左京佐兼孝
  真鍋勘解由行綱
  真鍋越後助政綱
  真鍋孫太郎兼綱(真鍋流の弓の名人)
  真鍋孫九郎亮綱
 
 全員高尾城(西条市氷見)の戦で討死をしました。
 お位牌は慈眼寺に祀られております。
 真鍋家は金子備後守の母親の出里であります。

「此の塔は金子城主備後守元宅公供養の為城代家老伊藤嘉右衛門家定の裔七代目嘉右衛門が天保五年二百五十回忌に建立し其の後百五十年を経る今日四百回忌に伊藤家一門末裔の有志に依り土台を設立修復す
昭和六十年五月吉日

正法寺【新居浜市大生院】
・ 宗派:真言宗御室派
・小松藩の近藤篤山(こんどうとくざん)がよく立ち寄ったという。
 
大護摩行事
・7月最終土曜日に行われる炎の祭典。山岳宗教に関連した行事とされる。
・金剛蔵王大権現の尊体が空き地に移され、信者・檀家が扮した白装束の山伏が空き地中央に設置された桧製の護摩壇の周りで法剣作法などを繰り広げる。
・やがて護摩壇に点火、次々と木札が投げ込まれる。
・護摩壇が焼け落ちると、その灰の上を素足で歩く「火渡り」が行われる。

真光寺【新居浜市滝宮町】
2005/4/20
・宗派:曹洞宗
 
寺号碑
・昭和37年11月建立。施主:神野庄太郎、開山三百年大法要記念。
水利紀念碑
※真光橋の東側袂にある。(2005/4/20)
真光寺橋
※真光寺前、東川に架かる。(2005/4/20)
山門
※山門の前に2本の背の高い立ち木があるのが印象的。(2005/4/20)
宝篋印塔

瑞応寺【新居浜市山根町8-1】
2000/7/30
・本尊:釈迦如来像
・宗派:曹洞宗
・文安5年(1448)、生子山城主、松木景村公が建立し、鎌倉より月担和尚を招き、仏国山瑞応寺と名付けた。
・明治30年(1897)、専門僧堂を開設し、禅門修行道場として広く学僧が出入りした。現在も曹洞宗最高の別格に位置している。
 
長泉堂
・長泉堂に保存されている大転輪経蔵は、もと北野天満宮に所蔵されていたもの。県指定有形文化財。明治の神仏分離令により売りに出されたものを住友が買い求めた。銅山で殉職した人々を鎮魂する意味もあったと思われ、この経蔵を回して礼拝すれば大きな功徳を積めるという。
瑞応寺の大銀杏
・本堂近くにある。
・樹高800〜1000年
・県指定天然記念物
瑞応寺寺叢

大徳寺【新居浜市】
1996/5/10
・山号:神国山
・特に見所なし。
・「個人の家」という感じ。
・神社のように柱連石が立っている点が奇異。(神仏習合の名残か)

萩生寺(はぎゅうじ)【新居浜市萩生2635】
・四国曼陀羅霊場 第30番札所
・伊予六地蔵 第4番札所

法泉寺【新居浜市垣生】
・山号:女乙山
・宗派:真言宗
・天正年間に創始された。
・旧本堂は約200年前に建立されたものであったが、近年総桧造りの新本堂に立て替えられた。

萬福寺【新居浜市】

明正寺【新居浜市黒島136】
・神亀5年(728)、伊予の豪族越智氏の創建と伝えられる。
・本尊:聖観音菩薩
・宗派:真言宗善通寺派
・元々、西方寺と称していたが、寛永20年(1643)、明正天皇の勅令により寺号を改めた。
 
深尾権太輔光清の墓
・市指定史跡
銅銭承和昌宝(30枚)
・県指定有形文化財[工芸品]
金銅密教法具(17種)
・県指定有形文化財[工芸品]


神社
一宮神社(いっくじんじゃ)【新居浜市一宮町】
2005/4/20
・祭神:大山祇大神、雷大神、高おかみ神
・和銅2年(709)8月、大三島の大山祇神社より勧請し、新居の一宮として古くから崇敬されている。
 
社号碑
・大正6年10月18日
・県社昇格記念
常夜灯
・寛政5年正月
・「正一位一宮大明神」と刻まれている。
鳥居
社日宮
・本殿側に向かって、鳥居の右側にある小さな御室。
常夜灯
・文化9年9月
一宮神社のクスノキ群
・国指定天然記念物(昭和26年6月9日)「一宮神社の樟樹林」
・「国指定天然記念物 一宮神社の樟樹林
 当社は和銅年間大山祇神社より大山祇大神外二柱の神を勧請奉斉申し上げてより地方豪族の崇敬を受け特に西条藩主松平氏の祈願所と定められ、歴代藩主の尊崇篤く、明治年代に至っては県社に列格し、秋祭りの太鼓台は豪華絢爛をもって全国に知られている。
 社巌は亜熱帯植物の樟樹をもっておおわれ、眼通り1米以上のもの53本、最大なるもの目通り9.4米 根廻り14.9米、高さ29米、枝張32米に及び一大偉観を呈し、昭和26年6月9日国指定の天然記念物となったものである。
昭和51年6月1日 新居浜市教育委員会
平成13年6月吉日 新居浜ライオンズクラブ改
鳥居
狛犬
狛犬
・平成3年1月
常夜灯
・寛政2年5月
常夜灯
忠魂之碑
・境外(柵の向こう側)にある。
・土居光春書
句碑
注連石
・明治44年
祓戸大神
・登道側からの参道を入ってすぐ左のところにある。
神馬
狛犬
茶釜塔
相撲道場建設寄進碑
一宮神社御由緒碑
相撲土俵
拝殿
伊與八幡神社
・拝殿に向かって右側
注連石
百度石
太刀(三条宗近作)
特殊神事:神輿海上渡御
・隔年実施
一番楠
・国指定天然記念物(一宮神社クスノキ樹叢全体として)
・目通り9.6m、根回り幹周14.9m、樹高29m、樹齢1000年
※楠の周りを「秋葉権現」等数多くの御室が取り囲んでいる。
楠木神社
・小女郎狸を祀る。→小女郎狸の伝説
・「伝説  小女郎狸
「小女郎大明神」として楠木神社にまつられている小女郎狸は、壬生川の喜左衛門狸、八島の禿狸とともに、三兄弟として、伊予狸族の名門で、昔から一番樟に棲んでいた眷族といわれている。
代々一宮神社の宮司につかえて、可愛がられていた利口な狸であったが、或日、つい出来心から、初穂の対を一匹失敬したことがばれて宮司に叱られ、とうとう古巣の大楠から追放されることになった。
それから間もなく、長い間棲みなれた一宮の森を去って、当てもなくさ迷い歩くうちに、浜辺にでた。そして、今漕ぎ出そうとする漁船を見つけたので、慈眼寺の和尚に化けてのりこんだ。その日は、大変鯛がよく釣れるので、鯛にはコリゴリの子女郎狸は、じっと目をつむって、「南無鯛散菩薩」と祈っていたが、足下でピチピチ躍る瀬戸鯛を見ては、空腹の煩悩払うべくもなく、一匹くらいは仏果を得よと、そっと法衣にかくれて盗み食いしているところを、漁師に見つけられ、「この生マぐさ坊主奴」とばかり、櫂をもって一撃をうけた途端に、化けの皮が剥がれ、尻尾を出して、せまい船の中をウロウロして、あわや、水葬礼になるところを、やっとのことで命が助かり、その時、小女郎は、前非を悔いて、「このご恩は必ず報います。
大阪に着いたら、金の茶釜に化けますから、それを売って鯛の身のしろ金にしてください。」と約束して、漁師にご恩返しをした。
正直な狸である。
こうして、茶釜の約束を果たした子女郎は、美しい娘に化けて、道頓堀や、千日前を見物して暮らすようになったが、その後、一宮の森に帰り、「諸願成就」の守り神として、信仰を集めている。 」
句碑 「秋高し 神木として 一の楠」

内宮神社【新居浜市山根町】

大島八幡神社【新居浜市大島】
・貞観元年(859)、大和大安寺の僧・行教が九州宇佐より都に八幡神を迎えるとき、天候悪く大島に寄航し、この地に勧請したと言われる。
・現在の本殿は元禄5年(1692)の建築、3間4間、総欅の春日造りで、正面に唐破風をのせている。

大島の秋祭り(大島八幡神社大祭)
 毎年大島の秋祭りは、新居浜市のお祭りと同じ10月16〜18日の間に行われます。16・17日は夜宮(だんじり)の運行が午後6時から始まり、18日は午前中の満潮時を見計らっての船御幸、午後は御輿が島内を廻ります。かっては13〜15日だったのですが、会社の休みの関係などから現在の日程に変わったといいます。ただそれがかえって、島民の減少と相まって参加者の減少をもたらしているような気がします。
 大島の祭りは歴史が古く、昭和50年代初めまで鎌倉期または室町期と伝えられる御輿が残り、しかもかっては大元社・八幡社・住吉社、それぞれ1体づつ計3体あったそうです。夜宮がいつ頃からかは定かではありませんが、西条型だんじりの原形といわれ、現在でも上の町・中の町・西の町の3台が伊勢音頭の声も高らかに、練り歩きます。
 また最終日の船御幸は、八幡神社神主を乗せた「お船」と御輿を載せた「御輿船」を各町の“明神さん(小型夜宮)”をそれぞれ積んだ船が挟み、「ねこぎ船」を先導に「沖の島」が見えるまで進み、2回半廻って帰島します。
 年毎の参加者の高齢化・減少によって、夜宮や御輿の運行もだんだん難しくなっています。ただ、郷土の歴史をきざむお祭り、なんとか後世に残したいものです。
 
拝殿
・市指定有形文化財(昭和52年指定)
・旧八幡神社の本殿。
・室町期の神社様式を残した古建築
大元神社
・本殿右横
・祭神:大元大神・帆立大明神・厳島大明神
石槌島之助
ばくちの木群落

大山祗神社【新居浜市】

大山積神社【新居浜市角野新田町】
2000/7/30
 大山積神社は別子ラインを下り切ったところの橋を渡る手前のところに鎮座する神社である。参道の階段の入口のところには、平成2年11月16日に建立された本田三嶺子の句碑がある。
 この神社は、もともと旧別子の足谷の「縁起の鼻」と呼ばれる場所に鎮座していた。元禄4年(1691)の旧別子開業時に大三島の大山祇神社より分霊を勧請したのが始まりで、その後、銅山の歴史と流れとともに目出度町、新居浜市山根の内宮神社へと移転・奉遷され、昭和5年に現在地に移されたという。
 参道を上ると結構広い境内敷地が広がっている。そして、いくつかの蒸気機関車が展示されている。
 一番手前に置かれているのが、「鉱山専用鉄道用蒸気機関車(準鉄道記念物、昭和38年10月14日日本国有鉄道四国総局指定、指定番号1)」である。
 明治26年(1893)開通した鉱山専用鉄道用に、ドイツミュンヘンのクラウス社より明治25年(1892)購入の別子では第1号の蒸気機関車であり、 昭和4年(1929)から地方鉄道としての営業を開始し、昭和17年(1942)には国鉄新居浜駅との間に連絡路線が増設され、物資輸送と併せて一般利用もなされた。
 昭和25年(1950)に幹線が電化された後は廃車となり、県立新居浜工業高校に保管展示されていたが、別子銅山記念館の建設時にここに移設されたらしい。
 この他、坑内牽引6トントロリー電車(第4通洞専用の鉱・人車牽引用電車)、大型四角鉱車・0.7u小形ダンプカー(鉱石・操業用資材運搬用。昭和初年から採用・活用された)、かご電車(昭和13年(1938)から閉山(1972)まで、東平坑口から日浦坑口の間の約4,000mの坑内を運行した人員輸送車)、鉱山専用鉄道用電気機関車・ED-104号(昭和25年(1950)鉄道電化の後、鉱石輸送増強のために日立製作所より部品を購入して別子事業所で組み立てた自社製電気機関車)なども展示されている。(2000/7/30)

清住神社【新居浜市】
《伝承》
・奈良時代の初期に流星が落下し、この所を落神といい盤座を作り、御神霊の宿る所として祀殿を作ったという。
・社記には、元禄3年本殿修復の記録(棟札)がある。
・本殿中の神器には流星の石が納められているらしい。

興玉神社【新居浜市】

黒島神社【新居浜市黒島107】
・式内社。旧県社。
・祭神:大山祇神、木花咲耶姫命、天御中主神

・斉明天皇西征の折、大田姫が船中で産気づいたため黒島で下船した。黒島神社で安産祈願をして、無事、大伯皇女を安産したということから、安産祈願の神社として霊験あらたか。

 
境内末社:天神社、松尾神社、稲荷神社、若宮神社、恵比寿神社、海神社
願石
・安産祈願の折には、一石を持ち帰り、安産が叶ったら、二石にして返す。
力石
鰐石
・社殿横。
・秀吉の朝鮮出兵の時に、黒島から参加した三名の水夫が持ち帰ったものらしい。
椿
・市指定天然記念物。

滝神社【新居浜市】
1996/5/10
 
滝神社
・祭神:大山祗神、高おかみ神、雷神
本郷天皇宮(境内末社)
・祭神:火産霊神
牛頭天王社(境内末社)
・祭神:須佐之男神
山林記念碑
独立記念碑
・大正3年5月建立。
本郷天皇社      牛頭天王社
  ◎     ◎   ◎
       滝神社
 
 

            ◎ ◎
        ||  \ \
  竹            \  山林記念碑
        狛狛      独立記念碑
  林   ___
        ++
    ||

        ||

        狛狛
       ___

 楠?   ++
 ◎  ||
  樹齢200〜300年級

田之上神社【新居浜市神郷】
 
なぎの木

中野神社【新居浜市】
 
藤原純友に纏わる伝説

八幡神社【新居浜市八幡】

舩木神社【新居浜市船木】
1998/4/30
・池田池公園南側の小高い丘の上に鎮座する。(池田池公園から参道が続く。)
 
鴻上彌三郎頌徳碑
句碑
・境内に2基建っているが、句も作者も読解不能。

三崎神社跡【新居浜市横水町14】
2005/4/20
・近藤氏祖神。碑は昭和36年1月に建立。
・県立新居浜病院の北側(裏手)、JR予讃線踏切の近くにある。

湊神社【新居浜市多喜浜】
・多喜浜塩田跡にあった。
・塩田の神様として信仰を集めた。

宗像神社【新居浜市庄内】
2005/4/20
 
随神
牛王法師


お堂
御茶屋観音堂【新居浜市西の土居町】



地蔵



銅山峰

 
銅山峰のキバナツツジ
・昭和32年、県天然記念物指定
銅山峰のツガザクラ
・えひめ自然100選


鉱山

川・渓谷

東川【新居浜市】

小女郎川(こじょろがわ)【新居浜市】

足谷川(あしたにがわ)

別子ライン[Besshi Rhine]【新居浜市大永山】
・市内中央部を流れる国領川上流。
・生子橋からマイントピア別子、鹿森ダム、遠登志渓谷、清滝を経て河又に至る延長約10kmの渓谷景勝地。
・昭和30年(1955)、県の名勝に指定された。
 
生子橋
マイントピア別子
鹿森ダム
1998/5/1
・昭和37年4月完成。県営ダム。
・堤高58m、堤頂長108m、貯水量160万トン
・小女郎川(こじょろがわ)に建設されたダム。
・ダム湖を「別子の湖」という。
遠登志渓谷(おとしけいこく)
・足谷川(あしたにがわ)渓流
清滝(きよたき)
・小女郎川上流(鹿森ダム上流)
・落差約60mを誇る。
えひめ自然百選
・滝の周辺には休憩所と展望所があり、ゆっくりと豊かな自然に接することができる。
仲持ち像(なかもちぞう)
・「仲持ち」とは、別子銅山の山中で製錬された「あらどう(粗銅)」を運び出し、又、帰りには山中の生活に欠かすことができない「日用品」や「食料」などを男子でおよそ45kg、女子でおよそ30kgを背に一歩一歩山道を踏みしめ運搬していた人たちのことである。
・作者:阿部誠一。
・新仙雲橋(せんうんばし)の北側袂、遠登志渓谷遊歩道入口にある。
酒井黙禅句碑
遠登志橋(おとしばし)
・国指定重要文化財(平成17年(2005)指定)
・小女郎川に架かる全長48m、幅2.4m、高さ23mのワイヤーロープの吊り橋。
・別子銅山から出る坑水の排水路及び人道橋として1905年に架けられた。
・もともとは「落とし」だったのを、漢字を当て込んだもの。
・鋼製アーチとしては国内最古級。
c.f.「登録有形文化財 遠登志橋(新居浜)と福田寺(伊予市) 文化審 県内は4件答申」、愛媛新聞、平成17年9月7日
六角堂展望台
遠登志展望台
・昭和39年5月完成

大師泉 【新居浜市萩生801】
 
大師泉の伝説
オオバタネツケバナ(ていれぎ)
・新居浜市指定文化財

葛渕(つづらぶち)【新居浜市若水町2丁目5】
2005/4/20
・市指定史跡(昭和53年4月6日指定)
・葛渕は霊水が湧き出る泉とされる。日照りのとき、笹ヶ峰から持ち帰った水を注げば龍が雨を降らせるという神龍伝説が伝えられる。※降雨の御利益
・マルナカ若水店の東側駐車場内にある。
 
若水汲み(若水取り、お水取り)
・新年行事(1月7日)
・無病息災、家内安全を祈願する行事。
・新年に年男が水を汲み、一宮神社へ奉納するのが習わし。
・日の出前の早朝、葛渕に湧き出る水を柄杓で汲み、こもだる(18リットル)に詰めて台車に乗せ、法被姿の子供らが南へ約1km先の一宮神社まで運び、奉納する。
・約300年前に始ったと言われる。 一宮神社が古くより1月7日に若水汲みの神事を行っていたが、一時期、水が涸れて行事が途絶えていた。昭和52年(1977)に町名がこの神事に由来する若水自治会が中心となり行事を復活させた。
・若水によって作られた七草粥がふるまわれる。
※七草粥=スズシロ、セリ、ハコベ、ゴギョウ、ホトケノザ、スズナ
Ref.「葛淵で新春恒例「お水取り」 新居浜」、愛媛新聞、2006/01/07
「史跡葛淵」の碑



魔戸の滝【新居浜市種子川山】
・国領川支流西ノ谷川上流。
・上樽、中樽、下樽(40m)の三瀑布から成る。

銚子の滝【新居浜市大生院】


ダム


遠登志橋(おとしばし)


風景
東平【新居浜市】
1998/5/1
・旧別子銅山跡。
・県道9号線(新居浜・山城線)を新居浜から別子山村へ向けて走り、マイントピア別子を越えて暫くしてから左折。車1台がやっとの細い道を突き進めば、やがてロッジが見えてくる。
・山村リゾートを楽しめる。
・東平には、昭和初期、別子銅山採鉱本部があった。
・明治35年(1902)、採鉱場としての開発が始まった。
・昭和43年(1968)、66年の歳月を経て閉山した。

洞窟・鍾乳洞

樹木
瑞応寺の大銀杏【新居浜市山根町 瑞応寺】
・県指定天然記念物
・樹齢1000年と言われる。
・樹高約30m、周囲約9.4m。

阿島地区(アッケシソウ自生地) 【新居浜市阿島地区】

 
アッケシソウ
・県指定天然記念物。
・新居浜市阿島地区には生息南限のアッケシソウの保存地がある。
・アッケシソウはアカザ科で、塩水をかぶる砂地に生える一年草。
・草丈は40波50cmくらい。
・9月ごろに開花、次第に紅黄色に変わり、11月に紅葉とともに実を結び、紅葉が落ちると落果する。
・名前は北海道厚岸町で発見されたことに由来する。
・北前船で北海道へ塩を送り交易した際に持ち込まれたとされている。

新居浜アリーナ(アッケシソウ自生地)【新居浜市垣生】
 
アッケシソウ

ソテツ【新居浜市多喜浜】
・県指定天然記念物

ナギ【新居浜市神郷】
→県内のナギ:御幸寺(松山市御幸)、新谷小学校(大洲市新谷)、大元神社(長浜町下須戒)、法通寺(伊方町中浦)

一宮神社のクスノキ群【新居浜市一宮町】
・国指定天然記念物
・一宮神社境内には、約90本の楠の大群落が形成されている。










酒井黙禅句碑【新居浜市 遠登志渓谷】
「土佐越の 遠登志の橋や 山桜」
・昭和34年5月24日、新居浜ホトトギス会が建立。
・新仙雲橋(せんうんばし)の北側袂、遠登志渓谷遊歩道入口にある。

金子片水句碑【新居浜市滝の宮町 滝の宮公園】
「天正の 矢叫びを啼け 時鳥」
・てんせいの やさけびをなけ ほととぎす。
・新仙雲橋(せんうんばし)の北側袂、遠登志渓谷遊歩道入口にある。

村尾福来句碑【新居浜市滝の宮町 滝の宮公園】
「わが故郷 戦国城趾 夏の草」 冬楊子
・雪解同人、村尾福来翁の句碑。
・昭和61年5月、草の実句会、金栄句会が建立。

句碑【新居浜市滝の宮町 滝の宮公園】
「一山の 嵐の中に 蝉生る」
・昭和47年、彰月・琵朗が建立。

前田伍健川柳碑【新居浜市滝の宮町 滝の宮公園】
「ここの景 小鳥も水も 木も語り」

「遠藤石山先生重教之地」碑【新居浜市星原町】
・儒学者・遠藤石山は、新居郡泉川村星原に私塾・稽崇館(けいすうかん)を創設した。
・石山は小松藩士の家に生まれ、後に近藤篤山に師事した。

惣開の碑【新居浜市惣開】
・1890年に別子開坑200年を記念して建てられた石碑。
広瀬宰平が惣開に近代製練所が本格操業したことの喜びを碑文に記している。
・書は幕末三舟(*1)の一人・高橋泥舟(*2)が記したもの。
・2002年に住友化学工業愛媛工場の本部前から住友化学歴史資料館に移設し、銅板で囲って補修した。
(*1)幕末三舟=勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟
(*2)高橋泥舟(1835〜1903):槍術(そうじゅつ)家、書家


公園
池田池公園【新居浜市船木】
1998/4/30
・初夏には、池畔堤の斜面に躑躅が咲き誇る。
 
キャンプ場

稲荷山公園【新居浜市】

黒島海浜緑地【新居浜市黒島】

・1981年から14年をかけて整備をした。
 
ステージ付き野外音楽堂
噴水広場、芝生広場、スケートプラザ、展望広場、キャンプ広場、モニュメント広場

滝の宮公園【新居浜市滝の宮町】
1996/5/10
・駐車場完備
・入園料無料
・静かに落ち着ける場所。子供連れには絶好。
 
天正之陣滝の宮口
前田伍健川柳碑
村尾福来句碑
金子片水句碑
句碑

トンボ自然公園【新居浜市政枝町2】
・新居浜アメニティー倶楽部が休耕田を利用して開園した。

長野市民の森【新居浜市】
 
キャンプ場

市民の森【新居浜市船木】
 
竪穴式住居
・徳島市の阿波史跡公園にある竪穴式住居を参考に復元したもの。
・1996年に完成した。
・基礎は竹と赤土で囲い、外側は三間町から取り寄せた小麦の藁葺き。高さ4m、長さ7.5m、幅6.2m有り、中は23uに広さになっている。

広瀬公園【新居浜市上原2】
2000/7/30,2005/4/21
 
広瀬歴史記念館
・電話:広瀬記念邸管理事務所:0897-43-4667
広瀬宰平(1828〜1914)は住友の初代総理事として住友発展の基礎を築いた人物。翁の功績を顕彰するとともに、生涯学習の場とすることを目的として1996年4月より建設工事を着工した。
・1997年4月29日に完成・オープンした。
広瀬宰平は慶応元年に別子銅山支配人、明治10年に住友家総代理人となり、別子銅山を始めとして住友家の事業全般を掌握した。西洋技術を積極的に導入し、鉱山鉄道敷設など銅山近代化を指揮し、工業都市新居浜の基礎を築いた。
 観覧料が520円。勉強不足の状態で見るのは勿体無いので、今日のところはひとまず西門から少し入ったところで、クスノキの巨樹を眺めただけで引き揚げる。(2000/7/30)
展示館
・開館時間:9:30〜17:00
・入場料:大人520円、小中学生260円
・休館日:毎週月曜日、祝日の翌日
・鉄筋平屋約1000u。
広瀬宰平の出身地である近江国八夫村絵図、1877年に住友家から出された総理代人(総理事)の委任状、住友家から贈られた薩摩焼記念杯・狩野探幽の掛け軸、渋沢栄一第一国立銀行頭取ら財界人からの書状などが展示される。
・旧広瀬邸にあった、近くの山や海が鏡に映し出される塔状の建物「望煙楼」(高さ約17m)を再現している。
・展示館入口には鉱山鉄道を一部再現している。
旧広瀬宰平邸
・県指定名勝(1968年指定) →国指定重要文化財(平成15年(2003)指定)
・邸宅の母屋は 1877年頃の建築とされ、建具に輸入板ガラスが用いられており、専門家から注目されている。
・1994年から 3年計画で改修を進めている。
・記念邸は延べ1,360u。宰平が1877年(明治10年)に母屋を建て、その後の代に増築され、現在は8棟。
・フランス製の暖炉が備えられ、障子には当時の輸入ガラスも利用している。
・1970年には市に寄贈され、県の名勝になっている。
・遠州流日本庭園がある。
遠州流庭園
・県指定名勝(1968年指定)

松の木公園【新居浜市】

山根公園(山根健康運動公園)【新居浜市国領川河川敷】
平成7年(1994)に完成した。


祭り

イベント
とうどうおくり【新居浜市大島】
・小正月の火祭り「佐義長」。正月の注連飾りや書初めなどを燃やす行事。
・市指定無形文化財。
・幟には「蓬莱山左義長」と書かれている。
・竹組みの形は円錐形。

新居浜太鼓台まつり【新居浜市全域】
・10月16日〜18日に行われる。
四国三大祭りで知られる。
・金糸・銀糸に彩られた豪華絢爛な飾り幕をつけた太鼓台がかき夫の男衆に担がれて宙に舞い、かきくらべをする。
※ダンジリは「台ずり」が転訛したものといわれる。
 
船御幸(川東地区)
・隔年行事として多喜浜の新居浜東港で行われる。
・太鼓台を台船に乗船し、港内を曳航しながら差し上げる。


施設
マイントピア別子【新居浜市立川町】
2001/4/1
・日本三大銅山の1つ、別子銅山跡地を観光施設に利用している。
・1991年6月オープン。
・建設省「道の駅」
 
観光坑道
・人形で別子銅山の昔の作業の様子を紹介している。
・入場料:大人1200円、中高校生800円、3歳以上小学生まで600円。
・「歓喜坑」(元禄4年(1691)に開かれた銅山最初の坑道)、「堀り場」(採鉱作業員が槌と鑿で銅鉱石を採掘した跡)、「共同風呂」などの様子をみることができる。
端出場記念館
旧端出場(はでば)水力発電所
・国領川上流、別子ラインの辺にある。
・別子銅山の坑道入口(第4通洞)があった場所。
・明治45年に完成した重厚なレンガ造りの建物で、アーチ型の窓などレトロさと異国情緒が溢れる。
ヘルシーランド別子

郷土美術館【新居浜市】

県総合科学博物館【新居浜市大生院2133-2】

・1994年11月11日オープン。平成4年より建設開始。
・開館時間:09:00〜17:00
・休館日:月曜日
・展示室観覧料:大人 500円、小・中学生 250円
・プラネタリウム観覧料:大人 500円、小・中学生 250円
 
常設展示室:科学技術館
・ロボット、映像などを使った参加・体験型展示空間
常設展示室:自然館
・マクロな世界から身近な自然までを紹介する。
常設展示室:産業館
・愛媛県の基幹産業、伝統産業をわかりやすく紹介。
プラネタリウム
・世界最大級の直径30mのドームスクリーンを持ち、約2,500個もの恒星を映し出すことができる。
・プラネタリウム観覧料:大人 500円、小・中学生 250円

別子ハイツ自然学習館【新居浜市】

別子銅山記念館【新居浜市角野新田町3-13】
2000/7/30
・開館時間:9:00〜16:00
・休館日:月曜日、祝日、年末年始
・入場料:無料
・電話番号:0897-41-2200
・新居浜市発展の礎になり、日本経済発展に貢献した別子銅山の意義を永世に伝えるため、住友グループにより昭和50年(1975)に建設された。
・開坑以来の歴史、地質鉱床、生活民俗、技術に関する貴重な資料を展示している。

別子銅山口屋跡/国屋跡記念公民館【新居浜市西町】
 
別子銅山口屋跡
・県指定文化財
国屋跡記念公民館

住友化学愛媛工場歴史資料館【新居浜市惣開町5番1号】
・国登録有形文化財
・電話番号:0897-37-1711
・大正2年、別子銅山の銅製錬での直営肥料事業を発祥とする住友化学の現在に至るまでの歴史的資料を一同に集めたもの。
 
惣開の碑

別子銅山記念図書館【新居浜市北新町10-1】

マリンパーク新居浜【新居浜市垣生3丁目乙324】

・電話番号:0897-46-4100
・陸上・海上保管施設やクラブハウスなどを備えた本格的マリーナのほか、研修宿泊施設や遊泳のできる人工海浜などがある四国最大級の海洋性レジャー発信基地。

リーガアクアガーデン【新居浜市前田町】


学校

温泉
白鳥別館の鉱泉【新居浜市立川山】


伝説
長淵のツルの来訪伝説【新居浜市大生院(おおじょういん)】
・天保11年12月、百姓の善作がツルを助ける話。

大師泉の伝説【新居浜市萩生801 大師泉】
・ある日、農家の門に立った旅僧が、家人に一椀の水を乞うた。
・この家では汲み置きの水がなかったので妻は水桶を担って水を汲みに行った。この辺りは昔から日照りが続くと飲み水に事欠き、干魃ともなれば作物は枯死するなど、水の不自由な事をこの家の主人は旅僧に話した。
・僧は妻が汲んで帰った水を一気に飲み干し、礼を述べた後、二人を伴い南へ1町ほど行って歩を止め、しばらく瞑目合掌し、錫杖を地面に何度も突き立てた。
・「水だ!水が出た!」主人は大声で叫んだ。妻は地に伏し、ただ旅僧に合掌するばかりであった。立ち去ろうとする僧に「御名は」と聞けば、僧は「空海」とのみ言って立ち去った。
・それ以来この霊泉は、いかなる干魃にも一度も枯れることなく、人々を潤し、湧き続けている。

藤原純友に纏わる伝説【新居浜市 中野神社】
・承平年間伊予に任じられた純友は、領民に敬慕され伊予水軍の首領として仰がれ  ていたが、天慶2年朝廷に反抗したため、戦いとなった。戦い利あらず、天慶4年征討軍の橘速保に攻められ討ち死にした。里人は純友の生前の徳を慕って、中野山に祠を建立し、中野神社としてまつっている。

鬼求【新居浜市】
・金子に真鍋求右衛門という庄屋がいた。いかつい顔で、鬼瓦のような顔をしていたことから、村人達は鬼求(おにきゅう)と呼んでいた。
・ある日、鬼求が小作に充てていた水田の水が少なくなり、金子に溜め池を造り、西条藩の泉から水を曳く溝を掘り始めた。ところが地元の反対にあったため、夜中にいやがる小作人達を働かせて水路と「かご池」と呼ばれる溜め池を造り、水を盗むことに成功した。ところが、これがお上に知られ、幕府に捕らわれの身となってしまった。
・鬼求は自らの不徳を羞じ、遠い江戸の地で果てるのは情けないと、牢屋の中で一生懸命阿弥陀如来に祈りを捧げた。すると、どこかから「三十三夜の月が出たら連れて帰るぞ伊予の金子へ」という妙な歌が聞こえてきた。そして音も無く牢屋の扉が開いた。
・鬼求は喜びいさんで伊予の国まで逃げのびていった。途中、日も暮れ、峠の櫟(くぬぎ)の根元で寝ていると、盗賊らしき男達が略奪してきた金銀財宝を埋めているのに気が付き、その男達が去った後に掘り返して伊予路を急いで帰っていった。
・鬼求は以前にも増して大金持になったという。

大男の足跡【新居浜市大島】
・昔、大島に意地悪な大男がいた。この大男は、部落の人は雨が降って困ると言えば雨を降らし、日照りが困ると言えば、雨を降らさなくするというように何でも人の反対ばかりをしていた。
・ある時、この島に赤ん坊程の小男が来た。二人は飛び比べをして負けた方が島から出ていく約束をした。
・小男は引土まで飛び、大男は途中の石橋の上に落ちてしまった。
・この石橋が大男の足跡と呼ばれているもので、今は大島の旧家の玄関石になっている。

辯財天【新居浜市大島 引土】
・昔、引土にいたずらな「こんぼうず(河童)」がいて、子供を深い所にひっぱりこんで、いど(肛門)を抜くから行くなと言われていた。それでも度々子供が溺死するので「おべらいはん(辯財天)」を祀った。
・ある雨の夜、引土の鼻を通っていると、子供が大勢で相撲をとっていた。子供が「おいはん、すもうとろうや」といって大勢で飛びついてきて海へ引っ張って行き、もう少しであぶなかったという。この子供と思ったのはこんぼうずであったという。

大島の慕夫恋【新居浜市大島】

お姫さんの墓【新居浜市大島】

幽霊の片袖【新居浜市大島 願行寺】
・元禄の頃、大島に喜ヱ門という漁師がいた。女房の名は菊といい、二人の間には5才の娘がいた。
・しかし、喜ヱ門は外に女を作り、菊を離縁しその女を後妻に娶った。
・この継母は夫と共に娘に暴力を加え、食事も与えなかったため、娘は痩せ衰えた。
・娘は泣きながら、実母の菊をたびたび訪ねた。菊は娘不憫さのあまり、病に倒れ、恨みながら死んでいった。
・その後も娘は母の墓をしばしば訪ね泣き明かしていた。するとある夜、菊は幽霊となって娘の前に現れた。そして母は言った。「家に帰っても虐められるばかりならば、寺に頼んで尼になり、母の菩提を弔っておくれ。この片袖をあげるから、母と思って大事になさい」と片袖を娘に手渡した。しばらくすると母の姿は消えた。
・娘はその後、尼になり、その片袖を寺に寄進して終生母の菩提を弔った。

城の鼻(端)【新居浜市大島】

百体地蔵【新居浜市大島】

舟かくし【新居浜市大島】

城主さんの墓【新居浜市大島】

トンコロ場【新居浜市大島】

むしやら【新居浜市大島】

吉祥寺のお薬師さん【新居浜市大島 東の浜】

神田山【新居浜市大島 神田山】

皇子山【新居浜市大島 皇子山】

船くぼ【新居浜市大島 船くぼ】

かるの太子(軽太子)【新居浜市大島】

石槌島之助【新居浜市大島 大島八幡神社】
・石槌島之助(別名白山新三郎)は、子供の時から松の木を根こそぎ倒すような怪力の持ち主であった。18歳のときには高下駄をはいたまま大島八幡神社の50段の石段を、200貫(約750kg)もある花崗岩の手洗いを頭上に差し上げて運び上げたという。
・今もその手洗いは神社に残っている。
船乗りであったが、力士に転じ、元禄の時代には紀州光貞候のお抱え力士となった。
・「重さ百貫(375kg)の碇に綱がついたものを一人で海底より軽々と引き上げた」「5百石船の帆柱を一人で易々と押し立てた」「張り手にて相手の肩腰胸腹などを打ち破り骨折させた」などの武勇伝が残る。
 
供養碑
・碑面には「延享二巳丑九月廿九日 泰往道白大力士塔 俗名石槌島之助」と書かれている。
墓地
・上之町地蔵堂・東の山上にある。

島之助の力石と力藤 【新居浜市大島 御手洗石】

八本松の話
昔、いまの松ノ木町の北の海の堤防に八本の松の木があった。その松の木に、次のような話がある。
昔、宇高の在の大家の息子に放蕩者がいて、派手好きで京まで足を伸ばして遊び狂っていた。そして宇高に帰る時、八人の芸者を連れ帰った。それを見た父母や親類の人が怒り、家に入ることさえ許してくれなかった。困った放蕩者の男は八人全員を海に沈めて殺してしまった。
それからその男の一族によからぬことが次々と起こった。それは芸者の怨霊がたたったのではないかといいだす者がいて、その放蕩者は恐ろしくなり、八本の松の木を植えて霊を弔った。
また、自分の家の屋敷内に祠を立て、京婦神社と名付けて八人を祭ったという。
(故郷の昔話「新居浜のむかしばなし」から抜粋)


キャンプ

海水浴
垣生海水浴場【新居浜市垣生】

和井田海水浴場【新居浜市大島】


人物

その他


 
 
《References》
史伝の人とその周辺 伊予の巻」、高橋紅六、くれない書房



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