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こたろう博物学研究所 市町村別情報庫 四国中央市 (旧・伊予三島市) |
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下柏の大柏(イブキ)【伊予三島市下柏町】
・国指定天然記念物(大正13年12月9日指定)
短刀(銘備州長船兼光)(1口)【伊予三島市宮川1丁目】
・県指定有形文化財[工芸品](昭和34年3月31日指定)
短刀(銘井上真改)(1口)【伊予三島市宮川1丁目】
・県指定有形文化財[工芸品](昭和34年3月31日指定)
刀(銘備前國長船勝光児嶋ニテ作)(1口)【伊予三島市宮川1丁目】
・県指定有形文化財[工芸品](昭和34年3月31日指定)
金砂湖及び富郷渓谷【伊予三島市金砂町・富郷町】
・県指定記念物[名勝](昭和29年11月24日指定)
(郷土の文化財)
伊豫三島市富郷町吉野川の支流銅山川をせきとめてダムを建設し瀬ヶ瀬ダムを称している。この上流が富郷渓谷で奇岩、絶壁の間を流れ自然の極致を作っている。上流別子山村と下流の新宮村との三大ダムは地方に与えているものが大きいものであろう。
(愛媛県郷村変遷史「文化財三宅メモから」、三宅千代二、愛媛出版協会、昭和52年1月1日)
イタヤカエデ【伊予三島市富郷町】
・県指定天然記念物(昭和29年11月24日指定)
イブキビャクシン【伊予三島市富郷町藤原123】
1998/5/1
・県指定天然記念物(昭和28年12月25日指定)
・推定樹齢1400年
・樹高11.5m、目通り9.2m
カツラ【伊予三島市富郷町】
・県指定天然記念物(昭和29年11月24日指定)
カヤ【伊予三島市富郷町】
・県指定天然記念物(昭和29年11月24日指定)
シイ【伊予三島市富郷町】
・県指定天然記念物(昭和28年12月25日指定)
スダジイ【伊予三島市富郷町寒川山 山城八幡神社】
ツバキ【伊予三島市富郷町藤原】
・県指定天然記念物(昭和29年11月24日指定)
ツバキ【伊予三島市富郷町】
・県指定天然記念物(昭和45年3月27日指定)
フジ【伊予三島市富郷町】
・県指定天然記念物(昭和28年12月25日指定)
三島神社旧本殿【伊予三島市】
・市指定有形文化財[建造物](昭和37年4月1日指定)
三島神社随神門【伊予三島市】
・市指定有形文化財[建造物](昭和37年4月1日指定)
興願寺三重塔【伊予三島市 興願寺】
・市指定有形文化財[建造物](昭和37年4月1日指定)
実相寺本堂【伊予三島市 実相寺】
・市指定有形文化財[建造物](昭和37年4月1日指定)→平成4年10月28日解除
新長谷寺仁王門【伊予三島市寒川町長谷川4737】
・市指定有形文化財[建造物](昭和54年1月12日指定)
持福寺毘沙門堂【伊予三島市】
・市認定貴重資料[建造物](平成1年7月1日認定)
旧今治藩陣屋門(矢野家住宅表門)【伊予三島市】
・市認定貴重資料[建造物](平成2年7月1日認定)
保存民家
細川家住宅【伊予三島市】
・市認定貴重資料[建造物](平成2年7月1日認定)
石灯籠伝福島正則奉献【伊予三島市】
・市指定有形文化財[石造美術](昭和37年4月1日指定)
寒川石戸八幡宮常夜燈【伊予三島市】
・市指定有形文化財[石造美術](昭和37年4月1日指定)
へんろ石【伊予三島市】
・市指定有形文化財[石造美術](昭和37年4月1日指定)
絹本墨画
富嶽之図【伊予三島市】
・市指定有形文化財[絵画](平成4年5月1日指定)
今村道之進
粉本類【伊予三島市】
・市指定有形文化財[絵画](平成4年5月1日指定)
絹本墨画
狩野探幽伝竹中人物図【伊予三島市】
・市認定貴重資料[絵画](平成4年5月1日認定)
絹本彩色
十三仏図【伊予三島市】
・市認定貴重資料[絵画](平成4年5月1日認定)
木喰仏
木造子安観世音菩薩像【伊予三島市】
・市指定有形文化財[彫刻](昭和37年4月1日指定)
木喰仏
木造如意輪観世音菩薩像【伊予三島市】
・市指定有形文化財[彫刻](昭和37年4月1日指定)
木造十一面観世音菩薩立像【伊予三島市】
・市指定有形文化財[彫刻](昭和37年4月1日指定)
木造薬師如来坐像【伊予三島市】
・市指定有形文化財[彫刻](昭和37年4月1日指定)
木造薬師如来立像【伊予三島市】
・市指定有形文化財[彫刻](昭和37年4月1日指定)
木造彩色閻魔王坐像【伊予三島市】
・市指定有形文化財[彫刻](平成1年7月1日指定)
熊野神社鰐口【伊予三島市】
・市指定有形文化財[工芸品](昭和59年3月21日指定)
熊野神社和鏡【伊予三島市】
・市指定有形文化財[工芸品](昭和61年2月15日指定)
熊野神社大長刀【伊予三島市】
・市指定有形文化財[工芸品](昭和61年2月15日指定)
熊野神社神剣【伊予三島市】
・市指定有形文化財[工芸品](昭和61年2月15日指定)
遠山五條袈裟【伊予三島市】
・市指定有形文化財[工芸品](平成4年5月1日指定)
藤枝家文書【伊予三島市】
・市指定有形文化財[古文書](昭和37年4月1日指定)
河村家文書【伊予三島市】
・市指定有形文化財[古文書](昭和37年4月1日指定)
鎌倉家文書【伊予三島市】
・市指定有形文化財[古文書](昭和37年4月1日指定)
高倉家文書【伊予三島市】
・市指定有形文化財[古文書](昭和37年4月1日指定)
守屋家文書【伊予三島市】
・市指定有形文化財[古文書](昭和61年2月15日指定)
三島村古地図【伊予三島市】
・市指定有形文化財[古文書](昭和61年2月15日指定)
今村家岩井屋敷文書【伊予三島市】
・市指定有形文化財[古文書](平成4年5月1日指定)
勧修寺文書【伊予三島市】
・市指定有形文化財[古文書](平成4年5月1日指定)
紺紙金字
梵網経【伊予三島市】
・市指定有形文化財[典籍](平成4年5月1日指定)
紺紙金字
佛説十一面観世音菩薩隋願即得陀羅尼経【伊予三島市】
・市指定有形文化財[典籍](平成4年5月1日指定)
紺紙金字
大般若波羅密多経【伊予三島市】
・市指定有形文化財[典籍](平成4年5月1日指定)
薬師瑠璃光如来本願功徳経【伊予三島市】
・市指定有形文化財[典籍](平成4年5月1日指定)
済仁親王
関係御遺品及び関係文書【伊予三島市】
・市指定有形文化財[歴史資料](平成4年5月1日指定)
絹本白描
弘法大師像【伊予三島市】
・市指定有形文化財[歴史資料](平成4年5月1日指定)
紙本墨書
南無観世音菩薩名号【伊予三島市】
・市指定有形文化財[歴史資料](平成4年5月1日指定)
孝明天皇
御遺品御墨【伊予三島市】
・市指定有形文化財[歴史資料](平成4年5月1日指定)
伊達政宗
尺牘【伊予三島市】
・市指定有形文化財[歴史資料](平成4年5月1日指定)
端華の守古墳出土品【伊予三島市】
・市指定有形文化財[考古資料](平成7年4月1日指定)
砂金採集跡【伊予三島市小川橋袂】
1998/5/1
・昭和63年2月指定
天冠古墳(東宮塚古墳)【伊予三島市上柏町長塚】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
「明治29年、森林であったこの地を開墾した時、中央墳丘部に南西向きに1mほどの石室が残されていた。古墳時代に造られたものと推定され、古墳からは高坏や坏のなどの須恵器数点、厄50cmの鉄刀20本と天冠が出土し、文部省に送られている。
この古墳は、滝の宮神社の東側にあり、陪塚(ばいちょう)的な位置にあることから東宮塚古墳と呼ばれている。また、天冠が出土していることにより天冠古墳とも呼ばれるようになった。
平成2年、市教委によって墳丘が復元され、古墳の中央部と東側に芝生が植えられ整備された。」
北岡山古墳【伊予三島市上柏町横尾】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
経ヶ岡古墳【伊予三島市上柏町平林】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
六塚古墳【伊予三島市中曽根町六塚】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
横地山古墳
箱式石棺【伊予三島市中曽根町横地山】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
赤良谷古墳【伊予三島市豊岡町五良野】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
石床古墳群【伊予三島市中曽根町石床】
滝の宮古墳【伊予三島市上柏町】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
端華の森古墳【伊予三島市】
・市指定記念物[史跡](平成2年7月1日指定)
泉屋敷跡(弥生遺跡)【伊予三島市上柏町泉屋敷】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
関屋土師住居跡【伊予三島市豊岡町大町】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
磐座遺跡【伊予三島市宮川1丁目】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
破魔殿遺跡【伊予三島市宮川4丁目6】
福生庵
坂上羨鳥遺跡【伊予三島市中之庄町竹本】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
丸山弥生式遺跡【伊予三島市中曽根町丸山】
四ツ手山弥生式遺跡【伊予三島市下柏町一貫田】
河上但馬守遺跡【伊予三島市紙屋町】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
お台場跡【伊予三島市中央1丁目】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
陣屋跡【伊予三島市中央1丁目】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
神宮寺跡【伊予三島市】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
小川六郎藤原裕長館跡【伊予三島市寒川町西寒川】
2001/11/24
松尾城跡【伊予三島市中曽根町
城ノ山】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
正法寺山城跡【伊予三島市中之庄町】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
今城宇兵衛遺跡【伊予三島市豊岡町豊田】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
内の尾断層【伊予三島市中之庄町】
・市指定史跡
・法皇山脈の中之庄から具定に至る中央構造線がはっきりと確認できる。
寒川たんぽ【伊予三島市寒川町江ノ元】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
・天保の飢饉に際して、西条藩が難民救済のために起こした築港船溜り跡。
井川神社【伊予三島市】
・市指定記念物[史跡](昭和59年3月21日指定)
玉澄塚【伊予三島市】
・市指定記念物[史跡](昭和60年5月17日指定)
寒川黒岩海岸【伊予三島市寒川町西大道】
・市指定有形文化財[有形民俗](平成7年4月1日指定)
・神亀6年、大和の長谷寺で本尊の十一面観音菩薩の試し彫りをしたものの一体がここに漂着した。
二六焼【伊予三島市村松町】
・市指定無形文化財[工芸技術](昭和37年4月1日指定)
・ロクロを使わず、竹ベラで絵筆のように緻密な細工を施して焼き上げる。
・動植物の姿をあるがままに再現する。
水引細工【伊予三島市】
・市指定無形文化財[工芸技術](昭和53年4月1日指定)
・熨斗袋や祝い事の飾りに用いる水引細工で名高い。
豊受神社風穴祭り【伊予三島市富郷町豊坂】
・市指定無形文化財[有形民俗](昭和53年4月1日指定)
「宇摩地方の人々から「おといこさん」と親しまれている豊受山(1247m)の山頂に五穀の神、豊受神社を祭る社がある。
昔から「やまじ風」に悩まされてきた豊岡町大町部落、富郷町豊坂部落の人々が、毎年6月13日(旧暦)と9月13日(新暦)の祭りに「七荷片荷」の「ほかい」に入れ、お供えの団子をお社に運び、ご神前に献上している。
またお社のそばにある風穴にお団子を投げ込んで風の神を慰め、「やまじ風」の吹かないことと、その年の豊穣を祈っている。日照りの時には、みの笠姿で山頂の庭で火をたき、踊りをして降雨を祈っている。」
水波踊り【伊予三島市中之庄町】
・市指定無形文化財[有形民俗](昭和53年4月1日指定)
「法皇山脈のやや中央部に水波峰があり、昔から水波権現が祭られ霊峰として人々に崇拝されてきた。宇摩地方一帯は、昔から干害に見舞われ、人々は水の神であるこの水波権現に雨乞いをしてきた。
毎年、旧暦の6月14日から3日間の「お峯まつり」には、軒提灯をつり、のぼりを立てて祭礼を行っていた。今は「お峯まつり」の中心的な行事の一つとして、中之庄地区では、「水波念仏踊り」が古くから受け継がれ、「ナッバイ
ドウヤ」の掛け声とともに、合わせてたたく鉦の音が、毎年、水波峰にこだましている。」
八幡丸船唄【伊予三島市】
・市指定無形文化財[有形民俗](昭和53年4月1日指定)
荒神の森【伊予三島市
中之庄 光明】
・市指定記念物[天然記念](昭和37年4月1日指定)
・温帯性濶葉樹(椋、楠、榎など)が生い茂る原始林。
荒神社 |
フートカズラ
・四国では荒神の森以外には生育しないという。 |
ノハナショウブの自生地(アヤメ池)【伊予三島市】
2001/11/24
・市指定記念物[天然記念](昭和37年4月1日指定)「ノハナショウブの自生地」
「ノハナショウブはハナショウブの原種で、日本では本州中部以北の山野に多く自生しています。6月頃赤紫色の花を開き、花びら(外花被片)は3枚。楕円形で先が丸みをもち、はば3〜4cm、基部は長いつめがあり、花びらの中央部は黄色い。内花片は高さ4cm内外で3枚あり小さいへちま形で直立しています。葉は幅5〜12mmとたいへんせまく、葉の中に隆起した中脈をもち、高さは30〜60cmです。この谷間は昔からノハナショウブが自生していましたが、急激に減少し昭和62年には絶滅寸前となりました。そこで、一部のノハナショウブを他所へ移植し増株をはかり平成4年、ここへ再び帰しノハナショウブ園として保存をはかることにしました。この谷間には自生のノハナショウブの外、栽培種のアヤメや紫色・黄色・白色等のハナショウブも育っています。その外、この山地には珍しいツゲの自生地もあります。市民の皆さん植物保存にご協力ください。」 |
シャクナゲ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和37年4月1日指定)
トチ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和37年4月1日指定)
イタヤカエデ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和37年4月1日指定)
マガシ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和53年11月1日指定)
ウラジロガシ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和53年11月1日指定)
シダレザクラ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和53年11月1日指定)
ツバキ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和53年11月1日指定)
ゴヨウマツ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和53年11月1日指定)→平成7年7月31日指定解除
クロマツ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和53年11月1日指定)
シイ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和53年11月1日指定)
シイノキ【伊予三島市 中の川温泉】
椎【伊予三島市
山城八幡神社】
・市指定天然記念物(昭和28年12月指定)
疏水公園(戸川公園)【伊予三島市】
・市指定記念物[名勝](昭和37年4月1日指定)
正法寺山城跡【伊予三島市中之庄町】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
松尾城跡【伊予三島市中曽根町
城ノ山】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
・松尾城は標高340mの尾根に作られた山城で、城主は真鍋大炊介通周。
・天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国征伐の際、中国地方の小早川隆景の侵攻を受けて廃城となった。
「松尾城(中曽根町)。真鍋大炊介通近が築く。通近は天正五年、土佐の長曽我部元親と通じ、元親の兵を引き入れて近隣の城を陥れた。これより宇摩郡は元親に属したが、天正十三年、豊臣秀吉の四国攻めで落城。」(「史伝の人とその周辺
伊予の巻」、高橋紅六、くれない書房)
破魔殿遺跡(はまでんいせき)【【伊予三島市宮川4丁目6】
・JR伊予三島駅より東に約300mのところにある。
丸山弥生式遺跡【伊予三島市中曽根町丸山】
四ツ手山弥生式遺跡【伊予三島市下柏町一貫田】
河上但馬守遺跡【伊予三島市紙屋町】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
河上但馬守遺跡【伊予三島市村松町】
坂上羨鳥遺跡【伊予三島市】
福生庵 坂上羨鳥遺跡【伊予三島市中之庄町竹本】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
木喰上人遺跡【伊予三島市】
北岡山古墳(きたおかやまこふん)群【伊予三島市上柏町横尾】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
北岡山のなだらかな丘の南斜面のみかん畑に、並んで2つの横穴式古墳が残っている。この内、上方のものを北岡山第1号古墳、下方のものを北岡山第2号古墳と名付けている。どちらも円墳で、丸く盛り上げた封土の中に、東向きに開口した石室がある。両古墳の石室の大きさは、ともに幅1.5m、高さ1.5m、奥行き
3.8mあるが、柱石の有無によって上方の第1号古墳は片袖形古墳、下方の第2号古墳は両袖形古墳といわれ、形式に違いが見られる。(片袖型石室、両袖型石室を有する。)須恵器や坏が出土している。
この他にも丘の頂近くに破壊されたものや下の田の中にあって消滅したものも含め、北岡山の南麓には7基の古墳が確認されている。7世紀中葉の群集墳である。現在残っているのは2基だけである。
・この古墳の東方100メートルのところには3号古墳があり、その墳丘上にはかつて神社がまつられていたが、大正4年にとりこわされた。現在、上柏の滝神社にある大正天皇御大典記念碑は、この3号古墳の石材を用いて造られたものである。
・北岡山の東方には妻鳥の東宮山古墳や金田の原峯古墳、北方には経が岡古墳や学校園古墳、西方には滝の宮古墳や横地山古墳がある。
また山頂付近からは弥生式土器が多数出土しており、西側の谷間からも弥生時代の住居跡が発見されている。この北岡山古墳は、古墳時代末期7世期後半に築造されたもので、この付近一帯に古墳をつくった地方豪族の墓である。1300余年の風雪にたえて今日まで保存された当市にとっては貴重な文化財である。
《References》
えひめのふるさとこみち 東予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日
経ヶ岡古墳(きょうがおかこふん)【伊予三島市上柏町平林】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
・古墳時代の前方後円墳。
赤良谷古墳【伊予三島市豊岡町五良野】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
滝の宮古墳【伊予三島市上柏町】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
端華の森古墳【伊予三島市】
・市指定記念物[史跡](平成2年7月1日指定)
端華の守古墳出土品【伊予三島市】
・市指定有形文化財[考古資料](平成7年4月1日指定) |
天冠古墳(東宮塚古墳)【伊予三島市上柏町長塚】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
・明治29年、森林であったこの地を開墾した時、中央墳丘部に南西向きに1mほどの石室が残されていた。古墳時代に造られたものと推定され、古墳からは高坏や坏のなどの須恵器数点、厄50cmの鉄刀20本と天冠が出土し、文部省に送られている。
・この古墳は、滝の宮神社の東側にあり、陪塚(ばいちょう)的な位置にあることから東宮塚古墳と呼ばれている。また、天冠が出土していることにより天冠古墳とも呼ばれるようになった。
・平成2年、市教委によって墳丘が復元され、古墳の中央部と東側に芝生が植えられ整備された。
六塚古墳【伊予三島市中曽根町 六塚】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
横地山古墳
箱式石棺【伊予三島市中曽根町 横地山】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
四ツ手山古墳(よつでやまこふん)【伊予三島市下柏町堂ノ奥】
泉屋敷跡(弥生遺跡)【伊予三島市上柏町泉屋敷】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
・松山自動車道・三島川之江ICの南側。
大西志磨守の墓【伊予三島市中之庄 光明】
関屋土師住居跡【伊予三島市豊岡町大町】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
お台場跡【伊予三島市中央1丁目】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
三島陣屋跡【伊予三島市中央1丁目】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
・今治藩三島陣屋跡であることを示す石碑が建っている。
・陣屋跡は、東は広銀三島支店あたりから、西は井関川にわたる東西3丁、南北3丁15間の範囲である。
・今治藩は、元禄11年(1698年)5月26日関東知行所5,000石の替地として、宇摩郡18か村を幕府より拝領し、その支配のため陣屋をここに置いた。この屋敷は古く河野通郷の館(1240年頃)跡である。
・館は四方に堀を囲らして、総塀、総堀構であったようである。
・陣屋には、代官屋敷と下屋敷があり、年貢米や囲米を貯蔵する蔵等がならんでいた。
・宝暦7年(1757年)10月10日夜、浜手の民家から出火、強風にあおられ「蔵」だけ残し全部焼失した。
・宝暦8年(1758年)4月19日代官成瀬彦四郎により御用屋敷に復旧、寛政11年(1799年)陣屋の北の海岸に経済上・軍事上の施設として東西49間3尺、南北25間、満潮時の深さ1丈2尺、干潮時の深さ4尺の「船囲場」が築造された。これが現在の三島漁港である。
・安政年間(1855年頃)には海岸防禦のため北側に大砲を置く「お台場」が増築された。
《References》
・えひめのふるさとこみち 東予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日
神宮寺跡【伊予三島市】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
小川六郎藤原裕長館跡【伊予三島市寒川町西寒川】
2001/11/24
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
・「新長谷寺の裏山の尾根上に通称ゴジャナルと呼ばれている土地がある。古い記録には御前ヶ成とか、御陣屋平とか称されている。昭和31年12月、この土地を発掘調査したところ、東西60m、南北120mの併置で建物の礎石や瓦などが多数発見された、布目瓦の様子などから鎌倉期のものと推定され、その際、金銅製の懸仏一体も発見されている。『新長谷寺縁起』によると、小川六郎藤原祐長(すけなが)が地頭として宝治2年(1248)頃、寒川に居住し、新長谷寺観音堂を建立寄進している。 平成9年3月 伊予三島市教育委員会」
・小川六郎藤原祐長は神奈川県出身で、地頭として派遣された。
・「参考になるかどうか今後の課題になるが、神奈川県湘南に相州一の宮の寒川神社がある。祭神は八方除の守護神 寒川比古命・寒川比女命である。」(「予土の峠をゆく(改訂版)」、妻鳥和教、平成16年4月)→寒川の地名由来についてインスピレーションを与えてくれるではないか!
寒川たんぽ【伊予三島市寒川町江ノ元】
・市指定記念物[史跡](昭和37年4月1日指定)
・天保の飢饉に際して、西条藩が難民救済のために起こした築港船溜り跡。
経王寺【伊予三島市豊岡町大町】→四国中央市豊岡町大町240
・山号:精信山
・宗派:日蓮宗
興願寺(こうがんじ)【伊予三島市宮川】→四国中央市三島宮川3丁目19-16
・山号:摩尼山(まにざん)
・院号:普門院(ふもんいん)
・宗派:真言宗
・高野山の快順上人により開基された。
木造聖観音菩薩立造(もくぞうしょうかんのんぼさつりゅうぞう)
・市指定有形文化財[彫刻](平成13年7月1日指定) |
三重塔
・市指定有形文化財[彫刻](昭和37年4月1日指定)→県指定有形文化財[建第71号](平成16年4月16日指定) ・貞享元年(1684)に建造された。 ・もともと徳島県の大竜寺(太龍寺)[四国八十八ヶ所霊場第21番札所]にあったもので、昭和33年(1958)に解体・移築された。 ・昭和28年11月に解体、昭和30年10月に着工、昭和34年11月29日に竣工完了した。 ・貞享元年(1684)に建立されたもの。(解体時に記年された棟札が発見された。)これは、四国で現存第2位の古い三重塔である。 ・塔の形式:三間三重塔婆、本瓦葺、総高20m、柱真々16尺(4.85m)四方...。 《References》 ・「県指定有形文化財 興願寺三重塔」、野村尚明、文化協会えひめ No.32、2004年8月 |
光明寺【伊予三島市中之庄町】
山田薬師堂 |
実相寺(じっそうじ)【伊予三島市豊岡町大町】→四国中央市豊岡町大町1091-1
2001/11/24
・高野山真言宗
・豊岡山(ぶこうざん)
・蓮華院(蓮花院、れんげいん)
・「真言宗蓮花院実相寺は後深草天皇の宝治2年(1247)に学蓮寺と光蓮寺を合併して建立されたが火災にあい、約200年前に現在の建物を再建したものです。左手にある本堂は豊受山中腹の堂成から移転したもので室町時代の建物です。内部の木組みや極彩色が特徴で、両界曼陀羅は室町中期、本尊の千手観世音菩薩は鎌倉中期のものです」
実相寺本堂
・市指定有形文化財[建造物](昭和37年4月1日指定)→平成4年10月28日解除 |
実妙寺【伊予三島市豊岡町長田】→四国中央市豊岡町長田1371
2001/11/24
・山の神公園の南。
持福寺【伊予三島市中之庄町】→四国中央市中之庄町1523
持福寺毘沙門堂【伊予三島市】
・市認定貴重資料[建造物](平成1年7月1日認定) |
真観寺(しんかんじ)【伊予三島市富郷町寒川山
上長瀬】→四国中央市富郷町寒川山207
1998/5/1
・山号:豊岡山
・「ぼたん寺」とも称される。
・県道6号線、銅山川沿い
・新四国曼荼羅霊場第26番札所
・ここの標高は310mと記されている。
竹林寺の本尊
・宝徳3年(1451)に真観寺に安置された。 |
新長谷寺(しんはせでら)【伊予三島市寒川町長谷川4737】→四国中央市寒川町3214
2001/11/24
・山号:豊岡山
・宗派:高野山真言宗
・本尊:十一面観世音菩薩、阿弥陀如来(神宮寺の本尊)
・開基:行基菩薩
・伊予道前道後十観音霊場(ぬれ手観音)(安産)
・新四国曼荼羅霊場第27番札所
・御詠歌:初瀬より ここによるべの 浜波に 深き縁の あらわれにけり
・行基により開創された由緒ある寺。(創建は養老5年(714))
・宝治二年(1248)、小川六郎藤原裕長により再興された。
・豊浜(香川県)の豪族・大平氏(大平正芳元総理大臣の先祖)が戦勝祈願に参詣したものの敗戦したため、立腹して新長谷寺を焼失させたという。
→参照:小川六郎藤原裕長館跡
・長い石段を登った山の中腹に本堂・山門・菩薩堂・護摩堂・大師堂・鐘楼などが建っている。
・山門前には、「法皇スカイライン入口」標識、「林道観音谷線」起点標識が立っている。
★参道の周りは紅葉に彩られている。急勾配の参道の階段を上ると、やがて高速道路の架橋よりも高い位置に建つ本堂が見えてくる。境内から見下ろす眺めはなかなかのものである。高速道路越しに伊予三島市の町並みが広がっている。(2001/11)
・境内からの景観は、かつては四国八景に選ばれていた。
・「仏教百科」(ひろさちや監修)の「一度は訪れたい全国のお寺」に選ばれている。
・済仁(さいにん)親王の遺品、伊達政宗の書簡などの宝物を所蔵する。
新長谷寺仁王門
・市指定文化財(昭和51年1月12日指定) ・「この門は、本瓦葺、三間一戸、格子窓付で仁王像を安置しています。桁行3間(680cm)、梁間2間(380cm)、折衷様式で多くの特色を持っています。まず切妻作りの屋根に、寄棟造りの上屋をのせています。この上屋は漆喰塗りこめで花頭窓がついています。このような形式の山門は県下では見ることができない珍しいもので高楼付建物の系統を引くものです。棟瓦に菊と桐紋をつけ、棟飾には鯱をのせ武家風の華やかさをたしています。妻飾は蕪懸魚で鰭は彫りの強い花模様となっています。入口天井の前半分は鏡天井、後ろ半分は格子天井、仁王像の天井は棹縁天井となっており、過去の修理をあらわしています。柱は6寸の角柱で面取柱とし、柱根に銅板製唐草模様付の根巻金具をつけ、礎石は自然石を用いています。軒回りは斗拱を用いず軒下は疎垂木で全体に簡素なふんいきを示しています。この門は昭和53年に解体修理されました。なお門内に保存されている古い仁王像は一木造りで平安期の古様式を残す貴重なものです。 平成3年3月 伊予三島市教育委員会」 ・「新長谷寺の歴史で一番痛手を受けたのは讃岐(豊■)の城主大平伊賀守国祐の兵火にあった事だ。その後、寛永12年(1639)に伽藍が再興されたものの財政上あまり豊かでなかった様子で此の仁王門も当山の四鎮である社殿を移築して急場をしのいだのか、赤い切妻で反りが全然なく素朴で、上屋は火頭窓を配した寄せ棟造で多少の反りで山門にふさわしくしている。一見禅寺風である。正確には此の仁王門もかつての中門であったと考察される。その事は戦国時代以前に於て大門が海浜近くにあった模様で、中にある仁王尊像(後方の古い像)はその大門跡から江戸時代に出土したことからも推察される」(山門左脇の立て看板より) 「向拝正面の扁額は『大悲閣』(大慈悲の観世音菩薩のお堂と云う意味)とあり、深遠....」 |
新長谷寺縁起
・「」 |
山口誓子句碑「登り来し佛の天に花....」 |
一の滝、二の滝、三の滝、四の滝、五の滝、六の滝、七の滝
・今は水涸れしているようである。 |
善法寺【伊予三島市下柏町本郷】→四国中央市下柏町146
・善法寺はもと大覚寺(だいかくじ)派に属する門跡(もんぜき)寺院として繁栄した名刹である。起源をさだかにする資料はないが、1000年以上前と考えられる。山号高徳山(こうとくざん)真庄院(しんじょういん)善法寺と称し、本尊は薬師如来である。作者は未詳であるが、江戸時代前期で市内で最大の仏像である。
戦時中、高野山(真言宗)の管轄に編成がえされて、大覚寺派より離脱させられた。現在壇家は上柏・下柏中心に約350戸である。三島町に三重の塔がそびえ、別格本山となっている興願寺は江戸時代までは、本寺の末庵であったという。
長い年月の間に幾度も災禍にあい、境内は縮少し、古記録、宝物等も散逸してしまった。ただ「お曼陀羅(まんだら)」に破損がいちじるしいが、貴重な資料が保存されている。
《References》
・えひめのふるさとこみち 東予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日
豊穣寺【伊予三島市寒川町】
ひよけ大師【伊予三島市中曽根町】
竹林寺跡【伊予三島市富郷町寒川山
元之庄】
・乾元二年(1302)建立。
・元之庄は明治以前には「さら」と呼ばれていた。
竹林寺の本尊
・宝徳3年(1451)に真観寺に安置された。 |
竹林寺の鰐口
・応永19年(1412)7月11日に献上されたもの。熊野神社(下猿田)の社宝となっている。 |
石鎚神社【伊予三島市豊岡町長田(おさだ)】
山の神公園 |
石戸(いわと)八幡神社【伊予三島市寒川町江之元】→四国中央市寒川町832
船御輿
船の形をした御輿。「八幡丸」という。 |
寒川石戸八幡宮常夜燈
・市指定有形文化財[石造美術](昭和37年4月1日指定) |
一荒神社【伊予三島市寒川町】
厳島神社【伊予三島市豊岡町大町】→四国中央市豊岡町大町3
今宮神社【伊予三島市中之庄町】→四国中央市中之庄町582
・伊予三島市中央の住宅地に鎮座する。
恵美須宮【伊予三島市豊岡町豊田】
大蔵神社【伊予三島市寒川町】
大僧神社【伊予三島市村松町】
大山積神社【伊予三島市具定町】
春日神社【伊予三島市宮川1丁目】
熊野神社【伊予三島市富郷町寒川山
下猿田】
・棟木に記された年号は、源平合戦の後。
竹林寺の鰐口 |
熊野神社【伊予三島市富郷町津根山
藤原】
1998/5/1
※奉献者に「曽我部」姓が多く目につく。
ヤブツバキ
・双幹で、樹高11m。枝張り径は約10m。 ・推定樹齢約500年。 |
句碑「春月や 天王の花 壁を為す」 |
荒神社【伊予三島市下柏町】
荒神社【伊予三島市中之庄町】
・祭神:須佐之男命、倉稲御魂神、火産霊神、水波能女神
荒神の森 |
河野宮【伊予三島市寒川町】
金刀比羅神社【伊予三島市中央】
・国道11号線沿い、三島港近くにある。
寒川八幡宮【伊予三島市】
篠川鎌大明神社【伊予三島市中之庄町】
住吉神社【伊予三島市寒川町江之元】
諏訪神社【伊予三島市寒川町】
宝神社【伊予三島市寒川町】
滝神社【伊予三島市上柏町】
天地親神神社【伊予三島市寒川町】→四国中央市寒川町2519
天皇宮【伊予三島市豊岡町大町 天王】
天満宮【伊予三島市村松町】
豊受神社【伊予三島市富郷町豊坂】
豊受神社風穴祭り
・市指定無形文化財[有形民俗](昭和53年4月1日指定) |
新田神社【伊予三島市金砂町小川山 中ノ川】
新田落人伝説 |
新田神社【伊予三島市富郷町寒川山 上猿田】
八皇寺社【伊予三島市寒川町】
八幡神社【伊予三島市中曽根町】
八幡神社【伊予三島市富郷町津根山 寺野】
八幡大神社【伊予三島市富郷町寒川山 上長瀬】
平野神社【伊予三島市富郷町豊坂 七々木】
平野大宮四社神社【伊予三島市金砂町平野山 長野】
藤原熊野神社【伊予三島市富郷町津根山 藤原】
三島神社【伊予三島市中央1丁目】→四国中央市三島中央1丁目8-25
・養老4年(720)、越智玉澄(おちのたまずみ)が大三島の大山祇神社より勧請した。
「G三島神社
所在地 伊予三島市宮川1丁目
元正天皇の時代、宇摩郡の大領越智玉澄が上柏御所に館を営み、養老4年(720年)8月23日、大三島より大山祇大神を勧請し、八津名浦三津名御崎冠ヶ岡に社殿を造営.三島神社として奉斎し、また土地を「三島」と呼んだのが伊予三島市名の起源である。その後、福島正則が当社を信仰し、献上したと伝えられる石燈籠がある。明治15年、県社に列格されている。
秋季大祭(10月21日〜23日)は東予3大祭に数えられ、華麗な太鼓台が勢ぞろいしみごとである。境内は露店と参拝人でにぎわう。建造物では御神殿、拝殿、旧御本殿、楼門等もすばらしい。
境内に「磐座」と呼ばれる所がある。神霊の宿る神聖な場所で、自然石、樹木が人の手を加えない姿のまま保存されている。越智玉澄創建以前から、この境内は神霊をまつり、神祭を行いねんごろに祈りを捧げていた神聖な場所であったことがうかがえる。」(えひめのふるさとこみち 東予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日)
巫女舞
・平成12年(2000)、35年振りに復活した。 |
三島神社【伊予三島市宮川1丁目】
・大山祗神社の神霊を勧請したのが開基とされる。
社殿
・権現造り |
三島神社随神門
・市指定有形文化財[建造物](昭和37年4月1日指定) |
三島神社旧本殿【
・市指定有形文化財[建造物](昭和37年4月1日指定) |
鯛寄せ石 |
三頭妙見神社【伊予三島市富郷町津根山 中尾】
瀧神社【伊予三島市上柏町】→四国中央市上柏町1051
妙見神社【伊予三島市寒川町】
2001/11/24
・境内は苔の群落。
最上神社【伊予三島市豊岡町大町】
山城八幡神社【伊予三島市富郷町寒川上長瀬】
1998/5/1
・社叢林はとても豊か。樹勢も良い。
・巨木も多い
・銅山川沿いの上長瀬部落に鎮座する。
椎[スダジイ]
・市指定天然記念物(昭和28年12月指定) ・幹周8.9m |
磊迎大神宮【伊予三島市富郷町】→四国中央市冨郷町豊坂262
若宮神社【伊予三島市豊岡町豊田】
釣鐘
・「安永二年(1773)、讃州辻村鋳物師原甚左ェ門正次」の銘がある。 |
福生庵【伊予三島市中之庄町】
村松大師堂【伊予三島市村松町】
大師堂【伊予三島市寒川町】
薬師堂【伊予三島市中央2丁目】
山田薬師堂【伊予三島市中之庄町】
木喰仏(もくじきぶつ)
・生き木の観音像 ・子安観音像で、山田薬師堂に安置される。 ・安産の神として有名。 |
子安観音堂【伊予三島市富郷町津根山
藤原】
七童子塚【伊予三島市長田
児塚】
・文和の頃、ここに妙本坊という寺があり、七人の童子が住持に師事していたが、ある日杜鵑花と干柿を食い合わせて死んだ。住持は塚を築いて童子達を祀り、その後自分も同じ物を食い合わせて絶命したという。
※「杜鵑花」はいったい何を指すのだろう。躑躅(ツツジ)の一種、あるいはサツキを指し示す言葉なのだが、これを食していたとも思えない。花季が干し柿の季節とも食い違っている。
真鍋大炊介墓所【伊予三島市中曽根町石床(いしとこ)】
・真鍋大炊介通周(まなべおおいのすけみちちか)の墓所。古池近くの水田にある。戒名は守徳院殿天叟浮運大居士、この時代では数少ない院殿号を持っている。
・この墓所から、ちょうど真南、そそり立つように迫っているのが城山(345メートル)である。西は石床川へ、東は不老谷川と天然の要害をなし、その規模も東西に出城を持つ立派なものであった。城主真鍋大炊介は、中之庄から松柏一円を支配し、川之江城主や轟城主と並ぶ大きな勢力を持っていた。
・時は群雄割拠する戦国時代、土佐の覇者長宗我部氏の傘下真鍋氏と反長宗我部氏の轟城との間で大きな戦いがあった。轟城主大西備中守は弟兵部武綱を将として、合戦に向わせた。一方真鍋氏は渋柿城主薦田氏の援軍を得ていた。両軍が激しく戦い、野におびただしい首が転がった所からこの地は野々首と名付けられている。この戦いは、結局真鍋氏の大勝に終り、敵将武綱の首級をあげるとともに、一気に大西氏の本拠轟城をも攻め、ついに備中守貞武も自刃させた。真鍋氏は、その後豊臣勢に城を壊されるまで長く宇摩に君臨していたという。
・この城山のうしろには、水波神社の分社がまつられ、桜の名所として親しまれている。
《References》
・えひめのふるさとこみち 東予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日
豊受神社風穴祭り |
鋸山【伊予三島市】
・標高 1017.4m
翠波峰、翠波高原(すいはこうげん)【伊予三島市】
1997、2001/11/24、2004/7/3
・標高891.9m
・春には菜の花、夏にはコスモス、秋には尾花が辺り一面に咲き乱れ、高原のなだらかな斜面を覆い尽くす。
(4〜5月に菜の花、その後ポピー、バーベラテネラ、ノハナショウブなどを経て、7〜8月にコスモスが開花する。)
水波権現
・水不足になると人々が祈りを捧げてきた水の神を祀る。 |
水波踊り |
水ヶ滝
・県道6号線、法皇トンネル入口にある。 |
頌徳碑
・県道6号線、法皇トンネル入口にある。 |
句碑
・県道6号線、法皇トンネル入口にある。 |
ワシントン桜の園
・市制30周年を記念して、ワシントンポトマック河畔から里帰りしてきた桜が植わる。 |
ツゲの自生地
・県指定天然記念物 |
神割石
・翠波峰の頂上近くに「神割石」と名付けられた大石がある。点紋塩基性(緑色)片岩の節理(岩石の割れ目)は、カナクギノキの生長により大きく引き裂かれてできたものである。 |
天堤山(あまづつみやま)【伊予三島市】
・標高 1146.6m
ハネヅル山【伊予三島市】
・標高 1282.1m
野地峰【伊予三島市/高知県大川村】
・標高 1279.4m (4等三角点「野路」)
兵庫山【伊予三島市/高知県本山町】
・標高 1303.1m (4等三角点)
玉取山【伊予三島市/高知県本山町】
・標高 1330.4m (3等三角点)
大森山【伊予三島市/高知県本山町】
2004/7/3
・標高 1433m(三角点なし)
※山頂部にはバイケイソウ群落があった。愛媛の中でも、バイケイソウ群落が見られる山は珍しいのではなかろうか。バイケイソウはユリ科の植物。花期は6〜8月で、ちょうど満開の時期を迎えていた。薄い緑白色の花は、決して華やかさはないものの、群落を成せばそれなりの美を醸し出すというものだ。但し、全草に亘り有毒であるというから注意が必要だ。(2004/7/3)
佐々連尾山【伊予三島市/高知県本山町】
2004/7/3
・標高 1404.3m (3等三角点「大平」)
カガマシ山【伊予三島市/高知県大豊町】
・標高 1342.9m
横地山【伊予三島市】
横地山古墳 |
鬼ヶ城山【伊予三島市】
※金砂湖から見上げることができるはずだが、果たしてどの山が鬼ヶ城山だろうか?(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日
に写真掲載有り)
銅山川
豊岡川
西谷川
富郷渓谷【伊予三島市富郷町】
1998/5/1
・県道6号線(高知・伊予三島線)沿い
・本流:銅山川、支流:豊受川・猿田川
・県指定名勝
※ダム建設に伴い道路もすっかり新調されとる。[1998/5]
※瀬井野橋やの猿飛橋じゃの橋とトンネルばっかりじゃ。[1998/5]
富郷ダム
・平成9年(1997)9月第一期建設工事着工。 ・吉野川水系銅山川において、柳瀬ダム、別子ダム、新宮ダムに次いで4番目に建設された重力式コンクリートダム。 ・高さ111m、堤長250m、総貯水量4760万m3で県内最大規模を誇る。 |
富郷ダム展望所
・建設中のダムが一望できる。[1998/5] |
保存民家細川家住宅【富郷町寺野 寺野公園内】
・ダム湖に沈む村にあった古い民家を移転・復元したもの。 |
ふるさとの碑【富郷町寺野 寺野公園内】
・富郷ダム建設に伴い、ダム湖に沈む村(82戸)を思い起こすために水質源開発公団が建立した。平成7年(1995)5月9日除幕。 ・高さ1.5m、幅2.5mの御影石製の碑で、移転者氏名が刻まれている。 ・篠永善雄・伊予三島市長による「ふるさとをはなれて想う在りし日の今この丘に想い出だいて涙する」という言葉が刻まれている。 ※ふるさとが無くなるっちゅうのは、なんとのう物悲しい気がするねぇ。 |
山城八幡宮 |
富郷キャンプ場 |
フジ
・県指定天然記念物 |
ツバキ
・県指定天然記念物 ・銅山川沿い |
イブキ
・県指定天然記念物 ・銅山川沿い |
カヤ
・県指定天然記念物 ・猿田川沿い |
ツバキ
・県指定天然記念物 ・猿田川沿い |
戻ヶ岳
・高さ60mを超える岸壁 |
水ヶ滝【伊予三島市】
2004/7/3
・県道6号線、法皇トンネル入口(南口)にある。
頌徳碑
・合田正良氏撰文 |
句碑 |
金砂湖畔公園 |
柳瀬ダム
・金砂湖はこのダムによる湖である。 ・工事計画は何と安政年間。 ・昭和24年4月着工、昭和28年10月完成。 |
市民いこいの家 |
平野橋 |
翠波橋 |
湖水まつり |
富郷ダム【伊予三島市】
富郷ダムの合理化施工法
・「最近までのコンクリートダムの施工法は、コンクリートのひび割れを防止するため適当な大きさに「レヤー工法」が主流でした。 富郷ダムは、四国において初めて「RCD工法」と「拡張レヤー工法(ELCM)」を併用し建設され ・・・ シュの現場混合や両端移動式ケーブルクレーンの採用、コンピュータ制御によるコンクリートの練上 ・・・ 富郷ダムの合理化施工の特徴の一つでした。」 |
平野橋
・国道319号線、金砂湖に架かる赤橋。
猿田川橋
恵之久保池【伊予三島市豊岡町大町】
2001/11/24
桜 |
荒神森【伊予三島市】
入野池【伊予三島市】
荒神社 |
フートカズラ
・四国では荒神の森以外には生育しないという。 |
ノハナショウブの自生地(アヤメ池)【伊予三島市】
2001/11/24
・市指定記念物[天然記念](昭和37年4月1日指定)「ノハナショウブの自生地」
「ノハナショウブはハナショウブの原種で、日本では本州中部以北の山野に多く自生しています。6月頃赤紫色の花を開き、花びら(外花被片)は3枚。楕円形で先が丸みをもち、はば3〜4cm、基部は長いつめがあり、花びらの中央部は黄色い。内花片は高さ4cm内外で3枚あり小さいへちま形で直立しています。葉は幅5〜12mmとたいへんせまく、葉の中に隆起した中脈をもち、高さは30〜60cmです。この谷間は昔からノハナショウブが自生していましたが、急激に減少し昭和62年には絶滅寸前となりました。そこで、一部のノハナショウブを他所へ移植し増株をはかり平成4年、ここへ再び帰しノハナショウブ園として保存をはかることにしました。この谷間には自生のノハナショウブの外、栽培種のアヤメや紫色・黄色・白色等のハナショウブも育っています。その外、この山地には珍しいツゲの自生地もあります。市民の皆さん植物保存にご協力ください。」 |
シャクナゲ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和37年4月1日指定)
トチ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和37年4月1日指定)
イタヤカエデ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和37年4月1日指定)
・県道上猿田三島線沿いにある。
マガシ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和53年11月1日指定)
ウラジロガシ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和53年11月1日指定)
シダレザクラ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和53年11月1日指定)
ツバキ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和53年11月1日指定)
ゴヨウマツ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和53年11月1日指定)→平成7年7月31日指定解除
クロマツ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和53年11月1日指定)
シイ【伊予三島市】
・市指定記念物[天然記念](昭和53年11月1日指定)
シイノキ【伊予三島市
中の川温泉】
・市指定天然記念物
シイ【伊予三島市富郷町 八幡神社】
・県指定天然記念物(昭和28年12月25日指定)
椎(スダジイ【)【伊予三島市富郷町寒川山 山城八幡神社】
・市指定天然記念物(昭和28年12月指定)
・目通り:8.9m、根周り:11.7m、樹高:16.5m
・推定樹齢:800年
・椎には丸い形の実のなる「ツブラジイ」と細長い楕円形の実のなる「スダジイ」があるが、ここの椎は「スダジイ」である。
・下部にはヤブツバキ、メダケ、カナメモチなどが点在している。
イタヤカエデ【伊予三島市富郷町】
・県指定天然記念物(昭和29年11月24日指定)
イブキビャクシン【伊予三島市富郷町藤原123】
1998/5/1
・県指定天然記念物(昭和28年12月25日指定)
・推定樹齢1400年
・樹高11.5m、目通り9.2m
下柏(しもがしわ)の大柏(イブキビャクシン)【伊予三島市下柏町柏槇1440】
1998/4/30
・えひめ自然100選
・国指定天然記念物(大正13年12月9日指定)
・根元周囲:14.3m、目通り8.34m、樹高:約15m
・推定樹齢:1200年
・イブキは福島県以南に自生するヒノキ科の常緑樹で生長が遅く、このような大樹になることは極めて稀である。
・主幹は約30°ほど傾いているが、地上約4mで枝を四方へ出す。枝張りは東西22.3m、南北15.3mで東南の枝が最も長い。
・主幹の東側に高さ1.4mの空洞があり、内に天明3年(1783)の地蔵菩薩が安置され昔から信仰されている。
・この木は風の強い平地に独立し、千二百年以上の長寿を保っていることは、まさに奇蹟に近いことであり、柏村の村名もこの木に由来する。大正13年、国の天然記念物に指定され、以来松柏村では天然記念物保存のため特別基金を設け、この保存育成に努めてきた。
・平地では全国最長寿。
・伊予三島市富郷町藤原にも県指定イブキの大樹(目通り9.2m)がある。
「目通り八メートル、樹高一五メートルに達し、地上四メートルのところから枝を分岐し、ほぼ半円の冠状に繁茂して樹勢は極めて旺盛である。この木は地上二メートルの所に径一メートル余りの大きな瘤があるのでよく人目につく。
元来この樹種はその生長がゆるく、このような巨樹になるのは極めて永い年月を要するもので、この下柏のいぶきびゃくしんは全国的にみてもまれなる巨樹である。地元民の世話によって、心配された樹勢も著しく良くなった。」(愛媛の文化財第V集、昭和39年5月31日、愛媛県教育委員会)
「@下柏(しもがしわ)の大柏(ビャクシン) 所在地 伊予三島市下柏町本郷
樹齢1090年に及ぶといわれ、目通り8メートル、高さ約15メートル、地上4メートルのところで枝を分岐し、ほぼ半円形の冠状に繁茂して、その姿は非常に美しい。
この土地の地名下柏(しもがしわ)、上柏(かみがしわ)の名もこの柏の木から生まれたものである。
柏として日本第1位は小豆島に、また当市嶺南(れいなん)藤原の観音堂境内に日本第2位(県指定天然記念物)そしてこの柏は日本第3位のものである。日本第2・第3位とも当市に存在することは郷土の誇りである。ところが近年周辺の都市化と、工場の煙害等で樹勢が衰えていた。付近住民の「柏の木を守る会」によりスプリンクラーがとりつけられる等の配慮で、心配された樹勢もとみに回復している。
(国指定天然記念物)」(えひめのふるさとこみち 東予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日)
九天(?)句碑 |
カツラ【伊予三島市富郷町】
・県指定天然記念物(昭和29年11月24日指定)
・「豊茂のカツラ」
・幹周15m、樹高30m
・県道上猿田三島線沿いにある。
カヤ【伊予三島市富郷町】
・県指定天然記念物(昭和29年11月24日指定)
ツバキ【伊予三島市富郷町藤原】
・県指定天然記念物(昭和29年11月24日指定)
ツバキ【伊予三島市富郷町】
・県指定天然記念物(昭和45年3月27日指定)
フジ【伊予三島市富郷町】
・県指定天然記念物(昭和28年12月25日指定)
ホルトノキ(もがし)【伊予三島市豊岡町】
2001/11/24
・目通り427cm
・樹高約11m
・推定樹齢280年
・「ホルトノキは常緑高木で昔から温暖な瀬戸内地方に広く自生しています。木の肌は灰褐色でなめらか。葉は長楕円形で老樹は赤色の葉をまじえ、花が咲いたように美しくなります。伊予三島市にはホルトノキの大木がおおく目通り3m以上のものが寒川八幡宮に5本、中之庄の荒神の森に2本、今宮神社にも1本ありますが、ここの木が最大です。県指定は伊予郡松前町の高忍日売神社の目通り4.5m、樹高26mのものです。隣のムクノキは目通り365cm。ムクノキでは、市内5番目のものです。 平成4年3月 伊予三島市教育委員会」
別子はな街道【伊予三島市・新居浜市・別子山村】
「翠波・別子山岳観光ルート
別子はな街道
愛媛県の東部、石鎚山系の東の端に海岸線から急にそそり立った標高1500〜1700mクラスの山々が並ぶ赤石山系・法皇山脈。この山々を囲むようにして国領川と銅山川をつなぐ全長65kmのドライブコースが、絶景と四季折々の花が楽しめる−翠波・別子山岳観光ルート「別子はな街道」−です。」(以上、別子はな街道立て看板より)
権現トンネル【四国中央市中曽根町】
・国道319号
・総長329m
・2006年2月2日開通。
馬瀬林道
2001/11/24
馬瀬法皇之滝
2004/7/3 |
馬瀬新四国 |
林道虫仏山線
2001/11/24
・幅員4.0m、延長1.8km
法皇スカイライン【伊予三島市】
2001/11/24
峠の地蔵
・明治22年4月8日建立。 |
猿田峠【伊予三島市/高知県本山町】
2004/7/3
※住友共同電力 物部線 No.119鉄塔有り。
※「れいほくネイチャーハント」による「佐々連尾山」への案内標識有り。
天王の峠【伊予三島市富郷町寒川山下猿田/富郷町津根山藤原】
小箱越【伊予三島市/別子山村】
薬師峠【伊予三島市】
小林一茶句碑【伊予三島市中曽根町 三島公園】
「しずけしや 春を三島の 帆かけ舟」
・寛政年間に小林一茶が来訪し、八綱浦(やつなうら)を過ぎるときに詠んだ句。
・展望台近くに句碑が建っている。
前田伍健川柳碑【伊予三島市中曽根町 三島公園】
「考えを直せばふっと出る笑い」
・展望台近くに川柳碑が建っている。
「明治三十一年水田創起」の碑【伊予三島市富郷町上猿田】
・上猿田地区は四国で最も高地の水稲栽培地であると見られている。
猿田白髪線完成記念碑【伊予三島市富郷町上猿田】
2004/7/3
・白髪トンネル北口にある。
ふれあいの女神
・彫刻界の巨匠、故北村西望氏制作のブロンズ像 |
産土(うぶすな)の塔
・高さ8mの時計塔で、下部には世界地図の方位盤がある。 |
総合体育館 |
スライダープール |
金砂湖畔公園【伊予三島市】
端華(たんが)の森古墳公園【伊予三島市】
端華の森古墳館
・6世紀後半の古墳2基をT字型のステンレス製ドームで覆ったもの。 ・見学の申し込みは市教育委員会(0896-23-2500)まで。 |
戸川疎水公園【伊予三島市上柏町】
・市指定記念物[名勝](昭和37年4月1日指定)
「B疎水(そすい)公園 所在地 伊予三島市上柏町川東
江戸時代から昭和の初期にかけ、へんろ道要衝の地として栄え、昼なお暗い大木におおわれていたといわれている。今も残るへんろの道しるべの碑は、美しいかな文字で刻み込まれ、光明真言200万遍講の記念とあり、当時の信仰の強さに驚かされる。
横死した旅人(おへんろさん)の幽魂を鎮めるため、供養塔が刻まれたり、一石一字塔も建立されている。いずれも江戸時代のものである。
昭和28年、柳瀬ダムが完成し、翌年銅山川第一発電所が竣工した。この機に地区の人たちは、ここに公園を作り宇摩農民100年の願いがかなえられた喜びを分かち合い、功労者をねぎらって頌徳碑を建立した。また福田翁の胸像も造られ、面影を後世に残している。
近年は桜の名所となり、夜桜の美しさは格別である。」(えひめのふるさとこみち 東予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日)
村上栄作氏胸像
・村上栄作(1903〜1994)は伊予三島市元助役で、銅山川疎水事業に功績があった。旧松柏村長、市助役を歴任し、柳瀬ダムによる疎水事業に尽力し、宇摩地方の農業用水・飲料水・工業用水の確保に努めた。 |
三島公園【伊予三島市中曽根町】
・春には満開の桜の下、数千人の行楽客で賑わう。
・昭和31年4月〜昭和44年3月に建設。
「D三島公園 所在地 伊予三島市中曽根町
昭和31年4月から昭和44年3月まで、13か年の歳月と6,200万円余の資金を投じて完成された。6.8ヘクタールに及ぶ広大な敷地にはピクニック広場、遊戯広場.展望所、慰霊塔などが配置されている。
春には300本の桜が咲き競い、桜祭りには1万人ちかくの市民が集まる。港祭り、秋祭りとともに三島三大祭りの一つになっている。
公園には、桜の他にもつつじ、藤、松など150種類にのぼる樹々が、訪れる人を楽しませている。
また、この公園の含まれる横地山は、貴重な古代遺跡の一つでもある。昭和32年からの調査で、箱形石棺2基が頂上から発見されている。
しずけしや 春を三島の 帆かけ舟 一茶
考えを直せばふっと出る笑い 伍健
…三島公園句碑から…」(えひめのふるさとこみち 東予編、財団法人愛媛県文化振興財団、昭和57年3月31日)
桜まつり |
小林一茶句碑 |
前田伍健川柳碑
「考えを直せばふっと出る笑い」 ・展望台近くに川柳碑が建っている。 |
山ノ神公園【伊予三島市】
石鎚神社
※神社といっても、公園敷地内に「石鎚神社」と刻まれた碑、常夜燈、小祠があるのみである。 |
フラワーフェスティバル
・4月中旬の日曜日に開催される。
魚まつり
・5月連休頃に開催される。
みなと祭り・天神祭り花火大会
・国際貿易港の開港を記念した祭り
・7月23日〜25日に行われる。
・盛大な花火大会が夏の夜を彩る。
湖水まつり
・8月上旬の日曜日に金砂湖周辺で開催される。
秋まつり(三島太鼓まつり)
・五穀豊穣を願う伝統の祭礼。
・毎年10月21日〜23日、神輿や太鼓台が町に繰り出し、勇壮な乱舞を披露する。
・特に華やかなネオンがきらめく夜太鼓は美しい。
てらの水のやかた【伊予三島市富郷町津根山
寺野】
・平成12年(2000)10月15日オープン。
・ダム上流1.5kmにあった水資源開発公団の現地出張所を改装したもの。
・銅山川の歴史や民話などを紹介する。
・入場料:無料
・開館時間:10:00〜16:00
・休館日:毎週水・木曜日(祝日と重なった場合は翌日)、12/24〜2/末
● (1998/5/1)
・「温泉」といっている割には全然温泉がありゃせんじゃないか!
・別荘地のようだが、閑散としており、企画倒れもいいとこという感じ。
●(2004/5/9)
上記のような所感を記していたところ、この温泉を掘削された会社の方より「先代の社長が、温泉(冷鉱泉)が出るということを知り掘削したが、そのままにするのはもったいないと、温泉権利付き分譲地として売り出したもの」とのことをメールにてお教え戴いた。ということで、1998/5/1の記述は、大変失礼な書き方になってしまったが、敢えて「旅の記録」として残させていただくが、正確な内容としては、
・「温泉」とはいうが、一般に開放された温泉施設があるわけではない。
・別荘地であり、ウィークデーは閑散としている。
と改めなければならない。
「温泉」=「一般入浴可能」といった既成観念は捨てなければ...。
シイノキ【伊予三島市
中の川温泉】
※中尾は、赤星山の南麓。
鯛寄せ石【伊予三島市 三島神社】
昔、中曽根の庄屋宅に毎日大きな鯛を2匹売りに来る男がいた。
男の話に依れば、海中に美しい石があり、そこに毎朝2匹の鯛がやってくるとのことであった。
庄屋は早速男に案内させ、その石を庭石にしようと持ち帰った。
それ以来、庄屋の家に不幸が続いたので占ってもらうと、「海神の怒りに触れたのだ。これからは毎日石の窪みに海水を満たし、海神を祭るように」と言われた。
それから庄屋は毎日、雨の日も風の日も海水を汲み続けた。
この石は今でも三島神社に奉納されている。
庄屋が海水を汲むために通った道を「しょうこ道(汐汲み道)」と呼ぶ。
三島神社の鯛寄せ石(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
竜の玉と竜神の子ども【伊予三島市八綱浦】
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
河上但馬守
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
芒取りの五左衛門【伊予三島市村松】
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
お婆さんを長者にした狸【伊予三島市寒川町大倉】
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
白竜と長者
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
こうやけの渕【伊予三島市金砂町中之川】
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
熊おすの七人塚【伊予三島市金砂町中之川】
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
新田落人伝説【伊予三島市金砂町中之川】
おかたの関助(せきすけ)【伊予三島市金砂町中之川】
黒蔵(くろぞう)の雄淵(おんぶち)・雌淵(めんぶち)の龍宮伝説【伊予三島市金砂町小川山
黒蔵】
黒蔵(くろぞう)の雄淵(おんぶち)・雌淵(めんぶち)の雨乞い伝説【伊予三島市金砂町小川山
黒蔵】
→See.仁尾町パンフレット
小箱山の天狗と杣平四郎
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
三度が崖に煙と消えた姫
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
三度ヶ崖の天狗と関助
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
赤星山と越智玉澄
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
豊受神社と大和守
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
玉取山
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
徳丸の徳石と黄金の鶏
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
木梨軽皇太子と軽皇女
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
ごんぜの森の物語りを秘めた桂の木
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
大蟇が平四郎に贈った「かわず丸」
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
黄金の仏さまを盗んだ泥棒
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
「のびあがり」と「お菊狸」
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
豊受谷の蛇渕
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
惣兵衛谷と足谷
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
幸福をもたらす横槌蛇
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
お七婆さんに見破られた狸
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
折宇の金つめ崖
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
竜の嫁になった池野の娘
(「伊予三島市の歴史と伝説」、合田正良・合田一慶、伊予三島市教育委員会、昭和51年11月15日)
富郷第2キャンプ場【伊予三島市富郷町津根山】